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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.20.7

大粒のトマトが実る庭畑に家族を呼びてトマト狩りせむ

梅雨受けてチンゲン菜やレタスなど豊潤の雨に育ち盛れり

振りかへる年も半ばを早やすぎて今日折り返す月を迎へり

  今日から7月である。季節は梅雨入りになって、気候的にも静かな細い雨が降りしきって昨日、一昨日と、終日雨に降られて外出もままならなかった。しかし今年は中国大陸から張り出した梅雨前線が南部を緯度に沿って停滞する上に、謂うところの線状降水帯という帯状の前線が経度に沿って縦状に、右に移動するので、局地的な雨となって九州、中国地方の一部に多量の雨をもららしている。特異な気象の雨は、地球温暖化による気象変動が原因となっている。そうした地方では豪雨によるがけ崩れや河川の氾濫、家屋の浸水などの注意を呼び掛けているが、緊急避難の生じたりすることから、充分に注意を払い早くから安全な地域の場所に避難すべきである。

  日本では昔から、旧暦の七月を文月と書いて、古文でふづき、ふみづきと呼んでいる。文月の由来は、七月七日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。 又、稲の穂が「実を結び、身を含む月」であることから「含み月」とか「穂含み月」の意であるとする説も昔から言い伝えられている。稲ばかりでなく、すべての植物にとっても、この時期の大地に浸透する豊潤な雨によって、根から滋養をたっぷりと吸い込んで樹木の生成を促す時期となっている。
  我が説であるが、明けてさんさんと降り注ぐ真夏の太陽が、「穂含み月」に替わって役割を果たし穂の実の結実を促していくことになる。七月即ち「含み月」は、それまでの滋養を注ぐ栄養豊かな季節である。周辺の樹木の青ぎる深緑のすがすがしい様子を見てもはっきりしているし、豊穣の天地をしばらく満喫しながら、コロナ禍を心配せずに深呼吸して散策したいものである。

  拙宅の庭畑には今、大粒のトマトの実が丈夫に育った木にびっしりとついて、色づき始めたころである。いまだ青いトマトは梅雨の雨をたっぷりと吸い込んで、大地の養分を盛んに吸い上げている。みずみずしい青さが如実にそれを物語っているが、梅雨が明けると強烈な太陽の日差しに赤く染まっていく様子は躍動的である。目下は、「含み月」にひそかに力を含んでいることに努めているようである。かくして今年も半年が過ぎて、いよいよ後半戦に入った。コロナとの対決もあるが、コロナの終息は焦らずに、宥めてすかしながらも上手に付き合っていく、共生の道を暫く歩んで拡大を防ぐことに心掛けていく必要がある。

  そうは言いながら、東京では今日も感染者数が六十七名が出たということで、一向に減りそうもなく困惑気味である。西村担当大臣ではないが、何だか気持ち悪い気がしてならない。相変わらず夜の街から感染者数が比較的多く出ていることは、この地域を強烈に閉じ込めてしまうことも一考にあたえするかもしれない。 歓楽街に近いホストクラブがやり玉に挙げられているが、生活があって死活にかかわるとはいいながら、ことの重要性に鑑み先ずは経営者、そして客が自粛に努めてもらいたいものだ。 ことの次第では、再び緊急事態宣言の発令にもなりかねないからである。

  最近に至り、多くの都市や商店街ではコロナウィルス感染リスクを負って営業不振に陥り、店をたたむ店舗が多く散見されている。オフィスの隣りあわせあった八重洲ホテルが閉業して以来、それに代わる場所を近所に数店見つけて客用に、接待用に使用してきていたが、その多くがこの機を期して店をたたむ状況になって八重洲のオフィス街も何かと不便な思いを実感してきている。富士屋ホテルは開業以来、我が昭和経済会の主宰する講演親睦会の常設会場として親しく利用させてもらってきたし、その延長戦ではないが、夏期講習会の会場には、箱根宮下にある名門の富士屋ホテルにまで足を伸ばしていった思い出がある。会員諸氏の親睦も兼ねていたので、箱根湯本のホテル天成園にも宿泊し毎年盛大に催した楽しい思い出がある。堺屋太一、糸川英夫、河野洋平、斎藤栄三郎ら一流の講師を招へいし、学習のあとの親睦会では互いに労をねぎらいにぎやかに宴会を催し夜を寛いだものである。早大の堀江忠男名誉教授は、マルクス理論の経済的誤謬を解いたのちの夕食大宴会では、会場中央に立って弁慶の八艘飛びを豪快に演じて見せたりされた。会員はもとより、並みいる綺麗どころは一様に大喝采だった。

  私ごとになるが、オフィスの近くにあった名門の老舗、東京八重洲富士屋ホテルが六年前の2014年3月に閉業してしまった。これより先、所有者の国際興業がアメリカの投資ファンドサーベランスの傘下の元再建が進められていたが、一年前の2013年3月に住友不動産に売却されてしまった。 話は6年前のことである。富士屋ホテルがなくなってしまったことで以来、大変な不便を感じて今日にきているが、その後、あの大きな素晴らしいホテルはあっけなく解体されてしまった。 富士屋ホテルは1983年に落成されたので、建ててから31年程しかたっていないはずである。他人事ながら勿体ないことをしてしまったと、今でも口惜しい思いである。

  話によると、住友不動産はホテルの後ろのIHIの所有地を買収、更に裏通りまでの土地にまで手を伸ばしこれをも買収して千坪以上の敷地として大きく一区画を所有するに至った。その後、道を隔てた隣地の商工中金の本店に呼び掛けて、さらにその倍以上の土地に計画地域を広げ、街区を集約して大規模開発を試みたに違いない。しかしこの試みは商工中金の意向に反し、とん挫した形になっている。又さらには、道を隔てて北側の日東紡ビルをも巻き込んだ計画もあるやに聞いている。

  結果、買収した富士屋ホテルの一区画の土地はホテルはすでに解体済みで、月極の駐車場、乃至パーキングアリア現の現状に使用されている。 以て殺伐とした風景があって、八重洲鍛冶橋の交差点を陳腐な地域にしてしまっている。昔あった富士屋ホテルの威容は、今や覗うすべもない。企業の拡大発展は当然の目標であり使命ながら、やみくもに強引に事の成就を成し遂げようと思うと、墓穴を掘る結果にもなる。大きいから全て良いというものでもない。街区の集約を図って大規模開発に成功した隣地の「東京スクウェア・ガーデン」を見れば結果はわかるに違いない。今の急富士屋ホテルの跡地の状況を見るにつけ、売ったやつ、買ったやつの無様で見識のない、守銭奴の面を思い浮かべるだけである。 

  ある年の春、ホテルの前に職員たちが整列して上司の挨拶を聞いている様子が目に飛び込んできた。丁度オフィスに向かっていた途中、偶然目にした光景であった。何人もの職員が、小生の姿を見てか、寂しそうにお辞儀をして目礼していたが、あの場面は、あの日を以て営業を終了する送別の儀式を行っていたのである。何気なく質素で寂しさがこもっていた。玄関前に、染井吉野のさくらが満開だったのを覚えている。 富士屋ホテルの誕生を祝ったこと、店を閉める姿を見送ったこと、なんだかホテルの一生を見続けてきたことに奇縁を感じている。

  富士屋ホテルとは長年付き合ってきただけに、職員の人たちとも広く面識があって深く交誼に浴してきたし、懐かしい思い出がたくさん残っていて印象深いものがある。それだけに、住友不動産ではなく、もっと資本力を持った太っ腹の企業家が出てきて富士屋ホテルを生かす方法があったのではないかと、解体されたしまったことが惜しまれてならない。   続    七月一日


    中国の香港治安維持法の施行

香港の一国二制度の確約のもと、イギリスから中国に返還されて23年目の今日、騒然とした中で民生派の市民のデモ隊の一部と警官隊が衝突、デモに参加した市民の多数が拘束され、300余名が逮捕され、10人が同法容疑で逮捕された。うち一人が起訴された。hんこんの一国二制度は崩壊し、中国政府の実質的支配が及ぶことになった。

  これに先立ち6月30日、中国の立法機関、全国人民代表大会の常務委員会は香港に導入する「香港国家安全維持法」を全会一致で可決・成立させた。習近平国家主席が公布。香港政府は同日午後11時に正式にこれを施行した。英国から中国に香港の主権が返還されて23年となる7月1日に合わせた形である。高度な自治を返還後50年間にわたって保障した「一国二制度」が形骸化されることになり、香港は歴史的な岐路に立った。

  香港では、7月1日の国家安全法に対する抗議活動の一環として,小規模に委縮してしまったが1万人規模のデモが挙行された。しかし警官隊と衝突、このひ施行された法律によって始めての逮捕者が出た。中国全人代の香港国家安全法によって香港の「一国二制度」の形骸化は鮮明であり、この先の香港での自由な経済社会活動は、著しく担保されなくなってしまった。香港島から、妻と一緒に眺めた香港の街の夜景は何時までも脳裏に残っているが、あの輝かしい明かりが、今後とも明るく健全に灯されていくかどうか、大きな不安と絶望が交錯している。

人類の存亡をかけウィルスと闘ふ現代経済社会は

大消費、生産社会の人間の息の根を絶つコロナウィルスよ

人間の経済活動の息の根を絶つウィルスの感染の年

人混みの中に潜みて襲ひくるコロナの牙をむき出しにして

警鐘なりコロナウィルスの跋扈して人の欲望と戦争を絶つ
                                          7月1日


梅雨前線の激しい雨

   本邦の南海上には、中国大陸から張り出した梅雨前線が活発な活動を続けている。この時期にも、相変わらず線状降水帯と称する強烈な雨雲が差しかかってくるので、これが梅雨前線と重なったりするために九州、中国地方は多量の雨に遭遇している。季節的豪雨によって鹿児島県、熊本県、大分県などの地形は土砂崩れや崖崩れを誘発し、急峻な河川の多くが、山間部を蛇行している場合が多い。こうした地域では多量の雨が降ると一気に川を下る水量が増して越水や氾濫、決壊などによって周辺地域は多大な被害を被るので、充分な警戒が必要である。九州地方に活発な梅雨前線が停滞し、線状降水帯も重なって降り続ける大雨の気象状況を見ながら、気にかかった豪雨の心配事である。

  東海、関東以北では前線がかかっていないので、今日は快晴の日照りのもと、気温がぐんぐん上がって熱い一日となった。

  天空の激しい気象に、さまざまに変わって行く雲の様子を見ていると、一瞬ながら全てを忘却して
天然の醸す美しさに身も心も奪われて呆然と眺めるだけの時がある。一瞬に浮かんだ和歌である。

梅雨しげく雲たち騒ぐ大空の晴れ間の先に夏の富士やま      7月2日

横浜山手の駐車場の掃除

  蒸し暑さが手伝ってか、会社の激務か、いずれにしても帰途に就くころに疲れが出たりして、まさか潜在的コレラ感染者かと自分で疑心暗鬼に陥ったりしている。慣れぬマスクを強いられて息苦しさも感じている。高齢者がかかると一発でアウトだからねと、息子や娘たちから脅されながら無用の外出を避けているが、仕事上は致し方がない。親父は働かなくていいとまで好意的極論を吐いたりするが、最近は確かに神経質になりがちである。それほどにコロナについては自分自身は警戒している。なったら一発でアウトだからと。医療現場では、高齢者は後回しだという暗黙の了解がなされている。これは極限にある現場としては致し方ないだろう。

  高齢者であっても社会的地位があるやつ、まだ現職でがつがつやっている奴、金を沢山持っているやつ、そう言った区別をすることはないという。年齢を聞いて、助けようと思えば、年のまだ若いものを手に取るという現場では価値判断の決め手になる基準は、年齢的に将来があるという単純な基準しかない。馬鹿か利口かも選択基準にはならない。切り詰めた医療現場というものは、それが当たり前であってとやかく言うつもりは全くないし、ケチをつけるつもりもない。さほどに老人は無視されがちである。だから自分で気を地けなければいけないということである。  さて本題の駐車場の話である。   

   駐車場は、浜の山手にある高級住宅街で260坪の敷地である。結婚当初、目黒の鷹番のマンション住まいをしていたが、家内が横浜山手で生まれ育ったこともあり、実家が横浜屈指の経済人であったので、三男坊の小生は住まいが浅草でなければならないという理由はなかった。住まいは家内の実家に近い方がいいかと思い、敢えて横浜近辺を探していたところ縁あって購入したものであった。友人の兄貴が大工をしているということで建築を依頼したが、棟梁が地鎮祭に見えずだらしない始末に不快感を示した母が、大事な神事を忘れるとは縁起でもないの一言で断念した。 今考えると、横浜から東京の事務所に通うには若干の無理があったように思うが、現実は当たっていた。その後、地元の町会長さんが推挙してくれて跡地を駐車場にしたまでのことで、他意はなかった。そして美唯のリハウスに管理運営してもらっている。それが今日まで続いている。 そして定期的に金が入ってきている。現金で持っていたら、とうの昔にすっていて無くなっていただろう。

   整地を横浜技研の窪田さんにお願いして、アスファルト舗装で堅固なものにしてもらったが、何年か経つうちに老朽化が進み、その都度補修工事を済ませてきているが、ところどころ雑草は茂ってしまうことがある。人工に頼むほどのことでもないので、運動がてら雑草狩りに出張するわけである。ある時には放置が災いして萱の草が茂って始末に困ったことがあったが、幸い園芸家の近所の三井さん夫妻の援助もあってきれいに始末してきたこともあった。うちの駐車場がないと困る人がたくさんいるので、そのまま持ちこたえてきている。今日は二か月前以来なので、現状を確認しながら車を飛ばして言った次第だが、妻もついてくるというのでドライブを兼ねて行った次第である。現地では、結構な運動になってひと汗かいた気持ち良さもあって、小生はぬれタオルで汗を拭うことが出来、下の元町商店街を通ってポールパーキングに止めて散策した。元町の商店街は昔からファッションの街で小綺麗な店が出店し、流行の発祥の地でもあった。今もその資格保持者に変わりはないが、コロナ騒動で店を閉めたままの店舗も散見された。 喜久家は元町に古くからある洋菓子店である。 喜久家が創業したのは 1924年、横浜に居留地の名残りのあった時代である。商店街通りを三分の二ほど行った先の左手の角に立つ、3階建ての建物である。             

  懐かしい思い出がある。学院時代の友人で建築家の内山勝美君がいた。二年後輩で、早稲田の建築学部を卒業して関東学院の教授を務め、傍ら内山組の専務をしていた実業家でもあった。頭脳明晰であり、学業成績一番であり、学院時代には卒業式には右総代を務めた。 学院時代、小生がドイツ語部の幹事長をしていた時に入部してきた。真面目で人当たりが良かったので、株式会社内山組の専務をしていた時には、大活躍して会社は隆盛を極めた。横浜支店の時に、喜久屋をの旧建物を解体し、新築したのが内山君であった。このころ内山組は、東京から横浜に進出した新勢力で、地元建築業界の抵抗も激しかったようである。内山君はそれを承知の上で横浜支店を増強し、建築の受注を取っていった。 だから横浜に行ったときはこの喜久屋を良く訪れたものである。そして小生にはお得意さんを紹介してくれた。小倉ベーカリーである。建築代金の代わりに引き取った分譲住宅地、6区画である。それを小生の会社で買い取って差し上げた。内山君は資金手当てができたといって、喜んでくれた。僕の力具合をそれなりに実際に見て取ってくれたのである。僕もその後において、その土地でいくばくの儲けを出さしてもらった。 

  内山君からある事案の相談を受けた時に、朋友で弁護士になりたての高木新二郎君を紹介してやった。それ以来三人は肝胆相照らす仲となって陰に陽に助け合ってきたのである。内山君はその後、横浜地区に山手ホテルをはじめ沢山の建築物の発注を受け、飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、膨張しすぎて高木のお世話になったりもした。温厚で人当たりがいいのは本人の生来の特性でもある。小生の自宅の設計の相談にも乗ってくれて、現在の家は内山君に建ててもらい、その後は元内山組の職員だった臼井君に面倒を見てもらってきている。 建物は全て剝くの材木を使っており、造作と作品は小生の渾身のものであり、未だに自慢してはばからない。若くて血気盛んな頃の、何かと思い出を残す友達であっていつまでも忘れ難いが、惜しいかなその三人も鬼籍に入ってしまっている。 寂寞の感、切なるものがある。  

  趣向を凝らした綺麗な店が立ち並ぶみなと横浜の元町商店街、その通りを粋な気分で散策しているところ、家内が丁度かなった喫茶店を見つけてくれて店に入った。運河通りと、運河を見越して、爽快な初夏の風が開け放たれた店の中を吹き抜けていった。カプチーノを頼んだら、ジャムの入れてある大きな瓶にカップに出てきたので、ラフでモダンなのが気に入って、バター付きの食パンも注文した。二人で突いて食べたが実にうまかった。今度来た時には、元町の通りのパーキングメーターに車を止めて、この店を利用しようと思った。 コロナ禍とはいえ平日だからもしれないが、外国人観光客の激減は目を覆うばかりである。閑散として、誰も見かけなかったような感じである。それほどに人通りが少なく透けて見えた。コロナのことさえなければ、多くの人通りでにぎわっているに違いない。すべてに云えることかもしれないが、世の中の変わりざまを見ながら、これからの生き方をも考えていく時代的変化の真っただ中に置かれているのかもしれないと思った。        続   7月5日

  

      たなばた

  全国的に郷土色豊かに催される七夕まつりは、増加する外国人観光客の訪日やら、地元商店街の振興策も兼ねて年々多彩になってきているが、今年は新型コロナウィルスの感染拡大防止のため割を食ってしまい、例年にぎやかな開催地ではすべて中止となってしまった。寂しい限りである。三大祭りと称される仙台、平塚、愛知の一宮の七夕祭りも今年は姿を消してしまった。竹に吊るした豪華、絢爛の飾りが街の通りを埋め尽くし、訪ねた人々は飾りの下を願い事を果たしてもらいながら、厄を払い無病息災を願う意味も込めている。

  子供のころに聞いた話では、天の川を隔てて会うことができなくなった織姫と彦星が、一年に一度だけこの日に会うことができるというロマンチックな星物語がで始まっている。だからそれにあやかって、願い事を書いて短冊とし、竹笹に結んで夜空に立てるという風習で、軒下にくくったもので何ともきれいな節句的行事につながっている。梅雨の間に眺めた真砂の星に、願い事を記して高く掲げると、ちらちらかがやく星々が願い事をか叶えてくれるような気がしてくる。

願い事を短冊に書いて竹笹に結び付けて軒下に飾りつけたりしないまでも、心に願い事を以て夜空に輝く星空に手を合わせるだけで、神様が思いをかなえて下さるような気持になるから、まだ人間らしさがともっているという感じがしてほっとしている。 それ以上に、メルヘンチックな思いにしたるだけ年が若いぞと思い直して、そうだ俺はまだ青年だと言い聞かせつつ銀座の白いバラの店の前を通っていったら店はなくなってしまっていて、みすぼらしい駐車場に変わっていたのがむなしかった。二年前にはすでに無くなってしまっていたことは分かっていながら、バーブ佐竹の歌ではないが、心残りが切なくてと思わんばかりに、影を追ってみたくなったのである。 
  店の前を天女たちが群がっていたことを夢まぼろしの如く思い浮かべ、散りぢりになっていった彼女たちは今どうしているのかなと、ふと感傷的になってしまった。 天の川を渡っていったに違いない、しかし一年後にはまた会えるさと云ったら、佐々木、お前はいつまでもロマンチックに考える性分だなと、故人になってしまった友人が真剣な顔をしてあの世から怪訝そうに云っているではないか。店を閉じてしまった銀座の白いバラは、もう戻ってこないだろう。だとしたら他を探せといってもあの類の店はどこにも所在しなくなってしまった。ましてや三密を避ける世の中の風潮である。銀座の一等地で、客の足が途絶えた店がもつわけがない。持続可能な店は、withコロナが続くとしたら、この世から消えてなくなってしまったと考えるしかない。南無阿弥陀仏である。
7月7日

活発な梅雨前線に、線状降水帯が重なったと思われる。九州各地に激甚災害に当たる甚大な被害をもたらした大雨は、その後本州の中部、上越法地方に移行し、短時間に降った大雨は豪雨となって各所の河川の氾濫を起こして住宅地を襲っている。お昼のテレビ放送で、その惨状の模様が映し出されているが、大雨の特別警戒情報が出た岐阜県や長野県、いずれも一時間100ミリ以上の猛烈な大雨に河川の氾濫や、土砂災害が恐れられている。普段は穏やかな川の流れと川沿いの風光明媚な気色も一変し、濁流は氾濫して人家を襲い田畑を呑み荒れ狂っている。基礎の飛騨川が氾濫した。日本は山岳地帯である。被災地では一層の警戒が必要である。

  政府は、激甚災害の適用を検討中とのことである。自治体だけの復興には財政上の負担がかかって実現が不可能である故、安全確保と復興のために速やかな国の援助が必要である。
7月8日

   

    トランプのWHO脱退

   川が氾濫して、普通は穏やかな水の流れは一変し、気が狂ったような荒れようである。気が狂ったのは気象現象だけではない。権力を手にした指導者のふるまいも心配である。コロナウィルスを単なる風邪だといってマスクを外して見せてたブラジルの大統領が、とうとうコロナウィルスにかかり陽性反応を示したという。箸にも棒にも掛からぬ頓馬な奴である。こうした指導者を掲げる国民は不幸である。ブラジル国の感染者数165万人と、死者6万5000人をバックにしてのボルソナロ大統領の大見えを切る発言である。国民を前にして、「感染してもこの通り平気だ」と居直っている。ざまあ見ろと思っている世界の人々は沢山いるに違いない。

  感染者数と死者数の第一位の米国は、主役がトランプである。感染者が300万人に迫るし、死者が13万人を数える。そうした状況をバックにして、トランプは当てつけにWHOを脱退すると国連に通知したという。コロナウィルスの感染者は一人もいないと、ふんぞり返って胸を張り、トランプが笑いながら星条旗を抱いてみる仕草をしたのはつい最近のことである。国民の前で「自分はマスクをしない」と云ってのけ、強気をぶっていたのはアメリカのトランプと、ブラジルのボルソナロで両者の無責任さは同じで今や度を過ぎて、世界の笑いものである。

  トランプは裁判所からもマスクを付けろと忠告を受けている。まさか控訴するわけでもあるまい。どっちに転んでも置かれた環境によって、リーダーが気が狂っているとしか思えない。だからといって放置しておくわけにもいかず、困った三文役者が国の指導者に就いたものである。アメリカもブラジルも、国の指導者のレベルは同じである。バイデン候補の肩を持つつもりはないが、トランプ氏よりは知的センスがうかがえるので、その彼が、トランプにこの先アメリカを任せるわけにはいかないと、大統領選に闘志をむき出しに戦っている。それぞれに持ち味があって人後に落ちないが、昔のような交渉で迫力のある候補者が出てこないことが寂しい気がする。躍如たる人物を期待したい所以は、若くで新生を思わせるケネディのような人物である。しかし今のアメリカにとって不幸であるが、そうした人物が出てこない。その原因がわからない。バイデンは高齢だけに心もとないが、クリントン時代に副大統領を務めていた実績がある。問題は年齢と持続力だけである。健康に気を付けて、行く道に自信を持ってもらいたい。

  共和党内のトランプ支持者の中でも、最近のぽランプの政治的手法に疑問を投げかけるものが多くなってきたという。今回のWHO脱退も無茶苦茶であり、自分の失政を他に当てこすり、破れかぶれの当てつけである。笑うに笑えぬ、それでも場当たりの珍奇劇として、見て見ぬふりをするしかないだろう。権力者とはいえ人間でありる。細かな言動をいちいちあげつらうわけではないが、超多忙な立場故、失敗や落ち度もあるだろう、しかし、それが暴れだしたら何をするかわからないし、危険である。今回のWHOの脱退、単なる牽制かと思っていたが、そうでないところを見ると、ジャッジが狂ったのかもしれない。コロナ一つを取って見ても、国際協調なくして解決はなしえない。ましてや緊迫した状況に世界が置かれているのである。意見が違っているからとして、関係国の意見をも聞かず、一方的に脱退するとは異常である。リーダーには、ちゃんとした取り巻きがいてもらわないと、自国民だけではない、事が世界に及ぶ故に、その言動には責任があり受け止め方も深刻である。   
                                               7月8日

   マスク

  最近マスク着用に抵抗感がなくなってきた。なれと派恐ろしいくらいである。以前は、人に感染させるような病気を持った患者が、マスクをしていて、むしろ普通の人はマスクをしている人を避けていく生活習慣であった。今は逆である。潜在意識として、自分がもしかすると他人に感染させてしまうような、謂うところのコロナ菌を保持しているかもしれないという姿勢である。そうした恐怖観念を持った状態というのは異常である。自者と他者、そのことを同一に考え、一緒に価値観を共有しているということは一体どうゆうことなのか、哲学的意識を問うてみたい気がする。難しいことはともかくとして、何やら複雑な世の中になってきた。

  人との距離を置いてください。互いに、接触を避けてください。マスクをして、互いにお喋りすることは避けてください。 車内のアナウンスもそうだし、人の集まる場所のマナーでもある。これはまさしく、親密な人間関係を保つことを禁じた文句である。これだけを取り上げるなら、変な社会になってきたものだ。考えただけでも、息苦しい気がしてくる。突き詰めていくと、お前なんか存在価値がないよと言われているに等しいかもしれない。しかし皆が互いに言い合っているのだから恨みっこなしだし、咎めることもないということだろう。「兎角この世は住みにくい」といったのは、夏目漱石であった。最初から、世の中というものはそうしたものだと悟っていれば、今のコロナの時代も喧々諤々に騒ぐこともなく、自然に馴染んでくるのかもしれない。コロナの病気にかかってしまったら厄介だから、かからないように努めながら、そうだ、コロナ感染防止のための習慣を気にせず、更には一歩先んじて無視することだし、それができるかどうかの自分自身のことにかかわってくる。図太い神経のものが、生き永らえていくに違いない。

   「目は口ほどのものを言い」というのに、目ん玉だけをギラギラされても顔全体の造作が分からないと、その人の表情が見えないから何を考えているかわからないことがある。笑っているのか怒っているのか判断できないでいる。目と口があって、目と口が連動しているkらこそ初めて事の表現が浮き彫りになるのであって、マスクをされると覆面しているのと変わりがない。えらい世の中になってきたものである。先日事務所を訪れてきた人がいたが、来客中で遠くからマスクをしてお辞儀をしてまた来るということで失礼していったが、誰だかわからず困ったことであった。顔の輪郭というものがあって、その人の人格にもかかわってくる故、無視できないものがある。

  一昨日、テレビで異様に映ったのは、トランプが閣僚たちを引き連れ、真っ黒なマスクをして登場した時である。暗黒街の悪童ものの親分のような感じがして、薄気味悪かった。後に控えてくる奴らも、真っ黒なマスクをしているから、なおさらである。暴力団の組頭と錯覚しかねない異様さで、迂闊に近づくこともできない。暴力沙汰の、悪の権化の政界縮図かと錯覚した。あんないでたちは、金輪際、やめてもらいたいものだ。せめて、白いマスクで出てきたらどうかな。      7月16日
  
  日光東照宮に、左甚五郎の彫ったとされる有名な三猿がある。我慢の処世術を諭す教えでもあるが、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿である。あれなどは口だけではない、目にも、耳にもマスクをしているようなものである。あれほど人嫌い、厭世観念の徹底したものはほかに見当たらないだろう。ところが三猿の「見ざる、聞かざる、言わざる」は、悪いものを見ざる、悪いものを聞かざる、悪いことを言わざるということであると云われて、さもありなんと思った次第である。マスクは口を覆うものだけでなく、この際、三猿ではないが、目も耳もカバーしてしまったらどうだろうか。世の中から争いごといを追放し、醜い喧嘩をしないで済むかもしれない。 7月14日


大井元学院長

  敬愛する大井恒昭、元高等学院長の訃報があった。人柄をしのびご冥福をお祈り申し上げる。
数日前のこと、学院同窓会の事務局からメールが届いて、元学院長の大井恒昭先生が逝去された旨を知った。私は思い起こすままを綴って、哀悼の一首を添えてお悔み申し上げた。


大井恒昭先生の逝去を悼む一首

降りしきる梅雨の音にも悲しみの涙に覚ゆ友の逝きしに

   7月17日   5期 佐々木誠吾

そして以下の短文をうって、追悼としたのである。

      *

大井恒昭先生のご冥福を祈ります。

大井先生とは今日まで親交を深め書状を以て、
ご鞭撻、ご厚誼を得てきました。
同窓会理事会でのご縁かと思いますが、いつの間にか知り合うようになって、
お互いに心が通じ合っていました。
今年の年賀状にも郷愁をそそるメルヘンチックな童画をプリントしたもので、
人柄が偲ばれます。
職務上、私が発行している月刊書物を楽しみにしていてくださいました。
思い起こせば、小生の担任の先生で英語ご担当の恩師、故、遠藤嘉徳先生を通じて
更に懇意を深めた感じです。
その後、五、六年前に大井先生が早稲田中学のご出身とわかりました。
恥じらいめいたものがあって、お互いに口に出しませんでした。
学識はもとより、温かい人柄と人徳に触れて、学院の歴史に熱い思い出を深く刻んで
下さいます。
早い、突然の訃報に寂寞の情を禁じえません。
お悔み申し上げ、
慎んでご冥福をお祈り申し上げます。  合掌

       *

尚事務局から届いた 訃報は、以下のものである。

理事各位
元高等学院長で学院OBの大井恒昭先生がご逝去されましたので
お知らせいたします。下段の高等学院内通知をご覧ください。

                                  2020年7月14日(火)
高等学院教職員各位
                        高等学院長
本校元英語科教諭大井恒昭先生(2016年3月退職、元高等学院長、享年73歳)
が、7月12日にご逝去されました。謹んで故人のご冥福をお祈り申し上げます。
なお、ご家族から、ご葬儀は7月17日にご親族のみで執り行うとの連絡がありま
した。供花・供物・香料等はご辞退されております。
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謹んで大井先生のご冥福をお祈り申しあげます。

早稲田大学高等学院同窓会
理事長 吉原 正                       7月18日

うぐひす

  二、三日前から拙宅の辺りに鶯が遊びに来てしきりに鳴いている。今年は鶯が来ないと思ってかないと話していたところであった。ところが春先に来なくて今になって戻ってきたという感銘深いものがあって、いかにも遅れを取り戻そうとしているかのように懸命に鳴いていて愛おしい限りである。今朝は6時頃に目が覚めたが、初めのころより鳴き方が上手になってきて余裕があり、高鳴きは如何にも得意満面といった風情である。声量と云い鳴き方と云い、完成度は高いと思った。そんな理性的な分析をしているわけではなく、どうして鶯がかくも素晴らしい音声を以て、小さいからを一敗に震わせて鳴くけるのだろう、神秘的に思っているからである。

  昨日は朝出社するときには、鶯が玄関近くの茂みで盛んに鳴いて見送ってくれた。家内が、鶯に見送られて嬉しいでしょうと云ってくれたが、正にその通りである。そして夕方、自由が丘まで迎えに来てくれた家内の車に乗って帰宅したが、お帰りなさいという鶯の鳴き声に嬉しさのあまり立ち止まって、思わず手を合わせて合掌したのである。そして有り難うございますと声を出して申し上げたら、さすがの家内も静かに笑いこけていた。大声を出して鶯を驚かせても不本意だからである。手を洗い、うがいをし、服を脱いで、辺りはまだ明るい日差しがともっていたが、この日は早めに風呂に入った。風呂の窓を開け放ち、緑陰の木立を眺めては瞑想し、端然として湯船につかりながら鶯の鳴き声を聞くなんて、この上ない贅沢な生活ぶりで、まるで箱根湯本か那須高原の温泉宿屋の野天風呂に浸っているようなものである。大樹の太い幹に夕日の影が映って、真っ赤に陰ってているのが目に入った。

  拙宅の周りには幸い樹木が沢山あって、緑の陰には事欠かない環境である。特に裏方に当たる小池さんお屋敷は、昔贅を尽くして造園した日本風の庭が広くあって拙宅からも借景を楽しむことが出来ている。拙宅を普請するときも、あらかじめそれを見込んで設計を依頼したくらいである。建築材も全て無垢の木材を使っているので、今から思えば、鶯も訪ねて来やすくなっていると変なところで納得している。この間近所の狩谷さんが見えた時に、野鳥の小屋を作って気にかけてやれば、すぐに小鳥が来て巣を作って住み着いてしまうわよと言っていたが、大工の棟梁も同じことを言っていた。巣箱がなくても既にいろんなトリが朝早くからやってきて宅に居ずいてしまっているから、巣箱を作ったら奪い合いの件かになってしまい、騒々しくて始末の負えなくなって、鶯どころではなくなってしまうから勘弁してくれと逃げまくったのである。

うぐひすの鳴きつるあした梅雨の間の日のさす藪にうれし鳴きせり

老鶯と謂うべくあらじ高鳴きの力勝りて揺るる天地の

うぐひすの嬉し鳴きせるそこここに庭のしげみに潜みをるらし

老鶯の深緑の間を駆け抜けて春にも勝る夏の声かな

鳴き止みしのちに鶯の高鳴きの谷渡りする鬨の声かな

美しき声は神より授かりしものと思へてうぐひすの鳴く

うぐひすの南無阿弥陀仏と佛唱す朝のしじまに無想にてきく

こぬか雨降る藪にきてうぐひすの鳴きつる昼に子らの遊び来

薄暗き裏やぶなればうぐひすの好みの時に鳴きておるなり

うぐひすの如何にも楽し鳴き合ひに己を忘れ出で立ちにけり

憂きことも全て忘れて聞きほれむうぐひすの鳴く朝な夕なに     7月22日

うぐひす

梅雨の間の晴れ間に訪ね来てはなくうぐひすの声高く響けり

聴くほどに嬉しく成りぬうぐひすの谷わたりなり明けの朝にも

うぐひすの宅のあたりに鳴き止まず何か嬉しきことのありなむ

わが宅の辺りに居ずくうぐひすの日ながに鳴きて嬉しかりけり

うぐひすの何か良きことあるらしき左程に鳴きて宅の日暮れり

うぐひすのいずくの巣にて宿るらむ左程に鳴きてさぞ疲れらむ

湯船にて静かに浸かり鶯のうた美しく聴くやその声

うぐひすのいずこの宿に憩ふかも日永に鳴きてさぞや疲れむ

たまに来て鳴くうぐひすの声きくに愛しく思ひすぐる今日の日

うぐひすの胸もと裂ける鳴き声に我に切なく思ゆときあり

汝が鳴けば左程に我も泣きやすくよぎる思ひの人のありけり

法華経を唱ふ僧侶の読経にも似て意味ふかきうぐひすの声

うぐひすの高鳴く声に己が身の胸の鼓動も踊りけるかな

法華経と僧侶の読経の連唱に似て美しきうぐひすの声

庭にきてしばし遊べる鶯の高鳴きのあと姿消しをり

太き木の大樹の幹に夕日さし炎舞の如く燃え立ちにけり       7月26日


木立より妙なる声を響かせてうぐひすの鳴く朝な夕なに

薄日さす木ぬれにやがて滴りの雨そぼふりてうぐひすの鳴く

木の嶺に妙なる姿現して仏まします薬師寺のたう

立ち並ぶおほきみ寺のおぼろなる霞のなかに浄土ながめり

行く道を遮りわたる鶯の足をとどめてしばし聴くなり

鶯のしきりに鳴きて寿ぎの声と覚へり主の復活の日に

万禄を促し発すうぐひすの高鳴きに身の締まる心地す

谷わたるうぐひすのこゑ高く澄みあめつちの間を揺るがしにける

太平洋興発創業百周年時代の波に果敢なるべし

本業を興し発して百周年先を目指して進む雄姿よ

晴れ晴れと光るみそらの輝きに鬱なる梅雨の明け染め近し

うぐひすの喜びうたふ鳴き声に憂としき梅雨の明け染めるらし

うぐひすの高鳴きに今朝重き雲散り払いけるあとの晴れ間や

有り難き神の恵みのこの道を歩むわが身の楽しかりけり

教会の御堂のまどに梅雨明けの光さし映え恵み妙なる

うぐひすの歌を聞いては思ひ出す幼き頃の童歌かな

主に在りて皆の心は一つにて笑顔に生きて喜びあへり

福音に耳を傾け聴き入るりし我に草原の輝き光る

金銀は我になけれどみ言葉の恵み豊かに贈り給はん

十字架の影美しき梅雨明けの光たたへて比類なきかな

ウィルスの感染阻止に説教の飛沫を避けてマスクせしまま

爽やかに映る十字架に初なつの光と風の明けき証と

異邦人てふ言葉に思ひだす作家カミユの実存の書を

青春の姿をしのびその時の読書の本をしのぶ熱きも

礼拝のみ堂に前より大沼氏、塚本、小池と続く我なり

礼拝の席より大沼、塚本と小池、松本に我がパウロにて

うつろなる夢の中にも思ひ出の友の訪ねて来るは懐かし

うつろなる夢路に友の訪ね来て余は健在なりと払いのけたり

土俵上美男力士の隠岐の海、遠藤立会いの一番勝負よ

六連勝記す正代と御嶽海、好取組にかかる懸賞

慕ひきて幾山河の恋の道しのぶ今宵の夏の月かも

早々と湯船に浸かり漫然と次第に無私の境地なりけり

湯船にてうぐひすの声高らかに聴けば体も浮きたちにけり

かすが野にさまよふ鹿に季節来てまろきひとみに血すじ走れる

愛ほしく女鹿を慕ひ角笛を吹く鹿の目に灯る月かげ

岩崎の宿を発つあさ谷川の瀬を鳴き渡るうぐひすの声


蝉の鳴く夕べを迎ふ此の歳の梅雨の間に見る茜そらかな    7月27日


新型コレラ感染拡大の 第二波
  消費喚起と生産活動に、消費税の有無


  三日前、東京都の新畑コレラ感染者が366名を記録し一瞬、震撼が体に走った思いがした。GO TO TRAVEL から東京が外されたが。感染拡大は東京だけではなく、今や全国に広がってきた。大阪で255名の過去最高を記録、愛知でも150名余の感染者と続出である。感染者ゼロだった岩手県が今日、とうとう二名の感染者が出てしまったことが分かった。そして今日の全国の感染者数が1000台の大台に乗せた。 小池東京都知事の、毎日の懸命の外出自粛の呼びかけが、悲痛に響く。大阪の吉村知事が夜の接待事業の店に対し、補償なしの休業要請を発動するかもしれないとまでいう事態である。時ここに至っては保証をしていてばかりでは、実効的効果は上がらないことがわかってきたようである。自事態の財政事情はひっ迫してきている。休業補償をしていては際限がない事態である。補償休止はやむを得ない。

  大企業の決算も売上減少で赤字続出である。飲食業はもとより、観光地もしかり、人の往来減少で交通機関の稼働率低下は甚だしい。私鉄各社や船舶、航空機業界も同様、今日もANAが大幅赤字の決算を発表した。危惧するのは都内のオフィスであう。大手企業でもテレワークや在宅勤務で、オフィスの賃貸スペースを縮小する会社が出てくるかもしれない。中小企業では既にオフィスを閉めるところが出てきており、空いた部屋がなかなか埋まらない状態が続いている。 そしてテレワークの現状は如実であり広く浸透しつつある。それは東京一局集中を避け地方へ人口を移動させるチャンスである。補助金を出して地方移住を図り大胆な政策、それに呼応して地方自治体の活発はキャンペーンを行って地方活性化を推進すべきで、これに何兆円もの金をつぎ込んだほうがましである。

  感染拡大防止と、景気回復を図る政府で両輪を稼働させることは難しいが、すでに四日連休で始まったGO TO TORAVEL はしかも大市場の東京を外したりしたことで失敗であった。効果激減である。しかも東京を外したことで無意味であり、国が予算を計上したからといって掛け声に終わってしまった。効果はあいまいである。あいまいなところには、必ずロスが出てくる。不正な使途も横行する。こうした緊急事態では、政策は臨機応変、柔軟性を持った政策遂行が重要である。朝令暮改と云わても、明確な説明があれば、国民は理解する。駄目と分かった政策は、直ちに修正するか、やめるべきである。行政の弾力性の発揮が求められる。

  思うに、消費喚起を目指すなら、限定的消費税の引き下げを以て対処すべきであった。今からでも遅くない、三年間の特別期間を限定して、消費税の全廃を行ってはどうだろうか。購買力の波及効果が明らかになって、景気下支えになるはずである。第二次補正予算を117兆円をはじめ、世界最大の新型コロナ対策費200兆円以上を計上していると豪語するなら、そうした金が果たしてしっかりと役目を果たしているかどうか検証が進まないし、もとより複雑怪奇で明確ではない。利権屋が群がるのみである。むしろ期間限定で消費税の全廃を以て市場機能を生かした方が得策である。消費税増税からくる収入の減殺をカバーする、金銭的、そろばん的な計算からすれば、別途予算を計上してその道に活用したほうが良い。その方が政府の本気度が国民に分かるはずである。

  消費の刺激策と生産の拡大活動を期して、政府は、柔軟な姿勢を以て適宜、適切な政策立案と行政の対応を求めるべきである。消費税の引き下げ論議は、何も野党の専売特許でもない。もっと大人になって、自民党内から声が上がってきてもいい。 河野太郎防衛大臣は、イージスアショアの非合理性を明かして勇敢に配置の中止を決定した。以て範として、諸事万般、国難に立ち向かうべきである。 消費税の引き下げ効果は、消費者に限った話ではない。広く一般企業に向けられていくし、そのすそ野は広く経済的波及効果が鮮明ではっきり出てくるはずである。GO TO キャンペーンのような子供じみた遊びではなく、緊急事態にこそ当意即妙、行政は大胆かつ迅速でなくてはならない。独裁的権力の行使ではない、大方の国民が熱望していること故、消費税全廃の提唱は、首相の一声で決まるはずである。これぞ鶴の一声というべきか。

消費税期限付きの全廃にコロナ対策に絶好のチャンス
新型のコロナ対策に消費税全廃も良し消費回復に
明確な証明なりぬ消費税全廃を期す期限付きにて
驚きぬコロナ対策に200兆出すに及びぬ何ぞその額
200兆予算を組みぬ新型のコロナウィルス感染症に
長期戦とはなる新型コロナ戦いかにコロナとともに生きしか
まだマスク配ると云いぬ執拗に供給過剰となりし今にも
安倍さんの憔悴しきった面立ちに疲れが病ひに行くを案じぬ

コロナ禍と安倍後のことに疲れ果て日ごとに荒れし世の中の波
下げ止まぬコロナ感染者の増加にて今日東京の三百人台に
深海の大王イカを食いて生くマッコウクジラの壮絶なさま
深海へ垂直に行く大型の恰好クジラの沖の群雄
海を生くあまたの魚の王者ともあがめられたるマッコウクジラよ
小笠原諸島の海を群れで行くマッコウクジラの雄大なる旅
我もまたマッコウクジラの背に乗りて大海原の旅に出でたや


未曽有の大雨

  東北地方を襲った強い梅雨前線が、山形県を中心に豪雨をもたらし各地に甚大な被害をもたらしている。中でも庄内平野を流れる最上川が数か所で氾濫し、一帯を泥水が覆って肥沃な農村地帯に被害をもたらしている。九州熊本を襲った豪雨で球磨川の氾濫に学んだ民衆が、早くから避難勧告に従って行動したため人的被害が今のところなく済んでいることは幸いである。それにしてもあの豊かにゆったりと流れていく最上川が、氾濫したということで、今年の梅雨前線がいかに勢力を保ちながら停滞し続けたかがわかる。芭蕉は、奥の細道で、「春雨を集めて早し最上川」と、一句を吟じている。

大雨につるのみ伸びていんげんの未だに花の咲かざるは何

大雨に最上の川の水かさの上がりし夜の居寝るあたはず

川幅も広くゆったりと庄内の地を流れゆく最上川なり

出羽三山詣でし時を思ひ出し最上の川を下るあの日も

水かさを増しつ荒れ行く最上川屋形の船も影をひそめり
7月30日


   東京都の発表によると午後一時現在、コロナ感染者数が四百人台に乗せる勢いであることが分かった。具体的には463人で、四百人台を記録するのは今年に入って初めての記録更新である。依然としてコロナ感染拡大が続いていることの証左で、小池都知事が再三にわたり注意喚起を呼び掛けているように、昨日は注意警報に続いて、特別警報と改めた仕儀である。 このところ発表される毎日の感染者数が気になっているが、今日は早々と感染者数が発表になって、事態が緊急に回転されているのではないかという緊迫感に襲われる始末である。小生は出勤時間にしても柔軟に対応しているが、通常通り通勤する勤労者諸君にとっては、満員電車での通勤を想像すると、リスクを背負ってのご苦労の程が思いやられてくる。
 
  いっそのこと皆が感染者になっていて、たまに症状に現れてくる人が患者となって治療を受けていれば軽症に収まり、重症を回避できるという疾患になってほしいと思う。つまり皆が感染していても、自然なうちに体内に抗体ができていて発症しないで済んでいるという状況である。軽微に収まる人もいるだろう。中程度や重症になった人にはそれなりに対象療法を考案して、そのうち、特別に効く治療薬が開発されてきてほしいと祈るばかりである。 検体を採取して本人が陽性と判断されても、自覚症状が全くない人がいる。そして自然に解消していく場合が殆んどの場合に見受けられるかもしれない。そうあってほしいと思っている。

新型コロナウィルスの発症は、人類を襲っている世界的な問題であるがゆえに、日本だけで解決できる問題ではないが、例えば感染拡大を続ける最先端技術国、経済軍事大国のアメリカの惨状を見るにつけ、日本の対応策が範となって、世界に拡大蔓延するコロナ禍を食い止めることが出来れば、幸いである。世界が期待している可能性が大である。コロナ感染対策については、初動の対応を誤っていると大変な落ち度となって、国民に大なる被害を与えることになる。トランプが、その好事例である。そしてその上を行くブラジルの頓馬大統領が最たるものである。国民は疲弊し、困窮にあえいでいる。

  ピンからキリまでだが、政治家素の素質によってかくも大きな格差が、国と国民に存在することを、人類は身を以て体験しているのが現状である。何だかよくわからない、GO TO TORAVEL といったことを無茶苦茶に強要して無駄なことをやったりしているが、この混乱期に国民を慌てさせたりしている。中央政府より日本の自治体は良く知恵を絞って対応してくれている。滅茶苦茶な事例が、日本の中央の政治家に当てはまることもあるかも知れないので、とくと検証してみる必要がある。    

  今年も半ばを過ぎて明日からは八月に入る。今日は、昨日の雨に続いて曇天模様の空であったが、午後から晴れ間が出てきて、それからのち明るい日差しが差す空模様となった。部屋は冷房が効いていて気候に無頓着であるが、外の日差しを見ると如何にも暑そうである。これから暑い猛暑となって毎日が、コロナ対策と日射病対策に追われることだろう。物事にこだわらず健康に注意して毎日を規則正しく生活することが、一大予防対策になる。長梅雨の7月も今日が晦日であるが、月変わって明日からは真夏の日照りの天気が続いていくことだろう。
  各位のご健勝をお祈り申し上げる次第である。   7月31日


    


  

   

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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