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VOL.24.9
九月初め
広範囲に暴風圏を伴って本邦を襲ってきたノロノロ、ウロウロ台風10号は、三重から知多半島を通り伊勢湾を通過、日本の屋根、3000メートル級の名峰が連なるアルプス山岳地帯に激突しながら勢力を損ない、熱帯低気圧に変わっておそらく新潟方面に散っていくと思われる。目下は、これ以上の災害を免れて安堵しているところである。但し大量の雨を含んだ暴風圏が広範囲にわたっているので、気圧配置によって上空の大気が激しく動いて不安定であり、謂うところの線状降水帯が発生しやすくなっている。従って、更なる大雨を齎す可能性が否定できない。引き続き厳重な警戒を要する現状である。願わくば、こうした複雑な気圧配置が解けて、さわやかな秋風を伴った気候が早くやってきてほしいと願うばかりである。
このところ変な風評が流れて、コメがスーパーや店頭から消えてなくなっているという話である。家庭の主婦は戸惑いを隠せないようで、在庫のある店を探し当てては買いだめに走っているという。加えて今回の台風10号の被害が甚大で、コメの収穫前の時期に合致しており、農家の稲の収穫作業が最悪といううわさがながれているが、過大な風評のような気がしないでもない。冠水した田んぼではコメの収穫が難儀であるが、全体がそうした状況ではないので過度の心配が杞憂に過ぎない。拙宅では夫婦二人の生活で、食料品の中には生協から取り寄せているものもあり、コメなどは取り過ぎて余っている状態である。
コメは今新米が出回る前の、ちょうど端境期にあって、平年作以上と云われている米作で、コメ不足といった状況ではないと思われる。インフレで何もかも値上がりする中でコメだけが安定した価格を維持してきたので、騒ぎ屋が少しばかり騒いでみたい気を起こしたのではないだろうか。
騒ぎ屋と云えば、今月は政治の世界で大きな動きがある。自民党の総裁選挙と、一方の野党の諸君たちの、立憲民主党の代表者選出の選挙である。自民党は裏金の処理を誤って退陣に追い込まれた岸田内閣の後釜をきめるものである。政策集団という美名に隠れて悪しき存在だった派閥は、裏金作りの母体であって悪しき集団であったに過ぎない。民間だったら脱税と称され、刑事事件で訴追されるところである。麻生派を除いた他の派閥がほとんど解体されて、国会議員が自由に総裁候補に立候補できる環境下での動きとなっている。但し、推薦人の20名さえ確保できればである。現在のところ自民党は10名が名乗りを上げて、我こそはと云わんばかりの賑やかさである。雨後の竹の子みたいに候補者がでてきているが、政策論争が活発になって活性化されることが望ましい。 続 9月1日
秋浅き日に 九月は長月
大雨を伴って大地を荒らしまわった台風10号が去って、上空には久しぶりに秋空がひろがって、日照りの時は兎も角、日がかぎったりすると、吹きつける風に何気なく柔らかさが感じられて、赤とんぼと一緒に秋の風が吹いていくのが目に見えるようである。昨日までの湿った蒸し暑さと違って、気温の下がったさわやかな風が、そのまま肌身に触れていくのを覚えて「小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた」とつぶやきたい気持である。裏の屋敷の小池さんでは二週間前から庭師が入って、大きな樹木の枝はらいと細かな剪定を済ませたので北側の裏庭が明るくなったせいか、今日は台風一過の朝日がさんさんと家の隅々まで照らしているににびっくりしたが、何とすがすがしい気分になれるのだろうか。台風の影響で早くから雨風の鬱陶しさに慣らされてきたせいで、久しぶりの朝のひかりに瞬きする感じであった。庭を見たら、以前から灼熱の日差しと猛暑に疲れ切った芝生が、台風一過の日差しに真っ青に輝いているではないか。植物にとっては、まるで春から初夏にかけての季節に巡り合えたような雰囲気で、生き生きとしていたのである。ハイビスカスの真紅の花の色は兎も角、濃い緑の葉が深々とした色を漂わせているではないか。気候を敏感にとらえて、正直であるがゆえに美しい。
唯ハイビスカスの花を見ていると、短命なのと、しぼんで行くさまが余りにも哀れな気がして、一人で見ていると涙が出てきてしまうような気がしてならない。つつましく花びらの一枚一枚をきれいに畳んで、静かに花を閉じていくのが嘆かわしいのである。亡き骸は実に綺麗で、そのまま鑑賞を続けていくことが出来るほどの生気を残しているので、開く前のつぼみと見間違えてしまうほどである。名残惜しんで成仏できないような気もしないでもないが、死にざまの何と美しいことか、教えられるところが沢山あって、ハイビスカスになりきって物思いをしているのである。未練がましくこの世と断ち切れないでいるのか、無垢のままに純粋に立ち返った姿なのか、判然としないままに、呆然たるままのわが身である。
月の夜は長くあらまし趣きのあればあるまま長月の夜
葉月より長月に居てほほえまし暑さやはらぎしのぎ良きかな
長月に入りて半ばを過ぐる日の猛暑にくらむいまだ真夏の
ながながしあらしの去りておおぞらに青く広がる秋のそらかな
あまたらすおほきほとけのおごそかに伏すまなざしに秋の風吹く
いにしえの人の思ひを秘めて座すおほきほとけのかくも気高き
いかるがの里
青草のおほふ若草山に立ち眺むうららな大寺(おほてら)の屋根
秋の日のまどかな若草山に立ちうつろひ眺むいかるがの里
大寺の屋根うららかに映ゆる日のいつしか秋は暮れにけるかも
みほとけをまつるみ寺に松風のすぐるあしたに訪ねくるかな
夕映えの空なつかしくその昔しのぶほとけの姿浮び来
あどけなくつややかに見ぬみほとけの赤みをさした頬と口もと
面だちに愁ひを秘めてにほやかに祈りて立てる若き阿修羅よ
闇の世を隈なく照らしいつくしむ天たらす身の我が前にます
闇の世に手をさしのべて愛ほしく苦悩の民を救ひ給へり
荒ばくの彼方を見据へ極めたる広目天のまなこけはしき
空海の教へにならび目を開き汎(はん)我(が)一体の理(ことはり)に立つ
天空をにらみ辿りぬ空海の汎我一体の我と汝の
運慶がみの振り彫りしみほとけのおごそかなりし大日如来は
みほとけのまなこかすめて荒漠のかげはるかにも極め見るかな
興福の寺のおくまに秘めて立つ若き阿修羅にそそぐ秋の日
なにがしか我に語らむみほとけのそのまな差しにひかれ立つなり
わらべともさは少年とも思へかし澄めるまなこと赤き口もと
大和路をめぐりてくれば秋浅きみ寺に居(を)はす物思(ものも)ひの人
いくたびそめぐり逢ひたる尼でらのみろくぼさつにすがる我かも
つやめきのほとけにふれし我れが身に燃へたつ火にて明かす内かな
細き身のほとけにふれてなまめかし畏れ多くも百済観音
柿の実の色づく頃のいとほしき思ひにしたるいかるがの里
丹頂の鶴にも似たる細き身の百済ほとけのつやめき立てる
つれづれ
好みて
思へらく大暑を過ぎておのづから風のそよぎに秋の立つ見ゆ
赤く咲く真夏の花の間をぬけて鳴き終へて発つ蝉のあとかな
いつの日か大暑をすぎて我が身にも秋めく時のめぐりくるなり
夏雲のうねる盛りの大空を縦に引き裂く太き稲妻
顧みて親しき友の逝くあとにこみ上げて来ぬあつき涙が
さまざまに行き交う人のまちなかに亡きともがきの面影を見ぬ
寂しさに立ち出でて見ぬ月影に夜を渡り行くかりがねの声
大寺の屋根に降りしく秋さめのしずく集めて流れゆくかな
木斛の茂みの枝を払ひても早や青き葉の燃えて盛りぬ
裏方の屋敷
拙宅の北側に小池鎮雄さんの屋敷がある。5百坪ほどの広い屋敷だが、この辺の昔からある農家の一族が遍在し、屋敷の周りにはいまだに広い植木畑や農地を以て、生計を立てているまじめな人物ばかりである。先祖伝来の土地を手放したりするようなこともなく、しかし時代の開きに取り残されていくような雰囲気を感じたりしないでもない。後進性の強い地域だから、生活はいたって地味であり、人物像は寡黙でまじめである。時の稀であろうか、ある人は住宅建設や、賃貸住宅を建てて土地の一部を転用して不動産所得を得ようとしている農家もある。住宅会社に進められて規格に乗ったというケースである。小生が縁あって取得した今のとどろきの地は、地主の小池銀次郎さんが木更津に広い土地を取得したがために、もともと代替地として売却することになったいきさつがあったようである。運よく小生がそのタイミングの話に乗せていただいたがために、この立派な地域の土地を手に入れることが出来だ次第であった。銀次郎さんは拙宅の斜向かいに住んでいらっしゃるが、亡くなられて30年近くなるだろうか。この辺りは昔から農家を兼業とする人が多いため、現状が維持されて樹木の多い環境の良好な場所となっており、趣きは違っても、田園調布と隣り合わせというに名をとどめているわけである。その時は家内と一緒に何度か譲ってくださるように頼みに行ったが、熱心な我が若夫婦の願いを聞き入れてくれた先代の銀次郎さんご夫妻の暖かいご配慮が下ったわけであり難く思っている。
考えようでは、当時の建売業者の手に渡らなくてよかったということもあるし、だとすればマッチ箱のような家が所せまく建って、環境もみすぼらしくなってしまったかもしれない。しかしそうでなく以前のような環境を続けて残すことが出来小池さんもよかったに違いない。しばらくして小池さんは宅地の大きな敷地を活用して、共同賃貸住宅を建てて堅実な不動産所得を得ることになった。請負業者は積水ハウスなので、センスに満ちて西洋風な雰囲気が一帯に漂っているので高級感が湧いていることは事実である。拙宅に訪ねてくる友人などは、感じの良い見事な雰囲気だなと感想を漏らしたりしている。事実、拙者も気に入って住環境がエキゾチックであり、広々とした空間が活きて素晴らしい効果が発揮されていると思ている。居ながらにして、軽井沢に住んでいるような心地である。はす向かいの小池さんの屋敷が斯様に情緒あふれつものになったうえ、裏の小池さんの屋敷は贅沢で豪奢な庭になっているから、見事な環境の中に鎮座ましましているということになるのではないか。今の住宅を普請する時には、そうしたことに配慮して、北側には広く窓を取ってあるので、周りの景色は借景そのものである。加えて裏の小池さんの東隣りの、鈴木さんのお宅も広々とした庭続きの住まいであって、農家を職業としているので、東にも空間が広がっている。想像して余りある。あり難いことである。卑近な話になって恐縮だが、風呂場から眺めた樹木の景色ばかりではない。トイレの上窓から見通す小池さんの巨木、槙の木であるが、用をすます間、その綺麗な立ち舞にいつも見とれているのである。まるで娘道成寺の踊りに引き回す菅笠のように、刈り込んだ槇の老木は何とも美しく、この庭だけに置くいておくのは勿体ないと思うほどに、圧倒的な美しさを以て実に圧巻である。
9月3日
我が宅の風呂の窓より眺めつる娘道成寺の笠をつけた樹
湯につかり心やすけく眺めつる裏の屋敷の銘木の幹
四国より運び寄せたる瑞石の趣きあればしばし眺めむ
五尺余の灯篭の立つおほにわの蔦を払いて庭の引き立つ
こまごまと細工施す敷石の銘石なれば味はい深し
十日まえ庭師が入りて剪定す樹木の姿冴えて見栄へぬ
快晴の秋
吹く風は柔らかく、清々しさは抜群の味わいである。起きざまにすべての窓を開け放ち、澄み切った初秋の風を家の中に送り込んだ。ひんやりとした風が通り抜けていく。思はず家内と顔を見合わせて「お父さんの目が光っているわよ」と言われたりもした。さもありなんと思ったのである。熟睡して気持ちよく、蒸した濡れタオルで体をふいてきたばかりであり、心臓も大きく呼吸していれば、拭き取られた体の毛穴も広がって呼吸しているし、血管の有酸素とヘモグロビンも溢れて血管を流れる血液は、酸素いっぱいである。その酸素も、庭の樹木の茂みから作り出されたばかりで新鮮ある。「目が光っているのもそのせいだよ」と洒落ともつかない返事をした。そうねといった妻も、庭に向かって大きく深呼吸を繰り返していた。天を仰げば雲一つなく空は真っ青に広がっているし、庭の芝生は活き活きとして青ぎっているし、樹木は深々とした緑青に覆われている。吐き出される豊富な酸素は推して知るべしで、密度が濃いし質度は高いはずである。旨いはずである。
僅かばかりの庭畑を見て、先刻雑草を抜いたばかりだから、しばらくして秋野菜を栽培するため、肥料を多めに散布しておこうかと思っている。腐葉土のほかに油粕や、リンなどが畑にとっては必要である。石灰をまいて土の酸性を除去しておく必要がある。この週の土曜日辺りに砧の農協まで車を飛ばし、大袋に入ったそれぞれの肥料を買ってこようと思っている。畑を整地し肥料をまいて、しばらく畑を休ませておいてやることも大切である。キュウリ、ナス、ピーマンといった成り物をたくさん収穫させてくれた土壌は疲れ切っているはずである。十分な休養を与えてやりたい。次に耕すときには赤く染まったミミズが沢山、元気よく飛び跳ねてくるに違いない。ミミズが飛び跳ねる高さで、土壌の豊かさが、野菜にとっての良質の良しあしが図れるというものだる。
耕すときはシャベルを以て土を掘り返しているが、スタミナが衰えてきているので仕方がないが、無理せずに二、三日かけて土をひっくり返している。広ければ耕運機でたやすく作業をするはずだが、北海道の帯広平野でジャガイモを生産するのとは、そもそも趣旨が違っている。吾輩の場合は、いかにして体の隅々までに筋肉を鍛えて活性化させるかが目的であり、したがって精神衛生上も、極めて健康重視の鍛錬と心得ているといったささやかな目的がある。従って、横浜は山手の上品なお嬢さんで、土いじりなどして育ったことのない家内を巻き込んで、健康のためだと諭して手伝わしたりしている。昔だったら家内の両親、親戚辺りからどやされるところである。
その昔若かりし頃はロマンに明け暮れて素晴らしい思いをしたりしてきたが、やはり年齢とともに精神的にも、肉体的にも馬力が落ちてくる。北海道の帯広の大平原に立って、白樺林を何町歩も買ってみたりした。札幌のど真ん中を買っていれば、物凄い価値を生んで資産家に慣れたに違いないが、目的が違っていたので広大な大地に立って、気宇壮大を極めたりして喜んでいたりした。当時は特別土地保有税なる制度があって、土地の登記を抑えるべく、取得した際に税金が高く10年に及ぶものであった。持っているだけで否応なしに税金がかかってくる。精神的に良いはずがない。その後は損をせずに処分してきたが、紹介してくれた地元の末谷さんは、その後どうしているかといつも懐かしく思っている。
泉 健太殿
立憲民主党の泉健太代表を招いて、現下の情勢を踏まえて話をお聞きしたいとかねてから思っていたのであるが、折しも政治の世界は流動的になり、どこもかしこも選挙戦に突入するさなかと相成ってしまった。立憲民主党では4人の候補者が名乗りを上げて代表選出に活発な意見が戦わされているが、泉代表のほかに、元首相の野田さん、代表を務めた枝野さん、衆議院一期生の 酸といった人たちである。泉代表には超ご多忙のなかに出くわしてしまったが、当会の講演会の講師をお頼み申していたところ万難を排してご準備いただき、個人としてではなく立憲民主党党代表としてお見えいただくことになって、感謝申し上げる次第である。依って、9月6日の午後1時から銀座三笠会館にの会場にて有意義に開催された次第である。見るからに若々しく、今年50歳と申されるだけあって溌剌として生気みなぎる感じであり、自ずから周囲を明るい雰囲気に満たしてくれるのは、孔子が謂うところの「天命」の年にふさわしく充実の意気に十分満たされていると感じ取ったのである。
自民党は、昨年暮れ辺りから、政治資金規正法の違反事件で、中でも裏金作りが発覚し、裏金問題と、派閥の関係で悪臭ぷんぷんの状況であり呼吸困難をきたし、心不全の在らぬ状況となってしまった。解決に取り組んてきた岸田内閣であるが、国民の大きな反発に対応出来る段階ではなく、懸命の打開策を講じながら、問題解決の取り組んできたが、国民の支持率低下に歯止めがかからず、日々更新する始末であった。もはや操縦不能に陥った。任期を迎えた岸田は総裁選に立候補することを断念、それを以て自らの責任を果たすこととした。
裏金の震源地となった旧安部はでは大半の議員が裏金に関与、謂うところの幹部五人衆が検察にマークされ泥を吐く始末となって自滅、百名を抱して隠然たる勢力と影響を持った自民最大の派閥は解体される憂き目と相成った。そして他の派閥も世論の圧力に屈した旧態のボスたちは、こぞって逃げるようにして派閥解消に走ったのである。現在は麻生派だけを残すのみとなって、腐りきった派閥によって支配され、政治が行われてきた体制は一気に瓦解したのである。結果、今回の総裁選候補者も、派閥にとらわれず、自由に自分の意志を表明して総裁候補に名乗り出ることになり、20名の推薦人を確保して、現在十名の候補者が名を連ねている状況である。従来経験したこのとない乱立気味の様相であるが、12日告示、27日投開票により上位二名によって決選投票となり、最終的に総裁選が行われ、新規に総裁が決定されることになる。願わくば自由闊達に議論し、自身の政治理念と信条、そして政策を具体的に発表して、十分に論戦を交わし、国会議員と地方党員の票の獲得に走ってもらい、ひいては国民の信を問う体制を作ってもらいたいものである。それができるかどうか正念場を迎えつつある。
裏の世界にはまって濡れ手に粟で汚れた裏金作りに奔走してきたが、窮した挙句に追い込まれれた自民党である。裏金と派閥といった今までの、腐りきった体制を続けることが最早できなくなった。裏金と談合によって指導者が決まってきた戦後からの日本歴史に、終止符を打ったわけで、どこまで澄み切った政治が期待できるか、今回の総裁選は大きな意味合いを以て、真の意味から、長く続いてきた戦後の派閥政治に決別していくことが出来るか、大きな転換点に差し掛かっている。
一方、迎え撃つ野党の諸君たちにも、野党第一党の立憲民主党の代表選が任期終了に伴って行われることになっている。自民党の長期政権を許してきた弊害の遠因は、自民党に対峙する野党の諸君たちの実力不足が遠因となっている現状は忸怩たる思いがする。健全な自民政権の維持には、健全な野党の存在と、野党議員諸君の研鑽と実力の蓄積が必要である。野党の諸君の健全なる存在と発展は、同時に政権与党の自民党の活性化を促し、常に緊張状態に置くことが出来るのである。期待するのは、両党が原則論にとらわれず柔軟な手法を以て治世が行われること、研鑽によって民意を汲んだ基本的な政策に大きな隔たりがなく、政権交代が円滑に進められることが期待される。 続 九月九日
少年よ大志を抱けの教訓を身につけて立つ泉代表
ボーイズ・ビ・アンビシャスとのたまひて帰国の途に就くクラーク先生
札幌の地に生を受く泉氏の大地のごとき人となりしよ
泉氏の政治理念を篤と聴き日本政治に安堵いたせり
溌剌とあたかも青年の内を聞く泉代表の政治への道
見渡せば雑魚ばかりなる政界の特に野党の台頭を期せんと
立憲の中に老いぼれのたまに居て横槍はさみ醜態なりき
壊し屋の小沢が今にしゃしゃり出て口を挟むは見苦しきかな
蓮舫のこの時になく惜しむべし時と処に生死刻めり
都知事より党代表に似合ふかな蓮舫議員の失職のあと
状況を見誤り周辺の蓮舫氏の才智を生かす機会なくして
代議士は落つれば只の人となる蓮舫議員の屋台崩れて
政界は一丁先が闇なりと古参代議士がかつての給ふ
総裁戦に出馬せぬとの岸田首相乱世の風に吹き飛ばされぬ
混沌の政局に在り日本の保守勢力の健在の可否
此の度は立憲民主党の泉氏を講師に招き講話聴かむと
健全な政党政治の育成に野党の存在の如何にあらむや
健全な与党の存在の有無も又、野党の責任と覚ゆ昨今
魅力ある政治家が居て指揮をとる政党政治に欠くべからざり
懸命に努力奮闘の首相なりされど天命にさからい能はず
天の声聞き及ぶかやわが総裁、総理の椅子にこだわるなかれ
一度でも意を叶へしは立派なり天下国家の総裁の椅子 9月10日
孔子の教え
今から千四百年前のこと、中国に孔子が生きていた時代である。孔子は論語を著して世の人々を導いた。今も厳然として、その教えは我々の魂の中に生き続けてきている。論語の中に学而なる章があり、有名な教えがつずられている。曰く
我十五にして学に志し三十にして立つ・・・・
そして 五十にして天命を知る・・・・と。
一昨々日に立憲民主党の泉代表を招いてお話を承ったが、泉代表は自らの紹介で、ご自分は今年を以て、満五十歳を迎えている旨話された。そうか人生百歳といわれる昨今であるが、泉さんはちょうど折り返し点に向き立ち、今、画期的な時点に粛然として立っているわけである。そう思ったりすると小生も同じ心境に立って、己を顧みて粛然たる心境に立ち返るのは、ひょっとすると泉さんが発するインスピレーションの成せる業ではないかと思ったりしたのである。若さが凛凛として漲っているし、輝くまなざしは誠実さが漂っているし、明るく希望に燃えているようである。小生も一緒だと、己に確信の念を持たせるに躍起となる心境であった。多くの人をして、斯くも熱烈なる心境に至らしめているかもしれないと思った次第である。事務局長を務める山本君も同様の意見を吐露していたので、間違いはないはずである。
天命と云えば深遠な注釈がつけられてくるかもしれない。しかも人によって受け止め方が違ってくるだろう。そこから先は耳従い、そして矩を超えずと孔子は人生の奥義について説いていくのである。
孔子の言うところの天命の先については、六十にして耳従い、七十にして己の欲するところに従いて矩を超えずと喝破している辺りが、清廉、沈着にして豪快そのものの心境というべきかと思っている。千四百年前の社会では、おおよそ人間の寿命といった考え方は、平均的に見て40歳辺りではないだろうか。従って五十にして天命を知るといった思想が生まれてくるのである。幸いなことに現代で「五十にして天命を知り」という考え方、心構えといったものは妥当性があり極めて明快に通じるものがあるので、意味の重い内容として受け止めている。六十、七十は神のみぞ知るところの境地であり領域だとすれば、人知の及ぶところではないと諭して余りある気がする。「人生、七十にして古来稀なり」とは杜甫の詩であるが、稀れと称するかぎり、七十迄生きた人は殆ど居なかったということである。それ以上に生きることが出来る人は、そもそも何をやっても完璧だし理にかない、道にかなったものであるというからには、好き勝手なことをやっていっても大丈夫だという太鼓判を押されたようなものである。その年齢まで生きていくことが出来る人は、いないからである。
さすれば、五十の天命とは、自分の人生の総仕上げに近い心境であろうし、無欲恬淡として人生の使命感に至ったものと解釈している。そこで果たしえた仕事といったものは功成り名を遂げた後の余力を以て、「愛和の精神」の漲るものであり、己を無にし自己を犠牲にして人のため世のために全力を尽くす姿であると云っても差し支えないものである。
立憲民主党の泉代表の人がら、人間性に触れて感じたことは、孔子の教えであり、五十時至った泉さんの持って生まれた性格と人柄から発した言動に魅力を感じたのは、小生ばかりではない。出席した会員全ての人が同じ思いを抱いて、泉さんの話を聞き入っていたに違いない。政治に対する思想と政策は違っていても、人間性を解いていくときには万人に共通する点があるので、深さの程度によってかくも価値観の相違が出てくるとは今までに感知しなかったことである。思想的、信条的に反対の立場に立っている場合でも、お互いに譲り合い共通する点を見出して相互理解を深めていくことは大いに可能なことである。それは人間の根底にある価値観を援用することで可能なことではないだろうか。性善説に立った、人間性の発揚である。
十五夜の満月である
今宵は十五夜の満月である。会社かからの帰途、尾山台で家内と待ち合わせてこの満月を眺めながら帰ってきた。びっくりするくらいの大きな満月で、手を伸ばしてみたい気持に誘われるほどに、煌々と澄み切って金色に光っているが、秋の夜空をくまなく照らす名月は、子供でなくても、思わず童心に帰って、自分で届かなかったら、親にせがんで取ってくれと頼みたいくらいである。小林一茶は「名月を取ってくれよと泣くく子かな」と一句を残している。九品仏の方向に伸びた広い道路から遠目に見ると、十五夜の月が、ちょうど道のど真ん中の中天に差し掛かっているので、両腕で輪を描いたように、まん丸るく映っているのである。抱えて見たいくらいねと、妻がつぶやいた。小生も同じように感じた。
今宵、秋の夜空に浮かんでいる美しい中秋の名月である。十五夜の月、この一瞬が永遠に続いてくれているといいと思ったりした。金箔をはったお盆のような月がじっとして宙に浮かんでいる。このままの満ち月の、光の影が少しずつ欠けていってしまうのが勿体ないと思ったからである。零れ落ちてきたら、さぞかし籠をかざして拾い集めるだろうと思った。日本観測隊が南極で発見した火星の石も貴重だが、十五夜のしたたり落ちる雫の方が尚一層惹かれる感じがする。火星の石は、大阪万博の会場に置かれるそうだ。
大相撲の九州場所
福岡で開かれている大相撲の九州場所では、横綱、大関といった上位力士が休場する中、若手の台頭が目立って、連日大入り満員の垂れ幕がかかって景気がいいと、さすがに九州場所にあやかっているという感じである。土俵に賭けられた賞金の旗が何本も土俵脇をめぐって、「はっけよい」の相撲に馬力をつけている。土俵に上がった力士たちは、自分にかかけられている賞金の数に目がくらんで、勇み足の土俵割れをやってしまったりすることだってあるに違いない。賞金の束に目をつぶれというのも酷である。大勝を果たし、行事からお祓いを受けた賞金の束を鷲ずかみする力士は、表情は崩さずにいるが心の中では大笑いしているに違いない。
前頭五枚目の宇良と大関・琴桜の一番では、随分と大きな、多額の賞金がかかったが、立ち合い前から、大きな琴桜にぶつかっていく宇良に応援をしたい気持が湧いてくる。仕切りを繰り返すときから、既に大一番が始まっている。番狂わせになってしまったが、この一番では宇良が、大関の大きな体の琴桜を一気に土俵際まで押しまくって寄り倒してしまった。多額の賞金に、猪突猛進の息を弾ませた宇良が白星を挙げた一番だった。対した琴桜は、前頭五枚目の小さな宇良に対して全て気合負けであった。宇良は子供みたいな顔をして喜悦満顔、大きなの額の懸賞を手に、花道を降りて行った。
因みに、一本の懸賞の幟には、いったいなんぼの金がかかっているのかご存じだろうか。旗は変わって、白い和紙にくるまって勝ち名乗りを上げた力士に渡されるが、中には何枚かの万札が入っているに違いない。不思議と今まで調べてみたことがないのである。山のように積まれてつかみきれない時があるが、上を見上げれば、場所は大入り満員の幕が垂れ下がって、人の稼いだ金を勘定して見たところで野暮ったし、けちけちしたことが言えない気分になってしまうのである。大入り満員の垂れ幕は、何と気分のいいことか、他人事ながらでかい気持ちになってきた。
代表、総裁選挙の時
野党第一党の立憲民主党の総裁選挙が23日に終わった。野田佳彦、枝野幸男、泉健太、吉田晴美の四人が立候補して代表の椅子を争ったが、上位二人の元首相を務めた野田氏が、枝野との決戦投票の結果、野田氏が代表の地位を獲得した。裏金と派閥政治を行ってきた自由民主党からの政権奪還を目指して戦うしかないと連呼してきたが追い風であり、野党に降りかかった現実はまさに政権奪取の千載一遇の好機として捉えるしかあるまい。選挙民の心をつかんで子これらの野田が果たして元首相に帰り咲くことが出来るか、これからは政局は天下分け目の戦場になるかどうかにかかってきた。
一方の自民党であるが、九人の候補者が総裁の椅子を狙って激闘を繰り返した居る。各候補の掲げる主張を見ていても、それぞれ高みを目指した目標と期待をかかげて立派であるが、「のど元過ぎれば」では困るのである。みんなを総裁に置くわけにはいかないので、甚だ残念であるが、政治理念を訴える政策だけでなく、候補者の仕草や態度や、表情なども見て品定めをしなければ、更にはもっと掘り下げて、私生活や人間性にまで観察を及ぼしていかなければならない。
ソクラテス時代に遡って、説得力と雄弁術まで勘案したりしているが、魅力の一つに若ければ良いといった単略的なものでなく、踏み入って人間性にまで探求していきたい気がしないでもない。ご自分でも自嘲的に言われているが、しかし顔は怖いが、気の優しく、外務大臣や防衛大臣等々の経験者の年期の入って、且つ清廉潔癖な石破さんなどは一度やらせてみたい気がする。五回目に当たる今回の総裁選に挑戦している。その根気の強さとしぶとさは言わずもがな、右顧左眄せずぶれないところが政治家として魅力を感じるところである。当会には二度の講演にお見えになっているが、政治的理念と実行力はもとよりだが、押し出しもよく、東洋的風貌が実に魅力的である。温厚かつ徳性を備えて人間的にレベルの高いところをめざしている。日本が世界に発信していく政治的期待を、重厚な人の口から説得力を増して述べ伝えていってもらいたいと念願している。
見渡せば雑魚ばかりなる政界の特に野党の台頭を期せんと
立憲の中に老いぼれのたまに居て横槍はさみ醜態なりき
壊し屋の小沢が今にしゃしゃり出て口を挟むは見苦しきかな
蓮舫のこの時になく惜しむべし時と処に生死刻めり
都知事より党代表に似合ふかな蓮舫議員の失職のあと
状況を見誤り周辺の蓮舫氏の才智を生かす機会なくして
代議士は落つれば只の人となる蓮舫議員の屋台崩れて
政界は一丁先が闇なりと古参代議士がかつての給ふ
総裁戦に出馬せぬとの岸田首相乱世の風に吹き飛ばされぬ
混沌の政局に在り日本の保守勢力の健在なるや
此の度は立憲民主党の泉氏を講師に招き講和聴かむと
健全な政党政治の育成に野党の存在の如何にあらむや
健全な与党の存在の有無も又、野党の責任と覚ゆ昨今
魅力ある政治家が居て指揮をとる政党政治に欠くべからざり
懸命に努力奮闘の首相なりされど天命にさからい能はず
天の声聞き及ぶかやわが総理総裁の椅子にこだわるなかれ
一度でも意を叶へしは立派なり天下国家の総裁の椅子 9月24日
富士ビューマンション
富士ビューマンションはリゾートマンションとして長尾峠の眺望絶佳の地に建築された。国立公園では唯一、ここだけが白亜の美しい建物として許可された経緯があった。下に下っていくに従い、ベルビューゴルフ倶楽部、そして続く御殿場ゴルフ倶楽部の二つのコースがあった。ベルビューと、このリゾートマンションの間には、いろいろな商業施設や宿泊施設があって、最盛期には近郊から訪れる観光客が沢山いて、実に賑やかであった。どこからでも富士山が広々と眺められ、雄大な景色を誇っていた一大リゾート地域だったのである。一見してどこにも負けない景勝地に立つ近代的な保養地として栄えたのであるが、バブル崩壊とともに客足が遠のき、加えて当時の経営者が怠惰であったために施設の荒廃が進んでいってしまった。バブル崩壊の時はどこでもそうであったが、時代の荒波を超えて、二つのゴルフ場が健全に稼働ししている。マンションから近かったので昔は度々ゴルフを打ちに行ったが、富士に向かって白球を撃ち飛ばすコースは、実に爽快である。我が富士ビューマンションは所有者が組合を結成して独自に独立した形で健全に維持、運営して、時代の波に吞み込まれないよう堅固に運営を図っている。
小生は昔、この富士ビューマンションの五階部分を所有していた富士石油から縁あって譲り受けた。夏の休暇を過ごすには、東京から至近距離にあって至極便利である。取得するまでは、夏になると軽井沢のホテルを借りたりしては夏場を過ごしていたが、母が恒常的に夏の暑さが耐えられなくなってきたので、手近かな箱根を選んで富士石油から譲ってもらった。東名道路の御殿場インターチェンジから箱根の乙女峠を目指していくコースもあるが、途中かから右折してらつづら折りに行く道路になると、箱根スカイラインに通じたコースを走って長尾峠のトンネル手前の右手に所在している現場につく。ここから見た富士山は雄大華麗であり、あたかもつかみ取りできる絶好の景勝地であって、すそ野に広がる御殿場の市街地も小さく点在して夜景は美しい限りである。
このコースを走るのとは別に、下からいきなり御殿場ゴルフ倶楽部の脇の道を登り、続くベルビューゴルフ場を抜けて敷地内の道路を通って富士ビューマンションに通じた道もある。直線コースで登坂するので急であるが距離的、時間的にもこちらのコ-貸別荘やそうした施設は次第に閉鎖されて、ついには全ての施設が閉鎖されたままとなってしまい残念である。
私はこれ以前に、日本精蝋が保養地として所有していたセイロー山荘に、浅草から母を招いて一か月ほど拝借したことがあった。八ヶ岳を望む茅野の涼しい場所にあって、蓼科高原の風光明媚な地に立っていた木造建ての大きな一軒家で、温泉付きであった。一人になったときの母は寂しかったに違いないが、その間、わたしたち家族が、弟家族も含めて全員で二泊ばかりしたことがあった。そして皆で周辺の名所旧跡を訪ねてドライブを楽しんだことがある。母は大層喜んでいた。手配してくださってのは、当時の日本精蝋の総務部長をしていた頃の井上寛さんであった。のちに社長になられたが、人柄の温厚で品のある人だった。そうしたことがあったので、若いころは避暑地に良いところを持っていたいと思うことしきりであった。もちろん、軽井沢の南原往還の場所に大蔵省の杉田さんから譲ってもらった土地があったが、会社の商品として持っていたので、ぜいたくな建物を立てないと格好がつかないこともあって、当時の若造にしてはあまりにも贅沢過ぎることで躊躇していたのである。軽井沢は馬鹿当たりして値上がりは他の土地と比べて比較にならないくらいであった。そこは利用せずに一昨年、縁あって目黒に在住の医者に売却してもらった。軽井沢駅近くの懇意にしている軽井沢リゾート開発に仲介に立ってもらった。場所によっては、土地の価格も浮き沈みが激しいことは常識である。その後の激しい経済変動をまともに受けて、脆弱な開発企業は皆整理、淘汰されていったものである。御殿場ゴルフ場はそうした波を乗り越えて健全に経営している。
ただベルビューゴルフ倶楽部と富士ビューマンションの間にある広大な敷地と、そこに点在していた商業施設は残念ながら、閑散とするうちに手つかずになって施設は勿体ない気がする。最近は気が向くと行くことにしているが、夏場のマンションは涼しいこと満喫の限りである。箱根仙石原に下りて、小田急ハイランドの喫茶で高級感を楽しんでくるの飽きることなく、唯一の楽しみである。今年の夏は記憶的猛暑であった。そして大気が荒れて豪雨の襲った都市であった。しかし立秋を過ぎてにわかにさわやかな秋風が吹く時期になった。暑さを逃れて避暑地に逃避することも、ようやくなくなって来た。逆にこれからはあこがれてきた避暑地は、気候変動が夏だけでなく、冬にもその悪影響が及んでくるかもしれない。深い降雪と、極寒である。こうしたことから我々には、地球に温度を1,5度下げるための挑戦が試されてくる。
若者の趣向が昔と変わってきているし、マンションの所有者は高齢化が進んでいて、そもそも来訪者が少ない傾向はいがめないが、そろそろさよならする富士ビューマンションだが、マンションの入居者は、組合の管理費をちゃんと支払って、滞納するものはいない状態で、組合の財政状態は良好であることが、なによりである。ボランチアも最たるものだが、小生が理事長職を務めてい長い年月が経過しているが、その間、人命をはじめ犯罪などの何の事故もなく過ごしてきたことは誠に持って幸いとしなければならない。管理業務を厳しく務めているリゾートマネジメントのおかげであり、管理人のおかげである。管理人の作業もきちんと行ってもらっているからである。昔の一時期、幽霊屋敷とも思われる醜態をさらしていた時期があったが、友人の故・臼井俊昌・関東学院大学建築科教授の指導を得てみんなが協力して力を出し合い、マンションの全面改修工事を行って素晴らしい建物に変容している。地上6階建てのマンシンには50所帯のファミリーが所有していたので、当時、一世帯当たり約250万円ずつの資金を投入して工事を行った。一例として屋根の吹き付けも全面ステンレス版に葺き替えたので、向こう50年はもつとのお墨付きである。なるべく長持ちするよう、心がけていかなければならない。何しろ五十世帯の所有者が名を連ねている建物である。そこで若い人で有能な組合員に、理事長職を務めてくれる人材を気にかけているところである。 9月25日
有意義に決められた自民党総裁
九人からなる立候補者が連日激しい選挙運動を続けてきた後、今日決選投票に持ち込まれて、目出度く自由民主党総裁に石破茂氏が選出された。目出度き事この上ないと思っている。裏金と派閥の形成された自民党にとって、というよりも国難ともいうべき事態に直面し、厳しい国民の批判に晒されてきたが、岸田さんの英断によって新しい総裁の選出が行われたことは、自民党の泥船が沈没せずに救い出されたと云っても過言ではない。石破新総裁の経歴を問うまでもなく、孤高の士として政界を貫き、今日の窮状を救って日本政治史に名を刻んだ救世主と云っても過言ではない。五回目の挑戦であったが、見事にその使命を果たし志を遂げたというべきかもしれない。
青臭いかもしれないが不図、学生時代によく吟詠した漢詩を思い出した。村松文三の壁に題すという詩である。「男児志を立てて 郷関を出ず 学若し成る無くんば 死すとも還らず」。 続 9月27日
決戦投票に持ち込まれた際、穏健で慎重な政治思想を披歴した石破さんに比べ、高石さんは極めて危険な思想を持つ人と受け止められた。しかも女性である候補者が、極右的思想を厳しい表情で言ってしまうと、国民は戦前のきつい国家主義的な政治体制に逆戻りするかといった警戒心にまで行き着いてしまう。例えば高市さんが嫌われた理由のひとつは、総裁になっても必ず靖国神社を参拝する、とはっきりと明言したこと。これだと日中関係がますます険悪になるし、それから日韓関係にも亀裂が入ることは明々白々である。そうすると、今度はアメリカが怒るに決まっている。その前に日本人が、直接に恐れをなしてくるだろう。女性だから走り出すと何をするかわからないという単純な分析をした。高揚と興奮と緊張のあまりとは言え、高市さんのきつい表情を見て恐ろしくなってきた。「真理は単純にして平凡である」。これは師と仰ぐ早稲田大学名誉教授、堀江忠男教授からもらった色紙の言葉である。経済学博士の堀江さんの言葉は意味深いが、私は今これを簡略化して、単純は真実であるという意味に置き換えて見ている。
石破さんは、かって昭和経済会の講演会にお見えいただいたが、その誠実さは今以て変わらない気がする。有象無象と云っては過ぎるが、複雑奇異な政界のこと、純粋な信念を貫いていくことは時に難解なこともあるに違いない。しかし先に掲げた村松文三の漢詩では結語に「人間至る処、青山有り」と見事に喝破している通り、信念堅持、初志貫徹の青年の意気に燃えて王道を行く気概こそ、勝利を不動のものにするに違いないと、石破さんの人柄からそう願っている。石破さんが、自民党から干されていたかもしれないあの時期に、あの時お話になった内容は、月間機関誌の昭和経済に載っているが、機会を見て再度読み返してみたいと思っている。 9月28日
見渡せば雑魚ばかりなる政界の特に野党の抬頭を期せんと
立憲の中に老いぼれのたまに居て横槍はさみ醜態なりき
壊し屋の小沢が今にしゃしゃり出て口を挟むは見苦しきかな
蓮舫のこの時になく惜しむべし時と處に生死刻めり
都知事より党代表に似合ふかな蓮舫議員の失職のあと
状況を見誤り周辺の蓮舫氏の才智を生かす機会なくして
代議士は落つれば只の人となる蓮舫議員の屋台崩れて
政界は一寸先が闇なりと古参代議士がかつての給ふ
総裁戦に出馬せぬとの岸田首相乱世の風に吹き飛ばされぬ
混沌の政局に在り日本の保守勢力を問ふ健在の可否
此の度は立憲民主党の泉氏を講師に招き講話きかむと
健全な政党政治の育成に野党の存在の如何にあらむや
健全な与党の存在の有無も又、野党の責任と覚ゆ昨今
魅力ある政治家が居て指揮をとる政党政治に欠くべからざり
賢明に努力奮闘の首相なりされど天命にさからい能はず
天の声聞き入れたかやわが首相、総裁の椅子にこだわるなかれ
泉氏の講師は適宜にて政界の波風高き秋の陣にて
自民党の健全化に帰す立憲の存在大きく先に及ぼす
自民党の、対立憲民主党、二大政党の育成を期す
人柄も風格もよし天命の年ともなればいざ賭に出むと
代表として立憲民主党の再建に自民と対峙し将来に期せ
精蠟の好決算を発表す明日の動きに値を飛ばすよし
この際は一気に三百円を越して値を四百円台に固定せしめん
精蠟の待てば海路の日和あり先ず躍進の値を期するなり
物凄き暑さの日々に自ずから朝な夕なに覚ゆすがしさ
立秋をすぎて猛暑に一抹の涼しき風の合はせ吹くかな
立秋の夜にも仰ぐ月影の何か優しく身にもおぼへり
立秋の夜を好みて飛ぶ雁のふたつの影に夫婦なるかも
燈ろうの明かりをともし暑き夜をかすかに聞きし虫の声かな
秋近きと己れに聞かせ澄まし聞くこほりぎの声いまだ小さき
寂しさに打ちいでて見ん秋近き夜にともりぬ淡き月影
早期解散に踏み切ったか
石破さんは捨て身の賭けに踏み切った。石破さんは選挙中、解散は年内であっても国民が納得できる材料をお示ししてから解散という姿勢を貫いてきたが、ここにきて組閣を発表して野党との論戦を戦わした後、10月15日公示、27日投開票という方針を示すとのことである。総裁選挙では決選投票で高市氏と争い、もともと絶望的の敗北と思っていたのが、高市さんが嫌がられてアスクに神社の参拝発言が危惧されたというべきか、蓋を開けたら大逆転の決勝になって総裁の椅子を手中に収めた。運命的に拾い物したというのが実感かもしれない。だとしたらここで意表をついて解散に踏み切り、熱が冷めないうちにというよりも膿、ぼろが出てこないうちに解散に踏み切った方が得策と思ったに違いない。
依って公明党との連立政権にも合意した。これも一つの戦略である。対野党の戦略ではない。党内野党勢力となりうるグループを排除する必要がる。熱の冷めないうちに裏金に関係した人物の大方を公認から外し、清廉な候補者を擁立し、党内にくすぶるであろう反対勢力を切り捨てて排除するいいチャンスである。嫉妬深い女性の反撃は鋭いものがある。執着させないうちになるべく動きを押えながら削り落としていくしかない。要は国民の信頼を得ることが大事である。そのために総裁選で石破に投票した人物の登用を図ったし、古いボスや重鎮にはしかるべき椅子を与えたりした。早期解散については、野党の野田さんが怒っている。新政権の浮揚効果が見込めるうちに衆院選に臨んだ方が得策と判断したようだが、石破氏はこれまで「野党との論戦を経たうえでの解散」を主張しており、姿勢変更にも早速批判が巻き起こっている。
素早く電光石火の人事である。「捨てちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った恋だもの」のはやり歌ではないが、無欲恬淡の心境になれば恐れずに、どうせ拾った総裁の椅子と思えば何でも大胆かつ勇断を以て何事もできるというものである。大胆ながら清新の気横溢するこの時、第一関門の目的を達成を先に備えるためにも、決断の太刀をふるってしまうべきだろう。思い通りにやられた方が、正鵠を得た結果が出てくるはずである。破れかぶれではないが、人間至る処青山有り、である。石破さんには思いもかけない電光石火に荒業で、意外であったが、石破さんもやるねえと思ったりしている。9月30日
再生を願ふ自民党の総裁選九人のなかより出でし石破氏
自民党前途に課題山積の船出きびしき石破総裁
決戦となる最右翼の高市氏これを倒して勝つ石破氏
混戦の末に自民党総裁に石破氏成るは穏当なりき
公明党、維新の会がそれぞれに票を減らすは先を暗示す
公明党、維新の会が議席数大幅減に世の趨勢が
失速す公明、維新の両党の存在意義の異議につながる
玉木氏が率いる国民民主党存在感を先に及ぼす
自民党、立憲民主党の構成に二大政党の将来を見ん
旧安部派崩落に思ふ日本の政党政治の成長を見ん
怨念の情消し難き高市氏、常に石破氏を悩ましにける
何時までも付きまとうかも妬み越し恨みにつきて夜も寝付けで
顔見れば恨み妬みに燃え尽きる高市の面白く濁れる
裏金と派閥で支配す自民党どろ船に乗る我れが国たみ
自民党右翼の先鋒の高市が勝てば内外に混乱を来す 9月30日
社団法人 昭和経済会
理事長