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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.22.3

  世界に湧き上がるロシア非難

   ドイツのヒトラーがポーランドに侵攻した光景を、今のプーチンに重ね合わせても驚くほど一致していることに戦慄を覚え、違和感を禁じ得ない。この時から第二次世界大戦がはじまった。プーチンは、現代のヒトラーをそのまま演じて恥じることをしないでいる。取り巻きも同じである。しかしロシア国民はこのまやかしに便乗してはならないし、扇動に乗ることはないだろうと信じている。ロシア各地で、反戦運動のデモが繰り広げられている。官憲がこれを押さえつけているのが現状である。

  ナチス=ドイツが開戦の理由として挙げたのが、ポーランド国内でドイツ系住民が虐待されていることであった。その保護を名目に掲げたが、虐待の事実はなかった。ヒトラーの大義名分は、ヴェルサイユ条約で失ったドイツ領を回復することであり、それによって東方への「生存圏」を拡大する意図から始まめた戦争であった。これによって第二次世界大戦が始まった。プーチンはヒトラーと同じ手法を用いてウクライナの主権と領土を侵すことになった。これは大きな過ちである。侵略者プーチンの意図について、習近平はこの目論見に反対せず、半ば支持を与えた。習近平の誤算かもしれないが、これも大きな過ちである。プーチンと習近平は、一蓮托生と思われても仕方がない。誤算は事態を悪化させ、知らず内に当事者を窮地に追い込むる麻薬である。

  EUとアメリカが打ち出した経済制裁は、かってないほどの厳しさである。G7に追随して日本も同様の制裁に踏み切った。プーチンの蛮行と侵略に対しNOを突き付けた岸田首相は毅然とした態度を示して立派である。日本は旧ソ連から第二次世界大戦の敗北の際、旧満州国、樺太、千島列島を侵攻されうばわれた。原資となる領土は、日本が買収ないしは侵略して得たもであるが、ソヴィエトに関しては、日ソ不可侵条約を一方的に破った国際法違反であった。ロシアの陰湿な風土、そこから気質、性格といった制御しがたい遺伝子が身についていることになるかもしれない。

  世界で反ロシア・デモが沸き上がってきている。ロシアの不当かつ大儀なきウクライナへの侵攻、侵略への反対を叫ぶ声である。ロシア国内でも著名人が連名で戦争反対を叫ぶ運動が高まってきて、その動向が注目される。国内の各地の街頭に繰り出された市民の反戦デモが行われ、警官隊と衝突し6000名以上の拘束者が出て連行されているという。

  両国の代表団による停戦協議が始まったが、双方の主張の隔たりは大きく、合意には達しないで次の協議を継続するとした。ロシアの提案は矛盾している。ウクライナの非軍事化と、中立化を挙げているが、中立国にも主権があるし軍事化するかしないかは、たとえ中立国を選んだにしても、国を守る軍隊を持つかどうかは、その国の意思決定によ依ることである。軍事攻撃を続けながら協議の場に就くロシアのやり方は、脅迫とだまし討ちである。まずは停戦して、ウクライナから軍隊を撤退させることである。首都キエフまで25キロに迫り、ウクライナに侵入する戦車や装甲車の車列が延々と続いている衛星写真がテレビに映っている。車列の先頭部分をミサイルで破壊し、車列全体を動けなくできないものか、いら立ちを覚えてくる。

  こうした協議をしている間でも、ロシアの攻撃は続いている。普通であれば信義を重んじて一時停戦であるべきだが、規律なき軍隊だとすれば戦闘をやめないで攻撃続行というわけである。動員した15万とも18万ともいわれる地上部隊が、更に増加してウクライナ領土に侵入して激戦が展開されている。子供や多くの民間人の犠牲が報告されている。血迷った吸血鬼と化したプーチンに、聞く耳はない。むしろ地獄絵の再現ともなりかねない核兵器の使用を、公然とちらつかせてきている。追い込まれていくと何をするかわからない。窮鼠猫を噛むということがある。自暴自棄になって共ずれにされたら、たまったものでない。プーチンの精神状態を疑問視する医者も現れた。

  ヒトラーも追い詰められて気が狂い、ピストルで自分の頭を撃ちぬいた。傍らに例えば原爆のボタンがあるとしたら、戦慄である。恐ろしいことは今のプーチンに対して、冷静に口説く人物が見当たらない状況だ。こうなると苛立ったプーチンがウクライナの兵士に向かって云った、クーデターを起こせという言葉を、プーチンの親衛隊や軍人にそのまま返すしかないかもしれない。プーチンを快く思っていない人物は沢山うろうろしているから。戦争反対と言って平和にデモを組む若い人たちの力が、正義と融和の大きな波となって膨れ上がり、官憲がひるむような状況が望ましい。
                                                3月1日

    梅一輪

  松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪の詠んだ一句に「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という知られた名句があるが、今朝、庭にある梅の固いつぼみが一つほぐれて花に開いた。純白に輝いて今にも、清々しさが立ち込めている。厳しい北風が続いていつもの年より気温が低かった今年は、梅の開花が遅い気がして待ち遠しかったが、ここに、三日の手の裏を返したような温かい日が続いて、ふと梅の一輪が開いたのを見届けた。嵐雪の一句ではないが、梅の花が咲いて陽気が暖かくなっていくのか、暖かくなってきて梅の花がさくのか、そんな感興を覚える 美妙な季節の節目である。それと日にちによって寒暖の差が激しいこともこの頃の特徴である。三寒四温ともいうように、花も惑わされようである。惑わされながら、数えるほどに少しずつ花が咲いてゆくのが、何とも奥ゆかしい感じである。
「今日よりは明日咲く花の少し増え」 明日はひな祭りである。さて、どんな感じかなと思う、時の刻みである。                  3月2日

    オランダ・ハーグにある国際刑事裁判所・ICCが2日、2月24日に開始したロシアのウクライナ侵攻などを巡り、戦争犯罪が起きている可能性があるとして、捜査を開始すると発表した。

 ICCは、2014年のロシアによるクリミア併合や、親露派武装集団とウクライナ政府の東部地域での紛争について、予備調査を行ってきていた。捜査の指揮を務めるカリム・カーン主任検察官は声明で、「過去や現在も含め、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド(集団殺害)の捜査を行える」と述べ、現在進行しているロシアによるウクライナ侵攻も、明らかに捜査対象とするという方針を示した。手早くプーチンの罪状を列挙し、重大な犯罪性を明らかにして対応すべきである。

  ICCが動いたことを以て明らかなように、ロシアのウクライナへの侵攻はもはや人道上の犯罪行為を犯しながら他国の領土を侵略しているもので、断じて許されるものではない。十五万からの地上軍を国境に集結させ、一方的に軍隊をしてウクライナに侵略行為を敢行した。空と、陸と、海からの物量的猛攻である。二日間で首都キエフを陥落して、ウクライナに白旗を上げさせるつもりでいたプーチンだが、予想せぬ抵抗にあい、ロシアの戦車や装甲車の車列がキエフ攻略に進むことができず、車列は延々と65キロにも及んで滞留しているとのことである。こうした中、焦るロシアはミサイルをキエフの民間施設や住宅地域にも激しく打ち込んで、無差別の攻撃に踏み込んでいる。白煙を引いて飛ぶミサイルが、キエフの市街地の高層マンションに激突する様子の映像が象徴的である。これを見れば、プーチンに従うロシア軍の冷血暴虐振りがわかる。

  プーチンはウクライナの精神性、民族性を侮辱している。仮にキエフを制圧しても、例えばウクライナを占領しても、後の統治に最大級の難関が待ち受けている。ウクライナの人々の心まで制圧することは出来ない。戦車に向かって丸腰で立ち塞ぐ老人を見たか、戦車は動けないでいる。ロシアは今厳しい言論統制に置かれているから、各地で起こる市民の反戦デモの情勢が封じ込まれている。ロシアの市民が目を覚まし自分たちが今行っていることは悪魔の手に操られていることを知ることである。そして立ち上がることである。

    プーチンはウクライナを占領し支配下に置き、中立化し、非武装化を図ることをして自国の安全保障を図ろうとしている。しかしプーチンの思惑は妄想から出たものであり、執着から出た被害妄想の域を出ないし、事実誤認に立っている。30年の専制的独裁にも等しい権力の座に就いた者の異常な精神構造によるものである。周辺に意見を申すものが皆無であり、聞く耳をもたむ者の悲劇である。居るとしたら消されている。もはや習近平の助言にも耳を貸さぬかもしれない。そうした中、今日も双方の代表団が協議を開始した模様だが、双方の主張の隔たりは大きい。

  驚くべき情報が入ってきた。ウクライナの東南地区にあるウクライナ最大のザポリージャ原発が攻撃されて、施設の一部が破壊されて微量の放射能が検知されているという。無差別攻撃は、狂人の手にわたってしまうと、尊い人命の軽視、犠牲は言わずもがな、世界に対して壊滅的な破壊行為に及んでくる。

  ウクライナの現状に鑑みて、プーチンの攻撃を止めるには戦場での進軍不能を知らしめることでショック治療が必要である。実戦地に於いて至近的には、戦車に対しては肩にかけた精密な対戦車砲、そして空からの戦闘機に対しては地対空高射砲を装備することである。地上部隊の侵攻を防ぎ、空爆を避ける効果がある。更にはミサイルに対しては、出来れば迎撃砲の発射などが可能である。すでに備えられているかもしれないが、更にこうした武器の供与を支援国から受けることが急務である。すでに草臥れてきているロシア兵の戦意を喪失させることである。 

プーチンの喉もとを炸きミサイルを撃ち込む術のいずこあらむや 

乳飲み子を抱き避難する母の手に敵打ち倒す銃も抱へり

プーチンのし仕掛く戦争の大儀なく鬼畜と化せる独裁者なり

暴君の下に仕えて蒙昧の虐げられし民衆のあはれ

吸血鬼ドラキュラに似たレーニンの幼き子らの首にかみつく

ウクライナ女性の無絵にかみつきて生き血をすする悪魔レーニン

戦場の廃墟に夜ごと出没す狂暴の影ドラキュラレーニン

硝煙のキエフの空を列をなし低空で行く敵ヘリコプター

空と地と海から攻めるロシア軍これに抵抗すウクライナ市民

軍隊を即時撤退が必須なり他国占領のロシア部隊ら

戦争に勝者なしとは至言なりプーチンの顔見れば確かに  3月4日



   更に侵攻するロシア

  悲しいかなウクライナの主要都市が戦場と化している。三日でキエフを陥落すると豪語していたプーチンだが、2月の24日の開戦以来13日が経過したが、投入された19万の軍の戦車部隊は必死に抵抗するウクライナ軍によって前進を阻まれ、立ち往生を余儀なくされている。三方向から攻めるロシアの猛攻によって、軍事施設はもとより、責めてはならない民間施設や住宅地にまで猛火を浴びせている。多くの犠牲者が出ており、更には173万人ともいう避難民が国土に放浪し、活路を求めている。廃墟と化したがれきの間を、極寒に耐え、食料を渇望し、安どの地を求めて家族が離散し、戦火の攻撃の下をかいくぐっている。テレビに映る映像は、血相を変えながらロシア兵が空から地上から民間人を容赦なく撃ち殺していく様は、息が詰まるほどに見るに堪えかねない。

  冷酷だが、戦争は軍人同士の殺し合いであり、民間人に的を絞ってはならないのが原則である。にもかかわらず、ロシアの軍隊は、老人子供を前に容赦なく砲火を浴びせ、無差別攻撃に出て、屠殺場に連れ込んだ牛馬を扱うがごとく殺傷してはばからない。まるで地獄絵に暴れる鬼どもに等しい。捕虜となったロシア兵は、プーチンの命令できたと云い、よく見ればまだ少年の顔である。30年もの権力の座に座り、己が権力と蓄財に時を稼ぎ、強欲のさまはついには善良なる市民を戦場に駆り立て、平和に住む庶民を追い立ててその領土と物財を収奪し、なおも強欲の果てを尽くさんとする暴虐ぶりである。愛国心から出たかもしれない政策は、いつの間にか広大妄想化して、昔の大ロシア帝国時代の再来を追求する思想に転換したのだろうか。だとすれば、それは間違った価値観と、世界の現状認識の錯誤であり、思想的にも実際的にも受け入れられるものではない。いよいよ孤立の道をたどることになる。  戦争によって親を失った子供が一人、故郷を離れて1000キロという避難の道のりを泣きながらたどり着いた姿に胸が引き裂かれる思いである。零下を越す空の下、200万人にも及ぶという避難民の被害が大きくならないことを祈り、話し合いでの解決の糸口をつかむことができるよう祈るばかりである。 戦争に、勝者はない。 3月7日

原油の暴騰


  原油価格が暴騰している。ニューヨーク市場では1バーレル138ドルを付け恐怖に近い。産油国は莫大な利益を上げるが、原油の井戸を持たない輸入国は全ての産品のコスト上昇につながり、経済的ダメージは計り知れない。日本などはその顕著な事例になる。原油の輸出国に転じているアメリカはもとより、ロシアにしても原油高騰の恩恵は莫大である。強力な経済制裁を受けていてもロシアの、ウクライナへの侵攻に強気の姿勢を崩さない原因の一つに、原油の高騰が挙げられている。

  価格高騰は原油だけではない。世界の鉱物資源が、高騰を続けている。これが製造原価を押し上げて、あらゆる分野で物資の価格高騰が連鎖し、消費財につながって家計を圧迫してきている。制御が難しいインフレの兆候である。アメリカがロシアからの原油輸入を停止したとして、EUをはじめとする資本主義国に協調を求めても一致するはずがない。日本はそのよい例で一概に賛成にも踏み切れない。一次産品はもとより、あらゆるすべての製品に影響を及ぼし、経済に与えるダメージは計り知れない。                3月10日


 ロシアルーブルの急落

  世界の、国際的通貨の役割は、大きく二つの分けられる。一つは国と国との貿易の決済手段としての役割であり、一つはそうした時の通貨価値を表示する役割である。かっては英国のポンドが基軸通貨として認められていたが、現在は米ドルが世界の基軸通貨として信任され決済手段として使われている。決済と同時に、通貨の価格表示は、ドルによって行われている。つまりドルは、基軸通貨だからである。

  かってロシアのルーブルは、米ドルで6ドル台を付けていたかと思うが、ウクライナ侵攻を始めてからルーブルの価値は下落の一途をたどっている。米欧の国際的な経済制裁によってロシア経済の弱体化が危惧され、最近まで米ドルで14ドルしていたルーブルは、取り引き停止に追い込まれた。二日間後の取引開始のルーブルは急落は止まらず、一時20ドル水準に下落、三分の一になってしまった。ルーブル紙幣で保持していた人は三分の一に財産を減らしていることになる。ドルの通貨でお金を持っていた人は、難を免れて、財産を減らさずに済んでいることになる。自国の通貨は対米ドルで通貨の価値を表示されているがゆえに、その国の国力を表しているし、国力とは、経済力をはじめ富の表示であるから、GDPをはじめ軍事力とかを含め資源力、生産力、教育的水準とか、総合的判断で決定されるものである。それを裏付けるものが購買力である。それが経済指標の短期的変動を以て表示されるのが常である。  以前はロシアユーロでリンゴが三つ買えたものが、今では一つしか買えないということである。お金の価値がそれだけ減ってしまったわけだ。これではたまったものではない。

  ウクライナに軍隊を送り込んで戦争を仕掛けたロシアはいま、世界から非難を浴びている。 国際的制裁を受けているロシ・アルーブルは、国の信認を落とし9日の国内取引で、対ドルと対ユーロで最安値を更新した。ロシア当局は景気支援やハードカレンシー(国際決済通貨)確保に向けた対策を取っているが、ウクライナ侵攻を受け新たな制裁が重しとなっている。

  2日間の休場後に為替取引を再開したモスクワ取引所のルーブルは、対ドルで120.83ルーブルまで下落。終値は前営業日4日と比べて12.5%安の120ルーブルで終わった。対ユーロでは6.3%安の127ルーブル。一時、131ルーブルまで下落した。この間ロシア当局も懸命に下支えを行っているはずである。オフショア市場のEBSプラットフォームでは、対ドルで138ルーブルと5.8%下落した。

  欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は9日、ロシアとその同盟国ベラルーシに対する新たな制裁措置として、さらに14人の新興財閥(オリガルヒ)をブラックリストに載せ、ベラルーシの中央銀行と3つの金融機関との関係を凍結することに合意したと発表した。モスクワ取引所の株式取引は、2月25日を最後に休場が続いている。 ロシアの金融市場は、とんでもない展開に見舞われている。 ロシアとプーチン政権では、ウクライナへの軍事侵略と、経済制裁の影響への抵抗との綱引きがいつまで続くかである。  3月10日


    東京大空襲

   3月10日は七十七年前の今日、東京の下町の夜は、上空を旋回する無数のB29爆撃機から雨あられと投下する焼夷弾によって火の海と化し、まさに生き地獄の様相だった。その時帝都の東京を守らんと父は浅草の猿若町に一人残って頑張り続けたが、猛烈な火炎に耐えられず、言問い橋を渡り隅田公園の牛島神社付近の防空壕に逃れた。小生はk族とともに水戸の市街地に疎開していたが、その夜、南の空の大部分が大きな火の玉のように燃え広がって、火炎がますます大きく広がって身の上空までに寄せてくるようだった。米軍の空襲に遭っていることは確かだが、まさか東京がB29 の猛攻撃に在っているとは夢にも思わなかった。おそらく常磐線の利根川を渡った土浦あたりかとも想像していた。父が、B29の猛爆を受けて火炎の下を逃げまくっているということが分かったら
いたたまらない気持ちでいたかもしれない。何はともあれ情報不測のことゆえ、父の無事と安泰を祈るばかりであった。
  
  太平洋戦中のさなか敗色の色濃い運命を直前にして、首都の東京は米29爆撃機による未曽有の焼夷弾攻撃にさらされた。当初の爆撃目標は、軍需工場や関係施設であったが、昭和20年(1945)に入ると一般市民への無差別爆撃が目標となった。国民の戦意を失わせることを目的として、大都市への焼夷弾絨毯(じゅうたん)爆撃が本格化していった。そして昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲では、B29約300機が浅草、隅田、江東地区へ超低空飛行で飛来し、約2時間半の爆撃で10万人におよぶ犠牲者を出した。無力化し戦意喪失のわが軍の反撃は云うに及ばず、無抵抗の市民を無差別に殺傷し、敵軍の成すままであった。まる焦げで無残な死に方を強いられた市民の焼死体が山と重なって焦土を覆いつくしたのである。

  黒焦げで蒸し上がる死体が累々として言問い橋を遮断し、逃げる行く手を遮った。防火用水に防空頭巾を浸し、渦巻く火の手を防ぎ、途中でまたも水をかぶり襲う日の手を防ぎながら倒れた死体をかき分け言問い橋を渡り切った。隅田川の川面には黒い姿態が水面を覆い、溺死寸前でもがく人もたくさんいたが、救うことができなかった。隅田川が激しい熱風の抜け道になって橋から川に飛び降りて沈む人がたくさんいたB29の猛爆の中に容赦ない機銃掃射の音もあったりした。不幸にして弾に当たり、倒れて川に落ちるものまでいた。背中に火をつけながら、朦朧としてふらついていく人もいた。まさに生き地獄である。父の記憶は確かであった。

  3月10日は、私にとって苦渋の思い出の日である。戦火と銃砲に怯えながら知らない土地を転々として逃げ、何の因果か知らないが、とりわけ母と弟と一緒に人知の及ばぬ山奥にまで逃げ込んでいったりした思い出だけが残って、恐ろしさと悔恨の念が今に続いている。逃げまくっていた挙句に、水戸の夜間空襲に出食わし、ぱらぱらと落ちては破裂する焼夷弾を避けながら、家族が手をつなぎながらの逃避行であったがゆえに、一家全滅を避け無事を貫くことができたのは、神のご加護の一語につきる。街なかを通り抜け郊外の千波湖の手前の洞窟に逃げ込んで九死に一生を得たのである。父は東京の大空襲に遭い、水戸の焼夷弾空襲にもあったりして、心身ともに疲れ切っていたに違いない。

   線香花火は好きだが、大きな打ち上げ花火は嫌いである。大きな打ち上げ花火を見るくらいなら、満天の星の輝きを眺めるほうが比較にならないくらいの魅力を覚えている。東京大空襲の惨状を今に伝える人も少なくなて来た。蒸し焼きになり、丸焦げになった犠牲者が、空襲後の焦土に沢山くすぶっていた光景は、少年の胸に焼き付いて思い出すたびに合掌する癖があるくらいである。いつの時代にも過激的になり狼藉を繰り返すリーダーが性懲りもなく現れてくるものである。 その手に、国という概念がちょくちょく利用されがちであるが、国が大事か、個人が大事か、少なくとも個人が国の犠牲になるようなことがあってはならない。人間の尊重とヒューマニズムの精神の涵養に努めるべきである。これは普遍的な原則である。   3月10日

    悲劇を繰り返すな

   ウクライナからロシア派即時撤退すべきである。ウクライナを侵攻し、侵略の砲火を浴びせて首都キエフに迫っているが、即時停戦、侵略者のロシア軍は撤退すべきである。ウクライナがロシアに対し軍事的挑発をしたことがない。ロシアが大儀なき戦争を仕掛けてロシアの領土に侵略し空と陸から重砲火を浴びせて一方的に攻めまくっている。しかも攻撃は市民を含む無差別であり野蛮行為である。ウクライナは防戦に立ち向かっており、しかもロシア領に対し一発もの弾を撃ち込んでいないではないか。ウクライナでおびただしい犠牲者が出ており、ウクライナから避難する難民は今日現在169万人ともいわれている。国連高等弁務官の発表である。血迷ったプーチンは反省して、ウクライナから一刻も早く撤退すべきである。獅子身中の虫が、プーチンの心臓をむしばんでいくに違いない。悪事を犯してやまぬ輩には、神の鉄槌が下されるべきである。

   士気旺盛なウクライナ軍隊であるが、軍事力の差は云うべくもない。市民が、女性たちまでが立ち上がって、ロシア兵に対抗しようとしている。鬼畜化した暴虐無比のプーチンに従うロシア軍は、即時撤退せよ。祖国を守るウクライナ兵士やその家族はもとより、侵攻したウクライナ領土で、ロシアの戦車隊の戦闘員や、領空侵犯の飛行士も又無残に命を落としていることでもある。仕掛けられた戦争のために、罪のない無防備の女、子供が凶弾に倒れ、凍てつく山野の逃亡を余儀なくされ、引き裂かれている家族の惨状を考えたらどうか。両親と死に別れ、難民の中に交じって、頭巾を深くかぶった少年が、袋を下げて泣きながらあてどもなく歩いてゆく姿を、あまりの非情さに見つめることができない。罪を重ねてやまぬ輩たちよ、地を好む吸血鬼よ、この地からとっとと消え失せろ!。

  十字架にかけられたイエスは、「神よ彼らを許した給え、彼らは何をしているかのか分からずにいるのです」と云っておられた。そして、罪深き彼らに悔い改めるように諭したのである。神のご意思に逆らってはならない。何人といえども、悪事を以て人を裁き、殺めてはならない。裁きは正義の下で裁かれるべき出る。戦争を起こしたプーチンは、神に裁かれるべきである。すでに何万人とも知れぬ人たちをあやめ、苦しめている罪状は大きい。     3月9日

庭畑の耕作

  親戚以上の付き合いをしてお互いに手助けをしているご近所の三井さんが申すには、等々力の地で代々農家を引き継いできている人ならいざ知らず、新規に住宅を建て樹木を植え、庭の一部をこれほど広く畑に供して菜園を楽しんでいる人は見かけたことがない、贅沢極まりないという評論を頂いている。小生としては若気の至りで、もっと広く土地を希望していたのだが、最初からこの場所にしかこの広さの土地を求めることが出来なかったので、致し方なかったのである。横浜の山手の住宅地は260坪ほどあったので、そこに普請を計画したが、東京の八重洲までの通勤となると国鉄で行くならまだしも、時には車で通勤となると相当の時間を要することにもなる。横浜を断念して等々力5丁目に所在の平屋の木造建てで土地の広さは157坪あった住居に居を移したのである。東北の角地で、環境抜群の住まいであった。南側は地元の大地主が持つ800坪ほどの雑木林で、おのずから軽井沢の清冽な趣きである。移り住んだその土地も借地であったが、地主は大平さんであった。

  実家の浅草から母が訪ねて来た時には、まるで軽井沢に来たようね、と顔をほころばせていた。横浜からも妻の母が訪ねてきたし、桜の花びらが広い床の間付きの和室に舞い込んでくるときの、二人でとった写真が懐かしく思われる。俳句の師匠をされていた方のなので、奥ゆかしく贅を尽くした日本的な家作だった。求めずして授かった幸運である。鶏の白色レグホンを三十羽かって、放し飼いで飼育したのもその時であった。心身ともに健康な生活であった。私たち夫婦はもとより、子供たちは土の上で素足になって飛び回り、草木の影で昆虫を知り、自然の中でのびのびと生活し学んでいった成果は、喜びとともに計り知れないものがある。

  何とかして地主の大平さんから底地を譲り受けたいとお頼みしたが叶わず、等々力の高級な住宅地で5年ほど自由気ままな田舎暮らしをさせていただいた。気分はまるで仙人のような心境になることがあったくらいである。等々力のど真ん中でポツンと一軒家といった生活であっった。しかし借地はあくまで借地であり、借地権があるとはいえ借りものであることに変わりはない。このあたりに所有権の土地の売り物はないかと内々に探していたが、なかなか見当たらなかった。というのも平屋も広かったので子供たちは我が世の春とばかりに家の中を暴れていた故損傷が激しく、風呂おけも崩れて壊れてしまったくらいで、家を建てかけたいと思っていた。だったら自分の土地に家を建てたいと思うのが人情である。借地の底地を分けてもらいたいと地主にお願いしたが、代々持ってきている財産なので売ることができないということであった。思い余って下高井戸のあたりを甲州街道を渡ったあたりの閑静な場所を見つけて土地を買ったが、子供を連れて行ったところ嫌だというのである。そうしたら近所の小出さんの奥さんが知らせてくれた土地があった。近くの農家のKさんが所有している百坪ほどの畑である。近所なので見に行ったら気に入ってしまい、売り止めになっていたのを三顧の礼を尽くしてお願いした次第であった。 縁ものとはいえKさんには感謝している。    3月14日

深夜の地震

  12チャンネル・テレビ東京で10時から始まるWBSを有意義に見終わったあと、スウィッチを4チャンネルに切り替えて引き続き内外のニュースを見ることになっている。重複する場合もあるが、まじめなニュースなので全く差し支えない。テレビ東京は身内がアナウンサーを務めているので、約1時間の間一言一句、聞き逃すことなく映像を見ている。4チャンネルは有働さんが出ていてひたし身を感じてみている。ニューヨークで娘の結婚式、披露宴にも出席してくださり、披露宴の後でも楽しく親睦の会を過ごした思い出がある。

  有働さんのニュースを見ていた時に突然大きな声で彼女が、地震警報です、と云う注意を促す放送の二、三秒もしないうちにゆらゆらと家が動き始めた。 11時36分頃でかなりの揺れに不安を感じながらも東京では震度は3若しくは4と思いながら冷静に対処し、家内と二階に登ろうかとさえ思っていた。揺れが大きく長い時間が経過しているので、またもや東北地方に起きたものかと感じていたが、震源地はやはり宮城県沖、地下60キロ当たりと推測された。震度6強の大きい規模のものである。幸いその後の余震はなかったものの、インフラの損壊などが生じているに違いないと思っていた。気がかりは、東電の福島原発基地の状況である。異常がなければ、幸いである。見上げた空には明るい月がかかっていた。うっすらとオリオン座が薄い光を灯していて、四角い輪郭と三つ星がはっきりと分かった。我が住む地球を取り巻く広大無窮の宇宙を、如実に感じていた。

  世界を二分して立派な実力者かと思っていたプーチンが、間抜けな病が嵩じて、こともあろうに他国に侵略行為を起こし、戦争をおっぱじめたことは何とも愚劣極まりない行為で、気が違ったかと思われる。侵略を受けた隣国のウクライナでは、愛国の志士たちが、ロシアの物量的膨大な軍事力に対抗して、守備に回って連日奮戦しているが、ロシアの思惑は外れすでに三週間が経過しようとしている。ウクライナの首都キエフは戦闘開始後二、三日にして陥落するものと思っていたプーチンは大きな誤算であった。強烈なウクライナ軍隊や市民の防衛意識の抵抗にあって、戦闘部隊の侵攻が進まず難儀しているようである。苛立つ挙句に無差別攻撃に出て、軍事施設ならず、住宅地にミサイルを撃ち込み、病院や学校にまで甚大な破壊行為を行い、人間の殺戮を行っている。

  プーチンは長い間政権のトップに就き、贅沢なクレムリン宮殿に住み、ひたすら私財の蓄積に翻弄し、権力化し独裁政治をして民衆を弾圧してきた。市民重視の厚生的政治を怠ってきた無法者である。飽き足らずになお隣国に侵略し、領土、財産の略奪をたくらむ輩の素性をさらけ出した。ウクライナはいわば小国である。プーチンは私物化した軍隊を使ってウクライナを侵略し、冷血にも女子供を殺傷し、地獄、焦土と化した他国の領土を蛮力で奪おうとする野蛮的発想だから、非情冷血ぶりは極まるところを知らず、21世紀に現れた妖怪そのものであり、そのまま地獄に叩きこんだほうが正義である。

  ウクライナ大統領や市民のこと、熾烈な爆撃を受けていること、混乱した生活の窮乏と戦闘状態のこと、200万ともいわれる難民の非難状況といったことなど、もろもろの動向に気を奪われて憂慮しており、連日の如くテレビではそうした映像を繰り返し見ているものだから、腹が立って憤りを禁じ得ないでいるので、興奮的になって安眠の妨害にもなっている。その上に、この地震である。 己の肉体の神経のバランス感覚を鍛えておかないと、緊急事態に対応できなくなるから、要注意である。     3月17日

  

    悲惨な状況となる避難民

   戦火を逃れ家を失ったウクライナ市民の難民が増加の一途をたどり、悲惨な状況となってきている。国外に避難した住民は300万人を超し、国内を移動して避難している市民も合わせると1000万人以上に達していると、国際避難高等弁務官の発表である。零下10度にもなる寒さと、食料不足が深刻である。破壊されたインフラで、医療体制はいわずもがな、犠牲者も多く救援の手が届かない状況である。焦るロシア軍は無差別攻撃を激化させ、病院や学校までの公共施設に及んでいる。市民が避難する劇場にミサイルを撃ちなど残虐行為まで行っている。1300人余の避難者がいて130名余が瓦礫の下から救出されたが、以後の状況は分かっていない。高齢者、女、子供たちが多く避難していた。

   第二次大戦で敗戦の色濃くなった日本に対し、突如宣戦布告した旧ソヴィエトは満州国に侵攻し、加えて南樺太と千島列島に軍隊を進め領土を略奪した。日本は旧ソヴィエトとは不可侵条約を結んでいたが、敗色濃厚な日本に対し条約を一方的に破棄した攻撃であった。攻撃は凄惨を極め領土をはく奪しながらあらゆる物財を強盗の如く略奪、殺戮を行いながら婦女子の暴行、拉致をはじめ盗賊の成すさまは鬼畜と化し想像を絶したといわれている。捕虜となった兵士は多くが極寒のシベリアに送られ、強制労働を強いられて命を落としていった。暴君とその家来の成すさまは、ウクライナで今行われている侵略と攻撃でも現在受け継がれてている。そしてプーチンが号令して戦場で行っている行為は、旧戦犯の東条英機、ナチスのヒトラーと、スターリンのやり方をそのまま踏襲しているから恐怖である。強権的独裁者に共通しており、国民に圧力を加え自由をはく奪している。

  世界の平和と秩序を維持して行くには、力によって既存の秩序を一方的に変更、排除しようとする一部の勢力を不可能とする体制を、国際社会が連帯して強固に確立することである。二世紀前までに横行した帝国主義的な思想と発想が、今の時代に亡霊の如く現れてあからさまに残虐な侵略行為を行っていること自体が摩訶不思議な事柄で、信じがたい出来事である。そしてそのことが白昼公然と行われて、国際社会が抑えきれないでいることがもどかしく思えてならない。人類は過去の歴史を通じて、権威主義、強権主義、独裁政治に如何に苦しめられて生きたかという教訓を深く経験し、痛いほど聞かされて来ていても、勝ち取った市民社会を根底に自由、民主主義社会がいかに脆弱なものか、こうした体制を堅持していくことがいかに難しいか知らされた課題であるが、我々はたじろぐことなく敢然と、こうした社会的にネガチーブな風潮に立ち向かっていかなければならない。

   旧ソヴィエト連邦が崩壊して多くの衛星国が独立して主権を勝ち取ったが、その後のそのロシアが軍備増強に偏向し、共産主義的思想を活用してほぼ一党独裁政治を敷いてきて久しい。NATOが存続し経済発展していく中で、対峙したワルシャワ条約はソヴィエト解体と同時に亡くなってしまい、衛星国の多くが旧ソヴィエト時代の搾取的国家体制を恐れ、その亡霊から離れていくようになった。そしてロシアの狡知的支配の反撃を恐れ、民主的政治に傾斜していくために自国の安全を期してNATOに加盟する諸国が増していった。権威主義、強権主義を以て体制維持を図るプーチンは、それを己れ自身と、己を支える体制維持と、尚且つ離れていく隣国が自国への恐怖ととらえ、都合のいい口実にとって隣国のウクライナに侵略の野望を手に掴んだのである。

   21世紀に及んだこの今、ウクライナ侵略を起こした凶悪無謀なプーチンとロシア軍の行動を見るにつけ信じがたき状況だが、ロシア国営テレビに入り込んで、「NO WAR」と手書きのプラカードを手にして映った勇敢な女性が云う通り、この戦争は「プーチンという一人の男によって仕掛けられたもので、多くの国民は戦争反対なのである」ということも真実の一つである。しかし不幸にしてそのプーチンの狂暴を止めることができないでいることも真実である。多くの市民がロシアの無差別猛爆の犠牲となっている現実と、難民の数が毎日のように増え続け、400万人もの難民が酷寒の空の下で疲労と飢えに苦しんでいる現状は、あまりにも非人道的であり許しがたいものがある。慈悲と寛容と愛を以て難民を受け入れている、近隣諸国の消耗も看過できない。

   恐るべき情報が入ってきている。EUとともにウクライナを支援しているバイデン氏が、ロシアが、窮鼠猫を噛むではないが、ウクライナの予想外の抵抗に追い詰められて、恐怖をあおるために化学兵器を使おうとしている兆候があるといっていることである。ロシアは色々と偽装工作を行っており「ウクライナが攻撃のための科学兵器を貯蔵しているとか、核開発を行っている」といった宣伝を行っていることが、これを口実に逆にロシアがそうした兵器を使用しようとしている兆候であると云うのである。確かな情報としてとらえておくべきであり、警戒を要する事柄である。何とかこの戦争を止められないかと、多くの悲惨な犠牲者を見るにつけ、多くの難民の路頭にさまよう姿を見るにつけ、無策な自分を以て日夜焦燥の念に駆られる始末である。ロシアの国民に目覚めてもらうしかないのだろうか。一人の勇気ある女性の行動が示す通り、彼女の良心と勇気ある行動が、ロシアの全国に広がってほしいと念じて止まない。     3月20日


     侵略を仕掛けたプーチン氏は撤退せよ
これ以上人を殺めてはいけない

銃弾を浴びせ市民を虐殺す罪状重しプーチンの意図

プーチンの見るに見かねる悪行にこれ政治家の成せる業かと

ホロコーストより生き延びてプーチンに殺さる無念のあはれ老いびと

難民の群れに交じりて少年の親を亡くして乱れ泣き行く

深々と頭巾をかぶる少年の袋を下げて群れにつきゆく

泣きながらなきながら行く少年のひとりこの先いかに生きゆく

殺傷へ若者たちを戦場へ送るプーチンの省みるなき

仕掛けたる戦争に肩張るプーチンの盗っ人猛々しき面の厚きも

プーチンの冷酷極きはむ戦法のナチスのさまを今に示せり

マルクスの暴力革命をそのままに今の時代に他国に侵す

暴力で他国を侵し蓄財に励む輩の山賊に似て

ウクライナ戦火の止まず暴虐のプーチンにこそ鉄槌のあれ

罪のなき市民虐殺に慄然と云ふすべもなき凄惨のさま

暗黒の時代に巣くふ共産党宣言に見るマルクス思想は

プーチンの他国領土を侵略し略奪、殺人繰り返し行く

戦ひの猛爆にあふウクライナ戦場に散る若き国たみ

乳飲み子を抱く母の手に銃を持つ祖国を襲ふプーチンに向け       3月24日

桃源郷

   都会でも住宅地でも、花の見ごろである。昨日、今日と、見に行くところは全て桜が満開であり、花の散り舞う風情は全く感じられない。先ずは 「行くところ八重、九重の桜かな」、の一句をものにしながら、家内と外に出てみて、何処もかしこも鮮やかに目に映った風景である。地元で花の名所というべきところを散策しようと思って車を使っていくことにした。運転する車はWBM、 娘が大学を出て就職すした時に購入したものをいまだに乗っている。この車種のエンジンはずば抜けていいらしく、BMWの世田谷支店でも評判がよく性能は折り紙好きである。使い慣れているし愛着があって離せないでいまだに乗っている。一昨日、車を洗いワックスを塗って奇麗に磨いたばかりなので、花見に颯爽と運転していくことにした。

   地元の神社、仏閣の境内に植えられている桜は、枚挙にいとまがないが、近くには目黒川の桜並木が圧巻である。コロナの蔓延防止対策の期間が解かれたばかりなので、地下鉄日比谷線の駅はさぞかし観桜客であふれんばかりと思いながら、見ごろの花の場所を変えてみた。その上流の堤に咲く花も各所で満開の見ごろである。世田谷区を出て、区をまたいで目黒区の呑川本流の緑道に古くからある桜並木である。この先を行くと自ずから、若者たちの目を惹く、かの観桜の名所なる目黒川の並木に続いて行くことになる。通勤の往き帰りの途上、中目黒駅ホームから豪華絢爛の一部を俯瞰できるが、錦に映える春の景色は、一望に与えする。

  暖かい南風の吹き過ぎる午後、拙宅の周辺をドライブしているうちに何げなく八雲の高級住宅街に出た。普段は反対方向の田園調布の住宅街を打ち過ぎていくのが、この日に限って目黒の地域を過ぎていったのである。意識せず、南の暖かい風に乗ってしまった感じである。静かな住宅街で人通りもなく、車を止めて散策するには絶好の花見を堪能できる、これは穴場と感じた。呑川本流の緑道に古くからある桜並木で老木だが、幹は古色蒼然として壮気があり、なお精気に満ちて堂々として風格がある。 思わず緑道は花の下をめぐり、続く先を目指してそぞろゆく足取りに、広く見上げる花の明るさに目紛うほどである。

  大きく枝を広げ空を覆う花模様は、隈なく天蓋をうかがえば、天衣をまとい花の間を逍遥するがごとき風情であり気分横溢である。これぞ観桜の極意を知らしめて深いものがあり、味わいは格別である。花の命は短くも、一片の花の散る影もなく、栄枯盛衰の栄えの絶頂を身に受けて、桜花爛漫の時をもれなく看取する寸時の間である。 余も満面の笑みをたたえて、花に向き合って美しき法界の喜びとしたのである。 月の光に映える花も、今宵は楽しんでみたいものである。 

ほの暗き夜道をたどり一人ゆく雲間に漏るる花の月かな

いずれ散る花の命のはかなさを誰か知るらん満つるさま見て

人はみな桜の花の咲く如く明るくあらむ暗き世にこそ

さくら咲く坂を登れば息子らの住処の在りて今日の盛りに 

いざ花の八雲の桜を観に行たれ八重九重に積もり咲くかな

八重に咲く桜の花の下にいて花のかすみにわが身ひたさむ

日のさして花の日傘を広げれば宇宙の星を抱く心地す     3月28日


    ビル街の桜並木


  通勤途上、銀座四丁目から並木通りを通り、外堀通りに抜けて東京駅方向を眺めると、両側に薄桃色の花をつけた桜が満開の状態である。高層ビルの立ち並ぶ通りには、植え込みに染井吉野の桜が並木になっており、花の嶺に聳えるビル群のコントラストが絶妙な風景を呈して、勤労に疲れた都会人の束の間を癒してくれている。三日見ぬ間の桜かなというけど、いまだ一片の花びらの散るのを見ていない、文字通りの満開の一時である。美しきゆえに惜しまれてならぬが、明日までの花の命かとも思われる。

八重洲より東京駅まで桜咲くかすみの下を眺め行くかな

かすみ立つ薄桃色の空を突く高層ビルの八重洲界隈

うつし世を勇みて進む先だつの卒寿と三を迎ふ春かな 3月30日

     落花春暁のころ

  昨日、地下鉄日比谷線で帰途の途中、終点の中目黒駅で下車、改札口に降りて目黒川の桜を一目見ようと思って川べりに向かった。物凄い人込みで混雑していたが、交通整理のお巡りさんが大勢繰り出して甲高く笛を吹くものだから、その都度人の波が前後左右に揺れて喧噪ぶりに拍車がかかっている。コロナの蔓延防止の期間が解かれて、人々の気持ちが一気に噴き出して街頭に押し寄せた感じである。山手通りを渡るとすぐに目黒川だが、そもそも飲食店をはじめとした商店街も備えてある街なので、賑やかなことこの上なく活気に満ちて桜を見るどころではない。一番近い橋を渡り川上を見渡すと、長く続く花の嶺で霞がかった上流は金襴緞子の帯を広げたようで、あでやかな波のうねりとなっている。一瞬に垣間見た花の景色だが、そのまま進んで次の日の出橋を渡ってそそくさと人波から外れて駅の改札口にたどり着いた。足元に気を採られている間に押し出されながら、落ち着いて花を見るどころではない。昔、浅草ロックの映画館辺りが映画を見る客人で溢れていたモノグロの写真があったが、そんな感じである。花の天蓋をくぐり、あっという間に目黒川の桜並木の短い部分だけを見て、退散してきた。花は開花の絶頂期である。この様子だと、明日は一変して散る花と化すだろう。少しだけ巡り歩いて駅の改札口に戻ってきたときにはほっと一息ついてどっと疲れが出てきた感じで、東横線の通勤特急に乗って次の自由が丘駅に降り、家内の車に乗って自由の身を満喫する次第となった。


    お堀の桜

   定期的に行っているMRIの検査を受けるため、午前中から信濃町の慶応病院に向かった。この日の検査は胸部の撮影である。午後は他の課の検査があって、両方の検査の結果の診察は一週間後になる。又来なくてはならぬ。小生の場合、ほぼ一年の予約予定がびっしりと埋まっており、その途中に臨時て予定が飛び込むことになっているから、通勤の間を塗って調整が難しいことも生じたりする。でも、こうした生活が長年続いてきているので、慣れてしまい全く苦にならないのである。むしろいつも医者にかかっているので体に心配事がないので安心し、自信につながってきている。ありがたいことである。 

   午後の検査が比較的早く終わったので、信濃町から中央線に乗って会社に出勤することにした。ガラガラ隙きだった車は、快適な車輪の音を立てながら走っていくのが気持ちよかった。市ヶ谷駅を過ぎると突然走行方向の左手に、市ヶ谷のお堀と釣り堀が開けて見えてくる。ここから飯田橋を通りお茶も水まで、お堀と神田川に沿って車のハコが走っていくが、 堀端と川べりに咲く桜は見事な風景となって車窓に飛び込んできて、束の間だがじっと見つめて堪能し飽きることなかった。 神田川は東京三鷹市にある井之頭恩賜公園が源流で、東京を東に流れて江戸川にそそぐらしいが、東京が水の豊かな地層に恵まれている証拠だと感じながら、水と花の組み合わせの妙を身に染みていたのである。お茶の水駅辺りは今までもたまにしか来ないが、昔中学時代に使った国鉄の乗り物であり、この線は沢山の思い出が印象強く残っている。飯田橋から浅草橋駅の間であり、その先を行くと隅田川を渡って両国駅になるが、そこまでは乗っていったことはない。慶応病院の帰り、市ヶ谷、飯田橋の釣り堀のお堀や、神田川べりに咲く爛漫の桜を車窓から眺めてきて、懐かしい少年時代を思い出したのである。

   国鉄の、今ではJRと云うが、有楽町駅に降りて外堀通りにで、会社に出向いたが、会社の前の八重洲から東京駅を見渡して、桜がここでも満開である。淡い桃色の花の盛りを見越して、丸の内と東京駅の八重洲口にかけて、高層ビルが林立しているが、街なかに咲く桜並木もビルの威容をマッチして奇麗なコントラストを映してモダンな景色である。しばらくすると柳が芽を噴き出すが、今は心なしか満開の桜の花びらが一片ふたひら散りかけて目に映ってきたような風情である。時を追って万象の息づく軽快なせわしさが訪れるような気がした。

散る花の定めうぃしらず今生の身の美しさ愛でるさくらよ

散る花の命はかなく身の上を打ち明け舞ひて吹雪く花びら

散る花に芽吹く柳の並木道青春の歌聞こえ来るなり

         続     3月31日

   

  
  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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