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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.19.12

 中曽根康弘氏が死去

   敬愛する中曽根元首相が逝去された。百一歳であられた。慎んでご冥福をお祈り申し上げる次第である。
以前、政治家として大活躍のころの中曽根さんから頂いた書状を事務所に保管してあるが、中でもフクロウ博士を描いて送ってくださった葉書は、政治家、中曽根さんの人柄と信念、人生そのものを示して遺憾なく、躍如たるものがある。葉書のフクロウ博士を見ていると、座禅を組んでいる中曽根さんと向き合っているような気持になってきた。   合掌       11月29日

中曽根康弘元首相の逝去を悔やむ声が、国内をはじめ世界各國から寄せられている。政治家としての評価以前に、中曾根さんの実直な人柄と誠実さが蘇って着てのことだろうか、今更ながら功績をしのぶ声につながってきている。

   中曽根さんの政治経歴としては、1982年の鈴木善幸内閣が退陣したあとに第71内閣首相に就任したが、何にもしない内閣として評判の悪かった腑抜けの鈴木首相に代わる時だったので、国民にも新首相に対する期待と、自ずから高揚感があった。鈴木内閣は、田舎丸出しのおよそセンスのない首相であった。そこに「首相を国民投票で選ぶ運動」を街中に展開し、元海軍主計将校の若い中曽根さんが、颯爽と大舞台に登場しただけに、世間の風評はまずまずだった。少数派閥の領袖として政界を渡り切り、風見鶏の別名をもって当たったほどに、常に苦労が絶えなかった。しかし、右顧左眄の風見鶏ではなく、足が地に着いた堅固のものだったがゆえに周囲の喧騒に振り回されるものではなかった。あの頃は「首相を国民投票で」の看板がどこにでも掲げてあった。あれは体の良い選挙運動だったに違いない。

   首相在任中は国内においては幾多の大改革を断行し、外交にいおいてはアメリカのレーガン大統領と親交を深め、互いにロン・ヤスと呼び合って、日米同盟の絆の強化を図ったことは大きい功績である。アメリカ大統領と膝詰め談判で外交交渉を図ったのは、中曽根さんが初めてであろう。日本の防衛費予算を国民所得の1パーセント内と規定して、国防予算の拡大路線を引いたのも中曽根さんであった。

   注目すべきは、国鉄、日本電電公社、日本専売公社といった国営企業の民営化を大胆に推し進めていったことである。運賃値上げと万年ストライキに泣かされてきた国民は、国鉄の民営化が実現されることに期待し熱望していた。国鉄の分割と、民営化は労働組合の物凄い抵抗を受けながらも、これれをJRという今日の近代企業に実現させたし、日本電信電話公社もおなじみのNTTに、日本専売公社はJTに改名し、組織と経営の改革を断行していった。中曽根内閣の国鉄の分割民営化を強力に後押ししたのが、わが昭和経済会の顧問であった土光敏夫さんであった。

   土光さんは中曽根さんの要請を受けて、第二次臨時行政調査会の会長を務め、文字通り老骨に鞭を打って、それまで誰一人として手掛けられなかった行政大改革の答申を行った。中曽根さんはこの答申に基づいて実行すべく、蛮勇をふるった。これは日本経済の停滞と陳腐化の温床だった国有企業の労働組合を刷新して労使の協調の下、民間企業に移籍させることで歴史的な大成功を収めたものであって、日本の今日の経済組織の活性化への起爆剤を果たしていったのである。 12月1日

拙宅の庭に樹齢60年になる桜の木がある。種類は染井吉野で、毎年の花見は花見には行かずに専ら庭先で楽しんできている。桜の枝は大きく広がって花をつけるから良いのであって、花の爛漫として咲き勝る雰囲気は華やかでなんとも名状しがたいものを感じる。植わっている土地が良いということ、つまり土壌が桜の大木に適しているから、自ずから樹木に年齢を感じさせないくらいの精気がみなぎっている。枝は四方に向かってぐんぐん伸びていくし、枝にはぎっしりと花が詰まって咲くほどに、美しさと同時に生命力が溢れてきている。

   ある時期のこと、庭に畑を作るようになってから、樹木の茂みで日影がたくさんできるようになってしまった。そこで植木屋さんが入った時に、桜の多少の枝祓いをしてもらった。桜の木は一度切ったりすると、[桜伐るバカ、梅伐らぬ馬鹿」の言い伝えではないが、定説に逆らい桜の木も切ったりすると却って、土地柄が良くて、精力のある性格の良い木は、切られても苦痛に耐えて元気になってくる。おのれを痛め耐力を鍛える意味で、生き物のある種の生命力である。案の定、桜の木もその後ますます成長力を発揮して、雄大な枝ぶりをなしてくるようになった。
   この木はもともと昔の地主さんから譲りうけたものだが、敷地の南側に子供さんが小学校の卒業記念に桜の木を植えたものだった。なので、拙宅でも大事に見守ってきたし、毎年春の盛りには居ながらにして花を楽しめてきた長い歴史がある。しかしここ秋に植木屋さんが入った時に、この桜はそろそろ寿命で幹が腐食してきて雨風に倒木しやすいから危険だと言われていた。気が付いて幹の裏側をよく見てみると、太い幹の大部分が腐食していることが分かった。可哀そうで伐ることもできず、何とか元気なままに延命策を取ることは出来ないものか、専門家に聞いてみたりしたが、桜の寿命は60年だという。年齢の避けがたいものであるとすれば、宿命かとも思った。

   昨今の気象状況は狂いじめており、正に恒常的な異常気象の現象となった来ている。そうしたときに倒木の憂き目にあって、前のお宅にでも倒れ掛かったら大変なことになる。残念だが、試案の挙句に伐採することに決心した。大きくなった木の伐採となると簡単なわけにいかない。電気のこぎりで切るにしても、あたりの養生が必要だし、伐った幹を吊り上げるクレーン車だって必要になってくる。そんなことを頭に描いていた。言いにくい話だが、記念として植木を植えたお宅には事情を説明して、止む得ず桜の木を伐ることになった旨を伝えに家内が行ってくれた。

拙宅に出入りする大工の棟梁が、その桜の木を譲ってほしいという話であった。薪を求めている友人が目黒にいて、桜の木の話をしたら是非譲ってほしいという妙な話になってきた。電気のこぎりを以て切り倒し、小さく裁断しトラックに積んでいってくれるという。疑うわけではないが、そんな簡単に済む話ではないと思っていたので、本当だとすれば渡りに船である。植木屋さんに頼めば本職だし、十万や十五万はかかるに違いない。家庭の薪に使ってくれるというから、目的がはっきりしている。それにしても薪の生活をしているとはなんと優雅でぜいたくな話かとも思い、うらやましく思った。桜は薪に使うと火力が強いことは知っている。そして幹を通して筋がまっすぐに通っているので、割りやしい特徴があって珍重される理由にもなっている。薪には乾燥された固い木が喜ばれるが、樫、欅、クヌギ等、梅もそうだが、木によって素直な性質が異なるので扱いにくそうである。桜はその点文句なしに上位のランク付けだそうである。庭が広いので、切り倒すのに難しさはない。根元を伐って、あとは倒して一尺ほどの長さに裁断するだけだそうだ。

休日の午前中に棟梁とその友人が、中トラックに道具を積んでやってきた。切り倒す前に、お神酒と塩を用意して、棟梁が丁寧に幹の根本にかけて合掌していた。小生も神妙な気持になって合掌した。友人が桜の木を見やりながら秘策を練って,やおらとりかかりはじめた。電のこのスイッチを入れると物凄い音を立ててエンジンが回りだした。友人は電のこを宇田に抱え、手前側から幹の根本にのこぎりの歯を入れた。細かい大鋸屑があたりに飛び散った。まるで生き物の血が吹きだすように思えて痛々しく、一瞬可哀そうに思えて居たたまれずに家の中に飛び込んだ。手前の内側に三角の切り傷を作り、そのあと反対の外側に鋸の歯を入れると、幹がゆったりと動き始めた。暫くすると大きな木のきしむ音がして、巨木が目の前にまでのしかかって倒れてきた。あっけない瞬間であった。

   友人はその場で倒れた幹を一尺ほどの長さに切断して積み上げていったが、途中から斧を取り出してきた。そしてそれぞれに短く切った丸太を立てて、斧を振り上げて細く割っていった。窯や暖炉に、薪としてくべるに恰好な大きさであった。生の木だと縦の筋に沿ってきれいに割れるはずである。友人は、これを十本ずつ束ねて紐でくくり、トラックの荷台に積み上げていった。約二時間の仕事であった。庭の芝生に飛び散った大鋸屑をきれいに吸い上げて、何ごともなかったかのように跡かたずけができた。実に陽気で手際のよい仕事ぶりであった。
   桜の切り倒された庭が明るく、周囲が広々とした感じになった。しばらくは慣れるまで、一抹の寂しさを感じることであろう。誰にも知らせていないが、さくらの木が突如なくなってしまったことに誰も気づかずにいる。きっと、桜の咲くころになって、あれ?桜の木はどうしてしまったの?なんて云う会話に終わってしまうかもしれない。 
   私は、棟梁とその友人が引き払っていったあと、桜の木の鮮やかな赤みがかった伐り株のあとに、小菊の花を手向けてそっと置いてやったのである。伐り株には、鮮やかな年輪が記されてあった。ふと見上げた霞の空に、半月が薄くかかっていた。    12月8日


中村医師の殉死せり


アフガンの荒れ地に民とともに住み命の水を生かす医師あり

荒れ果てし戦火の巷を生き返し民の命を救ふ医師あり

神の手を授け給へやアフガンの荒れ地の中村医師を支へて

証しする妻のみぎてに立つイエスの後ろに仕へ我も祈れり

茶山花の咲きてこぼれる庭土に早や雑草の出づる今朝かな

立つ霜の朝日に溶けしその間より早や雑草(あれくさ)の匂ひ出づるも

雑草の早や萌(もえ)ぎ立つ庭畑にたんぽぽの芽も生えて嬉しき

柿の実をつつきに目白の家族きて互ひにささやき飛び交ひあへり

柿の実の赤くみのりて木枯らしに深く色づき鳥を誘へり

色づきて極楽浄土の涅槃図を書き染めて散る柿落葉かな

ことごとく落葉したる柿の枝に紅き実一つ光り残れり

うららかな人の心と人の世を願ふ令和の歳は暮れゆく

並べ置くポインセチアの珠の色にサンタの赤きハット浮かびぬ

献金の祈りを述べて茶山花の散りゆく庭に聖夜近きも

教会に思ひ慕(した)へる人の居て主のみことばを聞くもおぼろに

小春日の陽ざしに映る赤白の小菊の花の遅き秋かも

十字架の贖いに生き我が日々の新たに在れば夢は果てなき

うららかな人の心と世の果てを祈りて令和の年は暮れゆく

教会の信徒の乙女に目の遭へば恥らひ熱き少年のごと

年の瀬の街を彩る色電気浅草六区の街をゆく我

少年の頃思ひけむ父親の手につかまりて街なかをゆく

街なかの店のウィンドのなかに居る赤き帽子の動く人形

クリスマスイブの近付く街なかにサンタクロースがみたりゆくなり

オルコット作の若草物語四人姉妹に熱を帯びけり

長き年親しみて来し花の樹を寿命とは云え伐るは悲しき

近ごろの強き雨風に倒木の恐れ多きに大樹伐るとも

高令の樹木の幹の朽ち果てて空洞なれば倒る憂ひに

花の頃必ず咲きて楽しみぬ染井吉野の色の淡きを

庭畑の青葉の色の深々と染まりゆきしに覚ゆ地力を

恙なく終へる講演親睦会昭和経済会の主要行事に

年の瀬に決める商談に奮起して掉尾(とうび)の一振の意気に触れしも

渇(か)き乾く砂漠に水を引く水路幾つも築く医師の中村

貧困に苦しむアフガン被爆地に水路を引きつ殉死致す師

産業の有害物質をたれ流し地球環境の崩壊の危機

温暖化影響の生活に及ぼすに備え百姓に戻らんとぞ思(も)ふ

我ら皆主の降誕を喜びつ迎ふ聖夜の来たる間近かに

キャンドルに明りを灯し降誕を待ち望む日の巡り来たりぬ

にくしみを外に差し向け犯行に及ぶ極悪の事件多発す

世に悪意抱く犯罪の潜伏す現代社会のゆがむ世相に

京浜の石油化学工場の未だ有害に白煙を吐く

原発の指定廃棄物の処理に病む地方地域の財政難に

塀ぎわに並び植えたるベコニアの色とりどりに咲きぬこの冬

みほとけの安きみ顔にいにしへの賢き人の顔の浮かび来

みほとけの浮き愁ひに手をのべて救ひて人の命活かしぬ

原発の危機を訴ふ緒方氏の信念正義の熱き女なり

令和てふ人の心のうららかな世に逆らひて悪事ひろごる

法起寺の少女が来やすく竹垣を越えて来るなば手を差しのべり

法起寺の少女は今しまぼろしの思ひ出なれば愛しかりけり

あの時の幼なき女児は東京のその後大学に入りしとききぬ

良きつまと母となるかも法起寺の垣根を越えて来たる少女は

学びやの友らと泊まる法起寺のうつらつらつらに思ひ出せるに

楽しくもゆかしくあらむ思ひ出の少女のうまし人の世に出で

法起寺の塔を見上げて朝まだき読経の声を聞くもさやけき

父親の跡を継ぎたる銀行の就職決まる友のその後は

人品のいやしからざる人前に惚れて商ひをしてみるかとも

畏敬して得まぬ中村内科医のアフガンの地に殉死いたすは

アフガンの飢えと病ひと貧困の地に住む民を救ひいだせり

アフガンの砂漠の枯れた地に水を引きて緑の地をなせる人

証しせる人の右手に立つ君の後ろに仕へ祈る我かも

十字架にはりつけられし汝が君の姿悲しく泣きて伏すかな

アフガンの人に命を与へむとその地に命を落とす君かも

竹垣を越えて親しく会ひに来る少女は今は夢のまぼろし

恋人に会えるが如き心地してイエスを抱けるマリアその人

証しせる人を支へるキリストの後ろに仕へ我も祈れり

久々に良き年の瀬を過ごしけむ株と仕事の登龍の機に

下垂体腫瘍の摘出に成功し名医のみ手に授かりし身よ

下垂体腫瘍摘出に入院す爾来睡眠薬を断ちし我なり

常用す睡眠薬を絶ちしより身の安定を図り安きに

安定剤睡眠薬に依存してこのまま行くはなんと恐ろし

平常の体に戻ると自覚して安定剤など絶つは摂理に

早きより小説などを書き来なば良き作品を残し来るに

ロマンロラン・カミユの作品等に見るたぎる情熱の余にもおぼへし

山並みを描くヘッセのデッサンに空行く雲のいづくあらめや

共産党宣言を詠む冒頭の世に幽霊の出でし時とは

経済と政治を故意に切り離し世の貧困を隠す政治家

人の住む環境破壊の甚だしコップ21の使命大きも

ケインズもシュンペーターも予見せで環境破壊の経済成長

小春日の暮れて真澄の夜の空に煌々たるや半月の空

紺青の夜空を渡る月影の静かにあれば音を聞き分く

かすかなる音を残して行く月の半球の夜の空を渡るに

柿の木に残る木の実のつややかに光る初冬に地球つるせり

つわぶきの花を咲かせて月に吠ゆ庭を明かすは寂しかりけり

つわぶきの月の光に映えて咲く黄色に咲きて奇しき幾つも

月の夜を野づらに立ちて歩く身に寄り添ふ影の愛しかるべき

マルサスの人口論を繰り返し読む人の世の思ひ荒れしも

アルコール依存患者の潜伏す発作に出づる影の危機なり

アルコール患者の手足に震えきて発作に地球の軸足狂ふ

アル中の患者の発作に軸足を狂わす地球の何ぞ動きや

舌を出すアインシュタインの面相に狂ふ科学の先を憂へり

良心に苛まれて出す舌の先アインシュタインの悔恨の一面

すべもなき日本外交の石火賞受けて恥じ入るコップ21

世界的うねりに立てる若者のアンチ石炭火力発電

香港の明民主化運動の奏功し議会選挙の大勝利に帰す

科学者の悪しき集団の行進す環境破壊の後を残して

海面の一メートルの上昇に水没恐れ山に逃げ住む

米中の貿易戦争の激しさに世界経済の衰退招く

性懲りもなき貿易戦争の暗雲に気づくトランプ、習近平氏ら

均衡を図り上手な着地点得んとて貿易戦争の末

英国の選挙の結果過半数得て保守党の勝利決まれり

英国のEU離脱に道筋を付け保守党の安定政権

英国のEU離脱の明確に政策遂行に先を期待し

性懲りもなく繰り返す悪事にて金権主義の政治風潮

    英国の総選挙は保守党が大勝

   EEUからの離脱の是非をかけたイギリスの総選挙は、日本時間で今日の午後一時には大勢が判明し、ブラウン首相率いる保守党が議会の議席の過半数を制して大勝の結果に終わった。三年間半にわたってごたついていたイギリス議会は、国民もほとんどうんざりして疲労困憊に体であったが、一応の道筋を付けて雰囲気は安どで胸をなでおろしているというのが実情である。総選挙の結果で見た政局の安定が、長楽一途のイギリスにとって一縷の幸運をさす兆候であった。このままの状態が続けば、内外の問題をはらんで、分裂もあり得るような状況であった。今や、EU離脱とイギリスのこれからの国家運営が課題であって、政局の混迷から脱出したものの、来年1月31日をもって正式に離脱を決定し、独自の路線を歩んでいかなければならない試練が待っている。艱難辛苦の道がその先ずーと続いていくかもしれない。
    ブレア首相の求めた迂闊な選挙で、藪から棒にEUからの離脱が僅差で決まってしまった後の退陣、女性首相のメイア氏が合意なき離脱をめぐって議会で紛糾したあとの辞職、三年も経過しての今回の姿勢がブラウン首相のもとで、道筋が漸くはっきりと打ち出されて、それだけで混乱を回避した形である。EUからの離脱をめぎっては、イギリスが抱える北アイルランドの処遇をめぐ問題山積である。EUとも貿易協定のこれからの交渉の問題もある。一筋縄で喜んではいられない。がらっぱちのブラウン党首が組閣のあと、いかに戦術を練って内外の問題に取り組んでいくか、見ものである。
   EU離脱をめぐってはイギリスの国内を二分する混乱を回避したということで、国際的な投資家の安心が伝わり、東京株式市場は活発な商いを伴って日経平均で600円弱の奔騰を見て年初来の高値を更新した。米中貿易協議が一部合意したという報道も加わった形でこれを好感し、今日の株式市況は堅調に推移した。本来の株式相場の動向をどう見るか、 経済環境が、日銀短観や景気動向指数でも見る通り 、悪化の一途をたどっていて楽観は許さない。 この先、高値を追っていく地合いにはなさそうである。 12月14日


函館の座敷に近く追分の江差の里に時雨降るらし

世の中に主のみ言葉の広ろごりていよよ盛んに栄へ行くかな

木漏れ日のこぼるる秋の爽やけきに神の姿のここにまします

魂の揺るる心地に浸る身の身近かにイエスの足音を聞く

目覚めては直ちに気づく教会の鐘撞くイエスの姿その人

暫くは朝ねて目ざむ時に見むイエスの熱きまなざしに立ち

年の瀬の休日が来て瞬く間はやてのごとく時の過ぎゆく

気まぐれに流るる雲の懐かしく故郷に来て思ひ知るよし

生き物がこの地に生きてあまた居る例えば楽しく動く草の間

草の葉に居るカマキリの穏やかに夕べの雲をじっと見るらし

卒に仁を得て恒例の菊山氏すがたさやけく春を迎へて

卒寿と仁よはひに示す人柄のイエスに近き貴き故なり

知と仁と情けにたける菊山氏高齢の上はつらつなりき

卒のとき心の肝にバイパスを入れる手術の後に立つ人

茶の道を習ふ岩金姉妹より味はい深く身にそ収めん

敬老の日に寿ぎの茶をたてていただく身にもイエス居はしぬ

お点前を手厚く習ふ茶の道の岩金姉より敬老の日に

お点前を岩金姉妹に教はりて茶の神髄を味はうは良し

厳しさもあり茶の道のお点前を習いてゆかし今日の一日


朋友の青山陽一君の逝去

芳野村立小学校時代の蛍雪の友であり、親友だった青山陽一君が十二月二十三日に亡くなった。慎んでご冥福を祈っている。

終戦後の昭和二十一年頃の廃墟となって混乱した世相のなかであった。疎開先で父が決心して買い求めた田畑の耕作をして、農耕生活をしていた一時期であった。米軍の昼夜を分かたぬ爆撃と空襲を逃れ、それまで見知らぬ土地を転々としてきていた。終戦後間もなくして水戸の在の芳野村小学校に転校して、お陰で落ち着いて飲食と勉学の日々を過ごすことができた時である。第二の故郷と思っているあの頃の生活に在って、陽一君とは苦楽を共にし、少年時代を闊達に生きたころのかけがえのない親友だけに、訃報は悔やまれてならない。

 会社から夕方帰宅して風呂に入っていたところ、桧山仁一君から電話が入った。家内が茨城の桧山さんからのお電話ですと言って、風呂まで受話器を持ってきたので、折り返し電話をすると云い伝えてもらった。桧山君は三十分ほどしたら又電話するということであった。桧山君は戦後の疎開先で、小学校が同じクラスの友人である。桧山君から電話が入るのは初めてではないだろうか。

家族が東京から離れたことがなく地理に疎い者たちばかりだったので、遠い親戚の伝手を頼って疎開し、終戦の時は水郡線の袋田と太子の奥まで逃げ切っていたが、それほどにすべて国民はもとより、我々家族も離合集散を繰りかえし大きな犠牲を払わされた時代であった。食糧不足を嘆いた時代に一番大切だということで、一家は東京に帰ることはせずに、知人の伝手(つて)を頼って当時の那珂郡芳野村の飯田というところに移ってきた。水郡線でいえば、茨城と福島の県境の、山奥から都会に出て、水戸に近い鴻巣という駅で降り、歩くこと四十分程度の農村地域である。小生にとっては全てが活き活きとして新鮮に映ったし、別天地であり、新世界であった。両親にとってはさぞつらかったに違いないが、その地で慣れない農業生活を体験しながら、そこの村立芳野村小学校に転入校した。桧山君はその時の友人の一人である。仁一君の両親は熱心な教育者であり、仁一君も教育者として地元で活躍した経歴の持ち主である。三歳下の弟は、桧山君の母君から教育を受けたとのことである。弟は東大に進み、一流商社に入ったあとサウジ石油化学の社長になって世界で大いに活躍した。

 仁一君の電話であったが、当時の小生の無二の親友で、青山陽一君が昨夜亡くなったということを知らせるものであった。びっくりしたが、何か予感めいたものを感じていたので、やっぱり陽一君だったかと思ったのである。その前に桧山君から電話があったということを聞いて、私は家内に「もしかすると陽一君に何かあったのかもしれない」と告げたばかりであった。それというのもこの夏に陽一君に電話を掛けたところ、奥さんが出られて、ホームに入っているという話を聞いたので動静を気にかけていたところであった。営々と続けられてきた陽一君との交信もここに三年に途絶えてしまったので、律儀な陽一君に何か異変が生じたのかもしれないと案じていた。少年のころから、陽一君は小柄ながら敏速な動きをして友人の間を取り持って走り回り、世話焼きの明るい人柄で人望があった。もちろん学業成績は優秀で、子供のころの思い出に占める割合は抜群である。住まいは飯田中新田という地名で広く農家が点在する地域であり、陽一君の家とはお互いに二百メートルほどの離れた距離にあって行き来はなかったものの、親近感があって親しく付き合っていた。

 陽気で、まじめで、心優しい陽一君のような友達が居たからこそ、見知らぬ土地に移り住んできても闊達に少年時代を過ごすことができ、明るく希望をもって勉学に励むことが出来たのだと思っている。故・大場権十郎君といつも学校の帰りは一緒であった。体の大きい大場君は飯田から更に先に行った通称飛行場の土地に開拓民として居を構えた家族であった。大柄でのんびりした性格だったが、長じてから一時、東京の押し上げに小さな居酒屋を構えたというので、上京した友人たちとお祝いにそのお店に行って飲食歓談したことがある。その後、大場君が袋田温泉ホテルの調理人兼支配人として働いているということを聞きつけて、陽一君と一緒にそのホテルに一泊して激励しに行った。折角いい職場に就いたのに、その大場君は早くしてなくなってしまった。そうゆう悲しい思い出もあった。今度は、その陽一君がなくなってしまった。寂寞の限りである。

芳野村では四年間ほど、慣れない農業の仕事に従事した。宅地と六反歩の田畑である。戦争は国家の暴虐である。暴虐の犠牲にあった草民は、数えきれない。 戦争の恐怖と、暴虐による死から逃れるためとはいえ、知らない土地を転々とし、しなくても済む苦労を積んで、運命の悪戯に翻弄されて芳野村での生活にたどり着いた。生き永らえただけでも幸いとしなければならない。戦争の悲惨さと苦しみは身に染みている。芳野村での生活は、恐怖から救われた楽園であった。やっと手に入れた自分の生活だと、幼な心に実感したものである。土に立って物を作って食べることで、自然の掟について生きていくことに自信がついたし、勉学していくことにも楽しみと希望が湧いてきた。

芳野村での生活は苦楽を共にしてきた生活だけに、第二の故郷のような気がしてならない。そうした中、陽一君という無二の親友に恵まれて、少年時代の学び舎を過ごしてきたことは幸運であった。彼には、友達に喜びと希望を与えてくれるような魅力を持っていた。社会に出てからもお互いの故郷を行き来する案内役を務めてくれたので、芳野村を訪ねた時などは親身になっていろいろなところを案内してくれたものである。それも二十年くらいまでのことになるが、記憶は鮮明で最近の出来事のように思われてならない。人情に厚く昭和経済会の会員にもなったりして、東京から発信する高度な情報にも大きな関心を持っていた。熱心な勉学者であった。

 顧みると思い出は尽きないし、あしたのお通夜にはぜひとも参上して別れの線香をたいてきたいと思っている。陽一君を思い出すにつけ、彼の性格からして、人を愛し、人から敬愛されて過ごした素晴らしい一生だと思っている。今は声を聴くこともできずただ遺影を眺めるだけになってしまって、胸中に寂寞の情禁じえないものがある。常磐線で水戸の先のひたちなか市の勝田稲田館で行われる。今夜はクリスマスイブである。慎んで陽一君のご冥福をお祈り申し上げる。

朋友の訃報に触れて胸熱くその面影をしのぶ年の瀬

少年のころの苦楽を共にして蛍雪の功いまだ忘れじ

朋友の陽一君の面影の溌溂とした少年の日々

冬空の澄み切る果てに一つ星かがやく友の証なるかも    十二月二十四日


   イブ礼拝


   敬愛する大沼大兄がイブ礼拝の感謝の祈りをなさった。全宇宙を創造し支配なさっている紙に対して、人間が犯している大きな過ちと罪について慨嘆の情を吐露するものであった。昨今の宇宙飛行船・地球号をとりあげて、人類が歴史上買った経験したことのない罪を犯し人類が生存の危機に直面していることを真剣に説くものであった。人間の知恵が限りなく発展し、神の領域にまで踏み込んでいく人間の傲慢さを取り上げてくださっている。聖書の詩篇壱〇参章の二を引用し「わが魂よ 主をほめたたえよ 主の良くしてくださったことを 何一つ忘れるな」 とあるように永遠に首によって支えられていけるようにと祈りをささげていらした。清らかな雰囲気でイブ礼拝が終わって、讃美歌が歌われて星のきらめく聖夜の道を帰宅した。

麗しきイブ礼拝の大兄の感謝の祈りに我も和すなり
主のみ名をたたえわれらが宇宙船地球号のいずく飛び行く
人類の無謀な行為に地球号息たえだえに救ひ求めり
宇宙船地球号の今や主の手によりてのみ救われし身に
自覚して人の行為のあさましきこと慎みて日ごと努めん
集ひきてイブ礼拝にこころして大沼大兄の祈り聞くかな
訴えて心にしみる大兄の神につかへる祈り聞くかな
現実を鋭く射貫く慧眼にその人柄の貴きまします
狼藉を尽くす人類の浅はかさ物欲優先の世を嘆く兄
ひとり子を世に送りたる大君の贖ひに生くわれら諸人
筒ますぃく主にぬかずきて祈りけむ宇宙船地球号に乗りし我らは
祈り会の物静かなる大兄の祈りにあはすぇ我も祈れり
憂きことの絶えて消えゆくこの空の澄みたる果てに謂うふことのなし


天気晴朗の大つごもり

晴天の大つごもりに願望の思ひ半ばに果たす良しとす
平穏の日差しに令和の年暮れて大つごもりの庭に立つ我
いざ立たんおおつごもりと元旦の境に在りて時を紡ぎぬ
様々なことの起こりて時を過ぎ大つごもりの小春日に在り
うららかな小春日に過ぐ年の瀬のこれより令和の春をむかへん
この年も主の贖ひと恩寵に生きていたるは幸ひなりき
晴れ渡るみ空の色の輝きに憂きこと消えし大晦日なり
閉めの日の晦日となりぬこの年も幸いを得て暮れる安きも
穏やかに在りしこの身に幸せを覚へ令和の年も暮れ行く
澄み渡る師走の空の晴れやかに年の終わりの礼拝に行く

ごたごたの絶えなき政治の安倍政権さは収まりて行くを良しとす
昨今の問題山積の安倍政権くる年も又荒るる波の間
米中の狭間に在りて安倍首相上手くかじ取り期して行くべし


  令和の元号に国たみの栄を祈念して、早くも最初の春を迎えんとしている。天皇の即位の礼もつつがなく済み終えて、今日は大晦日を迎えている。くる年は、令和の最初の春である。国の栄と、国民一人一人の平和と、安寧と、豊かな栄を期して今年を顧み、新年に備えたい。

  令和の最初の年が暮んとしているが、空を仰げば限りなく澄み渡り、遠く遥かに白雪の富士の頂が遠望できる。なんともめでたい大つごもりである。縁起を担ぐわけではないが、新年につなげる大晦日のこの天候は、近年になく幸運に恵まれた春にふさわしい接手である。早速に和歌の六首を詠みあげて、期待を込めた次第である。そして相変わらずの国内、海外の政治、経済情勢である。課題山積にして、解決すべき努力を要する時期に直面して居る。

  保護主義の退潮は徐々にではあるが、国際社会に理解されようとしてきている。過激な組織的行動や、テロの台頭も収まりつつあることを期待したい。香港の政治情勢が象徴するように、市民の政治意識の覚醒と、行動化したデモ、対立した衝突、そして総選挙、民生の決定的結末、話し合いによる政治の選択がいかに重要なことかが端的に示されている。若者の正義感と市民の良識が具現された、大きな成果と教訓であった。議会を通じた議論が行われて、力の衝突を回避することが重要である。
   香港市民の政治的要求、それは単純明快であり、政治的民主主義の要諦である。 香港の政治的事案は小さいが、しかしその意義は根本的なものであり、これからの世界は、政治家は、それを見習っていかなければならない。 12月31日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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