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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.24.12

   
   師走である

  幸いにして日々快晴のひが続くが、世間は何となく騒がしい気がしてならない。こうした時期には余り動かずに心身ともに冷静を保ち、穏やかに過ごすに越したことはない。一点の雲すら見届けない快晴で、天空を見ているだけで気分は爽快である。
第216回国会(臨時会)は、令和6年11月28日に召集された。 会期は12月21日までの24日間である。開会された国会では衆・参両院で石破さんの所信表明と、これに対する各党の代表質問が活発に行われているが、開会前に国際会議に列席して多忙な日程をこなしてきている石破さんには、心身ともに過剰な負担がかかっているに違ない。老婆心ながら、十分な睡眠と肉体の錬磨に努めて内外の問題に対処していってもらいたいと思うことしきりである。野党の諸君も以前の自民党と違って、石破さんに政権が変わって以降、野党に対する寛容かつ建設的な姿勢に変わってきているところを紳士的にくみ取って、内外の諸問題に共に対応していき、国民のために努力奮闘してもらいたいと要望したいところである。裏金問題に関与した議員については、来年に控えた参議院選挙においても非公認とする自民党の姿勢は正しく相変わらず厳しいものがあり、国民の共感を呼ぶところである。のど元過ぎれば熱さ忘れるの例えではないが、臭いものにふたという観念では、悪癖は改まらない。この際は同朋意識を発揮せずに毅然とした態度の採れる立ち位置にある石破さんが適任者であることは、以て幸いとしなければならない。 続   12月2日

世情騒然たる年末

  今年は日本とアメリカ、そして世界の各地で、国政選挙の多い年であった。そして政治は従来型の政治体制が崩れて政権交代を成し遂げた国もあれば、日本のように国会は過半数割れでも野党との連携を以てかろうじて政権を維持したという、言うなれば少数与党の国会運営を余儀なくされている場合もある。自民、公明による連立政権は維持できたものの、過半数割れの国会だから、いつ内閣不信任案が成立するか予断を許さぬ状況であり、野党の結束が出来なかったことが幸いして、今の石破政権は薄氷を踏む気持ちで政治権力の座に付いていなければならない。  しかし政治改革の過渡期には、こうした変則的体制が両極の均衡を保ち、政権として長続きする可能性を否定できず、性格的、体質的に石破内閣だから役目を果たし、政局の運営に大過なく臨み稼働させていけるものかもしれない。
  我々国民としたも大多数の意見を取りこぼしなく取り入れて最大公約数の幸福の達成に全力を尽くしていくことが民主主義の厚生経済的役目であると確信しているがゆえに、今回の政変は誠に理にかなった新しい道を踏んでいくものと思っている。自公の過半数割れの国会は、決して敗北につながるものでなく自公に加えて、新しい野党の台頭を促した新しき風であると解釈している。自公に気の付かない野党ならではのセンスと感覚を取り入れた安心な政策の成立を以て、政局に積極的に望んでいくチャンスである。国会審議を通じても、従来の議論路は違った雰囲気であり、野党の提案と発言には多くの責任が伴っているがゆえに、今までの慈光院の政策よりも利点も多く現実的である。政権与党の気付かなかった政策が、野党の提案によって新しきよきものと気づき、審議も円滑にすすんでいくようである。政策として多くが征率して無駄がない結果を生んでいる。一部の利益集団ではなく包括的、国民的果実を生む国会運営であって欲しい。
  アメリカで高齢のバイデンが大統領選挙戦から退き、ハリス副大統領が立候補に立ってトランプとの戦いとなった。懸命に戦ったが結果はトランプの勝利に終わった。民主党はガラスの天井を破ることはできなかった。顧みると時局は世界的に極めて重大かつ混迷を迎えており、何かと問題をはらんではいるが、総合的に見て次期大統領はトランプでよかったもしれない。これ以上のアメリカの民衆の分断と対立を煽るような結果をもたらすことは、アメリカ建国以来の危機を招来させるようなものである。来春一月二十日にトランプは大統領に就任するが、既に着々と布陣を張って就任式にそなようとしている。総括すると、アメリカ第一主義を貫いて国際政治に臨む姿勢ははっきりしている。とはいっても現実にはアメリカ一辺倒とは言っても自国への跳ね返りが多く、うかつに何が何でもというわけにもゆくまい。世界は丸くできており、米国を中心にした国際関係も相互主義に仕上がっており、一国主義を貫こうとすると孤立して、逆に世界に太刀打ちできなくなってしまう。単純なブーメラン現象である。若造の如く、いつまでも突っ張っているわけにもゆくまい。
  
   又、お隣りの韓国では思いもよらぬ事態が起こった。こちらは日・米・韓の強固な軍事的同盟、経済的連携が成立しており互いに自由と民主主義を縹渺して連携しているが、そうした事態を揺るがしかねない事件が韓国で起きてしまった。12月6日午後、尹大統領が突然国内に戒厳令を宣布し、それに呼応して軍隊が国会に突入して一時占拠するに至った。今、韓国の国会は与野党の議席が逆転状況に陥っている。政権与党の提出した法案が、野党の反対に遭ったりして行政の円滑な運行が大きく妨げられているとした尹大統領の焦りもあったに違いないが、だからと言って非常事態宣言を布告し、戒厳令を発布してこれを封じ、あまつさえ野党議員の拘束逮捕を画策し、言論の自由抑圧、デモ集会の禁止といった強硬手段に出るとは、民主主義国家にあるまじき暴挙であり乱脈な施政である。いち早く戒厳令発布は無効とする議会の決議で撤回されたものの、混乱は続いている。
  野党によって国会がマヒするといった事態を、話し合いで解撤するのが議会主義である。自分の思うようにならないから戒厳令を引くとは、単純に言って民主主義に反する。戒厳令を発布した事案について、既に最高検察が調査に乗り出しているというから、早晩、尹大統領に加担した側近筋が嫌疑をかけられて拘束される事態になり、尹大統領の国外への出国が差し止められているという。尹大統領に対する県議も浮上してきている今、韓国政治は大いに懸念すべき事態に直面している。親日派の尹大統領によって良好な関係を築き上げてきた、日韓関係のこの先が危ぶまれる。韓国には大統領が国家反逆罪に問われたりして収監されたりする前例がある。尹大統領にも嫌疑がかけられ拘束されないとも限らない。良好な関係に築きあげてきた日韓関係に、又もや暗雲がたちこめることがないこと期待している。
   
   翻って、ウクライナ戦争やイスラエルのガザ地区侵略をはじめ中東の戦火に火が拡大している。そうこうするうちにも長年シリアで独裁政治を敷いて内乱を惹起せしめ、多数の国民を虐殺し、何百万という難民を誘発してきたシリアのアサドが、一昨日、反政府軍の猛攻を受けてアサド政権は簡単に崩壊した。アサドはロシアに飛行機を使って逃亡し、ロシアはアサドの亡命を認めて受け入れた。先代のアサド大統領がクーデターで政権を握った1971年から2000年までの間長期執権した父ハフェズ・アサド氏から、更にまた権力を譲り受けた現アサドである。アサド親子は53年間、独裁、恐怖政治を以て統治をしてきた。
  特に二代目のアサド大統領は内戦が勃発して以降、化学武器を使用して民間人を無差別的に虐殺した容疑を受けている。国際社会では「中東の不死鳥」と呼ばれ、最悪の虐殺者、弾圧者、戦争犯罪者として言及されてきた。ローソクのようにつったたアサドは、見るからに冷血的な風貌だったが、先代からの権力掌握を含むと、50年におよぶ弾圧と圧制のシリアでしたい放題の悪人であった。
  後ろ盾になっていたロシアやイランが、最近の軍事支援の手を緩めてきた結果でもあるが、シリアにまさかの政変である。シリアのアサドを支援してきたロシアやイラン、そして反政府軍を支援してきたトルコやアメリカといった他国が、これからどう出てくるかが焦点だが、そのシリアに反政府軍の勝利の旗をひるがえして自由の風が吹き起ったものの、複数からなる反政府軍による収束は一筋縄ではいかぬだろう。しばらく混乱は続くとしても、祖国シリアの自由と復興のために、その勢力地図は一つに収れんしていくものと期待して居る。
  ガザ地区ではハマス殲滅を目指して強固な姿勢を崩さないイスラエルのネタニアフ首相がいるが、シリアの政権崩壊での間隙を縫って、ゴラン高原に進出して実効支配を更につよめようとしている。僅かな領土の支配と権益をめぐって、激しい戦闘が続いている。加えて、中・台をめぐって緊張の度合いを強めてきている中国の、南太平洋地域での活発な軍事行動の兆しも顕著である。トランプ政権はそうした混乱と思惑の錯綜する時期に発足する。アメリカ第一主義を以て、アメリカの安全と繁栄の実を追求することが可能であるという確証が全く見当たらない現実を、どうさばいていけるか予断を許さないで方針転換を余儀なくされる世界情勢である。 
  12月9日


  凶悪政治家アサドの敗北


  長年にわたり内戦が続いてきたシリアのアサド政権が、反政府軍の攻撃によってついに白旗を上げて支援するロシア領内に逃亡を図り、悪名高き独裁者アサドが率いるアサド政権は事実上崩壊した。反体制派と云っても一筋縄ではいかないものがあって背後で支援するロシアやトルコ、イランもそうだしクルドを支援するアメリカなどであるが、しかし反体制派として長年にわたり独裁者サドに対峙してきた事実を以て、祖国のために一致団結するという方向にも光がさしているように思われる。アサドが逃亡した後のアサド政権の残党組が、速やかに政権の移譲を反政府軍グループに申し出ているとの情報もある。砲火に苦しみ、飢饉に苦しみ、安住の地を失ってきた民衆に一刻も早くこの地域に安全地帯を設けて、中近東の混乱状態をなくす起点とすることが望まれる。
  新聞報道によると、アサドが去った後の首都ダマスカスの郊外の刑務所は、勝手のナチスのアウシュビッツ刑務所を思わせる悲惨な光景が残されていたとの事である。即ち、アサド政権が崩壊したシリアの首都ダマスカス郊外のサイドナヤ刑務所で、拷問の痕跡がある少なくとも35人の遺体が10日までに見つかった。刑務所は国際人権団体が、この刑務所を指して「人間食肉処理場」と指摘した悪名高き施設で、旧政権による人権侵害の実態が明らかになりつつある。ゲシュタポがユダヤの囚人を追い回す映像が今もなお毒々しいが、暗い刑務所内の雑居房から姿を見せる数十人のやせた男性。子供とともに拘束されていた女性の姿もあったという。独裁恐怖政治を以て民衆に臨む体制は、いつどこにでも変わりなく映像が残されるが、政権が崩壊した8日以降、悲惨なるかな、刑務所で撮影されたとされるSNSの映像も同じものだった。刑務所内には秘密の隠し部屋もあったとされ、民間の救助隊などが捜索していた際に多数の遺体を見つけたという。多くは腐敗し、一部は手や足がなかった。冷血、凶悪人間、アサドの仕業である。腐れ切った人間の、現在でもガザ地区で行われている現実を、看過することはできない。  12月12日


   原水協の平和ノーベル賞の授賞式

オスロからの、壮麗な平和ノーベル賞授賞式のテレビ中継である。日本の被団協を代表し、高齢の身を押して遠路ノルウェーの首都オスロまで行かれた田中照巳さんはじめ、お二方の元気な様子をテレビの中継で見て、私たち夫婦は先ず安堵したのである。ノーベル委員会の委員長に先導されて会場に入場した御三方であるが、御二方にはそれぞれノーベル平和賞の盾とメダルを贈呈されて、参加者の万雷の拍手を受けていた。更に原水協を代表して、九十三歳の田中さんが中央演壇に立ち、授賞賞記念講演を行った。何を話されるか、世界の人たちが固唾をのんで聞き入ったのである。十三歳の時に長崎で被爆した田中さんは、その経験と長い間の試練を経て平和のために戦ってきた経歴を紹介し、原水爆の使用禁止と廃棄、そして平和への行進を歌い上げる内容に違いない。田中さんの出だしは、ゆっくりとして、堂々とした太い声の、力強い響きであった。田中さんが聴衆に語り掛け、世界に訴えた内容は、田中さんの承諾を得て、いつの日にか昭和経済に掲載し、末永く繰り返し読み続けていきたいと思っている。
  ノーベル平和賞の受賞記念講演は、田中さんの言葉を以てして、広島、長崎に投下された原爆で被災して亡くなった人々の心の叫びであり、その後遺症に苦しむ人たちの救いの言葉であり、更には戦争で亡くなった人たちの鎮魂の詩でもあった。この地球上から惨たらしい戦争をなくし、核兵器使用の脅威におびえることのない世の中に導くために不断の努力を果たしたいと強い口調で訴えたのである。核使用か、人類の自滅かの二者択一を迫るものである。この世から、この地球上から戦争をなくし、核廃絶と、人類の生存の危機を声高に、世界の人々に対する啓発と勇気と決意の警鐘の言葉であると深く認識するのである。
  地元の男性の感想には「ことばに力があった。人々の関心が高まったことで、今後ロシアがウクライナに対し核兵器を使うのは難しくなったと思う」と話していた。田中さんは、時のプーチンにも呼び掛けている。ウクライナ戦争で核の使用をほのめかすプーチンの耳にも届いたに違いない。この機に至り、人類はい今迄の過ちに気づき、反省し、決断し、未来に向かって力強く行軍していこうではないか。田中さんは、「みんなが手を携えて頑張っていきましょう」と、わかり易い言葉を以て格調高い演説を結んで、みんなに呼びかけている。
     12月13日   


  プーチンの犯罪者的発言

プーチンは今年開いた国防省の会議の席上、ウクライナとの戦火を交えた成果を発表した。 それによると、今年制圧したウクライナの集落は189か所にのぼるとし、「画期的な年になった」と述べ、ロシア軍が優勢だとの認識を強調した。会議ではベロウソフ国防相も報告を行い、今年1年間で4500平方キロを制圧したと戦果を述べた。 
  最高幹部が揃って口にしたのは、占領した部落の数と、侵略した土地の面積である。わけても土地の面積を強調する辺りに何と空しく非人間的な思想が含まれているのだろうか。おぼろげにその戦果を聞きながら、少しずつ正気に戻っていくような気がした。そして夢でも見るような自問自答をしていたのである。
「何のためにその土地を収奪したのか、それ以上のまだ土地と数の人間が欲しいのか、それによって何の利益を得たるのだろうか。工場で働かせる労働力の確保のためなのか、つまり古い言葉でいえば人間を連行して奴隷として働かせるためなのか、そんなことが現代の社会に於いて採算に合うことなのか、そのために莫大な武器弾薬を使用し、兵士、軍隊を投入して戦争をするのか。戦場では多くの市民が巻き込まれて犠牲になり、もとより多くの兵士が無残な死を遂げるすさまじい結果をもたらすのが自明の理であり現実である。戦場は互いに大きな犠牲を払って殺し合いの地獄絵図である。そんなことをしてまでr他国の部落や都市を破壊占領し、領地を拡張し、人民を吸収せんとする試みは、いったい突き詰めるところ何のためなのか、だれのためなのか。そこが問題である。そこをはっきりとするべきである。国益のためと称しながらどんな国益なのか、個人が犠牲になっても国が手に入れるべきものなのか、国にとってどんな価値があるのか、それはそのために犠牲になった個人にとって何の関係があるのか、更にはどんな意味があるのか、突き詰めていくと焦点がぼけてきてしまう。焦点がぼけてしまうような事に対してなぜ尊い命を嬲り殺してまで行わなければいけないのか。それはだれのためなのか。戦争は突き詰めれば、個人的欲望の凄惨な争奪戦であり、強奪戦でしかない。それを行うやつがいるから、防御するためにそれに備えていこうとする一方が出来て来る。最初に強奪しようとするやつを食い止めなければならない。泥棒や殺人を犯す奴らを食い止める供えが必要である。彼らは国家の名のもと殺人を行い、これを名誉として賞状をあたえ、死して同じことをして、死者に対し粗末で陳腐な敬意を称し、あとは無しのつぶてである。それは最小限行う法治国家の役目である。戦争は犯罪である。仕掛けたほうが犯人である。そうした犯人に従って、自分の命を犠牲にすることは、何とばかげたことであろうか」と。
                                十二月十七日 

俺はやだ戦争になどに行きゃあせん赤紙一枚の召集令状

今だからそんな悠長なこと言えるあの時云ったら銃殺刑だ

警官が憲兵が否隣人が監視社会にしょっ引かれて行く

アサドてふ極悪非道の指導者が飛行機に乗り逃げて行くなり

何十万てふ罪なき人民を虐殺し己が欲望を果たしける末 

内戦てふ言葉の虚飾に幻惑し多くの民を痛み付けたり

生殺しだと辺りに異臭ふんぷんならば焼き殺しの焼却室へ 

国連の司法裁判所が手を伸ばし戦争犯罪人と逮捕状をば

悪臭を放つ戦場へ送り込む戦争犯罪人の世にあまた居て



白日の下にさらされるアサドの人民虐殺

  東西古今、専制、独裁者が行う政治はすべからく、最初は硬軟両派を以て周辺諸国を信用させ、国民を欺きながら人民を配下に惹きつけ、息のかかった配下を周辺に集めて身を固める。彼らには忠誠心を植え付ける。独裁者を以て絶対君主制を敷き、恣意的に憲法を改正し、人民を教育し思想の浄化を図る。斯くして国家の資源と財源を掌握し、支配者は、此れを支配略奪し隠匿する。人民を全て法律を以て掌握統制し、行政をフル稼働させて、人民の情報を精査し絶対服従体制を敷く。秘密警察もしかりである。監視を徹底させ、抵抗勢力、反対勢力を徹底的に弾圧してこれらを拘束し、逮捕拘引して収容所に送る。
  外国人や、外国資本は海外に退避、移転し、資産家や識者は外国へ逃避するケースが多くなる。産業経済は衰退し、その分国民生活は極度に悪化して活力を失っていく。国力、国民総生産は低下し、富の吸い上げを図るため、国民を徹底した倹約志向につながっていく。孤立化による縮小経済の始まりである。住民の貧困は加速度的に進むし、国土の衰退は激しくなる。加えて反勢力の蜂起や抵抗によって、内戦状態に入れば尚更である。外部勢力の支援を得たりして、対立抗争は外部勢力の利害関係を引き込んで複雑化してくる。長年のシリアが、そうした状態にあったことは、こうした外部勢力の複雑な利害関係によって負うところがあったからである。
  アサドは既に自国の紛争に対して、自力でこれを解決することが出来なくなっていた。それが反ってずるずるとした長期戦でその場を凌ぐことに徹しざるを得なかったと思われる。ロシアとイランから支援を受けていたシリアは、ロシアがウクライナ戦に、イランがイスラエル戦に勢力を傾注して支援が出来なくなった弱点を突いて、EUやアメリカが支援する反アサド勢力が勢いをつけて、あっけなくシリアの首都や要衝を手放さざる得なくなったのである。アサドは押し合が用意した飛行機で国外脱出し、ロシア領に身をかくした。あっけなく敗北するとは想定していなかったアサドだが、有事に備え莫大な金銀財宝を逃避先に隠匿してたことは紛れもない。
  欲しいままに君臨していた国土は長年の内乱で焦土と化し、経済は疲弊し国民は貧困と廃頽に苦悩するばかりである。蜂起して立ち上がった反政府組織は、体制の立て直しに懸命になるところだが、状況が不利に傾けば内部抗争を惹起させないとも限らない。理性的な改善方法を以て、内戦終結後の政治的体制の確立に翻意でねばならない。専制独裁を敷いた圧政の限りを敷いて贅の限りを尽くした首謀者は、運よく国外逃亡を図るか、捕囚の身となって首をはねられるか、いずれかであることは歴史の示すところである。    一二月一六日


澄み切った冬の夜の空

   今年も残すところわずかとなった。街なかはクリスマスの飾りでにぎわっているが、同時に正月を迎える仕度品で多くの品物が高く積んであったりして、問屋街、商店街は年末商戦華やかな感じである。こうした中、訪日観光客の行き交う人の混雑ぶりもてつだって、観光地の街中はどこもかしこも景気づいて、人混みと云い、その雑踏ぶりは異常なくらいである。今日の土曜日、家内と自由が丘に昼食に出かけてみたが、やはり街なかの雑踏に巻き込まれてしまった。地元の自由が丘にしてこのありさまだから、近くの渋谷や少し離れて銀座界隈、そして下町まで足を延ばして浅草とくれば、賑やかさは、想像するに余りある感じである。銀座はオフィスの通勤通路であって、大した衝撃なるものは感じないが、それも慣れっこになってしまい、一定の動作の繰り返しだから、歩いていてもさしたる感興はわかないのかもしれない。
  ふるさとの浅草では酉の市に続いて年末の風物詩、羽子板市も浅草寺境内で賑やかに開かれている。最近の浅草も伝統美を受け継いで、若い人たちが新しい感覚を以て、現代に生きる浅草を演じて、大きく変貌を遂げてきている。コロナの伝播していたころは寂れ放題だったし、繁華街は火の消えたような寂れ方であった。例えば一例であるが、その時講演でお世話になった小池都知事が、都民に対し盛んに「ステイホーム」運動を連呼していた時だから、消費需要が湧かないのは当たり前である。招いた都知事のお話を伺って、早くから深刻な事態を把握されていた彼女の勘と認識にもおどろいたが、その後に至っても、都民に対して外出を避けろもそうだが、補助金を出して店じまいをさせ、倒産者を防ぐ対策に狂奔していたさなかでもあって、今になって見れば嘘のような世の中であった。そうした反動とでもいうのだろうか、今になって振り返ると見違えるくらいの経済的な発展ぶりで、よくぞここまでにと、景気よく立ち直ってきている経過が手に取るようにわかるのである。
  つい近くに地下鉄日比谷線で何時ものようにB4の出口から地上に飛び出して、この朝はたまたまタクシーを捕まえてオフィスに行った。銀座4丁目の和光を左折して銀座大通りを京橋に向かって行ってもらった。ちょっとした渋滞にあってゆっくりと走行していったので、銀座通りを観光しながら行ったが、有名ブランド店の進出の多いのにびっくりしたのである。そして4丁目から京橋手前にかけて新しくビルを建築中のものが五か所以上もあったりして、灯台下暗しを身を以て経験したのである。つい最近も、オフィスからタクシーを捕まえて鍛冶橋交差点を左折して、帝国劇場の地下二階にある「うなぎのきく川日比谷店」にいったが、途中、丸の内の高層ビル街の間を通過するのは良しとしても、オフィスを出た瞬間の八重洲周辺の景色にもおどろいた。何と鍛冶橋交差点を中心に大開発が進行中で、昔からあった大きなビルがいつの間にか解体されて、広大な更地と化しているではないか。激しく変わったのはつい最近のことに違いない。古くからあった会社の名前もこの世から消え去っていくような錯覚である。
  ウクライナだ、やれガザ地区だとか、シリアのアサドだとか、世界の戦争のことを口にしているが、足元の大きな変化にも目を配らないと、自分自身が世の中の動きから置いてきぼりにされかねない事情に、ふと気づいたのである。ましてや銀座大通りを通って銀座松屋の店に入ったとたんに目がくらみ、まるでダイヤモンドの万華鏡のなかを通り過ぎていくような気分であった。足元がふら付いて何かに触ってでも行かないと前に進めない気がしたのである。まかり間違って、つい美しい女店員の腕につかまったりしたら、大変なことになりかねない。それほどに豪華絢爛の店内の装飾品の売り場、化粧品の売り場で輝いたいたのである。金持ちで贅沢になったなあと思った。散りばめた宝石、化粧した美女たちがいて、そうか、サンタクロースの案内でクリスマスの夜をトナカイの引く馬車にのって「銀河の旅」についているのだと思って、自分を納得させたのである。
                                12月20日

ほがらかにうたひつづけてやなこともうたにしよめばいかようにもまた
(朗らかに詠ひ続けて嫌なことも詩にし詠めば如何ようにも又)

やなこともこゝろのうたによみあげてたのしきものにかえてゆくかな

ふしぎにもやまとことばのうたによむあしきことをもよきことにかへ

おほらかにそらあけそめてふじがねのしらゆきひかるこがねいろなる

いねずしてもんもんのよをあかしけるなんぞゆるがすこともありけんほがらかに

かりそめによむうたなればかるきみにおふところなくいともやすけき

きらくなりほうだいによむわがうたのあるがままにてかたりあへたり

きりさめのしきるたかはらにあそびきてうぐひすのこええあちこちにきく

ふるさとはとほきにありておもふべしかすみてありぬなほうつくしく

ふるさとのやまかわたどりあほきそらながむるはてにくものうきしに

とものことかすかにうかぶふるさとのおさなくありてうつくかしけり

おさなごのにてもいなくておとなぶるかほやかましくよにそありけり

おもひでをたぐりてよめばわがうたのこころかなしくなるときもあり

ひとのよむうたうむときのあらばよのこころのうたをよむしくるなり

ぼんやりと唯眺めをる晩秋の山茶花、ひいらぎ、冬つばきかな

ぼんやりと唯ぼんやりと静かなる初冬の庭の景色ながめり

ぼんやりと放心状態に在りし身の何と幸わせなりし我かな

ぼんやりとした状態に考えることの意外に正しきの在り

直ぐ浮かぶ堀江先生の色紙にて真理は単純にして平凡なりと

朦朧として気持良き心境に詠むわが詩のまこと良しとす

ぼんやりとやがてうっとりと眺め居る山茶花ひいらぎの花

春でなく冬の初めに咲く花の年を真白で締めくくるなり

ぼんやりとすごす初冬の年のくれ寂しく在りて何と嬉しき

日もすがら那須高原に秋深き色づきをれば眺め来しわれ

枯れ枝にむらがる鳥の夕映えに黒く映りてにぎやかなりし

夕やみのせまりてくれば最後まで映りし鳥の影もひきゆく

朝焼けの那須、茶臼が岳を眺めたつ夕べにも見ぬあかず眺めて

無為無思にある身の年の暮れてすぎ何ともたのし我れのひととき

冬枯れの梅の小枝にとり二つ互ひにくちばしつつきをるかな

夕やみとともに山茶花の赤き色しずみて闇に染まる悲しき

先人が伝ふ無為無思の同じ身の境ひを往き来いたす良きかも

一切の存在を無きものと思考して無に立つ我のひとときもよし

朦朧の思索について無意識に詠むわがうたの頷きて良し

もうろうの境地に入りて思ふことなき当たり前の己知るかも

冬空の星座に這ふはもうろうと浮かぶかすみの天の川かな

濃くひかる星座の空く間をもうろうとなびく星雲と思しきはなに
億町の若しかいたせば星雲と云う星々のむれと思ふも

わが思惟の宇宙の果てに及ぶ今億丁の日を掲げ要すを

薄く濃くうつる星雲の間を泳ぐ霞をとらえ天の川とも

火の星を遠くにひかるほしのさき微かに浮かぶ星雲の先

火の星を遠くにかざし冬の夜のかすみの先の灯るまたさき

もうろうと灯る世界は限りなし突き詰めていく夜も終はれり

抵抗のなき空間を走り行く銀河鉄道の星の間を

地球と云ふ土地を離れて星の間を過ぎてどこまで銀河鉄道

宇宙の間へ飛び出してやもうろうの世界を行くは賢治とともに

飛び出して離れて来るも地球のみ青く光るは謎の手引きに

惑星は皆橙色か火の色に闇にひかれる碧き地球よ

壊れそに見えるは碧き地球にて弱そな色の天女にも似て

オリオンの星座の脇をすぎてゆく間にも小さき光るダイヤが

音もなく走る銀河鉄道に乗り早や千年が過ぎて行く身よ

千年も走る宇宙を後にして碧き地球のいまだ灯れり

億光年走る宇宙を振り返るいまだ消えざる碧き地球よ

クリスマスイブの近ければあの星にきっと神様がお住みなられる

億兆の星の数ほどある中に地球のみにそ神の住まはる     一二月二〇日

  ホンダと日産が経営統合

  年末で慌ただしい話題、情報の波が錯綜する中、ホンダと日産自が統合することになった。日本の将来の産業経済の一角を揺るがす、経済界を暗示する大型の経営統合である。世界の自動車業界の競争は熾烈を極めて、ハード面でなくソフト面での進歩の速度が予想外の展開を呈してきており、それを鮮明に暗示する今回の大企業の統合でもある。これに三菱自も参加することになるという。ホンダの技術、日産の販売といった利点を生かし永続的に市場を席捲できるか、かなり厳しい戦略を強いられるかもしれない。規模としては世界の自動車業界で急速な躍進を遂げる一位のテスラに続いて、中国に次ぐ売上高33兆円と大企業の誕生誕生である。自動車業界の注目するところは、既にテスラのようにハンドルなしの無人車が街中を走っている段階である。車の需要の変化は、質的に大変革と遂げている時代である。こんかいのホンダ主導の企業連合は、来年の6月ごろまでに持ち株会社を設立し、ホンダは経営のトップと取締役の過半数を指名し、文字通りホンダ主導の経営体制を敷くことになる。経営不振の日産にないし優位な交渉に立つが、日産に対しては、リストラの徹底を求めている。経営統合の結果は、規模的に世界第三位にのし上がることになる。今夕、三菱自を含めたその三社首脳の共同記者会見が行われ、三社の統合に向けた協議が開始される旨の発表となった。売上、規模からすれば第三位に違いないが、世界を相手に質的実力の如何が問われることになる。  
  拙宅では古くから日産自動車を愛用してきた。位置が経営していた会社には、昔から日産自動車の販売会社の担当者が訪ねてきていたので、いったん決まってしまうと、品質のことよりも営業マンの努力と人柄に重点が置かれ長く出入りするようになる。車の性能と云えば消費者にとって大した違いはなく、勢いソフト面のサービスにかかってくのは商習慣として致し方ない。しかしさらに古くたどれば、輸送手段としてオートバイが広く普及した時代があった。その時に爆発的に普及されていたのが本田技研の生産にかかる「ホンダ・ドリーム」と云ったオートバイであった。創業者の創業者の本田宗一郎が先頭に立って活躍していたころである。小生も会社のホンダドリームをつかって、遠方まで飛ばしていったものである。メグロの自動二輪も有名だったが、排気量が大きかったために、それと生産拡大の構造改革に遅れを取っていたことと、営々姿勢が独自のものだったがゆえに、時代の波に乗れず、大衆化されなかったようである。後進となるホンダドリームは、会社の店に何台か置いてあったので空いているのを拝借して遊んでいたものである。
  父の会社では当時でも珍しく配達用にオートバイや小型トラックなどを使っていたころである。車の日産自動車については昭和40年前後に販売されていた型の車が数台あった。トラックではなく乗用車としてである。後部の座席はゆったりとして深く乗り心地が良かった。あの方の車が何故はやらないのか疑問に思っている。気分的には今でも、昔の乗用車の方が性に合っているような気がしてならない。ブルーバード、スカイラインといった名車も市場に送り出してきたが、一方旧式な型だからと云って廃棄処分にしてきたから、技術革新と性能の良さもさることながら、感覚的には古きよきものを育てずに、日産は経営の失敗を繰り返してきたのかもしれない。朋友の高木新二郎君は、理由があって会社ぼベンツに乗っていた。事故を起こした時でも例えば、相手の車は大概日本製のものが多いから、相対的に受ける損傷は相手より小さくて済むといった発想であった。鋼板の厚みが違うし、日本製のものは直ぐににへこんでしまうがベンツやロールスロイスと会社はビクともしないということであった。弁護士らしい見解でもっともな話と理解したものである。
  堅牢な構造になっていることは勿論納得いったが、同時に伝統を重視した形式の車は、それなりに堅実な風格と美意識を市場に残している所以でもある。ロールスロイスに載って日常の通勤に供したいが、東京の大都市には向かない代物である。そもそも運転手を点けずに自分で運転したのでは、ロールスロイスの品格が落ちる。高木君の説に従って外車に乗りたいと思っていたが、小生は日産のスカイラインに載っていた。娘の就職が決まった時に、車をプレゼントしたが、その時に選んだのは何と外車のBMWであった。その後、新車に変える時に譲り受けたのが、小生がいまだに大事に乗っている車である。このBMWはすでに30年以上になるかも知れないが、この種のエンジンは抜群に優れており、調子は専門家の言うとおりである。新車に変えることが出来ず、小生の愛車になっている。
  自動車市場を大観して、一般的には現在の車にスピードを高める必要はなくなってきている。むしろ車の事故対策に重点を絞るべきである。極めつけは自動運転で、ハンドルなし、運転手なしといった時代が目前であるが、これによって車の娯楽性は、むしろ退潮気味になるかもしれない。自分が車を操車するところに愉快さがあり、満足を満たす点が魅力だからである。運転技術を云々される時代が無くなり、金持ちの高齢者に対するバッシングも少なくなるだろう。つまりその必要性が無くなるからである。運転免許証もなくなるだろうし、自動車教習所もなくなり、品川の免許証の交付所もなくなる。役人も事業転換の対象になって経費節減に役立つに違いない。そうなれば結局は、猿だって乗車可能の時代である。乗車中の人間の安全性は、全て走行する車が保証してくれるからである。
  ホンダと日産の連合体の誕生は、日本産業の一角を大きく変貌させるに違いないが、合理化からくる一般職員の扱い方も考慮されなければならない。いわんや、下請け企業、関連企業を含めるとホンダが2万3,000社、日産が2万社あるともいわれている。これら中小企業のこれからの経営の処し方や、勤労者の取り扱いは注意されなければならない。産業界の変革は劇的であり、スピード感を以て襲ってきている。量と同時に質の点に移行していく度合いが強くなってきている現代社会である。世界第三位の、生産台数に躍り出た合併後の新企業に期待したい。     12月24日


   石破首相がトランプと面談する日程の作成が課題になっているが、むしろ中国の習近平氏との会談の方がどうなるのか気がかりなところである。新春早々にも両者か胸襟を開いてあいさつを交わし、和気藹藹を以て面談する席について、もっと強い関心を抱いているのは小生ばかりではあるまい。習近平も東洋的風貌を秘めて心中の大きさを推し量るところだが、片や我が石破首相も堂々たる風格を以て相対し、心中相接しあいながら両大国の風格を将来にわたり連携してしめし、以て国際社会に臨んでもらいたいという気持ちである。
  来春早々にはアメリカでもバイデンの政権からトランプの政権に移行するが、我々がすでに経験しているように、トランプのアメリカ第一主義の政治主導で国際社会が大きく揺れることが予想されるが、そうした政策に翻弄されることの無いよう、他の諸国と連携しながら秩序ある国際社会の樹立により強力に邁進すべきである。巷間うわさに上るところであるが、しかしトランプの先の政権時代とは様相が少しずつではあるが、変容してくることが予想される。選挙中に暗殺、銃撃事件に遭遇して以来、性格が変わってきているようなことを家族が証言しているところを見ると、ある種の予期せぬ転換を打ち出してくることも予想される。 続 
                             12月27日

いつの日か石破首相も訪中し習近平氏と固い握手を

貫禄を示す石破氏に信を置き対習近平との交渉の席


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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