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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.13-4 入園式

ちょっとした油断かもしれません。例年のことながら春先にかけて花粉症に悩む人が沢山いますが、アレルギー体質かもしれない私は、ここ十数年そうした症状に悩むことがなかったのですが、今年は何だかぐずぐず、むずむずする傾向に神経をとがらしていました。鼻づまりや目のかゆみ、どら声になったりして鬱陶しいことが続いていました。ところが4月1日のすがすがしい朝を迎えた途端に、こうした症状がなくなったような気がして気持ちの上で体が軽くなったように感じました。四月馬鹿に乗ってだまされたかもしれませんが、こうしただまされ方は大歓迎であります。一つには気候の転換の証拠、二つには鬱陶しかった仕事が三月末に収まって決着したこと、三つにはその結果として疑心暗鬼な嫌な連中とのかかわりから解放されて、すっきりできた精神上の満悦感であります。
兼好法師の諦観的な、仏教思想に傾斜する気は毛頭ありませんが、世の中の煩わしさは二つ目のしがらみであります。刺激があっていい時もありますが、こうした状態が長く続いたりしてくると、はやりのストレスに犯され、罹らなくてもいい身体的疾患に付き合う時もできてきます。今年の花粉症に、アレルギー症状の激しく出てきたのは、その結果だと断定しています。何しろくだらない連中との接触が無益無駄の連続で、それに耐えるだけで肉体的消耗の激しさを体感したくらいでした。品性の損なわれることおびただしいものがあります。しかし何としてでも成し遂げなければならない事柄だったので、これが先月末に解消できたことは大きな成果でした。しかし一経営者としては計算通りには進まなかったことは残念に思っていますが、欲をかいたらきりがありません。次の仕事に精力をかけて捲土重来を心がけてみる所存でおります。
今回のような仕事は、つらつら考えるに、私一人で難なくできる仕事であり、喜びと自信を以て成し遂げられるものです。ところが何といろいろの人がかかわってきては消え、また別の人が出てきて信用のない無駄な結果を以て消えていくということで、程度の低さ悪さはもとより、こうした連中と接触したりしていると何だか物の怪に憑りつかれたような薄気味悪い感じすらしてきました。いつの間にか関係者がたむろして正に、船頭多くして船山に上るのことわざであります。その船頭も間抜けな連中とくればなおさらです。世間では良くあることですが、間抜け、即ち馬鹿、否、阿呆が何人寄ってたかって思案しても、結論は阿呆の結論しか引き出せません。有象無像の闇の中に見る化け物を相手にしているのではないかという錯覚すら感じてきましたが、こうした時は持ち前のあてにならない英知と胆力でこれに当たり、結果は決して満足のいくものではありませんでしたが、とにかく一件落着に漕ぎつけました。嫌な思いもしましたが、今となっては語り草となっています。あからさまに言えば、現代社会の縮図みたいなものでしょう。大会社の役員会で、真面目に吐く意見がさまざまで、長いこと居眠りしながら聞いていた社長が目をさまし、一言で決まってしまうとぼやいていた友人がいました。結局決断するのは熟知した社長の簡単な一言です。それがすべてとは言いませんが、そんなわけで狡知的でのろまで、ぐずぐずしていた連中と袂を分かち、清新な気持ちになって自由に誇りある仕事につけたことを快く思っています。気分転換が比較的容易に早くできるので、それが幸いして四月馬鹿、天気晴朗、花の盛りを越えた今日のこの時を満喫しています。
   明日は可愛い孫の麗ちゃんの幼稚園の入園式が10時から白金幼稚園であります。時間をとって勇躍してお祝いに見に行こうと思っています。おみやげを買っていくからねと約束した以上、何としてでも果たしていこうと無理やり時間をつくって楽しみにしております。おみやげに何を用意したらいいか好みを聞かないとわかりません。月末で懐に金だけはたんまり持っているので、希望を満たすにはどうしたらいいか足りなければ預金通帳から降ろして来ればいいし思案に暮れていました。電話で家内に聞いたところ、春海ちゃんに聞いてみれば欲しいものが判るのじゃないというので、改まって春海ちゃんに聞いてみました。春海ちゃんとは麗ちゃんのお母さんのことです。そうしたら帰ってきた返事が何と桜餅かみたらし団子がいいかもしれませんと云うので、えっ、みたらし団子っ! そんなものでおかしかないか、と驚いて家内に伝えたら、あなたはいったい何を考えているんですか、お祝いだなんて云ってまさかダイヤモンドとか車一台とか、家の一軒でもなんて考えているんじゃないでしょうね、と云われて、はっと気づいたところがありました。調子に乗ると時々とんでもないことを考えてしまうきらいがあります。車とか家とかでないにしても、やっぱりみたらさし団子でいいのか。麗ちゃんらしいなあと思った次第であります。昔勤めていた事務員は、何か頼むことがあったらお酒を飲んで上機嫌な時に限りますと客人に話していたそうですが、とんだところを見透かされていたわけです。しかしこれが功を奏してすんなりと商談が決まったことは沢山あります。腹を割って話すことができるからでしょうか。酒を飲んで上機嫌な時でなくとも、麗ちゃんは私に一番なついています。麗ちゃんの云うことは何でも聞いてやりますが、AKB48のステップを一緒にやろうというので、面白おかしく自分風に勝手におどったり跳ねたりして付き合っています。無理がたたってあとで体の節々が痛くなったりしていますが、運動をした結果でしょう、かえって気持ちよく過ごしています。女の子ではきはきして明るく、この調子だと幼稚園でもリーダー格で、優しく友達の面倒も見たりして人気者になるかもしれません。童心にかえって、はしゃいだりすることは何とも言えぬ楽しいことで、青春を取り戻して明日の勤労に力強くつながっていくこと明白です。   4月1日

   横殴りの雨と風、春の嵐

   前線が本邦を覆い、その谷間をぬって、南北から交互に強い風が殴り込みをかけて吹き抜けていきます。このため朝から続いたはげしい雨が、お昼ごろには突風となって激しい雨風に襲われました。南青山付近で足止めを食らってしまい、大通りの喫茶店に入って雨宿りをしていましたが、一向に止む気配がありません。横殴りの猛烈な雨の中、大通りを白いビニール傘を広げた若者が駆け足で走って行きますが、傘が逆さに広がってしまい、風に吹かれていくままに、若者が腕を伸ばしおちょこになった傘の後を追いかけていく滑稽な姿をコーヒーを飲みながら眺めていました。窓を画面にしてその様子をみているとチャップリンの軽妙な演技を観劇している感じです。世の中は様ざまで、雨の中をずぶ濡れで慌てて走っていく人、それをのんびりと眺めて楽しんでいる人、大きな落差ですが、この落差があるからこそ人間社会がうまく成り立っているのかもしれません。
   孫の麗ちゃんの入園式があるというので約束通り、自由が丘の蜂の屋で桜餅とみたらし団子を買っていきましたが、四月の2日と思っていたのが一週間後の9日だとわかって、お土産の箱を開けてみたらし団子を食べてしまいました。家内から、たくさん買ってこないで下さいよと云われていたので控え目にかっていったつもりでしたが、あけてみて十二本あったのでびっくりした家内は、こんなに誰が食べるんですかと予想した通りの反応でした。要するに、加減が分からないのですね。桜餅がやはり十二個です。縁起を担いで十二か月、一年を通して元気にということで、数にとらわれていった結果です。昔、浅草雷門近くの売店で、大福30個食べると料金タダという商法がはやったことがありました。食糧事情の悪かったころの話ですが、その時、私は12個平らげましたが、付き合った友達は21個食べたものの、顔色が悪くなって清算して店を出た後へどを吐いていたことがありました。欲張って喰い過ぎた結果で、仕方がありません。友達は目標の30個を食べてタダで帰るつもりでいました。私はその時も12という数字に縁起を担いでいました。7か8でやめようと思っていましたが、数をこなすほど割安になっていくので、踏ん張った結果12でとどめておきました。この時以来、腹八分目ということわざを身を以て体験しました。12ということもそうですが、祝い事の時の数字と同じです。七・五・三の語呂合わせではありませんが、日常の行動でも気にかかるものです。私たちは数字にかけて行動をとることがしばしばあります。私が年齢を問われると、バレてしまうのは重々承知のことですが、38歳ですといつも答えることにしています。3と8の数字が好きだからです。精神衛生上も極めて良好な結果をもたらしていてくれてます。
   みたらし団子は、桜餅もそうですが、すぐに硬くなってしまうので、来週までもたせるわけにいきません。しばらくは、みたらし団子と付き合っていかなければなりません。そうかといって近くの三井さんにお願いしようかと思っていますが、わざわざ声をかけて差し上げるものでないことはよくわかっていますが、そんな気持ちにもなってきました。そもそも一週間後になって、お土産とは言いながら、麗ちゃんの好きなみたらし団子を買っていく気になるかどうか、極めて自信がなくなってきました。みたらし団子が
そんなに気になるんですか、昨夜うなされていたのは、きっとそれが原因かもしれないわよとは、山の神の御託宣ならず、呟きであります。   続き
    4月3日


お土産に、お祝いに、みたらし団子にするかどうするか考えているどころではありません。日銀の総裁に就いて初の金融政策決定会合で予想通り爆弾を打ち込みました。爆弾でも月並みなものではありません。強気の指導力を発揮して異議を唱えることなく、会は全会一致で黒田黒船をこいでいくことになりました。アベノミクスに呼応して立ち舞は完璧であります。さながら弁慶のとび六法であります。
   従来、日銀の主たる金融政策は金利の操作によって市場に流れるお金の量を調整する形でした。しかし今回次元の異なった方策で量的緩和策を大胆に実行することを決定したもので、着眼と発想は今までになく画期的であります。今までの政策はゼロ金利で之の選択肢は限界です。量的緩和を実行するにしても規模は小さく小出しして行くというもので、市場に特別なインパクトを与えるというものではありませんでした。ところが黒田さんの打ち出した手は市場の期待を裏切って、その期待をさらに上回るもので破壊力は抜群であります。
    デフレと云うもはや持病となってしまった難病を直して、健全な体に生き変えさせるには、今までのような女性的な穏健な手法を以てしては完全治癒は望みがたい症状であります。衰弱しきった身体だと云え、ちびちび,ちょぼちょぼの粥のような食べ物でも一向に体力は尽きません。高級な松坂牛の分厚いものでも胃袋に入れてやらないとだめでしょう。問題はそのタイミングと処方術ではないでしょうか。電気を流してショック療法を試すこともその手段です。ショック療法で立ち直ったところを、間髪を入れず濃厚な栄養剤を注入するのです。死にかかっている細胞を生き返らせるためです。しかるにのち男性的な手荒な手法を以て外科手術に臨むことでしょう。
撃って出せる武器と方法は何でも使ってみること、その第一声を黒田さんは判りやすく,的確に国民に説明しました。理解しえた国民はすべからく、いや概ね賛同し市場に買っていった姿が如実です。昨日の東京の株式市場の展開は、黒田総裁の初の日銀政策決定会合を終えた後の記者会見での発言によって激しく動きました。午前中は低調に推移していましたが、午後の記者会見の発言を受けて俄かに上昇に転じ午後の低落幅226円を埋めて上伸し、活況理に商いが進み、この日の底値から5百円近い反騰を演じました。黒田総裁の発言の骨子は翌日の今日の朝の新聞紙上に大々的に報道され、今日の商いは寄り付きから買い気配で始まり、一時は何と500円以上も値上がりして午前中の取引を終えました。1万3220円をつけ、これは4年7か月ぶりの高値更新です。出来高も64億4900万株と史上最高を記録しました。円安も進んで1ドル97円台に入り、これも3年8か月ぶりと云われています。国債価格も乱高下をしていまう。今季の特徴は、通常の国債の買い入れのほかに、株式投信や不動産投信も買って出るところに大きな意味があります。株式投信の買い入れは、それ自体株式市場の活性化を促すものです。又不動産投信は不動産価格の低迷に歯止めをかけて、なおかつ不動産取引をを促す目的と効果を期待しています。不動産の扱い方は難しく、これに対して勇気を以て切り込んだことはあっぱれの一言でしょう。
    私の事務所には、近くに多くの証券会社の店があるからでしょう、営業マンたちが頻繁に顔を出して活発な営業活動をしにやってきます。もちろんこうした傾向は、昨年のアベノミクスの駘蕩以来続いていますが、いっぺんに大きなお金が世の中に流れ始めたことを印象付けた格好です。今日は機を同じくして証券会社の支店長が見え、又取引銀行の支店長が見えたりしましたが、金融機関の意気軒昂は間違いありません。落ち込んでいた業種で心配されていましたが、春風駘蕩のうちにやってきました。このことについても今頃、のこのこ来るようでは営業努力が足りません。もっと早い時期時に来るようでなければチャンスを生かすことができません。どうせ支店長なんて言う仕事はどちらかと云えば閑職に近い仕事です。普段から顧客に接して地道な開拓をしていなければ、こうした時期になっても実力を発揮することはできないでしょう。それでも見えた二人は、日本経済の動向が、自信に満ちた回復基調となったと盛んに力説していました。
   そのあともそうした立場の人が三人四人と見えたところを見ると、会社全体が、どこでもそうした動きになって指令が出たに違いありません。指令を待たずとも自ら先を察知して動くようでなければ下の者たちはその後を追うような始末になってしまうでしょう。長引くデフレ状態にどっぷりつかってしまい、意気消沈から抜け出せないでいる様子が全体に感じ取れます。それにしても動きが遅すぎます。もっと機敏であれば、民主党が大敗し政権交代は時間の問題とされた国会解散の時から始まっているはずです。   日本の歴史上、黒船到来は、幕末から維新にかけての日本の開国を促したものですが、それに例えて今回の黒船は、その時以上の意味合いがあると思っています。現代のその黒船は、努力せずに惰眠をむさぼる日本経済に対し、覚醒を促すもので、今の経済のグローバル化を表徴するかのように、黒船には色々な人種が乗船しており、アメちゃんばかりでなくEUや,ブリックスや中国人など様々な投資家で網羅されています。その中に僅かですが日本人の顔も散見されています。
    目敏い外国人投資家が、初戦から活動的に日本市場に参戦してきています。外国からの圧力ともいうべき黒船には、巨大な大砲を構えているのではなく、膨大な国際通貨を満載して日本市場の制圧を狙ってやってきているのです。TPPをはじめとしてして日本に対して開国を迫ってきています。聖域なき関税撤廃を叫んで、自由競争を旗印しに市場開放を迫ってきています。第二の黒船と称されるゆえんでもあります。当面はどうあれ、こうした攻勢に打ち勝つためにも国内産業、国内農業分野において競争力を高めていく必要があります。過剰な保護政策のもとで、ぬくぬく育っていたでは、世界の市場から追放されかねません。
   それにしてもこうした時期に安倍政権の登場とアベノミクスは以て神の声であります。英知と勇気と決断と実行を忘れっぱなしの、日本と日本人にとって覚醒的警鐘であります。それに呼応した安倍さんの日銀総裁人事は絶妙でした。安倍さんと共々、時代的要請にこたえて黒田船長の黒船は、この先進路を間違えずに着実な航海を続けて行ってもらいたいと願っています。黒田船が勇み良く登壇したことで、敢えて半世紀に一度の、捲土重来の時と云っているゆえんがそこにありますが、あまりの回復基調にいささか戸惑ってます。しかしこの膨大なエネルギーは、決して侮れない兆候であります。こうした動きに対して早くもバブルではないかという人がいます。しかしこうした考え方は杞憂に過ぎません。かっては3万9815円の高値を、バブル時期とはいえ記録したことがあります。経済はその時よりも質、量ともに格段の変容を遂げてきています。平均株価3万9815円を付けて以来、あれから何と7,8000円台まで凋落した日本株式であります。その間20有余年が長く陰鬱に、暗澹として続いてきました。日本経済にとって質的にも、構造的にも大きく傷を負い変容を遂げたことは否定できません。その苦しみは日本人が一様に経験してきているところです。アベノミクスを象徴する今回の金融大緩和は思い切ったものであり、早くも反応した為替の円安、株式の上昇は短期間にして劇的なもので、これが諸外国に与える影響も侮れません。、量、質ともにかってない規模と内容で行われようとしています。起死回生、捲土重来の意気盛んなところを見せて、野武士の気迫十分の,世界に打って出た黒田総裁に元気なところを失わずに驀進してもらいたいと期待しています。   4月5日


このところ騒がしい毎日が続いており、内外からの情報が錯そうして喧騒を極めている。ややもすると現実の毎日の活動に従事している者にとっては、行動基準を惑わす要素を秘めていて、正しい判断を下しかねる場合がある。こうした時は視点をそらして一呼吸する必要がある。何しろ一夜明ければ前線の通過で日本列島はかってないほどの暴風の襲来の予報で怯えているし、黒田節が連発する日銀の新金融政策に乱舞する為替と株式市況が待っており、原発事故がもたらす放射能汚染水の漏水問題や、憲法大96条の改訂と参議院選挙それと一票の格差是正の問題、そして北朝鮮の核実験とミサイル発射だし、はた又南北朝鮮の38度線休戦協定の白紙を叫ぶ金正恩の狂乱ぶりと云い、良い話題も、変な話題も目白押しだし、錯そうしてきて騒々しいこと甚だしい限りである。困ったことは、恐ろしいことは喉元過ぎればではないが、昨今の原発事故の汚染水漏れである。どこまで問題が広がるかわからないし、第一垂れ流されて始末に困る大量の汚染水の、ため場所も置き場所も見当がつかないのはどういうことなのか、誰だ!原発事故収束宣言を出した奴は!と叫びたくなってくる。いい加減な奴らである。国民に対する背信行為であり、犯罪行為である。
   こんなありさまだから、私は毎日の、情報の氾濫で収集にこまねいているから、きっと世間の人たちもあわただしい毎日の出来事に翻弄され気味に違いない。。変な現象だが、テレビのニュース番組を見ていると、どこの局の報道がも一様なのは、情報を提供しているところが一緒なのかもしれない。昨日のニュース番組を見ていると、言っていることがみんな同じなのにはびっくりした。腹話術ではないが、伝える人間が変わっているだけで、言っている内容は全て同じだった。インチキ臭い話で誠に申し訳ないが、各局全て一緒だったことはかえって奇異な感じがしてならない。少しは違っていてもいいのじゃないかと、聞く方としては裏で談合を重ねて手抜きを繰り返し、同じ原稿を繰り返し読んで、さも本当らしく聞かせているんじゃないかと疑ってみてしまう。さほどに世の中を見極めることが難しくなってきたのかもしれない。赤信号みんなで渡れば怖くないの言葉に迎合したニュース番組では心もとない。独自の論評も加えたりして、色々な角度からニュースを点検してもらいたいものである。報道の一様性は、共同通信などからニュースを買っているから仕方がないにしても、もう少し色をつけ足してもいいのではないかなあ。
   観点を変えて物を申し立てようとしていたのが結局、時局に触れるような結果になってしまいました。しかし、今日は孫娘の麗ちゃんの幼稚園の入学式に行ったことを感動的に書こうと思って机に向かっていたら、又変な方角に口述が向かっていってしまいました。しばし軌道修正しなければなりません。麗ちゃんは私に一番なついていてとても可愛いし、出来のいい子に育ってきています。日曜教会に見える内科医の大武先生は麗ちゃんを見て最初から、賢いし大きくなったら美人さんになること間違いないねと大いにほめあげてくださいました。なるほど内科医の大武先生がおっしゃるのだから間違いないと太鼓判を押されて自信満々の倅は満足そうな顔をしていました。大武先生は毎日曜日の聖日礼拝には、ご高齢にもかかわらず藤沢から自由が丘まで電車を利用してやってこられます。教会では温厚な人柄にみんなから尊敬の眼が注がれています。私ですか?、尊敬の念を注がれるようになるにはまだまだ修行が足りません。いつも書生のような気持でいたい一心で頑張っています。高齢かどうかはわかりませんが、恐らく私は対象外でしょう。
   又この教会の牧師さんはアメリカから三十年前に奥さんのチェルさんと一緒に宣教師としてやってこられました。バートン先生と云いますが、的確な日本語は、異人さんとは思えない素晴らしさです。語彙は豊富で表現力は日本人の気持ちをくまなく、繊細に表して学ぶ点が沢山あります。人の気持ちをあたたかく理解して、純粋な人間味にあふれた人格者というべきでしょう。現在は玉川聖学園の理事長職にあります。この前までは園長の要職に在りました。宣教のためならいつでもどこにでも立ち向かっていかれます。私が畏敬する牧師の福江等先生に相通じたところがあります。ナザレン大学の学長を務めた後、パウロ先生の姿を追うように現在はふるさとの高松に帰り、福音宣教の道に邁進しておられます。こうした述懐を促す今の玉川神の教会は、大きな精神的支柱になっていますが、信仰篤い家内の影響するところ大なるものがあります。家内は日本神の教会の女性連盟の会長をしていて、国内はもとより外国の国際会議などにも出て行ったりして献身的です。こうした教会に、たまたま初めて礼拝の席にひょっこり顔を出した息子でしたが、私の家に行ったら留守だったので、ついでにこの教会に寄ってみたのです。面白い鉢合わせになってしまいました。彼は仏教徒です。拙宅に来ると、仏壇をきれいにして花を飾って帰ります。仏壇には仏教徒として信仰心篤かったがゆえに、私の両親の遺影を置き、菩提で入魂された仏さまを祀って毎朝般若心経を唱えていました。神社から信念に求めてきた家内安全のお札も一緒に置いてあります。家内は別ですが、ひょっとすると、私はお叱りを受ける可能性があります。息子に至っては、めちゃくちゃであります。
   礼拝が終わるまでおとなしくしていた麗ちゃんでしたが、礼拝が終わった後は俄然自分の赴くままの行動に出ましたが、礼儀正しさが目に付きました。みんなの注目を浴びて満悦のようすです。礼拝後の談話室で大人たちの仲間入りをさせられて、お菓子とお茶の席では名前を聞かれたり、年を聞かれたりしていましたが、何度も同じことを聞かれたりしてうんざり気味になってきた様でした。子供ながらモット他に対応の仕方があるんじゃないかといったような様子でした。しかしバートン先生が相手をする話には大変興味を持った様子で、真剣に受け答えをしているのが、滑稽でした。偉い人だということが分かっているのかもしれません。幼くても子供は正直ですから、そのまま行動に表れてきます。おかしな話ですが、子供から得ることは誠に含蓄があって、天真爛漫が人間の本性のあるべき姿を教えているような時もあったりして大変勉強になりました。その日も一緒にいて、いろいろと勉強させられました。
    ところで、麗ちゃんの白金台幼稚園の入園式が10時半から始まりました。自由が丘から大岡山で目黒線に乗り換えると目黒まで10分です。幼稚園は駅から徒歩4,5分ぐらいの便利なところにあります。 環境絶品のところです。大きな樹木に囲まれて通称、「森の中の幼稚園」 だけに若葉の燃え立つこの時期は、入園式には喜びに重なって絶好の季節であります。近くには国立科学博物館の広大な自然植物園があります。迎賓館と一緒に東京都の美しい庭園美術館があり、一帯は都心とは思えぬ実に優雅な地域であります。昔、狭いアパートを抜け出して、子どもたちを連れてこの広々とした自然植物園に来たことがあります。結婚したころは目黒の鷹番の狭いアパートに住んでいたので、子供たちに広い場所で思いきり解放感を味わせたくて、しきりに駆けろ、駆けろといって走らせていたことを思い出します。娘が三才、息子が五才の頃でした。歳月が夢のうちに流れ、流れて今日は三歳の孫の麗ちゃんの入園式です。機敏で明るく溌剌としている麗ちゃんは、色白で、賢く、美人型です。誰に似たのかとお互いに言い当てあっていますが、天から授かった子であることは確かです。喜びを分かち合って今日はそれに妻と参加しています。 
敷地1000坪弱の幼稚園の恵まれた環境に先ず驚きましたが、幼稚舎が木造の建物で、木の香りとぬくもりを感じて、生き生きとして、すがすがしさにあふれています。都会の中とは思えない雰囲気で、ここなら子供たちものびのびと育っていくことは間違いありません。案内された山小屋のような広い校舎では先生方と父兄との一通りのあいさつと説明の儀式が終えて、おとなしくしていた子供たちが解放されました。後ろのほうで立っていた私を見つけた麗ちゃんが、振り向いて、あたりをはばからず、爺々!爺々!と大きな声で叫んでいます。私も思わず両手を挙げて麗ちゃーんと大きな声で叫びあっていました。「貴方、お祝いを持ってきましたか」と家内に云われて、「しまった、テーブルにの上に置いたままだ」ということで、爺々!爺々!と、その時呼んでくれていた麗ちゃんの声が耳に響いてきて仕方がありませんでした。まさか、みたらし団子というわけにはいきません。恥ずかしくないように、それなりに奮発してつつんできています。中学生、高校生と大きくなっていって綺麗なお嫁さんになっていくときは、うんと奮発する覚悟でいます。

       麗ちゃんのためなら何ぞ苦にならぬ好きなものみな買ふてやらむと
       麗ちゃんはいるかと名指しで電話するさなかに爺々と呼びかけてきぬ
       お月さま以外は爺は買ふてやるこの世で麗が好きなものみな
       麗ちゃんの魅力はなべてあどけなさ明るく光るお陽さまに似て
       麗ちゃんは小さき頃の明子にて爺が好める婿をむかへん

     孫好きの、孫ひいきの爺ばかで勝手な振る舞い、これは相済みません。     頓首     4月9日 続


        菜の花


拙宅の庭畑に今、黄色い菜の花が一面に咲いています。冬から今にかけて育ってきた小松菜が成熟期を越した姿です。成熟期とは種をまいて育ててきた人にとって、菜っ葉の食べごろを意味します。この時期には、ほとんどの食卓に小松菜の新鮮な炒め物や煮物がふんだんに出て、青菜の健康食を満喫することができます。畑を作っている醍醐味を、毎日味わっています。その小松菜が、このところの温かさで一度に黄色い花をつけて、甘ったるい匂いを放っています。富士山を遠くに見て、広い斜面一面に埋め尽くした菜の花。海岸に沿って青い海と対照的に黄色い花の色を浮き立たせた菜の花畑。どれも、ほのかで甘味な郷愁を誘って旅情を掻き立てます。菜の花畑を前にして遠くに法隆寺を眺めた学生時代の頃を思い出しました。九州最南端の開聞岳は、富士山を小型にした可愛らしい山ですが、ふもとの池田湖も景観を誇って昔からの観光名所となっています。池田湖の岸辺に広がる一面の菜の花は、早々と訪れる初夏の装いをこらして、旅人の心を癒してくれます。鮮烈に残っている学生時代の思い出の映像です。
    拙宅の庭畑の菜の花は、今が盛りと咲いています。甘ったるい香りがあたり一面に広がっていて、匂いを散らす風のそよぎすら惜しまれるほどです。小さな蜂がそこここに飛んでいて蜜を吸うのに懸命です。葉の花は実を結ぶ前に抜き取ってしまうのがコツですが、それは余分の栄養を吸い取られないように、畑の養分をのちの植物のために残しておかなければなりません。その頃には菜の花はほとんど萎れてきているので、蜂が飛んでいる花の盛りの頃だと別ですが、盛りを越えているので思い切って抜くことができます。抜き取った後は枯れないうちに土を起こした畝の間に埋めていきます。私が今日、仕事の出先から早く帰って来たわけは、抜き取った後の畑を整地して、買ってきた石灰を充分に撒いて、酸化した土壌をアルカリ性に変えて土を活性化するためです。意気込んで帰ってきましたが、今日の作業は中止ということになりました。
   風も凪いで石灰をまくには最適と思っていたところです。中止になったわけは、拙宅に可愛い双子の女の子が来ていたからです。小学校5年生の子です。しばらく前から聞いていましたが、家内に英語を教わりに来ています。玄関先におしゃれな二台の自転車が置いてあったので、そのまま静かにドアを開けて入ると、女の子の明るい声が聞こえてきました。勉強中なのだと思って静かに二階に上がってのどかな外の空気を入れたくて部屋の窓を開けていました。することも無かったので、再び下に降りて明るいうちから風呂に入って、ゆっくりするのも初夏の趣向にかなって乙なものと思いました。上がるころには、子供たちの勉強も終わって帰り支度だろうと思いながら、風呂の窓を大きく広げて、裏の小池さんの庭の樹木を眺めていました。目を凝らしてよく見ると、大きな欅の木の小枝には、赤みがかった先の木の芽が噴き出ていていました。青みがかった夕映えの空に、澄み切って見つめることが出来ました。そんな時が過ぎていくうちに、授業が済んで双子の女の子を見送った家内が私に気づき、訳を話して私が静かにしていたことを知りました。残念だったわねえ、会えばよかったのに、本当に可愛いい子だからということでしたが、勉強の邪魔をしてはいけないし、変なおじさんが住んでいると思われてもいけないし、、まあ、こちらが勝手に想像して、可愛い双子の女の子が、二人して出入りしていることに、自分なりに夢を描いて思いめぐらしていたほうが、楽しくていいと内心思っていました。二人の女の子は双子なので当然ですが、瓜二つで子だそうです。間違えやすいので、勉強中はいつも家内の両脇の、同じ席に座らせていて名前を呼んでいるそうです。想像しただけでも何とも言えない愛くるしい光景ではありませんか。
   空には夕映えの残照が広がって、庭畑には刈り取りを免れた菜の花が十本ほど立っていて、黄色く灯って浮かんで見えていました。この風情も私にとっては、菜の花の思い出を堪能するには、ささやかな一服の絵であります。それは遠い少年時代の幼い夢のひとこまかもしれません。多情多感な夢多き青年時代の脳裏をかすめたものかもしれません。家内が云うように、お人形のように可愛いい二人の双子の子のことを考えていると、われながら遠い昔にかえっていき、何やら感傷的になってきました。勉強を終えて双子の女の子は口をそろえて、庭に咲いている菜の花がとてもきれいだといっていたそうです。とても優しい気持ちの女の子なのです。小学校5年生の、天真爛漫の子です。雨風の時は、お母さんが車で送り迎えしているそうです。夕方が近づいてきて、菜の花が黄色く灯っています。田園調布の先の玉堤からきている双子の女の子は、今頃、元気に自転車をこいで、お母さんが待っている温かい我が家についていることでしょう。ふと気が付きました。勉強を終えた子供を送り出した不肖の妻、家路に急ぐ子供、夕餉の支度をして子供の帰りを待つ母、お父さんは仕事で遅くなっての帰宅、そんな何気ない家族の一コマですが、日本の家族の原点を見る気がして、さりげない平和のありがたさを感じました。
 
         菜の花や自転車をこぎ帰る子ら
         菜の花や多摩のつつみは花曇り
         遠く来て海の岬の花菜風                 4月17日

昨年,平成24年度4月に行われた日銀金融政策決定会議について、小職が昭和経済に載せたリポートの原稿が、インターネットのパソコンに打ち込まれていたのに気が付いて読んでみました。ちょうど一年前のことです。日銀総裁は公家出身と思われるほどに清楚な色白の顔立ちの人で、白川総裁でしたが、今の黒田さんのような野武士的風貌とは大きく違っています。顔から判断するわけではありませんが、性格などはその人の風貌が大きく比重を占めていることは事実であります。目は口ほどにものを言いとも言うとおり、性格が風貌に出ていることはしばしばあります。ものの考え方もしかりです。職業なども専従している業種によっては、顔つきが変わってくることもあります。乱暴な業種はそれなりにたくましい顔つきになってきます。
   人相から知性的か、情緒的かを判断することもあります。人の良しあしも、そうかもしれません。街頭に手相や、人相を見てその人が持ってきた問題の解決について指南している人がいます。大概が暗くなると出てきて、艦定の鑑札を下げて神妙な雰囲気で客人を待っています。ずばり、人相の鑑定をして稼いでいる人がいます。不思議なもので世相をいみじく反映して、繁盛したり、衰退したりしていますが、その運命鑑定に、人相観の場合が良くあります。それもその一つではないでしょうか。人相鑑定師などは、それによってその人の一生を決定してしまうようなことを吐く人もあります。事の次第によっては無責任極まりない話であります。そしてぶんだくりの鑑定料を取ったりしています。一つが二つ、三つと重なって何をするにも占い師に伺いを立てなければできなくなってしまったら、悲惨であります。そもそも占い師とか呪文師とかいう仕事にはいかさまが多く、科学的、客観的根拠に基いて導かれるものではありません。政治家がことを決するに、こうした輩に伺いを立てて後に決断するなど言語道断と云わざるを得ません。過去にそうした風説が雑誌で暴露されたことがあって、不安になったことがあります。それは単に、神仏にお祓いを受けるのとは違ったものであります。世の中には、人知の及び知らざることが沢山あります。政治家に限らず、自分て迷って決しかねる事柄が沢山出てくる時もあります。決断を迫られる時が必ずあります。そうした時に、決定はあくまで自分自身の意思に基づくべきであって、得体のしれないものにすがって行動を起こすべきでないことを、私たちは古くから教わってきているところです。生活の中には迷信から出てきた事柄もたくさんあります。先祖代々言い残されてきた経験則もあります。それはそれなりの実証的、科学的根拠として説明に足るものでしょう。いやはや、重大な決定事項は占いとか呪術とかに頼ることなく、自分自身の責任において行うべきであって、他の願いごとは、あくまで補助的、言うなれば気休め的なものとし、お祓いとか祈願にとどめておくべきだと、私自身は思っております。日銀の金融政策決定会議のことが、とんだ方向に話が飛んで脱線してしまいましたが、話を徐々にもとに戻してまいりましょう。やるかやらないのか、の決断が、基本的には単純なところに真理があるということの理を回りくどく説明する結果になってしましました。要は、日銀の台所事情も、私たちの財布の中も、大小の事情はあっても、理屈は同じことかもしれません。感性豊かで賢明な奥さんが、国家百年の計となるべき指針をサジェストしてくれるかもしれません。しかもたった一言を以て。
   従事する仕事に依って、その人の性格が随所で見分けることができます。これを逆に見れば性格によって、仕事の態様が推察されてきます。会社経営の職場においても、明晰な上司は部下を上手につかって、適正な職場を作り上げていきます。それは直ちに職場の環境と能率を高めて成績の結果にむすびつけて、会社の業績に反映させるものとなります。有能な大将は、先陣を敷くに抜群の才能を発揮して、普段の経験を積み上げてそれを実力に変えて術を熟知しています。社長は、部下の人相を見て腕の立つ男かどうかを見極める眼力を持つことによって、意外と人間の奥に潜む目に見えない才覚を発見することができます。経験の積み重ねでない、本来備わった力、霊的胆力みたいなものです。安倍さんの経歴を見ると、政界に進出する前に確か民間企業に勤めていたことでした。僅かな期間とはいっても民間企業で人に使われ、使う立ちべを経て仕事と人間的接触を重ねて苦労し、修行を積んできたと記憶しています。父君のなくなった後の選挙区から出馬して、見事当選を果たしました。毛並みの良さは言わずもがな、しかしサラリーマンが政治家になって務まるかと、揶揄された時期もありました。 大臣経験もなく、最初からいきなり首相になったのではなかったかと思います。 勿論、厳父の晋太郎氏が外務大臣の時には、その秘書官を務めて厳父の薫陶よろしきを以て政治家としての感性と手法を養ったことでしょう。第三次小泉内閣に官房長官に就任して手腕を発揮しました。その直後といってもいいでしょう、トップに登りつめて首相の座を射止めましたが、不覚にも病に倒れ、あっさりと政権の座を投げ出してしまいました。苦労なしのお坊ちゃま首相の異名を後々までにうわさされました。 自民党の総裁選挙に立った安倍さんは、周囲の心配をよそに、傲慢の人相も猛々しいライバルの石破さんを見事に粉砕して、自民党総裁の座に就いたのです。折から民主党凋落の気流に乗って、自民党に寄せる国民の期待は盛り上がっていきましたが、安倍さんに対する一抹の懸念を払しょくすることは、国民にとって大きな賭けとなりました。決断に迫られたことであります。それは安倍さんの健康の保障であります。
打ち出されたアベノクスは、だれ云うとはなしに国民の間に浸透していきました。それは国民経済を今のデフレ状態からいかにして抜け出したらい以下を判りやすく訴えたところにあります。それは直ちに国民の心に響くものでした。日本を取り巻く国際経済情勢も緊張した状況にあります。このまま国内の経済回復を待つだけでなく、国際経済に挑んでいく力を如何に取り戻すかを、わかりやすい言葉で問題の核心をとらえて説明し、国民に訴えたところにあるのではないでしょうか。戦略的に考え出したことというより、安倍さんの率直な明るい性格からきている結果とみるのが正しい見方かも知らません。三つの柱、それに対して三つの政策を対峙させて、聡明な安倍さんから聞いた国民はすぐに納得しました。揚げ足を取って批判する野党諸君の論陣が、反って安倍さんの政策の正当性、妥当性を浮だたせました。政権を奪還した安倍さんは、適材適所の内閣を編成し、政策の立案と実行に取り掛かりました。安倍さんの強力、大胆な政策を好感した東京株式市場では、目敏い外国からの大量の買い資金が投入され、連立の大商いを伴って連騰が展開されました。
   民主党の野田さんと自民党の安倍さんの国会での党首討論で解散が明示された時から、私は時代の大転換を期待して、日本株式は即刻買いだと、会員諸兄に伝えましたが、それはまさしく日本の政局と経済の大転換を予知したゆえんであります。金融資産1500兆円が大河のごとく世界経済に奔流するときを想起したからであります。技術と資本が結合し世界経済に打って出る姿を鮮明に感知しました。長い間、円高に悩まされ続けてきた反動が一気に沸騰し、先週は100円をうかがうまでに改善されてきました。輸出産業は円安の進行によって莫大な帰郷収支の利益を計上するに至り、第一四半期の決算発表はいずれもこうちょうでありん、業績の上方修正を発表する企業が相次ぎました。これを受けて株式市場もバブル崩壊後の二十余年来の戻り高値を更新しつつあります。日本経済が大きく動き出したといっても過言ではありません。株式市場は戦後の試練期を経て、五十年に一度の好機到来と断じています。この兆候をいかに持続させていくか、長期政権を確実視される安倍さんの真価を問われるところであります。それによって安倍さんは、戦後の民主化と復興を成し遂げた宰相、吉田茂に続く名宰相として歴史に大きく刻まれるに違いありません。世界情勢も大きく展開し、まさに疾風怒濤の形勢であります。落ちづく暇もありません。アジアの新興国の変貌はもとより、シェール革命を背景に大発展を遂げるアメリカの動向は重大であります。史上最高値を更新して驀進する米株高が、アメリカ国内の企業の大変化を如実に証明しています。それはいままでの展開と、まったく異なったものであります。

消費者 物価2パーセント高を目標に置く、政府、日銀の見解は、2015年に達成させると強気の見通しです。従業員の給料に跳ね返ってくる時間差はありますが、業績好調な民間企業では、すでに給与値上げに踏み切って先陣を切っていることは素晴らしい兆候です。自動車や弱電気などの輸出依存度の高い業種では、100円寸前の為替円安を以て大きく上方修正をする企業が続出してきています。証券金融関係では、好調な株高と商いを背景に、加えて投資信託の好調な販売が加わって、業績の回復が顕著であります。たとえば野村証券の純利益は前期の九倍を記録し、アベノミクスの恩恵を直接業績に反映しております。車のホンダも円安効果で、前期比58%の増加を見込んでいます。円安にによる営業利益の押し上げ効果は、何と2480億円に上ります。勢い国家にもたらせられる税収効果も大変な額に昇り、直ちに税収におよんでくるでしょう。企業業績の回復、税収向上、財政再建に至る、望ましい循環であります。このまま国民の収入の増加となってくればこんな贅沢、望ましい環境はありません。アベノミクスが目指すところは、まさしくこうした好循環をもたらすことであります。かくして経済産業、金融社会の活動は円滑に稼働し、経済成長戦略は見事に功を奏する結果になります。願わくば、消費者物価が勝手に上昇することなく、並行して所得、賃金の増加を見込むものであってほしいと思いますが、現実的な解決をもたらしてくれるものと確信しています。
   堅調な株高を見て、個人投資家が大きく市場に参入してきています。経済に安心感が出てきたこと、期待感が盛り上がってきたことは好ましい現象ですが、日経ダウの推移を見ても、去年の11月16日の解散時期から45パーセントと、かなり上昇してきております。それでも23年前のバブル期につけた3万9,815円には遠く及ばない水準ですが、あのころとは経済の厚みが全然違ってきております。ここからは冷静な投資判断が必要ではないでしょうか。しかし安倍政権の長期政権はかなり確信の持てるところであり、安倍さんの政治哲学に揺るぎがない限り、従来とは違った見方を持つことには変わりがないと思っております。ただ懸念すべきことは、以前にも指摘しましたが、安倍さんの極端な右傾化であります。日本にも革新的思想と勢力に対峙して、保守的思考と勢力が拮抗する図柄になっています。これまでの歴史を振り返ってみても、幸いなことに極端に走る度合いは少なく、走り出す先に必ず立ちふさがる勢力があって、これを巧みに制御する素質が国民的意識の中に内在しています。したがって安倍さんの極端な右傾化は、現実の問題として浮上することは可能性として少なくなってきています。仮に激しくそうした意向が現れてきたときが、安倍政権の危機ではないでしょうか。国家を二分するような事態は決して好ましいことではありません。少なくとも旧・自民党とは体質が大きく変わった点が指摘できます。利権癒着の復活が懸念されますが、しかし、自民党を支配してきた派閥意識は大きく除去されてきていることは、国民の厳しい監視がある限り、旧態然に戻ることはないと思われます。
    如実に見ることができるのは、最近、派閥を支配していた老醜の顔が出てこなくなりました。領袖、親分子分の仁義を交わした悪役のボスと称して国会のじゅうたんを跋扈して子分を飼育し、そのために資金を収奪する構図は薄らいできました。派閥の力学が軽減されてきたことは、自民党にとって透明度を上げる意味で良策でした。派閥間でのポスト配分やら、権謀術数を繰り返した権力とうそぷに明け暮れ、税金をいかに巻き上げていくか、醜悪極まりない光景が、厚かましい老人たちによって演じられてきたのですが、最近は、反吐を吐きそうな、不潔なそうした光景が少なくなってきました。政界浄化の自覚と、自主的な運動が行きわたってきた事で歓迎すべきことであります。こうした状況は政治的後進国に良く見られる光景です。ゆハイと汚職が蔓延している中国、軍事政権の悪臭が残るミャンマー、アフリカ諸国で部族対立抗争が絶えない諸国など、政治的に未熟な国々があげられてきます。そうした国では所得格差が激しく、一部の資産階級が全体の富を支配する構図になっているのが特徴です。あまつさえ行政が乱れているので、税の徴収の公平性は無視されているのです。税の課税と徴収が明確に、公正に確立され、その使途が透明性を以て国民に説明できるスキームが確立されていることが、経済社会の調和的発展に寄与するものであることは自明であります。
        続く

      ロシア訪問の安倍首相と、プーチン大統領

   ロシアを訪問中の安倍首相とプーチン大統領による日露共同宣言の発表と、共同記者会見の模様が、日本時間で昨夜10時から始まりました。NHKの9時からの実況放送と、テレビ朝日の10時からのニュース10を交互にスイッチを入れながら見ておりました。並んでテーブルに着いた両巨頭の記者会見は、両者とも男前の演出で、親密にあふれ堂々とした印象を胸に覚えて見ておりました。日本を代表する美男子と、ロシアを代表する貴公子のタッグは、それだけでまさに一服の絵になります。趣向を凝らして金屏風でも立てていれば、なおさらの感がありました。テーブルに両腕を結んで載せ、正面を向いて正視する安倍首相ですが、表情は穏やかで笑みをたたえ自信にあふれていました。片やプーチン大統領は穏やかな表情ですが、鋭い眼鏡はいあわずもがな、いつもよりリラックスした表情で姿勢を崩し、椅子にもたれたり肘をついたりして表情を変えたり、終始小柄な身体を動かしていました。正面の一点を穏やかに見る安倍さんと、視線を動かし、ある時は目を閉じて安倍さんの云っていることをじっと聞いたりして対照的な姿勢で、色々な動きがありました。  
    解決すべき重要事項山積の両国ですが、 トップ同士の会談とは言え、いきなり核心に触れることは外交上の手法としても拙速に過ぎます。事務レベルでは、周到な準備と協議を重ねてきたことでしょうが、先ずはトップ同士の信頼関係の構築に当たり、しかる後懸案の項目について取り崩していくことでしょう。既に経済、貿易、エネルギー、漁業、医療、教育関係など多くの面で協力関係を組み立て、具体的に締結しうる項目については協力する関係が構築されています。 共同記者会見の席上、プーチン氏が経済優先主義にのっとり、具体的に締結を終わって将来にかけて推進したい事項について、それを一づひとつ列擧するあたり、日本に対して並々ならぬ期待と熱意をうかがわしめました。シベリアを含む広大な極東地域の資源開発に、日本の技術と資金を期待する心境には深いものがあります。日露の間には、戦争が終結してすでに67年が経過しています。これまでの67年間にわたって両国が平和条約を締結していないことは異常な状態であり、速やかに締結する運びに持っていきたいと両国の立場は一致を見ました。こうした相互の意思の確認には、適切なタイミングをとらえて、北方領土の返還の問題にこぎつけたい思惑があります。国後、択捉はもとより歯舞、色丹にかけても世代交代は大きく左右しかねません。インフラの整備も進んで人口定着とともに実効支配はますます高まって、このまま時間を浪費すればするほど返還は困難な状況を迎えることになります。ここからは相互理解と信頼と将来の展望を踏まえ、硬軟両派を兼ねた、巧みな外交交渉が試されることになります。四島返還は我々にとって最も望ましいことですが、いろいろな組み合わせを考えて、両国にとって最も有効で永続的な成果をとらえることができるよう期待しております。   4月30日     続

2013.4.1

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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