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VOL.22.12
師走
今年も早や師走に入って、身辺に慌ただしさが漂ってきた。来しかたを振り返ってみたところで漠然とした時の流れに、浮き草の如く過ぎ去ったことしか脳裏に浮かんでこない。具体的におきた事柄を列挙して、その成果を確かめようとするが、自分を納得させるものではない。しかし、成し遂げた事例は例年よりも確実なことがはっきりしているので、あえて自分自身を説得しているところである。完結を求めて日々努力研鑽に勤めてきているが、「ヴェートーベンの未完成交響曲」ではないが、それゆえに未完の素晴らしさがあって、将来に向けた継続性を確約できる成果がある。完成のあとに来るものは満足と終焉である。不満があるから努力のし甲斐がある。完成なき道の魅力である。全うを果たし得なかった道の、捲土重来の未来を展望するのである。一つの現場を成し終えても、次の波が押し寄せてくる。未完の希望であり、喜びである。未完を未熟と称してもよい。 それは即ち、継続性と希望の証しである。12月1日
ドーハでのワールド・カップ
驚きと、歓喜の波が日本中に広がっている。世界の強豪チームである、ドイツとイタリアを撃破した日本サッカー・チームの快進撃に正直のところ、我々みんなが驚いている。そして世界のサッカーファンも一様にびっくりしている。初戦でドイツを2対1で破ったが、対コスタリカ戦で1対0で惜敗した。そして今日の早朝からの対イタリア戦ではまさかの展開で前半の1対0で苦戦気味だった試合を、後半、3分して最初の1点をゲット、続いて5分後に一点を追加、その後は双方互角に熱戦を繰り広げて緊張の連続となり、結局試合終了、日本が2対1で逆転し、強敵スペインを下した。
こんなことを申しては頭脳明晰な森保監督並びに、優秀なる選手諸君に失礼極まりないが、まさかという一抹の不安をぬぐうことができなかっただけに、専門家までが、口を大きくしては言えないが、E組の対戦チームを見る限り、決勝トーナメントに進出するとは思っていなかった。繰り返しきたドーハの悲劇が魔をさして、又の弱気を隠し切れなかった。しかし結果は白熱した戦いに終始し、各戦況も申し分ない戦いを演じて、サッカーはもはやヨーロッパからアジアに移るといった印象である。サッカー場での華麗さ、スピード、技能といった面でのサッカーの面白さを遺憾なく発揮して日本人の持って生まれた天性の反映につながるものであった。
ドーハの悲劇を喜劇にスペイン戦2対1の逆転勝利に
カタールの灼熱の地に展開す日本サッカーのここに雄姿を
グランドを発電しながら走ってる疲れを知らぬ益荒男たちよ
堂安の必ず勝つと前を行く有言実行の真ともなりしか
選手らの発電しながら駆け回るカタールの空灼熱のもと
長友のムードつくりに適任の己を賭して皆を鼓舞せり
強烈に俊敏的確のシュート蹴り万座を沸かすヒーローたちよ
堂安のビッグマウスは実力と闘志を示す自信なりけり
カタールの海岸線の遥か果て熱砂の地にそ近未来都市
強豪のドイツ、スペインを撃破して決勝直線に進む日本
サッカーもワールドカップ22回日本チームの躍進に酔ふ
ドーハの悪夢を勝利に変へし夜の歓喜に沸きし日本列島
サッカーの勝利の期待を胸にして快進撃に先ず驚きぬ
スパインに逆転勝利の一瞬をとらえ歓喜の日本列島
ドーハの奇跡にあらず実力と日本チームのサッカー戦略
日本の勝利を祝し先ず一杯松竹梅の酒酌み交はし
ブラボーだみんなブラボーだと吠え叫ぶ進めブラボーだ優勝にまで 続 12月2日
日曜教会
小春日和の穏やかな空に、 教会の鐘が鳴りひびいてきた。キリストの降誕節に入って今日は第一週目である。十字架の前には初めて四本のろうそくが設けられて、今日は一本目に灯がともされた。信じる信じないはその人、それぞれの心の持ちようであって、一切の窮乏と飢え、恐怖心を解いて平穏の世界に安住できれば、平和な世界に生存を確約できれば良しとする人たちの願いを少しでも果たすことができれば幸いである。完全性を追求するパスカルが「人間は考える葦である」、とまで言い切ったが、人間が未熟で至らぬ存在であることは確かである。であるがゆえに不可能な環境に在りながら、可能性を求めて生存を図る努力をしなければならぬ宿命を負っている。この難しさを少しでも回避して、己を高見に挙げてくれる力のあるものにすがりたいとする欲望の生じてくることは致し方がい。弱きものよ汝の名は汝なりとでもいうべき。人間の存在はかくもはかなく空しいものにとらえるのも、賢者の証しとすべきである。
聖書の難しい解説は宗教学者に任せておけばいいのであって、小生ごとき素朴な信仰者にとっては、この世に在って超人的な力と知恵と情けをもった完全者を立てて、一念を託して己を励ますといった情念に駆られるだけで、人生感が自ずと変わるというものである。イエスは、あなたの一切の悩み、重荷を背負って付いて来なさい。私がそれを解いて悩み、重荷から解放してやりますから、とお仰ゃって下さっているではないか。しかも我々が犯した一切の罪をイエスが肩代わりしてくださるとまで仰っておられるのである。そして完全者として存在するイエスが、新しき息を吹き込んでくださるといっておられる。イエスが全ての犠牲を負ってくださるから、あなたは自分の正しいと思った道を歩んでいきなさいと言って、道を諭してくださっている。イエスとともに主の歩かれる道を進みなさいと諭してくださっているのである。死を賭して自らが十字架にかかり、我々のために犠牲になられた。しかも死から生き返って正に、復活の身となりこの世に降臨された。その証しとして、その死のあがないによってわれわれは命の息を吹き込まれたのである。生きた命の息である。主は即ち、愛である。素朴な小生の心境であるが、「十字架の死のあがないにより今にあるわれが命の如何に尊き」、と粗末にできない心境である。主は我が見方であり、我が救いの主である。常に小生を命あらしめ、慰め、そして救い、鼓舞奮励してくださっている。それに応えていけば、それは、それこそ我が道であり、わが命である。
歳の瀬の忙しき日にも安き得て秋の日差しに主とともに在り
良しあしを正しく分けて神の意を果たして行くは全ふなりき
すずしろの等しく育ち並びをる景色の惚れて抜くあたはずに
大根の葉のみずみずしく土に出る実もすがすがし旨し冬の日
葉の落ちて枝に輝く柿の実のたわわにひかり暮るる秋かな
歳末に大き仕事を成し遂げて良き新年を迎へんと欲す
主宰者の息子が家に立ち寄りぬラクロス優勝の式典に出て
優勝旗とカップを渡し祝福す息子の責務も又大なりし
在るままに伸びたる柿の枝なれば其れゆへ旨しこの秋の実は
我が価値を如何に維持して示さむと説教を聞き深く思へし
干し草の散る安宿の隅に居て黄金の王座に居ますキリスト
産声をあげ幼な児は隅にいてくまなく世にそ光てらせり
キリストの愛のひかりを身に浴し降誕を待つ我ら罪びと
混濁のこの世にありて有りがたきイエスの恵み授くわが身の
植木屋の五人が枝を丁寧に払ひ落として暮るる秋かな
この身にそ生きる真の意を託しイエスの祈り有り難きかな
戦争のなき平和なる国に生き神の恩寵と覚ゆつらつら
この年を振り返り見て主とともに在りて生きしは幸ひなりき 12月4日
シベリアから寒気を含んだ等高線が南下してきた。日本海側と東北、北海道地方は今冬始まって以来の積雪に覆われた。関東、東海地方にも今年一番の寒い風が吹いて、いよいよ本格的な冬の到来と思われる。
拙宅の庭にある柿の木もすっかり葉を落としてしまった。次郎柿と富有柿の日本の柿が古くから植わってあるが、豊作に恵まれた柿の実が、まだ採り切れずにたくさん枝について初冬の日差しに美しく輝いて、まさに名画のひと刷毛、一幅の絵である。 味覚も優れて今までにないくらいの収穫と絶品の味覚を館の主としては誇りに思っている。今日などは今年一番の寒さに、柿の実が一段と引き締まって見ごたえがあり、一層美味しく見える。事実、粒も大きくみのり、実には殊のほか歯ごたえがあってきりっと締まり、割ったところが飴いろに光って甘さも濃厚である。
庭畑に植えてある野菜類は大根、春菊、小松菜、ほうれん草といったもので今が収穫時期である。大根と小松菜は食べごろであって、新鮮な朝の食卓に毎日置かれている。 このところの寒暖の差で葉緑素が濃密に含まれてきているので、葉っぱが分厚く、味も濃厚で深みがある。近所の人にも差し上げたりするが、 お店で買う野菜類とは違った味わいが楽しめて嬉しいとは奥さん方の専らの弁である。こうした野菜を作ったものとしては、有難いお褒めの言葉で鼻高々である。
世の中は相変わらず喧噪、騒然とした日々であるが、心配なのはウクライナ情勢である。戦争は長期化の様相を帯びてきているが、長引けば長引くびくほど戦火の被害拡大は避けられず、人々の命の危険と、日常生活の破壊と困窮を強いる結果を招くばかりである。この戦争が一部の悪しき政治家の思惑で行われているだけに、慙愧に耐えぬところである。 矢鱈勝手に人の領土を侵略して強盗のさまを繰り返して憚らぬ悪党を正当化するわけには断じてできない。そうした輩には消えてもらうしかないといった人の、家族を失って放浪する女性の言葉が胸を突いて離れない。 12月5日
戦争のない国に生き働ける我が一族の幸いなりき
周辺に紛争の危機高まりて防衛予算の倍増と来た
この頃の便乗値上げに追い風となりぬ値上げの公共料金
原油の下落も諸物価の高止まり家計圧迫となる便乗増税
戦争てふ破壊と行為を繰り返す古今東西に止むことのなき
ウクライナ戦争の長期化に懸念在り核のボタンを押すかプーチン
プーチンの殺人鬼となる振る舞ひに神の鉄槌の下る何時かは
吸血鬼なる雰囲気の顔面に漂ふプーチンの悪行の果て
雲間より月の光のまろやかにさして更け行くいかるがの里
いずくにか旅に出でむと山路ゆく鄙路の里に煙り立つ見ゆ
いかるがの里の屋敷の土壁に蔦のもみじと染まる頃かな
柿守りのひとつかがよふ冬空に鎮守の里の安き覚へし
鐘三つ打つ音の遠く聞こえへ来て夕映えの空かすみ行くなり
温かき冬の日差しにひかる実の柿をもぎりて旨し此の年
願はくば新たな年も安き得て栄の歳とげにあらまほし
床の間に見る掛け軸の墨のあと八一の歌に思ふゆかしさ
宅の間のふすまに立てる大熊手七福神の白き顔かな
我が宅の庭にむろ敷き大臼をだして餅搗く支度せむかな
もち米をすすぎ蒸篭に蒸す間にも臼、杵出して酒の祝儀も
去る年の感謝に満ちて来る年の気概新たに祈る今朝かな
長旅に疲かれし身をば古き湯に沈めて憩うふ今宵月の夜
おぼろぼろ過ぐる夕べの宿に居て早や年の瀬の暮るるみちのく
目出度さの云うべくあらじ富士の嶺の気高く明けて光るまほろば
澄み渡る初の天地の間をさして鷺の一羽の飛びて行くらし
茜さす雲間に光る筑波嶺の西に浮かび来高き富士やま
春日野に降る白雪の穏やかに積もる夕べとなりにけるかも
懐かしき友を偲びつ旅を行く日のいずくにか遠くなりけり
瑞雲のたなびく空の明け染めて富士の高嶺の光るまほろば
ひむがしに筑波の嶺を遠く見て西に富士の嶺を眺む今朝かな
閉会した国会審議
どさくさに紛れた国会審議で、国民の関心が薄れていく気がして憂慮される傾向である。国会審議を通じて何が議論されて、どんな法案が通過して、国民に発揮入りと最多論点を提示されないまま当たり前のように決議されていく様は、岸田内閣の特徴である。今や国の内外で白熱を交わし国民生活にとって大事な法案が成立して、国民生活の向上と安寧につながるものでなければならないのに、いつの間にか予算額が膨張するばかりであり、こうした事態に国民が無関心であるのがむしろ憂慮である。
中・露の侵略的行動に対し、北朝鮮の蠢(うごめき)きに対し、日本の安全保障をめぐる問題が深刻な状況であるのに対し、国論が蒙昧とした状態のまま、軍事費のみが突出して向こう五年間にGNPの2パーセントの42兆円に引き上げるといった数字だけが走り出して内実が分からない状況である。内容の精査も必要なことながら、今回の防衛費予算の5兆円の一兆円は法人税増額といった勝手な理屈を打ち出して場当たり的な発想であり、党内外からも、閣僚からも猛反発を受けている。
続く閣僚更迭のドミノ現象に危機感を抱き、「統一教会」の問題でいい加減な法案を通して野党の攻撃を回避した自公民の対応には、国民として納得できない。統一教会の問題は、国民生活に対して直接大した影響を及ぼしていない事案であり、専ら選挙地盤確保の、自民党議員どもの歴史的に隠されてきた習癖の問題であり、これを以て何か国家国民の一大事かの如く抱かせしめて、より重要な課題から国民の目をそらしていこうとする政治家本来の自己保身と企みとしか思えないのである。土曜日まで国会審議を続けて法案の成立を図ったといって、与・野党の駆け引きのみに終始し、あたかも努力と成果をでっちあげて自賛しているさまは、以て政治家の国家国民の所在を忘れた自己保全と利益に奔走し、あさましき限りである。以て、猛省を促す所以である。 12月11日
コロナ禍に怯えつ過ごす日々なれど予防の手立て尽くす無事にて
この年の荒れ放題の世相にて無事に生きしは幸いなりき
何ごともなく平穏にすぐる日に身近に神の守り給へり
山かわの果てに消えへゆく浮雲の行くへも知らで便り託さむ
ふとわれが思ひに消ゆるさる人の恩義に未だ姿忘れで
むらさきのあざみの花を前髪にかざして君は手を差し伸べり
青がすむ浅黄の杜の道行けば君が吐息の甘き匂ひが
なまはげの現れてきて男鹿山の修験者らの法螺の吹く音
男鹿山の頂に立ち海の果て眺むる秋の暮るる頃かな
朋友の高木の案内に出羽三山登りで法螺を吹くが山道
朋友の高木は死して早や五年寂寞の情つのる思ひに
弁護士として辣腕を振るふ友、鬼籍に入るは空しかりけり
遥かなる士幌を目指し草原の真なかを走る十勝平野の
青春の輝く日々をひた走る十勝平野の青草の果て
白樺の林にそそぐせせらぎのマスなど獲れる土地も手にして
若き日は広漠たるや大自然くぐりて生きて行かんとも思ふ
クリスマス・イヴの近づく街なかにイルミネーションの光にぎはふ
新しき生き方示しキリストに習ひて学び道を行くかな
ろうそくの四本のうちの三本に明かりを灯し降誕を待つ
主の下に十二使徒らの集ひ来てイエスの盃にて祝ひけるかな
あがないに身軽となりしわれが身のこの先のこと憂ひなきなり
この世にて限りある身の生涯を苦悩亡き日となさし給へり
この年を振り返り見て主とともに在りて生きしは幸ひなりき 12月15日
中国の台頭と脅威を感じて作られた防衛三文書である。国民が知らないうちとは言わないが、しっかりした議論を十分に行わずに、いつの間にか閣議決定てしまった法案である。バイデン大統領は平和と繁栄に貢献するという声明を出した。日米同盟のゆるぎない結束を示して、我が国の安全保障と安寧を保証するものであることは結構な連携であるが、骨格の中心が、本来友好関係にあるべきはずの、隣国である中国の台頭と脅威に対する案件を念頭に置かれていることは、我が国にとって不幸というしかない。14億の巨大な人口を抱える経済大国にのし上がってきた中国に対し、強いて敵視政策を取らざるを得ない状況は、わが国民にとっても看過、軽視できない状況と言わねばならない。日本はもとより諸外国に対し、中国が、こうした脅威を抱かしめることがないような政策の転換を試みてもらえれば、幸いなことであると認識している。国際的に自由航行を許された地域の現状を不法に変えていこうとする中国の政策が、近隣諸国に不法な脅威と感じさせており、日本を含めて近隣諸国は、そうした姿勢に対抗手段を講じていかないわけにはいかない。
焦眉の点は、敵基地への先制攻撃が盛り込まれているが、あくまで専守防衛を基本とする日本の現実的政策の遂行に、微妙な温度差を抱かせしめるものとなっているので、誤った解釈を鮮明に排除する必要がある。
防衛費の増加について財源をどこに求めるかを議論して自民、公明両党の税制調査会は16日、防衛費増額の財源を確保するための税制措置を正式決定した。しかし、1兆円を超える大規模な増税にもかかわらず、実質的な議論は岸田文雄首相の検討指示から7日間余りしか与えられていない。議論の場に「負担の当事者」である国民が関わることは最後までなかった。「聞く力」を欠いた異例の決着は、政治不信という禍根を残している。ロシアのウクライナへの理不尽な侵略戦争の遂行、米中対立の激化と中国の海洋進出、北朝鮮の軍事的挑発行為といった現下の情勢からみて、日本の防衛力の強化は避けて通れないが、大所高所から問題の確信を議論して結論を民主的に出す姿勢に欠けている点は看過できない事柄である。国際情勢の軽々な判断と見通しに立って、かっての大政翼賛会的な発想を以て議会運営を試み、場当たり的な姿勢が目立つ政権リーダーに、ましてやその独走に対し猛省を促したい。 12月17日
何もしてこなかったのが日銀の政策
ゼロという数字は円満で無限大をも意味して誠に魅力的であるが、生きた実態に乏しい面もあって、現実的にはありえない数字である。価値の算定ができず現象的にもありえない数字を、流動する人間社会、実社会に当てはめること自体が矛盾している。異質な政策だが、それを以てまことしやかに異次元政策と云って長年、正常な感覚を持つ国民に押し付けてきた。その典型的なのが、かの
中国のゼロコロナ政策と、我が日銀のゼロ金利政策である。
特に日銀のゼロ金利政策は早晩行き詰まって破綻する政策と思っていたが、なんと黒田さんが日銀の総裁についてから10年にも続けられてきた経緯があり、その間はもとより今までの執念深さ、我慢強さは異常であり、あきれてものが言えない。あきれてものが言えないといって済めばいいが、経済人にとっては起業家精神はもとより、築き上げてきた社会経済の秩序を根幹から破壊せしめて、正しく作動すべき理念放棄も甚だしいく、その影響するところ誠に以て甚大と云わねばならない。中国共産党の掲げるゼロコロナ政策はこの一週間という短い期間で、民衆の反撃を食らって事実上廃止されたに等しい。今日また、日銀の政策決定会合の席上、ゼロの妄想に駆られてきた連中が、ようやく政策の失敗を認めた形であり、追い詰められた結果である。 そうした認識が受け入れざるを得なくなって苦し紛れに今までの0,25%の誘導金利を0,5パーセントの利上げに踏み切った。気が付くのが遅いが、事実上の金融政策の大転換である。
何にもしないで長年、給料を召し上げてきた能無しの連中である。はっきりものを言えぬ連中だが、この機を択んでの誘導金利の引き上げは適切を欠くが、ゼロ金利政策の方向転換を示すもので挙句に逃走する連中である。日銀総裁退陣の3か月前になって10年間の鬱積した屁を、イタチではないが一発吹かして逃げていくようなものである。黒田の屁など嗅ぐ責任はないが、むしろ被害を受けてきた人たちがたくさんいる。この時期、このタイミングで10年間の鬱積を吹き払ってうっ憤を晴らして退陣する政策遂行者の無責任も、矢張り自己勝手な連中のしでかす愚策の末かも知れない。後の混乱は勝手に始末しろと言わんばかりである。左程に十年間の鬱積の一発の屁を食らったった国民は、即ち油断して借金している人々は、そして企業も大変である。世界的景気後退が懸念される中、例えば、コロナによる特例貸し付けの返済期限を間近かに、金融機関が債権回収に乗り出せば、ローンを組んで住宅を買い求めた多くの庶民、そして弱小の中小企業、景気下支えに協力してきた企業、賃上げに水を差すような風潮の醸成、慌てふためく人たちが沢山出てくる。わが日本国の財政問題もしかりである。今の岸内閣のばらまき予算も野放図に、急激な金利上昇に反省の機会となるだろう。
世の中の動きに疎く、目に見えぬ権力をかざしてきた密室政策、日銀の辿った経過は馬鹿馬鹿しいくらいに、専制的、権威主義的な社会主義国の中国の、ゼロコロナと、その政策転換と大して変わらない。今までも中国のゼロコロナ政策と、日銀のゼロコロナ政策は、奇しくも語呂が一致して最近はその気まずさを取り上げてきたが、その意表を突いた政策転換までがほぼ一致しているところを観ると、習近平も黒田も同じ穴の狢に過ぎない。カエルの面に何とやら、次の賢い世代の政策担当者に任せればいいものを、慌てて打ち出した最初にして最後の一発、ぬるま湯につかり通しの日銀政策決定会合の連中は今までの非を認め、この際責任を取って皆退陣し、来年こそは刷新すべきである。
身近な話として、高齢者が社会活動から切り離されて、高齢社会層に組み込まれた場合、収入は皆無と来るから、今まで蓄積してきた僅かの資産を以て生きていかねばならない。預金をしていても銀行からの利子はゼロに等しいから、専ら利子配当に依存する高令者にとっては収入の道を閉ざされたも同然である。年金生活者の待遇は極めて貧困化した状況に置かれている。こうした高齢者たちの生活体験がない苦労知らずの日銀の連中は、何もせずに自ら高額な所得を得て暮らしているから、高齢貧困層たちの実態生活が分からないでいる。大所高所も、とってつけたような張ったりで屁理屈と云うべき所業である。奇人、変人の類の総裁を早く揺り戻し、生き活きした明るい政策を取り戻すべきである。政策の変更は、いかにも唐突な感じがするが、イタチの最後っ屁も経済全体の閉塞感を吹き飛ばすものと好意的に解釈して、この際我慢すべきである。 12月20日
死に体の鳴かず飛ばずの日銀の突如と下す政策決定
10年の歳月を経てゼロ金利、異次元政策に漸くの断
十年を無為に過ごして日銀を去る総裁の落ち目なりけり
動いたと思えば余命三ヶ月日銀総裁のいとだらしなき
何もせず唯のうのうと日を重ね時の来たらば一発の屁
日銀の間抜けな金融政策に唯々諾々と仕ふ愚民ら
絶大な権力を持つ総裁の権威主義にも閉ざす一面
われら又愚かなしと省みるこの十年の経済活動
ゼロ金利続く十年の経済の落ち目も極む停滞のうち
デモ抗議する力なく高齢者ただ冷遇の身にて空しき
肝心の金融市場をガタガタに活力を欠くこの国のさま
金利無し金の動きも円滑さ欠きて活力も失いにけり
丸印・経済社会に動きなく競争力も落ちてゆくのみ
丸印・無限大は良しとして無こそ麻薬に似たる節あり
金利無視いたす経済に動きなく息吹も絶えていつか破綻に
ばらまきの政府予算も気がかりに増えるばかりの国の借金
金融は利上げ傾向に国債の利払い課題に悩むこの国
若者の起業家精神の旺盛に平和な国に在れば更にも
艱難と辛苦に耐えて活躍す見よ若者のチャレンジ精神
町工場から奮起して最新の産業技術へ開く若者
年末に見る遠き富士の嶺
毎日のこと、東急東横線に乗って窓から西方を眺めると、紺碧に広がった大空の彼方に、雪を戴いた富士の霊峰が輝いて見える。日本国の平和で美しい国を象徴して、世界に誇りとして一幅の絵のようである。このところ、年末も押し詰まって何かと気ぜわしい毎日だが、コロナが依然として街なかにたむろしていることが気がかりである。蔓延気味のコロナに対する完全防備は、単純なことながらマスク着用以外にない。通勤する車内では乗客はすべてが着用しており、マスク着用は毎日の生活習慣になって、しなでいると外出するわけにはいかなくなってくる。
外から帰宅すると、必ず手を洗い、うがいの励行である。これも良い習慣になって、人としてのたしなみであり、礼儀の一つとして生活に根付いてしまったようである。年末年始は多くの人が移動して感染リスクが高まっているが、既述のように対コロナ感染対策を講じて、元気で朗らかな時を過ごしてもらいたいと念じている。
朗らかにこのまほろばを渡るべし遥かに望む今朝の富士やま
白妙に輝く富士の高嶺にも夕映えの影落ちてうるはし 12月23日
ゼレンスキーのアメリカ電撃訪問
ロシアとの戦争へ突入以来、自国内で戦線の指揮をとり奮闘を続けていたウクライナの大統領・ゼレンスキーが極秘裏にアメリカを訪問、バイデン氏と対ロシア戦況について協議したあとアメリカ議会で演説を行い、ウクライナへの軍事支援を要請してとんぼ返りした。上下両議会で対ロシアに対する軍事支援に感謝の意を表したゼレンスキーは、戦況に鑑み一層の軍事支援を求めアメリカ議会の理解と支援を取り付けた。2400億円の軍事支援の追加とパトリオット一基の配備に合意し、ウクライナの公共施設へのロシアの激しい無差別ミサイル攻撃に対し、迎撃態勢を以て対応することができた。ロシアのウクライナへの攻撃は、民主主義陣営の破壊をもくろんだ戦略的侵略であり、世界の諸々の自由と民主主義国への挑戦であると訴えて、アメリカ国民にも感動を与えるものであった。
12月23日
今日はクリスマスイヴである。イエスの降誕を祝い、どこの教会もこの日のために祝福の儀式を盛り上げようと色々と企画を練って大忙しである。弊社では事業の一つに横浜の山手に車を46台収容する駐車場を所有している。元町近くにある管理会社の家不動産に管理を任せている。昔は三井のリハウスを名乗っていたが、組織改編で家不動産と改めて三年がたつ。駐車場経営を任せてから既に40年が経過する。多くの不動産会社から売却してくれと頼まれてきているが、収益物件の一つとして活用しているので、手放せないでいる。
家不動産から連絡があって、敷地の中の一部が損壊して窪みが生じてしまっているので埋めてもらいたいとの連絡で、工事会社に手配したが年末の仕事が全部塞がってしまっているとのことである。家不動産でも同じ返事であった。思案した結果、クリスマスの日に運動を兼ねて、人工仕事をすることにして支度をしてお昼ごろに出かけた。人工仕事とは、土方である。心配した妻が一緒についていくというので、助っ人を兼ねてもらった。あらかじめ土屋で砕石の三袋を買って、車のトランクに入れて運んだ。あとはちょっとした作業用の小道具である。コンビニで握り飯4個と、「おーいお茶の」のペットボトルを二本買った。少年のような気持になって、雲一つない快晴の日の真っただ中を第三京浜を飛ばしていったが、隣に座る女房が、かっての初々しい少女の姿に映った。自然と口笛が出てきた。随分と陽気だわねと、かっての彼女が言ったが、正面を見つめたままである。横を向いても得をすることもなさそうだし、それにわき目運転は危険である。下りは車が空いていたので平均時速85キロ、あっという間にゲート出口に出てしまった。
横浜市街をしばらく走って途中から山手の高級住宅街を走っていくと、横浜訓盲院を過ぎ柏葉公園の先に駐車場がある。流石に山の手に位置するだけに、景色はずば抜けて絶景の地と思われた。270坪ほどの土地であるが、若い時に自宅を建てたいと思って取得した地所である。東京に通うには聊か重荷かとも思われてしばらくそのままにしていたら、町会の会長さんが駐車場にするといいですよと言ってくださり、当時の柏葉不動産の小林社長を紹介してくださった。造成工事を横浜技研の窪田さんにお願いした。爾来、駐車場として活用している。今となっては利用する人たちが多く、駐車場が無くなってしまうと困ってしまうという声が沢山あって、それも一因で売る決心がつかないでいる。
年の瀬でもあり現場を見て一応の応急措置を講じてきたが、管理会社に点検してもらい、不備な点があるとすれば年明けに工事を発注しようと思っている。お昼に近くのレストラン「ドルフィン」に行こううと」妻が云うので、時計を見たら時間的に無理だから、ここで買って来た握り飯を食って、帰り道に横浜を散策して帰ろうと提案して納得してもらった。濡れたタオルをたくさん持ってきてよかった。皮肉にも思われがちだが、主人は手堅いわねと、思ったかもしれない。家内には手伝ってもらったお礼に何がしのお年玉を考えないといけないが、何のことはない結構高いものについてしまうことにもなるが、自分の女房だから財布の中は一緒だし、幾らやっても差し支えないと、おおざっぱで太っ腹な考えにもなったのである。今日はクリスマス・イヴだというのに、敬虔なクリスチャンに対して何と人使いの荒い人かと思われたら、失態である。
家族あてのラインの一部をお見せして、今日の行動を理解してもらえば本懐である。母教会の玉川神の教会のクリスマスイヴは4時から始まったが、それには間に合った。
「みんなクリスマスおめでとう。先ずは神様がみんなを祝福し命を守ってブラボーな道筋を与えて下さるよう、お母さんと一緒に祈っています。今日は、砕石の砂利を3袋買って、昼食におむしびを4個買って横浜の駐車場に行き、敷地内にあった窪地を埋めてきた。利用者から管理者を通じて要望があったので。かなりの力仕事で運動にもなった。お母さんに手伝ってもらった。二時間を要したあと、山手のフェリス女学院、とんがり教会、外人墓地、港の見える丘公園を通り、元町、中華街、ビジネス街の銀行協会、家内の親父が創立した小島証券の前を過ぎ、青江三奈が歌う伊勢佐木町を左に見て桜木町の街なかを通り過ぎて第三京浜を走り帰宅。4時から玉川神の教会のイブ礼拝に。}と報告したのである。横浜は何時行っても懐かしく、賑やかな街で異国情緒にあふれている。今日の人工の仕事は確かに会社のための勤労奉仕であったが、仕事を終えたあとはクリスマス・イブにふさわしい横浜行であった。
12月24日
無牧にて過ぐる二年の疾く吹きて殺伐のイブなれど楽しき
貧しさに従ひ時に逆らひて紆余曲折に進みゆくかな
教会も難問山積に沈黙のままにこの年も過ぎてゆくらし
美しき夜空の星を仰ぎ見てイエス降誕を喜び称へん
とこしえの命を信じ我が道を強く進むは幸ひなりき
澄み渡る美空にはるか富士の嶺の雪をいただき光るまほろば
寒風に吹雪く上越の湖なれどふもとの里は匂ふ梅かな
冬枯れの越後の里は間近かなる春のりんごの薫る花にも
山並みの墨絵の影を連ね行く端は榛名の高き嶺かな
浅間嶺の火の山高きふもとにてきゃべつを育て生きる人らよ
ウクライナ戦地に命を落とす人あまたに居りて悲しかりけり
プーチンは星ほど兵士は居るという足りなくなれば在庫吐き出し
国民を牛馬の如くあしらひて己が意のまま使い果たせり
願わくば神のご意思にプーチンを地獄の果てに突き落とさらん
インマヌエル世の終わりまで共にいるマタイの手紙にうなずきにけり
み言葉に私はあなたと共にいる聖書を通じ語り掛けたり
主イエスの降誕の夜も雰囲気の貧しく在れば今と合せり
無牧なる教会に居て主の恵み未だなき身のやる瀬なきかな
良き時期によき牧師にぞ恵まれて教会員の祈るしばしば
牧師とて良き教会にも恵まれて臨む気持ちは同じなりけり
無牧ゆえ物足りなさを覚へかしイブ礼拝の期待叶はで
クリスマス礼拝
昨日イブ今日クリスマス礼拝に親しくイエスと語りけるかな
全能の父なる神に感謝してこの一年を振り返りけり
朝ぼらけ雲の隙間を指して飛ぶ一羽の雁のいづく旅行く
道ゆきの安きを念じ遥か行く君の姿の優しかりけり
老齢と思しき牧師の説教にイエス降誕に合いて充たさる
説教に福田牧師の見え来たりイエス降誕にふさわしき師よ
熟達の牧師の話に傾聴しうなずきて主に仕え行くかな
そうへきの空を仰げばきらめきの真砂の星に神の居ませる
熟達の牧師ゆえにも説教の重く興味も起きる故とも
人生の重荷を背負ひ山河を越えて至ると思ゆ牧師の 12月25日
万年筆
昔、誕生日祝いに子供たちからもらった万年筆をどこかに置いて無くしてしまった。何時かは出てくるだろうと我慢して、不自由な思いをしていたが、愈々あきらめて三か月後に銀座の伊藤屋で万年筆を買い求めた。買った万年筆はパイロットでなく、プラチナである。以前の万年筆は確かモンブランであった。モンブランを買おうと思ったが、安くても十万円はしていたので、万が一にも無くしてしまうようなことがあってはと思うと、一時的な被害妄想にかかってしまい、購入を断念した。それでも最近は万年筆が、紳士の装飾品の一種になっていて、高級化しているそうである。小生はそうしたセンスはなく、専ら実用的価値に重きを置いているので、使いやすいプラチナにした。それでも2万数千円はした。結構高額な商品である。
販売しなくてはならないお店の店員が、最近は万年筆を使う人が少なくなってきているという話になって、営業従事者がこうした認識だから仕方がないと思った。大体筆を持つ人は特殊な人の限られてきている。万年筆はおろか、ポイ捨てで簡単で便利なボールペンすら使わないご時世である。すべては電子化されてきて、文字には疎くなってきているから、文化的には懸念すべき課題である。年賀状を書いているが、自筆で賀状を送っている人はまれであろう。多くは印刷物であり、印刷物に気が引けるから、些少の添え書きを書く努力をしている。それどころか賀状廃止論まで出てきている。用もないのに単なる時候の挨拶だとすれば、無駄だということになるが、何とも味気なく、人間味喪失の時代になったことであろうか。 しかし元旦の朝、郵便屋さんが早朝に届けて下さった年賀状には新年にふさわしく、今年もまた人間味あふれた生活を送ろうという思いに駆られるのである。だから、ほか様はどうあろうと、賀状はやっぱり続けていきたいなと思いながら、ぎりぎりいっぱいまで取りこぼしのないように、宛先の住所と名前と、にらめっこしているのである。
畑仕事さなかになくすプラチナの万年筆の行くへ探す日
三ヶ月ほど滞在すプラチナの野菜畑の菜のかげに居て
愛用す万年筆を発見し滑らかな味書きて試さん
愛用す万年筆を胸に挿し今朝も銀座の大通りを行く
年末の商戦に賭け賑はひの店はコロナの前に戻りし
旗、幟立つ賑はひのブランド店さすがに銀座は世界一とも
あの子にもルイヴィトンの下げカバン買ふて楽しき銀ブラをせん
ティファニーの前を過ぎればヘップバーンが追ひかけて来てお茶に誘へり
金髪の若き女性が華やかにパリのモンマルトに居るが如くに
肢体良き線をさらして金髪のおなごが媚びて笑みの妖しき
ブランドの店に列なし客人があまたに居りて活況なるとは
外人の娼婦が稼ぎに来日すムーラン・ルージュのあたりかと思ふ
品の良き娼婦が銀座を闊歩して高額なりて行くもまた良し
パリにまで行かずに遊ぶ心地してムーラン・ルージュの銀座界隈
美女・美女が群れを作りて大通り行くも楽しや銀座界隈
青空の銀座四丁目の和光前より見通したこの年の瀬よ
外人の観光客が奇抜にも金髪女性の髪をなびかせ
そのむかし栄へし白いばらの店とじたるのちの夢のあとかな
白ばらに勤めしめんこいおなごらは如何におはすと偲ぶ夢あと
白いばら踊り上手な踊り子の若き力と息吹しめして
白いばらにて働けるおなごらに今も達者な姿見せたし
キャバレーも世の衰退とすたれゆき愉快さが消え味気なきなり
その先の豪華なクラブに居たおかみ店を閉じたるあとは如何にも
軸太の黒のモンブラン万年筆思い出のさま多く記せり
12月26日
社団法人 昭和経済会
理事長