line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2017年10月24日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

Vol.15.08

残暑お見舞い申し上げます。

異常なり気温上昇のこの夏の炎暑の及ぶ日本列島

電力の需給関係を改善し夏の猛暑を克服の国

画期的再生エネの興隆に電力供給の力増すなり

原発の全面停止の危機を越へ電力供給の基盤強固に

この夏の電力供給を十分に充たし原発稼働ゼロの日

日本の産業界の底力を示し電力の供給の先

猛烈な電力消費を充たす今原発稼働ゼロの不思議さ

膨大な金を費やし建設す原発基地のもしや死の壺

原発の基地の廃炉に及びけむ火山地震に怯ゆこの国

原爆と原発事故の洗礼を受けこの国の使命重きも

核融合、核分裂も同様に人類平和に用うこそ道

灼熱を受け太陽光の発電の絶頂期にあり発電効率

摩訶不思議今年の原発発電の電力不足の話題皆無に

終戦後七十年を顧みて確実に燃ゆ我れが人生

來し方を振り返り見る山河かな先に広がり続く稜線


   

   


    連日の猛暑と熱帯夜は、明治8年観測を始めて以来の観測史上の記録だそうです。日本列島くまなく暑さを更新し、九州から北海道にかけて、35以上を記録する異常さです。最高は39度を栃木県の館林で記録したところもあります。こうした中、大気の不安定な状況で、各所に局地的に発生する雷雲と集中豪雨もあったりして、猛暑の異常気象の影響は凄まじいものがあります。遠因として、地球温暖化の影響が響いてきているという人もいます。真剣に考えて、人類は今こそ果敢に対処しなければなりません。この異常な気象は一時的には強い太平洋上の高気圧と、西から張り出した高気圧が本邦上空で重なって、その北側の位置に偏西風が東に流れているので、この高気圧が動けないでいます。そこに南からの熱い空気が流れ込んできているという複雑な関係で、猛暑日と、熱帯夜が連日続いて起きているものです。こうした気圧配置は、地球温暖化のもたらす所以とも受け止められます。今日の天気予報によると、こうした暑さがあと4,5日は続きそうです。続出する熱中症にも注意する必要があります。

    こうした時に、電力の消費量はかってないほどですが、幸いなことに、不思議なことに、電力の供給が十分に確保できる構造になってきていることは、日本国にとって朗報であります。昔ですと、電力の供給が間に合わない状態になっている筈ですが、原発が全面的に止まっているにもかかわらず、供給の仕組みが大変化してきている経済社会の証左かもしれません。官民一体となって推進してきた二つの大きな理由、即ち再生エネルギーの普及によることと、電力の発送電の大改革がいつの間にか効率的に行われていたことになります。このところ国民にとっては追い風となっている再生可能エネルギーによって、電力の供給が増えていること、。それによって危険な原発再稼働の機運がそがれ始めていること。又、ホルムズ海峡の機雷敷設の可能性が遠のいて、集団的自衛権の行使も可能性としてなくなってきたこと。とにかく今年の電力事情は、こうした炎暑と爆発的な消費にもかかわらず、電力不足が云われないで済んでいることは、喜ばいき思いであり、以て天の配剤と感謝しています。
     しばらく小生のパソコンに支障をきたし、各位への配信が出来ませんでした。猛暑のおかげでパソコンまでが故障してしまったとまでは言いませんが、インターネットが使えなくなると社会生活を継続することが出来ないほどに、その重要性を身を以て認識した始末です。残念なことに7月号に渾身をふるって書いたエッセイと持論の大半が消えてしまっていました。私は昨年の夏以降、慶応病院で二度にわたる大きな手術を行っており、さらに仕事の関係で多忙な度合いが増えて、二重にストレスが加わっていますが、しかしこうした暑さの近況の中を、持ち前の頑張り精神を発揮して夏バテを吹き飛ばし、おかげさまで元気に過ごしております。外では日差しを避けて、水の補給にも心掛け、屋内では蒸されないよう冷房の恩恵を受けております。取引先や知人から、暑気払いのお誘いも度々ありますが、そうした事情で失礼させていただいております。
    各位におかれましても、この夏の猛暑をつつがなくお過ごしくださるよう、ひとえに祈っております。  8月4日

大げさな話になってしまうが、史上最高と称すべき猛暑と熱帯夜が続いている今年の夏である。観測史上、記録的にはそのようになっているが、さりとて目がくらむような日中の日照りに晒されて、結果、泡を吹いて救急車で運ばれたりしても無様である。避けがたい、緊急の事態なら致し方ないが、自分の不注意で、そんな羞恥心の無いことは未だしたくない。自制心、自尊心がある間は、まだ生々しくこの世を渡っていかなければならないと思った。胆力と云えば、これまた大げさであるが、日ごろの努力で持久力をつけておかないと、いつ何時、心臓が止まらないとも限らない。人間お陀仏になったら、おしまいである。人間万が一にも瀬戸際まで連れて行かれても、まだこの世のことに執着心が旺盛であって、そうだ人のため世のためと思って息を吹き返すぐらいな意気込みは欲しいものである。そんな気ぜわしいことを思いながら、二階の北側の部屋に置いてあるパソコンを打ち、窓から焼けるような青空を眺めていると、こんな時箱根のフジビューマンションに居られればいいのにと思ってみたりしている。私のこの小さな部屋から、ありがたいことに山のような緑の景色を眺めることが出来、今度は軽井沢にきている感じがしてくる。想像たくましくいろいろなことを考えていると、人生が豊かになってきて得をするのではないかと思うにである。
   生まれ育ったところが浅草の問屋街で、雑踏に紛れたような生活をしてきたので、ここに移ってきたこと自体が不思議なくらいである。まるで天国のような地に居を構えたのが不思議なくらいである。人生は人との縁であるといわれるが、土地との縁、即ち地縁であると私はよく言っている。地のつながりは水であり、食べ物とのつながりであり、体内を巡ってよくその人を育む基本的要素である。飲む水は常に人の体内に注がれているし、生きとし生けるものの根源である。つい最近まではこの周辺に湧水があったり、冷たい井戸水があったりして飲むことも出来たが、その後次第に大きな建物が建ち、多くの人が住むようになってから、次第に飲めなくなったそうである。目と鼻の先に、以前は湧き水の池があって、錦鯉がたくさん泳いでいた。洗い場と云って洗い物をしたりする周辺住民の共同のものだったらしいが、いつの間にか埋め立てられて、今はやりのコインパーキングになってしまった。残念である。近辺は昔から農家の多い地域で、今も生産緑地と称した畑地や植木畑が多く点在しており、四季を感じて東京には珍しい地域である。社会に出るまで病弱だった私が、健康に恵まれ毎日精勤を続けていられるのも、この地に移ってきた環境のしからしめるゆえんかもしれない。樹木に恵まれた清涼の地と云ってもいいくらいである。
   取引先であり、仕事で世話になっている大手M会社のO氏から、このお盆に富山に帰卿することになっていて、その後において暑気払いに会いたいがと、突然電話があった。久しぶりの電話であり、気の置けない人なので気楽に会いたくなった。それと、田舎を持ち、帰るふるさとを持っている人の話を聞いたりするのが、実は私にとって大きな楽しみなのである。O氏の田舎は北陸の金沢なので、昔旅をした時のことを思い出せるからである。金沢の街は小京都と云われるほどに風情があり、戦災にあわなかったので焼けずに済んだ文化遺産である。昔の儘の風情のある落ち着いたたたずまいである。有名な兼六公園は、日本の三大名庭園である。町を流れる犀川と浅野川があるが、浅野川の川べりには、古くからの待合屋が並ぶように建っている景色が目に浮かんできた。こうした様子を舞台に、綺麗な恋愛小説など書いたらいいなあと思うことがある。
    私は最近、無精になってきて、予定を組むことが苦手になってきているので、即座に、今日の都合を聞いてみたら、O氏は幸い大丈夫だというのである。そこで何も考えずに会うことにした。オフィスをでて早めに帰途に就くことにした。私は等々力に住んでいるし、彼は等々力の隣の玉堤なので、いうなれば近所同士といっても差し支えない。それでいながら普段はなかなか会えないで来ている。会うには絶好の機会とみて、途中の自由が丘駅周辺の飲食の店で会うことにした。自宅に帰るに、誠に便利だから、不公平なしに自由が丘を選んでのである。人と会う時にあらかじめ予定を組んだり、約束をしたりするといつになるかわからないし、そのことが気になってストレスがたまることにもなる。時間的にも、空間的にも自由人になることが、今の私にとって健康上の最大の武器である。わがままかもしれないが、時間に制約されることがあまり好きでない。比較的若い時代に宮遣いから抜け出せたので、爾来、自分で立ち上げた会社で事業を経営してきているので、自分の習性から自然な流れに従って生きていきたいと思うのが、私の根本的な思想であり人生観である。だからと云って自分の主義を他人様に強いたりすることは決してない。他人さまの立場をよく理解して、自分の行動をとっているつもりである。寛容と受容の精神とでも云ったらいいかもしれない。キリスト教精神の神髄かも知れないが、教えとしては普遍的なものであると自認している。
   自由に物事をする発想する小生と、期しくもO氏と意見が合って家に近い自由が丘の近くの八沢川で会うことになり、私が先に行って席を取っておいた。うなぎの老舗できれいな店構えである。相変わらずの猛暑でもあり、土曜の丑の日は過ぎてしまったが、暑気払いにはもってこいの暑さである。あまり食べすぎないように、飲みすぎないように気を付けているが、元気なO氏との会食だと、十分に気を付けないといけないと思っていた。汗を拭きながらO氏が見えて、久しぶりにあいさつを交わしたあと、冷えたビールで乾杯した。この日もお土産を以て見えたが、今回は仕事上いろいろと世話にもなったので、小生から振る舞わなければいけない立場である。飲みながら、食べながら積もる話などがあって、愉快に話に花を咲かせて過ごしていた。食通のO氏は、関西と関東の鰻の食べ方も違うことを話しながら、江戸のかば焼きの方が関西より性にあっていることや、蒸してから焼くかば焼きの方が乙な味わいがあっていいと、微妙な舌の味わいなども話していた。うなぎと云えば小生は長年銀座の帝国劇場の地下二階にある老舗の「きく川日比谷店」に親しく通っているが、昭和経済会でもたびたび会合で利用してきている。ここの仲居さんとも長く、三十年以上かかわりあってきているに違いない。 慣れた店なので気前よく飲んで食べて帰ってくるが、贅沢なうな重を取ったりすると、太いうなぎで盛り付けも大きく、食べきれずにお土産と称して女房に持って帰るのであるが、 家で食していると結構おいしく腹の足しにもなって、贅沢に一杯ひっかけたついでの、うな重のお土産が楽しみなことがある。やさしいO氏は、私の体調を気遣っていつもより早く帰ることにしたが、駅前でタクシーを拾って拙宅に寄っていただいた。家内を交え歓談してから、今朝、家の庭畑で採れたばかりのトマトときゅうり、ゴーヤに今しがた摘んできた青紫蘇を何枚も足して差し上げたのである。今年の暑い日照りでトマトは真っ赤に色付いて大きく実り、完熟のまま枝からもぎ取って差し上げることが出来るので、きっとO氏の奥さんにも喜ばれることだろう。家内が運転する車に乗ってO氏を自宅までお送りしたのである。帰るとき、空を見たら月にかかる墨色の雲を見かけて、ひと雨あるかもしれないと何となく気象の柔ぐ気持ちにさせられた。うんざりする毎日のこの暑さだが、しかし立秋を過ぎて、別に暑さ寒さも彼岸までとよく言われるように、この時期から、知らぬまにそこはかとなく秋風を感じるような頃合いになるから、日本特有の節気の折り目と、四季のめぐりは不思議である。            8月7日

       広島の原爆と終戦日      歌二十首

戦争の犠牲となりしくにたみのみ霊の安く癒しあらまし

原爆の破裂の下におびただし市民の死体の焼け投げださる

無残なり赤子を抱き母親の死せる姿の焼け伏せしまま

熱腺に瞬時に果てし幾万の人の命の虫のごとくに

戦争の無きななと瀬を過ごし来て幸ひなりとけだし覚へり 

焼夷弾空襲の火をくくり逃げ洞窟に入り一夜あかしぬ

逃げ入りし洞窟より朝出でし目に丸焦げに燃ゆ人の映りぬ

焼夷弾夜間空襲の明けし朝焦げし死体をまたぎゆくなり

愚かなる人のあらはに欲望を示し争ふ今も昔も

広島の原爆投下の地獄絵に恐怖の歴史を忘れまじきや

終戦の夏を迎ふるたびに思ふ残虐非道の争ひのあと

原爆の炎火に死せるくにたみに応へて平和を守りゆかまし

我が友に原爆被災の二人いて錦帯橋の話かたれり

無残なりああ悔悟なり戦争に汝れの尊きいのち失せしは

弾を受け死す乳呑み児を抱く母の叫ぶ姿のむなしかりけり

性懲りもなく戦争を企てる悪徳商人の跋扈せし影

パラオにて命を果てし戦友の追悼に明く天皇の旅

吾らみな足並みそろへ経世と栄へと平和の道をあゆまん

幸ひに戦火をくぐり生き延びて亡き人々の魂に報いん

争ひの無き世を築き経世の共存共栄の道を進まん


毎年の夏のこと、8月15日が近ずくにつれ終戦前後のあの忌まわしい世相の、毎日の光景が頭をよぎっていきます。その日が近ずくにつれ凄惨さを蒸し返すように、嫌な思い出が夏雲のように立ち込めてきて、それは原爆が放った閃光と共に、巨大なキノコ雲となって空を覆いつくし暗黒の世界が映し出されます。広島と長崎に落とされた原子爆弾は、瞬時のうちに20万からの人々を焼き殺し、原爆症を抱えた多くの人たちは、長いこと苦しい病いと闘ってきました。多くは絶望の底に突き落とされて、悲惨を極めました。日本の至るところで、多くの人々が昼夜を分かたずアメリカのB29の重爆撃に晒されて、おびただしい人たちが殺傷を受け亡くなっていきました。沖縄が史上最大の激戦地となって、次は本土決戦に備えるのだと、一億総玉砕も辞さずの国民意識に駆り立てられていました。そして竹やりを以て、突きの練習が繰り返されていたのです。言語を絶して何と酷たらしく、無なしい話ではありませんか。
   3月10日の東京大空襲では、300機からなるB29の大編隊が東京の上空に飛来し、おびただしい焼夷弾攻撃を行って下町一帯を焦土と化しました。死傷者は十万人を超しました。浅草猿若町で最後まで火消しに残っていた父は、このまま逃げ遅れてはならんと、防空頭巾を防火用水にしたして頭にかぶり全身を濡らし、隅田公園に向けて熱風の中を走っていきました。辺りは逃げ惑う女子供であふれていました。体に火をつけたまま呆然とさまよう人もいました。父はこっちに向かって逃げるんだと叫びながら、懸命に言問橋を渡って隅田公園に行くように叫んでいたそうです。先を行った人の中には、熱さにいたたまれず隅田川に身を投げた人も溺れていて、沢山の死体が浮かんでいて手の付けようがありません。言問橋にも焼死体がころがって、熱風の中を渡っていくのが死ぬ思いだったのです。こうして火の海と化した町なかを、みんなが必死で逃げて行きました。この時こそ、日本は勇気を以て戦争終結宣言を用意すべきでありました。帝都灰燼を目の当たりに見た帝国海軍と陸軍は、そのリーダーたちはそれまでの神国に憑かれた狂気盲信を捨て、正確な情報を得て、勇気を以て天皇に戦争終結を進言すべきであったのです。しかし思慮浅薄にして無謀な陸海軍の指導者は、若い有能な若者たちを死の旅に無理やり繰り出させ、その後も負け戦をわかっていながら神風特攻隊を編成したり、人間魚雷を組んでみたりして無残な死を遂げさせたのです。練習機まで飛ばせて巨大な米軍に立ち向かったものの、既に丸腰同然、戦闘能力を完全に喪失していました。空軍はもはや日本の制空権を奪われ、陸海軍をはじめ大本営は本土決戦などと出鱈目放題を尽くし、疲労困憊の国民を以て人海戦術を楯に自棄自爆の居直りを決め込み、敗色は決定的でした。昨今のテレビ、新聞等の報道で見聞きするにも、あの時の状況と人知は無知蒙昧にして悲痛、悲惨であり、痛恨の極みであります。
   今、テレビをはじめ、多くの報道機関を通じて、当時の模様が私たちに伝えられますが、とくに今年は戦後七十年を迎えるにあたって、当時の模様が生々しく、新たな事実も伝えられて衝撃的です。特にNHKが編集しているシリーズ戦後七十年特集では、歴史的にも学術的にも新たな議論を呼んで、隠された秘密事項がもとに晒されてくる感じです。歴史を直視すべきだと日韓はじめ近隣のアジア諸国からの厳しい要求が突き付けられてきています。そうした中NHK特集では、特攻隊に向かっていく青年諸君たちの状況は、涙なくしてみることはできません。爽籟を嘱望された優秀な若者が、不思議なくらい軍の上官の命令に従って命を投げ出し、片肺飛行で戦場に飛び立っていったではありませんか。なんという罪を犯したことでしょう。辰栄特攻隊とは、こうした青年を使って、べニア板で作った船の頭部に、150トンの弾薬を積んで、敵艦に体当たりする作戦を展開しようとしていました。特攻隊にしても、人間魚雷にして、もはたまた唇栄隊にしても文字通り自爆であります。陸軍では、肉弾三勇士と云う絵本が昔からありましたが、少年たちはあれを見て肉弾三勇士にあこがれて将来軍人になることを誓っていたものでした。一憶国民がすべからく同じような考えで、戦闘体制についていたことになります。戦争を仕掛けながら海外進出を図っていくという、これを以て植民地政策と云うものでしょうか、反省の弁を以て今日、日本政府と国民も深く反省し一体となって謝罪していますが、恐るべきは当時の日本の徹底した教育と洗脳の国策でした。    
    戦後七十年を迎えた今日、原爆の熱線にあった広島の惨状と、もだえ苦しむ人々の叫び、愚かな戦争に突き進んでいった日本の指導者たちの、いつまた亡霊が生き返ってこないとも限りません。軍国主義の恐怖を忘れかけてきた日本人は、またもやもと来た道を繰り返そうとする風潮が、最近一部に台頭してきています。東条英樹やヒトラーの如き人物が、英雄視されて突拍子に出てくることも無きにしも非ずです。遺憾ながら日本人の民族性にはそうした国民的特性があって、歴史上にもたびたび英雄的人物が国民の支持を得て台頭してくる傾向があるます。環境の変化がもたらす厳しい世界情勢をやたらと誇大に吹聴し、そうした動きが国会をむしばんでいく傾向があることも警戒しなければなりません。我々はそうした事柄に無反応になって、ややもすると自分自身を失いがちになりますが、個人も、社会も、国家も正しく冷静な判断のもと、誤りなき指針を目指して、周囲の環境と、時代に処していかなければならないと思います。そうした時、私の一つの信念に近い信条とするものがあります。それは複雑な関係の、多岐に亘る社会生活の中にあって、たゆまぬ努力のあとに示される一つの指針です。先ず情報の収集です。そしてその分析、真偽、正誤の確かな分析。次に判断。正しく判断すること。そして決断。決断したら速やかに実行するということです。勇気を以て実行することです。それの一つ一つに正確さが求められます。情報の収集、その分析、そして判断。決断。実行と云う順序です。小さい時から無意識に父に見習い、身に着いた一つの具体的な教訓で、今もって私の行動基準となって、自らを律しています。それを若い諸君たちに出来るだけ伝えていくように努めています。 
   若い諸君たちにと私は申しておりますが、私は常に年を気にかけないようにして、自分自身に言い聞かせていることは38歳の若輩、未熟な若造と、念仏のように唱えていることです。若さを保つことはそれ自身大きな努力が要ります。同時に男としていつも恋愛感情に慕っていることが要諦かも知れませんが、それなりに自信がありません。ゲーテは八十才になってからも少女に恋愛感情を持ち続けたと云われていますが、それほどでなくとも美しい女性を見て感じなくなってきたら男としてのむなしさ、はかなさをこれほどに感じないこと無いでしょう。そうした意識の持ち方があるとしても、其れよりも安寧の精神状態こそ必要と感じています。同時に、私が主催している短歌同人誌の創主ともいうべき大先生の会津八一の「学規」に記されている通りです。彼の青春に対する姿勢は、未熟に対する感興の広さで、努力の末の進歩を目指す修行と精進の道筋を語っています。彼の信条とする学規は、人生を意義深く示唆して深淵であり、素晴らしい教訓であります。その学規は簡潔に四つの言葉から構成されています。知っている方もいるはずですが、標榜しながらも、肝に銘じて実践している人は少ないかもしれません。未熟は魅力につながっていると考えています。未熟は、人間としての完成への道半ばを意味しています。私は、八一の学規の四つを、七月号の昭和経済と淵の月刊誌に載せて、各位に知らせています。八一の,日本一と称する流麗、優雅な墨筆のあとを堪能しながら、学規の意義を力強く身に植え付けようとしています。その実践のためには、先に述べた私の努力の五つからなる指針を重ねあわせて、成果をより確実なものとさせるべく努めています。

    炎暑に見舞われている終戦の八月十五日を迎えるたびに、戦争で亡くなった多くの犠牲者の霊を弔い、御霊の安からんことを願い、そして戦争の無い平和な世の中を作ることを願い続けてきています。 それは私の切実な願いであります。           続く              8月8日

一陣の風吹きすぎて立つ秋の涼しき節気を迎へけるかな

     季節の節目を表す日本の節気は、実に正直である。立秋を迎えたあたりから、それまで続いていた猛烈な暑さが和らいできたように感じられていた。お盆を迎え帰省客がどっと地方へ繰り出して、地方へ向かう交通機関はどれも満載気味で、故郷を目指して走っていく。先週の金曜日に自由が丘で会って暑気払いを済ませた友人のO氏は、故郷の金沢の実家に着いたところだと、律儀に連絡してきてくれた。お土産に差し上げた摘んだばかりの紫蘇の葉がとてもおいしかったと、奥さんが喜んでいらしたそうである。それを聞いて嬉しかった。家内がたくさん摘んで差し上げたものだが、包みの中に紫蘇の香りがして、帰省する矢先に郷愁を感じたらしい。日照りの激しい今年の夏であったが、水道のホースを太いものに切り替えたので、朝夕存分に水をかけてやることが出来、庭畑の野菜類は夏枯れせずに生き生きと、みずみずしく育っている。真っ赤に熟れたトマトも、おいしく食べてもらったに違いない。店頭で買えば安いものだが、家で作って収穫したもの出れば新鮮そのもの、天然の匂いと味があって、存分に味わって食べることが出来るはずである。紫紺のなすにしても、夕方撮採ったものを糠漬けにして朝の食卓に出すと、これを頭から丸ごとかじり、この味も、味わい方も最高においしいのである。使う糠には薄塩に、昆布や煮干しなどのだしをはじめとして味りんもあったり、、いろいろの賞味が加えてあるから、普通の糠とは違うから面白い。三井さんに教わったものだが、糠漬けのぬかの作り方は秘伝中の秘伝である。     8月13日

灼熱のほてりやはらぎ朝夕の涼しさにはや心細しも
   
涼しさの肌身にふれて物悲し熱き日差しの躍動の身に

こころよき夕日のかぜに立つ秋のそこはかとなく思ゆさびしさ
   
あさがほの夕べ涼しき風にふれ濃きくれないの色になじめり

さえずりに喜びみつる森にきて奥まに水のと聞くもさやけき       淵の合評会にて


短歌同人誌淵の会の合評会を8月11日に銀座のこぎれいな喫茶室で開いた。この間までは、銀座の資生堂パーラーで昼食をとりながら、第二火曜日に設けていたが、場所を変えてみたら、また違った気分である。熱心な同人に支えられて、難しい運営を続けてきているが、思いとこころざしの立派な人が居ることは素晴らしい絆の証しである。各位の名歌を淵に残し、歴史に刻んでいけることは恵まれていて幸福ものである。常々私が述べている言葉であるが、一首は小説に勝る内容を以て詠まれている場合がある。そうしてみると、私は三万首は読んでいるだろうと思うので、三万冊の書物を書き込んでいる、或いは三万冊の書物を読み込んでいると喝破してもいいと自認し満足している。めでたい人間かもしれない。



   今日の六時から日本の総理大臣の安倍さんが戦後七十年の談話を発表するということで、あと一時間三十五分しかないが、これについて今まで随分と時間をかけて論議してきたものである。国民もそうだが、談話の主役である時の総理は、もっと素直になって話しかけたらいいではないか。この談話は日本の国民のみでなく、広く海外の人たちが注目しているということだから、歴史の事実をとらえて深く認識したうえで戦争を犯したことを深く反省し、結果、日本の不戦の誓いと希望を持った内容にすれば理想的なはずである。その実績は戦後七十年を刻んできた鮮明な日本と、日本人の時間に刻まれているからである。戦場に立たず、戦争に参加せず、いわんや戦場で人を殺さず、ひたすら平和の実現を標榜して歩んできた、当たり前ながら躍如として名誉ある日本と、日本人の実績がある。そのことを訴え、世界にその範を示してやればいいだけのことである。サプライズなことを云おうとしたり、違ったことを云おうとしたり、間違ったことを云おうとしたり、あいまいなことで表現したりすると、物議を醸したりすることになる。先人の教訓をみならって正しい目を以て真実を率直に言えば、美しい日本から発した七十年談話となるだろう。                                 十四日午後四時半。


七十年が巡ってきた終戦記念日である。国策として遂行していった第二次世界大戦が、日本の侵略戦争であり、日本の歴史上かってない悲劇を内外にもたらして、人類が侵す愚行をわれわれの胸に刻みつけて、悔悟の念を呼び起こすまでもない。多くの犠牲が強いられて、いまだにその傷が癒えられないで、中国、韓国との間で相互不信の念がわだかまっていることは残念である。国内においても人道上の問題よりも政治的思惑で相対立している状況であるから、何とも難しく、愚かなことと嘆かわしく思うのである。しかし国益に適うか、そうでないかはともかくとして、戦争自体は人を殺し合うことであるから、残虐非道な反人道的行為であることは間違いない。これは何人も否定できないであろう。仮に個人がそうした殺人行為を犯したとすれば、法の裁きを受け、反社会的犯罪として極刑に当たり、法の裁きを受けることになる。それと同じである。否、むしろ戦争は国家の名のもとに、より多くの人間を殺し、これを是認する行為であるから、ヒューマニズムの精神から糾弾されてしかるべく、そのこと自体は極刑に価するものである。今でも世界のどこかで人が殺され、人を殺しているのが現実である。
    日本はこの七十年間そのことを肝に銘じて戦場に立たず、戦場に行かず、ましてや戦場で一人たりとも人を殺してこなかった。平和の日本国憲法の第九条に明記した戦争放棄の条文に従って、不戦の誓いを行っているからである。どこの国とも戦争をしないと、政府も国民も不戦の誓いをしている。だからと云って襲ってくる敵に対しては、敢然としてこれに対抗する権利までは放棄していない。つまり自衛権である。七十年のうちに国際状況が大きく変化して、日本の存立と国民の生命が脅かされるような状況に立ってきているという認識が政府内から起きてきて、集団的自衛権なる法律が作られようとしている。国際環境の変化と云うが、事を荒立てて云うほどのこともないと思うのだが、以前からそうしたことは云われてきている。それにもましてお互いの誤解を解いて話し合いの場を作る努力が必要だし、そうした努力がなされてきている筈である。その雰囲気をぶち壊すような意図も無きにしも非ずと云う感じがしている。そして実質的に憲法九条が侵されようとしている。七十年前のあの悲惨な歴史的教訓が、ないがしろにされようとしてきている。今日、その終戦の日を思い起こして、いろいろな考えが胸をよぎって、われながら黙念に過ぎた一日であった。もう考えることをやめて、ほかのことに専念したのである。それも深く思考する過程であって、別にあきらめたわけでもない。
   私は終戦の玉音放送なるものを、水戸から出ている水郡線で福島の県境に近い、さびれた袋田駅の駅頭で聞いたのである。山間の僻地にある駅で、真昼と云うのに誰もいない駅頭であった。暑い日照りの正午であった。ひまわりの大きな花が一本、激しく黄色い色を放って咲いていた。それだけしか印象にない日であった。二重疎開と云うべきか、水戸の疎開地から、又さらに奥地に疎開するという、生活を背負う母にとっては二重の苦しみであった。与瀬と云うところの村の一軒家から、空腹のまま二里の道のりを歩いて着いたばかりであった。どんな苦労をしてもいいから、家族一緒でいようと決心した母であった。人里離れた一軒家に疎開することは、もう無理だと思ったに違いない。汽車に乗って父と兄たちがいる水戸に帰えることにした。私は三歳年下の弟の手を引いて、母の手をしっかりとつかんでいたのである。8月15日のことであった。途中いろいろなことがあったが、何とか袋田駅にまでたどり着いた。木陰のベンチに座っていると、蝉が盛んに鳴いていた。ラジオが駅の中から聞こえていたのが、人の気配を感じることが出来て安心したのである。乱れたラジオから流れる音は良く聞くことが出来ず、疲れ果てた三人は、年老いた駅長さんに声をかけられて、ふと我に返るのであった。 思い出すのもつらいので、私は終戦記念日の今日の日、毎年のように書いていた考えを外して、別に記すことにした。

        少女たちの演奏会

   今日はいつも妻の英語の家庭教師を受けにくるあきほちゃんと、ゆきほちゃんが夏休みで遊びに来た。二人とも吹奏楽を趣味にしているが、ゆきほちゃんはギターを持って、あきほちゃんはトランペットを持ってきて、この日に私に演奏を聞かせてくれる約束をしていたのである。楽器はおばあちゃんに買ってもらったとのことで、贅沢な贈り物をしてもらってうれしくてたまらないだろう。おばあちゃんは可愛くてしようがない孫の為に奮発したことだろう。そこに久しぶりに私の孫の佳と麗ちゃんが見えることになった。仲間同士の友達で仲がいいので、今日は久しぶりに、またとない出会いである。そこに狩谷夫人がタイミングよく見えてくれた。家内が暇にしているなら料理作りの手伝いに来てくれる?と聞いてみたらしい。近所に住む狩谷さんとの交流も長く、三井さんと同じ、親戚付き合いの間柄のひとりである。こうして子供たちとの交流であるが、正直で純真さが言い知れぬ魅力である。思いやりがあって礼儀正しく、可愛い女の子と一緒に時間を作って遊ぶことが出来るのはラッキーなことである。お昼頃から夕方6時まで、自由自在な時間を過ごすことが出来て、私は有意義な終戦記念日を七十年目に持つことが出来た。麗ちゃんのピアノ演奏に合わせて、ゆきほちゃんと、あきほちゃんがトランペットとギターの演奏をして見事なハーモニーを奏でた演出に大きく拍手していたのである。気立ての優しいあきほちゃんと、ゆきほちゃんがそばにいるだけで心和む気持ちでいられるから、こんなうれしいことはない。時間が近付くいてくると、私の帰りを気にして勉強をしているようだが、おじさんの帰りが遅いね、と待っている様子を思い浮かべると、こちらも真剣になって帰りを急ぐのである。二人の子供の可愛い性格はもとよりだが、よくできたしつけを見ながら、親の教育のいかに大事なことかを深くこころにきざむのであった。 調子に乗った妻が独唱をして、子供たちにアベマリアを歌ってくれて、聴いている子供たちがびっくりしていた。意外と綺麗で高い声が出ているので、即席なのにかなりな水準を行っているなと、小生も感心して聴いていたのである。こうして意義深い終戦記念日を、違った形で迎え、心から殉死者を弔うのも、御霊を弔う方法かもしれないと思った。毎年のことながら、意見、思想の対立するグループが、それぞれの場所で気勢を上げたりして、自分たちの主張をあからさまにぶち上げ、亡くなった方々の霊を静かに弔うと云ったものとはかけ離れたものになっている。

我が宅におなごら八たり遊び来て歌ひ踊りて和みすごせり

夏休みお盆休みと重なりて語り興じて過ごすおなごら

おなごらのめんこい顔はそろひ咲く松葉ぼたんの花に似はひて

小奇麗に色とりどりに咲きにほふ松葉ぼたんに似合ふおなごら

あきちゃんのトランペットの吹奏に庭の小鳥も鳴きてさえづる

年ごろの同じめのこの六たりいておのこと同じように騒げり

はなやぎて夏の日差しに向かひ咲く松葉ぼたんのまなごらに似て

食べ物をつまみ遊びて又つまみこの時のみは自由なりしに

家に来るめんこいおなご揃い見えにぎはい過ぎて幸いなりき

学習にひいでし子らは好みもてトランペットを持ちて訪ねく

下の子はギターを抱へ姉につき演奏会を披露くださる

あどけなきおなごの所作に惹かれみて我れがわらべの時もかくあり

いたずらにギターを抱へ吾も又こころむさまを写真に撮りぬ

ともかくも戦後七十年のよわいひ経て平和日本の誉れ高きも

アベマリア歌うふ家内の独唱に聴きほれて皆こころきよめり

アベマリア歌ひつその名を呼び求めいとしみふかく胸にひびきぬ
   
いとほしきわらべと遊びおらが世もかくありけむと思いつるかな

終戦の日をことほぎて童らと煩ふこともなく遊びける

鈴なりのトマトの夕日に色づきてなほ完熟のくれない色に

完熟のトマトをもぎて童らが庭畑に立ちかぶりつきをり

下の子のりさとみさとの姉妹来て野原に遊ぶリスに似たるも

わらべらのあどけなきことかぎりなくこのさいわいのながらんことを

    8月15日


     旧友夫妻の来訪を受けて

先刻1時頃、高等学院時代のS友人から電話が入って、葉山から東京に出てきて今八重洲にいるので、君のオフィスに寄りたいと思っているが都合はいいだろうかと、ついてはどのように行ったらいいか教えてもらいたいという連絡であった。良く聞いてみると、どうも日本橋辺りを徘徊中とみて、それをもとに道順を教えてやった。目印として以前は八重洲富士屋ホテルがあったが、昨年の4月に廃業してしまったので、今は解体中である。以来、八重洲の鍛冶橋交差点近くにある商工組合中央金庫の本店の玄関を、専ら目印に教えることにしている。何度か携帯で連絡があって後、近くにきているらしいことが分かり、下に降りて外堀通りに出たらS君の姿を見届けた。久しぶりで懐かしく思った。S君は同期生の中でも、人柄がよく学友として信頼している友人のひとりである。著名な文学者であり、歌人である植田重雄先生を担任に持つ元・K組のクラスの仲間で、クラスこそ違ってはいたが、卒業してから同クラス会であるドフロ会のメンバーに加えてもらったりして、むしろ友達としての絆が強く、又個性の豊かな人たちばかりで大いに感化されること大なるものがあって思い出深く、小生にとっても親しくする友人を多く持っているのである。そんな深い縁だろうか、優れた歌人で短歌同人誌・淵を創刊した植田先生を担任の教師としていながら、クラスの中で歌を詠む人が居ないことがこれまた不思議と云えば不思議である。S君を手招きしたら、あとから奥さんもご一緒にきていることが分かってびっくりした。奥さんと会うのは初めてである。明るく感じの良いお方なので、嬉しくなって路上で挨拶を交わしたままオフィスに案内した。何はともあれ、わざわざ奥さんを連れ立ってともども訪ねて下さったことに、深く感謝したい気持ちでいっぱいである。
   仕事も丁度すいていた頃合いだったので、静かで明るい部屋で談笑できたのは幸いであった。S君は、同期会のドフロ会の幹事を務めており、同期会をよくまとめて今日まで来ていて、お互いの絆を保ってきているのも、S君の人がらによるところが大である。S君にはほかの友人には真似のできない含蓄ある趣味と云うべきか、研究心、冒険心、探究心を裏打ちするものを持っていて、いつも敬服していたことがある。 それは勤務先を定年退職して以来、世界津々浦々、特に東南アジアの国々を訪ねて、時には奥地に入って冒険心旺盛なところを見せている。本質をつかもうとしているのだろうか、その国と、民族、人々の生活に奥深く溶け込んで広く文化の旅を経験してくるということである。 そして単身現地に分け入ってともに、生活してくるあたり、おそらく実証的に観察し、理解しようとする姿勢があって、それが脈々として伝わってくるのである。表面的な観光と違うところが、また違った面で面白いのである。しかもそれを自然な楽しみとして身に着けているところに、彼の非凡の才能を感じて素晴らしさを覚えてくるのである。その旅先の様子を現地からインターネットを通して、生々しく、活き活きと伝えてきてくれるので、私はいつもその報告を楽しみにしてきた一人である。行くところが全て知られざる国であったり、民族であったり、村であったり、子供たちであったりして、さながら現地に立つような感覚で興味深くレポートを耽読したものである。一つの優れた信念と理念を持った行動であり、才能だと小生は思っているところである。
   たとえば、インドやタイの奥深い僻地を訪ねていく様子、そして自然とそこの住人と溶け合った幾日かを過ごしてくると云った、奇想天外なこともやりのけて、その様子を写した写真と共に詳細にレポートを送ってきたりすることもあった。そこには民族を乗り越えて人間として共通する価値観を共有する崇高な理念と云ったものを感じさせるもので、彼の人間愛に根差したものだと、私自身は汲み取っているのである。そしてそれは又、口には出さないけど、平和な環境と世界を求めているものだとひそかに思っているのである。S君の温和で飾らない表情からは、とても想像できな堅固でゆるぎない意思の持ち主であることもうかがわせるもので、友人として、はたまた人間としていろいろなことを教えてくれるものだと思っている。 そしてそうした活発な活動を支えてきた奥さんの姿にも、失礼ながら大きな関心を持っていた。彼をいつもそうした地域に送り出して留守を守ってきたはずであり、旅先の危険なども承知の上であるし、かねてから自由奔放な彼の行動を許してきている奥さんについて不思議に思っていたことであった。S君の奥さんは何か普通とは違った特別なところがあって、近寄りがたい感じの人かもしれないと想像していたのである。しかし会ってみて全く普通の明るい奥さんであることに、内心驚いて、しかも話をしているうちにすっかり親しくなってしまい、安心しきってしまう雰囲気で、会話も弾んで、たのしいなあと思ったくらいである。
  S君夫妻は葉山に住んでいて、奥さんは横浜育ちであることが分かり、家内と一緒、横浜のフェリス学院の卒業生であることも分かった。妹さんもフェリスだというのである。生年月日と合わせながら、しかも女房の姉もフェリス高校なので、確率としてきっと同級生かもしれないと、家内に電話をして聞いてみようと携帯を取ってみたが、留守電になっていたので適わなかったが、ますます親近感が湧いてきた。S君の奥さんはフェリス高校から慶応大学に進んだとのこと、家内はフェリスの短大から確か明治学院大に進んだらしいと話したところ、雑であいまいな私の説明に思わず失笑してしまった。こんな現場を家内が耳にしたら、しかられるところである。私は、女房がお互いに浜っこであることから、S君の奥さんの性格も、気さくで明るく感じの良い人柄がすぐにつかめたのである。
   話が弾んでいつの間にか二時を過ぎていた。まだ昼食をしていないというので一緒に済まそうと思って外に出た。すぐそばにあるカフェ・ドュ・銀座の店に入った。彼は東京にはあまり出てこないようである。街なかが随分変わったねえとびっくりしていたが、東京もど真ん中の銀座に来たからには銀座らしい店がいいと思って、きれいなこの店に入ったところ、店長が居て外堀通りに面した優雅な席を用意してくれた。円安と治安の良さで東京の銀座を訪れる外国からの観光客であふれているが、この店もご多聞に漏れず、人気のある店とあれば外人客が結構席を占めていてにぎやかである。席について好みの品をそれぞれにと注文したが、ここで上品なパスタを注文することに意見が一致、そして又楽しい団欒の時間を持つにいたった。この店は、私が日ごろ昼食を取りに来る店の一つである。


白熱 ・100周年記念の高校野球決勝戦  高等学院の朋友と

   ところで100周年を迎えた高校野球の熱戦は、今年の記録的猛暑が続くなか、試合は全国から集まった選抜校の対戦試合で、甲子園球場は連日の如く熱戦が繰り広げられて全国の野球ファンを沸かしてきた。幾多の名場面を演じながら青春のドラマを満喫して、今日がその決勝戦である。午後1時から東海大相模と、仙台育英の両校が激突する。S君と会っているこの時間にも、既に熱戦が始まっている筈であるが、気にかけていた試合の状況も忘れるほどに、朋友のS夫妻との歓談が熱く続いて、まるで家内もそばにいるような気持になって、妻同伴の同期会をしているような楽しい気分になっていた。高校野球は、好試合が続いている状況もすっかり忘れてしまった。強烈な打撃戦が続く高校野球であるが、ここまで来たからにはどちらも勝たしてやりたいが、全国一の栄冠を勝ち取る勝負の大決戦だから、非情かもしれないが、いずれかに軍配を上げざるを得ない。好試合の展開になっているかも知れないが、あれほど気にかけていた午後1時からの決勝試合をすっかり忘れていたのである。世評を含め、世の中が変な方向に向いているねと云うことについてS君との見方が一致していたが、それを打ち消すような高校野球の白熱した戦いは、今の日本が完璧とは言わないまでも、平和で安定した方向に向いている健全な姿に映って見えたのである。世界に冠たる日本の平和国家を標榜する姿を不動のものとし、以て世界にその範を力強く示していこうではないか。我々も青春の意気横溢し、高等学院時代の朋友と会って語り合った、これが結語であると信じたい。危険な風潮はいつの時代でも蠢いて台頭して来るものだが、国民の英知と不断の努力で、そうした動きをチェックする機能を働かせて行きたいものである。70年前に我われは戦争の未曽有の惨禍と、敗北と云う貴重な体験を積んで、廃墟の中から立ち直って今日の経済的な繁栄を築き上げてきたのである。これからも自信とゆるぎない信念とを持ち続けて国際社会に臨み、後世に教訓と資産を受け継いでもらわなければならないからである。 そんなことも話し合って3時過ぎにS君夫妻を見送って急いでオフィスに帰ってきたが、3人が来客中で私の帰社を待っていて下さった。 事務員が高校野球の熱戦について、8回表6対6の同点らしいと告げてくれた。結果は夕方のニュースで聞こうと胸を躍らせていた。  続   8月20日


    全国高校野球大会の優勝決定戦では、仙台育英高校に勝利の栄冠を持たせて東北の地に凱旋させたかったのが、私の偽らざる心境であった。東海大相模の奮闘は絶賛されるものだが、実力はまさに伯仲し、どちらに軍配を上げても遜色のないものであった。東北を襲った3・11の震災の爪痕がまだ癒されていない状況で、仙台育英が決勝進出を決めていったことで、東北の被災地の人々や、復興に懸命の人たちにどれほどの感動と勇気を与えたことだろう。 ましてや日本一の栄冠を以て故郷の地を踏むことになれば、負けた東海大相模の善戦を含め、日本全土がそのことを以てして、まきに湧きに沸いたに違いない。事務員が知らせてくれたように、最後の8回まで6対6で拮抗していたが9回の一振から東海大相模高校の打撃が爆発し勝敗が決まってしまった。劇的な場面であったが、全試合を通じて全国高校選抜野球大会は100年記念にふさわしい試合に観衆が沸きに湧いて幕を閉じた。
それぞれに試合で各校の選手たちは全力を出し切って、甲子園球場に感動の場面を残してくれた。歴史に残る名場面が続出した。球場に響くカーンと云う当たりの音の良さに胸騒ぎがして、あの快音がいたたまれない思いである。試合の一つひとつに青春を謳歌し、躍動感があって痛快だし。見る人の精神を鼓舞するに十分で有意義な教訓を与えてくれたのである。それは又、声援を心から送って惜しまなかった多くの観衆、サポーターにとっても、忘れ得ぬ良き思い出となったのである。優勝した東海大相模、それと名誉の好試合を展開した仙台育英、おめでとう。両校の選手たちの健闘を,心から祝福したい。  8月20日



          世界を震撼させた株式市場

私には猫の手も借りたいくらいに過ぎた慌ただしく多忙な日々が過ぎて、八月が終わろうとしている。連日の記録的猛暑も、地球温暖化による気象の異常を表していると、現代文明の弊害化に焦燥した日々も、立秋を過ぎたあたりから多少和らいで、今となっては秋の涼しさを感じて安堵するうちに、あの気違いじみた暑さもなかったかのように忘れ去られようとしている。古来からの、癒し難い人間の性急、且つ鈍重な性を見る感じである。

   それにしてもここ一週間ばかりの世界を震撼させた株式市場は、実にめまぐるしいものであった。24日のニューヨーク市場では一日の下げ幅としては過去最大の1089ドル42セントまで下げる場面もあって、大幅の上げ下げを繰り返した。東京市場も日経平均株価で一日の商いとしては過去最大の値付けを記録、1143円の大幅安を演じるなど、一日のうち1000円を超す幅で上下を繰り返し文字通りパニック状態であった。これを移して中国、ヨーロッパもリーマンショックいらいの、否、今までに経験したことのないよう衝撃を以て激浪のなか、世界の投資家を狼狽させ、震撼させた。心臓発作を起こす人もいて、多くの自殺者が続出したことは報道を待つまでニュースの報道を待つまでもない。もとはと云えば、強気を消す市場の傾向は、ギリシャ経済の債務危機から発したものであったが、それが解決を見た後、相場はしばらく落ち着きを見せていた。ところがそれよりも中国経済の減速懸念が大きく広がりを見せて影響し、先行きの不透明感が投資家の不安を駆りたてた。急落と乱高下を繰り返す株式市場の中、来社した顧客に見解を求められたが、私はこうした時こそ冷静に対処すべきと思うと云った。市場の動きを見て私は、膨張しすぎた世界の株式市場、つまり超金融緩和で行き場を失った巨大な資金の流れが、世界の株式市場に過度に流入し、いずれは今回の世界的な連鎖的株価急落が、インバランスの市場の状況のガス抜きをいずれ果たさなければ、株価の維持は健全性を失っていくので、その効果を果たす役割を一方で評価することも必要ではないかと私見を述べたのである。暴落前に運よく利益確定の処分をした投資家は別として、売り場を失った投資家は、こうした時こそ冷静になって、否、忍の一字に堪えて次の時機到来を期すことが大切だと述べた次第である。過去には世界的大きな相場展開とマスコミや、関係者の発言を報じた記事を取り出してみて、参考に読み返してみるのも、経済の本質的流れを掴み、敷いては株価の将来的趨勢を見抜くための一策だとも言ったのである。余裕があるなと、客人には皮肉られたものである。
   中國の最近の景気減速を反映して、当局によっていろいろと株価対策が打ち出されたりしてきた。株価暴落を防ぐために、政府が市場を管理せざるを得ないような、資本主義経済下の経済社会では考えられないような政策がとられるところに、先ず違和感を覚え、広く不信を増幅させる結果にもなっている。それが弊害となるときもあるし、大胆な政策の出動によってはプラス効果を齎すことにもなって、何とも即断できないが、透明性の確保がどうしても課題として残るのである。十三億とも十五億ともいわれる人口を擁し、中国の経済の大きさを改めて実感する思いだが、規模の大きさに呼応して中国内部に、今歴史的にも劇的な変化が進んで激動を遂げている時代的側面も看過できない気がする。ネットで結ばれた世界経済において、中国の経済、政治を含め中央政府の、国の統治力を問われている。昨日、今日と世界の株式相場を襲った旋風が過ぎて、マーケットがようやく持ち直すことが出来た様である。好意的に解釈して相場の出直りのきっかけは、アメリカが発表した好調な各種経済指標の統計であり、加えて連銀の金利引き上げの先送りを示唆する発表であったり、それらが株価持ち直しのきっかけを掴んだところが多い。資本主義経済の先輩、アメリカによって又もや世界の投資家はきっと安堵したことであろう。  
   国際社会の政治形態はそれぞれに変わっていても、今日の経済は広大な広がりを持って、底流として繋がっており、連携して生き続けている。だから大きく見れば、中国で起きたことは直ちに世界に及び、アメリカで起きた変化は直ちに世界に巻き返し、他国のマーケットに及び、経済の仕組みを揺さぶりあう関係に立っている。お互いに対立抗争する関係でなく、協調し連携しあっていく関係にあることを自覚しなければならない。大国の指導者は、常にそのことを自覚して、政治の舵を遺憾なく発揮すべき時代に入ってきている。見方を胆略的になしてはならないし、これからの外交を踏襲的な古い考え方で、見誤ってはならない。小異を捨てて、大同に付く関係の構築に努めること、それがへ共存共栄の、積極的平和主義でなければならない。単に表面的な事象を大げさにとらえ、国家の根幹に触れるような政策を軽々にとることをせぬよう、肝に銘じて行動を起こすことが大事である。
   特に中国の株式市場の安定化が注目されるところであるが、中国の株式市場の約八割以上が一般市民のシェアとなっているから、四割近い下落の被害は推して知るべしである。だからと云ってどうしようもないことだが、政府主導の市場操作で市民が参加してきたということになれば、不満が爆発する矛先は中央政府に向けられることになる。これは厄介なことである。投資の結果は自己責任と云う考えが当たり前の資本主義経済のもとでは考えが全く違っている。約一か月前のこと、浅草の富士小学校時代の女性のクラスメイトから久しぶりに電話があった。しばらく検査入院をしなければならなくなったが、持っている株式はどうしたらいいかと云う、これこそ難問の相談であった。昔から相場は相場に聴けと云う話があるが、幼な馴染の一人であるがゆえに、なにがしかの意見は云わねばならない。だけど自己責任の規範は守ってもらう必要がある。そのことを踏まえて、相場はかなり過熱気味で、アベノミクスで上げてきたからには、かなり持続してきている方だし、休息する場面もあってもいいのではないかと思う。一年前から思っていたことで今も変わらないが、つまり休むも相場である。君も例えば人間ドックに入って休むことだから、株価が心配ならついでに株の相場も少し休んでいいのじゃないかと、株価が満足な水準なら、半分ぐらい現金化するのも得策だろうし、欲をかいたらきりがないよと云って笑って返事としたのである。先のことは神のみぞ知るで、大げさにいうわけではないが、これこそ人知の及ばざる世界であり、世の中ことは先に何が起こるかわからない。一か月前の話だから、あれからしばらくして最大の瞬間風速が襲った感じだが、内外ともに大荒れに荒れた昨今の株式相場の展開である。売る人、買う人、思惑の交錯する渦の中だから、正確なところは判らない。
   暗黒の世界同時株安として、連日報道された恐怖の新聞紙面や、テレビ放送であったが、昨日、今日と市場は一転して急騰の反転する場面である。これでも悲喜こもごもの、獅子文禄の小説の題名から検索した、てんやわんやの一言の場面である。報道も、こればかりは責任を持てないから評論家のコメントを載せて逃げているが、その評論家も所詮あてにならないコメントをして、どっちにも転げられるようになっている。それが自己責任の範囲内で済ましているところは正しいに違いない。町なかを歩けば右に行く人、左に行く人、方角が自由さまざまの光景である。それでいて調和がとれて、落ち着くところに落ち着くのだから、これが自由市場経済の真骨頂なのかもしれない。ただしみんなが合意して決めた規範、法律をきちんと守って、混乱なく社会秩序を維持していくことが前提である。広く達観すれば、人類は戦争のない、お互いが節度を重んじ、自由な経済社会を楽しんで生きていきたいものである。社会の車が円滑に回っていくように、人々の生活が不安なく過ごせるように、矛盾から生じた弊害を除去しながら少しでも調和のとれた人間社会の構築を目指していくべきである。
  今日の東京株式市場は今、午後二時54分現在、542円高を演じているそうである。最近の8月24日当たりの高値の20、800円台辺りから一週間ぐらいで3、000円以上も下げた株価であるが、ようやく下げ止まり反発に転じて1、200円ほど戻したようである。激震の後の株価のことはまだわからないが、何となく下値確認が出来て人々の間に不安がが増殖せずに、ひとまずみんなが安んじて笑っているようである。今日のテレビ・ニュースでは、そして明日の朝刊紙では、おそらく、近くの東京駅前八重洲口にある証券会社のボードを見て安堵する投資家の様子が流れるに違いない。行き過ぎた値段の相場は、いずれ調整を受けて修正される。上げ下げは、いずれは均衡点を求めるための相場の常道である。あげれば下がる、下がれば上がるといった単純な思惑が織り交り、折り重なって形成されていて、短期の素性を形成しているのである。氏パイする日地は、全て短期の市場に参加して、思惑の世界で行動しているといっても差し支えない。そして政治の世界と同様、一寸先は闇の世界でもある。しかし事、株式に限らず、そうした中でも人間は、光明の差し込む世界を求めて進んできた歴史があり、これからもその努力が続けられていくことは確かである。これを個人にも当てはめていくべきだろう。しかしそこは、云うべくして困難な道のりである。人間の英知を発揮することが、課せられた責任である。                                             8月28日


2015.0807

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ