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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.22.1

  
    新年おめでとうございます。
今年も皆々様のご健康とご繁栄を、心からお祈り申し上げます。

 元旦は快晴である。
澄み切った空が紺碧に輝いている。大海原から昇ってくる初日の出は雄大かつ爽快の極みに違いない。山の頂に登って初の日の出を眺めた人もいることだろう。猛々しい虎の歳にふさわしい新年、元旦である。太平洋側の気象は斯くのごとくであるが、日本海の気象状況は寒気がかぶさって猛吹雪と聞いている。生活に難儀を強いられているわけである。ご無事を祈るばかりである。

初春の富士の高嶺の白雪の黄金に染まり開くる歳かな

若菜摘む妻の手もとに朝霜のダイヤの如く光る大地に

紺碧の空晴れ渡るまほろばの黄金に光り明くる歳かな

大みそか時の過ぎゆく音に気づき見上ぐる空に夕月のかげ

初春の気高き富士の山もとの茜に染まり暮れるる里かな

歳明けて黄金に照りしまほろばの空朗らかに高き富士の嶺

ふる寺の大き鐘つく音の重く冬の大気に振れてひびけり

薬草の花散りばめし節膳の今年も祈る息災の日々

明けの空いと朗らかに澄み渡りめでたく昇る朝日かげかな 

                                           2022年元旦


     元旦は家族団らん

    今までは毎年大晦日になるとお昼頃から息子の裕介の家族がやってくるし、娘の明子夫婦も我が家にやってきて寛いだあと、夜にかけて近くの蕎麦処で年越しそばを食べて全員が家に留まって大みそかを過ごし元旦を迎えることにしている。しかし今年は向きを変えて大みそかに皆がやってきて年越しそばを目黒通り沿いの「ぎん屋」で済ませた。小生は前日の寒さがたたって、珍しく微熱が出て気分を損ねていたので自重してぎん屋にはいかなかった。オミクロンだったら嫌だなと内心おびえていた。というのも時期がお正月であり、縁起ものの暦である。普段からいざという時に、八重洲内科で処方して用意しておいた総合感冒薬を飲んで大事をとって在宅していた。土産にぎん屋の生蕎麦を買ってきてくれたので、それを茹でて天ぷらを付け足してあっさりと食してしまった。すると不思議なもので自然に内から力がついて、八重洲内科の風邪薬も効いたのだろう、体がピンピンと張って元気がついてきた。おかげで大晦日がみんなと愉快に過ごせるはずである。

   蕎麦処でたらふく蕎麦を食してきたが、裕介は常日頃、豪快に料理を注文して豪傑気味を発揮するから少しばかりの金では済まない。家内に一万札の何枚かを持たせて勘定のほうを頼んだ。体が一回り程大きくなったようである。メガバンクの社長という重い役職に就いているからだろうが、それでも気を使って自らの健康管理を励行しいるから立派である。精神的に飛躍してきた証拠だろうかと思いながら、体だけでなく堂々たる風貌になってきた。大きな会社を背負っているから責任重大である。孫娘の二人もいつの間にか大きくなって、上はお茶の水大学の付属高校に、下は四ツ谷の雙葉学園に、それぞれ明るく元気に通って、持ち前の才能を伸ばしている。
明子夫婦は今年代官山のタワーマンションから祐天寺の駅に程近く、ずば抜けてよいマンションを購入して引っ越したばかりである。低層のマンションで安心した。代官山では高層マンションの34階に居を構えていたし、富士山を遠望し、眺望絶佳と云いながら高いのがそもそも何かあったときに不安である。高級なタワマンといったところで、いうなれば縦長の長屋である。

  小生は元来、土の上に住み慣れているので、タワーマンションにはあまりお興味を感じないタイプなので、事前に見てくれないかと言われたので、祐天寺の低層マンションを見に行った時には即決で賛成したのである。息子家族は目黒駅近くの通称、花房山の低層マンションに安泰だし、池田山、御殿山と続く高級住宅地であり、至便なところで生活するに便利である。明子もようやく近くの低層マンションに移ってくれたので、運よく身内はいずれも近くに住んでくれたので、親父、おふくろとしては身近に暮らすことができて幸せに思っている。良い年を締めて新年に結び付けることができたと、色々なことがあっても確信的な人生を進んでいると喜んでいるところである。これも妻に倣って日ごろ授かった信仰心によるものと感謝している。いうならば神のご加護であり、導きだと思って感謝している。

  そんな気分で大みそかを過ごしていたが、NHK の紅白歌合戦の出場項目の歌の程度の悪さが段々とひどくなってきたのには驚きであり、不安であり、危機意識を持ってくる。力を合わせてみんなで歌うグループの良さもほどほどである。まるでサーカスを見ながら歌を聴くといった塩梅で、見ていて疲れ切ってしまい、慌てぶりが手に取るように感じてくる。罵声的な声と、体の動作の激しさで歌をごまかしている、あれはハーモニーではない、音楽ではない、動物園にきて野獣の声を聴くようなものである。もちろん品性に欠けることおびただしい限りである。しかし今の子供たちには大いに歓迎されているのが現状で、だからと言って子供たちが野蛮的であり、将来が不案とは申さない。人生経験の一過程と思っている。女の子も、男もグループで歌う姿勢は格好いいし一糸乱れぬ機械的な動作は立派としても、いつまでたっても独り立ちできない様子が伺えて、個性がない点に飽きが来るというものである。どうせ駄作なものとして見ていればいいのであって、むきになって論じてみても仕方がない。

    大みそかは「ゆく年、くる年」のわずかな時間を胸に秘めて、間もなく年明けを知らせる神社仏閣の鐘楼の打つ鐘の音に、万感迫る思いがひとしおであった。九品仏境内にある鐘は古事由来があって有名だが、凍てつく大気のなかで、僧侶が打つ鐘の音が森の間を抜けて聞こえてきた。耳を澄ますと、厳かな音であり、重々しいしく語り掛けるようである。庭に出て凍てつく空を仰ぐと、オリオン座の星座がちらちらと小さな光を放っている。悠久の間に、宇宙の壮麗さを感じないわけにはいかない。

   除夜の鐘を打ち終えると「新年おめでとう」のあいさつで皆が立ち上がった。身内だから感染の心配はない。せめて新年の挨拶だけでも自然に大っぴらにかわしたいものである。私はいつものように部屋のドアと窓をすべて開け放ち全てを受け入れて深呼吸した。皆も目覚めたように手を広げ、深々と息を吸って外の大宇宙の霊気を吸って、今年を力強く前進していく気概を互いに認識し合ったのである。そして裕介と明子家族はそれぞれ自宅に帰って行った。


    曇天の朝も快晴に

   西高東低の冬型の厳しい気圧配置で北海道や北日本、それに西日本は相変わらずの大雪に見舞われて難儀している様子が報道されている。東日本と四国九州にかけては澄み切った青空が広がって太陽の光がさんさんと降り注いで暖かな日和に恵まれている。大雪の歳は大豊作が続くと昔からの言い伝えであるが、農家にとっては吉報である。朝目覚めたときは空だどんよりと曇っていたので再び寝床に潜り込んで目覚めたときは予報通り快晴の空が広がっていた。ふと気が付いた妻は10時半から始まる日曜礼拝に支度して境界に向かっていった。私は欠席して家で祈った。

  正月の初詣は、それぞれ身近な神社仏閣で済ますことにしたので、いつもの歳と違って静かな正月を妻と一緒に家で過ごしていることになる。誠にのんびりした風景である。ふとテレビをつけたら全日本大学ラクビー準決勝戦が行え荒れていたので、明治対東海大と、帝京大対産業大の両試合の準決勝戦を見続けて応援していた。両試合とも実力伯仲して熱戦であった。瞬時を突いてトライに成功し相手を崩す展開で面白かった。夕方の景色を見に尾山台まで出かけて行ったが、夕方になると気温がめっきり下がってきた。西方の真っ赤に染まった空を堪能し、踏切を急行が走っていくのを見届けて家に帰ってきた。途中、三井さんの娘一家と出会って正月のあいさつを交わしたが、九品仏の浄真寺に初参りをしてきた帰りかもしれない。由香ちゃんは昔から明るく人懐っこい性格で今も変わらない感じである。ポン女を出たあとここ世田谷区の小学校の先生をずーと努めてきて地元の教育活動に貢献してきている。

   帰宅して早めに風呂に入り、散歩からの冷たい体を温めてから夕食についた。テレビをつけたら歌舞伎座からの中継で「義経千本桜」を観劇しているうちに結局引きずられて釘付けとなり、鶴瓶の家族に乾杯と、タモリのブラタモリの共演を見て案の定の一日が終わってしまった。その間、みかんや茶菓子のつまみ食いが激しいから、果たして体がなまりはしないかと聊か心配である。 早くも米中対立のことや、ウクライナのロシア国境に集結するロシア軍隊の動きなど気がかりな動きだし、日経の経済記事も気になって仕方がないが、 2日の新聞は休刊である。テレビを回してもニュースらしき番組はなく、どんちゃん騒ぎのばかばかしい番組ばかりである。かと言ってそろばん勘定も手持無沙汰であり、パソコンに向かってインタ-ネットを検索していたほうがましである。    1月2日


    初夢はこの日の夜と決まっているが、テレビの見過ぎで目がさえているせいか寝つきが悪く、夜中に餅を二枚焼いて食べたりしたら、腹持ちが重く、第一三共製薬の胃薬を飲んだんりして横になったが、今度は下らぬ仕事のことが頭にこびりついて落ち着かないので炬燵に入って和歌を詠んで書き始めた。ようやく自然体に戻ってきたので床に就いた。下らぬ夢に追いかけられることもなく、初夢は無事に寝過ごすくらいに何にも記憶に残っていなかった。この日は風もなく、家の中の陽だまりに寝転んでいると、春眠暁を覚えずの詩を口ずさんで悠々自適の心境である。家内が庭に咲いている水仙の花と、赤い実のついた南天の枝を折ってきて水盤に植えたのを見て、松の枝も欲しいなといったところ、玄関に立てかけた松の枝をちぎって植えおいてくれた。見事な生け花の水盤が作られた。正月気分が寝ぼけずらした上に圧し掛かって、頭ボケしたような心境で無聊をむさぼっている。呑気でいい気持である。温かい日差しに、極楽浄土の世界も斯くやあるべしとゴロ寝を決め込んでいた。

   恒例の箱根駅伝も、昨日の往路のレースでは青山学院大が後続の二位を大きく引き離して独走態勢で箱根町のゴールのテープを切ったので、大体の予想が決まってしまったかの感がある。復路のレースも始まったが、母校の早稲田はなんとペケの14位という体たらくだから、見る気にもならない。せめて三位、四位辺りを快走していれば応援のし甲斐もあるが、ペケでは引き上げようもない。箱根路を達磨の如く転がっていかないと、とてもじゃないが先頭には追い付きそうもない。しかしレースをあきらめるわけではないが、最後まで力走して来春に期待を込めようではないか。

  つづら折りの箱根路は、今までも何度となく行き来したものである。もちろんレジャーでのことであるが、箱根芦ノ湖についてから仙石原まで行き着いて、そこから箱根の長尾峠まで登っていく。トンネルを抜けると静岡県である。遮るものはなく、富士山が真向かいに手に取るように聳えて圧巻である。6階建ての白亜の富士ビューマンションは、トンネルを出たすぐそばの峠に立っている。二十年前に購入したものである。すぐ下にはベルビューゴルフコースと、下に向かって御殿場ゴルフコースが続いている。富士山に向かって球を打つというのがコースの振れ込みである。話がそれてしまったが、駅伝は結果を聞くことにして午後は外に出ていた。どうせペケに違いない。走者は焦らず怪我をせぬように頑張ってもらいたい、中途半端な成績より、ぺけで頑張ったほうが期待が持てる。        1月3日


   二時半ごろ初詣を兼ねて車で散歩にゆきませんかという女房に従って、やおら外に出ることにした。車で行くとしたら散歩にならないだろうと思いながら、矛盾につき合うも世の習い、尾山台ハッピーロードを通り抜け、環八を越して多摩川に出た。多摩川の堤みを二子に向かって走り、相模連峰を眺め、突き出た富士の霊峰を遠望して正月気分は全開である。広い河川敷はのどかに広がり川上は上信越の山並みがうっすらと冬の空に浮かんでいる。反転して田園調布の丸子橋方向へ、第二国道を左折した後、田園調布の住宅街を抜けていくと懐かしい古風な駅舎前に出た。噴水の前の店、ケーキと喫茶のレピドールに入ってコーヒーを飲む。久しぶりなのでケーキもとってみる。店内は高級なイメージがして、きれいな雰囲気である。美人のウェイターが接客してくれて初日から縁起が良い。

      2022年元旦


     元旦は家族団らん

    今までは毎年大晦日になるとお昼頃から息子の裕介の家族がやってくるし、娘の明子夫婦も我が家にやってきて寛いだあと、夜にかけて近くの蕎麦処で年越しそばを食べて全員が家に留まって大みそかを過ごし元旦を迎えることにしている。しかし今年は向きを変えて大みそかに皆がやってきて年越しそばを目黒通り沿いの「ぎん屋」で済ませた。小生は前日の寒さがたたって、珍しく微熱が出て気分を損ねていたので自重してぎん屋にはいかなかった。オミクロンだったら嫌だなと内心おびえていた。というのも時期がお正月であり、縁起ものの暦である。八重洲内科で処方して用意しておいた総合感冒薬を飲んで大事をとって在宅していた。土産にぎん屋の生蕎麦を買ってきてくれたのでそれを茹でて天ぷらを付け足してあっさりと食してしまった。すると不思議なもので自然に内から力がついて、八重洲内科の風邪薬も効いたのだろう、体がピンピンと張って元気がついてきた。大晦日がみんなと愉快に過ごせるはずである。

   蕎麦処でたらふく蕎麦を食してきたが、裕介は常日頃、豪快に料理を注文して豪傑気味を発揮するから少しばかりの金では済まない。家内の万札の何枚かを持たせて勘定のほうを頼んだ。体が一回り程大きくなったようである。重い役職に就いているからだろうが、それでも気を使って自らの健康管理を励行しいるから立派である。体だけでなく堂々たる風貌になってきた。大きな会社を背負っているから責任重大である。孫娘の二人もいつの間にか大きくなって、上はお茶の水大学の付属高校に、塩田は四ツ谷の雙葉学園に、それぞれ明るく元気に通って、持ち前の才能を伸ばしている。
明子夫婦は今年代官山のタワーマンションから祐天寺の駅に程近く、ずば抜けてよいマンションを購入して引っ越したばかりである。低層のマンションで安心した。代官山では高層マンションの34階に居を構えていたし、富士山を遠望し、眺望絶佳と云いながら高いのがそもそも何かあったときに不安である。いうなれば縦長の長屋である。

  小生は元来、土の上に住み慣れているので、タワーマンションにはあまりお興味を感じないタイプなので、祐天寺の低層マンションを見に行った時には即決で賛成したのである。息子家族は目黒駅近くの通称花房山の低層マンションに安泰だし、明子もようやく近くの低層マンションに移ってくれたので、いずれも近くに住んでくれたので、親父、おふくろとしては身近に暮らすことができて幸せに思っているし、良い年を締めて新年に結び付けることができたと、色々なことがあっても確信的な人生を進んでいると喜んでいるところである。これも妻に倣って日ごろ授かった信仰心によるものと感謝している。いうならば神のご加護であり、導きだと思って感謝している。

  そんな気分で大みそかを過ごしていたが、NHK の紅白歌合戦の出場項目の歌の程度の悪さが段々とひどくなってきたのには驚きであり、不安であり、危機意識を持ってくる。力を合わせてみんなで歌うグループの良さもほどほどである。まるでサーカスを見ながら歌を聴くといった塩梅で、見ていて疲れ切ってしまい、慌てぶりが手に取るように感じてくる。罵声的な声と、体の動作の激しさで歌をごまかしている、あれはハーモニーではない、音楽ではない、動物園にきて野獣の声を聴くようなものである。もちろん品性に欠けることおびただしい限りである。しかし今の子供たちには大いに歓迎されているのが現状で、だからと言って子供たちが野蛮的であり、将来が不案とは申さない。人生経験の一過程と思っている。女の子も、男もグループで歌う姿勢は格好いいし一糸乱れぬ機械的な動作は立派としても、いつまでたっても独り立ちできない様子が伺えて、個性がない点に飽きが来るというものである。どうせ駄作なものとして見ていればいいのであって、むきになって論じてみても仕方がない。

    大みそかは「ゆく年、くる年」のわずかな時間を胸に秘めて、間もなく年明けを知らせる神社仏閣の鐘楼の打つ鐘の音に、万感迫る思いがひとしおであった。九品仏境内にある鐘は古事由来があって有名だが、凍てつく大気のなかで、僧侶が打つ鐘の音が森の間を抜けて聞こえてきた。耳を澄ますと、厳かな音であり、重々しいしく語り掛けるようである。庭に出て凍てつく空を仰ぐと、オリオン座の星座がちらちらと小さな光を放っている。悠久の間に、宇宙の壮麗さを感じないわけにはいかない。

   除夜の鐘を打ち終えると「新年おめでとう」のあいさつで皆が立ち上がった。身内だから感染の心配はない。せめて新年の挨拶だけでも自然に大っぴらにかわしたいものである。私はいつものように部屋のドアと窓をすべて開け放ち全てを受け入れて深呼吸した。皆も目覚めたように手を広げ、深々と息を吸って外の大宇宙の霊気を吸って、今年を力強く前進していく気概を互いに認識し合ったのである。そして裕介と明子家族はそれぞれ自宅に帰って行った。


    曇天の朝も快晴に

   西高東低の冬型の厳しい気圧配置で北海道や北日本、それに西日本は相変わらずの大雪に見舞われて難儀している様子が報道されている。東日本と四国九州にかけては澄み切った青空が広がって太陽の光がさんさんと降り注いで暖かな日和に恵まれている。大雪の歳は大豊作が続くと昔からの言い伝えであるが、農家にとっては吉報である。朝目覚めたときは空だどんよりと曇っていたので再び寝床に潜り込んで目覚めたときは予報通り快晴の空が広がっていた。ふと気が付いた妻は10時半から始まる日曜礼拝に支度して境界に向かっていった。私は欠席して家で祈った。

  正月の初詣は、それぞれ身近な神社仏閣で済ますことにしたので、いつもの歳と違って静かな正月を妻と一緒に家で過ごしていることになる。誠にのんびりした風景である。ふとテレビをつけたら全日本大学ラクビー準決勝戦が行え荒れていたので、明治対東海大と、帝京大対産業大の両試合の準決勝戦を見続けて応援していた。両試合とも実力伯仲して熱戦であった。瞬時を突いてトライに成功し相手を崩す展開で面白かった。夕方の景色を見に尾山台まで出かけて行ったが、夕方になると気温がめっきり下がってきた。西方の真っ赤に染まった空を堪能し、踏切を急行が走っていくのを見届けて家に帰ってきた。途中、三井さんの娘一家と出会って正月のあいさつを交わしたが、九品仏の浄真寺に初参りをしてきた帰りかもしれない。由香ちゃんは昔から明るく人懐っこい性格で今も変わらない感じである。ポン女を出たあとここ世田谷区の小学校の先生をずーと努めてきて地元の教育活動に貢献してきている。

   帰宅して早めに風呂に入り、散歩からの冷たい体を温めてから夕食についた。テレビをつけたら歌舞伎座からの中継で「義経千本桜」を観劇しているうちに結局引きずられて釘付けとなり、鶴瓶の家族に乾杯と、タモリのブラタモリの共演を見て案の定の一日が終わってしまった。その間、みかんや茶菓子のつまみ食いが激しいから、果たして体がなまりはしないかと聊か心配である。 早くも米中対立のことや、ウクライナのロシア国境に集結するロシア軍隊の動きなど気がかりな動きだし、日経の経済記事も気になって仕方がないが、 2日の新聞は休刊である。テレビを回してもニュースらしき番組はなく、どんちゃん騒ぎのばかばかしい番組ばかりである。かと言ってそろばん勘定も手持無沙汰であり、パソコンに向かってインタ-ネットを検索していたほうがましである。    1月2日


    初夢はこの日の夜と決まっているが、テレビの見過ぎで目がさえているせいか寝つきが悪く、夜中に餅を二枚焼いて食べたりしたら、腹持ちが重く、第一三共製薬の胃薬を飲んだんりして横になったが、今度は下らぬ仕事のことが頭にこびりついて落ち着かないので炬燵に入って和歌を詠んで書き始めた。ようやく自然体に戻ってきたので床に就いた。下らぬ夢に追いかけられることもなく、初夢は無事に寝過ごすくらいに何にも記憶に残っていなかった。この日は風もなく、家の中の陽だまりに寝転んでいると、春眠暁を覚えずの詩を口ずさんで悠々自適の心境である。家内が庭に咲いている水仙の花と、赤い実のついた南天の枝を折ってきて水盤に植えたのを見て、松の枝も欲しいなといったところ、玄関に立てかけた松の枝をちぎって植えおいてくれた。見事な生け花の水盤が作られた。正月気分が寝ぼけずらした上に圧し掛かって、頭ボケしたような心境で無聊をむさぼっている。呑気でいい気持である。温かい日差しに、極楽浄土の世界も斯くやあるべしとゴロ寝を決め込んでいた。

   恒例の箱根駅伝も、昨日の往路のレースでは青山学院大が後続の二位を大きく引き離して独走態勢で箱根町のゴールのテープを切ったので、大体の予想が決まってしまったかの感がある。復路のレースも始まったが、母校の早稲田はなんとペケの14位という体たらくだから、見る気にもならない。せめて三位、四位辺りを快走していれば応援のし甲斐もあるが、ペケでは引き上げようもない。箱根路を達磨の如く転がっていかないと、とてもじゃないが先頭には追い付きそうもない。しかしレースをあきらめるわけではないが、最後まで力走して来春に期待を込めようではないか。

  つづら折りの箱根路は、今までも何度となく行き来したものである。もちろんレジャーでのことであるが、箱根芦ノ湖についてから仙石原まで行き着いて、そこから箱根の長尾峠まで登っていく。トンネルを抜けると静岡県である。遮るものはなく、富士山が真向かいに手に取るように聳えて圧巻である。6階建ての白亜の富士ビューマンションは、トンネルを出たすぐそばの峠に立っている。二十年前に購入したものである。すぐ下にはベルビューゴルフコースと、下に向かって御殿場ゴルフコースが続いている。富士山に向かって球を打つというのがコースの振れ込みである。話がそれてしまったが、駅伝は結果を聞くことにして午後は外に出ていた。どうせペケに違いない。走者は焦らず怪我をせぬように頑張ってもらいたい、中途半端な成績より、ぺけで頑張ったほうが期待が持てる。        1月3日


   良い年になるように

紺碧の空晴れ渡るまほろばの黄金に光り明くる年かな

大晦日時の過ぎゆく音に気付き見上げる空に夕月の影

初春の気高き富士の山もとのあかねに染まり暮るる里かな

年明けて黄金に照りしまほろばの空ほがらかに高き富士の嶺

大寺の大鐘をつく音の重く冬の大気に触れて響けり

寒ぞらの大つごもりの鐘の夜の見上げる空に光るオリオン

餅を焼く匂いの致す大みそかどてらを羽織る昔ながらに

火の用心拍子木を打つ寒空の夜道の寂し町を練りゆく

仲見世の真中に聳ゆ浅草寺まばゆく浄土を模した宮地は

仲見世の小店の軒に吊るしたる赤き提灯のともる年の瀬

打つ鐘に去年の悪事を打ち消して迎える年に望み託さむ

薬草の花散りばめし節膳の今年も祈る無病息災

明けの空朗々として澄み渡りめでたく昇る朝日影かな

早や月のほのかに空に浮びきて西に夕日の赤く落ちゆく

煩はしこの世は人の常ながらイエスもほとけも慈悲に救へり

粒揃ふ南天の実の赤き灯のともり夕べの夜となりけり

南天の実の赤々と燃え灯り空にオリオンの星座きらめく

冬ざれの枯れたる庭のわびしさに南天の実の赤くともりし

いかほどの道の程かと思ひけむオリオン星座の枡のうちの輪

天に星、地には花をば配置せる神の実在を知るや我が内

書め書きに天下泰平と筆おろし文房四宝の豊かなりしか

オリオンの四角の枡の道の程幾ばくたりと想ひいたれる

太陽の熱き日差しに思ふかな万象に照り明かす根源

ワイン飲む席にたしなむ術あかしビ・バレアバレアと囃す先生

酒を干すのどもとを経て胃に浸みる味はい深く酔ひて思ふは

照り返る熱き日差しの正月の外気を絶ちてガラス戸の部屋

ワイン飲むビ・バレアバレアと囃しつつ歌ひ踊りて明くる年かな

ほがらかに飲む酒もよし自ずから天下泰平の心意気かな

若葉摘む妻の手もとに朝霜のきらめき立ちて宝石のごと

はらからと春を祝ひてワイン飲む愉快に歌ふビ・バレアバレア

朗らかに欧米並みに酒を飲むビバレア・バレアなほ愉快なり

猛追を仕かける東海・明治戦三ツのトライかける東海

逆転す東海が明治に猛追す白球を追ふ春のラーガー

穏やかにすぐる正月三ヶ日この年の世の波の安きを

肌をさす酷寒のもと空をゆく丹頂鶴の美しき影

あらたかに明けゆく雲のはるけきにそびゆる富士に神のまします

   二時半ごろ初詣を兼ねて車で散歩にゆきませんかという女房に従って、やおら外に出ることにした。車で行くとしたら散歩にならないだろうと思いながら、矛盾につき合うも世の習い、尾山台ハッピーロードを通り抜け、環八を越して多摩川に出た。多摩川の堤みを二子に向かって走り、相模連峰を眺め、突き出た富士の霊峰を遠望して正月気分は全開である。広い河川敷はのどかに広がり川上は上信越の山並みがうっすらと冬の空に浮かんでいる。反転して田園調布の丸子橋方向へ、第二国道を左折した後、田園調布の住宅街を抜けていくと懐かしい古風な駅舎前に出た。噴水の前の店、ケーキと喫茶のレピドールに入って二階の喫茶室でコーヒーを飲む。久しぶりなのでケーキもとってみる。店内は高級なイメージがして、きれいな雰囲気である。四、五人のいる美人のウェイターが接客してくれて楽しく、新春の開店早々の初日から縁起がよい。 晴れ着姿の若いお客さんがいてなおさらである。  

新春の華やぐ店のレピードール田園調布の古き駅舎が

街なかの古き駅舎の懐かしく銀杏並木を通るまなかに

レピドール喫茶の店の妻と入り憩ふ正月の田園調布は

渋沢が理想としたる都市計画田園調布の街並みに見ぬ

懐かしき古き館も立ち並ぶ田園調布の面影に立つ   
ふるさとは花いちもんめ愛ほしき初恋の身は今はいづくに     

ぐいの実を互ひに分けて口に入れ甘酸っぱさに崩る顔かな  

山道を行けば奥より匂いひくる気だかき花を求めさぶらふ   1月3日


   北京冬季オリンピック

   一か月を切った北京冬季オリンピックの開催であるが、新疆ウィグル自治区や、香港市民の政治的抑圧での人権侵害を理由にオリンピックについて外交的ボイコットを決めるアメりカやそれに追随する欧米諸国に、中国政府のいら立ちが隠せない。選手団の参加はいいとしても、恒例となっている政府要人の招聘と参加について対応がまちまちである。米中対立が激しい中、アメリカは政府要人の派遣を見送っている。米中対立のはざまにあって日本は苦慮しているが、閣僚級の派遣は見送ることにした。ただし大会関係者の代表などは、政治的問題と切り離してこれを北京に送ることは決まっている。大会に花を添え威厳をつけるには、中国としても国賓級の招聘を以て多くの国と地域から参加してもらい国威高揚にもつながることを期待したいところである。

  その心配もさることながら、ここにきてオミクロンのコロナ感染が世界的に拡大し、中国も例外ではない。重症度は軽いものの感染力は従来に比べて十倍以上あるといわれ、依然として謎が深く、いまだ実態が掴めていない。従って感染すると的切な治療方法も確立されておらず、手探り状態の対症療法しかない。コロナウィルスのように感染すると肺の深部まで浸透し、肺機能を喪失させて重篤に至らしめるといった経過はなさそうである。至らないが、咳やくしゃみ、高熱に倦怠感、胸の痛みや関節痛といった多くの症状が出て、生活意識を大きく損なわしめたりする故、治療が必要となる。対策には初歩的段階の、感染予防のための積極的な防具が必要である。

   そうした深刻な状況の中、北京冬季オリンピック、パラリンピックが一か月弱後に開催されるが、
中国当局が打て入れに万全の態勢で臨んでいると内外に宣伝している。願わくばデルタ部やオミクロン株のようなコロナウィルスの感染駆除に万全を期し、平和の祭典にふさわしい選手たちの活躍の場を与えてくれるよう大きな力にすがって成功を祈りたい。この際、オリンピック精神を広め、みんなが 手をつないで強固な輪を作り、有毒、無法者の敵の侵入を防ぐことが重要である。人権侵害はもとより戦火をあおるような政治的策略を排し、お互いの平和と安全を期し、生活の繁栄を確保するための手の輪を固く結び、広めていくことである。平和の祭典ののろしを上げて、人類のその意義を広めて、とにかくその後のことを冷静に考えて問題を解決していくことが肝要である。

 中国から新型コロナウィルスの感染が拡大しないように祈り、現在も進行形で感染拡大と戦っているアメリカやEUやロシアといった地域の感染をも、食い止めなければならない。それは地球全体の問題であり、人類が一致団結して、人類の敵を撲滅するためのグローバルな行動だからである。人間同士が、国と国が反目して争っている余裕と時間はないのである。人類が足並みをそろえなければ、我々の希望を達成させることができないのである。     1月5日


昨日今日爆発的な感染の拡大が6波と識者のたまふ

恐ろしきスピードかけて拡大すオミクロン株のここ数日の足

二三日前の数字の十倍にオミクロン株の感染拡大

実像のいまだわからぬ新型のコロナウィルスにおびゆ人らよ

人類の社会を襲ふコロナ菌人の価値観も変える激しく

正体を把握せぬ間に新しきコロナ・ウィルスの別に現はる

デルタ株ほど重症のなきオミクロン軽症なるは幸いなりき

オミクロン株の感染拡大に慄く欧米各地の人らよ

    雪の東京

     雪に弱い東京の都心に10センチ程の雪が積もった。出社するお昼前のぱらつく雪を見た居たら大した降りでもないと傘も持たずに出かけたが、午後になってから一段と激しくなってきた雪の降り方に不安になりながらもオフィスの部屋から横殴りの吹雪を面白そうに観察していた。降雪の激しさは短時間であったが、久しぶりに見た吹雪の荒々しさである。北国では、今年の雪は厳しい寒さで一段と激しく降り積もっているようだ。拙宅の近所の三井さんのご夫婦の実家は実家は、それぞれ長野県と福島県の雪深いところなので、雪国の話になると話題は尽きず実に奥深い生活の実体験の話になって、更に農村生活の話題は面白いことになる。今年はすでに大雪となって横殴りの激しい吹雪だそうである。豪雪地帯であり、積雪も2メートルを超す勢いだそうで、二階から出入りしている由である。若者たちは都会に出てしまい、農家は老人と子供たちになって、皆いろりを囲んで芋や餅を焼いたりして冬ごもりの生活となって寝静まってしまっているらしい。しんしんと降り積もる雪は、あたりの音を全て吸収して、静寂な世界になっている。とろとろと燃える囲炉裏の火が、心の奥を灯し温めてくれている。

   東京は今日の降り積もった雪で、交通機関はたちどころに混乱気味である。帰宅を急いでいたが用事が重なって遅れてしまった。街なかは夕闇が重なって、空を仰ぐと降ってくる雪が黒く見える。積もった雪の足元に気を配りながら地下鉄日比谷線に乗ったが、幸い電車が続いてきていたので混む気配はなかった。それよりも帰宅を急いだ通勤者が先に多かったせいかもしれない。しかし東横線に乗り換える中目黒では電車に遅延が起きたりして、ダイヤの乱れが続き混乱は避けられなかった。自由が丘で降りたが、いつも家内が来るまで迎えに来てくれるはずだが、雪の中の運転は危険なので、今回は尾山台駅まで行って、そこから雪の中を徒歩で買えることにした。雪は小降りになっていたし、夜、雪の積もった道を新しく踏んで帰っていくのも風情があっていい感じである。  

かすがのに降る白雪は音もなくしずもりかへるみほとけの里  

山茶花の花のいのちの悲しさよ心も砕け散りしゆくなり

たがために咲き誰がために散る花のこころのうちも知らで悲しき

枯れはてて倒れる菊の根元より早や青き芽の出でし寒かな

大寒の入りを気にせで菊の芽の揃えば蕗のとうも出でべし

宅で摘むほうれん草の威勢よく霜にも耐えて生気溢れり

今朝摘みしほうれん草を茹で挙げてめしのひたしに妻と楽しむ

見つめれば小枝に固きつぼみ付け春の開花にそなふ梅かな

年賀状添え書きに見る楽しさよみな元気よく抱負語れる

小春日の日差しは小菊の紅き花みなこの方に向ひ咲きをり

庭に咲く小菊の紅の花びらを黄の雌しべに散らし見るかな

いとほしく見つむる今朝の紅と黄の小菊に振れて嬉しかりけり

三井家の実家は長野・福島と冬それぞれに吹雪く郷なり

子供らの小さき頃は三井家の田舎で過ごす思ひ出もあり    1月7日

    今年のリスク

  今年のリスクといえば普通に考えると、地球上のどこに現れてくるかという心配である。日本の政治、経済については昨年が山場に差し掛かって、今年はおおむね水平飛行か、若干良い兆しにあって世の赤は安泰気分が漂っている感じである。日本には危機意識を持つような課題は内在しないし、騒がしいのはむしろ外国と、外国人の動向ではないだろうか。岸田内閣が安定多数を獲得して内外に政策を果敢に打ち出してきているし、世論の支持率も上昇傾向で何よりである。

  喫急の課題であるデルタ株やオミクロン株の、コロナウィルス感染状況も感染防止対策を有効に打ってきているし、感染者数を有効に抑えてきていることは成功の域にあって好ましい。アメリカなどは一日の感染者数が70万人にも及んで爆発的であり、同じような傾向は欧米各国に共通している。流行している新型コロナウィルスのオミクロン株が弱毒化して症状が比較的軽く済んでいるかもしれないが、インフルエンザぐらいに見ていく専門家もいるが、慢性的に拡大が人間社会に続いていくことも不安である。根本的なワクチンなり治療薬が開発されることが重要である。コロンウィルスもアルファ株、デルタ株、そして今度のオミクロン株と言って、更にまた、新種の強烈なウィルスが現れたりする修正だと、奮闘している人間社会も音を上げてしまうことにもなりかねない。そう願うしかないが、一日も早くそうしたウィルスに対して共通したワクチンとか治療薬が開発されなければ、いつまでたっても安心することはできないだろう。

  こうしてみてくると、今年に案じられるリスクとは、アメリカの中間選挙の動向と、再選を目指すトランプの政治活動とその動向である。トランプの人気が依然として根強く、プロパガンダも派手だしひょっとするとバイデンの強敵として浮上してくる可能性がある。バイデンの人気がここにきて低落気味だとの専らの報道となっているが、高齢にしては自身は堅城であり懸命に活動しているので、ただあまりに問題が多すぎる状況に立っている。中国を過剰に意識した感無きにしもあらずで、その上ロシアの蠢きも気になるといったことで八方に手をかけすぎるのではないだろうか。

  人類を襲った新型コロナウィルスとの戦いも着実だし、アメリカの経済は、巧みな金融政策と財政出動によって民生の安定を図られている。何だかんだといってもニューヨーク株式市場は力強く高値を更新して活況を呈している。経済のことはいつどうなるか、いつ急変するか知る由もないが、自由と民権を確保し、民主主義経済を堅持している経済社会のアメリカは流石に実力を持った民権重視の国家である。危惧すべきは、国内の政治情勢であって、焦眉の点はトランプとその周辺の蠢きと台頭が、バイデン政権と政策をぶち壊しにかかり、逆戻りしないかという懸念である。それが気がかりなリスクになるかもしれない。      1月9日


トランプの亡霊らしき街なかに未だうろつく反社勢力

暴力の行使を促し議事堂前議場占拠の暴徒化と化す

民主主義制度の怪しアメリカの人種差別と分断のあと

バイデンの健康管理も重要に日々の生活に余裕も要す

挑発と発情時期を繰り返すトランプ手法の先が読めずに

議事堂の占拠を暴徒に促して政治の理念を破るトランプ

淵の発刊
  
  短歌の「淵」の新年号が新年早々に発刊できた。昭和33年、すなわち1958年年に創刊されたので、隔月に発行して爾来235号を記している。顧みると淵の創刊者の早稲田大学名誉教授で歌人の植田重雄先生が2004年5月14日に亡くなられているので、私が継承してからすでに16年近く経つことになる。その間一度も欠巻することなく詠歌を重ね、創作の努力をし、淵を発行することができたことは以て幸いなことと、関係者に深く感謝している。

  植田先生は著名な歌人、会津八一の愛弟子であり、会津八一研究の第一人者であり、その右に出る研究者がないとまで言われている。会津八一は、歌を詠ませて日本一、書を書かせて日本一と自他ともに認められている。詠む歌は万葉調で調べは格調高く、読む人の胸に迫って哀愁を帯びている。奈良は、いかるがの里を訪ね歴史をたどり、お寺や仏像をこよなく詠みあげた歌が多く、訪ねる先々には会津八一の歌と歌碑が必ず置かれているほどに八一の和歌といかるがの里とのゆかりは深いものがる。岩波文庫から出ていた会津八一著の「自註鹿鳴集」はあまりにも有名だが、あとがきを植田重雄先生が八一の詠歌を追って名解説されている。

  淵の新春号を敢えて取り上げた理由がある。淵の冒頭の記事は植田先生の秀歌を乗せてその遺徳をしのぶ時もあるが、巻末には会津八一の和歌も載せて名歌を味わう機会を設けたりして編集を面白くまとめたりしている。今回、植田重雄先生の和歌のほかに酒にちなんで書いたドイツ民謡の「愛とワイン」というエッセイを同人に提供した。酒を飲んで陶然とした境地はだれでも味わう機会があって、人ぞれぞれに思い入れがあって楽しいものである。陶淵明や李白、旅人や若山牧水につながる世界でもある。そこで先生は一つ景気付にとドイツ民謡の「愛とワイン」を紹介している。

  人生の最高の喜びは何、それは愛とワインである。・・・・・素晴らしい甘美なワインを飲んで  王冠と皇帝を夢に見る   ビ・バレラ・バレア、ビ・バレラ・バレア

  民謡の歌は続いていくが、実に愉快である。日本では美空ひばりの「悲しい酒」の如く恋愛に振られて飲む酒の歌が多く、悲しくていけない。皆で、がやがやワイワイいって騒ぎながら酒をたたえ喜ぶ歌があってよい。沈む歌でなく、沸き立つ歌である。こんな風に植田先生が仰っている。もっともなことである。

  発刊する隔月の淵には、毎号にあとがきを書き、前号に発表された同人の投稿をコメントしているが、もちろん小生の詠歌も載せて各位の参考にしてもらっている。主宰者としては当然の責任ではあるが、結構時間をそがれるので、原稿の締め切りが迫ってくると忙しない気持ちでいる。自分の詠歌は極めて楽しみながら掲載しており、この方の出来栄えは至極満足している。植田先生はかって皆の前で小生をして、立派な歌人として大成し、歌壇で佐々木流派として活躍しているといったような勿体ない話を披露してくださって汗顔の至りに思っているが、今こうして淵を主宰している以上、その程度の認識を持っていないと、主宰者としての責任を果たしていないことになってしまう。同人の各位からは、しきりに感謝のお手紙を頂いているので、充分気を使っているところである。

   今年の詠み始めの和歌は、植田先生のエッセイではないが、たまたま冒頭に酒の目出度さを詠じ、先生と意気投合した思いであった。何げなく読んでさしたる気にも留めなかったが、寿ぎの和歌をはじめに乗せたことはちょっとした勘の良さであった。

初春の目出度き盃を交はし飲む月桂冠の身に誉れかも

  そして今春の年賀状には何時ものように富士山を詠んだ和歌を一首書いてみたが、東京地方では快晴の元旦を迎えて運がよかったと思っている。そして今年も又、色々なことが起こりうるが、それらを無難に乗り越えて、聖書でいうところの、何物の悪事にも負けぬ「勝利の道」を突き進んでいこうと念願している。

初春の富士の高嶺の白雪の黄金に染まり明くる年かな        
                                             1月12日


   バイデン氏の健康と陣容強化の後継者を

    何事も準備万端に越したことはない。強気なバイデンさんの健康を祝し、今後も政策よろしきを得て、其れこそ大過なく打ち過ぎて、世界が安寧を享受する世の中であってほしいと願う次第である。 今朝の朝日新聞のフィナンシャルタイムスの記事を読んでいるうちにバイデン大統領がいつでも有力な後継者を選任する緊迫性を感じて、まさに政治の世界は一寸先が闇だ5ということを改めて認識氏ら次第である。記事は専らバイデン政権とバイデン自身に対する警告と受け止めるほどに深刻な課題をはらんでいたのである。

  バイデン大統領の健康状態はすこぶる健康であり、何事も落ち度なく執務に傾注していることに疑う余地はないが、高齢という文字が付きまとって確かに避けることができない事実である。肉体的健康状態は良好だが、側近に一部でも時に認知症を疑ってしまうような言動がちらつき始めているという、ショッキングな見方も出ている。79歳という年齢からして、否定できない事象であって不思議ではない。一般的に言ってありうる条件の中にいるわけだから、万が一という事態に備えておく必要がある。バイデン氏の場合に、完璧な体制がとられているだろうあか、フィナンシャルタイムスはそこで問題提起を行っていた。

  指導者のなかには、部下及びその周辺の信頼に足る人物に対し意思決定の全権を委任することができずに、すべてに自分で目を通さないと納得できないという性格の持ち主もよく散見するところである。ハリス副大統領を選択したバイデン氏は、ハリスを全面に打ち出して自分の代わりを務めさせる場面があまりないように思える。ハリスの力量才覚が期待するほどでなかったことが影響しているかもしれないが、 この点が懸念されるところである。記事はそのあたりを見事に突いて読者の理解に供している。小生も聊かそうした疑念と不安を抱いていたので、記事に合わせて熟慮を重ねているところである。国際的な外交舞台に立つ場合でも、相手の当事国の指導者は年齢的にかなり若いし、エネルギッシュな人物が登場して、バイデンが風貌的に見劣りしてみる機会が多いのは致し方ないし、困ったものだと思っている。そうした事情を意識してか、バイデン氏もそれなりに努力してい居る点が見られるし、又、次期大統領の任期も務めるといった強気の姿勢も隠さない。

   今の中国、ロシアと世界を二分する国際情勢の動向を見ても、民主主義陣営と強権的専制国との対峙する情勢の存在と構図が明らかであるゆえ、バイデン大統領の政治的思想と姿勢は持続的に展開されなくてはならない。そうした思想と行動をとっていけるか、バイデンに対する大きな期待と危惧が錯綜してきてしまう。なかなか確信的な結果を得られないから、記事のような課題に、問題提起が表面化されてくるわけである。ましてや、そうした懸念を好材料にアメリカ国内に、トランプ勢力が戦略的に利用して、状況を有利に展開しようという企みの出てきている。トランプのような性格自体が異常であり、万が一再来という事態になると、バッファローのような習近平さん、ハイエナのようなプーチン氏を相手にするより扱いが難しい。

  パリ協定脱退やTPPへの不参加といった思慮を欠いた行動が、発情的な行為が非人間的面をさらけ出す可能性があって危険である。選挙に審判を不服として否を唱え、政権の移行を妨げて顧みンまい。神聖な民主主義の殿堂たる議事堂を襲撃、占拠させるといった妄動は、普通の人間だったら思いもつかぬ幼稚な発想であり、秩序を無視した暴挙である。トランプの再来は避けなければならない。壊し屋、解体や専従者の登場となって世界が慌てだすことにもなりかねない。以て暗中模索、魑魅魍魎の世とは一歩の踏み外しもできない。バイデン氏の健康を願い、過労を避けた活動を期待するゆえんである。        1月16日   続


   コロナ感染者の拡大

  デルタ株に代わってオミクロン株のコロナ感染者が爆発的に拡大してきて、過去最多を更新する地域が全国的に広まっている。今日の感染者数は全国で2万4000人に達し、東京は4200余名の感染者が報告されている。感染力が強いというオミクロン株だが、デルタ株と違って生命の危機に至る度合いは低いことが幸いしている。しかし症状が軽く済むといっても、疾患の全容がまだはっきり掴めていないので対症療法の域を出ていないようである。回復しても頭痛、吐き気、倦怠感、不眠症、食欲不振といった様々な後遺症に悩まされる点が危惧されて、早い治療方法が確立されない限り市民は不安である。まずは罹患しないようにマスク着用をはじめとして、基本的な衛生管理を身に着けて防御していくしかない。

  最近、ラッシュアワーを避けて出勤しているが、公的交通機関を利用している乗客が多く、車内が意外と混雑している。一見して外国人の観光客と思われる人たちが多い。専ら単独で来ている若い男性諸君である。多くの人たちがマスク着用して、日本でのルールを守っているところは好ましくかんじるが、にっぴんに滞在している間は、こうした人たちにも医学的見地から衛生管理を徹底させてもらうよう教育指導が望まれるところである。識者の意見は、これから短期間にかけて一日10万人の感染者が現れるとしても不思議ではないという話であるから、なるべく人流に紛れないよう自粛した行動をとることではないだろうか。今日は大学入試を受ける学生諸君で大変な人混みである。夕方6時過ぎに尾山台商店街のハッピーロードに買い物にでかけたが、試験場となっている東京都市大学の方向から続々と多くの受験生たちが試験を終えて帰ってくる、文字通りの群衆に出会った。彼ら学生諸君たちの中に、オミクロンのコロナウィルスにかかったりしないようにと祈りながら勉学の成功を願ったのである。      1月17日


     日曜礼拝

   家内が朝早く、教会に花を生けに行って来るといって出かけて行った。日曜礼拝で礼拝堂の講壇の中央に花を飾っておく役目を負っているのと、今日は受付の番が回ってきているので早く出かけるというのである。朝食を済ませていつもより時間に余裕があったので、小生は温かい日差しを浴びて朝寝をもくろんでいたところ、つい本格的に眠ってしまい、目が覚めたら教会で日曜礼拝が始まる時間が迫っていた。慌てて洋服に着替え、軽快に家を出た。車で5分とかからない至近距離である。教会の幼稚園の広い敷地が教会の駐車場になっているので大変便利である。玄関では家内が受付役を担っていた。

   礼拝堂に入ると、既に賛美歌を歌って行事が始まっていた。いつも後ろの席で陣を構えているので見まわしたところ、ふさがっていて小生の座る場所がなく、今日は一番前のほうに座席をとって礼拝に臨むことにした。前から二番目の席には、背広にネクタイといった正装した青年が二人席を構えていた。座った長椅子の一席空けた隣には若い女性が座っていた。来賓にきている人かと思いながら聖書を開いて礼拝に臨んだ。

  今日のみ言葉を取りついてくださる方は玉川聖学院の院長をされている安藤理恵子先生である。「主のゆえに従う」という題で説教された。主のみ言葉は完全だから、信頼し、安心して従っていくという意味に心得て説教を聞くことにした。聖書ではペテロの手紙第一章の部分を拝読し、内容について物語って行かれた。礼拝が終わって、私の前と隣りの席にいる三人の若者は、今日の成人式に祝福を受ける当事者の人たちであることが分かった。偶然にめでたい席に居合わせて、しかも一番前の近い席に巡り合えて幸いと思った。 こうして席を同じゅうしていると、あたかも自分も成人式に出席して祝福を受けるようなつもりになって来て、襟を正して構えていたのである。若いということは何事にも代えがたく、素晴らしい財産である。「青年老いやすく学成り難し」とは学生時代に習った教えだが、しみじみと実感できる教訓である。油断していると、あっという間に歳月は過ぎていく。だから気づいたときはすでに遅く、取り返しのつかない結末となりかねない。従って「一寸の光陰軽んずべからず」と 警鐘を鳴らしている。

   礼拝が終わって、詩人を迎えて若者たちに今日の説教者である安藤美恵子女史から祝意を受けて回収一同の拍手を浴びていた。私は思うことを三人の若者に和歌を以てお祝いの心を詠みあげて、週報を用紙に使って書き記し三人の若者に読み上げてプレゼントして差し上げた。三人の若者は一様に感激して読み返していた。色紙があれば墨書を以て書き下ろしたが、とっさのことだったりしたので残念には思ったのである。きっと人生の道に迷ったときに、教会で信者の一人から詠んでもらった和歌の一首を読み起こして、落ち込むことなく奮起するきっかけとなれば、小生としても幸いに思うのである。

   教会は、牧師にもよるが、決して死後の世界を考えるのみではなく、むしろ現実をありのままに肯定し、立ち向かっていく胆力を培う場所であり、長寿を以て世に尽くしてく信念の修行の場であり、信仰を以て十字架の愛を広めていく役割の場であると確信している。平和と安寧の光り輝く世界である。今日の礼拝に出席した三人の若者も、きっと斯く信念を以て現実の世界に立ち向かって、良き人生を全うされていくに違いない。 吾もまた、君らに伍して力強く歩んでいきたいと念じている。新春の教会で、君たちとともに成人の日をまじかに祝うことができたもの、神の大いなる恩寵の賜物と信じている。    1月16日


初陣に発つ若者の新しき世の門出をば祝ふ今朝かな

青春の意気横溢す成人の日を寿ぎて仰ぐ富士の嶺

美しき乙女となりぬ成人の日に高く発つ広き世界に


快晴の空を仰ぎて富士の嶺の気高く眺む成人の日よ

白雪の富士の高嶺を遥か見て成人の日に誓ふ君かな

十字架の愛のひかりを身に受けて成人の日を祝ふ君らは

成人の日を祝ふ朝十字架にそそぐ光に希望溢るる

吾も又二十歳を迎ふ若者に交じりて踊る心地こそすれ

成人の日に新しき責任を自覚し荒き世にぞ臨まん

説教の題はいみじく「主のゆえにしたがう」と云う礼拝の席

常に主に従ひて行く人生の意義を深めて行くは頼もし

未熟なる人こそ良けれ勉学の余地を残して道のはるけく

青春の道の遥かに望み得て光あふるる果てに続けり     1月16日


  大丈夫かな巨大都市の東京は

   日本時間で15日午後1時10分ごろ、日本から8000キロも離れた南太平洋のトンガ諸島で歴史上、大規模な火山噴火が起きた。トンガ気象庁によると、噴火したのは首都ヌクアロファから北に60キロ余り離れた海底火山である。同庁は噴火直後に、約170の島からなるトンガ全域に津波警報を発令した。日本の気象庁の発表も、二転三転した津波情報を出したりして混乱が生じているが、通信施設が甚大な被害に遭って、現地の状況が一部しか伝えられずにいる。日本の一部にも1,2mほどの津波が押し寄せ、小型漁船が30隻以上も転覆したりする被害が出ている。アメリカ西海岸にも津波が押し寄せて、海岸線に被害が出たりしている。気象衛星からも大規模な爆発の噴煙が広く海上を覆っている様子を衛星写真で送ってきている。通信施設が遮断されているので現地の状況は知るすべがないが、甚大な被害が出ていることは間違いない。

  特別な所要があったゆえ車で会社に出社したので、久しぶりに自宅から八重洲の事務所まで行くことになった。おかげで東京のスピードを以て変貌する様子を観察しながら、東京という巨大都市について違った気持ちを抱いていたのである。瞬く間に、いつの間にか出来上がった高層ビルが所狭しと建っているではないか、又建設中のものも含めてそうした重圧で、おそらく東京の地盤沈下が進んで、予期せぬ巨大地震が来ないうちに、大方の巨大ビルが傾いていきはせぬかと心配になったのである。パイルを何本も岩盤にまで打ち込んで地盤を固めたといっても所詮、人工物には限度がある。耐震構造といっても同じこと、巨大直下地震が来たら、人知を以てしては計り知れないエネルギーかもしれないし、トンガの海底火山の噴火を見ても、地球は息をして活動しているからどんな規模を以て地上を襲ってくるかわからない。近くには阪神淡路大震災を経験して、昨日で27年が経過した。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害と、これに伴う福島第一原子力発電所事故による災害は日本経済を壊滅しかねない規模であったし、今以て厳しい爪痕を残している。そうした恐怖心にも似た心境を本能的に感じ取ったのである。

   災害は忘れた頃にやってくるとは、先人の人たちから受け継がれてきた箴言である。今朝自宅を出て目黒通りを都心に向かった。目黒、白金台、麻布、六本木、虎ノ門、霞が関、日比谷、銀座と城南から中心部へ貫いてきたが、驚いたのが、道路沿いに建つ高層ビルの林立である。少子高齢化が進み、人口減少が顕在化してきた日本の経済社会に、あんなにも箱モノが必要なのかと目を疑うほどである。人口減少の将来を否定するほどの経済発展が保証されているのだろうか。むしろ科学、通信技術の進歩は、その逆方向に進んで省力化が進み、ハードなインフラを破壊していくような経済、産業構造と仕組みをもたらすのではないだろうか。

  ましてや新型コロナ感染拡大は、人類社会に大きな変化をもたらして、生活様式、経済活動の変革をもたらしているし、そもそも価値観の変貌すら顕著になってきている。そうしたことが影響して現在、住宅地や過疎地に空き家が潜在化して、空き家の取り壊しに補助金が出るような時世である。今のような平時における本社ビルの撤退や、効率を目指した本社機能の縮小などによって、巨大なビルの空室が目立ってくるようだと、新規に参入する巨大ビルにはいったい誰が入るのだろうか、景気後退時の状況が恐ろしい映像に映ってくるのである。  

林立す高層ビルの倒壊の巨大地震の妄想にからる

地震国、火山国のこの国に所狭しと人の住みける

金を追いひ金を求めて血まなこに巷を人のあまた往き来す  続 1月17日


   中国のゼロコロナ政策

   中国では、COVID-19の発生後に、「国内に新型コロナウイルスの存在を許さない」という方針を掲げた。そして厳格な行動制限を伴う非常に厳しい政策を取り続け、2020年半ばには国内の新規感染がおおむね抑え込まれ、事実上「ゼロコロナ」に近い状況を実現させた。見事な結果を知らせることができて立派な結果であった。中国政府はこれを「政治・社会体制の勝利」としてプロパガンダに利用し、特にアメリカを筆頭とする西側先進国などの政府や政治体制の無策ぶりを比較して攻撃し、メディアが書きたてるなどした。

  しかし、その当時の状況では欧米諸国や日本も含め、基本的にすべての国が新型コロナの完全な終息を目指しており、「ゼロコロナ」という表現は、見られなかった。「ゼロコロナ」が注目され始めたのは、デルタ株出現以降である。この従来型ウイルスの2倍以上の強い伝染性があるとされる強力な感染性を持つデルタ株の出現に、欧米諸国などでは次々に「ゼロコロナ」の実現を放棄せざるを得なかった。ウィズコロナという発想を以て、科学技術の開発を以て如何にコロナウィルスを消滅させるかという方針に転換した。すなわち新型コロナウイルスの消滅は不可能との前提に立ち、治療薬の開発とワクチン接種の拡大などを軸に、同ウイルスとの共存を目指しながら社会を正常化させる「ウィズコロナ政策」に転換させていった。

  デルタ株の発生の後に、新型コロナウィルス変種株、オミクロン株が台頭し、猛烈な勢いで感染拡大している現状に、世界はデルタ株のワクチンの有効性を疑問視しながら、次のオミクロン株の対策に苦慮している。新規のオミクロン株に対しても、従来のワクチンがある程度有効に発揮している検証もなされており、現在のワクチン接種が有効に行き渡ることが有効な対策であるこが確実視されていることに安どしている。日本でもここ一週間でオミクロン株の感染が急拡大しており、全国的に蔓延している状況は、医療現場の緊迫性を再び露呈化しつつある。幸い感染者はおおむね軽微の症状で推移しており、症状の期間も短期で回復する傾向であることが、デルタ株と違って安心度を高めている。ウィルスの変異が、デルタ株からオミクロンにとって代わってきている現象も特異なものである。

   中国が採用しているゼロ・コロナ政策は、人間社会の行動抑制に強制力が加わっており、都市封鎖も辞さない行政力で抑えている。経済活動の全面的禁止と、都市封鎖を掲げているので、経済活動の停止を余儀なくされる恐れがある。市民生活に対する圧迫が危惧され、経済全体に及ぼす影響は看過できない。中国経済のGDPに大きくマイナス要因となれば、日本はおろか世界経済に及ぼす影響は深刻なものとなってくる。何かにつけて米・中対立するさなかであるが、皮肉であるが中国のコロナ政策の是非が、アメリカ経済に与える影響も看過できない。中国指導部の賢明な経済のかじ取りを期したいところである。     1月18日


歌会始

  皇居で恒例の歌会始があって、題は「窓」として、新春を彩る華やぎを感じてそれぞれの一首を読んだりしていた。窓という題だからものすごく範囲が広いし、詠む歌題としては引き受けやすいのではないだろうか。伝統を重んじる歌会に選ばれた和歌であるが、基本的に字余りなどを避けて超近代短歌ならそれなりだが、57577の言葉をつなげてリズムカルに流し詠みすると優雅な趣きが出てきていいように思うが、近ごろの選者の所在にもよるから、それはそれで自由であっていいかもしれない。しいて言えば万葉調の伝統を重んじて古文を以て、普段味わえないような情趣を感じて味わってみたいと思うのである。

今年の賀状の中にも{窓}にあやかって和歌を詠んで書いてきてくださった淵の同人がいたが、その人の窓は{希望}と題したものだった。コロナ感染を怯えるあまり旅行好きの作者は、自閉的になって家に閉じこもる日が多かったそうである。誘っていける友達までが同じような神経を以て悩む日が多かったそうである。歌会始の歌題は、そうした社会情勢を思わんばか「窓」として多くの人に将来への期待と、希望を込めて設定したのだろう。

そこで小生も早速触発されて目出度く遊戯として和歌を詠んでみた。

初富士の真白き雪に朝の日の輝きさして光るまほろば

この国の自由と平和を堅持する姿を世界に示し栄へん

会員の家庭に萬福来訪の報せをうけて明くるこの年      

  来年の歌会の歌題は{友}である。            1月19日

バイデン政権の一年経過

  バイデン政権が発足して昨日、1月20日で一年が経過した。アメリカに分断と混乱をもたらしたトランプ政権からバイデン政権に移行したが、アメリカも世界も、異常な性格を持ったトランプの狼藉とと蛮行と不安から逃れることができて安どし、融和と結束を掲げるバイデンへの期待は大きかった。トランプの残していった残骸を修復するには並大抵のものではなかった。高齢の身に余計な労力を費やす時間の浪費も大きく、バイデンへの余計な負担も影響したに違いない。快調に滑り出したバイデン政権であったが、一年の経過の中で内外の課題は山積し、何かと軋みが出てくる結果となった。国内では新型コロナ感染者数の爆発的増加と、予期せぬインフレに遭遇し、所得格差は政策の矛盾に連れて愈々深まるばかりである。結果、国民の間に未だに対立と分断が激しく続いて不評を買っている。      続


   ウクライナ情勢

   陰湿なロシアの企みが表面化して、他国への侵略を準備している。これは「冷戦以降、最大の戦争の危機」と称しても過言ではない。ウクライナとロシアの国境線に10万人規模の軍隊を集めてウクライナの侵攻す機会を狙っている。このロシアに対してバイデン大統領は、「侵攻すれば重大な痛みを課す」と牽制している。 ニュースの画面を見たりするとウクライナでは、迷彩服を着て銃を手にした年配の夫人や、町の労働者の人たちが、祖国を守るために、ロシアの侵攻に立ち向かうといって立ち上がっている。普通に考えて戦車や大砲を打ちまくり侵入してくるロシアの大群に対して、歯が立つわけがなく心許ない感じであるが、彼らウクライナの一般市民は真剣である。 隣国のロシアによる「侵攻」の可能性が高まるなか、家庭の主婦をはじめ老人までが、祖国を守るために銃を構えて応戦する気構えであり、戦闘訓練に参加している。 祖国を侵略してくるロシアに対して、物凄い闘志を燃やしている。

  NATO北大西洋条約機構に入りたいウクライナである。一方でロシアは、それを阻止しようとしている。 ウクライナの主権と独立的主張を認めるかどうかである。隣国だから安全保障上ロシアの権益を損なうものだとするロアシアの強権的戦略は、国際法上認められないはずである。今は寒冷酷寒の地の国境沿いにロシアは10万人規模の軍隊を集結させ、張り詰めたような空気が続いて緊張が日に日に高まっている。 そんなロシアをアメリカは強く牽制している。 バイデン大統領は「もしロシアがウクライナに侵攻したら、我々はロシアに対して経済制裁で重大な痛みとコストを科すことになるとし、ドルの使用決済も禁止するという重大な決断もほのめかしている。 ロシアは原油価格の高騰で懐具合も好調のようだから、強気の姿勢を崩していないようである。ウクライナの首都キエフ。その首都で戦火が上がってしまうと、たちどころに世界の政治、経済の混乱の火ぶたとなって将来が見通せなくなる。外交努力で解決の手段を選ぶべきである。    1月20日


  
    暗雲漂うウクライナ情勢

新型コロナ禍に悩まされているご時世に、大国のロシアがウクライナに攻撃の火ぶたを切ろうとして国境沿いに10万からの軍隊を集結して居り、いつ侵攻を開始してもいいくらいに戦火の交戦の緊迫度が高まってきているらしい。クリミア半島をかすめた味を占め、またぞろウクライナに軍事的圧力をかけて、ウクライナのNATO加盟を阻止しにかかってきている。アメリカのブリンケン国務長官とロシアのラブロス外相との外交的協議も平行線をたどっているようだし、お互いに譲れない一線を敷いているので、決裂を口実にロシアのウクライナへの侵攻が始まってもおかしくない。いつの間にかロシアの勝手のいいままに状況が、既成化されてきているのが恐ろしい気がする。

  ロシアの装備に対抗し得る武器弾薬をアメリカは国境付近のウクライナ軍に運んでいるし、イギリスをはじめNATOも軍隊の装備品を着々と準備して、ロシアの侵攻に備えている。ウクライナを渡ってEU圏に勢い余って突入してこないとも限らない。モザイクで作っているような諸国林立のEUの地図だから、草っぱらに火を放つようなもので混乱してしまう。今もなお国境の攻防は、外交的話し合いをしているさなかにも、戦争準備の状況が進められている。狡知的なロシア外交には定評があり、百戦錬磨のラブロフに対し、人のよさそうなブリンケンは歯が立たないのではないか。

報道を見ると、 北大西洋条約機構は24日、ロシアによるウクライナ侵攻に備え、東欧に臨時の部隊を待機させ、艦隊や戦闘機を増派すると発表した。ウクライナのNATO加盟を警戒するロシアは、NATO不拡大を確約するよう米欧に要求している。バイデン政権は今週、ロシアの提案に文書で回答するが、確約は拒絶する方針で、緊張激化につながる可能性もある。
 
   ロシアはウクライナ国境周辺に軍部隊を展開している。米国務省は23日、在ウクライナ米大使館職員の家族に国外退避を命じた。英国も今日同様の措置を取った。日本も駐ウクライナ大使館に対し、職員の家族など帰国するよう命令している。それはいいとしても、戦火の下でウクライナの市民に多くの犠牲者が出ないとも限らない、今のウクライナ市民の現実的生活の状況でありそれを深く憂慮するのである。

  昨日はNHKのBSテレビで、対米戦争の始まる緊迫の裏舞台と称して、日本の連合艦隊司令長官の山本五十六のロンドン会議を中心にして米英代表を協議をする心中の葛藤を見せる報道があったが、切羽詰まった状況に立たされると判断と決断の誤りを犯し、結果310万ともいわれる多くの犠牲者を出す第二次大戦の長きに続いてしまうという、恐ろしい場面を見せつけられたのである。ロシアのウクライナ侵攻が、第三次世界大戦につながるようなことがあってはならないし、さりとて誰もが確信を持てるわけではない。この際ロシアは、プーチン氏は重大かつ愚かな行為を以て過ちを犯すべきではない。逆らえば、歴史に恥ずべき汚点を残すことになるだろう。そしていつの日にか、例えばイラクのフセインのような生涯の結末を味わうことにもなる。専制的、強権的独裁者は、得てして盲目的妄想に陥りがちである。プーチン氏をそうだとは言わないが、権力者はとかくそうした傾向が強いし、実際に有り勝ちなことである。そうした愚行は以て避けるべきである。80年前の状況とは変わっていることに留意し、時代的認識を発揮して、価値観の共有を期したい。国境から軍隊を引き揚げるよう、プーチン氏の英断を期待したい。

   第二次大戦後すでに80年近い歳月を経た今日に於いても、驚異的な科学技術の進歩によって、世界と人間社会がこれほどに小さく詰まった状況に置かれていても、尚且つ人間の知性が当時と一歩も進んでおらず、同じことの過ちを犯そうとしていることを嘆かわしく思うのである。                                                    1月24日


ウクライナ国境沿ひに軍隊を集め侵攻を狙ふプーチン

硝煙の上がる彼方に巨大なるきのこ雲立つ悪夢なりせば

銃砲を構えて立てる少年のまなこ涼しきウクライナの町

プーチンの愚かな意図を排除して記せ名声を千載の史に

ウクライナ独立国家の面目をかけて主権を行使せんとや

ウクライナ主権国家を恫喝すロシアの帝国主義の妄想

石油の高騰に欲描くプーチンの強欲の性現れて来ぬ

植民地帝国主義の亡霊の中・ロの覇権政策に今

台湾とウクライナに見る共通の地政学的危機の波寄す

今日の世界の課題は地球的規模と協同の認識にあり

俗にいふ小異を捨てて大同に就くこそ平和の要なりけり


人は皆白骨となり骨壺に入りトランプも又例外でなし

末の世に人は白骨と壺に入り諸行無常とプーチンも又

名声を博すバイデンも顧みて終の棲家は小さき壺なり

白骨となりて小壺に収まりし友のこの世の失せる名声

人のためこの世のために身を尽くし愛と光の道を行くかな

十字架のイエスを見つめ泣き伏せるマリアのうちを如何知るかや

波の寄す岸辺の端に身を伏して嘆き悲しむマリアいとほし

十字架の主はあがなひて諸人を愛と光の道に招かん

十二使徒を伴ひて行くキリストのあとに続ける子羊のむれ

主イエスは路傍に立ちて迎え給ふ我れが寂しくためらふ時に

十二使徒を伴ひて行く春のべをイエスが身にも花の吹雪きが

皆を誉めたたへて我れが身を支へ恵み給へる神のまします     1月26日


   ロシアのウクライナ侵攻の錯綜する情勢で、侵攻阻止と、戦火の回避をめぐってロシア高官と欧米諸国の首脳との外交的交渉が活発である。話し合いを以て解決してもらいたい。一触即発の様相だが、限定的、散発的であったにしろ、大きな戦火の火種となって拡大され、火の海と化したら今の時代、収支がつかなくなる。大国を巻き込んでいるだけに、大混乱をきたし世界の経済がひっくり返って、持続可能な社会を目指して世界が結束して努力している今の経済社会の様相も頓挫してしまう。世界にとって、我々にとって致命的な損失となってしまう。

   特に現代をとらえて、今の政治家は、目先のこと、自分のことに拘って行動を誤ってはならない。己を捨てて大局を見つめることが重要である。だからこそ不肖はあえて人の生涯を振り返り、人を収める骨壺のことを話として挙げたのである。政治家にとって無私無欲は公正を期し、政策遂行にあたり、特に必要とされる基本的な要諦である。釈迦の悟りではないが諸行無常は世の常であり、欲を捨てることである。自分の欲を、思惑を捨てることである。過ちを改めるに憚ることなかれである。さすれば世界が、実体が、真実が見えてくるし分かってくる。

   ウクライナのことを決めるのは悲しいかな、ウクライナ自身ではない。侵攻を図ろうとしているロシアであり、それに対して侵攻を阻止しようとしている英国、フランス、ドイツなど、そしてアメリカと様々な国が関与している。ウクライナも慌てずに賢明な判断をして独立と主権を守るため、忍の一事を以て対応することが肝要である。交渉は妥協の模索である。性急を排し、挑発に乗らず、賢明な分析と判断を以て対応してもらいたい。    


ウクライナ市民を戦火の犠牲にすあってはならぬこれからの世は

持続可能社会の実現に向けて立つ人類に課す戦火の否定         1月27日

ミャンマーのクーデターご早一年


   昨年2月1日に起きたミャンマーのクーデター以降早や一年の混乱した日々に市民はいまだに翻弄されている。それどころか現地からの報道によると治安はますます悪化し経済事情は泥沼化して、生産も消費も市場は混乱し生活環境は悪化の一途をたどっているという。しかも全権を握る国軍兵士らによる女性への性的な暴力が続いているという。軍隊の市民救済的活動はおろか、治安維持を名目に捜索中の民家や拘束施設などで軍隊による被害が相次いでおり、支配下に置く手段として恐怖心を植え付けて性暴力が横行しているとみられる。

   現地記者の報道によると、インドと国境を接する西部チン州の村では昨年11月11日夜、同8月に出産したばかりの女性(27)が自宅で複数の兵士にレイプされた。兵士は夫と子どもに銃を突き付けて脅し行為に及んだという。深夜、近くで義理の姉(35)も兵士2人に襲われた。妊娠7カ月だった。聞くも無残であり、非人間的行為を見逃している軍政である。

  「クーデター後、市民への支配を強めるため、かつて軍政下で使った性暴力という『武器』を再び使い始めた」と現地取材中の記者は指摘する。思い余った兵士の上官が村を訪れ親族に謝罪操作を行い法的手続きを以て正したいといったそうだが、口先で終わってしまうそうだ。軍隊による強圧的支配は常とう手段だが、こうした行為をミャンマーで許すような土壌が、長年にわたり、民主化を唱え経済発展の著しい国と思っていたが、ひょっとすると外国暮らしをして自身は高緯度の教育を受けたものの、それがもとで民主化なったと見えたアンサン・スー・チー政権時代にいい加減な施政が行われてきた所以かもしれない。

  以前スーチー女史が「ノーベル平和賞」を受賞した時に小生は、「アウンサン将軍の立てた宮殿に住み貴族的な生活をしていて、民衆の貧困を忘れた為政者」と断じていたが、女史の力以上に、独立を成し遂げた祖先の将軍の伝統的偉業を背景に、信仰的思想が民衆にマイナスに定着し、クーデターを起こさしめる雰囲気と土壌を積み上げていたに違いない。政治に素人の手のゆるみに付け込んだ軍隊の仕返しで、またもや民衆が苦しめられている。貧乏国、後進的国家にありがちな風潮だが、民衆の教育レベルの向上と啓蒙が求められる。

  軍政幹部は現状をつぶさに分析してこれ以上の無秩序を、無益な混乱を続けることを回避し、国連の監視団を受け入れて、ミャンマーの民主化に向けて指導力を発揮し貰いたい。

 1月30日


新年の正月も早や打ち過ぎて今日の晦日の恙なきかな

穏やかに今日の晦日も恙なく過ぎて畑に妻と出で立つ

色々なことの頭によぎる今日不平不満もあれど絶ち蹴るり

戦乱の兆しに怯ゆウクライナ市民の如何に過ごすこの日も

大国の勝手に動くほか様の領土と富を犯し奪ひつ

我が宅のわずかな畑を掘り起こし春に先駆け追肥足したり

この年の立つ霜深く地に及びされどほうれん草の育つ勢ひ

春菊も小松菜もみな霜に枯れほうれん草のみ生き生きと起つ

我が妻が双子の姫を引き合わせいと香ばしき風を送り来

教会に双子の姫が白百合の花を持てくばマリアのごとき

人知れずマリアに抱く恋ごころ清く柔和なおもだちにこそ

晴天の空を眺めて春近き兆しに踊る青春の気よ

竹林を壊す仕事の羽目となり竹の子掘りの夢も絶つなり

竹の子をそちらこちらに見つけ掘る竹林の地に遊ぶ楽しさ

竹の葉の積もる落ち葉に赤き芽を出す竹の子を掘り当てて見ん

足を踏む感触に触れ達人の竹の子のいる場所を当てたり

採りたての渋き竹のこの皮をむき実を生で食ふ謂わば刺身に

竹の子の刺身を食ふは乙なりき奥の座敷で酒を干しつつ            1月31日


  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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