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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.14.01

 


謹賀新年    天気晴朗の2014年・元旦


    わが日本に、2014年の大いなる経済発展の兆候に恵まれた新年を迎えることが出来ました。
この日の日本列島は西高東低の冬型の気圧配置となり、全体に荒れまくった激しい気象となりました。東日本の、とりわけ関東地方は雲一つない快晴の空となり、おおらかな初日の出の朝を迎えることが出来ました。今年の世の中が安泰に過ごせて、庶民の生活ぶりが少しでも景気回復の恩恵に浴することができる兆候であります。毎年大みそかから二人の可愛い孫を連れて息子家族が賑やかにやってきて、年越しそばを一緒に食べて,大晦日を泊まって,元旦の夜も共に過ごして、新年を寿ぐならわしです。年越しそばは近くの 「久寿屋」 で済ますことにしていますが、この店が比較的名が通っているせいか、常連客で一杯な時があります。そうした時は反対方向の蕎麦処 「ぎんや」 に行くことにしています。普段でも私はこの店に来ることがあって、どちらかと云えばセンスに高級感があって落ち着いており、しかもこの店の方の麺が私の好みに合ってなじみやすい感じですが、家族達は久寿屋の方がいいというのです。私は板わさにお銚子を一本取って年越しそばを注文し、ゆく年の垢をぬぐい、身を清めて新年に備えました。年越しのそばは、簡単な盛りそばです。これが一番の好物ですが、妻は、たまにそろって食事をするのに、おそばの他にないも取らないのですか、つまらないわねと愚痴をこぼしていますが、決してケチっているわけではありません。久しぶりに会った家族達は品書きを取り寄せ、宴会のようなつもりになって料理を注文しています。そうした場所には、「ぎんや」の方が席を大きくとることができるので、ゆったりとした気分で年越しそばを楽しくたべて、大晦日を過ごすことができます。新年の時報とともに「新年おめでとうを」を言い交して私たちは床に就きましたが、息子が深夜の1時半ごろになって近くの玉川神社にお参りに行って、社務所で破魔矢と新しいお札を買ってきてくれました。地元の玉川神社には、除夜の鐘と同時に既にたくさんの初詣の人たちでにぎわい、鳥居から境内、本殿に向かって長蛇の列が作られていたそうです。零時を過ぎて庭に出てみると、穏やかな快晴の空に新しい年を祝うかのように澄み切った夜空がくまなく広がって、この一年の前途を祝福するかのようです。家族そろってさわやかに、行く年、来る年を過ごしたことですが、見上げた夜空の満天の星、そして一夜が明けた今朝のかがやく日の出と元旦の精気にふれた喜びは、家族とともに万感の思いが心から湧いてきました。
    仕事柄いつも多忙を極める娘、明子夫婦は、暮れになってようやく休暇が取れたので、正月三日までロサンゼルスに旅立ちました。除夜の鐘が撞き終わると、時を合わせて明子から爽やかな新年おめでとうの電話が入りました。その時のロスは、朝の7時だそうです。私の家ではこうして今年も恙なくみんなが元気に新年を迎えることが出来ました。私はクリスチャンですが、ひょっとすると異端者とは云わないまでも、良く言えば包容力が大きいのでしょうか、神社仏閣には生まれつきの習慣が身についていて、単純、素朴な気持ちで手を合わせて拝むことがしばしばです。ですから縁起を担いで、元旦には昼間遅くに家族全員が、地元の玉川神社にお参りを済ませてきました。お祓いを受けてきれいな心身の状態で、天地創造、全知全能の神様に向き合う姿勢も大切だと、イエスに敬虔な姿勢を示す妻と違って、多少の妥協的手法を以て、勝手な解釈をして、信仰についてはおおらかな姿勢を見せています。神社ではお決まりの願い事ですが、神殿に向かってはお題目の通り家内安全、商売繁盛、無病息災と、もっぱら自己本位、自己中心的な祈願をしてまいりました。しかしながら、やはり人間社会を構成する一員として、世の中の安穏と、人間らしい社会の構築も願い、人々の幸福も与えられるよう祈って来ました。
    今年は4月からの消費税3パーセントの値上げが控えていますが、回復基調の経済展開はこれを難なく消化して、景気回復と経済の持続的発展を遂げていく機運にあります。消費税の値上げはそれ自体、日本が財政再建に真剣になって取り組んでいくことを内外に発信して、世界からも大きく信認を得る結果となりました。無論、若干の影響は起きるかもしれませんが、その後に発表される経済統計は寧ろ良好に推移するものとなるのではないでしょうか。消費税の引き上げによって生じる弊害を除去、軽減するための補正的手段も講じられて、アベノミクスが腰砕けにならないような手立てはしているはずです。今までにも順調な景気回復路線を歩んできていることは、街なかの消費行動や、企業の業績向上を背景として、明るい兆しで推移してきているところです。このまま景気回復路線を進んでいくことに自信を以て、企業家は立ち向かうべきと思慮しているところです。企業家にとって事業には必ずリスクが伴うことは百も承知であります。新たな分野に進む先には更なるリスクが伴うものです。リスクに挑むところに新しい未来が開けてきます。挑戦する企業家の大きな夢がそこにあります。リスクをいとわず、企業家精神を発揮して、明るく進んでいく一年としたいものであります。
    一昨年の政権交代の実現によって安倍政権が圧倒的勝利を博して登場して以来、打ち出した景気対策は国民の圧倒的支持を得て、現在のところ顕著な効果を発揮して、念願だったデフレ脱却の機運は現実的なものとなってきております。政権交代後の一年後には、アべノミクスで三本の矢を放った先は、金融の大緩和と財政出動によって市場に大きな弾みをつけてきました。これを反映して東京株式市場は過去の高値19,850円からの暴落以来の戻り高値を更新してい16、291円を付けて大納会を終えることが出来ました。これが有力な資産効果を発揮して、先ず消費動向に影響し、消費者物価上昇に少しずつ反映されてきています。デフレ脱却に寄与する道筋として、大いに歓迎すべき事柄であります。一方ニューヨーク株式市場でも連日の高騰の末、年末には史上最高値を更新し、ダウ16,500ドルを突破する値段で終わりました。
    東証で戻り高値を更新した16、291円でも分かる通り、次の目標とすべき経済政策は、企業業績の向上が、勤労者の所得増大に結びついていくことであります。更には、消費増大を果たした先に、企業が増産体制に入る循環が必要であります。即ち、経済の動向が在庫投資から、積極的に企業の設備投資に進んでいくことが望まれます。それを積極的に促すものは、安倍さんが云うところの三つ目の成長戦略だろうと理解しています。経済の活性化こそ、成長戦略のかなめであります。幸いアメリカの金融政策も恙なく有効な戦術にでて、事なきを得ていますが、日本としてもその間を時間的に有効に稼いで、金融の拡大路線を勇気を以て遂行していくべきであります。その点、黒田さんの政策遂行の意志は揺るぎないものと確信し、企業家は自信を以て対応し、将来の市場を見据えて拡大路線に踏み切っていくべきでしょう。安倍さんの政策遂行と合わせ、新年は企業家にとっても事業の成功を占う正念場の時であり、決断と、覚悟の時期到来であります。
    繰り返し言っていることですが、私は一昨年の11月14日の国会での党首討論で、民主党の野田首相が自民党の安倍党首に、「明後日の11月16日に解散しましょうよ」と提言したことに対して、安倍さんは「約束するんですね、11月16日に解散すると約束するんですね」と念を押した時点で、経済の指標とする株式は即刻買いだと勇気を以て会員各位に告げました。そのことの理由は当時のホームページにも書き込みましたし、昭和経済にも半世紀に一度の好機到来と掲載しています。この時の党首討論は、戦後に経験する躍如とした時代の大転換であります。結果は野田さんの敗北に終わりましたが、これを以て野田さんの引き際は国家百年の計を念頭に置いた捨て身の決断だと評価しています。両雄の歴史的合意と称して憚らぬ一幕が、日本の歴史を変えました。そのことは間違っていませんでした。7000円台に低迷していた東京株式市場は、翌日の取引から活況に転じ、上げ下げの相場を繰り返しながら、大きな期待のうちに基本的には堅調な上昇相場の展開となりました。内外の不安要因をこなしながら、一年を経過してみたところ、既述の通りの大幅の上昇を以て大納会を終えました。株式の8、000円余の大幅な上昇は、そのまま資産価値の大幅な上昇につながり、それはとりもなおさず国富の正当な評価を得て、国力の改善と増大に大きく寄与するものとなりました。株式の値上がりは、更には景気回復、デフレ脱却を示す土地の値上がりに通じ、大都市の地価は大規模な開発と見合って力強く上昇に転じ初めました。これを見る限り安倍さんの政治的、経済政策的手腕は、あっ晴れの一言に尽きるものです。
    これは政治家としての優れた素質を持った安倍さんが、信念を以て、勇気を以て実行した成果であります。この経済政策的手法は、但し、経済のイロハのイの字に過ぎません。ケインズ経済学で学ぶ学徒の、教科書の冒頭に出てくる経済理論の確信的文言であります。政府による金融の量的緩和と、公共投資の拡大は、経済の呼び水となって、停滞する国民経済の突破口となって、衝撃を与えることになります。この原則的理論をどこまで貫いていけるかが、今後の経済動向を見極めることにもなるでしょう。これからの課題は政府指導の経済循環のあとに、民間経済を拡大路線に誘導していかねばなりません。規制緩和と、技術革新が、目標とする成長戦略のかなめとなることは云うまでもありません。安倍政権のこれからの課題は経済の成長路線を一直線にぶれなく推進すること、あらゆる既得権の妨害を排除して果敢に政策を推し進めることではないでしょうか。政策実行の入り口も、出口も同じ理論を以て適切に行っていくべきでしょう。「真理は単純にして平凡である」とは著名な経済学者であり、恩師の故・堀江忠男、早大名誉教授の云ったひとことであります。
    幸い今は自民党一党政治の国会であります。しかしながら驕りと傲慢を廃することは無論のこと、自公政党の安倍政権が右顧左眄せず政権の運営に専念していくことであります。優先的課題は、景気回復を図り、民生の安定を確保することです。外交的には隣国である中国と韓国との対立解消に努力し、いたずらに軋轢と混乱を惹起せしめずに友好関係を構築して、アジア経済圏の協力的関係を打ち立てて行くべき大きな目的があります。経済運営については歴代首相がやり遂げなかった困難な課題を克服した安倍さんの実行力は自他ともに認めるところで、さらにこれを推し進め、景気回復とデフレ脱却を目指すことに尽きます。内政においては穏健にして少数野党にも耳をかし、正しいことを信念を以て貫いていく限り、国民の心情と支持を手にしていくことができるでしょう。年明け早々、難問山積の様相ですが、事の次第によっては逆風に立ち向かうこともあるでしょう。消費税の値上げは景気回復の波で吸収されますが、これからの回復軌道を円滑に進めるには第三の矢の成否にかかっています。アベノミクスの経済政策の正鵠を射る第三の矢は、正念場に差し掛かっています。愚直にこれを推進していくことが、安倍さんに課せられた使命であり、国民が期待するところであります。成長戦略では、法人税率の軽減や、雇用拡大、医療保険制度の改革、新しい農業政策の推進などやるべき仕事が重く限られています。いたずらにエネルギーを分散して、効力を希薄化していくことは避けなければなりません。たとえば靖国神社の参拝については以前から小欄でも指摘してきたところですが、安倍さんの立場と状況をよく判断してその是非を決めるべきでありました。結果の影響をたやすく見ていたきらいがありますが、複雑な火種とならないよう、気を付けなければなりません。
     気がかりは安倍さんの健康状態です。日常の休みない激務が体に重圧となってこないよう、側近には間抜けが多いから、奥さんが気を配って細心の注意を払ってもらいたいと思うし、奥さんも過労にならぬよう注意を願いたいと個人的に思っているところです。以前患った病気は、過剰なストレスが大きな原因であります。このいまの大事な時に、安倍さんに休日を・・・・なんていうことになったら、みんなが一緒になって寝込んでしまうでしょう。ここまで来た安倍さんは、我々日本人の民意を汲んで、長きにわたる不況、デフレ脱却を果たし経済低迷を克服して、経済回復の突破口を切り開いてくれた大政治家であり、我々が世界に誇りとする政治家の一人であると自負しています。政権担当して一年二か月ですが、この先安定した政権維持を図って明るい社会を構築していってもらいたいと願っております。国家、国民の安寧の基礎が、経済安定と企業の競争力向上がその基礎であることは云うまでもありません。
    云わんとするところは、これ以上あまり無理をして働くことはありません。ジェット機もそうですが、離陸するときの瞬発力と、機体を上昇させていく時に最大のエネルギーを消費します。その後は水平飛行に移り、燃費を使わずに、安定した姿勢で遠くの距離まで飛行を続けていけます。無理をせず目的地を目指せば万事がオッケーと云うことになります。目的地に着陸する前に無駄なエネルギーを消費する必要がありません。飛行ルートを変えて寄り道したり、方角を間違えて飛行したりすれば、目的地を間違えたりしていけば燃料を無駄に使い役割、使命を果たさずに途中で墜落乃至は自爆してしまいます。健全な飛行を続けていくためにも、精力を分散することのないよう、安倍さんの自重も促したいところであります。
    下記に記したうたは即席ながら、私の年賀状に心から詠んだものであります。この項では最後になりましたが、皆さんが健康のうちに今年も大活躍されますことを心から願うものであります。


     梅の香のにほふ山路を登りきてはるかに眺むはつはるの富士

     言論の自由を守り経世の栄えの道をあゆむ国たみ


           元旦詠歌


      久々にあかるき年を迎ふ世の太平を期すわれら国たみ

 はろばろと澄むあほぞらにまろまろと初の日の出に手をあはせけり

      初の日にかがやく雪の富士やまを家族とながむ宅の庭より

      ちはやふる宇宙の果てにおごそかに神ましまして治さむこの世は

      新年の明けて朝日の差すあしたなほ菊の香のみつるわが庭

      朝ぼらけ薄むらさきの雲はれて碧きますみの空ひろごりぬ

      経済の暗やみを出で回復を期す政権にうごく民かな

      澄みわたる元旦の空はろばろと眺むるはてにそびゆ初富士

      あらたまの歳に株式奔騰の力をいかに続けゆかまし

      多摩川の堤にたちて太平の世の到来と眺む初富士

      経済のイロハのイの字もなき者に託す国たみも愚かなるかな

      為政者の多くに経済の原則も知らず経世の道をゆくとは

      政治家の経世に学ぶこと多く安倍氏に驕りなきを願へり

ケインズの経済学の書も知らぬ者に経世を頼む無益さ

      情報の公開に立ち知る権利、民主政治の根幹をなす

      早々と賀状とどきて喜びの返書をしるすわれがのろまさ

      年頭の教書に述べる安倍さんの抱負にうなづき励ましにけり

第三の矢を如何にして放たんやアベノミクスの正念場に立つ

      この先の経済政策の持続的遂行を得て的を射るべし

      右顧左眄せず経済の回復に成果を上げて信を得るべし

      一の字を上より太く書き下ろしわれが墨字に惚れし書き初め

      初め書きに一の一字を筆下ろし春をことほぐ那智の滝かな
      
      言論の自由を経世の基礎に置き民の力と努力生かしむ

      玉川の堤ゆ眺む初はるの富士の高嶺にひかる白雪

      勤労のあいまに記す文ゆへに誤植のあるを悔ひて謝するに
    
      願はくば日本経済の本領を世界平和の道につなげむ

      日の出づる時を拝みて日の沈む折を祈りてすぐる元日

      宅の庭にて打ちひろふ銀杏の実の豊かなり節の料理に

      聖護院だいこんを抜く大みそか庭畑てらす初花の月

      ゆく年の経過を語りくる年の抱負を示す友の賀状に

      おほらかに昇る初日に経世の時に明けたる大和まほろば

      万葉のうたに世の人それぞれに思ひをしるすことの妙なり

      除夜の音をききつ我が家をはらからと玉川神社に初まふでけり

      世の人の喜怒哀楽を万葉のうたにのこして詠むもいみじき

      平穏のみそかに鳴りし除夜の鐘あちこちに聞き初のまふでに

      満天の星を仰ぎてはらからと希望をねがひ初の詣でに

      孫二人つれてにぎはふ裕介の年末年始に泊まりくるなり

      やまなみの四方にかかやく芦ノ湖を長尾峠に立ちてながむる

      十国の嶺より南へ下田まで天と地の間を走る道のり

こころざし高くかかげて青春の意気盛り返しあほぐ初の日
    
      白雪をいただく富士の嶺たかく駿河の空にかがやきわたる

      十国をおさめて広き箱根路の峠にたてば気宇おほやかに

      金柑の実の初の日に照り映えてたわわにみのる宅の庭かな

                      平成二十六年  元旦



成人の日の鎌倉行

     年が明けてゆっくりできたら食事でもしないかと云う申し入れが、鎌倉山に住む弟から昨年の十二月にありました。お互いに忙しくしていて、普段なかなか会う事ができないでいます。東京でするより鎌倉まで出向くから、「古都の鎌倉を散策しながら落ち着いた食事処を見つけてゆっくりしたいね」と云う気持ちを伝えていたところ、4,5日前ごろに連絡があって、三連休を選んで最終日に決行しました。四人兄弟のうち兄二人が亡くなってしまい、今は二人だけになってしまいました。兄弟仲がよくて、お互いに苦楽を共にしてきただけに、思い出しては記憶に残ることばかりで、二人の兄がいないことに、いまだに寂しい思いがしてなりません。早くして亡くなってしまった分を、せめても私たちが生きながらえて埋め合わせて行こうと、弟とともに願っています。両親についても同じような思いが湧いてくることは当然であります。約束した日にはお互いが夫婦そろって元気よく会うことにしました。弟は鎌倉山に程近く、風光明媚で閑静な住宅地に居を構えています。勤務先のロンドンから帰国した時に、古都鎌倉を選び、この笛田の豊かな地を指定して住宅を建てたことはセンス抜群であり、先見の明がありました。
     鎌倉に出かけたこの日はちょうど成人の日にあたりました。朝から雲一つない快晴に恵まれて、うららかな陽気となって絶好の行楽日和ともなりました。 「 普段のお父さんの行いがいいからよ」と、るんるんのお上が亭主をおだてています。 自由が丘駅から東横線の特急に乗って横浜まで14分です。渋谷駅と同様、地下6階に相当するホームから地上に出、横須賀線に乗り換えました。生憎急行が通っていったばかりで、あとから来た普通に乗っていきましたが、四つばかりの駅を過ぎれば北鎌倉に着きます。眺めている沿線の景色は、ぎっしりと詰まった住宅街が途切れなく続いて息がつまりそうです。一見、積み木のようですが丘陵地帯に隙間なくへばりついた家並みに、大きな地震に見舞われたらいっぺんに崩れ落ちそうな気がして、ましてや電車に揺れながらの状況なので、ひやひやする気分で通過して行く思いでした。火山国、地震国のこの狭い国に限って、なぜこんなに人口密度が高いのか、余計なことに気を遣ったりしています。 それなのに、人口減少に悩んでいるという矛盾が解せません。文明の驚異的発展で、一国の生産性は人力に寄らぬ、途方もない産業機械の力に頼っている今、問題の複雑さは 、人口論を著した経済学者マルサスでも気が付かなかったのでしょう。 マルサスは、食料の生産は算術数的に増加していくが、人口は幾何級数的に増加していくという理屈で将来の危機を伝えようとしましたが、菊名を過ぎ、保土ヶ谷を過ぎていく時に、立錐の余地もなく建てられている住宅を見ると、マルサスの理論を一蹴することもできません。杞憂に過ぎないかもしれませんが、しかし、爆発的に増える新興国の人口増過と食糧不足の問題は、不気味な底流として看過できない問題でしょう。戦後の日本の住居を見た外国人が、日本人は鶏小屋に住んでいるといったことは今以て本当のようで、厳しい住宅事情を物語っています。 最近は頻りに巨大地震の予兆や、それに伴う巨大津波の発生で、想定される被害がいろいろと取り沙汰されていますが、想像するだけで身の毛がよだつ思いがしてきます。
     ところで大船を過ぎると横須賀線はJR東海の線路から左に大きく離れて行って、ひととき緑豊かな山あいに吸い込まれていきます。車窓からの景色が一変して、何という心地よさでしょうか。清冽な気分に触れて一瞬、違った世界に飛び込んでいくような爽快さ、新鮮さ、痛快さを感じてきました。鎌倉を訪ねる道行きで、こうした心境は過去にも幾度となく味わってきたことですが、いつ来てもその新鮮味が改めて伺えるので感動を覚えずにはいられません。大都会の東京に近い古都の趣きは、青い海と、みどりの山並みに囲まれて、詩情豊かな息づかいの中にあって、私たちを迎えてくれました。北鎌倉行と散策の魅力は、素朴な田舎道を行く時のような、そうした風情の中にもあるのでしょう。のんびりとした気分でいるのもつかの間に、優雅なたたずまいの風情に身も心も洗われるままに電車が、その時はお召列車に乗っているかのような気分で、素朴な雰囲気のホームにゆっくりと入っていきました。予定通りの時刻に北鎌倉に就くことが出来ました。日本の鉄道の誇りとするところは、鉄道運行の正確な時刻表です。外国人が一様に驚く点ですが、複雑な行程も、時刻表をたどっていけば、通常なら見事約束の時間に着けるでしょう。但し経営者、監督者の曖昧杜撰なJR北海道を除けばのことです。今日、日本の企業でだらしないのは、東電とJR北海道です。敢えて付け足せば、日本の文明と文化を汚し、恥を代表する企業と云っても異論ありません。正確、安全な運行を誇る鉄道に乗って今日は脇目もふらずに車窓の景色を確認しながらやってきました。付いた目的地は、みどりと光にあふれた北鎌倉の駅です。しかし大都会の雑踏する駅から、急に辺鄙な田舎の無人駅のホームに降り立った感じです。
    時間と空間を飛び越えて、タイムスプリットしてしまいました。まるで時間が止まってしまったようなあたりの雰囲気です。 そんな時、「やあ、よく来てくれたね、天気もいいし」 と云う弟の声に、私は一瞬の朦朧の世界から現実に引き戻されて、改めてこの地の素晴らしさに気付いて、出迎えてくれた弟夫婦と一緒に改札口に向かっていきましたが、駅員がひとり駅の出入り口に立っているだけです。手持ち無沙汰な様子が穏やかに見えて、ひなびた田舎の旅路に立つような気持になりました。何とものんびりとした優雅な光景ではありませんか。周辺には小じんまりした檀家のお寺が多く散在して、普段から森閑としておりおります。電車が行ってしまうと、又音のない世界に辺りは静寂に戻って、穏やかなたたずまいに住む人の平和な日々様子がよみがえってきました。この地区一帯は僅かな広さですが、続く生垣と植込みの木立と云い、寄棟の数寄屋造りの建物と云い、なかなか味わい深いものがあります。このたたずまいとホームに沿って湿った細い道を行く先には、黒みがかった杉木立が明るい上空を衝いてそびえ立ち、澄み切った冷気を辺りに漂わせていました。右手の池には、杉の木立にからまった白い雲がはっきりと映っています。 
    左手を向くと臨済宗大本山の円覚寺の総門が、両側のうっそうとした巨木に守られて建っています。石段を登ってこの総門をくぐると、周囲を小高い山に囲まれて、広大な敷地の境内が広がっています。円覚寺を訪ねたのはこれで四度目になります。大学を卒業して二年後に、十五年後に塔頭の帰源院を訪ねたとき、そして今回です。あと二回、別の時期に訪ねているかもしれません。この寺は、1282年、弘安二年、北条時宗が蒙古襲来に戦かった兵士たちを弔うことを発願され、無学祖元と云う禅僧によって建てられたものです。戦乱の歴史を通して、この寺も幾度となく焼失の憂き目にも会いましたが、その都度建て直されて現在に至っています。創建の由来と深いかかわりのある蒙古襲来については、私が高等学院に在学中、海音寺潮五郎の長編小説が読売新聞の夕刊紙に連載されて、夢中になって読んだ記憶があります。   
    この寺の特徴は山門と、この先の仏殿の間と、方丈の間の建物が前方に向かって一直線に並んでいることです。杉木立の下を石段を上っていくと総門があり、そこを抜けると右手の拝観受付で五百円の志を納め広い境内に足を踏み入れました。拝観券の裏には禅の心の文言が刷られてあります。「迷いの根本は自我にある」と記されています。迷いを否定することは即、自我を否定することであります。そのこと自体は大変難しいことであって、「水の中から出ろと魚に云うほどに困難なことでしょう。そこで禅の心は必要になってきます。禅の心とは自我を滅することだと云います。おのれだけの利得を考えずに、人に尽くす心が必要になってきます。つまり利他心、慈悲心を育てていくことだと云い切ります。自我を捨ててどうやって生きていくかと云う不安が生じてきます。その時は「無」になりきることであります。無になりきることは同時に慈悲の心に充たされることと同じことだと教えています。座禅を組むことはひたすら無の境地になって、そうした教えに至る厳しい修行であり、訓練であることが分かります。そうした教えを心得て境内を散策し、仏に向き合い、禅の道場を巡っていくうちに、禅道の悟りを体現していく心境にもなってくることでしょう。教えは単純明快ですが、自ら体現していくとなると相当な決意を要します。瞑想から無の心境に、解脱に至る道を経て自然な移り行きに心身を任せるしかありません。変化の激しい世相に、日頃は学生諸君から功成り名を遂げた人に至るまで、禅の道に修行を求める人が、迷いから抜け出すために現実的な道に励む傾向となってきました。受験準備の学生諸君も道場を訪れるそうですが、健丈な元首相の中曽根さんも座禅を組む姿を見かけますが、今や勢いに乗る安倍首相も、禅に励む姿を時々見かけます。精神修養にもなって私も試みてみようかと思いますが、明鏡止水に至るには相当の熟慮と努力がいるかもしれません。
    円覚寺の境内には二十三の塔頭が建っています。向かう山門は創建当時の面影をとどめ、豪壮な趣きを醸して圧巻なたたずまいです。二階層の重壮な山門は入母屋つくりで自ずと重々しく、八本の太い円柱に巨大な梁が渡されて全体の重量を土台に下ろしています。圧倒的な柱と梁の骨組みに、大きく張り出した扇型の屋根は、鶴が羽を広げて天空を舞うような優雅な華麗さがうかがえます。今は銅ぶきの屋根ですが、かっては分厚い茅ぶきの屋根だったそうです。山門は建築法的にも、技法的にも研究対象として大いに注目を集めて、時代的考証の対象となっています。勢力と権威を争う荒々しい武士の激情の中に、情義と慈悲のこもった繊細な一面を表しているのでしょう。張り出した軒の下にはいくつもの彫刻が飾られており二層目の回廊には、十一面観菩薩が中央に坐しています。その両脇に十六羅漢像が並んで安置されているとのことです。装飾的彫り物が張り巡されています。今回訪ねたときは、境内が一帯に素晴らしく整備されている気がして、この日の穏やかな明るい日差しに冬枯れの景色も手伝ってか、陰翳のこもった侘び,さびといった風情が多少削がれているようにも覚えました。鎌倉に住む弟夫婦の案内に従って、先ずこの鎌倉円覚寺の拝観券の小さなしおりに書かれた教えに姿勢をただし、散策することになりました。夏目漱石は二十代の若い時期にこの寺の帰源院を訪ね、半月ほど寄宿して禅道の修行を体験したことがあります。健康や仕事の不安が重なり自分の弱い精神をただそうとしたのですが、納得できないまま寺を去りました。神経衰弱に陥っていたかもしれません。精神的疾患に怯えていた漱石は、鬱々した心の病から抜け出したいと思ったのですが、大した成果を得られず失意のまま下山したのです。悄然として帰源院の門に立つ漱石の姿が浮かんできます。そんな情景を思い浮かべつつ、右手の寺に登る道のりに視線を当てながら山門をくぐって行きました。この山門は蒙古襲来、元の侵攻を撃破した北条時宗の豪壮な気風を示して、建物は雄渾を極めた漂いが感じられました。漱石が参禅し、帰源院で禅修行を試みましたが、朝夕、この山門の下に立って瞑想を試みてみれば、もしかすると違った思いが浮かんできて、彼を追い込んでいった孤独と諦観に大きく及ぼして、その後の漱石の思想と哲学と人生観と、さらには文学に良くも悪くも大きく影響を及ぼし投影したかもしれません。
     山門をくぐると正面に、梵鐘を脇に置いた仏殿の巨大な建物に出合います。別名、大光宝殿と呼ばれています。山門の二倍ほどの間口で堂々とした構えで、暗みがかった堂内は禅僧の修行に適した森閑とた静寂な雰囲気です。中央には本尊の宝冠釈迦如来坐像が慈悲と愛に満ちた面差しで、対峙するに霊験あらたかに満ちたもので、思わず手を合わせて黙想の念に駆られていきます。本尊の両脇に立つ脇侍は梵天と帝釈天と云われていました。高い天井を見上げると、天井一面に白龍の図が描かれています。画家の前田青邨が監修して画かれたといわれます。白龍は見るからに炯眼鋭く、天上の雲海を駆け巡るさまですが、そのまま頭上に雷光を帯びて駆け下りて覆いかぶさってくるようです。この本堂の前の両脇にはうっそうとして空を遮る古木が植わっています。ビャクシンの樹です。太い幹に荒々しい木肌が、風雪に耐えてすさまじく長い歴史を物語っています。円覚寺を出て一キロほどの先に建長寺がありますが、この境内にも古いビャクシンの樹があり天然記念物に指定されています。樹齢七百五十年といわれ老木ながらこんもりとした緑青の葉におおわれて、いささかの衰えも見せずビャクシンの樹の威厳を示して圧巻の趣きです。茶褐色の荒削りな樹皮は、幹がくねりくねった末に、天を突くように伸びて勇壮な感じです。宅の庭に植え替えたい気がしてくると云ったら、何を妄想しているのですかと家内に一蹴されてしまいました。本堂の天井を駆け巡る「白龍」を見上げて左出口から仏殿を出ると、穏やかな日差しを受けて足もとに水仙の花が咲きおどり、植込みの梅の木には、光に向かって伸びた小枝の先に小さなつぼみが膨らみかけていました。
     方丈の間は仏殿の建物の後ろに立っていますが、正面から暗みがかった内部をうかがうのみで、中に入ることはできません。禅僧にとって神聖な場所であり、禅の修行に励む道場となっています。方丈の間の後ろに広がる庭園は大きな池を配し、深山幽谷を著して訊ねる人を深遠な境地にいざなってくれます。総門から続く石畳をさらに奥まっていくと妙香池を左に見て、行く先に北条時宗の廟と、その本堂に突き当たります。ここを左折して舎利殿に向かいました。室町時代に建てられたもので国宝に指定されています。森閑とした堂内には宋から伝来した仏舎利が祀られていて、雲水の禅の修行の場でもあります。無垢の木口の材木を縦横にめぐらした堂内は、香の匂いが漂って厳粛さが増してきます。日だまりの中に咲く水仙や、福寿草のかれんな花が道行きに咲いて、厳しい禅寺の空気をなごませるものがあって言い知れぬ安らぎを感じてきました。帰りに向かう途中には再び妙香池を眺めて、虎の頭を連想させる岩石も面白く眺めて、その先の雲水宅のたたずまいなど穏やかな風景を楽しんできました。山の斜面に建つ竜隠庵を訪ねて急な坂道を登っていくと、若いカップルが二組いました。さすがにここまで来る人は少ないとみえ、わずかな休憩場所ともなって、雲水から甘酒の振る舞いも頂きました。この高みから鎌倉円覚寺境内の素晴らしい全景を鳥瞰する楽しみも味わってきました。些少の甘酒の振る舞いとはいえ、その温かいもてなしに感謝して心づけを箱に納めてきました。小さな館の縁側に、かき餅に揚げたりするのでしょう、正月の鏡餅を割って、くずした餅を天日に干してある様子を見て、若い女の子がしきりに訊ねていました。これは何に使うのですかといった質問で、現代の若い人にとっては余程珍しく目に留まったのかもしれません。
     かき餅を思い浮かべたからではありませんが、そろそろ昼食のことを思い出しました。総門の石段を降りると弟の案内を受けて横須賀線の線路を渡り白鷺の池に出ました。池を渡した小さな橋を渡り、明るい街道に出ました。弟の説明によると、この池の形が禅の教えを著していて、「心」と云う一字を形どっているそうです。私たちは鎌倉街道を右に出て、直ぐに近くの北鎌倉駅の前に出ました。向かって右側に瀟洒な二階建ての建物があって、そのうちの一つで「円」と云う名の小さな割烹に案内されました。時計は予定通り、一時を回っていました。階段を上っていくと十二畳ほどの部屋で五卓の席が用意されています。窓ぎわの席をとりましたが、ガラス戸越しに今しがたわたってきた白鷺の池が見渡せて、居ながらにして北鎌倉の風情を満喫できます。たまたま月曜日で、この日は定休日でしたが、弟夫婦の予約を受けてわざわざ店を開いて待っていてくれた次第でした。今日は貸切ですと、正装したここのお上がにこにこしながら迎えてくれました。私たち四人のために席と厨房を、いつものように用意してくれた心遣いに感謝した次第です。紺地に小柄の絣の着物、身を引き締めたさわやかなお上の出で立ちは、厨房と客席の間をとりなしてくれるお上さんには鎌倉らしさがあって、云われる通りの美人でり、映画「東京物語」に出てくる原節子の面影があって、落ち着いた雰囲気に古都、鎌倉の雰囲気を改めて感じ取ったのです。出される料理の品々は、厨房に二人の料理人を置き、きめ細かな料理に腕を振るっています。私たちは少々の熱燗をたしなんで、配膳された、そのこまめな味わいを確かめつつ、久しぶりに懐石料理の奥ゆかしさを味わっていました。ガラス戸越しに一羽の白鷺か、はたまた一羽の鶴を池に見とどけて、何とも優雅な景色に惹かれ、心はまぼろしと覚えながらも、しばし幻想の中に浸かっていました。先ずはビールで新年を寿ぎ、お互いの健康を願って乾杯し、あとは用意された猪口をそれぞれに選んで、めでたい酒を干していました。様ざまに思いを込めた料理が運ばれますが、きれいな盛り付けに舌ずつみし、器の説明を受けながら正月気分を優雅に味わうことが出来ました。
    これは思いつかなかったことで、私たち夫婦にとってみればまったく偶然なことでした。実はこの日は何と弟の誕生日だったのです。何十年と云う歳月のなかで、たまたま古都鎌倉の散策を、新年を祝いながら果たした折に、弟の誕生日を一緒に祝うという目出度さに巡り合えたことは、何とも不思議なことでしょうか。正に天の配剤と云うべきでしょう。しかも成人の日の祝日で、みんなの気持ちが若やいでいたところです。二重、三重の喜びに浸りながら、私たちは弟の誕生日を祝うとともに、末永い健康を願って、美人お上、原節子さんのお酌を以て改めて乾杯した次第でした。前もってわかっていれば、誕生日の祝いを気張って用意してくるのにと、悔やまれたところです。贅沢な楽しい昼食を済まして「円」のお店を出ると、北鎌倉の駅前には多くの人たちの中に、成人の日を祝って晴れ着姿の乙女たちが際立って華やかに見受けられたのが、平和な日本を象徴しているかのようでした。妻たちのお喋りがたのしく続いて道中の歓談は尽きず、和やかな春の道行きは楽しい懐かしい話題にすぎて、一同が童心に帰ったような気分でおりました。さしずめ我々は高校生、彼女達は女学生と云った昔日のコンビでしょうか。見上げた空は真っ青にくまなく広がって、トンビが鳴きながら大きな輪を描いてゆったりと舞っていました。私たちは駅前を通っていく鎌倉駅行きのバスが折よく来たので、鶴岡八幡宮に向けて途中ののどかな景色をゆっくりと楽しみながらバスに揺れていきました。これから鶴岡八幡宮を訪ね、若宮通りや、小町通りを散策したりして、古都鎌倉の初春の栄えを共に楽しんでいくに違いありません。                                                           1月13日


鎌倉に住む弟より正月の食事をせむと誘ひ受けしも

      うららかな日和となりし成人の日に遊びける鎌倉の里

はつはるのそらはろばろとすみわたりふりさくふじにひかるしらゆき

      年明けの良し鶴岡八幡宮より眺めつる白妙の不二

      しらくものながめのすゑに松原のあおみに光る初春の富士

成人を祝ふ鶴岡八幡宮ふりそでを召す乙女そろへり

お祓いを神主より受け神妙の晴れ着すがたの乙女居並ぶ

     穏やかな若宮通りをそぞろ行く先の高みに眺むおほみや

     大宮の宮地に立ちてかすみたつ江の島の影妙に映えしも

      若宮のおほちの先に鎌倉の宮の鳥居の建つもきよげに

      天ぐもの高みに建ちて大宮の初の詣でに霊気いさよふ

      あおぐもの青ぎる山を背にたてる八幡宮のうやうやしきに

      正月を弟みょうと鎌倉の地をそぞろゆく春の吉日

      晴れ着きて晴れやかなりし乙女らの世に成人となれしこの日に

      鎌倉の若宮通りを乙女らの気付け華やぎそろひゆく行くかな

      山門をくぐり仏殿へみちのべに水仙の花群れて咲きをり

      山門の太きはしらに執権の豪気あふれて今に触れしも

      時宗の蒙古襲来にたちむかふ豪気を示す山門に立つ

      水仙の群れ咲く庭をじきに見て阿弥陀如来のほほえみおはす

      あたたかき初春の陽のふりそそぐ水仙の花ゆれて咲き立つ

      雲水の修行に励む道場に朝の冷気のそそと吹きすぐ

びゃくしんの根の波うちてこちごちし大地に広く張りて立つなり

      漱石の小説・門にちなむ寺門前に立つ人の影あり

道場のしじまをつきて警策の一撃くらひ「無」に帰りけり

      警策をうなじに受けて気を正し無念無想の位置に立つかな

      「円」といふ名のたなに入りおくゆかし料理をみなと味はふもよし

      弟と昔のことと今のこと話してたがひに高わらひけり

      おとうとも不肖も構へて世にのぞむゆるし性にて中るものなし

      おとうとも不肖も掲ぐこころざし高邁なれば朽ちることなき

      妙齢の仲居にかへてお上より猪口をえらびて酌を受くかな

      ほのぼのと明けゆく古都の鎌倉の空にとんびの鳴きて舞ふなり

                                      続

  

2014.1.06

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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