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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.19.9

  日曜礼拝

  いつものことであるが、十時半から始まった玉川神の教会の日曜礼拝に行った。蒸し暑さも若干和らいで、風のそよぎに秋らしいすがすがしさを感じるようになった。それでも日差しの中に立つと、まだまだ残暑である。教会の玄関に入ると今日の受付では、受付を担する古賀さんという可愛らしいお嬢さんが出迎えてくれた。
   九州の名門大学を卒業して大手電機会社の有名企業に就職を果たし、今年になって4年目である。東京本社の研究所に配属になり、親元を離れ福岡から上京して二年目になる。佐賀教会の相原牧師の紹介で、玉川神の教会に来るようになり、玉川神の教会でも親しみが増して、今年の三月に洗礼を受けた。教会に見えた当初、家内は古賀さんを拙宅に親しく招いて、励まして差し上げた。郷里からは,お母さんが優しい感謝の手紙を送ってきたりされた。古賀さんの、知的で穏やかな性格が魅力である。見るからに清楚で気品のある明るい子で、教会の雰囲気も若返って賑わいがある。なにごとも華やかなことはいいことだ。
  今日の教会では受付の前でお早うと言ったら、気づいた古賀さんは笑顔で返事をしてくれて、「お体は如何ですか」と優しく尋ねられてしまった。即座に「ありがとう。おかげさまで何とか」と返事をした具合である。そばにいた金城さんに、照れ隠しではないが、「若いお嬢さんに癒しの言葉をかけられると、さわやかな感じになって何事も全快しちゃいますね」と、喜びながら話しかけたのである。古賀さんの瞳が輝いていた。教会に入るなり、天使に出迎えを受けた様なものであり、イエスの恵みを身じかに受けたようなもので大いに感謝したのである。
   礼拝には、久しぶりに畏敬する大先輩の菊山泰二さんがお見になっていた。同じ長椅子に座って,喜びと祝福のあいさつを交わした。親孝行の信一君も愛車を運転して、普段は父君と常に一緒である。今朝は同じ席に並んで、礼拝に臨んだ。菊山さんは91歳であられる。
   礼拝は、藤原牧師が休暇を取っていたので、代わりにKGKから派遣された岡谷和作主事が説教に立ち、み言葉の取次ぎを行った。溌溂とした青年で、将来を嘱望される牧師だと感じた。ユーモラスな話術が、皆を笑わせたりして会場が和む雰囲気である。聖書のローマ人への手紙、三章二十節から二十四節までを拝読、「逆転の福音」と題して説教された。現実と、み言葉を重ね合わせて有意義な説教であった。私は、主事の説教について感想を含めた和歌の一首を詠んで書き記し、感謝のしるしに主事に贈って差し上げたのである。

神の義に適うふこの身を鍛え上げ愛と光の道を行くかな
そして
楽天を辞して福音の道につく岡谷主事の後に就く主よ

  私ごとになるが、ここ二か月の間にいろいろなことが重なって体に重圧をかける結果になった。下らぬことに神経を使い、一晩一睡もしなかった。こんなことは今までに初めてである。そのせいか、寝つきが悪くなってしまった。いやな癖が又出たかなと思いながら、自分自身に抵抗を続けていた。どうにかクリアしたかに思っていたが、深夜不覚にも寝ぼけてベットから真っ逆さまに床に落ちて、頭をしたたか打ったような感じであった。ずいぶん痛いなと思いながら、暫くもうろうとしたままでいたが、やがてベットに上がってそのまま寝てしまった。翌朝目が覚めたが、頭が頭重く痛みすら感じるくらいであった。

   昨年の7月に、小生は慶應義塾大学病院で、脳神経外科の名教授の手術を得て、頭部の下垂体腫瘍の摘出手術を受けている。手術の結果は驚くほど順調で、後遺症もなく、早やや一年が過ぎた。途中の検査と診察を受けて、最終的に8月月の28日にMRIの検査を受けて診察を仰ぐことになっていた。MRIを受けた後、脳外科の医師が駆けつけて、私の頭に僅かだが血の塊の所見を見たので知らせに来たと報告してくれた。 だとすると一か月半前にベットから落ちた衝撃の跡が、今になって出てきたかもしれないと思った。どうせ9月の4日には、主治医の診察を受けるので、それに間に合わせるべく、さらに当日の朝早く、CTを撮る申し込みを医師がして下さった。ありがたい配慮である。私は安心した。

    ベットから落ちた後、私はCTを三回撮っている。いずれも何ら支障はなかった。一度は地元の等々力の脳神経外科であり、次に慶應義塾大学病院の脳神経外科、そして北里研究所病院の脳神経外科である。いずれも異常がなかったのである。ただし医師の説明だと、一か月から二か月後に出血することがあるという。しかし自然に消えてなくなる場合が多いとも聞いていた。今回も、願わくばそうあってほしいと念願している。今朝のこと、教会の受付で、古賀さんに「お体は如何ですか」と」やさしく尋ねられたが、十分に癒された感じがしたからである。  

  私は帰り際、教会で配られた週報の表紙に、和歌の三首を詠んで古賀さんに手渡してきた。

ありがたき癒しの声をかけられて古賀姉へ感謝の気持ちあふるる
奥山に咲く白百合の麗しく香り放ちて心清むる
神の義に適うふこの身を鍛え上げ愛と光の道を行かまし          9月1日


米中の関税引き上げ第4弾

   関税引き上げの応酬で、バズーカ砲の打ち合いがやまない。ドさ回りでリングに上がったへなちょこボクサーが、興奮のあまり止めるレフリーを場外に突き飛ばし、周囲の制止も聞かず、今のところ絶命するまで殴り合っている。打たれても蹴られても、両者とも伸びてしまわないから不思議である。米中貿易の戦いを見ていると、こうした場面を想起してしまう。
   しかし、本物の戦いはショウではない。世界の政治と経済のことである。迷惑をこうむっているのは、両国の国民であり、飛び火を受けて火傷を受けている世界の市民である。そんな理不尽で、馬鹿げた状態を想像してしまう。殺気立つトランプと、習近平の似顔絵をみんなが面白がってみている。稀代の奇異な政治家の登場で、民衆は被害にあいながらも、人々は幸いにも、冷静である。香港のデモ隊のように、時には暴徒化して騒ぐようなことはない。連日報道される香港の騒動も、気がかりである。香港政府と、香港市民との激しい対立は、この先どうなるのだろうか。第二の天安門事件を想起する向きもあって、事態は深刻である。この機会に民主化を求める香港の若者たちや市民の抗議運動は、日を追って激しさを増してきている。暴力的デモが昂じて、官憲の圧力を誘発させないよう、話し合いの解決を切に願っている。

   ところでトランプ関税は、空回りを続けている。振り返って見てみよう。トランプが中国に対して関税を引き上げて、貿易戦争に突入した2018年の夏のころと比べ、アメリカの貿易赤字は逆に拡大している。これでは、話にならない。この実態を、賢明なアメリカ市民はわかっているのだろうか。このままでいけば、貿易赤字を縮小してアメリカの製造業の雇用を取り戻すというトランプの公約は、実現からますます遠のいていくばかりである。やっていることは、結果として公約違反である。そのことで世界の民衆が苦慮している。

   中国からの輸入を減らすためにかけている高率の関税が、巡りめぐって米国内の製造業の競争力を低下させ、輸出を減少させてきている。相対的に貿易赤字を拡大させる結果になっている。この事実を、閣僚が言った、あの人は間抜けだといった通りだとすると、アメリカは、たかが一人の奇異な政治家によって大変な大損をしていることにもなる。喧嘩はほどほどにして止めないと、折角、良い展開になっていることも、空回りしてしまうことになる。そこで一体どちらが勝つだろうか、予測は難しくなってきた。まさか、両方が倒れるまで殴り合っているわけでもあるまい。そこまで付き合わせられるとしたら、我々地球人はたまったものではない。そこで占ってみようと思う。

   簡潔に考察してみよう。このままでいくと、手を打つことをせずに事態が悪化していくとしよう。究極的には中国が勝利し、アメリカが敗北する。アメリカは民主主義国家であるから、政治は最後には民衆に従うが、中国の民意は政府に従うだろう。一党独裁の国だから、民衆は国家の決定には逆らうことができない。国家体制の違いは、鮮明である。極端な話になってはいけないが、国家の意思に従っている貿易戦争は、すでに矛盾が各所に置きつつある。
   中国は民衆を極限まで強制することができても、アメリカには限界がある。そこに政治の意思決定の大きなプロセスとギャップがある。  焦るトランプ、 泰然の習近平。   どこかで上手に、手を打つべきである。 政治は妥協である。トランプは、最初のこのままだと中国は野垂れ死にするだろうと言っているが、中国に革命が起きない限り、それは無理だろう。野垂れ死にしても、動いているに違いない。アメリカは野垂れ死にする前に、手を上げるに違いない。民主主義の良さは、そこにある。民主主義のアメリカは、いつまでも唯我独尊の独裁者を許さない。  9月2日

     幸いなことに影は縮小

   8月の28日に慶応病院でMRIを取った時に、頭部に出血の影を認めたことで新たな懸念が生じて憂鬱な日が続いていたが、昨日の戸田先生の診察で、当日、事前に撮ってくれたCTの映像とも見比べて出血した箇所が、その間に縮小してきていることが分かった。逆に広がっていたりすると大変なことであったが、そうゆう結果にはならずに幸いであった。心配して病院までついてきてくれた家内も、ほっとしたようである。なお、一か月後に再びCTの検査をするべく予約してきた。近所でかかりつけの内科医、中野先生の説明によると、絨毯の敷かれたやわらかい床とはいえ、頭に関しては打ちどころが悪いと面倒なことになるから油断は禁物だとのことである。
   病院でのCT撮影が8時半だったので、7時に起床して8時に拙宅を出たが、通常の朝の出勤ラッシュは相変わらずである。家内は、普段の亭主殿の勤労振りも認識したに違いない。それよりも勤務に耐え健康を維持している姿を、誇らしく思っているかもしれない。安倍さんが人生百年説を唱え、働き方改革を強力に進めていることに歩調を合わせて時代の要請に協力している証左である。それにしては老後の資産2000万円はけち臭い話である。心豊かにもっとため込んで、もっと金を使いながら人生を楽しんでいくべき出る。

   人口減少と、少子高齢化社会に臨んで、安倍政権が働き方改革を進めるのは結構だが、一般社会が高齢者に対してもっと好意的な対応があってしかるべきだと思っている。先日も、自動車免許の更新に行っているが、連日の報道で、あたかも高齢者が毎日自動車事故を起こして社会に対し迷惑ばかりかけているという風潮があって、講習所がナーバスになっている感じである。劣等意識過剰な面がある。
   年を取るにしたがって、だれしも知力、体力が劣ってくることは当然である。高齢者が事の話題にさらされて、白い目で見られているといった傾向がある。如何にも社会的に非生産的であるかの如く評価を受けがちである。実社会で若者以上に生産的な高齢者はマンといる。今の安倍内閣を支えているのは、何と自民党幹事長の二階さんである。御年、何と80歳である。元気さはもとより、政治的手腕で右に出る者はいない。しかも、温厚熟慮型であり、清廉潔白である。作家の瀬戸内寂聴さんは97歳、テレビ番組で若者相手に人生相談を務めて、立て板に水のごとく喧々諤々の弁である。その人生観たるや、包容力に満ちている。被災地を駆け回る、ボランティア活動で有名な尾畑さん78歳、然りである。まさに若者、顔負けである。
  世の中は、老人ホームの高齢者ばかりではない。若年層の中には、意欲喪失、引きこもりの人間が60万人以上もいるという。直視すれば高齢者には、現実社会に溶け込んで、懸命に働く人たちでいっぱいである。実にエネルギーにあふれていて、健全な社会である。尊敬すべき公営者の先輩たちのご健勝を祈ってやまない。
                                    9月5日


季節は秋

  幸いなことに季節は変わりなくめぐってきて今や盛りの秋、農作物の収穫時期がやってきた。四季の気候に恵まれたわが故郷は、今、豊穣のうねりの中にたゆとうている。晴天の秋空は果てしなく広がって、時に、沸き立つ雲のうねりは、穏やかな太陽の光に輝き、むしろ躍動的である。激しい夏の季節が緩やかに遠のいて、野原や山川の風情は,静かな充実した雰囲気の中に息づいて平安である。

遠くの空に、黒く湧き上がる雲の一団を見た。晩夏を追っていく夕立雲である。いずれ消えていくに違いない。山梨の友人から、濃むらさきのブドウの房が籠に入って届いた。取り出すと大きい粒で、品種は巨峰である。見るからに食欲をそそる果物である。一粒に詰まった秋の味覚を感謝して、おいしくい戴く。

黒雲の沸き立つ夕べ北かたの稲妻白く線を曳きゆく

北かたに入道雲の立ち上がり一陣の風強く吹きつく     9月6日


9月に入ってから4日ごろに太平洋上に熱帯低気圧が発生したが、いまだ台風と呼ぶには至らなかった。これが海上の気温の上昇を受けて次第に勢力を増し、規模が大きくなってきて渦を巻き始めた。そして台風の中心となる目がはっきりと確認できた6日頃、気象庁は初めて台風15号と呼ぶに至った。向かって移動する方向はまだ確認できなかったが、小型ながら次第に勢力を増して,本邦に向かっていることが確認できるようになった。規模が小さくい僅かななエネルギーを有する台風と評価しながら、私ははじめから、台風は上陸してもすぐに勢力が衰えて消滅するぐらいに思ってなめてかかっていた。ところが9月6日の時点では、15号は海上で次第に風と雨の成長を驚異的に図り、関東を直撃するということで厳重な警戒を要するという注意予報に変わってきた。羽田、成田などでは空の便も全面的に欠航し、鉄道交通も運転中止を予告し、高速道路も交通規制があったりして、早くから事前に防衛体制を敷くに至った。大きさからすれば、小型台風で大した影響もないだろうとも思っていたが、さにあらず、単発的で強力なものになっていた。


   玉川神の教会で10時半から始まった日曜礼拝では、家内が先に行っており、自宅に電話がかかってきた。小生が今日は案内役の当番になっているというのである。そんなことは知らなかったが、すぐさま家を出て教会に向かった。教会ではそれそれ受け持った仕事の分担があって、持ち回りでやってくる。事前に了解もなく勝手に決めているから、知らないこともあって迷惑であるが、これも神様への奉仕であってみれば不満は言えない。家内に言えば必ずそうした答えが返ってくる。ひとまずこの日の務めは終わったが、献金感謝の後の収録は、忘れてしまった。今日の祈り会で説教に立った錦織牧師はおん歳なんと90歳という高齢の牧師先生である。しかしながら人生経験を積み上げてこられた人だけに、説教の内容にも現実味があって聖書をめくりながら迫力に満ちたものであった。とても90歳には見えない大きな声量を持った話しかたで後ろまで響いていた。小生は終了後、猪越牧師のお相手もする意味で待合室で談笑してお相手をしていたので、献金感謝の務めを最後まで果たさずに来てしまったが、相棒の中山修一君が手際よくやってくれたものと思い感謝している。

   教会を抜け出し、仲良しの仲間同士で昼食を取りに近くの九品仏の商店街にやってきた。蒸し暑く、日差しも相変わらずの暑さである。台風が近いという感じすらしない。この商店街には有名な蕎麦処があってその名を有楽庵という。粋な構えで蕎麦もうまいことで有名である。この日はお昼時でもあったのでかなりの客が入っていたが、女将は我々を奥の間に案内してくれてくつろぐことができた。
9月8日


   小型ながら強力な台風15号が関東地方を直撃するらしいということになっているが、午後は意外と静かで穏やかな雰囲気に実感がわかなかった。今夜から明日にかけて関東地方に接近し、そのまま北上を続けるらしいので厳重な警戒を要すとのことである。嵐の前の静けさとは、よく言われることである。台風が予想通り来るとすれば、この静かな状態は言葉のとおりである。夏目漱石の小説に、二百十日という書物がある。阿蘇山のふもとの温泉宿屋にとまっていた二人の主人公,
圭さんと碌さんが、嵐の前の静けさに騙されて、うっかり山道を歩きかけていったが、案の定、二百十日の嵐に遭遇、一面の草の海の中で互いにはぐれてしまい、戸惑う始末の様子が書かれてある。嵐の前の静けさは昔からある注意事項であるが、それは確かに驚くほどの、薄気味悪い静けさですらある。今回もまさにその前兆である。夕方、余力があったので、庭の芝刈りをして、かたずけるものは整理して嵐に備えた。   生暖かい風が吹き始め、大粒の雨が降り出したりして、それらしき雨風を感じたのは深夜に近く、床にはいる時間帯でもあった。
   急速にやってきて、それなりの台風の型を残し、あっけなくスピードを上げて去っていき、明け方には青ぞれが広がっているに違いないと、期待を込めて夢路に就いたのである。この夜は不思議とぐっすり寝込んでしまった。そして6時に目が覚めた。
   夏は二階から一階に寝室をもってきているので、隣がいきなり居間になっている。平屋の生活がいかに便利であるか、能率的であるか、実際に生活してみると実感として身にしみて感じる。起ききてすぐにガラス戸を開けてびっくりした。庭一面に木の葉が散らばっており、立てかけてあるものは吹き飛ばされて、すべて庭の隅に固まっていた。テーブルや椅子は、吹き飛ばされている。畑のなりものもちぎられて散々である。柿の実が、青いまま何個も地面に落ちていた。樹木はなぎ倒されずに済んだが、強風のおかげで大方の葉が、紅葉を見ずに落ちてしまった。こんな光景は珍しい。テレビをつけると台風は速度を上げて三陸沖に向かっているという。台風の中心は東京をかすめていったが、荒れに荒れた暴風圏による被害は想像以上である。テレビでは、各地の被害の模様を刻一刻と伝えてきている。
   短時間での強烈に受けた被害だけに、その爪あとは深い。57メートルを記録した強風は送電線の鉄塔を倒壊し、各所の道路を寸断し、公共施設をはじめ市民の生活を直撃している。停電の広範囲にわたる長期化が予想されるが、市民生活の被害は深刻であり、すでに電気なしで過ごしている状態は異常である。東電は懸命の復旧作業を続けているが、複雑な条件が絡んで、復旧が遅れている。13日までには全面復旧を果たしたいとしている。

  千葉の木更津には木更津吉井街道の県道に沿って1000坪ほどの土地を持っていて、雑木林にある孟宗だけの竹林に、毎年竹の子狩りに出かけるが、管理をしてくれている隣の大岩さんのことが心配になって電話をしたが、うまく通じなかった。木更津、君津、市原といったところはいまだに電気が通じていない。また、親戚が市原で牧場を経営しているが、姉のところに電話をしても、「この地区は電話が通じません」という判事が返ってくる。考えられない事態である。停電と断水、倒木による道路に寸断、情報収集の難題、  真っ暗闇に、電気なしの生活を続けてすでに二日目である。スィッチを入れれば直ぐに明かりがつくし、情報は入手できるし、設備のモーターは回るし、冷凍、熱処理ができる生活がいかにありがたいか、残念ながら身をもって切実に体験中だ。 災害地の一刻も早い回復を祈っている。 9月9日


   台風15号の超特急型豆台風が過ぎていった朝、月曜日は事務所、会社に出勤しようとしたが、交通機関はすべて運休、午前中はやむなく様子を見て自覚に待機、静観することにした。私鉄は順次動き始めたようである。先を急ぐ通勤客で、どこの駅も大混雑である。ようやく乗って詰め込まれてても、今度はいつ発車するのか、いつ動き出すのか、全く見当がつかない。通勤者にとって、まさに地獄に等しい。昼からは猛暑も加わって熱中症で病院に緊急搬送される人で大変である。

   思い立って私はこの日、自動車の運転免許の更新に、三軒茶屋にある世田谷警察署の 免許書の新規発行を受けに行った。尾山台駅から二子玉川駅まで行って、大混雑の田園都市線 に乗り換えて地下鉄の三軒茶屋で下車、地上に出たら猛暑の日照りである。駅から世田谷警察署までは一キロ弱ある。歩くだけで体に堪えた。免許書の交付室に入り、所定の手続きを経て、視力検査のあと写真撮影をして五分後に新しい免許書が交付された。75歳以上の高齢者による免許更新ゆえ、すでに認知症検査と、教習所の講習を終わっているので、今日の検査は簡単であった。
  会社に電話したところ職員が出て、電車の混乱で通勤者も少ない故、お帰りになったほうが無なんだと思うと言ってくれたので、家に帰ることにした。新しい免許書を見て、写真も以前と変わりなく若く撮れているし、申し分ないと満足しながら帰ってきた次第である。無事故、無違反、安全運転に徹して車を運転していくことを誓い、実行していくことが肝要であると自覚している。 9月9日


     内閣改造

   安倍首相は「安定と挑戦」を目指し、重量級を継続し、新進気鋭の若手登用を以て組閣に臨んだ結果が出来あがった。今回の組閣に限らず、当事者は自画自賛だし、外部からは時局にかんがみ相変わらずの手厳しい評価を受けるのが常である。与党からは、重要課題が山積する中、実行力をもってことに臨む組閣だとし、一方、野党からは、身内で固めたお友達内閣と一蹴されたりする。

  中立的にみると、重要ポストは前の内閣の時の顔ぶれで陣容を固め、派閥均衡をもって波風を立てずに無難に乗り切った内閣とすることが出来、特段の新鮮味はない内閣である。そうはいっても波風のたつ組閣であっては、あとの政権運営に支障をきたしても、国民にとっては不運となってしまう。安定した政権と、政治情勢こそ重要というべきである。又、人気の高い若手の小泉進次郎を環境大臣に据えて、惰性を排したところは良かった。サプライズと云えるかもしれない。人気だけが先行して、上滑りな結果にならないよう注意してもらいたい。外務大臣として手腕を発揮した河野太郎を防衛大臣に据え、内閣に多少の緊張感をもたらしている。日米通商交渉で手腕を発揮した茂木経済担当大臣を、外相に据えたあたりもそれなりに評価してもいい。この三人を取り上げただけでも、新鮮味として期待感が持てる。

  安倍さんの総裁としての任期もあと二年である。権力を温存したいという思惑もあり、その後を見据えた人事であることには変わりがない。いかにかじ取りを行っていくか、内外の激しい政治経済情勢である。右顧左眄せずに、独自の判断をもって世界の指導的役割を任じ、大いに活躍する場が与えられている。大臣は直ちに現場に赴き、行動に着手してもらいたい。          9月11日 


    台風15号が千葉県にもたらした被害は、想像を絶するもので停電は今もって続いている。 想像を絶したということは、今もって停電地区の復旧がままならず、日常の社会生活に甚大な影響をもたらしている現状である。電気のない生活は、現代社会にとって活動を停止された状況に等しく、そうした状況に置かれた人間生活は 、文字通り動きを止められたことに等しいから、何とも手の打ちようがない。市民生活への恐怖を煽り立てている現状は、いかんともしがたい。今日現在、まだ17万世帯が停電しているという。
    千葉県の市原市にほど近い、長柄に牧場を営む長兄の家族のことが心配で、連日電話をかけていたが、今日の夜になってようやく電話が通じた。今日まで停電だったので、その上に水道も断水し、夜は真っ暗闇の状態で不安な毎日だったとのこと。電話が通じ、とにかく元気な声を聴くことができ安どの念でいっぱいであった。
    又、木更津市の矢那に住む友人の大岩さん一家に連絡がついた。ここ数日来、電話をかけても「この地区は電波障害を受けて通話ができなくなっています」 という発信を受けるのみであった。今夜ようやく交信できる状態に復帰して、大岩さんから電話をいただき、これまた大きな喜びであった。現地では、近くの送電線の鉄塔の倒壊をはじめ、山林の樹木の倒木の撤去で復旧が進まず、電気が通じた今日まで、大変な毎日の生活を強いられていたとのことであった。それでもまだ停電地区が多いという。木更津でも、完全な復旧の見通しはまだ立っていない。

   普段、あまり気にも留めなかった電気のない生活を目の当たりにして、人間は、何と脆弱な生活基盤の上に置かれているのかと、危機意識を改めて感じたものである。停電は簡単に起きる社会事象であり、停電は人間社会の全機能を抹殺するに至る事案である。大災害時には、必ずこうした状況に対応しなければならない我々の生活を、身に染みて思わざるを得なかった。現状からして、停電の完全な解消にはなお今月いっぱいかかるという電力会社の見解である。暗澹たる気持ちである。

  台風のもたらした災害とはいえ、公的事業としての電力供給の停止は、電力会社の普段からの責任意識の欠如、そこからくる日常の訓練の欠如といったことも、大いに指摘されなければなならない。 簡単な話、突風だからととはいえ、倒壊するような巨大な鉄塔を立てられていても、ましてや町中に乱立する電柱など迷惑である。誤認、誤判断の乱発である。又、国の対応も遅速に過ぎている。内閣改造中であり、大臣の交代もあった直後とはいえ、危機管理が問題視される事案である。また、いまだ縦割り行政の悪習の一部を、垣間見た感じである。災害に晒されてているのは県民じゃない、国民である。救援、救済の点に関しても、国に対して猛省を促したい。 被害の現状に鑑み政府は、素早く激甚災害の法律を適用すべきである。すでに一週間が経過する。技術立国の日本の権威がどうした、これではがた落ちでないか。電力の途絶えた生活は、すでに限界である。安全、安心は政治家のうたい文句である。現実に立ちはだかった今こそ、被災地での住民の安全、安心な生活の確保を一刻も早く実現してもらいたい。 

台風の後の長期の停電にこれが文明国家ともいう  
嘆かわし文明国家の日本の災害復興のいまだ癒せず
台風の被害甚大の房総地区長期停電に怯ゆ生活
強風に倒る巨大鉄塔の停電のもと広がりにけり
木更津の大岩氏にも携帯の電話をするも通話叶はず 
森屋氏に社長が頼りと申されていみじく事を成して行かんと
強力な布陣をもって内閣の改造をなす安倍政権の陣 9月14日


敵視するものが、サウジアラビアの石油施設を攻撃し甚大な破壊行為を行ったのは、最近よく使われているドローンだった。ドローンも大小さまざまであり、馬力も違うゆえに、使い方によっては脅威ともなる。今回は予想もしなかった威力をもって、軍事的に使用された。イエーメンの反政府の武装組織のフーシ派が、ドローンには十機の編隊を組ませて、敵対するサウジの巨大な石油の関連施設を猛爆した。真偽の程は不明だが、石油施設の約半分を破壊したと云う報道である。
  衝撃は世界に広がって、石油価格が高騰した。石油価格の上昇は、世界経済にとって深刻な影響を与える。日本に輸出される石油の8割は、ホルムズ海峡を通過する。イランが半分を支配する海峡の緊張は、日本にとって容易ならざる事態である。 サウジは損傷を受けた石油化sん連施設の復旧に最大の努力を図ると言明している。一刻も早く現状を回復し、世界経済が混乱することのないよう尽力されたいと希望している。いつでもどこでも,戦争を仕掛けて世の中を混乱に引きずり込もうとする輩が絶えない。事前の動きをキャッチして、野望を食い止める国際的連携が求められている。ドローンが軍事的目的で、斯くも大規模に使用されたのは、初めてではないだろうか。早い時期から危惧されていた。

今回、サウジアラビアの石油施設がイランが支援するイエーメンの武装組織に攻撃されたが、イランはその関与を否定している。アメリカは間接的に、ドローンはイラン製だと称して、飛んできた方角も推定してイランの攻撃だと言っている。確かにイエーメンの反政府組織だけで、こうした精度の高い兵器を使用することはできない。背後にイランが介在していると云う。中東情勢が、かってのようにイスラエルも含めて混乱状態に陥るようだと、サウジにとってもイランにとっても決していいことにはならない。ましてや世界にとっても緊張状態を醸し出す結果になってしまう。一件に関して、アメリカの過度な介入を、特に軍事介入は絶対に避ける必要が、即ち、冷静さが望まれる。ここで事を荒立てて、アメリカとイランとの緊張関係が拡大して、近い将来に予定されている両首脳の会談の可能性について否定的にならないよう期待している。 いわんや戦火を交えたりすることのよう 、迂闊な言動を慎み、ツイッターーは慎重を期してもらいたい。 9月17日


諸事雑感

     青春時代の学び舎は懐かしいもので、常に心の灯となって胸に焼き付いている。若いころは母校の装柱や高等学院や大学の、分けてもゼミの合同幹事長を務めたりしてきている。それなりに活発な活動を支援してきている。二十年ほど前から母校の校友会賛助代議員記という重々しい名称の額縁と、きれいな金バッチを贈呈いただいて、微力ながら母校の発展に尽くしてきている。それも若いうちかもしれない。早稲田大学の校友会誌が毎月送られてくる。現代のデジタル社会を反映してか、フェイスブックもそうであるが、校友誌の紙面を埋め尽くす「写真」でにぎやかである。読む文字のスペースが、だんだん狭まれていく感じである。しかも文字が小さく、インクが薄いのが難点である。学生諸君もそうだが、OB諸君にとっても読みずらいのではないかと思っている。これが高じてくると、おそらく写真集になってしまうだろう。読むことから見ることへの校友誌が手軽に送られてきて、手軽に楽しむということか。考えないで済む便利さだが、逆に危険である。視覚に訴えるのみで、文字を追う過程での思考能力の減退につながっていく。そしてますます刺激的になっていくこと必定である。先日の校友理事会のため、高等学院を訪ねた。正門校舎に入ると左手に、会津八一の学規の揮毫が堂々と額に収められているのを見て、胸のすくような気分になった。
   たとえは悪いが、昔あった写真集で、今は廃刊に追い込まれてしまったが、フライデーとフォーカスの二冊であるが、最近は見なくなってしまったが、講談社から出ているフライデーはまだ残っているらしい。写真集といった感じで、マスメデアとして革新的だった。フォーカスは新潮社から発刊されていたが、時事性に富んだ少しばかり暴露的なところがあって面白く見たものである。フライデーはどちらかというとエロチックな写真集だったようで、人前で見るのもはばかるような思いをしたことがある。今でも健在なところを見ると、いずこも同じ、異性に対する興味と欲望の限りは尽きないものがある。
  
   徒然草の第八段だったが、久米の仙人が空を飛んでいたときに、地上で洗い物をする女のつややかな足はぎの白い肌を見て、神通力を失って墜落をしたという話があった。古今東西、人間の生と性に対する限りない執着が、文学にしろ絵画にしろ、広く芸術を育んできたともいえる。それは生きる喜びと感謝の念の発露であり、生きる自己表現であり、自己主張でもある。フライデーはともかく、フォーカスは知識人に支持されていたように思う。社会性があって現実的に学習することがあって貴重な雑誌であったが、廃刊になってしまったことは、残念に思っている。確か、新潮社から出ていたと記憶している。
   昔発行されたある写真には、鏡にむってわずかに残された頭の毛をいかにも大事そうに櫛を入れる中曽根康弘さんの、真剣なまなざしの顔写真が大きく載ったことがある。無論、中曽根さんは気づいていない。なかなかユーモラスな面があって、記者はこの瞬間をどのようにして撮ったのかと思うと、フォーカスの取材記者の面目躍如なところを感じ取ったのである。首相を務めた中曽根さんは今101歳、お元気である。持論の憲法改正を堅持していらっしゃるが、元海軍主計大尉の筋金入りの軍人である。危うくも戦犯の刑をのがれた。恩返しに、戦後は新日本再建の先頭に立って活躍した。にもかかわらず、平和時の軍隊保持を戦後も堅持し、憲法改正をもくろんできた。安倍さんがそれを引き継いでいることは周知のとおりで、これに執着し、国民的議論へ持っていき、自分の在任期間中にその道筋をつけたい意欲を燃やしている。戦争の恐ろしさを知らない連中が、今、盛んに戦争をしたがっている。スマホでゲームを見るのとは違うということが、わからない連中である。これこそ平和ボケというべきである。戦争のない平和な国つくりこそ、日本が示す道筋だが、それを持続させていくにはどうしたらいいか、そのことをまず念頭に置いて考えるべきである。
   今年五月に退位された平成天皇が、しみじみと述懐されたことは、平成が戦争のない平和な時代であったことに誇りを持っていると述べられたことである。NHKがクローズアップ現代で生々しく放送したが、小生は、月刊誌昭和経済にも書いた、昭和天皇の御前会議の緊迫した模様である。東条英機内閣の居座る他湧けども相手に、昭和天皇自身、あの時なんで自分の心中と決意を和歌にして詠んだが、馬鹿な軍人にはそれが理解できなかったのだったと。それがため米英を相手に戦争を挑み、三一〇万人にも及ぶ国民を悲惨な死のどん底に打ちたたいてしまったと、悔やまれてならないその後の巡業の慰霊の旅を続けて行くことになったと。
   今朝の朝日新聞の「天声人語」で、一九四四年、敗色の濃厚となった太平洋戦争のさなか、日米の激戦地となった南海のパラオ群島の当時の凄惨な状況を、今の楽園の様子と蘇った「天と地の差」をもって綴る小論が載っていた。小生も、米軍艦載機の攻撃による機銃掃射や、雨あられと降る焼夷弾の中を潜り抜けてきた経験を持つが、戦争があると世の中は斯くも、天国と地獄の差があることを身をもって知らされた。洞窟の中、火炎瓶で悪魔のごとく破壊されて蒸し焼きにされた人間と悪臭の残骸。光輝く南海の青い海。澄み切った果てしない大空。地獄と、楽園の差を目の当たりに見押せつけられる。    

    淵の225号に、植田重雄早稲田大学名誉教授の和歌が載っている。締めに植田先生の晩年の和歌を味わって、平和を求めて行きたい。

戦乱は憎悪の思ひつのらせて罪なき者をいけにえとする
人民短歌叫びし歌人は今はただ御歌所にひざまづくとか

屍を踏みつけ焦土の中を行く兵士の最早獣心と化す    9月21日


スポーツに季節とも

   今、日本が開催国となって行われている競技、ラグビーワールドカップ2019の熱戦や、女子バスケットワールドカップ2019。混戦模様となった大相撲秋場所の関脇優勝、躍り出た女子プロ渋野日向子選手の活躍と、話題満載、枚挙にいとまのない最近のスポーツのだいご味である。敢えてオリンピック・パラリンピックの宣伝的な話題や、ニュースを追うまでもなく、むしろその宣伝めいた騒がしさに憂きる感じである。
   このところの一週間は、内外に起きる政治経済や、争いや犯罪のことなど忘れさせてしまうようなスポーツのワ―ルドカップの明るい、愉快なニュースに目を向けっぱなしである。こんな楽しい愉快な社会であったらいいなあと思うくらいである。    9月22日

     

     地球温暖化と、16歳の少女の発言

   23日から始まった注目の国連総会である。この日、国連総会に集まった世界の代表者たちである。地球温暖化の危機を訴えるスウェーデンの16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの発言に、彼らは肝をつぶした。「あなた方が子供たちを見捨てる道を選ぶなら、私は絶対に許さない」と。
   「あなたたちは私の夢を、子供時代を、空っぽな言葉で奪ってきた。・・。苦しんでいる人たちがいる。死にゆく人たちがいる。生態系は破壊され・・・・・。そしてあなたたちはお金の話や、終わりなき経済成長のおとぎ話ばかり・・・だ」と声を高めて大人たちを叱責する。人間のあくなき欲望の果て、環境汚染によって地球上のバランスが崩れてきて正しかった生態系が崩れ、地球上の生物の生存が脅かされている。地球温暖化と環境汚染は、経済優先の突っ走りで惹起されたものである。30年以上にわたり、科学は極めて明確だったとして、少女は訴える。「あなたたちは私を見捨てている」と、国連総会の場に出席している代表者たちを前にして、痛烈に非難した。「もしこれからも大人のあなたたちが私を見捨てる道を選ぶなら、私はこういう。絶対に許さない」と。
   彼女の発言に対し、誰も口をはさむことはできない。事実だからである。彼ら大人たちは、グレタさんのこの強烈な叱責に屈服せざるを得ないだろう。もし良心というものがあったなら。
   彼女の抗議と叱責に対して、少なくともパリ協定を脱退したトランプ氏は、そこに立ってはいられないはずである。彼女の前に立って彼は、完全に敗北者である。  9月24日


コスモス

古くよりあがめて来たる道のべのゆきずりに立つ道祖神かな

雨風にさらされて立つゆきづりの道の辺に立つほとけいとほし

何を思ひ何をいだきて道のべに立つみほとけに語りかけつる

立つ秋の空の気配におのづから我れに知らせし寂寞の情

立つ秋の空ゆく雲の悲しさを静かに秘めて消ゆる何ゆへ

コスモスのゆるる峠の茶屋に寄り大きな富士の嶺を仰げり

母と寄る峠の茶屋に写つる絵のセピア色にてあせしその影

何事も虚しく覚へ身に迫る孔子のお教えと法華経のこと

狂人となりぬゴツホの一生を振り返る日のあはれその身よ

北斎もどぎつい色に塗りたくるエロ師の本領ここに在りしと

荒れはてる戦地の果てに身を沈む虚しき兵士のいくばくの山

誰が為に尊き生命を土に帰す何とか万歳と叫ばしむ奴

真面目なる人が寄るらし今日の店皆読書して物を書くなり

馬鹿騒ぎする客もなく静かなる今日ドトールの店は好まし

置屋氏に依頼されたる仕事ゆへ社長が頼りと申されてはなほ

置屋氏のホテルを高値で売らむとす相場の思惑いまだ生きをり

置屋氏に社長が頼りと申されていみじく高値で売らんとぞ思ふ

サンバイオ株の堅調に推移して気をよくいたす昨今のわれ

うごめきの何やら感ず聖篭の株に奔騰の兆しなるかも

付き合ひにアイスコーヒーを注文す口にひたして帰りくるなり

おかげにて和歌の十首を詠み(よ)記し(しる)ドトールの店出でし我なり

詠み代と称して払うコーヒー代我にはかなふ氷水かな

コスモスの咲く道のべに微笑みて立つみほとけの情け知らずや 25日



   デジタル化時代の矛盾  SNS時代の世相

   母校の校友会誌が毎月送られてくる。現代のデジタル社会を反映してか、スマホもフェイスブックもそうであるが、校友誌の紙面を埋め尽くす「写真」でにぎやかである。読む文字のスペースが、だんだん狭まれていく感じである。しかも文字が小さく、インクが薄いのが難点である。学生諸君もそうだが、OB諸君にとっても読みずらいのではないかと思っている。これが高じてくると、おそらく写真集になってしまうだろう。読むことから見ることへの校友誌が手軽に送られてきて、手軽に楽しむということか。考えないで済む便利さだが、逆に危険である。視覚に訴えるのみで、文字を追う過程での思考能力の減退につながっていく。そして写真は、ますます刺激的になっていくこと必定である。
   昔あった写真集で、今は廃刊に追い込まれてしまったが、フライデーとフォーカスの二冊であるが、講談社から出ているフライデーはまだ残っているらしい。写真集といった感じで、当時マスメデアとして革新的だった。フォーカスは新潮社から発刊されていたが、時事性に富んで少しばかり暴露的なところがあって面白く見たものである。フライデーはどちらかというとエロチックな写真集だったようで、人前で見るのもはばかるような思いをしたことがある。今でも健在なところを見ると、いずこも同じ、異性に対する興味と欲望の限りは尽きないものがある。
 
   徒然草の八段だったと思うが、久米の仙人が空を飛んでいたときに、地上で洗い物をする女のはぎのつややかな白肌を見て神通力を失って墜落をしたという話があった。古今東西、人間の「生と性」に対する限りない執着が、文学にしろ、絵画にしろ、広く芸術を育んできたともいえる。それは生きる喜びと感謝の念の発露であり、生きる自己表現であり、自己主張でもある。フライデーはともかく、フォーカスは知識人に支持されていたように思う。社会性があって現実的に学習することがあって貴重な雑誌であったが、廃刊になってしまったことは、残念に思っている。確か、新潮社から出ていたと記憶している。
   昔発行されたある写真には、鏡にむってわずかに残された頭の毛をいかにも大事そうに櫛を入れる中曽根康弘さんの、真剣なまなざしの顔写真大きく載ったことがある。無論、中曽根さんは気づいていない。なかなかユーモラスな面があって、記者はこの瞬間をどのようにして撮ったのかと思うと、フォーカスの取材記者の面目躍如なところを感じ取ったのである。首相を務めた中曽根さんは今101歳、お元気である。持論の憲法改正を堅持していらっしゃるが、元海軍主計大尉の筋金入りのれっきとした軍人である。危うくも戦犯の刑をのがれた。恩返しに、戦後は新日本再建の先頭に立って活躍した。にもかかわらず、平和時の軍隊保持を戦後も堅持し、憲法改正を目指してきた。安倍さんがそれを引き継いでいることは周知のとおりで、これに執着し、国民的議論の持っていき、自分の在任期間中にその道筋をつけたい意欲を燃やしている。戦争の恐ろしさを知らない連中が、今、盛んに戦争をしたがっている。スマホでゲームを見るのちは違うということが、わからない連中である。これこそ平和ボケというべきである。戦争のない平和な国つくりこそ、日本が示す道筋だが、それを持続させていくにはどうしたらいいか、そのことをまず念頭に置いて考えるべきである。

   今年五月に退位された平成天皇が、しみじみと述懐されたことは、平成が戦争のない平和な時代であったことに誇りを持っていると述べられたことである。NHKがクローズアップ現代で生々しく放送したが、小生は、月刊誌昭和経済にも書いた、昭和天皇の「御前会議」の緊迫した模様である。東条英機内閣の居座るたわけども相手に、昭和天皇自身、あの時ご自分の心中と決意を和歌にして詠んで示したが、馬鹿な軍人にはそれが理解できなかったのだったと。それがため米英を相手に戦争を挑み、三一〇万人にも及ぶ国民を悲惨な死のどん底に打ちたたいてしまったと、悔やまれてならないと、その後の巡業の慰霊の旅を続けて行くことになったと。
 
   今朝の朝日新聞の「天声人語」で、一九四四年、敗色の濃厚となった太平洋戦争のさなか、日米の激戦地となった南海のパラオ群島の、当時の凄惨な状況を、今の楽園の様子と蘇った「天と地の差」をもって綴る小論が載っていた。小生も、米軍艦載機の攻撃による機銃掃射と、雨あられと降る焼夷弾の中を潜り抜けてきた経験を持つが、戦争があると世の中は斯くも、天国と地獄の差があることを身をもって知らされた。洞窟の中に立てこもった日本兵に対し、火炎放射器で蒸し焼きにされた人間と、悪臭の残滓。それに引き換え、今の光輝く南海の青い海。緑豊かな大地、澄み切った果てしない大空。「地獄と、楽園」の差を目の当たりに見押せつけられる。

屍を踏みつけ焦土の中を行く兵士の最早獣心と化す

荒れはてる戦地の果てに身を沈む虚しき兵士のいくばくの山

若者を戦地に送り死なせたる戦犯老人の骨壺に在り

誰が為に尊き生命を土に帰す天皇万歳と叫ばしむ奴 9月28日

文句なしにワールドカップが面白い

   このところ家内と一緒にラグビー・ワールドカップ2019と、同じく女子バスケット・ワールドカップの試合に釘付けの状態でテレビ観戦中である。幸いにも開催国が日本ということで、オリンピック、パラリンピックを来年に控え、前哨戦として文句なしに盛り上がっている。一昨日のラグビーの対アイルランド戦では、世界ランキング2位のチームを相手に日本チームが抜群の巧妙な戦いを見せ、今大会の優勝候補に19対12で逆転勝ちして、対戦成績では勝ち点9を得て首位に浮上、二位のアイルランドを二点差で切り離し、全国のファンの熱気を盛り上げている。うちでもラグビー観戦に熱を上げているところだが、放映される番組には、テレビの前で手に汗で観戦、応援している。
   今日は7時から,スソコットランドとアモイ戦が第4のテレビ放送で生中継である。日本チームは、今日のアモイがどのような戦いを見せるか、じっくりと観戦、研究して対戦に備えることだろう。

   バスケットでも然り、昨日7時から始まったテレビでは、日本代表は対オランダ戦で華麗なプレイを発揮、3-0でストレート勝ちを果たした。実に見ごたえのある試合であった。 世界の一流選手の活躍を通じて、世界から応援に駆けつけているサポーターを通じて、世界をぐっと手元に手繰り寄せて親交を深める機会にもなっている。 分け隔てなく、人類は皆家族といった感じである。 9月30日

   


                 

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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