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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.20.9

爽快な実りの秋

  一陣の風が、爽快な秋を運んできてくれた。確か一週間前の本欄に秋の気配をそっと書きとめておいたが、今回は本格的な気がする。昨夜からの雨が北から吹く冷気と変って、これまで終日の猛暑のため付けていたクーラーを止める気になった。外の空気が涼しく感じて、久しぶりに部屋の戸を開け放った。爽やかな初秋の風に引き込まれて庭に出てみると、激しい雨を降らせた雲がはじけて、満月に近い月がちぎれた雲の間から煌々とした光を辺りに投げかけている。秋の風に気づいたのか、草陰に虫の音がかすかに聞こえてくる。今日の日中の暑さでは各地で37度台を記録している。こんな調子では。虫もまだ鳴く気にならないでいた。しかし今日を境に、さまざまな秋の虫が出番とばかりに分厚い緞帳を上げて、得意の演奏をし始めるに違いない。一か月近く開幕する、そのオーケストラの演奏を聞くのが楽しみである。 

  今朝は朝早く生きて、トマト、キュウリ、いんぎん等の庭畑の役目を終えた植物を引き抜いて取り払い、シャベルを使って一部の土を掘り返した。これはかなりの重労働である。数日かけて時間を振り分けて、秋まきの種を撒くべく用意するつもりでいる。この年の暑さは異常であるが、土深く休眠していたミミズが、驚いて元気よく飛びはなていた。雨が少ないのに、ミミズの生育が闊達である。それと云うのも井戸水をくみ上げたもので、いつも夕方には散水をしているので、豊富な夕立に遭っているようなものである。肥沃な土壌の様子が、ミミズの存在で立証される。これに十分な追肥をした後に秋物の種を撒けば、豊富な野菜類の収穫が楽しめる。

今の収穫時期にとれる成りものはゴーヤに獅子唐、オクラやピーマンといった成りものが主だが、これから秋野菜の種まきの準備をしなければならない。旧来の方式でスコップを使い、固まった土を掘り起こし、細かく砕いて土壌を細かく砕いてやっておくと、土は十分の酸素と追肥を吸収し、その後に植えられた植物は広く根を張って栄養を吸い取ることが出来るし、微生物や生き物も活発に活動するようになる。実は、それまでの準備に相当の体力が消耗されるが、その完成度が体の心身の健康状態を観察するに最適なバロメーターになる。気ままにやることだし、三、四日はかかるだろうと思っている。肉体労働のあとの快感は、喜びにつながってくるし、エネルギーの、活力の源泉にもなっってくる。       
  
   見上げた雲に、秋の気配を感じている。光の柔らかさ、積み重なる雲の様子に身近になってくる穏やかな秋の報せを感じてくる。農村地帯に行けば、今頃はどこにでも黄金色に光る稲の穂の波に、おおらかな実りの秋を実感するはずだ。豊作を祝う盆踊りがコロナ禍でたとえ中止になったにしても、きっとどこかで笛や太鼓の音が森や草原を越えて聞こえてくるに違いない。目をつむり耳を澄ますと、遠い昔の原風景がまぼろしのように浮かんで、青い月の夜を満たしてくれるだろう。
    
立ち上る入道雲のその先に秋を知らせる風の雲かな       9月1日




自民党総裁候補者が決まる

  自民党総裁選挙の立候補者が決まった。石破茂氏、岸田文雄氏、菅義偉氏の三人である。石破茂氏は確たる信念を以て自民党安倍政権に批判的であり、今までも総裁選挙で戦ってきた経歴の持ち主である。国民的な人気があり特に地方に強力な支持者が多い。今回は総裁選出方式を簡略したため全党友、全党員投票が実施されず不利な立場に立たされている。独自の政権構想を持っており、温厚篤実な人柄と、ゆるぎない信念の持ち主が魅力である。政策的にも、時代的認識を以て重量感があゆえ適任者ではある。右顧左眄せぬ政策と信念の持ち主であり、是非総裁選挙に勝利して国政を担ってもらいたい人である。

  まさか総裁選に出馬などありえないと思っていた官房長官の菅義偉氏の出馬決定は、正に意表を突いたもので意外であった。病気故の退陣とはいえ、政策実現で志半ばと悔やむ安倍首相の後継者として急遽浮上し、政治の継続性を訴えて有象無象の派閥の領袖の支持を取り付けて優勢である。首相候補として有望であるが、余ほど細心の注意を払っていかないと首相になったとしても、短期で終わる可能性が大である。安倍さんを助けて官房長官の要職をこなし、官僚ににらみが効く。官邸主導型が行きすぎて今回の幾多の不祥事を逆にもたらしたのであり、謂ってみれば良いところも悪いところも一蓮托生の荷物を背負いこんでいる。熟練を通してきて危機管理内閣としては大いに手腕を発揮してくれるだろう。安倍政権の未解決の案件を引きずっていくと、野党から、世間からそこをつかれたりすると余命いくばくもない。苦労人の熟達者であるが、長年スポークスマンとしての官房長官を務める故、日頃のぶっきらぼうの調子が印象強いので人間的深みが減殺されているところが惜しい気がする。

  反面、苦労人で情にもろく、安倍在っての官房長官であって、安倍が居なければ単なる使い走りに過ぎない。しかし使い走りのなかで、切磋琢磨して努力し、内実に詳しくなり安倍政治のかじ取りの術を身に着けたかもしれない。つまり何が出来て何ができないのかを熟知したはずである。したがって又、安倍の出来なかったことを成し遂げるといった、人情秘話の通じる世界ではない。むしろ7年8か月かけても駄目だった北方領土の問題、北朝鮮の核開発とその他の問題、憲法改正の問題など安倍の出来なかった政治ついてについては、触れただけで内外に逆風を巻き起こすだけで無駄である。そうした問題についても手法を変えて、別の観点から見ていく必要がある。安倍後継内閣で短期内閣で決めたいなら別だが右顧左眄せず、折角天下を取る勢いならば、独自の考え方を進めていった方が立派であり、安全であり確かである。

  政調会長の岸田文雄氏は、安倍首相からの禅譲を当てにしてもっぱら公家的な動きに終始してきたがゆえにのんびりし過ぎて後れを取って不利な状況である。勉強家で政策にも精通しており、人間的にも深みを感じてくる。先にいち早く共同記者会見に臨んだ麻生、細田、石井といった派閥領袖をはじめ二階などもそうだが、恩讐のかなたにといった連中ではない。岸田の表情には一点の曇りもない気がする。正直、勤勉、誠実さがあってそれが逆に頼りなさを与える結果になって気の毒な感じである。機を見るに敏といった感じでないところの世界は務まらない。毒々しい政界で、総理総裁には不向きかもしれない。選挙だからふたを開けてみないとわからないが、議員数で既に枠が決まっている以上、石破と競合してしまうのが惜しい気がする。

権力を身に着けたら、正々堂々、石破、岸田を有能な政治家として閣僚に起用する雅量があってもいいだろう。つまりは特に、未だ六十三歳の石破の力量、才覚を国家、国民のために使わないことがいかに国益を損んじているかということに気が付かないと、真の政治家とは言えない。

  安倍首相の後継者を決める自民党総裁選は8日に告示され14日投開票することできまった。長期政権、安倍一強政治に幕を閉じるが、いかにもあっけない幕引きである。安倍政権では、安倍首相が陣頭に立って活躍した割には今になって見ると派手な演出が多く、内実を伴わない、印象の薄い感じであった。成果を上げるよりも印象の悪い、負の遺産を残したといっても過言ではない。 謂うところの森友学園、加計学園、桜を見る会に始まり公の私物化が公然と行われ、忖度を口実に官僚の悪しき習癖を増長し、公文書の改ざん隠ぺいを図り、その為の人事を思いのままにした。長期政権ゆへに惹起したおごりと怠慢の結果である。

  安倍首相の表裏、善悪を強いて列挙すれば、DNA鑑定から見た分析が正鵠を得ているように思う。昭和政界の妖怪とまで言われた、岸信介元首相を祖父に持つ。東条英機内閣の片棒を担ぎA級戦犯で小菅刑務所に拘留されたが恩赦を受け、戦後の政界に異例の復帰を果した。強運のひとである。自民党の総理総裁を務め日米安保条約を成し遂げ、日米同盟の基礎を築き戦後経済の繁栄を作った。父の安倍晋太郎は性格温厚で誠実さが災いするくらいであった。外務大臣を務めたが、目立つような功績を上げられずに無念にも病気が原因で他界された。そのあとの地盤を継承したのが安倍晋三である。こうしてみると退陣を表明した総理大臣安倍晋三は、嘘つきの岸信介と、正直な安倍晋太郎のDNAを内に秘め二人の長所を上手にこなしてきた二面性を持った人物である。 安定した長期政権を確立して、それなりの成果を収めてきた。しかし、画期的な官邸主導の政治を確立しながら、逆に官僚の忖度を醸すことになり、優秀な官僚を委縮、無能化させ気力喪失をもたらしてしまった。挙句に、そのための不祥事が噴き出る始末となった。怠惰と惰性、忖度と責任回避はが安倍政権の特徴であったが、野党の未熟とだらしなさが国民の信頼を失い、安倍政権以外に期待が持てなかったことが、良くも悪くも、安倍内閣の7年8っか月を持続可能にしたのである。しかし確実に際立ったレガシー、政治的成果を残すことが出来なかった。    

自民党派閥の連合の支持によって菅官房長官の総裁立候補が決まったが、 安倍政権で成しえなかった案件を持続的に引き継いでいくと表明した菅さんは、政権掌握のための美辞麗句であればいいが、本気で考えているとすれば、政治家として政権の座に就く意味がないし、無様な選挙管理内閣、暫定政権で短期生命で終わるだろう。 一国の総理総裁の地につこうとするならば、自分の意志と覚悟を表明するようでなければ魅力に欠けるものとなって国民の支持を得ることは出来ない。政策の継続性を説きながら時局を大観し、ご自身の主義主張を明確に述べて、むしろ解散に打って出て国民の信を問うくらいのものでなければ、新味に欠ける短期政権で終わるだろう。今までにない事例だが、派閥を持たないから、派閥力学によって生まれたことになる。 それは又派閥力学の揺り戻しによってつぶされることになる。それは見るに堪えられないものである。 苦労人を自他ともに認められている菅さんのこと、派閥力学の上に乗って上手に手さばきをしていけば大丈夫だろう。小派閥で風見鶏と云われながら、行政改革、特に国鉄の民営化に尽力し政界に名を遺した中曽根さんを顧みることもいいかもしれない。 内外ともに問題解決の難しい時ながら、一刻の猶予も許されず為すべき課題は山積している。 

 総裁が決まる前に早々と、派閥の領袖三人が元気な顔を見せて会見に臨んだが、 普段はあまり表立って顔を見せないだけに得体が知れない。老醜をさらすとは言わないが、元気旺盛で強欲な素振りは頼もしい限りである。 他の派閥の親分にしてもそうかもしれない。細田、麻生、竹下の三派閥だけでも、加えて二階派もそうだが、国会議員の三分の二の議席数を確保した菅さんである。 地方選ともいうべき党員数141票の割り振りからして菅さんの勝ち馬が有力である。勝ち馬に乗ろうとする議員諸侯の慌てぶりが、手に取るように見えてくる。既に閣僚の椅子の争奪戦でいじめられている格好である。 丸い顔の背の低い菅さんが、ますます小さくなってしまう気がする。 不当な圧力に対してはこれを跳ね返し、信を得て実力を発揮して民生の繁栄と安寧に努めてもらいたい。

  建前は安倍政策の継続性を訴えてもいいが、なってしまえばそんなことは大した問題でないし、気にする必要もない。むしろ弱点を突かれて返り血を浴びる結果になって、無益である。安倍承継は良いところは引き継いで、悪いところは排除して極力浪費を省くべきである。安倍政策以上の素晴らしい構想が打ち出せれば、むしろ国民はそのことを熱望し期待している。独自の政策を打ち出せないようでは、さっさとやめた方がいいということになってしまう。それと同じように、派閥の力に振り回されて埋没するようでは絶望的である。苦労人で熟達し、ここまで来た菅さんのこと、目下は問題山積である。新総裁に選出された暁には、国民に目を向けた政治家として、踏ん張って足柄山の金太郎か、現代の牛若丸を期待したい。     

政界は魑魅魍魎の世界にて有象無象に気も緩む得じ

艱難は辛苦を辛苦は練達を生み品性は希望に達すと 

混濁の世界に希望の灯をともし司が走る大和まほろま   9月3日

超大型台風10号の通過

   南大東島付近を北西に向かっていた超大型台風の10号が、気象庁の発表によると気圧が920hP,瞬間最大風速80メートルという次第で正に史上最高の規模でびっくりして、その進路を固唾をのんで注目していたが、その後、若干勢力を弱めながら巨大な中心の目は九州南部をかすめて北上し、朝鮮半島に上陸後北上していったものとみられる。九州南部やその周辺には大量の雨をもたらし、鹿児島県や熊本県では、河川の氾濫などが報じられているが、被害の詳細は不明である。
  
  東京では、朝から雷を伴って激しい雨が断続的に降り、台風の余波と思われる。太平洋に張り出した強力な高気圧のおかげで、台風の進路が阻まれて、幸いに本邦を避けて左を通過していった。その分被害が最小限に抑えることが出来た。もって良しとしなければならない。活発な前線が東日本各地に出没、ゲリラ的に激しい降雨をもたらしている。小生は十時ごろ雲の切れ目を見計らって家を出、妻の運転で自由が丘駅までいつものように通勤して、八重洲の事務所に十一時についた。

  日比谷線を銀座で降りてB4の出口に出ると並木通りに出たところ、服部時計店が新たに新築した8階建ての THE SEIKO MUSIUM GINZA がある。いつも通勤に通って行く道なので、今朝、開店祝いの花が並んでいた。不思議と人の気配がなく、ふと気づくと、通りに面してビルの玄関の右わきに幅1m、高さ6mの大きな振り子時計が飾ってある。金、銀の装飾が見るからに豪華なもので、古式蒼然として重奏な趣である。思わずスマホで写真に収めてみた。贅沢できらびやかな光沢がして、振り子がゆっくりと左右に大きく振れている。圧巻である。ふと見上げた空が真っ青に光って秋の気配濃厚である。久しぶりに見た大きな、豪華な装飾品で、さすがに名門の服部時計店にして仕でかした名品展示である。 何時か時間が出来たら、帰りに寄ってみたいと思っている。そのうち知れ渡って、並木通りの名所になるかもしれない。 

銀座の並木通りは高さ8メートルほどのシナノキ(科の木)が今青い葉をいっぱい茂らせ厚い緑蔭を作って、この夏、厳しい日差しを遮断してくれている。春は朝緑の葉がみずみずしく、秋には黄色く紅葉してきれいである。夏の盛りには、小さなクリーム色の花をいっぱいにつけている。私はこの科の木の並木の下を通って、快適な通勤をすることが出来て感謝している。銀座4丁目の地点から1丁目まで続いている。下にはアジサイが歩道沿いに続けて植えてある。その通りにできたセイコーの大きな振り子の時計である。通勤の途上、眺めていくのが楽しみである。時間の小さな刻みを、巨大で豪華な振り子で確かめていくのも、私にとっては大きな意味合いがあるように思う。   9月7日


野党の国民的、国家的使命

  枝野幸男氏を代表とす新党、立憲民主党が誕生した。以て日本の民主政治の盾となるべく自己研鑽に努め、国と国民のために大いなる活躍を期してやまない。国民の信頼を勝ち得れば、強力な自民党からの政権奪還も遠い夢ではない。しかし政権奪還は手段であって目的ではない。目的はこの国と国たみの平和とと繁栄のために粉骨砕身力を出し切って、国家国民のために最善の成果を上げ、以て国際社会の平和と安寧をもたらし尊敬を受けることである。こうした考えに立って、多くの国民は立憲民主党が真の実力を蓄え、国民から信を得て、自民党に代わるべき真の政治集団となることを期待してやまないのである。枝野幸男代表の就任を祝し、小異を捨て大同につく覚悟を以て、国民のための大政党に成長されることを望んでいる。

  立憲民主党が成長していくことは、取りも直さず自民党が躍進していくことにもつながる。二つの大きな政党が互いに切磋琢磨して自らを磨き上げ、牽制し合いながら決して誤った政治を行うことのないように奮闘していってもらいたい。奇しくも自民党の長期政権を樹立してきた安倍首相の退陣に合わせ、次期総裁選挙が行われようとしている。それに呼応すかのように立憲民主党が旗揚げをした今日、何か暗示めいたものを意義深く感じないわけにはいかない。先般、枝野さんの安倍政治を批判し退陣を求める街頭演説を、銀座数寄屋橋交差点で聞いた次第であるが、力のこもった内容であり、真面目で誠実さがうかがえて好感を持てた次第で、親近感を覚えたりもした。是非とも日本國と、国民のために頑張ってもらいたい。そして自由民主党と、立憲民主党の、両党の奮闘を願う次第である。他の野党もこの際、党利党略にはまらず大同団結の道を模索して、実現に努力してもらいたいと願っている。

日本の国益重視と邦民の栄へに向かう立憲民主党

  自民党総裁選挙の三候補いずれ劣らぬ愛国の士よ

  自民党も野党の立憲民主党も互ひに切磋琢磨して行け

  くにたみの栄へと安き道を行く民主政治の根源に立ち

  コロナ禍といえど良し悪し潜在し世の欠点をあぶり出しけり     9月11日


 

      イスラエルとバーレーンが国交回復

今日歓迎すべき好意的ニュースが飛び込んできた。イスラエルとバーレーン王国が和平協定に合意したとの、仲介役に立って努力してきたトランプ氏の発表である。先に発表されたイスラエルとアラブ首長国連邦との国交回復への合意に至った発表に続くもので、このところ失言の多いトランプであるが、しかしこれが又、歴史的な突破口がまたあったというトランプの云う通りであり、画期的な成果である。服部時計店が、先日銀座並木通りに設置した大時計の振り子ではないが、あまり大きく左右に振り子が揺れるので、トランプのそそっかしい言動にはひやひやしているところである。

   バーレンとの国交樹立を祝福したいところだが、米とイスラエル・バーレーンは共同声明で、「全面的な国交」樹立を宣言したあと、バーレーンは今月15日に米ホワイトハウスで行われる式典で、イスラエルとの合意文書に正式に署名することに同意したことを確認した。

    又 声明によると、バーレーンのハマド国王と、イスラエルのネタニヤフ首相は昨日の11日、トランプ氏と協議し、国交正常化に合意したとのことである。暗雲立ち込める中東情勢であるが、コロナ禍が静かに浸透して中東情勢も少しずつ変化してきた結果である。石油の需要が減速し価格が暴落する中、石油のみに依存してきた諸国に変化の兆しが出てきている。脱石油であり、イスラエルの進歩する科学技術に活路を見出そうとする経済的動きである。

  9月11日と云えば、19年前に起きたイスラム過激派による同時多発テロが勃発して、世界貿易センターが崩れ落ちた日である。爾来、二十年近くにわたり世界が混乱し続けてきた歴史がある。悲惨な記憶を想起して、奇しくも険悪な情勢から脱して緊張緩和の世界的動向を掴みえたことには、実に意味深いものがある。     九月十二日


高揚感なき自民党総裁選定石どおりに静かに決す

老練な道を究めて政権の官房長官の菅首相へと 9月14日

    同人短歌誌、淵230号

  淵の発刊が230号を迎えるにあたり、何か特集号としたらどうであろうかとの同人からの提案があり、歴史を顧みて創刊者、植田重雄早稲田大学名誉教授の名歌をしのび、又過去の偉人の優れた歌を思い出に鑑賞して掲載しようと相成った。小生は、植田重雄先生の和歌の中から心に留める歌を選んだ。同時に百三歳で亡くなった茅原退二郎氏の歌を選歌することにした。茅原氏は九十歳の時に歌をはじめ亡くなるまでに幾多の歌を残し、淵にも燦然とした足跡を残しきておられる。立派で優れた歌として、同人の胸に刻まられていることは周知のとおりである。

  茅原氏に和歌を追い求めていくと、淵115号辺りの書物の中から探し出すことになる。三十年ぐらい前の作品である。九十歳にして詠む歌とも思えない艶めきと感性が漂っていて、今読んでみても若々しい情熱的なものである。内面に秘めた力が、百三歳の天寿を全うさせるに十分な証拠にもなると感じた。選歌を終わったあと、小生は作者の作品をただ羅列するだけでは意味がないと、所感を込めた返歌を即興的に読んで原稿に追加したのである。

  そもそも茅原大翁に対して返歌を作りながら、創刊者の植田重雄教授の作品に対して返歌がないのは公正を欠くと云われて、すぐさま思いのたけを数首読んでその場で印刷所の編集者にメールして、間に合った次第である。その即興に詠んだ歌とは、

対象をさぐり真理を求めむと心を燃やす植田先生

さまざまなこと思ひつる先生と飲みつ語らふ時もありけり

フーヴァーの我と汝の翻訳書買ふ教文館の古き書棚に

先生の誘ひに神田の八木書店会津八一の書庫の秋の日

ふくろうのごとき先生の眼差しに深き思索のあとを偲べり

ふくろうの啼く夜は嬉しと先生の詠むうたに我つひて行かむや

敬虔なクリスチャンが行く雪の夜のマイトプロンの教会への道

先生の聖母マリアに心寄せ嘆きの群像に祈り詣でり         9月15日


菅政権の誕生

  だらだらと惰性気味だった政局が、精神溌溂とした気分で一気に可動することが出来、いよいよもって菅政権の始動である。めでたい限りで 恙なく政権運営に当たってもらいたい。めでたいか、めでたくないか、今後の手腕の発揮ににもよるが、「国民のために働く内閣」を目指すと所信を述べているので、それを信用して我々も協力していこうではないかと、安心して言えるのは、これを以てまずめでたいというしかない。政権の座についた以上、右顧左眄せず、派閥に捉われず信念に基づいて政策の立案と遂行に頑張ってもらいたい。

  退陣した安倍さんにも心から労を多としたい。長期政権を更新して時間的には良く粘り強く力を尽くしてこられたが、病魔には勝てない。それにだらだらとした政権運営で、緩みや綻びが出てきて、晩節には疑惑を持たれる事案で苦労が多くあまりいいことがなかった。折角成果を上げながら帳消しに終わった感じである。公私混同して、いい加減でやり過ごすことが目立ってきたのである。官邸と、家庭を間違えてきた感が否めない。 昔、社会党の委員長をした浅沼稲次郎という名物政治家が良く言っていたことがある。コップの水も長く貯めておけば濁ってくるという単純、明快な話である。

  それと国民の目からしても、長期政権に飽きが来たのである。これは安倍さんのせいではない。国会審議を見ていてもモリ、カケ、さくらで大事な時間が浪費され、国民が、なんとなく見飽きてきたのである。そしてやることなすことに、嫌気が差してきたのである。国民の税金を使いながら、この程度の国会審議で終わってしまっては国民もがっかりである。国民だけでない、自民党内でも公然と安倍さんを批判する声が出てきて、いつの間にか当然視される雰囲気になってきていた。独裁国家なら権力を以て、こうした動きを封じ込めることが出来るが、 日本は歴っとした民主国家である。 民意から離れて無ざまで体たらくな政治には、限界がある。 況や官僚の政治家への忖度から、虚偽発言や公文書の改ざん隠ぺいなど、悪事や違法はある程度すり抜けられるにしても、程度問題である。まかり間違っても、他国の無法地域で見るような横暴と暴虐は許されない。 日本では有り難いことに三権分立の制度がしっかりと可動し、未だ健全な、自浄作用が自ずと作動してくるのである。 続   9月18日


   マスクして物語せむはいと聞きにくし


説教の間を気持よく居眠りしイエスが脇におはし守れり

ぶつぶつと述べる説教の聞く倦みてしばし他のこと思ひつるかな

改める気配なき説教のマスクして主のみことばを己れにて聞く

マスクして語る説教の聞きずらしむしろ聖句の一つにてあり

許し得て説教の間に眠入る身の傍らに立つ我が主イエスよ 9月20日


    秋分の日  秋の気配

つい最近先祖を詣での墓参りせずに内にそ痛くさはりぬ

秋空の高く澄みたる果てに我がちちははをはすとしばし祈れり

忙しさ故と称して怠け居り達者に居るを告げて謝したり

足早に来る秋風の涼しさに短かきあとの冬の来るらし

猛暑日のつい先刻なれば秋風の吹くひむがしに雁のゆく見ゆ

涼しさのむしろ肌寒く覚へかしゴーヤのすだれ透きて吹く風

裕介の誕生日の今日祝ひ来ぬ目黒駅前の銀座アスターに

裕介の今や大会社の社長なり希望を遂げて天っ晴れなりし

我よりも我がててははに伝えたし息子、娘の世に立てるさま

世の中は右往左往に浮き沈み在れ人生も斯くやありなむ

艱難は練達を生み品性を希望にいたると聖句のたまふ

ひむがしの窓のゴーヤのつたを刈り実の収穫に心満たせり

世界的規模の事業に挑みたるその果敢なる闘志はかるれ

新事業立てたる業の大いなり今朝の日経にて報道の記事

倅は今大銀行の社長なり信念堅持に力発揮す

艱難と辛苦に勝ちて知と情を尽くし将来に駆ける愚息よ

泰仁の風格有りて先に立ち世の信頼を集む君かな

ひむがしの窓をかぶせるゴーヤの葉払ふあとにも実を数へける

束の間の熟睡を得て快よき癒しに祈る主の恵みかも

秋風の吹ぐるあしたの庭畑に立ちをる我に妻の呼ぶ声

柚木の木を植え替えまほしと明子が云ひ苗木を持ちて訪ね来るなり

丹精に心を込めて育てたる苗木に我も気遣ひて持つ      9月22日

     同人短歌誌 淵230号発刊に寄せて

   短歌同人誌230号の発刊を、特集号として出すことに決めた。同人と、関係者の協力によって、創刊者の植田重雄先生がなくなられた後も脈々として活動が続いていることはありがたいことで深甚の敬意と感謝を表したい。230号では同人の幹部である渋谷富子さんの提案で担当者を決め、敬意を表して過去に活躍した先人たち詠んだ歌から心に残る歌を取り上げてもらい、別に載せることにした。したがってその分ページを増やすことにした。小生は、創刊者である故・植田重雄先生と、高齢の故・茅原退二郎氏から歌を選ぶことになった。その場合、ただ選んだだけでは興味にかけるので小生の返歌を以てなぜ選んだのかということを間接的に載せてみることにした。小生にとっては、そのことで歌を詠む方にむしろ多大の興味があって、瞬間的でありながら熱が入ってしまう結果になっている。そのことは同時に、先人たちに深甚の敬意と感謝を表すものと思っている。最終的な編集を含め、印刷等の仕事はいつも伊勢崎文学の大木静花さんにお願いしてある。出来上がって郵送されてくるのが楽しみである。

  装丁に使っている絵は、昔、お世話になって書いてくださった画家の関根常雄さんの作品を用いて豊かな詩情をそえている。又、同人の大先輩である杉村浩氏の協力を得て、作品の写真に小生の和歌を詠み刷り、冊子のなかに綴じて趣きの妙なるものに仕上げている。冊子の制作としては独創的で気品があり、他に追随を許さぬものと自負している。同じものを二度使わいことにしているので、極めて創造的、積極的であり新鮮さを欠かさないでいる。こうした努力が実って各位の賛同を得、植田先生亡き後も存続を続けて活き活きと活動していることの所以かと思っている。 

ところで淵をめくって両先輩の歌を模索していたら、もちろん自分の歌も各位と一緒に発表されているので、当然目に入ってくるはずである。さかのぼること何と154号の第3巻にたまたま春の光と題して小生の和歌が57首も載っていた。2005年3月発刊となっているので既に15年前の作品である。我ながら充分、意に適った詠歌だと思いながら読み返して楽しんでいた。小生は大体多作で通っていたので、そのころ迄は1ページ15首掲載で掲載料が五千円と決まっていた。4ページを使っていたので、その時の一回分の会費は2万円だったと記憶している。 今で思うと余分に載せてもらっていてよかったなあと思っている。お金に換えられない貴重な宝物だからである。今その歌を作って見ろと云われてみても、自信がない。当時の気持ちに立ち返ることは、物理的にも出来ないからである。歴史的時間の尊さである。当時の過去に立ち返ることが出来ないくらい、過去の時間を取り戻すことは不可能である。 色々な考え方があるが、一首はその時間に与えられた中で詠んだ歌で、その時の感慨が込められたもので、それ以外の何物でもない。読んでいて、懐古の念ふつふつたるものがある。 

因みにご両人の和歌を載せてて、各位にも鑑賞願いたいと思う。 茅原翁、九十五歳の時と思われる詠歌である。 

書き直し思ひ直して一首歌に十日の日数時に費やす

耳もとに唇寄せてかのひとが漏らす草の名へくそかずらと

為すことの為すべきこともあらぬ身のいまだに執すは歌作るみち

ひさびさに詠めるわが歌忘れまじ諸事の手帳に歌文字しるす

いくたびか死を迎へつつ百歳のいのち保ちし幸思ひみる


  植田重雄・早稲田大学名誉教授の詠まれた和歌の中から、

十字架よりおろされし子の手をとりて嘆く聖母よ我が内にませ

雪の降るマイトプロンにひとりきて嘆きの群像に頭垂れゐし

ふくろうが啼く夜はうれし酒提げて友訪ひゆかむ森かげの家

大戦に功をたてむと争へる悪将、暴将国をあやまつ 

大戦の戦没の碑にぬかづきぬ旅路に遭ひし村の教会              9月23日


茅原退二郎翁

卒寿経て悟る詠歌の道につき一首に精魂の燃え尽きしあと

百五歳天寿を果たし十字架に従ふ見事なるや人生

悟り得て和歌に人生の喜びを詠みつつ神のもとにゆくなり

内外に飛び出す父にさからひて国を一歩も出でで謎めく

我が淵にあまたの偉人在りしなか百五歳なる茅原翁もまた

病床に伏すも歌詠みの筆を持ち召さるる時も持ちたままにて

   植田重雄早稲田大学名誉教授

対象を探り真理を求めむと心を燃やす植田教授よ

さまざまなこと思いつる先生と飲みつ語らふ時もありけり

ブーヴァ―の我と汝の翻訳書買ふ教文館の古き書棚に

先生の誘ひに神田の八木書店会津八一の書庫の秋の日

敬虔なクリスチャンが行く雪の夜のマイトブロンの教会への道

先生の聖母マリアに心寄せ嘆きの群像に祈り明かせり    9月28日

両大先輩の歌を、小生の主観を以て選歌するなどおこがましい話であるが、同人幹部の希望でありむしろ光栄に思いながら選歌した次第である。読み返しても実に情趣的であり抒情的なのが心に響いてきて傑作品である。たじろがずに返歌を詠んで、両人に敬意を表しその存在感を示したつもりである。 茅原退二郎翁の偉人性については良く存じ上げないが、和歌については良く吟味して味わってきたつもりでいる。高齢な年齢にもかかわらず、実に若々しい歌を詠みあげているので魅かれるところがたびたびあった。年配ながらよくこうした発想が出てくるのかと、恋愛観も初々しいし、詠歌も艶めかしい点が随所に煌めいて読者を魅了するものがあった。本稿では退二郎氏の毛尾伊歴など人柄も含め詳細に語ることが出来ず残念だが、いずれ同人に語ってもらう時期があると確信している。

無論、植田先生は退二郎氏の人柄や経歴について熟知していらしたと思うが、ただ退二郎氏が九十歳から和歌を詠むようになったことは、植田先生が誘導したものではないかと推察している。たまたまそうしたことについて先生は僕に語っていたことを思い出すので、僕としてもあまり訪ねたり詮索したりすることはなった。希有な人が同人にいらっしゃるなと軽く聴きとどめて詠歌の身に関心を寄せ、但し年齢的に尊敬していたの出る。植田先生がなくなられて久しく、もはや訪ねたりする人もいなくなってしまった以上、わずかな聞き伝えに頼るしかないと思っている。

   植田重雄先生は早田大学名誉教授で宗教哲学を専攻し、実践的学究で輝いており、幾多の実証的学術書を表している。学究態度は実証的であり、時に抒情的書物となって的確な描写を以て知られている。そうした深い造詣は短歌にも示されており、幾多の冊子に示されている。会津八一に師事しており会津八一研究の大家である。
   私は高等学院在学中では直接植田先生の教授に浴したことはなかった。但し早稲田中学から編入して高等学院に入学した同友の中には、クラスの編成の時に、植田先生を担任教諭として指導してもらった諸君がかなりいたように思う。小生は、したがって一般社会科を担当し手クラスを以ていらした植田先生をしるよしもなかったのである。しいてその当時短歌を詠んでいた僕に対して、都筑省吾先生とか、辺見淵先生と云った長老の先生方に教授し具体的には都筑省吾先生の結社、槻の木に誘われて行ったりしたことがあったが、馴染めずに常に独学であった。勉強するというよりも、楽しんでいたという方が適っている。
   植田先生と接触させてもらうようになったのは、社会に出て早や三十年ぐらいたってからのことだろうか。植田先生のクラス会のドフロ会に参加してからのことであった。確かなことは覚えていないが、小生が五十歳前後と思われる。初めて目にかかったことであり、初めて和歌について知り合ったことであった。先生が名だたる歌人であることもとんと知らなかった始末であった。

クラス会は、名の知れた和風の宴会場で、座敷にコの字型に並んだ座卓形式で、ゆったりとした馴染みやすい雰囲気であった。 あの時は、幹事が気張ってよい座敷を選んでくれた。 膳に出てくるものは和食であり、飲み物は自由であるけど、主たる酒であった。 粋な風情の仲居さんが酌をしてくれたりしていた。 私は、よそ者であるのに上座に座らされて、たまたま招かれていた植田先生の隣り席に座っていた。その向こうに同じく一、二年の時の担任をされたのかもしれない、長島先生が座っていらした。先にもいったように私は学院時代に、両先生方には教鞭を受けたことがない。し主催者のドフロ会は、他のクラスの親睦会である。私がこのドフロ会に顔見知りの友人が結構在籍しているし、それと卒業式にたまたま右総代役を務めたこともあって、皆から一目置かれていたという節がある。
  
  私の隣りで、植田、飯島先生は楽しそうに酒を飲んでいらしたが、植田先生はこの時、充分に酒をたしなんでおられた。私が注ぐ酒を快く受けてくれていた。快くと云ったのは、綺麗どころの仲居がそろっている席である、彼女たちの酌を受けていた方がうれしいに違いないからである。仲居の酌を邪魔したりするのも如何にも無粋である。こちらも仲居の酌を受けている間に、酔い心地が次第に良くなってきた。 若い仲居の一人に、文房四宝を持ってきてくれないかと頼んだところ、文房四宝の意味が分からないらしいので、面倒くさく思ったので色紙と筆ペンを持ってきてくれと安直にお頼み申した。 

若い仲居が持ってきてくれた色紙を前に、仲居にちょっと隣りに座って見て酌をしてくれないかと頼んだ。あら嬉しいわと云いながらたっぷりと酒を注いでくれた。それを一気に飲んで、君に一首を捧げるよと云って、即興の歌をさり気なく書いてやった。例えば、色白き君がひとみの艶めきて今宵の月のなでか潤むを  と呼んで差し上げた。喜んだのは仲居である。歌が分かると見えて、詠んで書いた方だって、分かってくれればうれしいに違いない。 そうこうするうちに他の仲居もそばに集まってきて、私にも詠んでくれとせがむのである。急いで色紙を持ってくるのもいた。何と可愛いくいじらしいおなごなのかと、思いながら彼女たちの希望を叶えるべく、無暗やたらと思いつくままを詠んで差し上げた。 あの時は程よい酒に酔っているせいか気持ち良く、天真爛漫な歌が詠めたのである。
頼まれて色紙の四、五枚を使って、詠歌の作品を揮毫して仕上げたつもりでいる。なかには箸を包んだ紙切れを以て書いたのもあった。一生の思い出になるといって、大事に持っていった仲居さんもいたりした。詠んだ和歌は、今もって自信の溢れたものと思っているからおめでたいのかもしれない。

   ふと気づくと隣りにいらっしゃる植田先生がその時、君、歌を詠むのか、と云われたので、まあ少々楽しみにですと笑って友人の席に体を移していった。 その間、先生は黙って私と仲居さんたちの仕草をじっと無言で見やっていたような気がする。驚いたのか、あきれていたのか知らないが、仲居を相手に丁々発止、酒を飲みながら、楽しく歌詠みに興じている私を見て何を思われていたのか知れないが、そのあと後日に短歌同人誌の淵を送ってくださったのである。申し訳なかったが、立派な系譜を持つその冊子を、ゆっくり開けて読むことはなかったのである。 まさか先生が早稲田が誇る大歌人とは知らなかったし、会津八一の愛弟子を自他ともに認めている方だとはもちろん初めて出会ったので知る由もない。 

  思い起こせば、学院時代に植田先生を存じ上げていたならば、もっと幅の広い深みのある高等学院の学習時代を経験していたに違いないと思っていおる。もとより立派な先生方に師事して、多くの学問的な知識と教訓を得、自分なりの陣せう如何を築き上げていくことが出来たのである。懐古の情熱きもがあり、幾多の先生方の名前を挙げれば親しき熱い思い出は澎湃として挙がってくるのを禁じえない。そしてそれらの先生方と社会に出てからの交際と接触が脈々と続いていった歴史を誇りに思っている。
 
   例えば大内義一名誉教授とは肝胆照らす仲を頂いて、大学の定年退職後は昭和経済会の月刊機関紙、昭和経済の巻頭言を執筆することニ十余年に及び、それらを一冊の本にまとめていくうちに何と12冊の大内義一随筆集なるものを発刊するにいたた。生すぇいが希望していたエッセイストとしての名を世に上げるまでに至ったのである。又、昭和経済に設けてあった昭経俳壇の選者をして下さった恩師の遠藤嘉徳教授は、英文学専攻でありながら、童謡作家として、俳人として多くの作品を上梓されている。指定思いの先生は、常に温かい便りを以て接してくださった。思い出を語れば語りつくせない方々ばかりである。おかげで昭和経済誌も87年の歳月を経てなお健在であることは、そうした方々の人力の賜物と思って感謝している。

そして現在、植田先生が逝去されてすでに十四年が経過するが、同氏が創刊された短歌同人誌を引き継いで今、詠歌を楽しみなが頑張っているところである。幸い同人はじめ関係者の協力を以て二三〇巻を発刊するまでに至っている。私は早く二十台で独立し自分の事業を経営してきている関係で、自分の意志で時間の配慮を自由に裁量できたがゆえに、学院、大学時代の先生方と連綿とした交誼を頂くことが出来たのである。サラリーマンだったらそんな自由な時間は与えられないはずである。そうした理由で、多くの先生方には学生時代にお世話になって、社会に出てからも連綿として交際の歴史を築いてきたわけであるが、寂しいかな今やほとんどの先生方が鬼籍に入られている。熱い懐古の念とともに感謝して、心からご冥福を祈るばかりである。               九月二八日


        やってきた秋本番

今日は9月の晦日である。抜けるような真っ青な空で、一点の雲もなく眩しいくらいに輝いている。すっかり秋になって、日も短くなってきたし、朝晩の気温もぐっと下がってきた感じである。うんざりだった夏の猛暑はすっかり忘れてしまうようで、人間の気まぐれ程あてにならないものはない。

   拙宅では今日から植木屋さんが入って、樹木の手入れ作業である。棟梁が家来を連れて小型トラックで朝の8時に見えた。丁度涼しくなってきたので仕事がはかどることだろう。日が短くなってきたと棟梁は、この頃の天候に怪訝な顔つきで話していた。立派な樹木があるわけではないが、生い茂った樹木を綺麗に短く刈り取ってもらうのだが、剪定をし手入れを済ませた後の明るさとすがすがしさは、なんとも言えない気分である。庭が広々して大きく広がって見えてくる。耕して種子を撒くばかりになっている畑だが、黒い土が活き活きとして新鮮に見えて光っている。

  この頃、そうした変化が、大袈裟に言うと、森羅万象の変化が手に取るようにわかってきている。用事のない限りは帰宅時間、家内が自由が丘駅まで車で迎えに来てくれる。つい先ごろまでは、自由が丘から拙宅までの八幡中学通りを直線コースで走っていくときは、前方の西方の路上を夕日がギラギラ燃えながら落ちていくのを見ていたが、この頃は6時になると空はすでに真っ暗で、残照すら残っていない。それほどに時間の巡りの変化と、変わり身の早さに驚いている。森羅万象と云ったが、身近に過ぎていく時間のことを考えると、呑気にしてもいられない気持ちになってくる。

会社では9月決算の最終日で、利益を出す仕事は今日で締である。後は残務整理であるが、今年はコロナで始まりコロナで終わる決算となった。働いて来たのか、働かずに来たのか、とんと見当がつかないが、達観して営業年度を懸命に働いてきたと自分で納得するしかない。明日は10月入りである。10月に入れば大晦日まで三か月しかない。満足にめでたく後の三か月を生き抜いて、また新しき年を迎えること、の繰り返しである。エマーソンの言った言葉に「その日その日が一年中の最善の日である」を味わいながら進んでいくのが自称、開拓者の精神である。

  ところでついこの間、除夜の鐘をきき、初詣に行き、餅を頬張っていた気がするが、 娑婆の、光陰矢の如しとは良く言ったものである。 出入りする客人も同じようなことを言っていた。今年の締めに向かっていくと云った気持ちを、早いかもしれぬが、今から持っていけば、ゆとりにもつながってくるというものである。 頑張ろう。        9月30日

  この日の午前中、思い出して会社でテレビのツイッチを入れたら、米大統領選に向けて共和党のトランプ大統領と、民主党の全副大統領バイデン両候補のテレビ討論会が始まっていた。間に合って一部を聞くことが出来たが、初の直接対決ということで関心度は高く、同時通訳でなかなか上手に聞き取れなかった部分もあったが、しかし中身は下品で、互いに激しい非難、中傷の応酬で、国民が明快に理解できるような政策論争と云ったものでなかった。

  今回のテレビ討論については何かと評価が下されるようだが、僅差で抜かれるトランプ大統領が激しい口調で攻め込むので、落ち着いて話そうとするバイデン候補に若干優勢の軍配が上がるのではないかと思われる。この後二回テレビ討論が開かれるようだが、恥をさらすような応酬の打ち合いだけは避けてもらいたい。偉大なる大国のアメリカ大統領を選出するための討論を、互いに国民に知らしめる重要な機会である。みっともない論争と喧嘩で、るおうぴょうする気持ちにもならないが、いろいろと取りざたされているように、トランプ陣営は投票用紙の郵送による選挙は無効だとして、提訴する気構えを見せている。開票の結果、負けても法律的に政権の移行を行わない、違法性を主張して法廷闘争に持ち込む気配である。言うなれば居直って、ワシントンのホワイトハウスに籠城するのかもしれない。これでは、まるで漫画である。自分本位、自分第一主義が制度と公的財産を私物化を図るのと同じである。それでいて法と秩序を唱えている辺りは滅茶苦茶である。

  アメリカの政治的混乱は、世界にとって大きなダメージにつながってくる。来客していた客人が云ってたように、事は吉本興業の我楽多お笑い漫談を見たり聞いたりているのではない。これからでも遅くない、今日の混乱したテレビ討論を当事者は良く吟味して、アメリカ国民の視聴者に民主的に品良く伝わるよう努めてもらいたい。
                                              9月30日

     
                               

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾

VOL.20.8

梅雨明け

記録的な梅雨の長雨が上がって今日の8月1日、いよいよ待ちに待った夏の到来である。本邦に大雨をもたらしていた低気圧が、南から張り出した高気圧に押されて梅雨前線が北に移行したがためである。見上げるともくもくと湧き立つ夏雲は白く輝き、真っ青な青い空が雲の隙間からあちこちに見つめることが出来た。美しき空の大乱舞である。木立の葉っぱを揺らす風のそよぎも、久しぶりにすがすがしく肌に触れて吹いてゆく。太陽のまぶしさを知って、蝉がしきりに鳴き始めている。庭畑のトマトが、急に真っ赤に熟れて染まっている。なま温かい長雨が止んで、みょうがの芽が沢山出てきている。

庭に出ていた家内が、両手いっぱいに茗荷の実を摘んで見せてくれた。あめ色に光った実は大粒で丸々として締まっており、みずみずしい香りが魅力的である。茗荷は庭の三か所に生えていて、毎年季節になると摘み取るのが楽しみである。庭に出ていた家内は、まだ五分の一ほどの面積の茗荷しか取っていないという。残った分は、小生に取ってもらいたいと云わんばかりである。 でも、それは小生にとっても楽しみな作業なので、 残しておいてくれたのだと思ってむしろ労働意欲がわいてきた。

  茗荷の畑の一部ではあるが、妻が両腕で抱えてくるような収穫であると、これから収穫する予定の茗荷は今までにない記録となるに違いない。 九州、中部、東北地方に甚大な被害をもたらした面倒な長雨と時には豪雨であったが、じわじわとした長雨は茗荷にとっては生育の大きな滋養になったと見える。遠くからも茗荷のクリーム色の透けた花が、密集した葉の暗がりに見えるところからして豊作の様子は手に取ってうかがえる気がした。家内には夕方にかけて小生が茗荷を摘み取ることを伝えて、籠を用意するように言い添えた。 急に気温が上昇して夕方になると蚊の集団が襲撃してくるから、服装はもとより長ズボン、長そでの重装備である。 蚊取り線香を炊きながらやってもいいが、面倒なので省略した。 ちょっとした冒険に出かけるような気がして、ステテコ姿で居間のソファファーに横になって寛いでいたが、何やら浮足立ってきた。

夕方になると蝉が盛んに鳴きだした。このところ連日の大相撲夏場所の好取組に目が離せずテレビの観戦に夢中であるが、桟敷は四分の一に制限、横綱の休場の場所ながら皮肉にも、相撲の内容はだいご味が増して面白さは増大している。 新大関の朝の山の大活躍と、序二段まで落ちた照ノ富士が前頭十五枚目で復活、今場所は好調の波に乗り、優勝を狙って朝の山と互角の力闘である。地獄から這い上がってきたという照の富士、名誉奪還なるか、今日十四日目と千秋楽が見ものである。その照の富士は今日は関脇、御嶽海との対戦である。

  夕方になってもカンカン照りの日差しが残って、文字通りの真夏日である。日差しが強い成果日が長く感じて日が暮れようともしない。幸いとばかり茗荷摘みに支度を整え、大きな籠を持ち畑の澄みに立った。青い茂みの中に頭を突っ込んでみると、想像したように茗荷の実が頭をもたげてそこここに沢山出ている。なかには薄クリーム色の花びらを付けて、麗人があたかもスカーフを首に巻いて小躍りしている感じである。 今年は雨が沢山降って、その分茗荷の実もたくさん実ったというこで、あめ色に光って丸く大きく育ったみょうがは、摘むにも張り合いがあるというものだ。摘み終わると足を延ばして次の茂みに移り、同じように頭を突っ込んで摘み取っていくが、これが何とも楽しくてたまらない。四つん這いになってこごんだ姿勢なので、腰が痛くなっては立ち上がって背伸びを繰り返す。 そらした体に清涼感が走り、頭に冴えを感じて、仰いだ空には薄い月がかかっていた。 

   無造作に摘み取ったみょうがは、大きな籠にはがいつの間にか茗荷の実が山ほどに嵩んでいた。大豊作である。別に入れ物を持ってくるように頼んだ。家内を呼んで収穫の実感を改めて感じてもらったが、びっくりしていた。丁度その時、表に出てきたお迎えの安達さんの奥さんにも差し上げたが、今晩の冷ややっこの薬味に使いたいと喜んでいた。 ご主人は茗荷が大好きだという。 昔から茗荷を食べすぐると馬鹿になると云われていたが、どうしてそんな言い伝えが浮かんできたのかと不思議である。この茗荷、毎度刻んで食べるわけにもいかない故、お酢に甘みを加えて漬けておくと長持ちして茗荷の風味をたしなむことが出来るので、去年もそうして瓶につけておいたのがある。今年も同じような手法で、というわけで家内が瓶を買いに行くというのである。幾つもあったはずだが、今年も梅の実を取った後に、梅酒を作るのに使ってしまってなくなっているというわけである。 梅は瓶に就けるものではなく、甕につけるものだと思っていた。確か例年、梅雨が明けるころには茗荷を摘み取るのが楽しみであった。

  実は三か所ある茗荷のなる場所だが、その一か所が梅の古木の下に茂っている。ところがこの場所には、茗荷と蕗が一緒に同居していていつも奇妙な収穫を経験している。蕗と茗荷の根っこが絡み合っていて、時期が来るとそれぞれ後退して目を出して来る。春先に先ず蕗の薹が芽を出してくる。摘み取ると香ばしい匂いを放ち、食べ物の薬味として貴重である。生の葉っぱはすがすがしく減るを告げている。そのあとになると蕗の葉が育ち莢が大きくなると、それを刈って煮つけにする。刈り取った跡に今度は茗荷が生えてくる。歌舞伎の回り舞台さながらである。そして今茗荷の実を摘み取っている最中である。他愛のない報告だが、それを摘み取るのも梅雨明けを告げる収穫でとりとめのないことながら、小生にとっては一年のうちの楽しみの一つである。ゴルフを楽しんでいる諸君たちと同様、豪快にティ―ショットを打った時の感じと同じである。            8月1日


テドロス氏の発言

  WHOの事務局長のテドロスさんが、新型コレラウィルスについて、「現時点では特効薬はなく今後も存在しないかもしれない」と語り、人類に覚悟を決めるよう警告を発した記事が8月4日の日経夕刊紙で読んだ。居直るわけではないが、早い段階から権威ある言葉として受け止めていた方が、対応の仕方も無駄をしないで効果的に措置を講じていくことが出来ると思う。戦々恐々の事態が想定されるが、世界の国々の指導者には、そうした意識が欠如しており、その結果が国民の犠牲を増大させて、国民の安全と安心を見逃していることにもなる。トランプ然り、ブラジルのボルソナなどは、自分勝手な人間が地上を跋扈する結果にもなって、多くの犠牲者を目の当たりにしても平気でいられるというものである。

  新型コロナウィルスについては次第にその実態がわかってきたし、我々もいつの間にか話題や知識になついてきて、ひところのような狼狽や不安が消去されて冷静に考え対応するようになってきた。しかしながら感染者数が依然として収束しないし、むしろ以前より拡大傾向にあることが懸念される。外に出ると、行き交う人が全て罹患者、感染者だと思われて用心したり、相手もこちらをそう見てるし、お互いに警戒し合っている感じである。ましてやこの暑さだからといってマスクを外して歩いていようものなら、言いがかりをつけられても仕方がないと想像するほどに、ピリピリした雰囲気が漂っていて薄気味悪い感じである。これほど人間不信の念が植え付けられた時期というものは、他の時代になかったのではないかと思われる。マスクの嫌いな小生も、アベノマスクに慣れて身に着けていたら、その安倍さんがアベノマスクをしないで大きいサイズのマスクに変えてしまっていた。大きいマスクの方が顔全体を覆ってしまうとしたら、むしろその方がうっとおしい感じがして、安倍さんの肩を持つわけではないが、小生はアベノマスクの方が小さくてさっぱりしているし、その分マスクをかけている人の表情も解っていいような気がする。

  テドロスさんが言っているように、コロナの対する有効な特効薬はないし、ワクチン開発も期待できないとすると、武器は「三密と」、マスクの着用と、外出先からのうがいに、こまめな手の消毒しかないことになる。日常的なエチケットとして、且つ三度の飯を食うのと同じに考えて、出来るだけ自分が感染しないように、そして人に感染させないように工夫して、何とも頼りない話だが、将来の生活に万全を期していくしかない。そのうち何とかなるだろうと思いきや、植木等が歌っていた「俺について来い」の歌を思い出した。あれは青島幸夫が作詞したらしいが、意地悪る婆さん、当意即妙、臨機応変の楽天主義、彼にしてさもありなんである。「俺について来い」も、無責任時代をほうふつさせて余りある気がする。トランプもロドリオスも、この歌を歌って手を振り足を上げ街路を踊りながら言ってみたらどうか。とってもよく似合う気がする。二人の先に植木等が先導したりして。 だってアメリカのコロナウィルスの感染者の死者が今日現在、18万人を越えていてもトランプはゴルフで玉打ちに興じているという無神経さ、無責任さである。 テドロスさんに聞くまでもないが、こちらの方も治療薬はない。 お二人さまの「俺について来い}は最早、絶望的である。      8月6日

猛暑到来

   焼けつくような猛暑到来である。テレビのお天気姉さんの予報の地図も、北は北海道から、西は九州にかけて真っ赤な太陽のしるしがついて、日本列島が茹だっていることが一目瞭然である。今日の気温は40度を超すとの予測すらある。コロナ禍もあるが、加えて日射病や熱中症にかからないように各自が十分注意を払って、謂わば国民的難局に対処してもらいたいと願っている。

   私が管理組合の理事長を務めてすでに15年余が経過しているが、箱根の長尾峠に立っている眺望絶佳の、6階建ての白亜のマンションに妻と久しぶりに行ってきた。このマンションの一室は3LDKで結構な広さである。小生所有の5階のマンションだが、ベランダの窓を解放すれば、霊峰の富士の全容が眼前にうかび、雄大な景観に天下泰平の気概が髣髴としてくる。この一瞬、謂うところの下界の猛暑を避けて雄大な彼方から吹き来る冷風を受けて、あたかも天空に舞う感じすらして涼味満点の日々は爽快である。終日、富士山の霊峰を仰ぐことが出来、心身を清め鍛える絶好の機会ともなった。          

天空に所在するこの富士ビューのマンションに来た以上は、久米の仙人にならずとも、少しでも下界との接触を絶ちたいと思うのが人情である。したがってトランプも習近平もプーチンからの情報を絶ち、安倍さんからの通信も絶つことにしている。ただし小池さんや連坊女史からの便りは別扱いである。したがって極論すれば新聞ラジオはもとより、テレビもつけないことにしている。申し訳ないが、血気盛んな青年諸君との接触を絶ち、欲深な老壮の青年諸氏との通信も絶ち,出来るだけ孤高の心境に在りたいと思うからである。それも人生の修行と心得てのことである。さりとて鑑真和上に習うわけでもなく、陶淵明の詩興に浸るには及ばないが、せめ己なりにて沈思黙考、願わくば無念無想に触れてみたいと思う所以である。 そこから生まれてくる和歌があるが、無意識のうちにしたためることにしている。行雲流水、雲の浮かびて行くままに、水の湧きて流れ行くままに、思いは自然の摂理に従うまでである。          8月9日


夏富士

   富士ビューマンションの部屋から鳥瞰する天地の間は男性的で雄大であり、真中にそびえる夏の富士は、沸き立つ雲に表情を変えて穏やかであり女性的である。頂上からなだらかに引くすそ野は優雅で富士の全容を包んで母性的な温かさを感じてやまない。高貴な夏の富士山は、穏やかに表情を変えて留まることがない。夏の激しい気象状況を想像して、富士山の荒々しい趣きを浮かべやすいが、むしろ逆である。化粧のない単調さで、動かざること山の如しといった表現は、象徴的な夏の富士山に当てはまるような気がする。そこに群がる雲のさまざまな動きが、天然のもろもろの動きと変化が、天空に立つ富士山の趣きを一層際立たせている。


夏雲の湧きたつ空に茜差し富士の高嶺の赤く燃え映ゆ

朝明けの光みなぎる高はらの富士の高嶺の空にそぎたつ

静けさに明け行く富士のもうろうとして朝霧のなかに在りしも

生命のたぎる息吹きと覚へしか富士やま高く天空に立つ

朦朧の淀む狭霧の中にいて物語せる人のありしも

濃き霧の全てを包む静けさにそろり浮かびく富士の山かな

うぐひすの高鳴く声に澄み渡る今朝のすがしき富士の高はら

我がうちの喜び叫ぶ心地してそこここに聞くうぐひすの声

汗だくで昇る富士やまも魅力なり座して眺むるこれに然るも

朝霧の明け行くさなか鶯の喜び歌ふ声を聞くかな

万象を黙してつつむ朝霧の静けさにわれ富士とまむかふ

煩悩を解きて明かせる富士やまの対峙の我に斯くぞ応へり

奧深き闇よりそろり明け染める霧の中にて在りし我かな

落日の色鮮やかに燃え尽きてやがて漆黒の富士の影にも

燃え尽きて夕日に真紅の富士が嶺に力を秘める神の居ませり

忘れまじこの歳月のおぼろにも浮きつ沈みつ今に在りしを

法界の掟にならひ物体のなべて動けば生きものも又

一陣の風吹きたれば富士が嶺の雲すみやかに去りて眺めん

蒼天に気高くそびゆ富士やまの辺りの山をしもに治めて

見上ぐれば真砂の星の天上にかがやくもとに富士ぞ立ちけり

懐かしき調べを聞きつ富士が嶺の月の光に薄く浮かび来

ベランダに立ちて眺むる富士の嶺の神の姿の如く思へし

豊かなる森の木立の間にも見ゆ富士の高嶺のかくも妙なり

いとほしく思へてならぬ富士やまの常に眺めしわれが部屋より

変りゆく富士の姿に万感をこめて我のみひとりたむかふ

登り来て金時山のいただきに声はりあげて富士にたむけり

ゆるぎなき富士の姿に色そへて遊び消えゆく雲の峰かな

旅に出で駿河の果ては久方の雲井に高き富士の山かな

編み笠をかぶりて似合ふ不二やまの旅立つ芭蕉の姿にも似て

笠雲をかしらに載せて富士やまの艶めく時もたまにあるらし

紺青の空を流るる星すじの富士の裾野にひきて消えゆく

三日月の薄くかかれる富士が嶺にフクロウの影よぎる気配に

哲学者それとも宇宙科学者と思えフクロウの夜を見つめて

さすらいの果ての旅にも思ふどち我がいとほしき富士の山かな

なかぞらに舞ふ大鷲のおほらかにのびのびとして云ふすべのなき

穏やかにそびえて映えし富士やまに天津おとめの舞ひて降り来ぬ

山道を登りてくれば富士やまの雉の番が鳴きて飛び立つ

夕映えの雲ちりじりに消えふせて我が不二やまも眠り就くかも

富士やまを巡りて光る満天の今宵はあけき星の群れなり

富士が嶺に今朝笠ぐもの座りまし天地の間の空を旅せる

富士やまの五つの湖をふところに澄む真清水の豊かなるかな

ゆるぎなき姿の富士を仰ぎみて我が信念もかくや在るべし

朝日影かがやき夕べに夕日影灯る峠の富士に立つ影      8月12日


      終戦記念日

   愚かで悲惨な戦争の終結を告げた75年前の日も、今日のように炎天下のもとであった。ぶち壊れたラジオから、かすかに聞こえたのは玉音放送と称する言語不明の聞きなれぬ声であった。注釈をつけてもらって、戦争が終結して、これ以上、米軍の空からの闇雲の攻撃を受けることがなくなったことを子供心に理解したのである。自由解放と、苦しみから解き放たれた心境と喜びはいかばかりであったか、未だに忘れないでいる。騙され続けてきた国民が、圧政と虐待から解放された、感動の瞬間であった。分かっていながら、この瞬間をもっと早く繰り上げてほしかったと述懐してやまないのが、偽らざる今の心境である。領土拡大と軍拡の妄想に憑かれた跳ね上がり分子に、国家が牛耳られて久しく、ひたすらそいつらの言いなりになって暴走してきた従順者、それゆえ310万人ともいわれ死者を葬る運命に苛まれたのである。

  戦火によって国土は灰燼に帰したが、奇跡的に復興を遂げ、欧米の民主制度を取り入れて努力研鑽して、かろうじて欧米戦勝国からの植民地的支配から免れることが出来た。独立を勝ち取り、経済の繁栄と民生の安定に尽くして、我々生き残った民衆とその子孫が、その果実を享受していることは、以て幸いと云わねばならない。それには多くの敬愛してやまぬ先人たちの、犠牲の上にあることを忘れてはならない。戦火の状況と甚大な犠牲を払ってきた当時の様相を知らせる幾多の資料と報道によって、今日、改めてその感を強くするのである。

  戦争を体験しない多くの人物が、政治の世界で活躍しているが、戦争というリスクを負って尚欲望を満たそうとしている実情を見るにつけ、人間の性とはいえ改悟と教訓の念からいまだに解き放たれていない今日を嘆かわしく思うのである。プラトン、ソクラテスとは謂わないまでも爪の垢ほどの政治哲学を持ち添えた人物が、地球規模で人間の平和的生存と繁栄を考えていってもらいたいと念願している。多くの国家と地域社会で戦火を交えているが、おおくの国民、民衆が常にその犠牲になって悲惨な運命に弄ばれている。こうした反社会的、反人類的人物の追放に、大国が率先して共同歩調をとる時代とならしめたいものである。

  こうした観点からして、権威の萎み始めている国連の力奪還をはじめとして、幾多の国際的活動の回生を試み、国連の存在意義を高め、活動を活発化していかなければならない。資金調達は参加各コクの拠出に依っているが、これをもっと強化する必要がある。もとより国連自体の組織改革は重要な課題であるが、それは進めていくとして、だからといってアメリカのごとき脱退をほのめかしたりすることはもってのほかである。今、不公正な、不平等な紛争が多発している現状である。貧困地域の救済も必須課題である。国際紛争の地域に対しては、解決を当事国のみ任せず、理に反している場合には反人類的政府、団体と位置付けて国連統治に委託するといった、大胆な発想を行使していくことである。多数決を重視して、大国の拒否権の付与といった旧時代的観念を排して機能を円滑公平に運営していくべきである。そして小国の地位向上に努めることが、新しき時代への一里塚となるだろう。

  いつの時代においても愚痴はつきものだが、終戦75周年を迎える今日、思いを新たにさらなる人類の公正と発展と安寧のため、時代を振り返る思いである。 8月15日


終戦後早や第三四半期のまたたく間灼熱の今日迎ふ新たに

愚かなる戦禍を招く戦ひの未だ絶ち得で人の浅まし

敗戦後世紀の第三四半期を迎ふ八月十五日の今日

さまざまに脳裏によぎること有れど敗戦の日の疎ましきかな

夏雲のけはしく湧きて久慈川の川面に映えし敗戦の日よ

人間の自由と平和に生きる身の如何にたっときことと知る日よ

戦争の体験者の皆それぞれに悔悟に病みて生きしその後も

袋田のy間より水戸に戻る夜にB29の猛爆に遭ふ

B29の夜間空襲に遭ふ水戸の火焔のなかや次のふるさと

東京の大空襲を経験す父の指導に皆つきてゆく

雄たけびを上げリードする父に付き皆逃げて行く火焔の中

一夜明け一面焦土の水戸市街道行く人の当てどなきさま

悪童の民を搾取し己のみ富の蓄積はかる輩ら

紛争なき国と地域と社会こそ人類平和のしるべなるべし

人影のなき袋田の駅頭に母、弟と立つ敗戦の昼

鉄橋を渡る機関車の勇ましき音のびのびと空に響く日

久慈川の鉄橋を今しわたり来る蒸気機関車の希望の雄姿よ

終戦の日を迎えたる日の暑き日照りに似たる今日の昼どき

戦没者慰霊の式に改めて戦時の惨禍をを思ひ起こせし

愚かなる指導者のもとくにたみのさ迷ふ荒れし山かわの果て

終戦の時を思ひて艱難のこれのまされるものはあらじと

人の伝手たどりて戦火を逃れゆく仕組まれしとはまさか思ひもよらで

ててははのご苦労を見て授かりし教へたっとき身にも刻めり

原爆の炸裂により目覚めけり軍の敗北と国の破綻を

朋友に原爆被災証明書身に持ち我に証し示しぬ

熱腺を浴びて老若男女らの残虐に死す原爆のもと

炎天の真澄の空を見上げしにB29の機影いまだに

焼夷弾火焔のもとを懸命に逃げ行く先に神の手招き

戦争の苦しみに耐ふ日々に生く父のおもてに出さず如何にも

学び舎を忘るるほどに空襲を逃れて放浪の少年の日々

これ程の畑があるにその日喰ふものに不足の疎開先とは

盗っ人の余に二つの記憶あり卵一個と芋の一本

ててははに付き戦火を逃れ来て命のありか知りて尊き

幸せに思ふててははと兄弟の互いにつなぎ焼け跡をゆく

黒焦げの死体の転がる焼け跡の水戸の市街を歩く夏の日

まだ青き煙を立てるみほとけに南無阿弥陀仏と手をあはせけり

幼なごと思ふ遺体に木材のくすぶる下に在りて引き寄す

いずくにか母の姿のあるはずと見まわす先に焦炎のたつ

おさなごを見失いしか焼夷弾猛攻のなか母の狂ひて

直撃を受けて散りしか粉々に辺りの母の影のなきゆへ

千波湖へ逃げる途中に岩崎町閑静の地も狂うふ炎火に

振り仰ぐ空を舞ひくる焼夷弾さなばら宇宙の星の如くに

千波湖に近き洞窟に飛び込みて皆身を寄せてしのぐ空襲

憎っくきは軍事独裁の指導者ら国と国たみをなぶり殺しぬ

空襲に一家全滅てふ話ありくすぶる焦土に思ふ虚無感

異臭t立つ焦土の街をよろよろと当てなく行ける老婆ありけり

天と地の差をしみじみと覚へかし戦火の時と安き今日の日

不満、愚痴申せばきりなき事ながら今日の平和を良しとするべし

東京と水戸にて焼夷弾空襲に遭ひたる父の何と辛かろに

亡き父と母をしのびて思ひ出の止まざる日々に在りてうれしき

ある企業家の社長に

残暑お見舞い申し上げます。

相変わらずの猛暑が続きますが、
お変わりなくお元気のことと存じます。
コロナ禍に揺れる世の中ですが、
withコロナでしょうか、次第に慣れてきた感じです。
そのうち特効薬がつくられ、ワクチンが開発されることに
期待を寄せて、積極的精神を以て、前進的に思慮し行動するしかありませんね。
人も企業も、ロマンを以て進むものが勝利に近づいていけると、
思っています。
残暑の折、お体に気を付けて、ご活躍を祈っています。
   8月19日  佐々木誠吾

  こうした思いは、会員各位に告げる書面としてお届けします。どうぞ健康裡に毎日をお過ごしください。                  8月19日


GDP の急落

  内閣府が17日発表した第二四半期の(2020年4~6月期)国内総生産(GDP)速報値によると、物価変動の影響を除いた実質GDP(季節調整値)は1~3月期に比べて7・8%減となり、このペースが1年間続くと仮定した年率換算は27・8%の激減だった。新型コロナウイルスの感染拡大で経済活動が大きく落ち込んだ結果である。この数字は、リーマン・ショック後の2009年1~3月期(年率17・8%減)の数字を遥かに超える、戦後最大のマイナスとなった。
  思うにこれは、緊急事態宣言のもとで意図的に経済を止めたため、厳しい結果となったものと解釈していいだろう。私見だが先行きについては国民の消費、経済全体の輸出は上向いており、経済の運営次第では、経済が成長軌道に乗せることが出来るかもしれない。楽観視して、経済のV字型回復とはいかないまでも、底を打ってU字型回復を目指すものと楽観視している。

   経済の復興は、今までの態様のものではない、けん引力となるものは、コロナ前のものとは違い、コロナ後の経済機構に沿ったものであり、それを先取した企業が生き残っていける企業であり人的構成のものとなるはずである。時代に適合しない事業や企業は落伍、消滅する運命にある。変って産業の新陳代謝に答えた健全な企業の台頭がが、すなわち社会経済構造の変化に適合した企業が発展する時代に変化していくはずである。

  経済的支援、補助についても、従来型の企業に支援しても一時的救済を図るに留まり意味がない。これからの経済の展望に確たる指針を持った企業の育成が、必要である。倒産する要素のある企業に支援をする、いわゆるゾンビ企業に資金を投下しても水泡に帰するのみである。税金の無駄である。差別するわけではないが、企業の厳しい選別が必要である。企業家も時代の変化を直視て、社会的要請の度合いの強い職種と、技術開発を目指す、例えばリスクを負ってIT業種に進むべく方向転換を求めなければ、競争に負けること必定であることを自覚すべきである。 8月19日



知らぬうちに秋風が

  ふと、おやっ?と思った。   自由が丘からいつものように家内の車で、助手席に乗って前方を見ると、ギラギラと光る残照は、殺されそうな猛暑の連日からいまだ解放されそうにもないものだった。 帰宅してから焼けきった庭畑に勢いよく水を放水し、野菜類に生気を取り戻してやった。風呂に入ると、開け放たれた窓から裏の小池さんの屋敷の庭に在る大木の翳りに、少しばかりの落ち着きに癒されて心の安きを得たのである。

  夕食を終えるとソファーに横になっていつものように自然体に過ごしていた私は、いつの間にかすやすやと眠りについて目を覚ました時には約二時間近くが経過していた。爽快な睡眠を満喫した気分がうれしかった。ふと気づいたことは、いつもジャンジャンたいている居間のクーラーをかけずに隣のダイニングのクーラーのみで寝ていたことである。クーラーをかけずに寝過ごすほどに快適だったということは?と思いながら庭の風に触れてみると、すがすがしい緑っぽい風に気づいたのである。これは小さな秋の風である。昼間の焼け付く日照りからは、想像もつかない爽やかな風である。音もなく、そっと近づいてくる秋の気配に触れたのである。あら、涼しいわね、外の風が、と妻も同意して庭に出ていた。初秋の風に当たりながらの仮眠だったが、ぐっすりん寝込んでしまった理由がつかめたのである。でも、なんとなく寂しい気がしてきた。


翳り来る大樹の陰に精霊の宿りてをれば蝉の鳴きだす

夕されば大樹の陰に木の霊の住みおはしけり静けさのうち

夕去れば今宵の風の何気なく寂しく覚ゆ浅き秋かな

夕暗らむ月見る風のこの日より安き覚へて猛暑忘れり

汗ばみしいつもの夜と違えへしに秋の気配の身にそ触れしに

日向には熱き日差しの照り付けて直射を避けて人急ぎ行く

夕方はともかく日なかの灼熱に怯ゆと逃げていまだ盛りに

何気なく今宵の風のしのぎ良く気づけばそっと夏の去り行く

ささやきをかすかに聞きて草陰に耳をすませば虫の翅の音

せわしなく行くありんこの仕草にも秋の気配を覚ゆかすかに

夏ばてもせで炎天下を蟻んこの列長ながしあれ草のなか

樹の汁を吸いし後かもひぐらしの俄かに高く泣き出ししにける

早や秋と思ひ過ごして嬉しさに夕べの庭に出でてみるかな

女房と連れ立ち富士のビューマンション訪ねた折に望む富士やま

風呂に入り食事の後にふと寝入る深き眠りの秋に気づきぬ

音もなく偲び来る夜の秋なれば風のそよぎに触れて安きも

クーラーに依らず程よき夜の風に今日の猛暑を忘る束の間   8月19日


流れ星よぎりて富士の山に消え我に良きこと何かあるらし

愛と云ふ一字に触れてさまざまな人それぞれに浮かび来るかな

美しき大樹の茂む暗がりにこだまの生れて輪を広げ行く


米中対立の激化

  11月に控えた米大統領選挙がバイデン民主党候補が正式に指名されたことから、にわかに白熱を帯びてきた。共和党のトランプ大統領、ペレス副大統領に対し、共和党はバイデン大統領候補と
ハリス副大統領候補が、アメリカ合衆国の次期指導者の椅子を目指し選挙戦を展開していくことになる。世界中の国々が、人たちが、その結果について大いに注目している。

  最近の報道によると、中国の外交政策が一帯一路の巨額債権の発生と、違法な領海進出が際立ってきている様相である。半面、コロナ感染拡大を早期に抑え込んで経済回復が軌道に乗ったかに見える中国だが、実情は定かでない。中国国家統計局が7月16日に発表したGDP(国内総生産)統計によると、2020年4~6月期の成長率は、物価の変動を除いた実質で前年同期比プラス3.2%だった。1~3月期の成長率はマイナス6.8%でしたから、4月以降、中国経済が急激に復活したことが分かる。

  一方、米国商務省が7月30日に発表した2020年第2四半期(4~6月)の実質GDP成長率は、前期比年率マイナス32.9%となった。統計開始(1947年)以来最大の減少幅を記録した。失業保険給付申請の増加を見ても、厳しい経済状況は鮮明である。米中対立による経済戦争は熾烈を極めているが、収束の先が見えないこうした状況がアメリカ経済に大きく影響している事実がはっきりしている。

トランプは中国に対して、アメリカの国家安全保障を理由に可能な限り経済的関係を絶とうとして、強硬な姿勢を崩していない。オバマ前大統領が、中国に対して採ってきた民主制度の改善を求めて来た穏健な政策に失望し、そんな手ぬるい政策が対中国の失政を招いたと非難し反対している所以で、トランプ独自の政策を矢継ぎ早に打ち出してきている。中国の産業経済に大きく依存してきた不均衡な状態が、トランプの強硬的な貿易政策によって、貿易の不公正と称してあぶりだされた状態は実に教訓的であった。しかし行き過ぎた貿易戦争は、過剰な反応を与えて止むことを知らずに大きな危険を孕んででいることも事実である。
  
  しかしながら米中対立の激化は、米中だけにとどまらず、広く世界経済の枠組みを破壊し、世界貿易を委縮させる結果にもつながっている。ましてや、当事国の米国経済に跳ね返る影響は看過できない。
  ドイツ銀行の調査と試算によると、世界のIT,即ち情報起業関係の市場に占める両国のシェアにおける競争は極めて熾烈な状況である。IT産業のフィールドとすそ野は大きく、将来にとっても魅力的である。相手国に深く浸潤する性格と傾向が強力なものがあるだけに、技術的、商業的領域で神経戦ともなっている。 

  アメリカ企業が中国で失う収益は、今後の五年間で3兆5000億に及ぶと試算されている。それはアメリカ企業の工場の移転や規格対応に要するコストなどで、負担の大半は米国の企業にのしかかってくるという。この収益の喪失そのものがむしろ、アメリカの国家安全保障に影響をもたらして来るのではないだろうか。競争力に打ち勝って、相手国の技術力、収益力を取り込むことの方が先決な気がする。 コロナ禍から脱却している中国、片やコロナ禍に翻弄されているアメリカ、対応の仕方を一歩誤ると、飛んでもない結果をもたらしてしまう好事例である。 8月21日



    民主党バイデン候補の指名受諾演説


トランプの挑発的な演説は重量感があって、なかなか迫力がこもっていて、相手を腕ずくで打ち負かすような魅力を持っているが、それ以上に実効的内容が問題であり重要である。その点を突かれるとトランプも怪しくなってくる。

  アメリカ第一主義を唱えるところは、本来挑戦的なことであり、推進力として物凄い説得力にもなっている。しかし政治は政策を約束し、実行するだけにとどまらない。実行した結果と、その成果を問われるから、慎重でなければならない。トランプの欠点は功を焦るばかりに慎重さの欠如に在る。内外をはじめとして、機能的に組み込まれた組織や機関を既成のものと否定してこれを破壊し、そこからの脱退と緊張、対立と分断で相手のせん滅を図ろうとするものである。もとより、保護主義と孤立を招く結果になり、グローバルな政策の否定につながってくる。トランプ政治の根幹であり、攻撃的、扇情的な手法である。矛盾も多くはらんでいる。トランプの受諾演説は25日に行われる。

   民主党の大統領候補の正式の指名を受けたバイデンは今日、民主党全国大会で指名受諾演説を行って自らの政策の根幹を発表して、4年振りの政権奪還の意気込みを語って見せた。バイデンは77歳という高齢で、心身の力強さに欠ける点は致命傷であるが、これがトランプの攻撃に遭わないとも限らない。トランプの政治家としての演説と、その精力と迫力は民衆を圧倒するものがあって歯ごたえは十分である。その時のバイデンの力となるものは、トランプの保護主義的な外交と格差社会と貧富の乖離、人種間の対立と分断がいかにアメリカ社会経済を傷みつけているかを明確に論じて反攻するかである。具体的な政策の開陳も必要である。

   受諾演説ではバイデンは、それらを集約して力強く情熱的に呼び掛けて、国民の結束を訴えている。 「今のアメリカの暗黒の、怒りと恐怖と分断を煽って来たたトランプの政策から、正反対の世界の実現に邁進したい」と熱意を明かて対決姿勢を鮮明にした。そこには、年齢の高齢と不安を感じさせないものがあった。バイデンの登場によって、アメリカ第一主義が改められて、開かれたアメリカの建国精神を、自由で明るいのびのびとした姿を、世界に示してもらいたいという願望が、今日の世界に強く求められているように感じるのである。   

世論調査ではバイデンが若干リードして善戦しているが、トランプも巻き返しに拍車をかけて追撃している。自由と民主主義の象徴であり牙城である大国の、アメリカ大統領選挙が無益な人身攻撃であったり、懐疑、羨望の誹謗中傷に堕することなく、公正かつ活発な論陣を張って、トランプ、バイデン両雄の健闘を切に願うものである。 

   

アメリカの大統領選挙の白熱を帯び繁栄の基礎ここに在りしも

バッファローのトランプ候補とバンビーのバイデン候補の対決の秋  

多民族国家のゆへに結束と理解なくして繁栄のなし     8月21日

秋を運んできた大雨とかみなり

  昨夜から激しい雨が局地的に降り続け、炎天下の日差しにうなだれた樹木には恵みの雨になった。吹き付ける雨風にも、心なしか気持ちの良い涼しさが感じられて、時折止みあがった雨に小さな秋を見つけたのである。暦の上ではとうの昔に立秋が過ぎてしまっているが、今年は格別に暑い夏が遅くやってきて、その分真夏の挽回を図るかのように毎日の日照りが襲ってきた。マスク着用を強いられ、今度は熱中症に気を付けなければならない毎日である。雨が欲しいと思っていた矢先の昨日からの激しい雨と、ピカドンのかみなりが空を暴れ回り、臆せず空を見上げては久しぶりに夏らしい気象を味わっていたのである。極暑に悩まされてきた夏だが、ひょとするとこの日が、今年最後の夏となるかもしれない。そう思うと何だか、寂しいやる瀬ない気持ちになってきた。

  玉川教会で日曜礼拝が始まったので、降りしきる雨の中、今日は家内と一緒に車で出かけた。ワイパーを急がせても、強い雨がフロントガラスを激しくたたきつけ、先が真っ白になるくらいであった。道路もまるで、篠突く雨といった状況である。鐘とともに10半から始まる教会にはこうした雨の中、意外と多くの人たちが見えていた。三密を避けて、マスク着用と手洗いは必要事項である。長椅子には通常六人がかけられるところを、間引きして二人ぐらいしか座われていない。しかしうまく数字合わせが出来て、席が不足するとはない。もしかすると、コロナ感染を心配する人が欠席することもあってその結果かもしれない。

  激しい大雨の中、教会に見える人の中にはずぶ濡れの人もいたりして気の毒だった。運悪く、大雨時の時間に出くわしてしまった人が数人いた。礼拝が終わるころには薄日が差して、み堂の窓が明るく日が差してきた。礼拝が終わるころは昼食時なので、いつもは都合の付く仲間同士で近くの食事処に寄っていく習わしがあって、五,六人の集いだが、これが又楽しい時間でお互いの親睦を深めるものとなっている。今日は自由が丘のピーコックに在るカフェ・ラ・ミエに入って、中央の広い席に席を取り会食を楽しんだ。

  小生は礼拝中には必ず歌を詠んで、これを書き残している。思いつくままに牧師の話や教会の雰囲気、それと全然違った内容に触れて書いている。多い時にはざっと二十首程度は読んで書き残している。訂正したり校正したりすることはない。面倒だからである。書いたものを無くしたりすると、一番気分が悪い。と云うのも、時間を使って二度と繰り返すことが嫌いだからである。これを後日、今はパソコンという便利なものがあるから大変助かっているが、活字や文字に打ち換えておくのである。詠歌は、当意即妙が前提である。その時の真実が込められているからである。

  カフェ・ラ・ミエでは隣りの席に松本夫妻の奥さんが座られた。松本夫妻とは、いつも親しく付き合っている仲間である。いわば知性派である。奥さんが隣にいて、テーブルに敷く紙の敷物を渡してくれた。小生には右手にすでに用意されていたので、手持無沙汰だったので、その紙に和歌を思いついて、何気なく一首を書いて渡したのである。奥さんは、小生が礼拝中にいつも和歌を詠んで書いていることを知っているので「あら、今これを詠んだのですか」といって皆にも見せたりしてくださった。いったい何が詠まれているのかということは、皆の一大関心事である。ふざけて書けばなんでも詠めるが、紳士淑女を前にしてそんな失礼なことは出来ない。でも、さり気なく詠んだ歌は、自分でも良く詠めて居ると思った次第であった。しかも遊び心もあって、一首の中に松本という四文字が組み込まれているから面白いし、松本さんに謹詠する価値があると思ったのである。皆が鑑賞し終えたあと、ご主人が大事にカバンの中にしまわれてしまった。幸い覚えているので、忘れずに書くことが出来るのは、神様の恩寵の賜物だと思っている。

まごころを込めてイエスにつきて行くもえる命のとわにあれかし

一首の中には、「松本」と云う「ひらがな」の四文字が行儀よく入っているはずである。    八月二三日

   そのあと今日の教会のこと、雨あらしのお天気のことを立て続けに約二十五首ほど詠んだので、散逸してしまう前に打ち込もうと思っている。


遠きより鳴る雷鳴の近づきて見上ぐる雲の黒く重なる

飛びまくる烏のむれの空に鳴く戸惑ふさまに野分来るらし

見上ぐれば大粒の雨降り落ちて地上に滝となりて注げり

油蝉さはぎて鳴くに大雨と風の俄かに起きて来るらし

一瞬に光きらめきかみなりの響く辺りを揺るがしにけり

突然の大雨に遭ひ濡れそぼる人多くして教会に見ゆ

稲妻の分厚き雲を貫きて大樹に落ちて煙立つ見ゆ

暗黒となりいかずちの雨雲に走る閃光ととどろきの音

土砂降りの長く続きて明けの空待ちて鳴きだす法師蝉かな

大雨となる雨雲の間を走る白き閃光と轟きの音

一瞬の光ととどろく音に身を隠せるのちに豪雨おそひ来

閃光と炸裂音が同時起き間近かの大樹に煙のぼりぬ


真心をこめてイエスに就きてゆく燃ゆる命のとはに在れかし

慈悲深き我が主イエスの証しなるこの大いなる恵み思へば

暗黒となりいかずちの雨雲に走る閃光とどろきの音

大いなる主の恵みこそ身に及び罪ある余にも命給はる

有り難き主のおおいなる恵をば授かりて生く今日の一日

一日の猛暑の終る夕空の涼かぜに乗る赤とんぼかな

秋近き頃あひに飛ぶ塩からの色の涼しく思ゆ夕べに

寂しさに打ち出て仰ぐ夕空に飛行機雲の白きひとすじ

与へ給ふ今日一日の働きと業の成就を乞ひ願ひけり

朝ぼらけ茜の空に光さし今日一日の栄えあらまし

散水を終へたるあとの涼しさと渇く樹木のうるほひのあと

駒津君六十五年の後輩に学ぶ学び舎の顧りみること

教会の鐘打ちやみて雨足の絶え大空に光さしみつ

大井氏の授業を受けし学徒より深き教へを及びきくなり

顧えりみて故大井先生の惜別の念湧き返る純粋の意義

悲しみに沈む我が身をかへりみて主のまなざしに触るる我かな

祈り会のあとの友らと語りあふ主もいますれば希み湧きくる 8月25日


安倍首相が辞任の意向

  二時27分過ぎ事務局に安倍首相辞任の意向という報告が入った。今、緊迫する瞬間であるが、日経平均が一時600円からの急落を演じているという情報である。私はここ四、五日の精気を感じない安倍さんの動向を心配していたが、それが一気に噴き出てしまった。今や、日本の政治的激変が現実になってくる。 

時局の諸般を大観すると、辞任は天命の声かもしれない。持病の潰瘍性大腸炎の悪化が直接の原因であるが、時局の諸般の他、新型コロナウィルス禍が、わが国の政治的大変化をもたらす一件ともなった。まさに青天の霹靂である。 8月28日午後二時30分


安倍首相辞任の波紋

  日本政治史において歴代最長の在任期間を更新した安倍首相であるが、記念すべき8月24日にはすでにご自身の持病である、潰瘍性大腸炎の再発と悪化を認識していた。そして今にして思えば、去るもの跡を濁さずの明鏡止水の心境であったことが、その後の首相の焦点の合わない視線の表情から推測されるのである。行雲流水、後継者を敢えて指名することはなかった。心中の程は分からないが、政界のしがらみ、わだかまりから早く去りたいという一念に燃え尽きた感じである。すがすがしさすらあった覇気を失した記者会見で、そのことが感じ読み取れた。

  水清ければ魚棲まずとは古来からの故事ながら、清濁併せ呑むは世事の常ながら、功罪相半ばも人の道の常のこと、長期政権の安倍一強内閣が齎したものは、巷間謂われるところ枚挙にいとまなしである。ただ7年8か月に及ぶ長期政権の実現自体があっぱれであり、持ちながら得た力と理由があってのこと、民主政治の浸透した国体に在っては、その間の安定した治安と経済発展を顧みて、万事を良しとしなければならない。未熟な野党の諸君が政権を取った10年近き前のことを考えると、当時は常に政局不安と社会経済の停滞で身に苛まれた時代から、安倍政権によって抜け出すことが出来た。長期にわたる保守本流の政権は、その間重要な事案について確実に成果を上げてきたこともあった。しかし、未だ未解決の課題は山積している。ポスト安倍にどのような人物が総理総裁の役につくか、いずれにしても残された課題は山積である。

  残された課題とは謂うなれば、8年近く政権の座にありながら、尚果たしえなかった問題である。仮に古い政権のレガシーを当てにし、温存していくとしたら失敗するに違いない。多くの課題は全て次期政権に引き継がれていかなければならないことになるが、継続性をうんぬんするなら、新しい酒は新しい革袋に盛れということわざがあるように、そうした発想も重要である。次世代を担う指導者の選出については、できるだけ民主的に広く民意を組んだ方法で行うべきである。政治的空白を避けたいとして、両院議員総会を経て党員選挙を省略した方法をとるとしているようだ。しかし安倍首相は次期総裁選出が決まるまでまで職務にとどまっており、政治的空白はなく党員選挙を拒む理由はない。果たして、総裁選出の真意を組むことが出来るか、最初良ければ終わり良しではないが執行部は悔いを残すことのないようにしてもらいたい。

  敬意をこめて安倍首相、ご苦労様でした。有り難うございます。願わくば、ご自身の持病の再発防止と治療に専念されるよう、今後のご健勝を切に祈念する次第です。  


晴れ渡る真澄の空の富士ヶ嶺におほらかに飛ぶ大鷲の影    8月31日



  

   

   


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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