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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.10-12 アレテ

      アレテ    王者、勇者を目指す

二〇一〇年も師走に入り、日増しに慌しさを感じてきました。この年の越し方を振り返ると身辺はもとより、世界も慌しさを感じて、今年は歴史的に見て大きな転換点にあることを痛感するのです。後世の歴史が、或いはそのことを色々な意味を含めて証明することになるかもしれません。
茫洋としたグローバル化に乗って大きく、国の内外で、政治的、経済的、社会的に列挙すれば枚挙にいとまがない、そうした大事件が特にここ四、五年のうちに起こってきて記憶に生々しくあるところですが、それはきっと今日の今に至る助走段階を懸命に走ってきた、単なる出来事と工程になるのかもしれません。大転換の意味はあらゆる面で深層に広くマグマのように動いて、私たちが気付かないうちに粛々と進んでいることなのでしょう。そうした意味で転換点と指摘する意味の歴史の形成は、徐々に進められてきています。
ギリシャ語で( arete )アレテという言葉があります。最も優れたもの、卓越とか、徳性という意味でも使われております。言葉の意味は二千年以上も昔から、オリンピックで象徴されるように、最も能力をもつものが尊敬されているのが常であります。馬は早く走り、魚は良く泳ぎ、鳥は早く飛び、美しく鳴き、孔雀は美しい羽根を広げるというように、生きものはそれぞれが独自のアレテを持っており、持つことが可能なのであり、神さまから厳粛に授かったものであります。キューピットにしても、アキレスにしても然り、ましてや人間においては愛や美しさや、肉体や全てに優れたアレテを持つものは尊敬され、賞賛され、あこがれの対象になりました。当時の人間社会でも、そうした素質や能力を持った者たちがぬきんでて、この世で王となり、神となることができたということであります。
翻って、人間もアレテを持つように、日々努力し、精進し人格の陶治を行っていかねばなりません。人生とは、そのための戦いであります。この戦いは二面性をもっています。一つは、身に降りかかる困難を克服するための戦いであります。一つは、未知の世界に対する挑戦であり、そのための努力精進であるということができます。
「社会の荒廃は、人間の堕落から始まる」と、ある識者は云っております。だとすると、この社会の荒廃を克服し、社会を再生するにはアレテに象徴されるような美しいもの、優れた物に感動し、進んでアレテを称え、大切に育てる心を持つ必要があります。これを知らしめるのが教育であり、道徳であります。一見、アレテは優越主義にも聞こえますが、これは決して堕眠をむさぼるような差別主義ではありません。
人にはそれぞれに専念し、進むべき道があり、分野があります。その道、その分野で成功し、尚又、頂上を極めた人は、それ自体立派な功績を残し、社会に貢献した証にもなります。楽しく爽やかに、世のため人のために尽くすことが出来れば、人としてこれに勝る幸せはありません。人としてこの世に生を授かったからには、そうした意味において一生を全うして、悔いのない人生を歩みたいものであります。又そう努力することによって、真に成功した人となりが、世の人の尊敬を自然と集める結果になるのではないでしょうか。
時には皮肉ですが、晩年が悲しい孤独な境遇を迎える場合もあります。達成観と矛盾して、現実の世は過酷なほどにむなしく、人の世に無情感をしみじみと味わうことがあります。平家物語を引き合いに出すまでもなく、奢れるもの久しからずただ春の夜の夢の如しとして、栄枯盛衰のことわりを、人への戒めとして語っておりますが、一つにはおごりから来る気の緩み、油断に対する警鐘とも受け取れますし、一方、仏教思想のように諦観的な思想とも受け止められます。現実の経済活動を通じて我々には、過酷に立ち向かっていかなければならない宿命もあります。そうした時に尚注意を怠ってはならない教訓として、先人たちの言葉は意味深く響いてきます。それはそれとして、受け入れていくことが大切ではないでしょうか。人生を戦略的に捉えるとすれば、攻め、引き締め、静観、撤退に対する勇断が時に求められることもあります。それは緩急よろしきを得た戦術としての冷静な判断として必要であります。即ち人としての自制心であり、中庸であります。それが働かなくなって、なお先を目指す気概、意気が得てして悲運を招く事態ともなります。
凡庸な話に戻りますが、同時に、自ら律して注意しなければならないことがあります。一位を目指して努力して獲得した王座、頂点を占めた人は、畏敬のあまり人が寄り付かなくなる場合があります。本人も又人の意見を聞かなくなる時が多くなる傾向があります。同時に独断専行、独占欲もあらわになって全てに警戒心を持ち、人を避けるようになってきます。普通の人、良識を持った人たちが、極めて偉い人を雲の上の人と思い、寄り付かなくなるのです。企業においてもよくあることです。その上、本人も傲慢になっていき人の意見を聞かなくなります。謂うところの必要とすべき情報の中断、遮断であります。これは本人の言動がもたらしたものであり、この極面は悲劇と云うほかありません。人の教えに、謙虚さが人の美徳となり、人格と見なす所以がそこにあります。
一位を得て頂上を極めようとする努力と精進の過程は、尊厳の的であります。その結果を手中に収めた時、人の気持ちは逆転することがあります。常に競争社会におかれている身としては避けて通ることの出来ないものかもしれません。恐れ、回避、羨望、嫉み、やっかみ、そして非難、中傷と止まるところを知りません。見苦しさの止まるところがありません。勝者は人の命がある限り、この世に於いて永遠でなく悔い改めることがないと、むなしく、人の最期を待つことになって、意味無く、恐らく顛末を待つのみであるかもしれません。努力して英知を払い、これを回避したいところであります。

そこで私は謹賀新年の課題をそこに集中し、繰り返しになりますが、来年の抱負として継続し、大きな歴史の転換点を形成しつつあるこの時代を大観し、原点に返って心を洗い流して精進に勤めたいと念願しております。
残り少なくなったこの年を省みながら、来年に臨む気持ちを和歌に記すとしたら、こんな心境になるものと思っております。昭和経済会は今年も各位の絶大なご支援によって活動を展開し、隆々発展の道を歩むことが出来ました。常に伝統と歴史と確実な理念の上にたって時代の変化に翻弄されることなく、時代を先取りし、進取の精神に燃えて新陳代謝を繰り返しております。今年一年、皆様の多大なご支援とご愛顧を感謝して、一層のご健勝を祈るものとさせてください。
                  
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この年を達者にすごし栄えゆく各位の 新たな年を寿ぐ  
12月4日。  


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         経済の成長・これからの日本

     当会の会員であるT社(第一部上場)の創立九〇周年記念行事に参加して講演した当会理事の高木新二郎氏が、これからのグローバル化する経済社会に於いて成長産業として生き残るために、どうしても志向してゆくべきものがあるとして、その歴史的な発展段階をのべているのが注目をひいていました。
    第一は労働集約型産業であります。第二は設備集約型の産業で、第三は知識集約型の産業としています。
人口構成で少子化社会と、高齢化社会の傾向を強める日本の将来を考えると、産業構造の転換も必須の要件であります。その時、日本の国情と特殊性を発揮するには、端的に云って第三の知識集約型の経済社会の構造に転換すべきではないかと痛感します。
    先にも述べたことがありますが、日本の現状は、経済のこれ以上の停滞を回避し、成長路線に乗せて行く二には、少なくともこれ以上の人口の自然減少をいかにして最小限に食い止めていくかにかかっていると思います。ちなみに中国の過去三十余年の暦的変動を振り返ってみると、文化大革命までの中国の経済社会構造は未だ後進国に置かれていました。日本の二十六倍の国土を有しながら、政府の実効的統治が隅々まで及ばなかった点がありました。後進国特有の人口増加は爆発的なものがありました。
    二十八年前、私たちが経済使節団を編成して中国北京に渡りましたが、その時の人口は九億六千万でした。その後の改革、解放の顕著な発展とはいえ、三十年の間に驚くなかれ三億強の人口増加であります。人口増加を背景とする相互波及作用を要因とする経済成長は、当然とは云いながら驚異に価します。
    思うに一般的には、人口減少の国に於いて、国力と経済発展の余地がないというのが通説であります。日本は今、バブル崩壊と人口減少によってマイナス経済成長が続いてきています。不動産バブルを沈静化させるために採られた、あの平成二年に始めた総量規制と、その後の無策で景気後退が放置されたままとなって、影響は自然治癒の限界を大きく踏み外す結果となってしまいました。それによって惹起された二〇年来のデフレに悩まされてきています。国民所得はもとより、購買力の最大の力となる不動産、株式の資産価値の目減りは惨憺たる状況です。現場は実感としてさらにひどく、為政者の対応一つででこんなにも変るものかと、富者から貧者に、王様から乞食に転落したに等しいといわねばなりません。
    世界各国は、特に日本のバブル崩壊後の拙劣な政策を他山の石として賢明な対策を講じています。平成二年に始まった不動産総量規制と、その放置は、金融政策の歴史上に残る汚点であります。その責任の所在が不問にされたまま、その時の影響は未だに続いています。崩壊したままの残骸は、地方ほど顕著で、地方経済の活性化には程遠いものがあります。政府当局の斬新且つ有効で、大胆な政策の発動が望まれます。        (十二月十日)

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             人口増加と減少の国                     
     国連の発表によると二〇五〇年までに世界の総人口は九十一億人となり、三十年の間に二十二億人増加すると予想しました。ひょっとすると三十年弱の間に三〇億強も増加する勢いとみて良いでしょう。同時代に世界の経済は、それに向かって構造的に大変化をとげ、スピードも加速されていくはずです。日本は、これに追いついてゆけるでしょうか。いくつかの危惧すべき問題点があります。
    日本の少子化の傾向は、このまま続いてゆくと思われます。推計でですが、恐らく日本の総人口は約三五〇〇万人減少し、約九五〇〇万人と予想されます。この数字は第二次世界大戦後の水準に回帰したということですが、人口構成に於ける年齢の配分に、なお大きな内容の相違があることは云うべくもありません。世界人口一〇〇億人を想定し、日本の人口が九五〇〇万人とした場合、世界に奔流する経済グローバル化の状況のなか、日本人がどのような世界観、価値観を以て、如何に対処して自らの生活と生存を持続可能とするかの戦略が、今から検討しておくべきことは必須の条件でしょう。この時代は第二の黒船到来であり、歴史的開国に匹敵する正に歴史的大変化であり、日本が政策の大転換を余儀なくされること必定の局面であります。
    国内外の経済の短・中期的展望としては、多国間との経済協力関係の樹立であります。有利な状況を展開するためにも、FTAの締結と実施を初め、自由貿易協定を推進するその先頭に立つべきであります。同時に焦眉となっている環太平洋経済連携協定にも、積極的に参加することであります。貿易の障壁をなくして、自由に拡大、競争することを国是として、その目標に向かって邁進し、そのためにも国内の戦略的な経済政策、対策を準備、実施しなければなりません。
                                 (十二月十三日)  

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法人税五%引き下げ 

念願だった法人税の税率が引き下げられます。菅首相は久々にリーダーシップを発揮しました。野田財務大臣と玄葉国家戦略相との調整が難航していましたが、菅首相の勇断で五%引き下げが指示され、税制改正大網にそれを盛り込んで十六日の閣議で決定する運びとなりました。
  菅政権にとっては、貿易自由化の推進と、法人税減税は、目玉商品として掲げている政策の一つであって、「成長戦略」を揚げる菅首相の久々の快打であります。これによって企業の税負担が軽減され、その分、国内での企業活動の活性化への道が少しでも支援されることが期待されます。それは又、経済活動への波及効果をもたらし、ひいては企業の海外流出を喰い止め、国内の投資の拡大、雇用機会の拡大と創出、デフレ脱却に少しでもつながってゆくことを大いに期待していこうではありませんか。期待に応えて企業側も万全の努力を傾注すべきであります。
  ちなみに法人税を国際比較のため列挙しますと、日本は四〇・六一%、ドイツが二九・四一%、イギリスが二八%、中国が二五%、シンガポール、台湾が十九%となっており、日本の法人税率が際立って高いことが判ります。企業の国際競争の上でも不利な立場に立たされてきました。
 まだまだ充分とは云えませんが、税率が安くなった分、国内産業の活性化と、競争力の強化に寄与し、以て将来とも内需拡大の道につながることを期待する所以であります。それにしても、資本主義経済、企業重視と批判されながら政権を担当してきた自民党、その政権時代に果たしえなかった法人税の減税が、労働者支援、消費者支援の革新政党下で、しかも草の根運動から出て、市民運動出身の政治家、菅首相によって実行されるとは、何とも皮肉なことであります。言うなれば長年の間、政権を担当してきた自民党政治が如何にだらしなく、堕落しきっていたかがわかります。企業家寄りといわれてきていながら、利権がらみに翻弄され、真に清廉な自由主義経済の指導的役割を怠ってきたか、猛省すべきことであります。
政治家の理念、信念、実行がいかに当てにならないか、しかしながら如何に重要であるか、気がついてみれば常識では決められないものかも知れません。    (十二月十五日)


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二〇一一年度予算案

政府は二十四日の臨時閣議で、来年度の予算案を決定しました。それによると一般会計は九十二兆四一〇〇億となり、二〇一〇年度を一一〇〇億上増しとなり、過去最大額にふくらみました。
これに対し歳入は、税収を四〇兆九〇〇〇億を見込み、税外収入七兆一八〇〇億、不足分を国債発行で、四四兆二九〇〇億としました。数字的につじつまを合わせた形ですが、国債発行が税収を上回ると云う異例の財政状況が続くことになります。
法人税の五パーセント引き下げは、直接、間接に企業活動の刺激になって、景気回復の索引力の一担を荷負うもので、画期的であります。国民のひんしゅくを買っているのが、子供手当ての引き上げ、農家に対する戸別的所得補償制度の支給額の上増しなど、人気取りのばら撒き政策の印象をぬぐえないことです。一律支給といった不合理な点も指摘されており、実際的にも再考が必要と思われます。
     幸い、景気回復の兆候も窺えますが、旺盛な海外経済の成長の、外国市場の動向に牽引されているもので、国内経済は依然として厳しい局面が続き、特に地方においては更に深刻であり厳しい情勢であります。これは慢性化された兆候であり、地方経済の復活には、大胆な政策の発動が望まれます。
     国債発行の増加が止まらない現状は、残高九〇〇兆円に迫る勢いで、財政収支の悪化に歯止めがかかりません。GDPに対して二倍に達している日本の国債発行の依存度は、ダントツであり、異常であります。国際的にも懸念される日本の深刻な事態であります。
リーマン・ショック後の各国の財政、金融政策の総動員で、先進国中心に巨大な財政赤字が残りました。おしなべて各国とも財政再建に懸命な努力が払われていますが、EU諸国にギリシャを初めとした財政危機に直面する国々があって、世界経済に影を落としています。
日本の場合も、国債の九十五%が国内で消化されていると云うだけで安閑としていられません。幸いにして家計の金融資産一四〇〇兆円が預貯金に向い、融資に事欠く銀行がこれを力にして国債を買っています。指針だけでも、改善の確立した取り組みが必要であります。個人も、企業も、国家も、借金依存症になることほど破滅に近いものはありません。反省の上、常に改善すべく心がけていかねばなりません。
   
     ふと我に返って、ささやかなポケットの状況を調べてみました。カードを使っていないことも異常ですが、借金は従ってゼロであります。当然の事ながら、家計も借金がありません。事業の方も銀行のお世話にもならず、借り入れは五、六年前からゼロであります。心して、尚、逆らわず天命に身を任せながらも己ながらに努力した結果であります。心身ともに余分な圧力は感じなくなっていて、いらだちもなく、恙なき身を感謝しています。一時期、借金も資産のうちとはしゃぐこともありましたが、借金はやはり借金で、人さまの力を以て事をなし、息をさせていただいていることに変りはありません。事業拡大のための資金手当て、利潤獲得のための借り入れは、前向きな積極的な資金運用で好感をもてますが、あくまで借金をしているという意識で居ることが肝心であり、ゆめゆめ忘れることがあってはなりません。当たり前なことですが、自分の自己体験で得た貴重な教訓であります。         十二月二十五日
 
    今年もあと一週間を残すのみとなりました。
皆さまから、色々とご鞭撻いただき有難うございます。よく、「とう尾の一振」といいますが、みなさんにおかれましては、努力と、良き今年のとう尾を飾って、新しき年を目出度く迎えてくださるよう祈念しております。
    
    あんおんに打ちすぎていくこの年も春にそなへてほがらほがらに
                                                  12月25日
    

平成22年12月9日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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