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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.22.9

高等学院同窓会の理事

  早くも九月を迎える時期になった。事業を経営していると決算の締めをくくる月に突入して忙しなく感じるこの月である。そうした時期と環境のなか、母校の学院の卒業生三人が事務所に見えてくださった。卒業年度はずーっと後輩にあたるが、三人には理事を務めていただき学院同窓会の運営について日頃多大なお世話にあずかっている人たちである。所要の時に石神井での学院の会場でお目にかかっているので、まして互いに母校学院の同志と聞けば自ずから志を同じくする青春の気分が横溢して、相まみえているだけで士気が高まるものである。懐かしさがこみあげてきて胸襟を開いて要談、否、歓談に口角泡を飛ばす勢いであった。実に楽しかった。コロナ禍だから口角の泡はいけないが、いずれも陰性で身体健全の身である。されどマスク着用で、思い出を手繰りながら遠慮抜きに話し合った。不思議と勘どころも合うもので、なんだか同期の連中と話し合っている感じであった。

  運営についてたまたま相談を受けたが、大した助言を与えたわけでもなく、むしろ冗談を飛ばしながら在りのままのことを話したまでで、失礼な点があったのではないかと心配している。言い訳がましく述べるつもりはないが、そこに核心が掴めて参考になったとは、小生に対する気遣いとお世辞の弁かもしれない。話をしているとき不思議なタイミングで、事務所に在った小生の古ぼけた当時の卒業アルバムを持ち出したところ、大変な感銘を与えたようで当時の話に花が咲いた次第である。事実我々も高等学院に入学した当時は大人びて旺盛な学風に圧倒されながら、進級の喜びを感じて校門をくぐったものである。当時と今では隔世の感無きにしも非ずだが、志は一緒であって、今は優秀で個性的な学生諸君が揃っている学院だが、当時のバンカラな当世学生気質も端の部分を披露して、青春を今に謳歌するチャンスを得、見返りに頂いた若い人たちのご意見が大きな刺激になって9月の初めの、「こりゃあ春から縁起がいいやー」、の台詞を「こりゃあ今から縁起がいいやー」に置き換えてひとり合点しているのである。人格識見豊かにして高邁なる理想を追うがごとき三氏の対応に接して、小職は感謝の念でいっぱいである。願わくばこの先にわたり母校の学院の発展のためにご尽力くださることを心から念願している次第でラる。

  そもそも学院の初代院長、竹野長次教授の薫陶を得てきたからには何をか況やで、院長の「日本文学史概論」の名著書を述べて、 第二代院長の樫山欽四郎教授の「哲学叙説」の著書を教材に、高等学院時代から錚々たる大学の教授連の授業を受ける栄誉は、今以て名状しがたき心境と述べ伝えたのである。 血気みなぎって正に青春万歳、尾崎士郎の小説「人生劇場」の青春篇、愛欲編の序幕ともいうべきか。 このまま銀座中央通りを闊歩して、かっての名画「ティファニーで朝食を」ではないが、ティーブレークして初秋のダイアモンドの光を浴びてみたいと思った。 9月1日

寸時雑感

   
   コロナ禍で第7波が襲って、1日の感染者が全国で20万人台を記録して、東京でも2万人から3万人をマークするほどの猛威を振るっている。最近になって今まで見聞きしなかった感染者が周辺に及んできていて、不気味である。小生は、未だ現役で勤務しており、出張などがない限りは、東京八重洲の事務所に毎日出勤しているので、感染については特別に注意を払っている。出勤で家を出るのは十時過ぎ、退社して帰宅するのは六時前頃と、時間を大幅に調節している。感染者数はピークに差し掛かっているという人もいるが、油断禁物である。灯火滅せんとして光を放つであってほしい。
 
  コロナ感染者の動向と同じように気を遣っているのが、ウクライナの情勢である。小国のウクライナは麦やトウモロコシの生産と輸出大国であることは、ロシアが、ここの国に侵攻して戦争を仕掛けて後に初めて知ったことである。知識のなさを恥じる始末であった。ウクライナで行っているロシアの蛮行は言わずもがな、諸国のウクライナを支援する欧米諸国の連携が功を奏し、プーチン率いるロシアの軍隊を追い返して、独立と平和を勝ち取って、民主主義と自由の為の戦いを以て、世界に範を示してもらいたいと願っている。
 
 事ここに至っては、ウクライナがロシアに勝利することが何よりも重要かつ必要であり、これからの国際社会の道筋を示し、平和と自由と民主主義が繁えて安寧の生活ができることを約束してくれることになるからである。

 自分の事業のこと、仕事のこともそうだが、今の世間で心配なのは、既述の二つの事件が今の世間に起きていることである。この二つの事件が我々人類にとって勝利に結着してもらわないと、物騒な周辺に身を置くことになって、とどのつまり、枕を高くして寝られない仕儀となってしまう。とにかく解決すべき焦眉の件は「撲滅コロナ!、撲滅プーチン」と云うことになるだろうか。

 物情騒然の毎日と云わざるを得ないが、幸いにして職場では身辺安泰で自分の勤めを全うし、帰宅して風呂に入り、一杯のビールにありつけることは平々凡々ながら幸いである。ここ数日、猛暑、炎日が和らいで、初秋かと思われる夕べになって、オーシンツクが庭の樹で鳴いているのを聞いたりしていると、もう秋かと意味深長である。京セラの稲盛和夫さんが今日亡くなったと云う。企業創造、企業再生と得意絶頂の偉人と称してもいいくらいの人、大きな業績を社会に残して忽然とこの世から消えてゆく、諸行無常の掟とは言いながら、平清盛ではないが、人生無常の念をつくづくと感じてくる。そう云いながら喝々と大笑いする出家の寂聴さんの事例もあるから、寂聴さんの生涯も波乱万丈ながら晩節の処し方は見事なものであった。

  旧ソヴィエト連邦を解体し、衛星国の分離独立を加速させたゴルバジョフも亡くなった。評価は分かれるが、欧州的人間尊重の思想は自由民主主義国からは世界の星として尊敬された。皮肉にも旧ソヴィエト連邦の構成国の一員だったウクライナで、ロシアがそれを取り戻そうとして戦争を仕掛けて世界を混乱に貶めている。そもそも旧ソヴィエト連邦という国家の構成体という発想が制度として通用しなくなってきている時代である。それに執着すること自体妄想であることにプーチンは気づいていないとが驚きである。

 翻って思うことは名だたる文豪が、明治、大正、昭和と名を連ねているが、とかく粋人を極めて艶聞をはやした乙な人物が沢山いる。太宰治然り、永井荷風だけではない。谷崎潤一郎もそうで枚挙にいとまがない。
  
  座敷遊びが上手で芸の達者な文人が多彩であった。そうでないと小説は書けない。男は女性が好きだし、女性は男に関心を持つ。これは古今東西変らぬ事実で、艶福家は間隙を縫って遊びに興じ、歴史と文化を作り育んできた。色、恋といった事象を盛り込んだ豊かな小説は、作者が経験豊かな人間の道を歩んでこないと、うかつに書けるものではない。感性の豊かさは、男は女性の愛情の知ってこれを深化させる程度によって違ってくる。哲学でもベーコンや、デカルトといった両派に分かれる程に。実証派と観念派に分別される。

  既述したように、思考の過程でも、帰納法と演繹法があるが、経験に基づいた思考、人間が主体になって感想する観念、即ちこの両者がかみあって壮大な思想に結実し、作品が出来るのであって、片手落ちでは問題は成り立たない。大雑把に小生は帰納法を重視し、経験から一般的法則、ルールを割り出そうとするもので、日々をその様に努力している。実体験重視型である。しかしよくできたもので体験と観念が融合するところに人間としての所業が生じてくるので、どちらか一方に偏ったものではないことが望ましい。夢想、空想、観念先行で書いていっても限界に突き当たるし、そこには人生の実験、体験、所業といった実証的な裏付けが無いと説得力がなくなってしまうし、真実に近いものは得られないことになり、消化不良になって混乱して破滅に至る道である。均衡のとれた過程を歩くことは必要である。

小生の趣味の一つは和歌を詠むことであるが、一部を短歌同人誌の淵に載せてもらっている。和歌を詠む姿勢にも、基本的にそうした哲学的思考を経て、我々は無意識的に思索を練っていることである。帰納的に和歌を詠むか、演繹的に詠むか、それとも両者を融合した方法を選択するか、基本の選び方で和歌の出来上がりも大いに違ってくるのではないだろうか。    9月2日


秋近きかも

   奈良に住む友人が、刈り終えた畑から見た法起寺の遠景の写真を送ってきてくださった。稲架けを払った田んぼは殺風景な景色に変っていたが、遠目に映る小奇麗なお寺の佇まいが、平和で穏やかな風情にむしろ安どの念をおぼえたのである。そして蒸し暑い日照りの続いた夏が遠ざかって、夏の終わりの寂しさが漂っているように見えた。私は、その一枚の写真に次の一首を書き添えて、この次の短歌同人誌238号の淵の中綴じの飾りに生かしてみようと思った。できれば次の昭和経済にも掲載したいと思ってみている。 

刈り終へし田舎の畑の遠目見るお寺の塔の秋近きかも       9月3日

   毎日のようにテレビ、新聞なおのマスコミをにぎわしているオリンピック、パラリンピックに絡んだ贈収賄事件である。オリンピック開催に絡んで競技施設の箱ものの建設やイヴェントにちなむ巨額の金が動いて、それに群がった関係者はマンといるかもしれない。今回浮かび上がったオリンピック・パラリンピックの組織委員会の高橋理事なる人物が、自分の有利な地位を利用して巨額の金品を不正に取得してスポンサー起用の便宜を図ったことで容疑が固まり検察、特捜部のお縄頂戴となった。透明、公正であるべき精神が踏みにじられてしまって、我々国民は後味の悪い思いをしている。今日も新しく角川会長の強制家宅捜査が入って、事件はますます広がりを見せ始めている。雑魚ではなく、きっと大きな黒幕が暴かれていくかもしれない。わいろを贈ったとされる企業のAOKI、大広、そして名門のカドカワなどである。

  五輪では募ったスポンサーが約80社あるという。そうした企業や団体が負担した協力金は約4300億円という巨額なものになっている。コロナ禍で一年延期になった異例の大会であるだけに、さらに複雑な状況になってきている。必要な運営資金は膨らむ一方であったし、否、意図的にふくらませて言った結果があるかもしれない。4300億円という金は複雑怪奇なものに変容して、これに群がる吸血鬼が沢山いて複雑に絡んでいるだろう。利権の構図を解明し果敢に挑む特捜検察は、五輪と政界との暗部にメスを入れていこうとしているので、容疑者がまだ出て来る可能性がある。

おぞましき贈収賄の容疑にて五輪の役員がしょっぴかれ行く

どろついた汚物の中に手を入れて五輪精神を傷つけにける

群がりて巨額の金に目が眩み五輪の金に手を付けにける

奥深き底深き政・官・民の汚職の輪にそ迫る検察

敢然と力と技と美を競ふ五輪精神を破る悪の手         9月4日

   悲惨な戦争体験


  人間の性のあさましき故だろうか、国家という権威を振りかざして時の為政者が勝手に国民を動員し戦争を仕掛けて、相手国の土地や物財といった富を略奪しようと試みる奴が出てくる。人類の歴史はその繰り返しといっても過言ではない。物財に対し、性欲に対しその支配欲には際限がない。人口論を書いた経済学者のマルサスは、そうした傾向の旺盛な時期に、いうなれば時代的な背景を根拠にして書いたがゆえに前提が狂っていたので、結論も普遍的なものではなかった。人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術的にしか増産できないという根拠に立っているし、社会風習的にも価値観の変化で前提条件が微妙に変化してきていることを描けなかったのである。地域と国いよっては人口が減少しているし、気候変動によって農産物の生産力が激変し食糧不足を来たしている。栽培方法も変わってきてバイオテクノロジーを駆使した生産方式が進んで、土地を必要としない栽培方法も使われてきている。
  マルサスが懸念して描いた人口の増加を抑制する手段が現実にある。彼は人口の増加を食い止めるものとしていくつか挙げているが、例えば食料飢饉の到来、疫病の発生、天変地異の発生、そして戦争である。戦争によって双方に莫大な死者が出て、それが原因の一つとなって、人口と食料の均衡が保てると云ったのである。戦争を挙げているところは彼のユニークな発想だが、戦争が人間の回避できない宿命的な性によって裏付けられているという論拠である。人口の増加を食い止める要因を、人間がしでかす戦争によって担保されているというのである。経済の繁栄は人口の増加の激しい国とか地域に限定されるという説が果たして正しいかどうかは又別の課題をはらんでくる可能性がある。

ウクライナ戦地に篤き思ひはす攻守に付きて挑む兵士の

兵士らのいずれにしても身を賭して互いに殺し合いし仲なり

今日もまた多くの命が落とされて戦地の犠牲となりし人らよ

我もまた幼きときに敵兵の機銃掃射を浴びて逃げるに

あと一歩違へば戦地に送らるる身の我の今ここに在りしは

一面にとうもろこし畑にて夏のそよ吹く風のなかにありしも

太子てふ駅に降り立ち迎へ来る荷馬車に乗りて終戦まじか

つらきこと襲いひてくれば昔日の苦労を思ひ何事もなき

火柱と硝煙のなか突き進む敵B29の猛爆の中

天空を低空で飛ぶ爆撃機B29の影に打ち伏す

空中を行くB29の唸り立て揺る地響きに腰を抜かせり

身に火の粉かぶりて倒る被災者に防空頭巾で火を払い消す

父に付き母の手を取りはらからと爆撃の火を潜りゆくなり

見上ぐれば煙火の空を低空でB29の機影見て伏す

火を払い炎を潜り米軍の焼夷弾の猛攻を避け

天中に火の粉の散りて舞ひ上がり再び倍になりて落ち来る

落すまま落されるまま爆弾を地上を逃げる我らはらから     9月5日


   斑鳩からの便り


久方に奈良の都を訪ね来ておほき仏に会いにけるかも

みほとけの我を下座に見下ろして澄めるまなこに心やすきも

天たらすおほき仏は朗らかにあめつちの間を治めけるかな

みほとけの憩ふやかたの天井の船底型に在りてゆかしき

天井の船底型にほとけらの大海原に船漕ぎ出でな

縦横と太き柱と梁を組み仏のすみかを立ち上げにけり

驚きて立ち尽くす身に大寺の太き柱の天を突くさま

うららかに月の光の冴えわたり隈なきはてに思ひはせしも

満天の星をあほぎて大いなる神の証しを知りぬ秋の夜      9月7日

トラス女史が英国伊首相に

  ジョンソン首相の退任に伴い 新しくイギリスの与党・保守党の党首に選出されて就任したリズ・トラス女史は6日午後、スコットランドのバルモラル城に滞在中のエリザベス女王を訪れて、新しく首相に任命された。そこで女王から組閣の要請を受け、新政権を発足させることになる。エリザベス女王が今までに任命してきた首相は、これで14人に及んでいる。面会するトラス新首相に対し、笑顔を以て向き合う小さなエリザベス女王の子供のような優しさが際立っていた。
  トラス首相はかってのサッチャー首相を尊敬し自らも標榜して鉄のサッチャーを任じるとまで公言するほどの強靭な思想の持ち主でもある。ロシアのウクライナ侵攻についてはロシアに対し厳しい姿勢を示し、外相を務める間、ウクライナ支援に強力な支援と協力を送っている。

  英王室は声明で、エリザベス女王がトラス氏に会い、「新政府を作るよう求めた」と発表した。「トラス氏は総理大臣および第一大蔵卿に任命され」、伝統的な儀式が終わった。通常はロンドンのバッキンガム宮殿で行う習わしであるが、女王が静養のためスコットランドのバルモラスに滞在し足の不自由さがあってトラス党首がバルモラルに向かった。ロンドンとの距離は820キロあるという。トラス氏は女王から任命されてバルモラル城を離れ、ロンドンへ向かった。トラス首相は直ちに内閣の組閣に着手する由である。何時の夜も課題は絶えないが、山積する内外の情勢を良く分析、検討し、優れた政策を適宜実行をしていき、有意義な成果を収めていくよう国際社会のためにも果敢に働いてもらいたい。           9月7日

     秋の月の夜

  青く澄み切った夜空を煌々と光を放ち、月が渡っていく姿には清浄な世界を創造しこの大宇宙を治めて止まない神の存在に尊厳と畏敬の念を禁じ得ないでいる。壮大な宇宙に対面しながらも、その先の無限に広がる銀河系を飛び越えて微かな星雲に、光芒の世界を思いながらも、地上の草陰で鳴く小さな秋の虫にも月の隈なき光が照らされて、世界の息吹が伝ってきて、一体感を体現して己の思惟が無限に触れていくことが摩訶不思議である。遠い海上で起きた嵐が周辺の雲をさらいながらそのまま遠くに去っていったので、今夜の秋の空は明るく澄み切って塵一つない風情である。じっと眺めていると紺青の海に身をさらし、妙なる人魚の背に乗って金色の波をけって大海を泳いでいくような錯覚を覚えてくる。メルヘンチックな秋の夜空である。

紺青の月夜の海を漕ぎ出でな月からの使者迎ひ出でばや

月よりの妙なる使者に導かれ金波、銀波の波乗り越へて        9月8日

   エリザベス女王の死去

  英国バッキンガム宮殿から空に向けて、きれいに輝く青い星が一つ向かって昇っていった。長らくこの世に仕えて人々の平和と栄を等しく願ひ、女王の在位70年余の生涯を静かに閉じていったエリザベス女王の御霊である。青い光芒を曳いてゆく先には無限の世界が広がっており、青い光は一つの星の影となって消えることがない。何時までも光ってこの世を照らし、地上にそそがれていることだろう。都に在っては英国の女王として誠実に仕え、人として愛と温情に満ち、接しては優雅にして気品あふれる方であった。空に向かって永遠の旅路に就かれた女王の、御霊の安らかなことを祈ってやまない。   9月9日

中秋の名月

  お月様が奇麗よ、見てごらんなさいと家内に云われてソファーから身を起こした。夕食に少々の酒をたしなんだので気分よく居間のソファーで夕刊を読んでいるうちに寝入ってしまった。何時まで寝ているんですかと謂われたのと同じで、寝すぎてしまった。目を覚まし居間から庭に目を転じてみると、夜だというのに芝生が青々として光ってあたりが明るい気配である。目覚めた後の頭がすっきりしているので庭に出てみたら、中天に輝く中秋の名月が浮かんでいるのに気が付いた。今宵は雲一つない澄み切った夜空であり、紺青の空に煌々として光る月影は、一刻千金に価するほどの得も言えぬ美しさである。家内の云う通り、お月様が奇麗よ、の一言に尽きる。あとはなにも言うことはない。見上げては、陶然として眺めるのみである。 名月を取ってくれよと泣く子かな  子供ならずとも取れるものであれば手に取ってみたい、そしてまた空の青い海に投げて、もとの場所に収めて置きたい気分である。じっと眺めていた家内が、思い余って手を差し伸べている。同じ心境にはやされて、煌々と輝くおっ月さまと、あたりの紫紺に収まった空まで一緒に、つかみ取りたい気持ちで眺めた居た。

中秋の名月を観て銀板の月明らかにまろき影にて

庭に立ち惜しみ手て眺む仲秋の名月なれば明けの朝まで

仲秋の輝く月のなかぞらに在ればおのずと手を合はせけり

仲秋の月ほのぼのとあきらけく昇りて秋の虫の鳴き初む

ぬばたまの更け行く空を煌々と光放ちて月渡りゆく

田舎より見事な梨を送り来ぬ矢那の名産豊水の梨

成りものの美味しき秋となりにける栗、梨、桃に葡萄さまざま

ほのぼのと月のぼりきて仲秋に浸る我が家を照らしけるかな

   中秋の名月の十日には奈良の唐招提寺で、東大寺の廬舎那仏と月を鑑賞する「観月讃佛会」が開かれた。国宝の金堂の、三面の扉が静かに開かれて本尊のおおらかな大仏を始め,国宝の三尊がお目見えした。月に照らされて浮かび出た仏たちの瞑想かつ安穏なお顔が恭しく偲ばれてくる。

   夕日が赤々とかぎろいながら落ちていく午後六時ごろからは、金堂前に十五人の僧侶が静粛に並んで読経が始まった。夕闇にほのかに浮かぶ佛三尊にしばし見入りながら、霊験あらたかな風情の次第に身に染みて月を待つ間、間もなくして雲間から金色の真ん丸の月が浮かんで、あたりを明るく照らすと、ほとけのお姿がほんのりと浮かんでくる。そうした光景が目に映ってしばし黙想する間である。


あまたらす仏のみ手に載る月のあめつちの間を照らしけるかな

妻と観る今宵の月のさはやかに朝まだきまで飽かず眺めん

ほのぼのと昇る仲秋の名月のほとけの里を照らしけるかな           九月10日


縄文の賢者が疾風の如くゆくのずらに豊かな香りのこして

小夜中にふとわれが身をたたく風見上げる影に縄文のひと

縄文の賢者が紙と筆をそへ物かきのこし去りて行くかな

縄文のひとのまなこの澄みてなほ疑ふ無きに生きて行くなり

あらし去る後の野ずらに縄文のひとの豊かに立ちてかしこし

思慮深きまなこを覆ふ濃きまつ毛縄文人の猛き面差し

海原の日の出を拝む村人の縄文人の祀るこころね

秋の夜を薪を摘みて赤々と燃やす頃にも上る満月    9月12日


    運転免許証の更新

  高齢者の運転免許証の更新をするための手続きを今日、二子玉川駅に程近いコヤマ自動車教習所で運転機能検査と講義を終了して大方完了し、あとは警視庁で新規に運転免許証の交付を受けるだけとなった。鮫洲運転試験所では、認知症検査も行った。この方は幸いなことに聊かも懸念すべきところなく明晰であることは分かった。この二つの検査を終わらないと免許証の交付は行われないことになる。健康上、何ら懸念すべきところがないので心配はないが、検査を受けるまでの手続きが煩雑なのでむしろその方で気が迷入ってしまう。しかし出先機関での職員の応対は極めて紳士的で感じの良さが伝わってくるし、昔と違って横柄なところがないのは、公的機関のサービス精神が極めて高いと感じられ、今日までに仕事の合間に気を使いながら対応してきたが、更新して向こう三年間の免許を取得することができ良かったと思い安どしている。

  今日は朝方、尾山台駅から大井線に乗って逆方向に二子玉川駅に行き、そこから15分ほど徒歩でコヤマ自動車教習所までいった。今日の仲間たちは同じ年代と思しき男性6人で、午前中は同一行動をとって共通意識があるのだろうか、何やら親近感がわいて雑談などかわす雰囲気であった。だが別れるときはさりげ無いものだった。玉川堤の沿った交通の激しい道路で、もと来た道を通って二子駅から大井線の急行に乗って大井町駅に出、JRに乗り換えて有楽町駅に降りた。道のりを大分歩き切った感じである。JRの京浜東北線に乗ったのは久しぶりである。大井町駅で乗った快速では、先頭の運転席の後ろに立って立ち並ぶ高層ビルの様子を窺いながら、大東京の一端を確かめていた。浜松町出山手線に乗り換え有楽町で下車、我が家にたどり着いた感じで暑さの中、体を癒したいと思い、交通会館の地下一階の行きつけの喫茶ロイヤルにはいり、そこで昼食をとって、この日は午後一時に出社した。済ますべき用事が溜まっていたので、迅速に処理を図った。

漸くに車の免許証更新の準備を了し安堵いたせり

手続きの煩雑なれば苛立ちぬ車の運転免許更新

高齢の域にしあれば免許証の返納したらと他人の助言も

確信を持ち運転す技能にてあと十年は安全運転にて

何故か歌ってチーちぱっぱチーぱっぱ車の中で第三京浜

人間は年齢の身にて図れ得ず気力、体力、勤労意欲が       9月13日

微小なる蟻の頭の人間にまさる機能のありて謎なり     9月14日

9月8日にエリザベス女王が逝去されて以後、女王の棺は華麗かつ、壮麗な儀式のうちに19日に行われる国葬に向けて準備が整えられつつある。25歳で女王に即位、逝去される2日前にはトラス女史を新首相に任命する公務についていたが、在位70年歴代最長の、これが最後の公務となり96歳でこの世を去った。旧植民地など14か国の国家元首を兼ね英国連邦を率いてきたが、73年間にわたり連れ添って来たフィリップ殿下が昨年99歳で先立ち、そのあとを追うような結果になった。

  在位70年間の間には幾多の困難にも直面し、紆余曲折、浮沈を繰り返し大英帝国を維持してきたが、体面を繕いある種の虚勢を張った歴史と姿の中に、その輝きを失いつつあったことは確かである。第二次世界大戦に勝利したものの、斜陽化する経済の中に在って、インドやパキスタンが植民地から独立し、東西冷戦下、英国に代わってアメリカが西側の主導権を握る様態になっていく。激動と苦悩の続く時代をエリザベス女王は精神的な統治力を図って今日まで権威を保ってきたが、これからの英国連邦としての皇室の在り方が大きく問われ、変貌を強いられていくことは通るべくして避けられない道であると思われる。大英帝国の君主として最後まで公務に勤めた女王の亡き後、ぽっかり空いた空洞をどう埋めていくか、聊か不安であるが後を引きついだチャールズ国王の真価が問われるところである。

   女王が亡くなられた静養先のスコットランドのバルモラル城から女王の棺が19日に行われるわれるロンドンのウエストミンスター寺院まで移されていくが格調高く、壮麗な伝統的葬列を作って運ばれる棺の沿道には多くの市民が哀しみのなか女王に最後の別れを告げて見送っている。葬列をなし粛々と儀式が行われていく様子は、壮麗にして厳粛な姿勢が伺えて、テレビにくぎ付けになるほどであった。追悼する悲しみの中に女王の華やかな生涯を祝福する気持ちもうかがえて、女王の一生がおとぎ話のように描かれていくあたりを見て、大英国の君主たる気品に満ちた厳しさと愛おしさが混在して、魅力的に映ったのである。                         9月16日

輝きを放つ石より野辺に咲く花に愛しさのなどか溢れり

王冠を戴せて棺の運ばるる豪華絢爛の葬列の行く

仁徳を示し人柄の良き王の支えとなりし国の栄の

何かにと話題の絶えぬ身内にて女王の難儀といたす所以に

人らしさ人間らしさを髣髴として面白き王室なりき

特異なる環境なれば仕方なし育ちも日々の暮らす違ひに

ご遺体の棺の上に王冠の燦然としてされど空しき

ほほえみの笑顔に魅力の身に染みて女王の遺徳をしのぶ葬列

女王なきあとの英国の命運の栄えの道か苦渋の道かと

インフレに悩む民衆の生活に天地の差なり王室の日々

ウクライナ戦場に散る兵士らのただ虫けらの如く在りしに

難しき歴史と伝統の維持の可否イギリスといふ謎めきの国

エリザベス女王の美貌と知性にて国威を保持す功績のあり

哀しみに打ちしがれたる国たみに神のご加護の強くあらまし

国民の先を案じて天に召す女王のまなこのそそぐ永遠にも

二日後に迫る国葬の粛然と華麗にみ霊を送る日を待つ     9月17日


    バーナード・バートン牧師

   玉川神の教会が今日の礼拝で69周年の記念と祈りを行って、説教に前の牧師を務めたバートン牧師が九州の地からこの日のために上京された。記録的規模に勢力を拡大した台風14号が九州南部に上陸する気配で、列島全体が激しい雨と風に見舞われていた。家内が花を生ける当番になっていて、この日に備えた白い山百合の花を以て早めに家を出るので、小生が車で送っていった際に、今日発行の週報をもらってみてバートン牧師の説教があることに気づいた次第であった。いったん帰宅して、再び行く気になって雨のなか教会に向かった。バートン先生にお目にかかれてうれしかった。説教は久しぶりに心を揺さぶるもので、感銘を覚えた。

  説教と祈りの会が終わって講壇を降りてきたバートン先生は、小生に向かって歩み寄ってこられ互いに喜びを分かち合って一礼し、帰りにも玄関で信者を見送っるバートン先生と熱く握手を交わし「お元気で」と 一言申し告げて別れたのである。時にして簡単な言葉が、多くを語らずして意思の疎通を貫き深く心に刻むものである。


万象をみ手に収めてゆるぎなき全知全能の神の有りせば

教会の創立六十七年の意義深くバートン牧師の説教を聞く

歌ひつつあたかも天使の十字架を巡りて舞ひし心地こそすれ

祈ります求めますとや賛美して直きこころに触れし我かも

説き明かしめくるマルコの福音書バートン牧師の聖書久しき

歴代の牧師の名前を列挙して歴史に立ちて先を明かせり

生ける神に付き先に立つ信仰を日々の糧とし生きてゆく良し

台風の超大型の今し来て本邦直撃のあからさまなり

時折に強き雨あしの地をたたき秋のあらしの気配近きに

懐かしきバートン牧師の講壇に立ちて勝利の十字架の前

昔日のバートン牧師の講壇に在りのままなる姿たのもし

宣教に我が教会を去りゆく日パウロの姿をしのぶ道ゆき

魂のありかを説きて人生の指針を示すバートン先生

高き嶺目指すかなたにおおらかな虹のかかりし今朝の旅立ち

大いなる神の啓示をあらはしてこの地に教会を建てる歴史に

アイキャンプ牧師が立てるこのみ堂その足跡を語る先生

信仰のまことの意義を説き明かし全知全能の実体に就く

十字架の生ける神の子主イエスを信じて仰ぐ道の尊っとき

敬老の日に祝福のみことばをバートン牧師に取りつぎ給ふ

白百合の清き匂ひの漂ひて妻が活けたる十字架の前

秋雨の驟雨となりて会堂に激しき音の時に止みけり

意義深き時を過ごして共にあり主とバートン氏と我らともども

仰ぎ見る秋の夜空にまたたきの星を一座に収む神かな       9月18日


     台風14号

   超大型台風が今日、九州の鹿児島に上陸し、猛烈な雨と風を伴って各地に甚大な被害をもたらしている。台風の暴風圏の大きさはもとより、強風を伴った圏域はそのまま日本列島をすっぽり包むほどの大きさだという。中心の気圧は935パスカル、瞬間最大風速は50から60メートルを記録している。九州、中国の各地の雨量は300㎜から800㎜を記録。そして台風の中心は九時現在鳥取上空を通過中である。暴風域県が広く拡大しつつ北上し、これから先の進路は新潟県を東北に進み山形、岩手両県を縦断して太平洋に抜けていく公算が大である。台風の渦が雲の流れではっきりと確認できる感じだが、分厚い雲が割れて隙間から明るい日差しが差しこんがりして、上空の大気の荒れ具合が想像できる。アルプスの連峰にぶつかったり、奥羽山脈に激突しながら台風の形が崩れていって勢力を弱め、熱帯低気圧に変わっていって消滅してもらいたいものである。

  夕方近くその晴れ間の隙をついて尾山台駅まで小走りしながら往復してきた。小走りは心臓のポンプに多少の活気を与えるためであり、呼吸のテンポを速め肺活量を大きくして多少の鍛錬を試みるためである。そんな時、少年が物凄いスピードで小生を追い越していって、こりゃあ堪らないとあっけにとられた次第である。二百メートルも走れば後は続きの深呼吸を繰り返し、小生にとっては十分である。それ以上無理したりすると体に帰って悪い結果をもたらすことにもなり、無理を避けて注意している。空を見ていると、ちぎれた雲が強風に乗ってすっ飛んでいく様子が面白かった。

台風の左に寄れば風向きの右旋回となりて激しき

台風の風向く左旋回に分厚き雲の黒く空をば

台風の進路の右に風向きの左に回り吹き付けにけり

微小なる蟻の頭脳の精緻なり人のそれより勝るとも謂ふ

蟻んこの頭の人より優れたる細胞なれば驚きなりき         9月19日


モスクワで聞いた市民の声

  ウクライナにあくまで戦争を続けるプーチンに対し、NHKがモスクワで取材した市民の声の中に、ある青年が落ち着いて云う言葉に耳を傾けた。そもそもこの戦争は不法であり、戦争に自分がとられるとしたら、海外に逃げるか、それが駄目ならどこかに隠れるしかないと。言論統制が敷かれれているようなロシアで、ウクライナ侵攻でプーチンを支持する国民のが7割以上に達しているという中であるが、こうした意見を吐く青年が象徴するように、特に若い年齢層で戦争の状況が知られるようになって、反戦思想が醸成し広がってきているようである。戦場で子供たちが犠牲に在って遺骨として帰って来る悲惨な状況を目の当たりにして、身内の人たちの反対が起こってきている。

  ウクライナの猛烈な反撃に会ってロシア軍の劣勢が伝わってきており、ロシア軍が多大な被害を受けて前線で兵隊不足と、物資不足が重なって、これまで占領してきた地域から撤退を余儀なくされている。兵士不足を補うため、新たに一般市民から30万人の予備兵を招集する準備だという政策を発表した。そうした中での青年のこうした発言が、ロシア国民の中で広がって、プーチンの盲目的、妄想的な行動に歯止めをかけるような方向につながっていくことを期待したい。 

   そもそも、と切り出した青年の言動のように、勝手に人の領土に侵入して国土を占領し自分の領土に編入するとはずいぶん身勝手な話で、今日そうした思想がいまだに跋扈するような世界に生きていることが、倒錯して腐敗した人間の蛮行であって、通常考えられないことである。感がられないことをプーチンが平然として行っているというのだから、この国は一体どうなっていくのだろうと思う。人の持っているものが欲しいからといって奪い取るようなことをしたら、罰せられるしそんな無秩序な人間は一般社会生活から切り離されていく。そうした犯罪行為を国家が公然と行い国民がそれを支持し従っていくというロシアは、今時通用しないだろう。 こうした国が国連のじょうにんりじこく  9月20日

プーチンの戦争政策に敗北の兆しに焦る危機の妄想

脅迫か核兵器使用をほのめかす形勢不利に焦るプーチン

不法にも実効支配の地域にて住民投票の強行を推す

企みにいかなる手法も排除せず悪魔の戦争犯罪者の弁     21日


ロシアの一方的な住民投票

  ロシアがウクライナの実効支配する地域とは、東南の国境に接して四つの州に及んでいる。それらの州では親ロシア勢力が支配しており、住民を懐柔したり移民政策をとったりして、ロシアの実質的な行政が及んでいるが、領土はもとよりウクライナである。2012年にウクライナ領土が電撃的に宇クリミア半島を侵略し住民投票を行ってロシアに編入されてしまったが、それと同じ手法が今ロシアによって行われようとしている。

  ウクライナのロシアとの国境に接して東部と南部に存在する四つの州であるが、北からルハンシク州、ドネツク州、ザポリージャ州、そしてヘルソン州の広域を占めている。ヘルソン州はクリミア半島の丁度北側にあたる。この四つの州のうちのルハンシク州とドネツク州の二つの州で住民投票を行って、ロシアに編入しようとしている。もとより戦時下であり公正な投票などできるわけがないが、虚偽を冒してまで強行してロシアへの編入をもくろんでいる。

  ロシアのプーチンはかねてより領土と主権は一体化視しており、ロシア国への領土に対する攻撃は、自国の主権を犯したものとして反撃の手段をえらばないとして、核兵器の使用をちらつかせてきている。つまり編入した後のルハンシクと、ドネツク両州への攻撃はロシアの主権を脅かすものと解釈し、反撃の口実を与えるものとしている。その際の核兵器の使用を正当化しようとしている。

  今ウクライナ戦線では、ウクライナ軍の反撃に会ってロシア軍の後退が続いていて、兵士と武器、弾薬の不足が目立ち敗色の色の濃厚が続いている。ロシアは予備兵30万人を地徴収することに決まった。兵員の不足はプーチンにとって焦燥の念際立つものがある。劣勢に立つロシア軍の立て直しもままならぬ状況である。こうした自国の状況を感じ取手着ているロシア国内では、反プーチン、判戦争の機運が高まってきており、昨日は国内の30か所で大規模なデモが発生して多くの市民が拘束されてきている。国内の若者たちや学生たちが、予備兵の徴集を避けようとして国外脱出を試みる人たちが多く、特に航空機による出国しようとする人たちが多数押しかけて、エアポートは混乱している由である。プーチン率いるロシアという国は、帝国主義的、前時代的錯覚に陥って、今や滅茶苦茶な印象を世界に与えている。

  欧米をはじめとして民主主義の国々のウクライナへの強力な資金と武器の支援は更に強化されつつある。戦争の犠牲者を食い止めるためにも、プーチンの危険な思惑を払しょくし、ロシアの新しい視野にとって代わる機運が醸成されることを祈っている。    9月24日

スズメバチ

  14号台風は九州に上陸、中国地方を経て能登半島から山形に抜け熱帯低気圧となって太平洋上に消えていった。豪雨と線状降水帯が重なって九州や中国地方にかけて記録的な大雨をもたらし、各地に甚大な被害が発生している。その後は南の海上に発生した台風が、南シナ海や太平洋上に向きを変えて、幸いなことに列島への直撃を受けないで済んでいる。おかげで本格的な秋到来を思わせる快晴の日和となって、久しぶりに秋の季節を満喫している。

  真っ青な空を眺めていると、時々大空を高く飛んでいく昆虫を見受けていたが、大きく広がった秋の空を自由に飛翔する秋の昆虫の一種とみて楽しんでいた。此処二、三日の間、虫たちが頻繁に飛んでいってはまた帰ってくることに気がついて、何らかの蜂らしき昆虫が繁殖しているのではないかと思いながら、庭畑の菜っ葉類の害虫にはならないと思い、大空を自由に飛んでいる様子に好感を以て楽しんでいたのである。

  庭の南東の場所に高さ三メートルほどの椿の樹が植わっているが、季節の時期には枝一杯に真っ赤な花をつけてひときわ賑わいを見せてくれている。その椿の上の方枝の茂みから、蜂と思しきものがさっと飛び立っていくのが見えた。南の空から飛んできた虫が急降下して、今度はその椿の茂みに姿を消していくのが確認された。茂みから姿を現しては空に飛んでいく虫と、出ていった虫が空から帰ってきては茂みの中に消えていく虫が、頻繁に確認されて、俗に云うスズメバチが、椿の茂みに巣を作って住んでいるのではないかと疑うに至ったのである。

  生き物が庭の樹木に巣を作って楽しんでいることは一向にかまわないことであるが、我々にとって生き物が不人気なものであったり、害を与えるようなものであったりすれば、そいつらが屋敷に巣を作って生存するといったことは好ましいものではない。例えばネズミもそうだし、最近よく言われるハクビシンといった生き物が常駐されるのも好ましくない。スズメバチもそうである。自宅に巣を作って住んだとしても、羽を以て自由に近辺を、しかもかなりの広い範囲にわたって活動する習性をもっているらしいから、近所に対して危害を及ぼさないとも限らない。そんな複雑な思いが小生の頭をよぎって、秋の空を自由に飛び回っている昆虫の所在の住処を椿の樹の枝の上方であることを想定し、椿の幹の根元に近づいて確かめてみた。暗い茂みの中に彼らの住処を見つけるのに難儀した。空中では活発に活動し始めている群れを見れば、確かにこの茂みの中のどこかに住んでいるに違いない。木によじ登ってみることも一策だが、本当に危険なスズメバチだとすれば、いかにも短絡な行動をとったがゆえに、彼らに在らぬ刺激を与え、攻撃の口実を与えることになる。その攻撃は常識的に考えてきても、わが身にとっていかにも危険である。 ある時スズメバチの飛翔が静まったころ、そっと椿の根元に忍び寄って枝の茂みの間を見上げたところ、バスケットボールほどの大きさの巣を発見した。かなりでかいぞと、慎重に後ずさりしてスズメバチと出っくわすこともなく難に遭わずに済んだ。

省みて、この世の地上で生きとし生けるものには、講釈を述べれるわけではないが、すべての生き物には生きていく権利があるし、人間だけに限ったことではないと思っている。小さな蟻にしても生きるためにせっせと仕事に励んでいる姿をしょっちゅう見かけるが、ある種の与えられた目的に沿って彼らは動いて働いているのである。そこには意思といったものも働いているに違いない。それは生きるためである。スズメバチが空のどこかを目指して飛んで行ったりするのも、目的のために動いているのであり、それも生きるための行動である。椿に茂みからスズメバチが飛びだって空高くある方向を目指して飛んでいく懸命な姿を見ていると、甲斐甲斐しくもあり愛おしく思う点もある。敵対心を煽れば警戒して身を構えるのは生き物の本能であり、意思の表れである。スズメバチは往々にして毒をもち刺されたりすると命にかかわるという話である。せっせと働く様子を見ていると危害を加えられない限り生かしておいてやりたいと思うのが人情というものかもしれない。しかしながら安全が約束されていない限り、野性的だから過剰反応する時もあるから、確かに危険である。黙ってそっとしておくには、スズメバチは人に危害を及ぼすことはない。そう思いながらもあえてスズメバチの険悪な面相を想像して、何とかした方が良いのではないかと自分自身を説得していたところである。

  世田谷区の区役所に電話をして趣旨を伝えたところ、相談の窓口に生活環境課と言ってスズメバチの苦情相談を受け付ける担当者につないでくださった。対応は誠に親切である。三メートル以下の場所に巣がある場合には区の専門の指定業者がスズメバチの駆除に派遣してくれるという話で早速申し入れてみたのである。指定された日にちが9月の27日の午後2時からであった。小生は事務所へ出勤して用事を足さなければならなかったので、家内に立ち会ってもらうことにしたが、駆除の作業のしやすいように前の日に椿の根元を片付けて準備を了していた。なんとその日は元首相の安部さんの国葬が行われる日である。国葬については国民の間で反対運動が盛り上がってきて、賛否が大きく分かれ国論を二分するまでに物議を交わしている始末である。巣の攻撃を受けたスズメ蜂の騒ぎのようにも感じられて、葬儀をつぶしにかかるデモ隊の騒ぎにも思われて、困ったものだと思っていたのである。国葬については岸田さんの決め方にも問題があったし、その後の対応にも不信を買う始末で国民の感情を逆なでするような経緯があって、最後まで物議を沸かし収拾がつかないまま国葬の実行に突入した感じである。国葬が行われているのは現実なのだから、少しは静粛にて礼節を保ち品格ある姿勢を以て臨むべきである。安部さんもどうしていいか分からずに、心穏やかに天国に行かれなくなっても困る。厳粛であるはずの葬儀の会場となった武道館の周辺では、多くの市民のデモ隊が声高に国葬反対を公然と叫んでいた。 

  拙宅の庭の樹木に居ずいた進めば地の巣の駆除は、世田谷区から委嘱された専門の職員の一人が訪ねてきて、スズメバチの猛反撃と戦いつつ一人で孤軍奮闘のすえ、見事にスズメバチの巣を取り外してくださった由である。結構大きくなった巣ですね、珍しい大きさです、と感想を漏らしていたそうである。終わった後、庭に置かれたテーブルでお茶を召し上がってもらって、いかほどでしょうかとお値段を窺ったところ、区の方で払うことになっているので無償ですといわれ恐縮した次第である。それよりもご連絡いただいて有難うございますと、逆にお礼を言われたそうである。むしろ感謝して重ねて恐縮する次第である。 9月27日

     安部さんの国葬

政府は27日に居り行うことを閣議決定した安部元首相の国葬を、千代田区の日本武道館で午後二時から厳粛且つしめやかに執り行った。秋の輝く日和に恵まれた午後、安部さんの遺骨を抱いた昭恵夫人が渋谷の自宅を出て式場となる日本武道館に着かれた。厳戒態勢が敷かれた中、式場には国内の政財界や、海外からの各国、地域、そして国際機関の代表者ら四千人からの人たちが参列した。場外の近くの九段坂公園に設けられた献花台には二万五千人以上の参列者が長い列を作り、暗くなるまで絶えなかった。国が葬儀を主宰するのは戦後の吉田茂首相の場合の国葬だけであって安部首相は五五年ぶりで戦後二度目となった。皇室からは秋篠宮殿下ご夫妻を始め皇族がたが五人、国を代表して主宰者の岸田首相はじめ、三権の長らが弔辞を述べて、それぞれが故人の功績をたたえて感謝と惜別の辞を述べた。

  友人代表の菅元首相は、安部さんを懐かしく思い起こし、友人として熱く付き合って来た政治生活を振り返りながら、心優しかった安部さんの人柄を吐露して、一首の和歌を詠みあげ、「語り合ひて信じる友の先立ちて今よりのちの世をいかにせむ」、としめやかに憂国の情を表わして胸に迫るものがあった。戦後まれにみる卓越した政治家の一人として、はたまた人格識見豊かなる画像を残して旅立っていかれた安部さんであるが、六七歳の生涯はあまりにも短く、この世に於いてやるべきことの多くを考えると口惜しいかぎりである。騒がしき下界の世情から抜け出て、祭壇に広々と飾られた菊の花が象徴するように、清らかに澄んだ天界の神のみもとに付いて、静かに長い眠りにつかれたことに違いない。改めてご冥福をお祈り申し上げる次第である。


安部さんのみ霊の天に召され行く秋のみ空の光る果てかな

功績の有無はともかく安部さんの明るく映えし面影の良し

安部さんの凶弾にあひ殉死さるあはれ人生の思ひ半ばに

憂国の思ひは深し安部さんの先立つ後の偉人いかにも

在りし日の画像が流る安部さんの大活躍の姿親しく

自民党最大派閥の領袖の逝去に揺れる先の政界

穏やかな秋の日和に打ち過ぎてみ霊の天に昇るけしきに

安部さんの永久に旅立つあと追ひ鷺の一羽のあきらけきかな

何かにと異論はあれど安部さんに抱く功績のさまざまにあり

波風の立ち騒ぐ世にいかに生く知恵を絞りて先に進まん

要人のあまた頼りて来日す弔意を示し遠き国より   続     9月27日


日中国交回復五〇年

  五〇年前を想起して、田中角栄と周恩来の劇的な対面の様子を今以て目の当たりにする思いである。祝福すべき日中国交回復を成就して、満面に笑みを浮かべて熱く握手を交わす偉大なる人物の二人を思い浮かべては、我が昭和経済会の壁に飾る一枚の写真をいつも眺めている。一九八四年五月、昭和経済会は日中国交正常化を果たしてのち余年のこと、日中友好経済使節団を組んで総勢四三名、参議院議長だった安井謙先生の親書を携えて勇躍して北京に飛んだ。経済関係未だ浅き時代である。国際貿易促進協議会の大会堂で汪耀庭副主席はじめ他の要人と相対し、互いに胸襟を開いて歓談し大きな成果を収めてき忘れがたい思い出がある。きんもくせいの香りが気高くただよう時期であった。

  水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れない、とは古くから中国で云われてきている言葉であるが、五〇年前の今日のこと、周恩来を思い出し、片や田中角栄を想起する時、今日の日中関係はあまりにも貧弱すぎるのではないだろうか。我々は、中国人も含めて、高き知性を以て時局に対応し、不朽の信頼関係を以て状況に臨む努力を怠って、先達の遺徳を反故にするような結果を招いていることは両国にとって大変不幸なことである。何とかしなけれしなければならないと思うこと、切なるものがある。   続               九月二九日


    営業年度の大みそか

  今年も営業年度の晦日を迎えてあわただしく過ぎた日々を省みたが、ゆっくりと自覚する暇もなく今日を過ごしている。昨日は大きな仕事を抱えて重責をおぼえつつ、古き友人の馬場さんと久しぶりに渋谷の依頼先を訊ねた。有楽町からJR山手線で渋谷駅に下車、混とんとした街なかの駅であるというべきか、以前からではあるが渋谷駅の大改装中に戸惑いながら、目指す目的地に向かったのである。完成にはこの先未だ5年程度の歳月を要するだろうと思われる様子に、迷路を巡っているうちに聊か疲れてきてしまった。友人は背丈が高く足長であるゆえ、その分歩幅も大きいはずである。同じスペースで行くにしても小生は負担が大きい。しかしそれによく耐えて当日は行動を共にすることができたので、自分の体力、気力に大きな自信を持つに至ったことは有意義であった。

  行きに慣れたとは言え帰りの道のりはむしろ渋谷駅の込み入った通路と階層におびえながら、井桁を高く幾重にも重ね、積木細工のような駅構内を彼方此方とさ迷うあたりは、お上りさん同様にて無様な有様であった。東急東横線に乗車するまでが大変で、いわんや地下5階までのホームにたどり着くに難儀した。折から滑るようにホームに入って来た電車は、幸い通勤特急だったので自由が丘駅までは快適に早かった。自由が丘駅からは横着してタクシーに乗り自宅に就いた。遅い帰宅に妻は心配していたが、馬場さんと一緒だったということで大いに安心していた。風呂に飛び込んでしばらくゆっくりと湯につかっていたので疲れが取れたようである。食事には冷えたビールをゴクンと飲みほしてさっぱりし禄すっぽ食事もとらずにソファーに寝込んで熟睡してしまった。やっぱり疲れ切っていたのである。この熟睡が肝心である。これによって体の回復が確実される。人間はな意を以てしても復元力があるかな以下によって、それはそもそも新陳代謝のバロメーターだから無視するわけにいかない。

  明けて今日は9月の大晦日である。相変わらず爽やかな秋日和のお天気が続いて、心身ともに充実した毎日である。一昨日駆除してもらったスズメバチの巣であるが、その部分だけ椿の茂みがぽっかりと空いて、区の職員に駆除してもらった跡がはっきりと窺えた。しかしながら生き残った残党組が周辺を飛び回っている景色に、巣を失って狼狽気味の蜂には済まないという気持ちを持ったりしていたが、何やら今度は正面の柊の樹を中心に5,6匹の蜂が飛び回っていることに気が付いた。余ほど拙宅の庭が気に入ったのか、残った蜂がいまだに飛び回っているのである。スズメバチの駆除は10年前ごろにも経験している。

 いずれ秋も過ぎて年の瀬を迎えるまでには気温も下がり、すずめばちの活動も沈静化するに違いないと思いそのままにしておくことにした。たくさん生きていたに違いないスズメバチだが、こちらから何らかの圧力を仕掛けない限り、蜂の方から悪さをしないと思われるので、残り少ない仲間たちが楽しそうに周辺を飛び回って遊んでいるのも風情があっていいものである。出社した後、T不動産の稲吉さんが久しぶりに見えたので、楽しく歓談し要件を済まし終えた次第である。夕方近く日が傾きかけた秋の日差しを窓辺に覚えながら、静かになったオフィスの部屋で一人何げなく過ごしているのも落ち着いて居ていいものだと思っていた。+

  
振り返る五十年前の世の中を今や隔世の感のつくづく

半世紀前の社会を振り返りあっという間に過ぎてきにけり

日中の国交回復五〇年祝し万里の長城を行く

晴れ渡る秋の美空に富士高く日中国交を祝すこの朝

富士の嶺の聳ゆる秋の空高く日中国交の今日を祝へり

満面の笑みをたたえて握手する周恩来と田中角栄

振りほどくこと能わずに握手する田中と周の固き信頼

周さんの田中の腕を抱きよせて幾度も握手しては振るなり

大国となりし隣人と向き合ひてへり下らずにしかも謙虚に

お互いに長所を汲みて前進す友好親善を盾と矛とし

日中の国交回復五〇年この半世紀の先を観るかな

延々と続く万里の長城を眺めつ古人の気概うかがうふ

中国も大和も古き歴史にて優れし文化を誇りともせむ       九月三十日


研究所の


 
 

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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