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理事長室より
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理事長室より

Vol.12-11 選者・遠藤蘆穂先生

         
      年末 月尾嘉男先生の講演親睦会

  平成23年3月11日、東北北関東を襲ったマグニチュード9,1の大地震と巨大津波は東北経済に壊滅的な打撃を与えました。加えて東京電力福島第一原発事故の爆発による放射能の拡散と汚染が重なり、恐怖の被害は地域の膨大さと長い将来にわたって重大な影響を与える結果となりました。ただ今、官民挙げての賢明な汚染作業と復興計画の実行が叫ばれ実施に移されております。政府予算も19兆余に上り、速やかな効果を期待しております。
  課題山積の状況ですが、地元は無論のこと、広大な資源を擁する北海道の支援の重要性も指摘されなければなりません。地政学的には、分けても釧路のインフラを最大限に活用することが急務であります。将来を遠望して、ロシアから樺太を通じ釧路を基地とした本邦へのルート、カムチャッカ半島から流入する経済金融と資源てき物流の基地として北海道の最南端の釧路は俄然脚光を浴びて、しかるべき役割をダイナミックに果たしていかねばなりません。
  今回は当会会員の株式会社太平洋興発株式会社と連携し、同社を中心に地域経済と北海道の経済発展を期して現在、将来にわたって大胆な構想を展開し、広く日本経済の発展的スキームを組み立てていただきます。
東大名誉教授、月尾嘉男先生を招いてそのご賢察をうかがうこととしました。

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            講演親睦会のお知らせ

       内外の経済政治情勢と、新年度の経済展望
  
    
  上記の演題で年末の講演親睦会を12月4日に八重洲富士屋ホテルで行うことにしました。NHK解説委員の山田伸二さんを招いての有益な講演会です。今また、激変する世界経済情勢です。EUの金融危機を初め、各国とも経済の減速が懸念されています。
  アメリカの景気回復の指標も一進一退を繰り返していますが、足取りの強さに期待しましょう。EUはじめ中国の減速が世界に与えることは避けられませんが、それを補って新興国の発展に期待し、企業は新技術の開発に新しい市場の拡大を求めて果敢に挑戦しなければなりません。新しい産業の掘り起こしと、新規参入の促進、興隆も期待されます。
  日本は政治の混迷が続いて、これは慢性化されていて仕方がありませんが、経済世界に負けているわけにはいきません。デフレ脱却に全力傾注は相変わらずのうたい文句で行きますが、しかし金融政策だけでは片手落ちです。デフレ脱却を示す強力なものは、土地価格の底打ちと上昇が、大きなインパクトとなるはずです。土地の有効活用と土地取引の活発化、そのための税制上の改革と規制緩和で、持続可能な明日の日本が、この大胆な発想の転換が基本的に重要です。このはっきりした革新と決断が、われわれの命運にかかっています。
  平成2年に始まった総量規制以来、その大胆な軌道修正が出来ないので、いまだに後遺症に苦吟しています。企業家は、消費者はその亡霊に付きまとわれて、びくついて動きが鈍くなっているのです。資産価値の低迷と下落は、土地だけではありません。周り巡って株式市場の低迷に続いているのです。消費の低迷と減退を食い止め、企業の設備投資が促されるような世の中にしなければなりません。経済成長を維持、促進し合わせて財政再建に手を付けていくことが必要です。長引くデフレ不況の中で懸命に模索し活動する企業家の姿を、船中八策で天下をとったような妄想にかられないで、地に着いた庶民のための、若者のための明るい政治をしてもらいたいものです。
   又アメリカのオバマ大統領の再選も決まり、中国の胡錦濤の後に習近平国家主席も決まりました。世界の二大国の指導者も決まり、いよいよ新しい国際政治の展開が期待されまあす。おりしも日本も11月16日に国会が解散し、12月16日に総選挙が実施されます。こうした時期に山田先生を招いて広く含蓄ある有益な話をしていただきます。
  
  日本の良識と英知を代表するNHK解説委員の、山田伸二氏に新鮮なお話をしていただきます。


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        昭経俳壇の選者 遠藤蘆穂先生のご逝去

   私が高等学院時代からその教鞭に浴し、畏敬してやまぬ遠藤嘉徳先生が去る24日午後4時11分、逝去されました。享年94才であられます。突然の訃報に接し私は傷心の念やるかたなく、ただひたすら黙想して、つつがなき黄泉の旅路のを祈るばかりであります。
   先生は遠い昔、奥さんが亡くなられた同じ日に、天国に行かれたとのことです。口には出さなかったことながら、やはり長いこと愛おしく思い続けてきた奥さんのもとに手を差し伸べていかれたのでしょう。そうに違いありません。先生は母校の早稲田大学が誇る優れた英文学者です。勇ましい、厳しい教師のように見えましたが、控えめで謙虚なところが垣間見られました。がり勉の生徒よりも、不良気味の扱いにくい生徒のほうが先生の気にあって、気持ちの優しい奴が多いといつも私に言っていました。がり勉で青白い、独りよがりで意地悪な、秀才ぶった生徒よりも、不良気味で扱いにくい生徒を、正しい方に仕向けていくのが教育だと、そうした信念の一端を見せた証拠かもしれません。真面目な生徒は手を煩わさないから、目を向けないでも済むといったことも言っていました。放って置いても悪いことはしないから安心なのだとも言っていました。しかしその結果、先生の帰結は、点数至上主義、成績至上主義よりも人間教育こそ基本でなければならないという信念だったのでしょう。今でいえば登校を拒否、街にたむろする不良少年、乱暴を働く少年、引きこもりの少年などが、そうした対象かもしれません。常に社会問題を起こして良き秩序、慣習を乱してよしとする、今でいえば暴力破壊グループを指すかもしれません。今の教師は、こうした問題から目をそらし、逃げていく傾向にあります。先生はそうした面でも真の教育者であったということができます。先生の心根の優しさは、「よしのり童うた」にも見られます。先生は優れた童謡作家でもありました。幾多の名作を残し、多くの人たちに歌いつがれてきています。先生の手づくりの小さな冊子を昔貰いました。三冊作られたうちの一冊ですが、私はこれを大切に持っております。
   先生は少年のころから俳句に絶大な興味を注がれ、ひたすらその道で努力研鑽を積まれてきました。雅号の蘆穂は斯界で名声を博しており、古くから「木太刀」の総帥同様の務めを果たして活躍され、各句会の指導にも赴いて尽力されていました。私は、先生の俳句歴が斯くも古く、情熱一途であったことは在学中はもとより、つい最近になって知ったように思います。そう言えば築くことがありました。昭和経済の中にある昭経俳壇についてのことです。昭経俳壇の俳句について大きな関心を示されていることを知ってからです。
   一方で平成8年に刊行された「蘆穂俳論集成」は俳句研究の真髄を理論的に究明、著述したもので、多くの俳句愛好者を初め、研究者の指導書となっているものであり、誉れ高き名著であります。
  ご自身が主宰される句会 「南天の実」 は創刊以来50刊余を数え、その中には先生の名句がきら星のごとく収められています。蘆穂先生は平成17年3月(題6巻3号)から、体調を崩されたまえの選者、清水渓子先生から昭経俳壇の選者を引き継いでくださり、爾来、今日まで熱き良きご指導を得てまいりました。前号は、先生の回復を願って臨時発刊となりましたが、投稿者の俳句について病床から不自由な体を押して校正、ご指導をされましたが、今その朱色の文字が先生の絶筆となってしまいました。
昭和十四年11月20日に発刊された南天の実第31集が書棚にあって目についたので、取り出してめくってみました。此の良夜と題した中に、肩に手を置いて去りゆく秋の風 と詠んだ一句が目につきました。自然の季節の描写に作者の洗練されたこころねを示して余りあります。先生の人柄がいかにもにじみ出た一句です。他に、用済みて畦に不貞寝の捨案山子  浅間晴秋七草の裾野かな  などがあります。私の好きな先生の一句なのでここに載せてみました。
   私はかって、56巻9号の巻頭言で新しく選者となられた遠藤先生についてご紹介しました。読み返してみると、実に詳しく心を込めて書いた文だと我ながら感心して読み返してみました。あの時先生は、「これは私の弔辞に読んでくれ」と冗談に申されていました。先生の人となりを語りつくしていると私も思いました。いずれ機会を見て掲載し、かって先生が申されたように、先生へのお別れの言葉とさせていただきたいと思っています。
   今日、ご子息の遠藤英徳さんから一枚のファックスが届きました。二人のお孫さんの成長を楽しみにして生きてこられましたが、12月の結婚式を待たずに天国に行かれた父を悲しんでいました。先生がその結婚式に寄せて詠んだ句が遺作となったと伝えてきてくれました。俳句に喜びを得て、生きがいを感じて生涯を全うされた先生らしい生き方に感動を覚えずにはいられません。  合掌。

   最後となった遠藤蘆穂先生の お孫さんの結婚を喜び祝う俳句   

         高砂や爺婆師走の孫を待ち

         夢を見る雪の浅間根小鳥二羽    蘆穂

         。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

     
     追悼句

         孫残し旅立つ蘆穂師浅間雪

         浅間嶺の雪豊かなり蘆穂師逝く

         信州の雪降る里の人形館

         亡き妻を追ふ命日の蘆穂師かな

         信州はリンゴの花の夢路とも        

         蜂吐いて緋牡丹くずれ蘆穂師逝く

         人生は師も不可解と華厳滝

         せがれ嫁孫の二人や踊りの輪

         高砂や爺はそばにて小菊かな

         南天の実を持ちて行く小鳥二羽

         孫娘二人に別れ今日の月

         孫二人爺は見てるぞ天の川

         あづく日を待たず爺は逝く菊人形

         孫娘余は天国で見る月夜

    追悼歌

         先生の訃報を聞きぬ子息よりまさかやはりと覚へ口惜し

         蛍雪の日より逝くまで師に習ひ送りしわれは幸いなるや

         生涯を己ながらに道を行き意を全うし蘆穂師逝きしも

         滝壺は水をまとめて送り出し蘆穂先生のいさぎよきかな

人生は不可解と詠む一句にて華厳の滝を季語に入れけり

         先生の一句に人生は不可解とされば凡人の致し方なし

         穴八幡神社の坂を学び舎に続く蛍雪の功の道かな

         過ぎ去りしことあざやじかに浮かびきぬ遠藤先生の影をしのべば

         五平次の櫂を漕ぐ船の沖合に大學教授とともに遊ぶに

         五平次の漕ぐ船に乗り沖合に酒枝、平田、大内とわれ

         沖合に出で糸をたれ幾ばくの時に釣り上ぐ金目鯛かな

         モンシェリの喫茶店にて藤田師とともに入りしは蛍雪の功

コーヒーのカップに触れて秋の日の日差しに揺れし師の白き顔

         ハイデッカー哲学を説く藤田師のわが高等学院の三年の時

         その時のわが論文を読みて問ふなほ実存の不可解なりと

         桐の葉の色づきてまふ中庭に夕べかたむく月の西の端

         柿の葉の色づき染めて散りはてむ空を突きさす霜枯れの枝

         先生の逝かれし後の選者にて述べる間のなき年の暮かな

         ひたすらに続きて今に来し方を振り返り見ぬ昭経俳壇

         われもまた俳句を詠みて幾星霜ちりも積もりて山となしも

         先生の俳句の粋に迫りきて色艶くは綾にうつれり

         意外にも和歌や俳句を詠むひとの辺りになくてあやしかりけり

         実存の哲学を説く樫山師夕べに遅く意味にせまりて

         青春の学び舎の日の意義深く悔いることなき今に至るや

         先生のことを偲べばさまざまに他の教師のともに浮び来

         貧乏のつらさを知りて少年の日々を思へば働きゆかん

         どぜう蟹たにしを採りてこれを食む夕餉の家の道なつかしき

         銀色に光るすすきの穂にふれて学び舎のみち通ふ夕べの

         学院と遠藤先生とのつながりの強きほだしに我は在りしも

         道野辺の黄菊を摘みて持ち帰り母が茹でしは美味き味なり

         あの頃と今を比べて今生の機械的にて味気なきかな

         さまざまに深く付き合ふ先生とその面影の熱く迫りく

         あの時にさらに習ひて先生にわが昔日の思ひ止まざる

         先生にお世話になりしこと多くすがしく子弟の間あひ良きかな

         この夏の暑さの師にもこたへけむ脳梗塞のかるく襲ふは

         リハビリに励む先生の報せえて百瀬の年の師をよろこぶに

         先生の根気に寄せて回復を願ひて朝に夕に祈りけり

         先生の病を知りて添削を一時延ばして師の句を読めり

         先生の面影しのび月に立つこの寂寞をたれぞ知るらん

         ひとり又ひとりと此の世を去るひとの近ごろ聞くはさびしかりけり

         さがみ野と信州の間を往き来してふるさとを追ふ少年の師よ

         先生のみたまは遠きふるさとの上田の里に妻とおるかも

知らぬ間に山茶花の花咲き初めてさびしき庭に明かりともしぬ

         仕事師の隣りの庭に朝早く鋏の音を鳴らしおるなり

         これからの落ち葉を避けて大欅枝をはらひて空の青きに

         植木屋の庭にあはせてさすがなり処々に名木植えてそろへし

         裏窓に月のひかりの射し入りて寄す波青く部屋に浸かりぬ

         ふるさとの囲炉裏をかこみ朗らかに佐藤春夫と語りけるらし

         いつも師はおもてに立つをはばかりて影の力となりて到るを

         清らかに人形館を建てし地にリンゴの花の今にかほるは

         先生のただひとりゆくその道をすべてみたして天つ国へと

         先生の指導にあるを誇りとしわれが句作にさらに励まん

         先生のちさき優しき字にふれて童謡作詞家のよきや心根

         南天の実をくちばしに小鳥二羽飛ばず母屋の庭にあそべり

         愛妻をなくして確か四十瀬ごろ身の寂寞に耐へ過ぎてきぬ

         先生の夫人にかってまみえしは武蔵小山に住みし頃かと

         読本にジェームス・ウォルコットの小説を四人姉妹に惚れこが れけり

         先生の学習につき人の世のことも学びて今にありしも

         学び舎の時より師事す先生に遠藤、大内、平田、植田氏

         植田氏の創刊の淵を引きつぎて会津八一のうたを広めん

         かすがののこよいのつきのほがらかにさざなむてらの やねをてらせり

         みちのべにたつみほとけに菊の花そなへてゆきし旅をゆく人

斑鳩の里をとめゆく道すがら心にうかぶ遠藤師のこと

         人形のやかたを建てしふるさとのアルプスの雪けふも仰ぎつ

         さよなかに棚の人形が踊りだす月に鐘うつときにあはせて

         お神楽のつつみをたたき人形の雛が棚より下りておどれり

         あなたのし踊る人形の輪にいりて「よしのり童」の歌を唄ふは

         先生が童の唄を歌ふとき汝が妻もまた唄ひおどれり

         汝がつまの黄泉に発つ日に夕立の激しくふりて離れがたきに

         汝が妹の先に旅立つ悲しみに耐へて幾とせすぎて覚へり

         雪解けのせせらぎの水くみあげて夕餉にそなふふるさとの家

         学び舎の荒れたる廊下の板を踏む音のリズムに先生と思ふ

         学院長の竹野長次師と語らひて時岡先生もそばにおりしに

         文学論著はす竹野院長の高邁の志に教え高きも

         院長より卒業証書を授かりて右総代にて学窓を出づ

         右総代卒業式の証書受け誉れをのちに生かし行くなり

         竹野師の古文研究の大家にて高邁の志に風格ありし

         先生の教えたっとき真実のいついずこにも生かし学べり

         学院の小誌に実存哲学を記す我が意のいまだわからず

         教育者なり先生の生涯を悔ひなく俳句に詠み%8

2012.11.01

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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