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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.17.8

  
         日野原重明先生と 福江等牧師

   先月、7月18日、現役医師を貫かれた日野原重明先生が百五才の人生を全うされて亡くなられた。常日頃、クリスチャンとして敬虔な信仰生活を送られてきたがゆえに、粛然として死に向き合って逝かれた先生の姿と生きざまには、生前から尊敬の念を以て深い教訓を授かる気持ちで接していたので、ひとしお感慨深く胸に迫るものがあった。人生の目標には限りがないと申され、常に努力研鑽の道を説かれていたように思う。十数年前に私が通っていた自宅近くの尾山台ナザレン教会に、日野原先生が話にお見えになったことがあった。その時のお話の後、日野原先生を招へいしされた尾山台ナザレン教会の福江等牧師と満子夫人のご紹介で、牧師室で親しく日野原先生にお目にかかった。高齢を思わせない若々しい表情と、メリハリのある言葉使いが印象的であった。名刺代わりに昭和経済会発行の「昭和経済」を差し上げたところ、古い歴史があって難しいお仕事をされて居ますねと云いながら、月刊誌の昭和経済を手にされて、毎月の発刊で、立派なご本ですねと申されていた。ページをめくって昭経俳壇の俳句に興味深く目を通しておられた。誠実で温和なお人柄が、印象的であった。
   メッセージをしてくださった日野原先生は、十字架に就かれたイエスが、自らの死を以て人類をあがなわれ、罪の許しを乞うて天に昇り永遠の復活を遂げられたことを話された。イエスは、この上なく人を愛された。イエスは常に私たちと共におられ、父なる神は、すべてを以て益となされるお方であるから、み心に従って日々の生活を強く、愛和の精神で営み、歩むことが大切であると申されていた。人々の間に憎しみやいさかいがあってはならず、隣人愛を以て人のために役立ち、愛の手を差し伸べていくことが肝要なことを熱く述べられていた。それは医術を通しての命の大切さを説かれていることからも、真実である。現実を見つめていらした日野原先生の一生の務めは常に終わりでなく、始まりだとする信念が、ここにも貫かれていると思うのである。百五歳の人生を燃焼尽くした先生は実践的な愛の信仰を貫いて、世のため、人のために尽くした情熱的なクリスチャンであった。永遠の命を授かった百五歳の先生の人生は、終わりではなく始まりである。
 
   畏敬してやまぬ福江牧師は、私に洗礼を授けた牧師である。不束な小生を、信仰の道を諭してくださった。勿論、その前に妻が敬虔なクリスチャンとしていたし、その感化を受けてのことではあるが、兎にも角にも妻に背中を押される形で洗礼を受けた。愛と感謝の念を以て過ごす日々に自分を置くことは、何と素晴らしいことだということが分かってきただけでも幸わせだと思っている。
   人類愛とか諸行無常といった考え方は仏教も同じ事であって、人間として正しく生きていく上で必要なことである。生まれ育ったところが東京の下町の浅草の猿若町であった。江戸時代から芝居小屋のあった小さな町であり、今でも猿若三座の市村座、守田座、中村座の碑が立っている。小さい時から仏教の教えに倣って育ってきたようなものだから、根底からして、いわゆる信仰生活と云った考え方から縁遠い育ち方であった。仏教の宗派も浄土真宗であり、仏間を設け豪勢な仏壇を置き、ご先祖様の功徳を讃え崇めて香をたき、毎朝手を合わせ念仏を唱えていたのである。更には南無阿弥陀仏を唱えていれば仏心が通じて悟りを会得し、ほとけの道に精進して一生を全うしていけると云う教えに従っていたのである。規律正しい生活に、世俗的な立身出世も、そこに含まれていたかもしれない。お盆には家族そろってお墓参りに行き、花を添えて供養し、極楽浄土を願ってくるのも子供心に楽しい行事の一つであった。お坊さんを通じてほとけと相まみえるのが宗教行事であった。そうした行事を通じて、家族の結束を確かめ合いきっかけにもなって、良し悪しは別として反面家父長的な制度の維持にもつながっていった面もある。家では、大きな仏壇に過去帳を大事に祀っていた。父が3月9日の東京大空襲の時にも、火炎が迫り、着のみ着のまま家を出て避難する時も、先ず仏様とご先祖の位牌と、過去帳を風呂敷にくるんで首にかけ家を飛び出したのである。それで信仰熱き父は、熱風と火炎の中を九死に一生を得て、神仏に救われたのである。

   大学時代に、私は酒枝義旗教授のゴットル経済学とドイツ語を学んだ時に、先生の高邁な人がらに親しく接する機会を得た。先生は、内村鑑三と並び称されるほどにキリスト信仰に熱い方でいらした。聖書研究に関しては、第一人者であることは言うまでもない。昭和35年、1959年3月、西ドイツのアデナウワー首相が来日した時、早稲田大学の大隈講堂で記念講演をされたときには、酒枝先生が素晴らしい通訳を以て多くの聴衆に深い感銘を与えたのである。大学二年生の時であった。学生生活の中でも、忘れられない思い出の場面である。尾崎士郎の小説、人生劇場を未だ髣髴する時代であった。しかし、それが間近かに思い出すことが出来るから不思議である。
  酒枝先生を誘い、担当ゼミの財政学の平田寛一郎教授と一緒に千葉の房総に大内義一教授(英文学者)の別荘を訪ね、上総湊から釣り船を出して釣果を楽しんだ日もあった。その時は著名な酒枝先生を通じて、自分が聖書とキリスト教の教えに少なからず接していたにもかかわらず、クリスチャンになる道を授からずに来たことは、ひとえに小生の不束さと、聖書と信仰に関心がなかったからである。酒枝先生は、我が昭和経済会の発行する月刊誌「昭和経済」にもたびたび随筆を掲載してくださり、その麗筆と内容は信仰心篤く、常に続者に深い感銘と信念と行動の大切さを教授してくださった。先生の中野の白鷺にあるご自宅の隣に、ご自分で礼拝と会衆のための会堂を建てられ、信仰の書「待唇」なる小冊子を定期的に発行され伝道、宣教の道に広くかかわった。酒枝先生のお教えを受けた著名な人たちが、世に輩出されていった。
  又大内義一先生は、大学一年の時にクラス主任を担任されたが、専門はは英文学であり、著名な英文学者として数多い著作をのこされている。定年退職後、名誉教授の称号に浴し、その後、月刊誌「昭和経済」の巻頭随筆を執筆してくださり、二十年以上に及んだ。それを一冊の本にまとめて発刊するうち何と大内義一随筆集、全九巻を発刊するまでになり、定年後はエッセイストとして世に出られたのである。先生方とのかかわりは、大学を卒業してからも更に親交を深めながら、実業の社会と並行して充実した日々を送ることが出来たことは、実にありがたく常に感謝しているところである。傘寿を祝う祝賀会を八重洲富士ホテルで盛大に開かせてもらったが、その時私は先生の生い立ちと人gらと学問的業績について25分間の間、原稿を見ずに報告させてもらった。先生は僕を評して、「佐々木君は僕のことを、僕以上に知っているからね」と云っていらしたくらいである。

  書いてゆけば限りがないが、酒枝名誉教授についても、その後、キリスト教に関する酒枝義旗全著作集13巻を発刊されている。信仰者としての敬虔にして情熱的な名著であるが、それが私の書棚に今も置かれてある。私は、大学時代はもとより、社会に出てからも恵まれた環境で自己練磨に勤めることが出来、これも一期一会の良き賜物と思っている。相続税法の大家で、元税務大学の教官で、故・鈴木三子郎先生がいつも口にしていたことは、清貧にして心豊かに人生を送ることが大切だと述べていたことである。敢えて企業経営者たちに向けていた言葉である。大方の人にとっては耳に痛い話として、金を残さず、真の財産を後世に残していくことが肝要だということかもしれない。酒枝先生や大内先生、そして昭経俳壇の撰者を長年務めてくれた遠藤蘆穂(雅号)先生が鬼籍に入られて久しいが、そうした先生方の姿が、いつも小生の脳裏に浮かんでくるのである。

   時は経て、信条とした「人生、修業と努力の道」とは云え、幾たびとなく現実的に苦悩にあえぐ時もあった私を見て、妻が教会への道を諭してくれた。そもそも「人生いたるところ青山あり」で、楽観的に希望を掲げてきただけに、信仰については、少なくとも求道者としての放浪の道を歩むだけにすぎなかった。ふとしたきっかけで、拙宅の近くにある尾山台ナザレン教会へ行くようになった。教会のたたずまいと、森閑とした礼拝堂の清冽な雰囲気が気に入ったからである。そこで温かく迎え入れて下さったのが、福江牧師夫妻である。特にマリアの様に優しい清らかな心を持った、満子夫人であった。聖書と讃美歌に接し、軽い気持ちで教会に通う間がいかにも自然で楽しく、何となく数年が続いた。しかし漠然とした思惑と未練と煩悩があって、洗礼を受けることはなかった。福江先生はナザレン大学の学長を務められた後、ご夫妻共々ふるさとの高知の加賀野井に帰られることになった。この機を逸してしまったら、私は永遠にクリスチャンにはならないに違いないと悟った妻が、尊敬する福江牧師から洗礼を受けるように勧めたのである。その時、不思議と私は素直にそれに従った。
   聖書のみ言葉に、我が身に染みる教訓がある。ローマ人への手紙第五章三節から五節には、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望をもたらすということを、そして希望は失望に終わることはない」と結んでいる。洗礼式は自宅で行った。庭の染井吉野の桜が咲いていた。洗礼式にふさわしい、綺麗な季節だった。2008年4月19日である。洗礼を授けた福江牧師と満子夫人、そして多くの知人、友人が祝福に来て下さった。私が洗礼を受けたことを知った、故・酒枝教授の現子夫人は、大変喜んでくださったことを熱く覚えている。そのあと、福江先生ご夫妻は東京を離れて行かれた。高知加賀野井キリスト教会の牧師について、故郷の福音宣教の道を歩まれている。

  私も妻ももちろんのこと、ナザレン教会の人たちは福江牧師夫妻との別れを特別な思いで寂しく思い、悲しんだことであった。尾山台ナザレン教会の純粋で、善良な人たちに恵まれた私たちの信仰生活も、充実して楽しかった。全ては神様のご遺志だと申されて、遠くに去って行かれた福江先生ご夫妻であるが、その加賀野井教会からは定期的に教会の週報と、メッセージのCDを今でも私たち夫婦に送ってきて下さっている。メッセージには福江先生の格調高く、素晴らしいみ言葉のとりつぎが収められているが、懐かしく妻と聞きながら、神の恵み深い恩寵を身に覚え、喜びに充たされて感謝を覚えるのである。私たち夫婦は今、自由が丘の玉川神の教会に転会して早や十五年になる。

   思いだすのは、教会から発行されている月報の一ページにわたって、毎週の礼拝で詠んだ私の和歌が約二十首ほど掲載されていたので、私の信仰生活を深めていく上で大変大きな力となっていたのを鮮明に覚えている。私が毎回のこと、教会でメッセージを聞きながら、聖書を拝読しながら、和歌を詠んでは書いていた。そのことに気付かれた満子夫人からの依頼であった。それも熱く、懐かしい思い出の一つである。何かと思い出の多い福江牧師夫妻と別れたのちも、私は聖書やキリストや、信仰生活について多くの和歌を即興的に詠み続けてきており、信仰生活の支えにもなっている。毎日が仕事に忙殺されているので、日曜日の礼拝では、妻と欠かさず通って祈りに充たされた日を送ることが出来て感謝している。未熟な信仰の道ではあるが、己れの菲才な身ではあるが、今の私は不思議なことながら、INVISIBLE HAND OF GOD、見得ざる神の手によって守られ導かれているように思っている。世間の多くの人たちも、いろいろな実体験を積んで、そのように実感していることがあるに違いない。その人は、ただ気づかずにいるだけなのである。日照りや雨、風に耐え、大海原に流されて浮き沈みする一枚の木の葉にも似た自分を、神様はじっと見守っていてくださっている。感謝である。

   福江先生ご夫妻に授かった故郷の小さな教会は今大きく成長して、若い時のアメリカ留学中のご体験が大いに生かされて、現在では、色々な国々の信徒たちが教会に参加して、国際的な活動にまで及んできている。「インマニエル」 神、われと共にあり、先生ご夫妻の宣教活動は、このみ言葉通りであり,喜ばしい限りである。教会と福江牧師ご夫妻に、主の祝福が豊かにありますように。 在主   8月1日


         早や立秋を迎えて

猛暑が続いていたかと思ったら、早や立秋である。ちんぷんかんぷんの台風5号の上陸で、大量の雨と強風を以て暴れて行き、本邦を縦断していった後の災害は、目を覆うばかりである。 田畑の冠水、床下浸水、河川の氾濫、がけ崩れと災害地では救援態勢でてんやわんやであるが、異口同音に、こんな被害は初めてだと被災者たちの怯えた感想の弁である。 自然災害国日本の歴史はご承知のとおりであるが、近年ほど頻発し、まして今年は特にひどい気象状況に見舞われている。線状降水帯と云った聞き慣れぬ気象用語が飛び交って、これに襲われた秋田の大曲地帯が河川の決壊で街なかに水が流れ込んでいるという知らせがあった。大学時代の親友が住んでいるので電話をしたところ、案の定、床下浸水で、今避難先に来ているという。元気な声をしていたので安心したが、無事を祈っていると伝えたのである。こうした異変ともいえる状況はこれは確かに異常であり、その遠因を辿れば、人類史上、産業革命によって文明社会が急速に発展し、化石燃料の消費が膨大に重なって、この地上で複合反応を起こして、これが長期間にわたり上昇し、地球を取り巻く成層圏の異常に起因しているのが分かってきている。謂うところの二酸化炭素、CO2の排出で、地球温暖化による地球秩序の破壊が進み、異常気象を生み、動植物の異変を加速させ、地球生命の危機が叫ばれている。
   かかる認識のもと、人類の英知と決断を以て、ようやくパリ協定がむすばれた。二酸化炭素の排出量の規制に、各国が参加して取り組んでいくことになった。トランプがアメリカ大統領になって、選挙公約とするパリ協定からの離脱を決めて、世界秩序を根底から壊そうとしている。ふざけ半分なツウィッタをーを乱発し、子供同様の落ち着かなさだが、他のことはどうあれ、パリ協定離脱は以て許しがたき暴挙である。世界秩序を乱して、平和な国々を脅しにかかる今の北朝鮮の、戦争挑発行為と何ら変わるところがない。その北朝鮮だが相変わらずの傍若無人、池の中の蛙ではないが、世界のことに目を向けず、うぬぼれも度が過ぎており人騒がせ、世間騒がせもいい加減にしてもらいたいものである。ミサイルを遠くの飛ばすことに奔走している、時代錯誤も甚だしい。迂闊にに発言して、日本までが紛争の渦中に巻き込まれたではたまったものではない。色々な不満が出てきてきりがないが、うっぷん晴らしに、では即興の和歌でも詠んで、おみくじでも大吉と出てくれれば、そして世界が平穏無事とあれば、小生の良しとしたいところである。   8月9日


      ある日の三太郎の歌日記

行政がゆがめられたと前次官歪む行政を壊す安倍氏と

注目の衆議院予算委の開かれて集中審議の今し始まる

夕立のさりげなく去り藍色の空に七色の虹のかかれり

行政の規制緩和は課題なりされどこれを悪用す者もゐて

森、加計、日報隠しと馬鹿野郎ハゲの罵倒に荒れる国会

実直な官僚生活を全うす前の次官の言に分があり

安倍一強と称して政権の運営も盛者必衰の掟に会ひぬ

トランプの品無きさまにマクロンの流石に洗練されしスマートさよ

虚偽発言稲田大臣の資質問ふ集中砲火を浴びる首相は

審議にて知らぬ存ぜぬを繰り返す政府参考人の無責任の弁

記録なし記憶にもないと繰り返す答弁に立つ認知症の皆

役立たぬ役人どもが勢揃ふ知らぬ存ぜぬでは始まりはせぬ

記録にない記憶にもないと連発しこれでは審議が前に進まぬ

お粗末な防衛大臣の稲田譲チン答弁にど素人の声

自民党内から厳しい発言も襟を正して民に迎へと

防衛庁、自衛隊らに舐められて情報開示の拒否隠蔽さる

大臣の引責辞任は当然に遅きに逸し物笑いなり

春風を切って閲兵す稲田譲まつり騒ぎの可愛こちゃんが

安倍さんの少女趣味なり稲田譲、防衛大臣抜擢のつけ

化粧してファッション宜しく閲兵す強者どもが楽しみており     8月4日


抜擢は優れた人材の河野氏へ外務大臣の就任ぞ良き

内閣の改造の目は防衛相小野寺大臣の再登場に

内閣の浮沈を賭ける今回の内閣改造に成るか再生

この国を平和と安寧に導きて貿易、技術立立国の先

「仕事人内閣」と呼び意気高し過去の仕事は惜しくも流し

内閣の改造終えて安堵せり政局混乱を避けて良しとす

閣僚の中にはとぼけた人もいて脇の甘さのところ垣間見

馬鹿野郎このはげ頭と罵りてやくざがまがいの豊島議員よ

世の中にジキルとハイドのあまたいて群れに隠れて悪さしおりぬ

東芝の再建成るか半導体部門売却に精魂尽くし

東芝の米ウェスチングハウスの買収が大き痛手となりし今日

名門の東芝の力を再起させ捲土重来と檄を飛ばさん

新党を目指す小池の国政に王手をかける兆しあるとも

相対す民進党のだらしなさリーダー欠如に信を失ふ

台風の洋上放浪の二週間本邦上陸に被害甚大

外相に河野太郎氏就任す外交政策に活躍を期す

当会の講師に招く河野氏の所信明快の歓談に過ぐ

EUに優れたリーダーの活躍すメルケル、マクロンの品格高き

朝鮮の挑発日々に激しさを増すこの頃の陸海空路は

北鮮の軍事優先政策に行き場なくなり挑発行為に

挑発による突発的な暴発の恐ろしさゆへ自制求めん

迷走す台風五号の洋上にきっと本邦を狙ふ気かとも

ニューヨーク株式市場の活況に連日高値更新の日々

トランプの政権発足後4000ドルダウを押上ぐアメリカ経済

学ぶ点大いにありぬアメリカの経済金融政策の術

知らずうち2万2000ドルを突破して成長示すアメリカ経済

猛毒のヒアリ撃退に先手打つ日本全土が怯え過ぐる日

あなどれぬ北朝鮮の核保有一触即発の米朝関係

米朝の互ひに威嚇挑発し対話を回避するはおぞまし

米朝の威嚇連発に限りなし突発暴発の起こらぬうちに

お互ひに対話のテーブルに着き話せ要は朝鮮統一のこと

米朝の対立激化に日本のあらぬ巻き添え喰うは如何と

それがしの不勉強かも米朝の対話のできぬわけの如何と

何事が米朝対話を阻むかや平和と自立の基礎に立つなば

トランプの怒りと炎の警告にこれを対話の場へと進めよ

世の中のリーダーたちは品格を持ち民衆の安き日を得ん

あっけなく民進党の党首蹴りあっけらかんのいかさま蓮肪

馬鹿野郎くそ爺の禿げ頭罵倒の女性国会議員よ

最初からどうもすっとんきょの感じして蓮肪党首に衰退の党

安倍さんの努力もむなし積年のたかが加計学園のチンキな件で

哲学を持たぬ政治家の日本に有象無象にたむろするなり

切り込みも鋭く相手の弱点をされど己に交わす矛なし

内閣の改造あとも人気出ず思惑外れ手遅れの体

受け皿のなき国会に自民党政治に代はる政党のなき

小池氏の虎視眈々と政局の空白を突き幟立ち上ぐ

小池氏の人気好調の波に乗りあやからんとすあまた男ら 


教会の帰途に三井家の菜園と五月の手入れを見学致す

三井家の五月の手入れの作業場をつぶさに見学致す束の間

面白き田舎暮らしを体験し頼もしく思ふ三井ご夫妻

からぶきを煮込む大鍋に大量に田舎暮らしの贅沢なりし

                                      続
                                           8月7日

    72年目の終戦記念日

   七十二年目を迎えた終戦記念日である。あの日から七十二年が経ってしまったという感慨の方が強くなってきた。と云うのも、昨今の相も変らぬ慌ただしい戦争の兆候が、性懲りもなく続いているからである。人間の愚劣で愚かしい一面を、嫌というほど執拗に見せつけられているからである。個人的にはどうしようもない国際政治の局面だから、致し方ない。とは言っても動かしているのは人間だということになりると、アダムとイブの、禁断の実を取って食べてしまったときからの定まった宿命と思い、その罪の加減をいかにして軽減していくか、そのところにかかっており、それは愚かな人間の努力次第だと認識する必要がある。
   北朝鮮のミサイル発射予告を巡って、米朝間で激しい威嚇と挑発のやり取りが続いて、日増しに激しさを増してきている。今日の八月十五日は日本の終戦記念日であるが、同時に北朝鮮にとってもこの日は、祖国が、日本の植民地政策からの解放記念日であるがゆえに、国威高揚のためにこの日に発射すると北朝鮮も発射を予告していたが、それは米朝の軍事的衝突につながりかねない不幸な結果となる。幸いにその危機を脱し得た感じである。グアム島周辺の手前40キロを目標に発射となれば、トランプ政権が「怒りと炎を以て反撃する」と、軍事的行動をほのめかしていたからである。
米朝は、冷静になって平和と繁栄のための話し合いを開始する道筋を追及して行ってもらいたい。戦後72年を経過し北朝鮮も韓国も、それぞれの国体を維持して発展をしてきている。朝鮮半島の祖国統一の念願は、両国の念願かもしれないが、それはお互いがそれを実現できるような内容の成就が果たされて徐々に解決されていかなければならない。北朝鮮の体制の維持と、国の繁栄をもたらすためにも、戦争と破壊の道を回避しなければ、真の希望は得られないはずである。お互いに冷静になって、お互いの利益のために英知と勇気を発揮して行こうではないか。ヘミングウェイの「武器よさらば」である。決して戦争の惨禍と破滅を、再びもたらすような愚行は避けるべきである。      八月十五日

住み安き平和日本終戦日     三郎


つぶやきを連日流すトランプ氏騒がしく世を掻き回しける

人ざまの血肉を飛ばし争へる醜き業の愚かなりけwり   

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皆既日食の米大陸横断の旅


    九十九年ぶりに鮮やかに見られるという皆既日食が、アメリカ大陸を横断していく映像が新聞各紙の夕刊に報道された。金色に輝くリングは太陽の光りである。月の影をすっぽりと太陽に落とす映像は、謎めいた美しさであり、魅惑的である。大宇宙の中の、微小な太陽系で繰り広げられる、自然界の真理を示して遺憾なく、心に迫ってくるものがある。


壮麗に皆既日食の横断すアメリカ大陸8000キロの旅

日食のアメリカ大陸を横断づ仰ぎ勇壮な気概わき出づ

太陽と地球のあいだに狭間りて月かげ黒くうつす天空

太陽に月の輪郭を明らかに黒く太陽に落とすその影

法界のおきてにならひ運行す太陽系が示す正確

果てしなき宇宙を仰ぎ美しく軌道を走る星のまたたき

壮麗な宇宙の星のまたたきに我が実在の立ちて悟れり

悠久の宇宙と真砂の宝石のきらめきに身をさらしけるかな

われが恋ひ慕ふ妹の手をたずさえて聖夜の夜を神に寄りゆく

アルプスのふもとに立ちて小夜なかの空を仰ぎつ我を覚へり

ニュートンの万有引力の定説に驚き眺む法界の美を

我が思惟の及ぶ宇宙の果てにまでなほ不可解なり実体の如何や

華やかにめぐる星座の間を飛びて宇宙の果てに飛びて行かんや

法界のいずくにあらむ重心の星のめぐりにふと思ひはす

億兆の真砂の星を仰ぎ見て神のみ影を確とおさめり

                                  以下十五首       8月22日
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日曜礼拝

   私が妻と一緒に通っている玉川神の教会では、毎週の日曜礼拝は午前十時三十分から黙想と共に始まる。その時には教会の鐘の音がおごそかに打たれて、礼拝が始まることが街中の人たちに告げられる。美しい鐘の音に気付いて、神のみ手に誰でもが招かれて教会のみ堂に入ることが許されている。礼拝は司会者の進行で進められるていく。司会者が礼拝の始まりを告げ、前奏が厳かに弾かれて終ると、招詞が告げられる。そして司会者が開会祈祷をする。そのあと讃美歌を歌い、私たちは正面の十字架に向かってイエスと向き合うことになる。
   主の祈りと、信仰告白「使徒信条」を告白する。そのあと聖書を開き、司会者と会衆一同が講読する。それから牧師が講壇して、静かに祈祷を行う。会堂は一瞬水を打ったように静まり返る。そのあと本日の説教に合わせて、司会者が聖書を朗読する。聖書の内容を味わった後、牧師が、み言葉の取り次ぎをすることになる。取り次ぎには、イエス・キリストの十字架の贖いが述べれられる。そしてイエスの愛と永遠の命の喜びに、私たちは包まれるのである。牧師の説教が終わると、再び讃美歌を高らかにうたい、感謝献金、主のみ前に感謝の捧げものをし、祝祷、後奏を以て礼拝を終了する。

   礼拝は十二時までに終わる。その間、心は自ずと清浄な心境にいざなわれるのである。感謝である。


        祈り

精霊の我が身に降りて晴ればれし今日一日の爽やかならむ

全能の神に仕へて恙なく日々を暮らすは幸いなりき

与へられる仕事につきて言行の静な身こそ安きあらまし

時に思ふ神の言葉の我が胸に一字一句を刻みゆかまし

我が身には神の言葉が宿りしに力と自信に満ちて進まん

初なつの風吹きそよぎ復活の日こそ全地に勝ちどきの声

精霊のわが身に注ぎ有難き主に立ち返る身こそ嬉しき

我が思ひ心と行動を主に向けてペンテコステの豊かなる日よ

献金を我に託して席を立つ大武兄の善きや立ち舞ひ

幾そたび苦難に遭ひし精神を立て直しけるわがあがむ主よ

先に立つ大武兄の年高き身に大いなる主の癒しあれ

敬虔な信仰者として主の道に静かに仕ふ大武兄よ

戦前の苦悩を明かす内科医の台湾出身なるがゆへにも

医者として戦争思想もたえがたく苦悩の日々を明かす先輩

教会に畏敬の先輩のみたり居て静かに黙し教へ乞ふなり

心臓の手術を受けし菊山兄八十九才の高き身なりし

我が和歌のまほろばに就きたづねける大沼兄の深き学識

精霊の注ぎを満たし感謝してペンテコステの意義をたたへん

受洗者をひとり迎へし教会に厳そかなりしそれが祈りは

精霊の汝が身に降りてペンテコステこの日洗礼を受けし乙女よ

洗礼を受くる信徒は女子学生素朴に心の証し明かせり

新聖歌四百拾六番を高らかに歌ひ寿ぐ今日の受洗を

ほがらかに聖霊来たれりと歌ひつつ友の受洗を祝ひけるかな

めでたくも今日の受洗者の小宮姉(あね)の永き人生の主と共に在り

茅ヶ崎ゆ朝早く発ち自由ヶ丘この教会に見えし大兄

潮騒を聞く朝まだき茅ヶ崎の館をいでし大武先輩

卒寿経て尚悩ましき内科医の神に仕へる静かなる人

医者として人の命をあづかりし大武医師は主に仕へゆく

洗礼を受けしその日を思ひなば我を導く福江牧師よ

インマニエル我主と共に在りし身に祈りと仕事に励む日々かな

寝つかずに苦しみ悩むこと多き床に就きては又起き立ちぬ

夢に立つ神とも母とも思へかし時に妻とも思ふ励まし

主をたたふ和歌の一首を詠みしあと我が面ざしの似たりパウロに

戦前の呑まず食はずの日を思へば天と地との差のありし今

脳外科の塚本医師の献金の感謝の言葉に触れし我が身は

敗戦の飲まず食わずの日を過ごし今の時代のありがたきかな

豊かなる今の時代を恙なく次の世代に継ぎて行かんと

逃げまどうふ戦火の中のこと思へば今在りし身は神の業なり

平和こそ主のみ心のすべてなりほとけの願ひも同じことなり

裏部屋の窓べに蝉の飛びつきてしきりに鳴けば秋風らしき

頑丈にしかも細身の筋肉質若者立ちて我あとにゆく

少争の日々をしばらく思ひけむ尊き恩師のあまた浮かびて

フランスの作家ロマンロランを思ふジャンクリストフの熱き青春

職場にて血気盛んの若者と会ひて話して奮ひ立つ我

いくつかと問われて我は笑み返す君と同じく三十八才と

思へらく我が身に三位一体の移りし覚へ力湧き出す         平常心


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        去っていく夏    三郎のつれづれ俳句

梅を干す実にも滴る白きつゆ
梅を干す日本文化の基なり
紫蘇の汁滴る瓶や梅を干す
梅を干すそばに老婆の皺の顔
クラゲ浮くさしもこの世の無重力
海月浮く水槽に咲く水族館
くらげ浮く浮世をさりげなく眺め
海月浮く浮ながら着く城ケ島
音のなき月夜の海にくらげ浮く
狭き庭松葉牡丹の咲く校舎
それぞれにと色の松葉牡丹かな
波に浮く月と海月の二重奏
白靴を下げて眺める大洗
ルノワール窓の読書や白き靴
広々と砂浜に脱ぐ白き靴
ショパン聴くお花畑の前穂高
雲海に浮かぶ富士の嶺前穂高
安倍首相尚各改造山開く
期待する河野外相夏の陣
台風の襲来に閉じ山開き
打ち上げて諸行無常と花火かな
咲いて散る諸行無常の絵文字の火
路地裏にともる線香花火かな
花火松隅田の堤人の群れ

線香の花火の玉の落ちにけり
打ち上げて火の花が咲く玉屋かな
火の花に玉屋、鍵屋と叫びけり
実体のなき生物体の海月浮く
山車を引く稚児の後ろに猿が付き
夏祭り猿軍団の参加あり
森、加計、日報隠し神無月
森、加計、日報隠し神隠し
防衛相集中砲火の夏の陣
わが胸を突くこともあり蝉の声
蝉鳴きて楽しき雲の動きかな
大木を揺する力や蝉の声
大木を揺るがしてなく油蝉
夕蝉やなぜか悲しくなりにけり
バッタ飛ぶ砲丸投げの競技場
奥山の涼しき里の蝉しぐれ
天城山こえる峠や蝉しぐれ
土用波平和のうねり届ききぬ
南方の少年兵の霊台風
灯篭に少年兵の名を刻み
南方の戦士の叫び豆台風
海浜の宿の景色や土用波
土用波今年も寄せて六角堂
サーファーの自由自在の土用波
土用波サーファーが乗る波の上
蝉鳴きてどっと膨らむ森の山
蝉鳴きて七十二年の終戦日
幻の戦火となりて蝉の殻
蝉鳴いて終戦の日の男泣き
朝顔の紺の上なき青の色
七夕の願ひを川に流しけり
朝顔の斯くも一日在りにけり
朝顔や朝をわが家にもちにけり
戦争の終わりを告げし蝉の声
夏蝉や玉音放送のざわめきぬ
枝豆をはじきとばして酒一合

枝豆の茹であがりたる青さかな
茹であがる豆に小塩を振りかけて
枝豆を遠くに飛ばし友の逝く
ビー玉を頃がす校舎の板廊下
この家に入れば団扇の置かれおり
舞台より消えて幕引き美女隠し
美女いじめさしも稲田も秋近し
法相の大きく育つへちまかな
法相の何かむにゃむにゃ籠枕
母のいて団扇の風の胸にしむ
風鈴の絵のある団扇あほぎけり
空高しこんにゃくを干す軒の下
その軒にささやかにあり燕の巣
海月浮く痛くもかゆくも眠くなし
下草を刈りて見通す茶臼岳
秋天にアルプス連峰果てにまで
アルプスの秋に夕日の槍が岳
沢登かしらを上げて滝の水
沢登鱒の銀鱗ひるがえし
妻の手を確と握れば沢柔し
前穂高残雪光る上高地
梓川妻と渡れば晩夏かな
蒼々の宇宙に一点北斗星
雲の峰空に仁王立つ夕べかな
雷神の制覇する世の正しさよ
夕立の後にめでたき虹の橋
雷のあとの涼しき空の雲
雷公の隣に落ちて百日紅
台風のうねりの高き石廊崎
紫陽花に触れて登山電車行く
谷深し登山電車の急こう配
飛び雲の北に走りて雷近し
宮ノ下ホテル懐かし月見草
箱根路の苔石暗き杉並木
芦ノ湖に富士の笠雲秋立ちㇴ
富士の嶺に笠雲置きて秋近し
稲妻の横に走りし八ヶ岳
のどかなり平和日本の終戦日


飛び魚や白き直線波の上
飛び魚や航海日誌波高き
角川の薄き歳時記秋の旅
原爆の上空に破裂地獄絵図
核兵器廃絶誓ふ原爆忌
台頭す観光立国蜃気楼

後退す産業立国羽抜鶏
網タイツ稲田失脚涙雨
森、加計、日報隠し神隠し
馬鹿野郎ハゲ絶叫の女郎議員
防衛相ファッション症と間違えて
寺宿で聴く仏法僧の悟りかな
静寂の旅の一泊仏法僧
鎮座して一夜明かせり仏法僧
鳴く声に諸行無常の仏法僧
夕暮れの農家の軒にイワツバメ
なつつばめ田園地帯を低飛行
原爆の日に幾ばくに屍や
原爆の灼熱に死す母子あり
忘れまじ悪魔の原爆許すまじ
きのこ雲昼間の天空高く突く
子を抱き母の死体の原爆忌
仰向けに叫ぶ子供の焼死体
泣くさまに姉妹抱き合ふ原爆忌
前途なき観光立国彼岸花
後退す産業立国かすみ草
シャンソンの台詞懐かしパリー祭
惚れてゐるアルヌールが行く巴里祭
ジャンギャバン霧の街頭パリー祭
パr-祭村ンルージュの花開く
肌白き谷間の汗やパリー祭
巴里祭欲望の渦巻く飾り窓
モンブランケーキを分けてパリー祭
喜びも悲しみも在りパリ-祭
街灯の霧に悲しき汽笛かな
鬼灯市井桁の浴衣の子夏かな
山車を引く稚児行列に孫もいて
猿回し今年も出たり夏囃子
汗拭ふ八坂神社のご祭礼
東山手に非らに載せ鉾回し
祇園祭東に鉾を回しけり

艶めきの夏子を連れて鉾祭
第三次安倍内閣や金屏風
練り歩く間抜け閣僚の祇園祭
ばかずらを晒し暑さの練供養
閣僚の五百羅漢の面々に
先導すに二階囃子に稲田居て
葛飾や古池に住む青ガエル
青ガエルのどを鳴らして雨しきり
色壁にコメの墨字の守宮居て
守宮なく船底天井に貼りついて
影武者の雨戸にぴたり守宮かな
漆喰に静かに居りし守宮の子
盆踊り手振り見まねの男の子
団扇振りやがて崩れし踊りの輪
灯篭を流す少女や原爆忌
灯篭の魂揺れて八千個
原爆忌川の灯篭の流れ行く
河鹿なく過疎の山河の細き道
焼死体罪なき人の原爆忌
NHK凄惨報道敗戦忌
インパール鬼畜戦場敗戦忌
敗戦忌何百万の屍は
北鮮のミサイル発射上げ花火
北鮮の玉や鍵やと玉撃って
でくの坊金ちゃんの撃つ上げ花火
トランプの差別発言狂ひ咲き
トランプのつぶやく寝言昼寝かな
メルケルの理想も高き夏星座
ひまわりの咲く明るさや終戦忌
久慈川のアユ釣りをして終戦忌
釣り糸を一人垂らして大河かな
この夏に不気味の空や線状帯
ミサイルに株式市場の乱舞せり
大花火上げて株式青天井
戦争は売りの相場の彼岸花
袋田の駅の変わらず終戦忌
敗戦忌勝手に作りわれが季語
敗戦忌同じ意味にて原爆忌
あはれなり子供の無残死原爆忌
被爆地の火柱未だ原爆忌
今もなお戦火の絶えず敗戦忌


神戸屋にパンの昼食晩夏かな
パンの日の神戸屋に入り夏帽子
厨房の白衣涼しきパン職人
昼食に夫婦子供の終戦日
全山が華やぎ笑ふ秋の峰
比叡山根本中堂の屋根に月
比叡の峰名月渡る西かたへ
名月に東大寺のし尾浮かびけり
燃え盛り緑の果ての山疲る
仰ぎ見る北斗の星や秋の峰
常念の山を斜めに月動く
木道の露光る朝出発す
山道をひとり行く日の花野風
温泉の先に満月至佛山
名月や障子に映る動くもの
名月や障子に柿の影一つ
十五夜の逢引き久し同級生
振る竿に恋人が待つ盆の月

憧れる河野太郎の夏姿
きく川の鰻を丑の日に食ふべ
爽やかに河野太郎の白芙蓉
すがすがし未来の総理外務相
かっこうの朝霧のなか尾瀬ヶ原
朝霧の晴れ行く尾瀬の燧岳
山梨の本場の梨と云うべけれ
晩成の近し安倍政権の鬼胡桃
筏こぐ音の低さや浅野川
未熟なり父母の夢見て盆支度
七夕の色紙に願日三つ書き
星祭アルプス槍に星の雨
遺影見て今懐かしき草の市
行商の百姓譲り草の市
葛飾や見慣れた人の草の市
中川で蒲焼を食み舟遊び
コスモスのお花畑を行く列車
隅田川玉や鍵やの大花火
吾妻橋名月を背に浅草へ
隅田川月に浮かれて茶屋通ひ
灯篭の灯れば川の速さかな
灯篭の一つ灯りて万燈に
雨多き年の豊年汽車の旅
豊年や黄金の風の田を渡る
豊年の稲田に十字架の高き塔
案山子立つ田んぼの五反睨めつけ
稲の穂の三反続く屋敷まで
草千里二百十日も恙なく
草千里噴煙なびく阿蘇火山
稲の穂のなびく彼方に牛一頭
菜種蒔く庭畑黒き広さかな
菜種蒔く母が手伝ふ夢を見て
解夏と云ふゲゲゲの鬼太郎顔を出す
碧天を仰ぎて解夏の身ともなり

星くずをあびて二泊の上高地
眼鏡かけ淑女の妻や虞美人草
文庫本老紳士秋気配
スマホ打つ急ぐ少年晩夏かな
パソコンの落葉スマホへ世の流れ
スマを打つ満員電車冷房車
うっそうと杉大木の円覚寺
ジーパンの素肌艶めく夏帽子
テロ襲撃百花紊乱バルセロナ
それぞれにと色の松葉牡丹咲く
多民族国家となりぬ日本晴れ
日本晴れ富士やま高し株高騰
十四億トップの習氏泰山木
踊り出てわたしゃはステテコ八ッ木節
どじょう掬ひおらが出番と踊り出て
半導体外す東芝熟柿落つ


つけまつげ女房がでたり夏芝居
独唱す妻の讃美歌復活祭
うぐひすや妻の讃美歌独唱会
夏山にひびくリリーコーラス隊
コスモスや妻のソプラノ独唱会
                   8月29日

  サッカー日本代表、対オーストラリア戦に快勝

見事なりワールドカップ出場に日本チームの決定致す
2対0オーストラリアを撃破せりサッカー日本代表チームよ
若者の力を示し躍如たりいよよ世界の桧舞台に            8月31日


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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