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公益社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.24.4


   花と事業の新年度入り

  上場各社とも3月末に一斉に開いた株主総会を終了し、4月にまたいで大小様々な会社の決算報告書が送られて来ている。ところで寒さと強風を伴った二、三日前の猛烈な嵐が過ぎ去った後の天候は、180度の展開となり、天候は猛列な変わりようで真夏日を思わしめる暑さである。日本列島の各地で気温上昇を告げて汗ばむような気温上昇に、これで桜も一気に開花して桜前線の移動が消えてしまいそうだ。前線はまるで一本の線を引いて、さくらの開花の時期を一度にまとめてしまった感じである。絢爛たる花の時期を、全国で一斉に味わっていく思いである。日本全国が花の天蓋の下に居て、またとない風情に浸っていくことだろう。幸せなことである。

  東京証券取引所に上場している企業の決算報告書を見るにつけ、経済の快調な回復を反映してどこも最高益を更新する企業が続出する様子は、このところの好天気で開花したさくらに似ている。今日から大方の事業会社が新年度入りしたが、今期の業績も上向いて、良好な経済社会の景気循環のもと次のステージに立ち向かって、企業努力を重ねていってもらいたいと念願している。暗かった30年のトンネルを抜け出て、企業業績はこのまま何年も長く続けていって盤石の基礎を固めてもらいたいと思うことしきりである。しかし花は急ぐ旅路の一里塚で待ってはくれない。桜は一週間を待たずして散り急ぐ結果になってしまうと想像して、早やくも惜しまれる感興である。
 日本経済の失われた三十年は早く奪還して、国民経済の発展と民生の安定に寄与してもらいたいが、花は「三日見ぬ間の桜かな」で、長時間にわたっては待っててくれない。この際思い切って会社の仕事を切り上げて帰りを急ぎ、混雑しないうちに地下鉄日比谷線は、途中中目黒駅で下車して目黒川のほとりの桜並木の下をくぐってこようと思っている。夕方の月の出を待っていたのでは、雲霞のごとき人出で花見の風情どころではなくなってしまう。欲を張らずに月は、どこかの桜の木の下に、時空を合わせてみることにしようと思う。
                              4月1日
花冷えとなりぬ今宵の目黒川並木の下を通り行かばや

花見とは云えへ都の繁華街粋に落ち着くことも能はで

念頭にふと浮かびしは鴨川の堤に開く蓋し花かな

拙宅の庭にもありぬ花の樹の月を絡めて見るも自在に

街中の花もよけれど寒村に咲く一本の花もさぞかし

五分咲きの花の並木を通り過ぎあしたに七分ほどの良きかも

花びらの一枚も散る気色なく吹雪くさまなど思ひ浮かばや

三よっかのちには花も散り急ぎ川面を埋める花の景色に

山里の一木古木花の樹の優雅にありて風格にも見ゆ

皮ひだの荒れたる幹に若木吹き花の開くは怪しかりけり

見上具れば花の天蓋を指してゆく今宵浮世の夢の夜かな

ててははも多分今宵の花を向て天蓋のもとおわしけるやと

ててははの我を育てしご苦労も忘れ花見とは詫びて悔いるも

天蓋の花を見上げてふと思ふなきててははの如何におはすや

五月雨の、滝のようにも崩れ散る花の命の斯くも乱れつ


人事異動の季節

  四月はどこもかしこも人事異動の時期である。新たな希望を以て新しき事業年度に、学習年度に立ち向かっていく期待に満ちた時である。能率を重視する観点からして、発表と同時に幾ばくの余裕もなく新しい地に就任しなければならない。昔から迅速を旨として陣地につくといった教えは、伝え聞くところである。新しき環境の地に着く心境が伺えて、新鮮である。

親交厚かった友人のH君は今から五年前に、日本橋にある本社勤務からニューヨークに転勤になった。最初の一、二回の交信があって以来、今日まで一回の連絡もなきままに打ちすぎた。連絡のないことはいい知らせと、別に意に介さなかった。H君のことだから元気に大活躍していると確信していた。昨日の4月2日、突然H君からの電話が入った。人事異動でニューヨークから東京にもどってきているので、時間があったら挨拶に行きたいというので、タイミングよくこれから行きますということになった。10分とかからずに見えた。久しぶりの再会で心が弾んで嬉しかった。「友、遠方より来たる 又楽しからずや」 である。H君と一緒に盛んに活動したのは10年前ぐらいである。あの案件についてはずいぶんと苦労をしたが、結果大きな仕事を成し遂げることが出来た。今でもお客さんの信用をがっちりと得ることが出来、信頼関係はいまだに続いている。その一役を買ったH君が転勤先から久しぶりで帰ってきたので、付き合いの舞台は楽しいものになることだろう。
  ちなみにH君は京都大学を出てから大手不動産会社に勤めて、今はヴェテランの域である。明朗闊達な青年で、仕事ばかりでなく小生はいつも旺盛な生気を貰っている。かって近くに八重洲富士屋ホテルがあったが、二階のウィステリア・レストランでステーキを食したことがある。特別サービスの日でいくら注文してもいいということだったので、トライして五枚ほど追加して食べてしまったことがある。H君のその健啖ぶりにはびっくりしたが、小生もH君について三枚までは付き合えたが、今となっては自信がない。その富士屋ホテルはかの有名な小佐野賢二が経営する国際興業が持っていたが、やり手の住友不動産に売却した。無粋な経営者が運営するだけに、金儲けがしやすい総合開発を狙ってホテルの解体をはじめ無残な姿になってしまった。何年となく都心の一等地が放置同様で、一時的に駐車場となって4,5年がたつだろう。
  富士屋ホテルは事務所からすぐ近くの隣にあり、開業以来、親しく利用させていただいてきた経緯がある。11年前の3月末のこと、住友不動産に売却してホテルを閉鎖することになって、職員が集まってホテルの前に植えてある桜の木の前で、花の咲いてる日にささやかな閉所式を行っていた。小生もそれに出くわしたので、遠くから眺めていたが、経営が人手に渡って別の誰かが引き継いでいくものと思っていたが、見当違いであった。がめつい住友の手にわたってしまったからには、彼らには美意識のかけらほどもない。富士屋ホテルの運命はあからさまであった。

  ちなみに富士屋ホテルは1983年、昭和58年の8月に開業した。地上17階建てである。当時ホテル王を目指していた小佐野賢治が渾身を込めて建てたものである。小佐野賢二は今太閤として政界に上り詰めて天下を取った田中角栄と「刎頚の友」として伝えられた人物で、戦後の日本社会が生んだ特異なアウトロウ的な人物であった。富士屋ホテルチェーン、国際興業グループに属していた。事務所から出てすぐの鍛冶橋の交差点手前にあるが、東京駅をはじめとする8駅から徒歩で数分の場所に位置する至便の場所にある。多くの来客があったに思う。377室の客室、2つのレストラン(ウィステリア・桂)、バー、コーヒーラウンジ(ウィーンの森)、大・中・小合わせて合計12の宴会場、しかしその後、ホテルにしては品格を落としかねないコンビニエンス・ストア(セブンイレブン)などがテナントに入ったりした。あれは失敗だったように思う。
  
  ホテルの陣容は1878年、明治11年に創業した箱根・富士屋ホテルの伝統を礎にしている。箱根富士屋ホテルは幸いにして残されて今も維持されているが、八重洲富士屋ホテルは、関西系の無粋な経営者にぶち壊されてしまった。11年前の今の富士やホテルの閉所式を行っているような気がして、当時のままに桜が満開だったことが思い出される。「年年歳歳花相似たり、年年歳歳日と同じからず」花は当時のままに、今も綺麗に咲いている。

 ところが小佐野賢治亡き後の経営不振から、2013年4月に土地と建物を住友不動産に売却してしまった。八重洲富士屋ホテルとしての営業は2014年3月末をもって終了したことになる。その何ともわびしく行われていた閉所式が、11年前にもなって前に植えてある桜がちょうど開花している時だったのである。今後は八重洲二丁目南地区・市街地再開発事業と称して、住友不動産がオフィスビルを建設する予定であるらしいが、商工中金を巻き込んで虎視眈々としているようである。 商工中金は、現在のところも首を縦に振らないらしい。東京も世界に開かれた観光地として脚光を浴びつつあるし、八重洲は東京の玄関口である。白けた超高層のビルが建つばかりでなく、優雅で贅沢なホテルが中央にたってもいいのではないかと思うのだが。がめつい、金儲け主義の無粋な住友不動産の今の社長では思いつかないかもしれない。
  小佐野賢二の思想をヨィショするわけではないが、爪の垢ほども生かしてみてホテル再現に活かして見てはどうかなと思う。やり方次第では、大いに採算の乗る事業になるはずである。 その時には楽しかったウィステリアに似たレストランもつくてもらいたい。あれは小生の青春時代の良き思い出が、沢山詰め込まれているからだ。きっと多くの人たちにもかかわっていることに違いない。   4月3日

  三社祭

  もう直ぐ生まれ故郷の浅草に三社祭がやってくる。鉢巻をした法被姿のいなせな服装にあこがれて、この時期が来ると胸騒ぎが止まらない思いである。夏めいた青色の風をつかめるような特別な気がして、下町は祭りのみこしと太鼓の音が、さつきの空を光りながら渡たっていくのである。一年のうちで一番さわやかな季節かもしれない。

酉の市にも見かけたるおさなごの三社祭に風を吹かせり

遠くから太鼓の音の聞こえきてみこしを担ぐ若衆のこえ

浅草の仲見世通りを二の宮を担ぐいなせなおなご見つけり

威勢よく肩に花棒を入れて行く飲み屋の女将の色めき立ちぬ

二の宮が猿若町にやってくる担ぐ若衆の聞こゆどよめき

花棒を担ぐ菊屋の若旦那いなせな法被良きに似合ひて


   短歌同人誌、淵224号

  小職が主催する短歌同人の「淵の会」の同人誌・淵が、昨日出来上がって手元におくられてきた。小生は仕事の関係上、毎回原稿を催促されては、期限ぎりぎりまでに送っている始末であるが、会を重ねること実に244号までに来ている。小生は、日常休むことなく歌を詠んでいるので整理している暇がない。淵に出す歌は限られているので、全てが素晴らしく思えて漏らすことなく発表できればそれに越したことはない。しかし制限があるに出、詠んだ歌を選択するのに骨が折れる結果になっている。それで投稿が遅くなってしまうのである。前橋に住む大木静花さんにほぼ編集と印刷をお願いしてきているが、会計は同人の渋谷さんにお願いして煩雑な仕事を任してしまっている。お二人の協力失くしてはできないことであり、紙上を借りて御礼申し上げたい。
  歌を詠む数は人語に落ちないと思っているが、数を多く詠んだからいいというものではない。一首が優れた歌として残り、多くの人に感動と共感を呼び起こすものでなけらば秀歌とは言えない。その秀歌を詠み終えることが歌人にとって何事にも代えがたき宝物と思っている。歌として詠む対象は森羅万象であり、思いを込めて歌いあげた中には自らも頷いて、感銘することが多くある。そうした機会に接し、恵まれることこそ最高の幸せだと自認している。短歌同人誌・淵と、昭和経済は又とない絶好の機会としてこれを時々に載せて、皆も共感できるものとしてあれば小生にとって最高の心境というべきである。

井浦先生

  敬愛する井浦先生が時折、フェイスブックに情報を提供してくださり、示唆に富むこと大なりを知っている小生であるが、先月、3月29日にめでたく満96歳の誕生日を迎えられ、日々希望に燃えて精進されている記事を拝見し、尊敬の念を以て「いいね」と打って祝意の返信をさせていただいた。同時に心から思ったことを含めて歌に詠み、即興の和歌二首を添えさせていただいた。

素晴らしきクロクの年にあやかりて背筋を伸ばし我も行くなり

満面の笑みに賭けたる人生のことわりを知る王道の先

先生は常日頃現役で講演の勤務についていることに感謝し、96歳の年齢を以て矍鑠としており、今以て背筋を伸ばし歩いていらっしゃることを報告してくださった。

イスラエルとイラン

  鬱積した積年の怨念が一気に爆発した。ガス抜きであって双方が自制して事態の鎮静化を図ることが出来れば幸いであり、それ一時的、限定的な戦火として歴史に成功の一字を刻むことになる。そうあってほしい。
  4月1日に、在シリアのイラン大使館がイスラエルの空爆にあって、イラン革命防衛隊のメンバーが殺され、7人の軍高官が死亡した。大使館には外交官がいなかった。全員がヒズボラのメンバーとその協力者であった。彼らはすべてイスラエルでのテロに関与する人物であった。
  しかしイランは直ちに報復を宣言、13日夜から翌日未明にかけて、イスラエルに向けて300発以上のドローンとミサイルを発射、大規模な攻撃を行った。両国の正面切っての交戦は、これが初めてである。イスラエルはこの99パーセントを迎撃し破壊したと発表し、被害は軽微だったことを主張した。今回の軍事力の実際的な行使によって、イランの攻撃力の限界もわかった。又、ドローンやミサイルの迎撃には、アメリカを主にイギリス、ドイツ、フランスなどが加わった。
  イランは、今回の大規模報復の攻撃は成功して終了したと内外に発表し、目下はこれ以上の攻撃は行わないとしている。国内の、」イスラエルに対して憎悪むき出しの激高した民衆の動きを止め、しかもイスラエルへの反撃に対する面子は保てたはずである。今度は反撃を食らったイスラエルの出方が注目されるが、イスラエルは直ちに戦時内閣閣僚会議で協議し、イランの攻撃に対する報復についてゴーサインが出ているものの、規模と時期については明言されていない。ここに落としどころがあるようである。
  アメリカのバイデンは、イランの報復に対するイスラエルの反撃を支持しないと明言し、イスラエルの出方をけん制し、これ以上の戦火の拡大を阻止することに努めている。緊迫した情勢だが、鬱積していたイスラエルとイランの怨念が、一時的にもガス抜きの効果を発揮してくれれば幸いである。双方が頭を冷やして時局を見極め、冷静な判断をキープしてもらいたいものである。   4月16日

公益社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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