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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.24.10


   10月は神無月

秋がぐっと近くなってきた。つい4.5日前までは猛暑が続き、日々殺人的な暑さだと云いながら、ふと気づいてみてば、荒れくさんも小さな花が咲いて秋の訪れを告げているから、ましてや黄金の稲穂をたわわに就けて実りの秋を伝えてくれる田舎の風情は言わずもがなだと思っている。昨年、尾山台駅近くの花屋さんで買った鉢植えのハイビスカスの朱い花が、今年も見事に咲いて部屋の中を明るくしてくれている。やさしい気ごころの花である。一つずつ咲いては三日ばかりすると大人しくなって花びらを閉じてしまうのが如何にもあはれに感じているが、次のつぼみが又、ほころび始めて真っ赤な花を思う存分に開かせてくれるので、木の先端に五つ、六つの蕾をつけているので、勘定をすればあと幾日花が持つかがわかるというものである。花の造形美を見つめていると吸い込まれそうになってしまうが、この美しさは神様でないと作れない気がして、そっと花びらに手を触れて感触を味わいながら祈っているのである。
  ひめぐりのカレンダーを見ると10月は私どもの周辺から神様がいなくなるという月である。古事記のよると10月は大和の全国にいらっしゃる八百萬の神々が出雲の国の大社に集まってしまうということである。そしていろいろな祭事に加わって五穀豊穣、祖国安寧などを祈ったあと国へ持ち帰るということらしい。
  兼好法師の徒然草の第十一段には、神無月の頃と題して洒脱な隋筆が載っている。一読をお勧めしたい。     10月1日

鉢植えのいつどこにでも美しく咲くハイビスカスの紅きその花

知らぬまにひらく真紅のハイビスカス折りたたみつつとじる命よ

燃えさかる真紅一色に染め抜きて情念の恋告ぐるその人

いっときの命を刻み恋の花惜しみて絶えるあはれその日の

眺めれば三日三晩の命にて燃えつきてゆく花の命よ

さまざまな思ひ出よぎる女(ひと)の影ハイビスカスの花と過す夜

紅(くれなひ)のハイビスカスに若き日の激しき恋のときめきて在り

花ひらく真紅(しんく)の色に情熱のハイビスカスの恋の息づき

我に声かけて親しき紅(九れない)のハイビスカスの恋の花かな

紅(くれない)のハイビスカスに若き日のこころのうちの今に生きよと

よく見れば血のしたたりとも思へかしハイビスカスの情念の内

踊り子の口唇赤き息づきの花のはかなき命にも似て

モンマルトル・ムーランルージュの情熱の夜のさなかに咲くハイビスカスは

大胆に且つおおらかに踊る子のハイビスカスの花をかざして

ハイビスカス真っ赤に咲いた夜の闇怪しく燃えて居眠る能はず

そそのかす我が内に在る欲情の久しく深く染めて消えゆく

ハイビスカス真紅にひらく昼の間は慎ましきに清楚なりしか

火のごとく花を開きて音もなく身を包み逝くハイビスカスよ

さわやかな秋を迎えて咲く花のハイビスカスのいとほしきかな

いずくよりくれない燃ゆる情熱の色を湛えて散り逝かんとす

一木の小さき枝に付く花の真紅の色の情念の色

情念を広げて明かす華の意を解して息をのむも怪しき

いと熱くもゆる情念の夜を明かし朝にすがしき汝れがひとみよ

十日まえ咲くハイビスカスの散りしあと笠又開く新しき花

新しき花のたもとにつぼみ持つハイビスカスのほむらにじませ

今朝開く花の命の短くも次に待ち待つ子らの居まして

我が宅の煉瓦のテラスに置く花のハイビスカスの朱きその花

秋雨の新たな雨にあたらむとハイビスカスの鉢を地に置く

ある時は食卓に又ある時は床の間に置くハイビスカスの活ける趣き


    向かい風の船出 石破新政権

  圧倒的だと思っていた国民的人気のある石破さんの国会における首班指名だが、さっそく野党の立憲民主党の野田さんをはじめ、野党諸君が嚙みついて厳しい非難を浴びせているところである。現実の政治はしたたかであり、首相就任前に国会解散を口にしたり、またぞろ出てきた裏金問題と、統一教会との接点など、旧自民党の傷口をえぐられるような蒸し返しに苦慮している。それを象徴するようなコメントが、今度総務相に就任した村上誠一郎氏がいみじく発言している。石破茂内閣の印象について記者団に問われ、前任者の『負の遺産』をどう解消しながらやっていくのか、非常に難しいと心配している心境と述べた。つまり、自民党派閥と裏金事件や、旧統一教会問題などを挙げていたのである。
  自民党総裁選に勝利したとたんに、東京株式市場では2000円を超す株の急落に張り手を食らった感じである。株価の乱高下にしても、急激な円安についても、市場の反応は石破内閣の不透明な経済政策の部分を懸念しており、残念ながらアベノミクスの、ある意味では負の遺産の解消である。そういうものに対応しながらやっていくのは非常に厳しいと云うわけである。実際に内閣が発足して具体的な政策の発表が行われない限り、石破内閣を一方的に決めつけて攻撃することは、間違っている。10月9日国会解散、同27日投開票は既定の路線である。準備期間は少ないが、いずれにしても国会が解散して選挙運動に入ることは確実だから、その前のかぎられた時間で、石破内閣の所信表明を聞き、野党の代表質問を聞き、その問答を有権者がどう判断するかで投票場に出向き、その結果を見るしかないだろう。
  現実の政権運営には党内の意向もあるし、石破さん独自の政策を打ち出すのは難しいが、余り大衆向けする政策を打ち出したりすると、例えば所得格差の是正を以て消費税の補填を図り、法人税の引き上げなどするとなると一遍に景気の減速を招いていたずらの混乱をきたすことになるので、健全となりつつある賃上げも帳消しになりかねない。急激な変化に対応できない多くの経済的側面があるし、穏健な政策の継続が求められる。その上で革新的な政策遂行の道を選んでいってもらいたい。光栄にも、我が昭和経済会の講演会では、石破さんのお話を親しく伺ったことがあり、いろいろな側面からそれを意義深く思いだすのである。
  波乱含みの自民党の命運を背負って登壇した石破さんの、これは天命である、人格、見識はもとより、貫禄ある風貌と受け答えが少しでも生かされるよう大いに期待している。幸いにして今日まで日本は官民の政策よろしきを得て、経済発展と成長路線は好調に推移してきた経緯がある。これを継続させていくべきである。
  総裁選出の決選投票となった高市さんを僅差であるが、大逆転で勝利をした石破さんに多くの国民が安堵したことは、自民党内にくすぶっていた極右思想をの芽を摘まんだことであった。EUなど、ともすると世界的な右傾化が顕在してきている昨今、日本にとっても非常に危惧すべき傾向である。日本では、極右派を象徴する靖国神社参拝を云い続け、これに固執した対立候補の高市氏、彼女が敗北を期したことは大いに安堵すべきことであった。小生が臆病者かもしれないが、戦前の軍国主義的独裁政治を経験している人たちも数少なくなってきているし、政治家のなかにも多くいて、無節操な主義主張を繰り返す政治家も多く散見される時世である。子供心に覚えているが、街中を憲兵が馬に乗って闊歩するさまや、日の丸日の丸を振って出征軍人を送っていく町内の様子、戦地で名誉の戦死を成し遂げて旗を振って遺骨を抱いた葬儀を見たりするとき、B29が編隊を組んで銀翼を輝かせて飛んでいくとき、連日のごとく焼夷弾攻撃にさらされて夜中の煙火の街を逃げ惑うとき、沖合から艦砲射撃を食らったとき、焼夷弾で焼けつくされた街なかと横たわる焼死体、火炎と熱風で山となった言問橋や吾妻橋の焼死体、熱さのあまり隅田川に飛び込んだ死体、そして一面を埋め尽くした累々とした人間の亡骸、多くの人が食べる飯も底をつきひもじい経験をしている時、思い出すことは沢山あって、心配なことは尽きない感じがする。そして想像するに今以て恐怖におびえる原爆の投下である。あの瞬時に受けた恐怖の地獄絵図は、物申す術が分からないほどの心境に突き落とされるである。
  皇軍を名乗って戦死した若者たちを思うと、慰霊とは言いながら、空しく命を絶っていった多くの軍人たちを思うと、賛美し奉るような心情にはなれないのである。そうした行事に参加する人たちは、もはや戦争を体験したものは皆無である。だからと言ってうんぬんするわけではないが、懐古趣味に陥って心酔するなど軽薄に過ぎ、まことに以て無責任な気がしてくる。しかし日本を取り巻く安全保障に関して軍事費の増額を示唆する辺りは、無定見に進んだりすると周辺諸国の反発を招きかねないので、国内はもとより、連携する諸国に対しても「納得と共感」のいく説明が必要になってくる。息苦しい体制を組んで自らの体力を消耗しないよう、何らかの息抜きが必要である。
  ただ極端かもしれないが、村上氏のへ発言は歯にきぬ着せぬことで知られ、安倍晋三政権下で当時の安倍首相への批判を繰り返して波紋を呼んでいた経緯がある。しかしながら石破首相にとって国内情勢ばかりでなく、複雑な国際情勢のなか、難しいかじ取りを迫られる状況が早くも台頭していることに留意しなければならない。石破内閣の発足に対し世論調査の支持率51パーセントは低調な出だしだが、船出は厳しい見方をされても、船は舵の取り次第で、待てば海路の日和ありで、政治的にも基本的姿勢を堅持して、人間的にも落ち着いた重厚味を醸し出していけば、石破さん独自の政治を打ち出し、国民に目を向けた「納得と共感」のいく政治が長く行われていくはずである。
  石破内閣の発足とともに何はともあれ石破首相のご健康を祈り、安定した政策運営がなされていくことを切望し、国の栄えと、我々国民の経済的安寧と、平和と発展を切に期待するところである。    10月2日

新年号の記事はここから

紺碧にかがやく大空

澄み切った秋の空が、青くさわやかに輝いている。眺めていると自ずから胸が大きく開いて、精神は溌剌として気概が壮大に広がっていく感じである。10月4日は小生にとって特別な日である。先ず父と母に感謝したい。正午過ぎ、勇躍して会社に赴いたところ、間もなくしてM社のH氏が颯爽として訪ねてこられた。仕事のことで一緒に協力し合い、二十年前にお世話になったことは忘れられないが、その後ニューヨーク支店に赴任し大役を務め、今年の人事異動でつつがなく帰国して会うのはこれで二度目である。K大学時代にラクビーの選手だっただけに根っからの好青年であるが、今日の好日に見えてく下さったのは、これも良しとする不思議な縁である。オフィスで歓談のあと、お茶を飲みに近くのノワールの喫茶店に誘った。
  帰国して間もないH氏が都会の変貌ぶりに驚くくらいだから無理もないが、目前にあった富士屋ホテルが無くなってしまい、今は八重洲の目抜き通りの再開発の波に沈んでしまって、昔の面影は見るべくもない。富士屋ホテルの二階にあったレストランで、ビーフを何枚もかっ食らったことなど話し合って爆笑してしまった。仕事を通じて、今日の石破さんではないが、昔のこと、関係者全てが「納得と共感」を得てウィンウィンの形で大きな事業を成し遂げた思い出は、Hさんを前にして話していると昨日のことのように思われてくる。しかし数えてみると20年以上も昔の話に遡るのである。腹蔵なく話し合っていると、よどみなくくみ上げて見る井戸の水のごとく滾々と、まるで生気を取り戻すような気持になって青春がよみがえってきた。   
  又、普段お世話になっている八重洲内科の長尾先生からは祝賀の言葉を頂戴し、贈り物まで届けて下さり感謝の念でいっぱいである。祝意の文言は誠に綺麗で類まれなる詩歌のように思われるので、下記に掲載する次第である。
 「太陽の輝きが安らぎを増し、自然に従順に、慎ましやかにそよぐ木の葉は、色鮮やかに変身して舞い散る日を辛抱強く待っています。私たちも自分という色に染まって生きている身を真の意味で愛おしみ、自然の想像の賜物として、誇りを持って過ごしたいものである。 辛い時も悲しい時もなお、宇宙の一露のような存在の自分に注がれる恩恵に感謝しつつ、自分を愛するように他人も愛し、赦し、秋の日差しのように心豊かに生きてまいりましょう」  と記されたあった。先生から贈っていただいたこの文言は、私の人生訓として胸に刻んでいくつもりである。                 10月4日

 

 

     自民党の公認問題

  今夕、先ほどテレビニュースで知ったが、なかなか下せない決断だが、石破さんは自民党公認問題で自らの信念をよくぞ守り通したと高く評価したい。裏金問題で疑惑をそのまま残して自民党の懲罰を受けた議員に対して、一定枠を設けて自民党の公認を排除することにきめた。つまり次に該当する場合は公認しないとするものである。
  1〉党から「選挙での非公認」より、重い処分を受けた議員  〈2〉「非公認」より軽い処分でも、現時点で引き続き処分が継続しており、政治倫理審査会で説明責任を果たしていない議員  〈3〉説明責任を十分果たさず、地元での理解が進んでいないと判断される議員――を挙げたのである。
  国民に信を問う大事な総選挙に際して、玉石混合の、無茶苦茶を避けることが出来、自民党支持の有権者は取り敢えず、自信を以て投票所に赴くことが出来るだろう。だからと言ってこれで裏金と派閥と、金と政治の根深い自民党の背負う問題が解決されたわけではない。賛否両論はあるが、一線を画すことは有権者に対して、自民党が正直で明朗な雰囲気を作ることで、最低限必要なことである。改革に取り組む姿勢は、依然として問われている。立憲民主党の野田さんたちの、野党諸君らの攻撃は止むことはない。それでもなお自民党の当面の障壁、難問を解いたことは、瞬時をついて歓迎すべき石破さんの英断であった。

  石破さんは又、「選挙は民主主義の根幹そのものである。有権者一人ひとりに 真摯 に向き合い、説明を尽くし、党として国民の皆さんの「納得と共感」を求めたいと語った。納得と共感は、石破さんの政治姿勢を貫く原点である。疑心暗鬼になっていた国民の心情に迫るもので、限られた時間であるが、うやむやにしないで毅然とした結論にこぎつけたことは、苦渋の決断は良識の勝利であり立派であった。党勢が減ずるか増すかは議論されようが、難破の危険に晒されて揺れ動いていた自民党号という船が、安全確保の復元力を取り戻した感じである。
                             10月7日


    衆議院の解散

  今日の国会では日本国憲法第7条の定めるところによって、衆議院が解散した。衆院選は15日告示される。そして今月の27日に全国一斉に投票が行われ、終了と同時に即日開票が行われる。自民党は第一次公認候補を発表するが、党派閥の裏金に関与した議員12名を公認しないと発表した。魔がさしたというべきか、常道を逸したというべきか、いずれにしろ人物本位で公正な洗礼を受ける運命にあることは間違いない。恥をさらしてなおこの道に生きるか、信念に反した過ちを犯してまで執着するか、蓋を開けてみないとわからない。石破さんは右顧左眄せず、信念を貫きよくぞ苦渋の決断を行った。己の運命に自信を以て悔いることなく政治を行ってもらいたい。
  解散の時点では衆議465名が当落を競って戦うが、内自民党の現有勢力は258名である。今日の党首討論でも石破首相は過半数突破の獲得数を目指して、是非とも勝利を果たしたい、目標は過半数獲得にあると宣言した。「裏金解散」とまで揶揄されていて苦戦は覚悟の上と申しながら、人気挽回に必死の様相である。一方の野党は、短期間に襲った国会解散のため準備が想定通りに進展していずに、野党連合が進んでいない。このため各党は懸命の調整を強いられながらの選挙戦となっている。野党の諸君も衆議員の過半数獲得を目指して猛追である。元首相を党首に押した野田さんだが、特に立憲民主党の現有勢力98名をそれ以上に目標を伸ばして党勢の拡大を図りたいとしているが、果たしてうまくいくかどうか注目を要したい。今日は上空に張り付いた秋雨前線が南下して、本邦は終日、北風を含んだ今年一番の寒い雨の一日となった。11月中旬の気温だそうである。つい二、三日前だと思うが殺人的猛暑とうなだれていたのが一転してこの冷気である。気ぜわしく下着を厚くしたり、冬物に切り替えたりして慌てている。
  処で、総裁選に僅差で敗北した高市さんが、このところ赤い気炎を吐いている。どうやら総裁選で人気だった小泉進次郎を振り切って上位進出を図り、決選投票に進み、二位の石橋と戦って僅差で逆転敗退となって、石破に総裁の椅子を持っていかれたことに憤懣やるかたない思いでいるらしい。彼女は全く錯覚しているようである。今回の選挙では彼女に関する限り、虚構と見た方が良い。力があって最後まで進んできたわけではない。九人の候補者がかち合って、どんぐりの背比べで、目立った石破とか小泉といった政治家の他にめぼしい候補者がいなかったので、新しい内閣での、もしかしたら少しでも良い地位の役職を望む議員の、空しい思惑が絡んだに過ぎない。そうした票がたまたま票が彼女に流れただけであって、ましてや寝返り得の麻生が背後でいたずれしたりした結果が、彼女を狂わせてしまったのであって、石破との決戦投票に至るまでの経緯はまぼろしである。小泉に至っては勉強もしていなければ知識にも乏しく、経歴は浅薄で見るからにタレントの域を出ない代物である。投票者は直ちにそれを見抜いてしまった。
  高市にしても、今回の総裁選については彼女の政治家としての実力を示したものではない。彼女は結果について有頂天になって、新党結成にまで思惑を働かしているようである。彼女の致命傷は、評論家の桜井よしこに代表されるように、危険であり強力な右翼思想であって、それに賛同する国民は極めて少ないのが現状である。あの政治姿勢では、今のアジア外交を手にすることはできない。仮に同様の認識は持っていても、それを改善するために戦前の国民統合の天皇中心主義の思想をを以て国際政治はもとより、国内政治を行っていこうとする魂胆が極めて不愉快で受け入れがたい。靖国神社参拝一つをと手見ても、中国をはじめとして友好的な隣国諸国にまで負の遺産をチラシ撒いていくに過ぎない。英霊として祭られた多くの若き犠牲者もたくさんいる。貴重ないのちを一体だれが奪っていったか。どのような死に方をしたのか。その根本原因は何だったのか。よく考えてみることだ。しかも近隣諸国は、その心霊化された靖国神社が昔日の政治思想の一端を担って台頭してきているとすれば、なおさらである。元旦や祝日に、これ見よがしに靖国参拝を挙行する国会議員の中には、もはや戦争経験者は皆無である。戦場の何たるかを知らない連中である。平和な時代を安閑として生きてきている連中である。日本では唯、発言が極端に右かかったがために異色的存在に映るので大きく見えるが、それは極めて少数に過ぎない。 天下を取るほどのものでもないし、世に謂うところ時代錯誤であり、誇大妄想狂による錯覚である。そうではそうであっても支持者がいるのだから、それなりの意見として尊重しなければいかないが。良しあしを判断するのは国民の一人一人であるが、判断は正鵠を得て、歪曲された情報、雑音に惑わされないことが肝要である。   10月9日


    ノーベル平和賞

   日本原水爆被害者団体協議会に、今年のノーベル平和賞が決まった。「核兵器廃絶と世界平和」を訴え続けて弛むことなく、世界にその運動をひろめていったことに万感の祈りを込めて、原爆の犠牲となった人々の鎮魂の念と、多くの被災者の苦しみと痛みに対し慰めと励ましを厳粛な心境を以てお届け申し上げたい。世界の良識と良心ある人たちは、広島と長崎に落とされた恐怖の殺りく兵器のことを忘れずに、ノーベル委員会が、日本被団協と、活躍する人たちの不屈の精神と運動を確信を以て評価して支持してくれたことは、これが世界歴史深く引き継がれていくことと確信し、更に広く深く世界にその輪が広がっていくことを祈っている。
  広島、長崎に投下された原子爆弾は、一瞬の閃光と熱線と爆風を巻き起こし、瞬時にして地上の人間生活の息を瞬滅し、人類と、この世の世界を破壊と恐怖のどん底に貶めた、巨大な威力の殺りく兵器であることを思い起こすのである。遡ること80年、第二次世界大戦、太平洋戦争の末期の1945年、昭和20年8月6日、日本時間午前8時15分、連合国のアメリカ合衆国が、無慈悲にも、非人道的にも日本の広島市に対して原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した出来事を振り返るのである。都市に対する核攻撃としては史上初であり、この核攻撃により当時の広島市の人口35万人の内、9万 から16万6000人の人たちが被爆から4か月以内に死亡したとされる。また、わずか3日後の1945年8月9日には、長崎市へも原子爆弾が投下された。ことの次第によっては、原爆投下はまだ続けられていたかもしれない。
  凄惨極まる地獄絵図の展開に、戦争を起こした愚かな日本の指導者たちが目を覚まし、これ以上の人類滅亡の序曲を断ち切ろうと追い込まれたのである。あれから八十年が経過したが、世界には、いまだに良心の覚醒に気づかず、核兵器使用の禁止と廃絶に、無知蒙昧の行動を採ろうとしている一部の危険分子がいることも承知している。これらの無知蒙昧の政治家と、それに呼応する人物たちを覚醒させるには、世界がこぞってに「日本被団協」の思想と行動を支持し現実的な行動を、地に着いた論議を通じてこれを更に大きく発展させてゆかなければならない。今回の平和ノーベル賞の受賞は、以てその真実を世界に知らしめる唯一無二の功績と指標として限りなく目指すものである。それは、確固たる平和への道しるべである。  10月12日


雀を見かけなくなった

  最近、雀の姿をめっきり見なくなった。性格は臆病者だが、我われの人間生活にとって雀ほど身近に感じる生き物はいない。普段気づかずにいるが、雀はいつどこにも沢山いるので、つい見落としがちだが、それゆえに最近雀が大きく減少して、あまり見かけなくなったという報道に、びっくりしているありさまである。そう言われてみると確かに、身近に沢山見かけた雀が、急に姿を消しえしまったような気持ちにふと気づくのである。何だかしきりにやる瀬ない気持ちになるくらいに、今になって雀に対してひとしおの暖かさ愛おしさを感じてくるのである。田舎はもちろんのこと、都会生活にも深くなじんで、雀は切っても切れない存在に思っていたが、何が原因でそうした状況になてしまったのか、改めて考え直して見たりしている。
  拙宅の庭にはいつもたくさんの雀が遊んでいたし、戸を開けたりすると餌をせがんで一斉に飛んできたのはつい最近のことである。部屋の中にまで入ってきて、ある時は板の間で滑ったりして愛嬌をふりまいたりしていた。それが急にぱったりと止んでしまった光景に、信じがたいものを感じている。謎としか思えない。事態を深刻に受け止めた環境庁までが調査に乗り出したというから、何かしら問題をはらんでいるに違いない。

   環境省が、20年ぶりに行った鳥類の分布調査結果というものを公表した。 それにより、スズメやツバメの個体数が大きく減少していることがわかったと云う。将来的には絶滅危惧種に指定する恐れもある、という話も出てきた。 調査は1974~78年、1997~2002年に続き3回目で、今回は2016から2021年にかけて、日本野鳥の会や山階鳥類研究所などと共同で行われた。精密に調査したものだが、 その結果、スズメの個体数は前回調査の3万1,159羽から2万627羽に減少したらるというのである。厳密に生存する数まではじき出したというのも眉唾だが、そこまで手間ひまかけて調べるまでもなく、今朝も、昨日も、否、このところ全く雀の姿を見ないところを見ると、樹木の多く雀にとってまたとない住環境にしてこの始末だから、他の地域にしては調べるまでもなく、雀の存在は皆無に近いはずである。これは一体どういうわけなのか、さっぱり分からないいでいる。
   今年の暑い夏はつい最近まで続いていたが、季節の節句は真理に近いものをもっていると思ったことであるが、立秋を過ぎたころから長く続いた殺人的猛暑が静まってきたように感じるのである。歴史的記録にもなったが、とにかく酷い暑さであった。テレビでも連日のごとく注意を呼び掛けて、無理な外出を控え、直接日光に当たらぬよう日陰を選び、室内でも冷房機を継続してかけておくように呼び掛けたりしていた。日射病を誘発する日照りだけではない、地上の反射を受けて大気までが熱風と化して危険なくらいであった。だからこそ室内にいるように、室内でも冷房機をつけて置くように、就寝中の真夜中でもつけておくように、特に高齢者は注意を要すると警鐘乱打を繰り返していた。
  従って蝉のなく声を今年は聞かなかった。暑さにうなされている毎日であったがゆえに、雀の居ないことにも気づかず、蝉の鳴かないことにも気づかずにいたということか、言い訳がましいが、それほどに人間社会は暑さ対策に翻弄されていた今年一年の夏であった。
  そうしたかってない猛暑のさなか、雀にしても蝉にしても、小動物にとって致命的な打撃を受けて、この殺人的猛暑で生きる力を失ってしまったことに違いないと勝手に推測していた時もあった。雀の生態について格別な知識を持っているわけではないが、雀は卵を産んでも、厳しい暑さで孵化しないままに過ぎてしまったか、蝉は地上に出て慣れない暑さで体力を失ってしまったか、昆虫はすべからく地熱で息を途絶えられてしまったに違いないと推測していた。植物につく虫も今年は見つからず、椿に繁殖する厄介な毛虫すら一匹も見かけなかった。蚊が余り居なかったことも幸いしたが、人間だけではない、自衛手段を持たない生き物たちが、犠牲にあっているに違いないとみていたのである。
  ところが雀ないなくなり始めたのは今年だけでなく、数年前の遡るということを聞いては、今年の猛暑だけでない、何が原因なのか、自分自身何だか深刻に考え始めているのである。もちろん地球温暖化による異常気象といった気象状況の変化や、海洋の温度の上昇といった産業革命以降の人間のもたらした悪業を列挙するまでもないが、大まかにざっくりと捉えていた知識と責任のない薄っぺらな捉え方に、自戒する心境になって来たのである。雀を見かけなくなってきた朝な夕べの庭を眺めながら、今朝は早く起きて畑お越しに精を出し、庭畑の一隅を以てせめて土の中にいるミミズの生存を確かめ、元気に飛び跳ねている姿を見て、少しばかり胸をなでおろしている。雀たちよ早く帰って来いとつぶやきながら、空を見上げている。


拙宅の庭に雀が来なくなり久しく訳があると伝へり

賑やかに雀が遊びに来たる日の常日頃にて当たり前なり

当たり前なるがそうでなきことと寂びれて消ゆる定めなるとは

さえずりて枝より枝に飛び交ふて遊ぶすずめの今なつかしき

柿の枝に目白が止まり実をつつくさまも見かけで悲しかりけり

部屋にまで入りくるすずめのいとほしく飛びてこざるはいとも寂しき   10月17日

高等学院の同窓会理事会

  青春を謳歌した学窓を出て娑婆に空気に晒されて長い月日が経つと、孔子の論語ではないが三十にして立ち、天命を知る歳を経過したころからやたらに郷愁の念に誘われてくるものである。学に志したころに立ち返り、学習時代の清新の気横溢する気分になれることは幸せと思うのである。はたまた、奥の細道で冒頭の「いつしか片雲の雲に誘われて」思いは洒脱的な心境にも至ってしきりに旅にも出たいと云う感じである。いずれにしても社会にあって現役で勤めていながら、そうした機会を心情的に経験することが出来るのは、以て幸いというべきかなと思っている。
  早稲田高等学院を卒業し大学に進んで自分なりには大きく羽ばたいて勉強したつもりでいるが、それ以上に学院での先生方、大学での教授連との接触は濃密であったし悔いはないことは今以て喜びに耐えない。学習以外に、あえて教育上の指導者たちと人間的な触れ合いが与えられた運命を、重要な学習の一翼を担っている感じがして、学び舎と先生方を思い出すことしきりである。しかし云うべくあらずして先生方は鬼籍に入られて、思い出だけが激しく脳裏をかすめ、青春の意気を蘇らせてくれるのが運命的であり、不思議と思っている。学窓を訪ねると、学生時代と先生方の姿が鮮明に浮かんできて当時を思い出し、むしろ若返ってくるのである。これでこそ教育の原点が伺えるというものである。高等学院で今はどんな学習が行われているか定かでないが、進取の精神に根差した学習に自由闊達な雰囲気が伺えて、清新の気が大いに漂っている感じを受けたのである。学生にとっても一般には世間的、時代的な傾向として、AIとかITといった科目が盛んで人気があるそうだ。文科系はもとより、数理、化学系に研究が深まっていることは、先陣を切って、これからの国際社会、広く世界に伍してゆくには必要なことである。
  学院の第一校舎に入ると直ぐ右手に広い開放的な図書室があるが、向き合った壁のインフォメーションといった一部に、一見して分からないくらいに、灼けて透けた額縁の揮毫が飾ってある。会津八一の作品である。「養素全真」と記した墨書である。学問の根底と真の目指すところは、この四文字に凝縮されていると思った。これを掲げている母校は果たしてこの精神の寛容に努めているか疑問に思ったのである。功利主義に走って、全てを利得損得にとらえがちな計算をはじいて勉強しているように思った。高い人間性を目指して学習の根源に迫る、哲学を持っているか疑わしい。
  古くからある替え歌に「デカンショウ、デカンショウで半年暮らす 後の半としゃ寝て暮らす」。つまり一年を通じて、前半の半年は寝ずに書物の読破、研究に没頭すること、それを力説しているのである。すると後の半年は、その半分は寝ててもいいが、あとの半分はやはり読書、研究に没頭せよと云おう、」手厳しい学習理念である。学院に入学して第一日目、担任の川原栄峰先生が教室に入っていらした。教壇に立つなり黒板に白墨を以てドイツ語で文字を書かれた。「Ich denke also bin ich」、これを解して「われ思う 故にわれあり」という内容である。それぞれに、これを解釈して己に当てはめて学習に没頭せよ という教訓であった。有名な哲学者、デカルトの名言である。これには驚いた。いきなりドイツ語の学習であり、哲学の根本理念をつくものであり、学習の根本的姿勢であった。学院生になったら、かかる目的意識を以て学習に励めという教えであった。
  川原先生はハイデッカー研究の大家であり、その後名誉教授を授与された、早稲田大学が誇りとする学者であり教育者である。人間味あふれる人柄であり、大学で教鞭をとる、且つ厳しい姿勢を持った驚くべき教授だったのである。小生は、大いなる衝撃を受け、それを以てドイツ語を懸命に学習した。ドイツ語部に入部して、部長を務めてくださった高木実先生や、藤田赤二先生などの指導に浴し、社会に出てからも親しく交誼に預かったのである。高木先生は文学部で多くのドイツ文学にかかわって書物を執筆、出版し名誉教授の称号を大学から授かっており、今以てご健在の由で、九十七歳と承っている。以て喜びとするところである。その高木先生は高等学院の二年の時に教諭として初めて赴任してこられた。ドイツ語の講読であったが、最初のテキストがシュトルムのインメンゼー(みずうみ)だった。

横道にそれてしまったが、否、実は大事な本筋を語ってきたが、今日、出席した理事は11時半に所定の会議室に集まり、懇談の席に加え、早々ともてなしの昼食の弁当をご馳走になった。12時から始まった理事会での議題は十項目近くあって、真剣に討議され決議された。ところで小生が毎年のこの会で注目しているのは、この同窓会が学院の学生諸君に奨学奨励金とした些少の資金を拠出していることであった。そして何よりも感銘したことは、それに応えて学生諸君が自ら独創的な研究成果を発表していることであった。33件の研究成果を優秀と認めて、該当した研究者に奨学金として差し上げた事案であった。具体的なテーマと研究成果は、新鮮で瑞々しく魅力的であり、卑近な見方をして恐縮だが、中には新製品の開発や新機軸の発案など、特許申請を出して将来これを商業化できる事案もあって、これをも含めて更に奨学制度を拡大していくことは極めて功績大なるものがあると痛感したのである。企業の研究開発投資に充てて見ても引けを取らないものが、課題、研究テーマを見て感じたのである。
  午後四時近くなったが散会の後は暗くならないうちにと思い、学園にグッバイして上石神井から新青梅街道を走り環八に出、そのまま走行し帰宅した。時間があれば早稲田通りを高田のばばに抜けて母校の早稲田キャンパスによって行こうと思ったが、果たせなかった。   続   10月19日


学院の同窓理事会に出席す朝の環八を車にてゆく

理事会の議題審議のだらだらと時を浪費し無なしかりけり

学院の親しき友らこの世より逝くもあまたに驚きをりぬ

この年の米寿を越して出席す健在なるは驚きをりぬ

りこう振り駄弁をろうす若者の馬鹿まる出しを見るにうきたり

愚痴を云うつもりはなきも長老の他にも居れば近く知り度く

長老らよくぞ撻者に居りたりと内心同席するも頼もし

生徒らに学習奨励金を出して皆創意工夫の研究を促す

学生に対し奨励金を出す制度研究成果を促すによし

学習は目先のことより基本的、人間教育に重き置くべし

思い出すこれは八一の学期にて「日々真面目あるべし」とぞ謂う

深くこの生を愛して学芸に励み学徒は然るべくあれ

さまざまに思い出ずるは学び舎を往き来す先生方の楽しおもかげ

学びしは日本文学史概論の竹野院長の熱き教鞭

往き来する先生方の面影は木造校舎の朽ちた廊下に

学院の昔の重き学習をつくづく感謝しつつ偲べり

イッヒ・デンケ、アルソービン・イッヒと黒板にいきなり書きぬ川原先生

学習は人間形成のもとひなり知識の集積に在らずと云ひて

川滝君の「この頃思うこと」

   昭和経済に連載していた朋友の川滝信義君の随筆、評論の「この頃思うこと」は、題名こそ穏健だが、その毒舌舌鋒は鋭く意をついて、読んでいて痛快であった。積み上げた月刊誌の昭和経済のどのあたりに書いてあるか探し出せないのが残念だが、あの頃は想像力豊かで慧眼の主が沢山いて、紙面がに賑やかだったことを懐かし思い出している。芥川賞や、直木賞を取ったりしたりはしてないが、職業にしたものでなく、読者を意識せずに従って金稼ぎではなく、自由奔放に書きまくっており、文章もたけていて実に素晴らしい作品であった。探し出すのに大変だが思い出すままに、川滝義信君をはじめ、鈴木文男君、山中すみ恵さん、山崎章子さん、寺島祥五郎さん、関根常雄さん、ニューヨーク在住の岩本ランコさん等々、枚挙にいとまがないくらいである。皆、月刊誌の昭和経済に健筆を振っていらした姿は、誠に以て貴重であり特筆して尚余りある作品ばかりである。
  中でも極めつけは、大内義一早稲田大学名誉教授で、黒人文学研究の大家で、国立大学入試の参考文献にも載るほどの研究書であるが、昭和経済に毎月、毎回、作品を連載して下さった。後に、まとめて編修した巻数は十三巻に及び、珠玉品とした満載した「大内義一随筆集」は広く世に出され、多くの愛読者に支持され愛読される機会を得た次第であった。以て随筆家としての金字塔を打ち建てた次第と確信している。
  ところで朋友の川滝君のことを思い出したのは、内外情勢の多事多難な現状を見て川滝君の鋭い観察力と執筆力を以てしたら、どんな分析と判断を下すか知りたかったからである。原稿をお願いする時には、いつも時局に焦点を当ててテーマを参考として示していたが、いつも小生の意向を的確にとらえて原稿を送ってきてくれたのである。この頃思うことの課題は沢山あって、きっと書ききれないだろうと思っている。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとガザ地区のハマスとの交戦、何万という驚くべき犠牲者、日本の政治家と裏金問題、政権交代を叫ぶ野党、アメリカの大統領選挙、天才と奇人のトランプ、気候変動、宇宙船地球号の危機、中国の経済、北朝鮮の挑戦的行動、日本の総選挙、逆風に立つ石破内閣と日本と云ったらきりのない問題山積である。川滝君の慧眼と論評を知りたいものである。この頃の出来事があまりにも複雑かつ難題であり、助っ人に居てくれたらさぞかし面白いと思っている。

  大内義一先生十三回忌
    先生を偲びて詠めり

現実の社会にて知る世の苦楽大内先生と共に理解す

大学を出でし時より昵懇の仲となりてや世を渡りけり

畏敬する大内義一先生の十三回忌にて供物送りぬ

白寿にてこの世を去りぬ先生の書くこと多きと述べて尊き

先生に悔ひあるとせばこの世にて「書きたきことの多くあり」しと

人生の希望を果たし随筆集十三巻を残し逝くなり

白寿にて優れた著書を遺し逝く大内先生の躍如たるあと

早大にて名誉教授の称号を唯一誉れとの給ひにけり

大作家志望に替えて随筆家、学者冥利に尽きし先生

「僕のこと僕以上に知っている」佐々木君こそと云いし先生

さはさなり知るべきもなき先生の心のうちを如何があらむや

早くより父をなくせる我なれば大内先生を父とあがめり

先生と喜こび合ひし海原に釣船を出し釣果楽しむ

五平次の先導を得て大貫の海の沖合に船を漕ぎ行く

先生がた酒枝、大内、平田らと釣り竿を持て海に出でしも

千ページになる論文を書きあげて平田教授のゼミナールにて

卒論「財政政策の変遷史」連日図書館にて書き上げにけり

九時を指し大隈講堂の鐘がなる身支度のあと帰途に就く我

見上ぐれば晩秋の月あけらけく大隈講堂を照らし出すなり

大隈といふより大内精神と呼ぶに相応し我にありせば

内々に打ち解けあひてお互ひに切磋琢磨の道をすすめり

友人と我をばひとに紹介す萬社長も又然りなり

薫陶を得て人生の道をゆく今にしあれば恩義篤きも

著名なる早稲田の著名な文学者、学者としての道は尊きも

名だたるや黒人文学の研究の道拓きたる大内先生

先生が昭和経済に掲載す名随筆の多く残れり

市川の菅野の閑かな住まいにて和服を召して筆を執りけり

佐々木君、佐々木君と暖かき声かけられて斯くも嬉しき

松風の過ぐる菅野の地に住みて書くエッセイの麗しき日よ

菅野なる地こそ松風の吹き過ぎてさやかに大内夫妻住まわる

昔より文人墨客の好みにて永井荷風も住みし土地なり

晩年の大内先生を悩ませる悪しき周りの人もありなむ

いかならむことも意にせず先生のご遺志の生きて今に及びぬ

柏井の老人ホームに訪ねしは妻を伴ひ過しける日よ

時の往くくはやての如き昨今の思ひも深し我が身覚へて

白寿にてこの世を去りぬ先生の愛する妻のもとに帰りて

少年のごとき先生の素朴なる心情に寄せ心ひかれり

立派なり大内先生の生涯の白寿を迎ふ日々の斯くあり

柿の実

  拙宅の庭に柿の木が二本あるうち、一本は次郎柿である。昨年庭師を入れなかったので庭の樹木が大きく成り放題で、柿も例外ではない。人の手が入らなかったので大きくなった枝には自然なままに沢山の実がなって枝が、地面に届かんばかりに垂れ下がっている。皆立派に大きくなり、お尻にが黒い縞の紋様がついて、固くしまった感じで格別に甘みが凝縮しているようだ。山里の農家の庭先に見かける光景だが、柿の木が立派に大きく育ち、年輪を重ねてきたような風格がともっているが、赤い柿の実が鈴なりになった、のどかな秋の風景を見かけるものである。はイワナ絵画の一幅を見る思いに浸されるものだ。拙宅ではこのほか富有柿が同じ年を取っ営るが一本あって、この柿も豊作である。付けたすと、金柑までがこの年はかってないほどに豊作である。一枝に小粒の実をぎっしりとたくさんつけている。小粒というのは柿に比べてという意味である。金柑の実としたは、今年は粒が大きい。それが青みが買った色から今は金色に光っているので、それをいちもくに集約してみたら想像がつくだろうが、光景は豪華絢爛、実に圧巻である。小粒の金の珠がすずこのように固まって、その様子が大きな木に沢山付いているから、実に見ごたえがある。沢山に実を大きな瓶に入れて、ハチミツヲ垂らして漬けておくと長持ちしておいしく口に含むことが出来る。

柿の実のたわわに実り秋深き日ぐる夕べとなりにけるかも

涅槃図の色合いひ染まる柿の葉の極楽浄土の世界うつして

秋深く日暮る夕べに訪れてモズの静かに柿をつつきぬ

一枚の色ずく柿の葉を拾い涅槃図の世も斯くやありけむ

九品仏の鐘の聞こえて柿の葉の一枚おちて暮れにけるかな

柿の葉を五枚畳みて我が妻が柿を刻みて菓子と添えたり

いかるがの里の屋敷の柿の実も赤く染まりて暮れにけるらし

浄瑠璃の寺の屋敷にある柿も鈴なりなれば鳥のつつき来

色ずきも鮮やかなれば柿の葉の風吹くたびに散り落ちにけり

散り落ちて行く柿の葉にビオロンの音に乗り秋深まりて行く

曼荼羅の楼閣の絵のいろどりに染まる柿の葉の一枚の秋

柿の葉のあざけし色の紅葉に深まる秋の時をきざめり

枯れ枝に付き真っ赤な富有柿光りて秋の空高きかな

鈴なりの柿の実につく目じろ来て枝から枝にへと楽しげに飛ぶ

教会の宮本姉妹に色づきの柿の葉ささげ思ひ告げたし

枯れ枝に付く真紅の次郎柿真澄の秋の空高きかな

柿の実を食べずに飽かず見つめ過ぎ瞬時を止めて眺む法界

柿の葉の色ずくあとの曼荼羅の模様におよぶ法界の果て

     総選挙の結果は

  10月27日は衆議院議員選挙の投票と、即日開票の状況を固唾をのんで見守って終日、特に午後八時からは、テレビの各局のチャンネルを回し続けていた。刻々と入る自民党の開票速報の伸び悩みと落選者、野党の立憲民主党の票の伸長ぶりと当確が報道され、与、野党の逆転の様相に戦々恐々の体であった。「金と政治、裏金と自民党」、手っ取り早く「裏金選挙」の連呼に何ともやりきれないテーマを抱えた総選挙と相成った。立憲民主党の野田さんは裏、裏、裏と連呼し何でも裏の総選挙と云われてしまうと、脛に傷を持った奴は、その覇気に打ち負かされて降参してしまう感じである。これに対し、頭を下げて謝りどうしの石破さんであったが、最後には跳ね返す場面もあって、実に気の毒な役に当たってしまった。
  喧々諤々の総選挙であったが終わってみれば、洗礼を受けた自民党の議員数の過半割れ、立憲民主党、国民政党の躍進ぶりでことが収まった。選挙は終わって禊を得たとする自民党だが、自民党も含めて立憲民党とその他の野党も何だか煮え切らないものがあって、この先の政局も相変わらずの「金と政治」の解明に明け暮れそうな感じである。裏金と政治という死体を火葬場に運んでもらったが、まだすっかり焼ききれずに一部は生で残っているという、えげつない光景である。
  それでもなお、石破さんであったからこそ、ここまで整理がついたのであって、そうでない人がたまたま総理総裁の椅子を留めて政治改革、自民党改革と叫んでみたところで霞を採って処理すると云う、何とも掴みどころのない、行き場のない閉塞感に悩まされたのではないだろうか。「臭いものにふた」といった感じは否めないが、もし残っているとすれば、一応、禊を得た人たちに対し、党派を超えた「第三者委員会」を作って、そこで議論し善処していくことにして、一日も早く議会政治本来の姿に立ち返って、使命とする仕事に専念してもらいたい。
  各党は、第一党の自民党を中心にして他党との連携を模索し、連立政権を組んで内閣総理大臣を指名する段取りを組むだろう。首班指名を行ってできるだけ早い時期に組閣に踏み込んで、政治と行政の稼働を速めてもらいたい。今回の総選挙によって、政局は自民党内の右翼の一掃を図る途上であり、又野党の動向については中道保守の勢力の拡大を図った結果のように、成果は目に見えないものも多く、短期間に過ぎた総選挙だったかもしれない。鷲づかみだが、そう思うのである。
  最近は特に自民党内に極右勢力が台頭し、もとは安倍晋三率いる清話会が隠然たる勢力を醸成しつつあったが、安倍派は解体され残党組が勢力の温存を図ってきていた。高市氏が率いており、石破の後を虎視眈々と狙っているというよからぬ噂だが、内外の情勢を見るとそう簡単には、ことが進まないことは明白である。又反対に、これに対峙した共産党の率いる極左勢力も正常な状態を維持しており、今のところ極右、極左といった懸念すべき不穏な動きがないことは幸いと云わなければならない。ウクライナやガザ地区での戦争、イランとイスラエルの交戦、そして北朝鮮軍隊のウクライナ参戦といった理不尽な行動、又中国の南海諸島での領海侵犯など、不穏な動きの国際情勢のさなかである。右顧左眄せぬ、日本の安定した政治がもとめられる所以である。
  当面はこうした過激的勢力の台頭を許す国内情勢でないこと、その象徴的政変が、国民に目線を合わせた「共鳴と共感」の石破内閣の誕生と、政局は自民党の退路を断たれた感じだが、逆に穏健、中道を行く重厚な政局の展開に振り子が振っていくので、安定感が生まれてくるに違いない。これから日本の国際政治における立ち位置が、大きな役割を演じてくることだろう。雨降って地固まるの例え通り、政局に無鉄砲な変化は起きずに比較的穏便な動きに移行していくと期待している。ともあれ野党第一党に見事な結果を出した立憲民主党の野田さんに祝福を送り、又どろ船と思われ沈没寸前と思われた自民党の救済に成功し、重厚な石破さんの政治手腕に期待して、民主主義国、日本の今回の衆議院総選挙の総括としたいものである。
                                10月28日

国民の信頼こそが第一と初志貫徹をゆるぎなくして

雨降って地固まるを地で進む石破内閣の鍛錬の末

旧来の金と政治の悪縁を絶ち王道を行けば海路が

野党との連携により国民の総意を汲みて進む良しとす

省みて安部一強の弊害を篤と知りたる我ら国たみ

悪弊と惰性に沈む自民党その構造を砕く石破氏

裏金をつかむ自民の議員諸侯その無神経さに腰を抜かせり

脱税にお咎めのなきままに過ぐその悪弊を責める国たみ

選挙にてその悪弊を糾弾す濡れ手に粟の議員諸侯らを

従来の政府与党と野党との対立激化は良しと云えずも

政治とは対立を避け協調と理解を通じ為すを良しとす

日本の世界に冠たる体制を同じゅうすれば戦争なぞなき

野田さんも選挙の戦い貫きて矛を収めて国を一つに

多少なりとも意見の相違のあるは良し丸く収めて行くが政治と

どろ船の沈むところを救ひ出し自民党を生かす石破氏

自民なりさすが政権与党なり自ら気づく悪政の道

この度の選挙は自己覚醒を促して政官民の規律順守を

正論を吐きて党勢を拡大す野党の諸君へも送る喝采

この度の選挙は自らを覚醒し旧弊打破に勉む国たみ


    まぶしい秋の日差し

秋の氷雨が上がって、今朝は気持ちの良い日差しが差し込んで、穏やかな世の中の一時を味わっている。いっときと申すのも、四日前に行われた総選挙の即日開票と、大きな政治の転換を示す結果が示されて、その衝撃と動揺が収まりかけているさなかであり、そうした騒がしさが早く収まって確実な方向が示されてほしいと願う心境だからである。明るい穏やかな秋の日差しを感じながら、今の世の中の様子を静かに重ね合わせている。そのうち政局も落ち着くべきところに落ち着いて、安寧を享受できる日が必ず近いうちに来ることを確信している。


明けて月末31日は、昨日に引き続き穏やかな日和となった。天気予報によると、強烈な台風が台湾南東にあって進路を西北に変えて台湾に上陸した後、向きを45度変えて日本に進路を向けていくということである。依って前線が北に押し上げられて、月替わりの明日からは雨になるとの予測である。横浜に月末の仕事を控えていたので、家内を伴い車を飛ばして昼頃に家を出て、第三京浜を久しぶりに走っていった。比較的すいていたので早めについて元町の商店街を入ろうと思ったら、町はハローウィンでにぎわい通行止めになっていたので通過した。
  お昼に横浜に来ると行き付けに中華料理の安直な店、「奇珍」によろうとしたが休日であったのでやむなくユータン。車を走らせているうちに中華街に出てしまった。中華街駐車センターの3階に車を止めて街中に出た。中華街一帯は平日だというのに人ごみでごった返していた。日本人でないことは確かである。だとすると、きっと大部分の人たちは、中国や韓国といった東南アジア系の人たちであろうと思われた。フランス映画「天井桟敷の人々」のシーンに出てくる「タンブル大通り」の人混みを思い出しながら、絶世の美女ガランスが居るかもしれないと想像し、近ごろの、特に若い女性たちは化粧のうまさもあるかもしれないが、映画に出てくるような目を引く美人と思われる女性が多いと思った。最も、小生の毎日の通勤路は銀座のど真ん中を通って出勤してくるので、驚きはしないが、今日の場所は横浜の元町や、中華街なので異国情緒も手伝っているかもしれない。中華街ではせっかく妻ときたのだからこの際贅沢をしようと、さる有名店の御三家のうちの一つに入って昼食をとることにした。中国の上海、蘇州に来たような豪華な雰囲気の建物である。贅沢な食事と称しても、高々昼食である。大袈裟なことでもないし、大した金のかかることでもない。帰りには大きい袋に入った名物の甘栗でも買っていこうかなと思っていた。
  横浜は家内が生まれ育った街である。今でもそうだが結婚当初は妻の浜っ子、亭主の江戸っ子と云われるほどに、生活環境は全く正反対であった。第一、パンを主体とした食事と、米を主食とした生活、大掴みでいえば、「港の見える丘公園」と「浅草三社祭」といった風土の違いと気風の相違があるかもしれない。箸とフォークの違いである。妻も慣れるに苦労したに違いない。住まいは山手の広い土地に位置していた。敷地の一部は、米軍の高級将校の住居に接収されていた。そのためアメリカ人との付き合い載る環境であった。学生時代はフェリフスに通っていたので、山手辺りを往き来したりすると大層喜んだりするので、今日のような車の運転の仕甲斐もあるということである。
  家内の父、周次郎は横浜きっての経済人であったし、戦後の経済復興に大きく寄与した。先代から引き継いだ生糸取引では、自らも小島周次郎商店を経営し、横浜生糸取引所の理事長も務めた。又、戦後は小島証券を設立し、港湾、船舶に関する東洋信号通信社も設立して活発な経済活動を繰り広げ、横浜の経済復興と発展に大きく寄与した人物である。横浜商工会議所の会頭や横浜ロータリークラブの会長、神奈川県証券業協会理事長などもやっている。横浜新聞社の発行した「生糸とともに」の著作も残されている。そんなわけで街なかの色々なところにそうした痕跡を伺うことが出来るので、横浜探訪は大きな楽しみであり、今にして懐しい思い出である。
  この日の夕方は時間もなく、突然だったが家内の姉の恵子義姉宅に寄ったのである。久し振りに遭うことだったので、お互いに大変喜びあった。健康な体でいることを確認して、安心したのである。孫娘の二人がそれぞれに、どうしても自分の部屋が欲しいというので、この年齢になって一人娘の家族のために、山手から下に降りて新規に土地を取得し、家を新築するという大事業を、女手一つで成し遂げてしまった。江戸っ子風で表現するならば静かな「肝っ玉母ちゃん」というところだろう。主人に先立たれてから十年近くなるだろうに、その彼は小生とも気脈の通じた良い人づきあいで、思い出すに惜しくもあり、寂しくもある。言行一致、昭和経済の愛読者だけあって豊かな感性の知識人だけあって、やること全てに納得がいった次第である。恵子姉は、昭和経済会の長い会員である。  続   10月31日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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