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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.8.1

連日の猛暑に辟易

  連日38度を記録する日照りの外気だが、地域によっては40度を超す勢いのところもあって異常気象も全国的に広まって、毎日の生活に実感として経験しているところである。夏場の暑いのは承知の上だが、このところのカラカラ天気の日照りには辟易しており、降参気味である。不要の外出はなるべく避けるようにしている。そうはいっても平日は会社やその他の用事が控えており、暑い中でも出勤せざるを得ないが、ラッシュアワーの時間帯を避けて通勤しているので、比較的楽である。冷房の効いた家を出る時はつらいが、むっとして息詰まる気がするのは初めの頃であり、しばらくすると慣れてしまうので、これは何も暑いのに限ったことではない。寒い時期も同じような体験をしてきている。
  しかし地球儀をまわしてみると、狭いと思う日本列島も、天空の気圧配置で大きな差が生じている。関東以南では梅雨明けが宣言されて、猛暑の度合いは殺人的である。そして東北地方の秋田、山形の両県には活発な梅雨前線が引き続き停滞し、歴史的にも未曽有であり、大雨の降水で水浸しになった地域が拡大している。土石流の下敷きになった住宅と、人命救助に当たっている消防団員の二次災害も無視できない。落ち着いてもいられない心境だが、生育期を迎えている秋田の稲作、山形のさくらんぼの被害が目に浮かんでくる。無事を祈るばかりである。反対に梅雨明けをした関東以南では、強い太平洋高気圧が張り出して本邦を覆っており、そこにチベット方向から大きく伸びてきている高気圧が重なって、猛烈な暑さをもたらしているので、こうした気圧配置が執拗な勢力を保っているので、この先猛暑がまだまだ続くと思われる。異常気象による天候被害さえなければ、お盆を挟んで農漁村地帯は里帰りや、帰省客でにぎわいが増して、賑やかに盆踊りを楽しむはずである。
  顧みて葉月と云えばいろいろの言い訳が昔からあるが、小生は自分なりに解釈して、二十四節気の区分の名称を味わっている。八月の葉月とは如何にも季節感があふれた表現だと納得しながら、樹木が茂りに茂って、鬱蒼として葉を折り重ね、如何にも暑苦しい一面を思い起こさせる。同時に樹木の葉が盛りを超えて、次第に生気を失い始め季節の先を歩き始めていく様を感じないわけにはいかない。猛暑も次第に力を落としていくことだろう。そういえば早くも今月の七日が立秋である。そして半ばを過ぎれば処暑である。秋仕度の準備に入る時期がすぐそこに来ている。
  立秋からは、残暑が厳しい日が続くが、空を見上げるとイワシ雲や羊雲が見られるようになって、秋の気配を感じ、少しばかり寂しさが籠ってくるような思いになるのである。今年は蝉の声を聴かない。度を越した暑さで、蝉も地面に出てこれないのかもしれない。蝉もそうだが、姿を現さない昆虫もたくさんいるはずである。そんな環境の猛暑続きだが、処暑ともなれば、暑さは峠を越して朝夕には涼しい風が吹き、暑かった夏の思い出を置き忘れて、前に進んでいくことになる。五穀豊穣の季節に向かって、歓喜のうちに驀進していくことになるのである。
  八月は、そうした意味で本当の一年の半分を過ぎた実感として充実感があふれてくる季節、節気である。拙宅では、庭にある樹木と、わずかな庭畑の野菜や果実の成りもので、自然の営みの中に実感として節気の移りを会得することが出来、幸いと思っている。八月一日

行きずりに立つ地蔵尊も笑顔して五穀豊穣を祝ひけるかな

炎天下にも笑顔して立ちおはす赤い頭巾をかぶるほとけよ

夕立に身を濡らし立つみほとけのしずくに宿る熱きなさけよ

もくもくと立つ夏雲の束の間に夕立報せ風の吹き過ぐ

遠来のにわかに近く覚へきて大粒の雨降るも激しく

この年も殺人的な暑さにて日々の動きも鈍くなりけり

かげろうの中に立ち居て我れが身のゆらゆら浮かぶ心地こそすれ

  

  バイデンが選挙戦から撤退
   バイデンの信念、根性と、トランプの狼狽

  過日行ったバイデンとトランプの立ち合い討論会では、バイデンの高齢を示す発言の悪しき面が露呈されて、不評を買って以来、人気にも衰えを感じさせてきたが、バイデンが選挙戦から撤退し、後任にハリス副大統領を押すことに決めた。州ごとに選挙人を選ぶ11月まで、余すところ5か月を切っているが、ハリスがトランプ陣営に猛追をかけてか、猛烈な巻き返しが功を奏してトランプ陣営を震え上がらせている展開である。焦るトランプはハリスに対して激しい個人攻撃が止まないが、一方、防衛的に著名なマスクや、候補者のケネディの取り込みを図ってみたりしている。ガラスの天井を破るといったのはトランプと争ったクリントンだが、果たして今回、ハリスが執拗なこの障壁の「ガラスの天井」を選挙によって突き破るとこができるかどうか、ハリス率いる民主党陣営は、副大統領に指名したワルツとともに、早くも正念場に差し掛かっている。

アメリカの最高裁の判決に悪しき前例とバイデン氏の警告

大統領刑事訴追の免責を許す判決の無謀極めり

大統領の犯した罪は皆無にて無罪放免とは認めがたきに

議会への乱入事件を許すとの判決なれば法は如何にも

法律にはだかる無法の者がいて国を統治いたす無法さ

大統領の罪の侵犯は免責となれば法の正義消さるる

大統領選挙の迫る数ヶ月バイデンの高令をとがむ市民は

狂暴を極める異色のトランプの犯罪者をば相手いたすに

バイデンのよちよち歩きの千鳥足転びはせぬかと気遣ひにけり

歳とれば誰にも起こる後遺症ボケずにおれば幸いなりと

バイデンの高令なるも情熱の衰えるなき気迫示して

バイデンの気丈の少しもしりぞかず体力を支ふ気迫けはしき

     
       *
トランプの知力、能力はとも角も荒き気性が気にさはりけり

札束で面をはたく素性にて政治の世界に好ましからざる

トランプに狂信的な支持者居て挑発行為に乗りやすきあり

トランプの意志と根性に力見て逆境に向かふ人の強さよ

西部劇見るかのごとき銃撃に遭ふトランプのスチーブ・マクウィーンに

振りかえり波乱万丈の道のりを超えて今にあれば如何にも

銃撃の後のトランプの鮮血の顔に流れて痛々しきに

起き上がり拳を上げて暴力に立ち向かふ身に気迫示せり

何かにとトランプの身辺の騒がしき劇的立ち舞ひに民も騒げり

トランプの嘘八百を並べてたてバイデン候補をやりこめにける

降りかかる火の粉を払い立ち向かふこれもトランプの根性なりき

嘘つきと無能と互ひに云い合ひて選挙に臨む候補者たちよ

嘘つきと詐欺師にまさる雄弁のなきとは昔の人も云ひける

トランプの人相わろき性来の悪党なれば罪を重ねり

見上ぐれば錦の空の夕べかも雲美しく棚引きにけり


    ハリス現副大統領が大統領候補に

   代議員による投票で、ハリス氏が次期大統領候補に指名が確実となった。斯くして11月の大統領の選挙人をきめる本選挙に向けてトランプ、ハリスの一騎打ちが展開されることになって、民主、共和の選挙戦がにわかに活発化してきた。ハリスにとては副大統領候補に誰を指名するかが大きな焦点である。それによって次期大統領に適切な人物をだれに投票するか、あと余すところ三か月となった。トランプ、ハリスの政治、経済、をはじめとして外交問題など広く政策提示を行ってもらい、その違いを国民に示して判断を下す好機とすべきである。
  巷間のうわさや、調査機関によると、バイデンの時の調査では4ポイントほどの差があったトランプが一歩リードしていたが、ハリスが表舞台に立つようになってからは支持率はほぼ拮抗するほどになっている。ハリスの人気が次第に濃厚になってきた感じである。敬称略


   千日上げの三日下げ

   株式相場を占う様相を称して、小生は長きにわたり習性を見て「千日上げの三日下げ」と称してきた。千日かけて上がってきた相場が、三日続きの暴落で剥げてしまう様相を指して言っているのである。一定のガス抜きの効果はあっても、次の展開に持っていけるかどうかは相場に聞くしかない。それほどに佳境に入った顛末の市場の様相は厳しいものがある。
  市場経済のルールに従って長期にわたり株価の上昇を続けてきた株式市場は、日経平均で42、400円台の高値を付けたあと調整場面に入っていたが、7月31日までに開いていた日銀政策決定会合で焦眉の金利引き上げについて議論、結果0,25パーセントの引き上げに踏み切った。主な理由としては円安傾向にストップをかけたいこと、消費者物価の上昇に圧力をかけたいこと、賃金値上げの効果を発揮させたいことなどが挙げられている。適宜を得た決定であること、長らく続いてきたゼロ金利政策から脱却すること、金利がある正常な経済活動を樹立したいことなどを狙っているものである。

  唯、日銀総裁の記者会見で総裁の不用意な発言が、曖昧模糊とした観測を呼び、マーケットを必要以上に混乱させていることは否めない。不用意且つ、軽率な発言とは、記者の質問に対して、「将来、経済の動向を見ながらこの先も金利を引き上げていきたい」と述べた点である。将来にわたり金利を確実に上げていくという意思を伝えたこと、手の内を簡単に明かしたことは、不用意な感じである。これで以て急激な円安の修正が進み、株価を暴落に導き、尚、逆効果を呈してくる可能性がある。
  日銀が0,25の金利引き上げ決定後5日目になるが、日経平均は連日のように急落しており、今日は午後二時20分現在、3,821円安の暴落となっている。かってみなかった暴落を演じている。言うなれば、5日前の日本経済の様相が、今と激変しているわけではないし、悪化しているわけではないが、将来を悲観する投資家が見切り売りに走っている状況である。せっかく堅調に上がってきた日経平均だが、まして個別的株価の急落は想像以上に暴落を演じている。三井住友フィナンシャルをはじめ東京海上までがストップ安を演じていることは由々しい限りに思う。
  恐縮ながら、パウエルや植田のような役人的発想で経済をとらえて見ても、やたらに記者会見して好き勝手な発言を繰り返すさまは、不用意な発言に繋がって民衆を惑わす結果になり、現実問題としては失政すること目明々白々である。    7月5日  PM14.40


  下げ過ぎと思われる

  専門家も含めて、一般投資家も今日の暴落はろうばい売り重なって、4451円28銭と暴落を演じて、この日の歴史的取引を終えた。12,4パーセントの下げ幅は過去最高の下落である。経済と、企業業績の実体からすれば、明らかに下げ過ぎである。冷静になって間を置き、自律反騰を期待したいところである。上昇過程をたどっている時は、当局はしきりに警戒心を以て投資家保護という立場から過熱を戒めるコメントを発しているが、今日までのように、ここ一週間の下げは過大であり、歴史的警告を逆に市場に発しているので、賢明なる当局の諸君の見解を以て、狼狽と混乱の鎮静化に努めるよう促すものである。
  最近の傾向として、局地的戦争が引き起こしている物財の需給関係と、流通機構の混乱によって物価高騰が世界的規模で拡大しているが、にもかかわらず例えばアメリカ経済のインフレ傾向が顕著だったつい最近も、経済活動の各領域の経済指標に成長の鈍化がみられて、パウエルも金利の値下げに明らかに傾斜してきている。加えてインフレ傾向も頭打ちとなって成長の鈍化、経済の停滞にまで及んでくると、パウエルは利上げの時機を逸して、ソフトランディング、軟着陸を目指していたFBRの金利政策は失敗して経済の失速を招きかねない。日経平均のかって見ない暴落は、アメリカ経済の減速を懸念している向きが濃厚だが、それに付き合う必要もないと思っているが、果たしてどうであろうか。日銀も、最近まで円安阻止の介入に腐心し、早晩金利の値上げを考えるならば介入は必要なかった。為替も円高ドル安に転じ、急激に円高が進んでブレーキを掛けたいくらいである。
  株価上昇期ばかりでなく、行き過ぎた下落も一定の警告、注意喚起が必要である。短期間の行き過ぎた下落は、経済全体に及ぼす影響は無視できない。経済の基礎的潜在力はゆるぎないという経済人の観測も含めて、この際硬直した当局の姿勢を顧みて、柔軟な姿勢と見解を示す方が適切である。つい最近まで政、官上げて「新NISA」の普及と勧誘に血眼になって国民大衆に投資を促していたところである。随分と矛盾した政策を行い、奨励しているではないか。あきれてものが言えない。今回の暴落は日銀や、財務省の官政指導の政策をきっかけに惹起されたものであり、ちぐはぐな点が否めない。我が国の経済は上昇テンポの軌道に乗っており、中、長期的に見て何ら不安視することはないと、ただし政、官の拙速な経済運営を見込まない限り、自信を以て企業経営に邁進し、以て消費者、起業家、投資家も新しい時代に堅実に対処していくことが肝要である。    7月5日

      イスラエルのネタニアフに、バイデンが怒った

  温厚の好々爺のバイデンが、イスラエルのネタニアフに直々の申し付けして心底から怒こった。
  米国のバイデン大統領が、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と1日に電話会談した際に、イスラム主義組織ハマスとの停戦合意に向け交渉を進めていると述べたネタニヤフ氏に対し、「でたらめを言うな」と反発したそうである。根性を見せつけたバイデンが、嘘八百、でたらめばかり言っているネタニアフに、いたたまれなかったに違いない。
  報道によれば、バイデンは会談でネタニヤフに、ハマスとの停戦合意と人質解放に向けた交渉について「今すぐ取引に応じるべきだ」と迫ったとのこと。ネタニヤフは「我々は交渉を進めている」と強調すると、バイデンが反発して、「米大統領を甘く見るな」と異例の強い表現で交渉の進展を求め、会談を終えたという。実に気持ちのすっきりする文言で、言うなれば、江戸っ子気質の「べらんめい」口調を聞くの及んで、この胸もすっきりした次第である。
  又ある米高官は「ネタニヤフ氏は交渉ではなく戦闘を長引かせようとしている」とも指摘し、イスラエルに武器弾薬を提供してきた米国による支援継続が「難しくなってきている」と語ったと云う。尚また残念なことであるが、3日にエジプトを訪れたイスラエルの交渉団は、停戦合意に向けた協議を行ったが、進展はなかったとみられ情勢は混沌としてきている。
  表立った表現と裏腹に、イスラエル軍は3日、パレスチナ自治区ガザの中心都市ガザ市の学校を空爆した。避難していた15人が死亡したとの報道である。一方、パレスチナ人の男が4日、イスラエルの商都テルアビブ郊外でイスラエル人の男女2人を刺殺した。男は駆けつけた警官に射殺された。何とも無秩序で無法地帯の、血なまぐさい話ではないか。暴力団の争いみたいな気がしてならない。否、それ以下である。        7月5日


    植田日銀総裁の発言を修正した内田副総裁

  先般、小職は植田日銀総裁の記者会見での発言は不用意であり、適切を欠いているとして指摘していたが、今日の日銀の副総裁が同様の趣旨で総裁発言の修正に立ったことは極めて適切な判断であったと思う。金融市場の混乱を招くことを阻止して、正常な軌道に載せることが出来たことは、将来の経済的思惑と、惹起されるであろう混乱を招かずに済んだと思っている。
  先般の0,25%の追加的金利引き上げを行った際に、更なる金利引き上げを行ていく旨の発言を行ったが、これは総裁の立場から明確に発した気持ちと受け止まられて逸脱したものであった。為替も一気に円高に振れて141円をつけて、急激な円高に終わっている。株式市場も過去最大の下落をもたらす結果になったことは、全般的に見て遺憾な結果であった。影響の大なることを承知でいながら、総裁はその後何らのコメントをせずにいたずらに時が過ぎて、混乱拡大に事態は入っていった。
  しかし今日行われた内田副総裁の発言によって完全に訂正されて、金融市場が正常な状態に戻ったことは適宜を得た措置であり幸いなことであった。植田総裁のいたずらに混乱を発動するような発言は、厳に慎むべきである。
  因みに、金利の引き上げを発表した週明けの7月5日の東京株式市場の日経平均は、3700円余の急落となり急ピッチで円高が進んだ。開けて6日の日経平均も4,400円の過去最大の大幅な急落となった。そして今日の弱含も東京市場であったが、そこで行われた副総裁の発言である。内田真一副総裁が「市場が不安定な状況で利上げすることはない」と述べたことをきっかけに為替の円安が進み、株式市場も大幅高に転じている。副総裁の発言がなかったら、市場はますます混乱していたかもしれないし、これが尾をを引いて更に混乱に拍車をかけていくところであった。副総裁のおかげで、市場に安心感が流れた。植田総裁の胸を張り肩を活かり過ぎた失言は、以て厳に慎むべきである。
                               7月6日

    南海トラフ 緊急巨大地震速報

  8月8日午後4時43分頃、宮崎県で震度6弱のかなり大きな地震が起きた。 気象庁 によると、 午後5時20分現在、九州や四国地方では津波注意報が出ている。予想された時間帯には九州東海岸では30-50センチの津波が観測された。
  そしてこの地震によって九州から四国、紀伊半島に伸び駿河湾に至る、全長1000キロに及ぶ南海トラフ地震帯の断層のずれを誘発し、南海トラフ大地震が一週間以内に起きる可能性が大であると気象庁が発表し、厳重な警戒を呼び掛けたのである。
   又、8日に日向灘で発生したマグニチュード(M)7.1の地震について、京都大防災研究所宮崎観測所の分析で、地震で破壊されずに割れ残った領域が日向灘の海底下にあるとみられることがでわかった。今回の震源から北東に数十キロ・メートル離れた領域で、M7級の地震が再び起こる可能性があるとして、警戒を呼びかけている。これらは一連の南海トラフ地震につながるものであって、いつ起きても不思議でないと識者の弁である。そして気象庁は南海トラフ地震 臨時情報(調査中)を発表し、その後 専門家による評価が行われた。
   岸田首相もこうした巨大地震の発生の可能性について急遽予定していた東南アジア訪問の日程を変更し中止した。首相は9~12日の日程でカザフスタン、ウズベキスタン、モンゴルを歴訪し、9日にカザフで中央アジア5カ国との初の首脳会合に臨む予定だった。日本の首相が中央アジアを訪問するのは、2015年の安倍晋三首相当時以来、9年ぶりで、お盆直前であったがやむを得なかった。こちらの会議も重要であることは言うまでもない。
  お盆を目前に夏休みを大きくとった人たちもたくさんいたが、行く先の海水浴場はすべて遊泳禁止、もしくは立ち入り禁止の掲示板が建てられ自粛気味の観光地である。せっかくの行楽を当てにしていた旅行者にとっては出ばなをくじかれたに等しい一週間となった。旅行先を変えたりする人もいたが、海外から日本の観光にきたひとたちにとっては、「巨大地震警報」なるものもあっけに取られており、周知に難しさがあって、とまどいきみである。
  連日の猛暑は気違いじみた様相で、どこに行っても気温38度以上を記録するとあっては、うかつには出られない気分である。小生は専ら家内と二人きりの状態で冷房の効いた家に閉じこもり読書や新聞記事に目を通したり、時折外に出ては木陰で草むしりをしたり、成り物を採ったりして時を過ごしている。夕方には買いものに車を運転して遠回りして外の様子を楽しみ、途中でお茶を飲んだりして時間をつぶしてきている。帰りにスーパーのオオゼキに寄って分厚いステーキを買ってきて、自分たちで焼いたりしてちょっとした野趣を味わってみようと思っている。
  最近は、特に猛暑の折ともなると薄っぺらな焼肉ではなく、すき焼きでもなく、アメリカのヤンキーじゃないが分厚いステーキを好むようになってきた。これに火に炙って表を焼き、レアで食べるのが最適である。表を手頃に焼いて赤い中身を見ると、刺身を食うような感じである。これに大根おろしにたっぷりとブルドックソースをかけて、厚切りのステーキは格段にうまい。今夜もそれでいこうと思っている。
  起きるかもしれない巨大地震のことは忘れて、ただし来たときは準備万端、気合を入れて備えるつもりである。造作は自慢するほどがっちりした材木を使っているし、地震には十分耐えうる構造体である。唯家の中に於かれてある家具類については、倒れたり潰れたりすることのないよう気を使っておかねばならない。    7月6日

  「あなた、ハザードマップってご存じ?」と家内がきくので、大体わかっているが、詳しくは知らない、と返事した。何とも確信の持てない曖昧さである。おそらく緊急事態の災害が発生した時に、あらかじめ安全と思われる場所を避難場所として心得ておくことかな、とも答えた。自信がないがそうだろうと思うとも言った。
  あまり気にしないのは、自分が住んでいる環境のせいかもしれない。深刻に受け止めるつもりがないのかもしれない。もしアパートとか長屋に住んだりしていて、マンションもそうだが、雑踏の中にある住居だと地震から火災が起きないとも限らない。火は風を呼ぶという。延焼して大火になれば尚さら出る。そうした状況だと、いざというときの避難場所をはっきり決めておくことは重要である。ことが発生しない前に、事前に避難する的確な場所をきめておくことが必要かもしれない。
  昔、小さい二人の子供がいて目黒の鷹番の栗田荘に間借りしていた時には、真剣に考えたに違いないな、と改めて家内に言った。それも二階だったし、6畳と4畳半、小さな台所と風呂場だ。風呂は立ったままで入るようなものだ。玄関は一畳の半分しかない。よく我慢して住んでいたものだ。あそこだったら碑文谷公園まで逃げていくだろうな。池があって水が張ってあるから大丈夫だ。水が張ってあるとなぜ大丈夫なんですか、と家内がろくでもない質問をするので、東京大空襲の時はみんな地を這うような火炎で蒸し焼きになったんだ。体を水につけて居れば髪の毛は焼かれても体はもつ。水に浸した頭巾があれば尚安全だ。生き延びられるかな。「そこまでしてですか?」と家内が言う。そうだと云ったら何ら返事がなかった。
  今の家は幸いに家の周りが広い空き地に囲まれており、しかもその空き地というのはお隣さんの屋敷の豪勢な庭だったり、立派な植木が植わっており、藪もあったりして直接火の粉をかぶったりするようなことがないはずである。拙宅にも結構な庭がある。隣の家と家との間隔も広く大きくとられており、もらい火をすることはない。先ずは安心である。近くの玉川神社や九品仏境内、等々力不動尊といった広い場所をめがけて逃げていく必要もない。むしろ逃げて行く人が飛び込んで、助けを求めてくることだってあろう。そうした人たちのために、家にいることが必要かもしれない。家内には話さずに、その通りだと心の中でひとり合点していた。    7月7日


    大成功だったパリ・オリンピック2024

  17日間の競技を終えたパリ・オリンピックは昨日華やかに幕を閉じた。憂うべき事故や事件がなかったし、感動と喜びに沸いた17日間であった。平和の祭典にふさわしく、力と技と美を競いあい、記録に挑む若者たちの未来を共有して、平和の道筋を示してくれるものとなった。世界の各地で今も戦火が絶えないが、人間同士がお互いに殺し合いを演じていることが理不尽に覚え、不思議に思えてならない。お互いに分け合い、助け合っていくことは、決して難しいことではない。相手がいることは、仲間になれることであり、理解と協力しさえすれば幾らでも可能なことである。平和のためにお互いに力を出し合えばに倍になるが、いがみ合い喧嘩をして別れ合っていたのでは力はゼロである。戦争をすること、武器を準備し作戦をして相手を殺傷することの方が、はるかに難しく時によっては自分を抹殺することにもなりかねない。何と知恵のない馬鹿々々しいことだろう。平和の祭典と、戦争が同時に行われているので比較しやすいし、子供みたいに単純に、しかし純粋にそんなことを思ったのである。

  古くからあるパリの街並みの施設を九割以上も活用した競技会場であるが、これがむしろ競技にとげとげしさを減らした効果を発揮して、会場に落ち着きと、パリの詩情を漂わせて、観る人にとっても限りない旅情と郷愁を与えてくれたのである。時差の関係で競技の模様をテレビで見るしかないが、たまたま遅いテレビに放映された種目に女子の投げやりがあった。
  競技の当事者は日本の北口選手。満面に笑みをたたえて明朗そのものである。品のよい力強さがみなぎっていて、見るからに頼もしい選手である。スタート・ラインに立つと、長い槍を高々と掲げた北口選手は、柔軟で太めの体にリズムをとって走り出した。大地を力強く踏みけって助走し、徐々にスピードを点けながら150メートルほどのコースを走っていく。右手に握った長い槍を空に向けてしっかりと固定し、彼女の丸い身体が転がっていくようである。規定線の前で踏ん張った足は見事にジャンプして瞬時に右手から長い槍が空中に放たれた。停止線で踏ん張った足はきっちりと停止して決まった。放たれた槍は空を切って高々と伸び、放物線を描いて先へと飛んでいく。突き刺さった先は165メートルを越えていた。記録を更新する距離を指していた。美しく豪快に投げた、記録更新の快挙である。瞬間、彼女が大声で喜びを伝えた。
  去年の銅メダルに続き、2大会連続のメダル獲得で、世界選手権のこの種目で、日本選手が金メダルを獲得するのは初めての快挙である。一部始終をテレビで観戦した。金メダル獲得を喜ぶ太陽のような山口選手の笑顔に、小生の胸も小躍りして、ハートのマークを付けて彼女に祝福のサインを送ったのである。7月13日

何事も忌むべきことなく幕を閉ず巴里・オリンピックの2024

若者の自由と平和を満喫す巴里・オリンピックの平和の祭典

高々と聳ゆる平和の象徴のエッフェル塔の五輪のマークよ

何かにと思ひ出多くフランスを妻と旅せる在りし日のうた

マクロンの成果ともなる2024巴里五輪に栄光のあれ

ある時は極右勢力の台頭す政情に理性を求むフランス

巴里の街を飾るエッフェル塔とセーヌ川世界の平和の象徴と在れ

感動と喜びに沸く巴里五輪「人間賛歌」の誉れ映して

   岸田首相が総裁選に不出馬

   裏金と政治との処理につまずいた岸田首相の信用失墜が大きな原因となって、自らの信認回復につながらず、総裁選の断念に追い込まれた。今日の11時30分からの記者会見で自らの責任の取り方を以て、首相退任に至るいきさつを述べた。努力家であり、温厚誠実な人柄も、自民党に付きまとってきた汚れた資金の根深さに抗しきれず、自らの政治生命を絶ったことは残念である。側近に英知に長けた人物を欠いていたことも大きく災いしたことは否めない。
  後の候補に挙がっている人物についても小粒であり、なんとなく器の小さい人物ばかりであって、自民党の将来が案じられるところである。岸田首相の総裁選の不出馬を受けた株式市場も反応なく、一時は上昇に転じた場面もあったりしたくらいである。8月14日


選挙は夏の陣
  
  大型の台風7号が関東地方を暴風圏に巻き込んで上陸せずに太平洋上に速度を増して去っていったが、大量の雨を含んでいたので各地に大雨をもたらして関東と東北の一部に浸水や冠水となって被害をもたらした。幸い甚大な結果は避けられた感じである。台風が去った後は、相変わらずの暑さがぶり返してきょうは、朝からカンカン照りの真っ赤な暑さと相成った。当分の間、こうした気候がこれからも続く湯である。熱中症にかからぬよう十分気を付けないといけない。特に小生のように歳を重ねてきたりしていると、若いつもりでうっかり自信過剰になって油断するのが危険である。そう言いながら今日の休日は、家内が午前中から教会に行くので、小生はこの暑さ故家内を教会にまで車で送っていってやることにしている。小生はこのところ教会にはいっていない。長い間、教会は藤原牧師が去った後、無牧の状態が続いてきているので、代行に招聘したりしているメッセンジャーの説教に物足りなさを感じて、つい横着しているのである。その間はそれなりに在宅勤務を行っているというわけではないが、やるべきことをやって、日頃の勤労の癒しの時間として有効に活用している。
  今日は天候が目まぐるしく変わり、台風一過の特有な天候であったが、ぎらつく太陽が雲に隠れた合間を縫って庭畑の整理に取り掛かった。たまたま去年は庭師を入れなかったのでその分樹木が生い茂って最近は鬱蒼とし始めている。今年のように日照りの強い時は木陰が広がって涼味が増して、暑さをしのぐにはもってこいとなった。芝もきれいに刈り込んでおり、庭畑も比較的整理はしてるが、成り物も盛りを越して枯れ気味となってきているので、元気を出して雑草取りと後の整理をすることにして庭に出て仕事に打ち込んだ。やりだすと根を詰めてやりとげるたちなので、日射病には十分注意しながら無理をせずにある程度まで、三時間ほどかけてことを済ませて納得した次第である。近所の上さん連中が時々犬を散歩に連れてお見えになるが、これがけ綺麗にしておけば、犬にしても庭を気分良く駆けずり回って楽しんでくれることだろう。家に近くまで来ると、拙宅の方に行きたがってしょうがないという話を聞けば、少しは犬の気持ちにもなってしまうというところだろうか。一生懸命に働いた小さなし甲斐があるというものである。

  夏の陣と称したが、自民党は岸田文雄首相がこの秋の総裁選に出馬しないと表明したことから複数の候補者が名乗りを上げてきたりして、互いの腹の探り合いといった感じになってきた。早くから出馬予定をうんぬんされている石破茂さんは、今までも派閥といった関係には属していなかっただけに、自民党の古臭い習性と流れを断ち切る改革派の一人として注目されている。今までも総裁選に立候補してきているが、党員の支持は絶対数を確保しながら国会議員の数の確保が弱いためいつも好機を逃してきている。国会議員の受けがどうも悪いようである。しかし今回は裏金問題と、派閥が裏金つくりに大きく関係してきたところから、麻生派を除いてはほとんどの派閥が解体されて、いわゆる親分と称するものが居なくなってしまったので、岸田首相の発言ではないが、派閥が無くなったので総裁立候補の意思表示もおおらかであり、横並びになって自由に立候補してもらって、議論を尽くす良好な機会となることが求められているし、又、そうなるようである。20名以上の推薦人が得られれば自由に自分の意思に従って立候補することが出来るという、従来のしきたりに絶縁した開かれたものとなるに違いない。現在のところ推薦人を確保したという三人の議員以外に名前の挙がっているのは8名ほどに達しているので、混戦模様の戦いになるに違いない。
  又、派閥解消の後の総裁選挙となって、自由闊達な論議がなされるが、党員の367名、同じく国会議員の367名からなる自由投票の結果次第によるが、一回目の投票で過半数が取れない時は上位一、二位による決選投票に持ち込まれることになる。巷間話題になる世代交代も加速されることだろう。今年から来年にかけて国際的にも首脳交代を促す選挙があったりして、アメリカをはじめとして選挙の多い年となっているが、日本も与党、野党にとって重要な選挙の年となっている。国民の信を得て政党が健丈に大きく成長するか、その逆を行くか難関の試練を超える戦いが、これから暑「夏の陣」が演じられる。小生の今日の仕事も無益で、執拗に生えた雑草を取りながら土に埋め戻して肥料とし、畑をきれいにして秋に備え、新たに種をまく準備をしなければならない。 時間を大切に時を生かし、己れ自身の生産性を高めなければならない。 脈打つ生命の秘訣である。  8月18日


  
      ハリス時期大統領候補の勢力拡大

   バイデン大統領が次期大統領選から撤退し、次期大統領を退任することが決まった時から、共和党のトランプとの選挙戦について後れを取ってきているのではないかと危惧されていたが、ハリス候補が巻き返しに功を奏してきているとの評価が専らである。その分追い付かれ気味のトランプ陣営は、トランプ自身も含めて焦りを禁じ得ないような状況である。相手候補に対する派手な中傷や個人的攻撃が有権者の鼻について、トランプ戦法にやや色褪せてきているきらいがある。
  こうした中、ハリス副大統領は16日、初めて主たる経済政策を発表した。それは住宅や食品の価格抑制に重点を置いた政策である。高インフレに対する不満に対応して、中間層への支援拡大を打ち出した内容である。
  激戦地区の一つであるノースカロライナ州で演説した彼女は、住宅事情について若者が買いやすくするために契約時の頭金の350万までを支援する仕組みや、大手住宅メーカーの買い占めを規制するなどの内容である。近年、住宅価格は高騰するばかりであり、連れて賃貸料もうなぎのぼりの様相である。例えばある住宅会社は、たくさんの住宅を購入して高い賃料でこれを貸し付けたりするマーケットに、禁止条項を加えたりするものである。又、食品については不当な価格つり上げを阻止する体制を法律で定めたりして、大手企業の過大な利益計上に対し不満解消につなげたいとしている。打ち出す政策が具体的であり、消費者に対する解説がわかり易い説明になって多くの支持を集める結果になっている。問題は財源をどこに求めるかであるが、kン名名ハリスのこと、逐次適切な処置を以て発表していくに違いない。   8月19日

トランプはハリスの大馬鹿笑ひと云ふ破顔一笑とも云いひて妙なり

にこやかに手を振り笑みて登壇すもともとハリスの素顔なりけり


    バイデンと岸田

  惜しまれて退陣を余儀なくされるバイデン、そしてこちらは日本の岸田。両者とも似通った軌跡をたどって大きな功績を残してきたように思う。バイデンはいわれのない理由で退陣せざるを得なくなっったし、岸田も多少は関係したものの、自分とは余り関係のない派閥と領袖の裏金処理を誤って一蓮托生、もらい火の結果を余儀なくされた。
  両者に共通して言えることは、最後まで仕事に没頭し、最大限の成果を収めてきたことである。そして潔く退陣した。現職にあっては誠実で安定感があり、政治家としては余り類を見ない、人間味のある言動を以て世の中に臨んできたように思う。派閥を束ねボスとしての役割がある以上、政界を牛耳る派閥のボスは悪臭を放ち、全てが一様に悪態をついて悪銭と結びついてきた感じである。政界は所詮は権力闘争の一面もあって、金は必要悪にしても悪銭は排除していかなければならない。一例として麻生はいまだ勢力を温存し頑張ってはいるが、ギャングの親分ではないが似合った帽子をかぶり、エル・カポネのような足取りで粋がって院内を歩く姿も風変りで結構だが、しかし唯一、派閥を残し胡散臭い麻生として記録に残ったことは残念であった。それに反し多少なりとも岸田には、清潔感もあって好感が持てたのである。所詮、時代に逆行して逆らっているこのグループも、諸悪の根源であり、どのみち空中分解して辛酸をなめるに違いない。政権の中枢にいたには違いないが、岸田はよく我慢して麻生派に気を配り今日まで来たと思う。労を多とする次第である。
  派閥を解体して長年、裏金作りに狂奔して存続を得てきた自民党であるが、それを引きずってきたがために腐敗し、能力もないのに、あまつさえ大臣の椅子を目指して名誉職に浸り、安閑としてきた諸侯が多かったのである。しかし日本には優秀な官僚がいるからまだましだが、そうした泥船に乗った多くの政治家が長年の惰性が身について悪銭にこだわり、議場で居眠りし、民意を忘れて惰眠をむさぼり役立たずの諸侯が多かった。対する野党も攻撃する気力を失い、戦意喪失が長いこと続く結果になってしまった。岸田の派閥解体と裏金処理に関する案件は膿を出し切ったとは言えないが、志半ばだが、悪の根源を可成りにわたって断ち切ったことを以てして良しとして、次の新しい段階に邁進するしかないだろう。悪の根源と、及ぶ習性は復元力が強かったりするから、予断は禁物である。重責を担う自民党だが、期待に応えて多少なりとも自浄作用を発揮せしめた功績は大きいと思う。岸田さんの労をねぎらう心境である。
                               8月21日

     大開発の八重洲、鍛冶橋交差点
 
   目と鼻の先の地元に居りながら、八重洲の鍛冶橋交差点の東一帯にあった幾つかの大きなビルがいつの間にか、あっという間に消えてしまってまっ平らな跡地になっているのに気づいて、聊か度肝を抜かれた感じである。開発に伴って関係する会社の、不動産事業部の活動に合わせ、地域に絡んだ企業の熾烈な勢力争いも劇化している気配である。
   銀座は外堀通り、私が所在するビルは10階建ての城辺橋ビルであり、道を隔てて向き合って商工組合中央銀行の本店がある。昔に建てた古いビルだが、建物自体はどっしりとして重量感がある。その並びに東京八重洲富士屋ホテルがあったが、数年前に関西系の住友不動産が買収したと聞いた時にはびっくりした。なぜ関西の住友系が東京駅前の、どちらかと云えば三井系の地盤に入り込んでくるのかといった疑問である。三井も住友の軍門に落ちたかという気持ちすら持った。一方で、名門の富士屋ホテルがまさか経営に失敗して、肝入りの資産を手放すとは夢にも思わなかったので、国際興業の小佐野賢治が亡くなった後始末の残骸と化してしまったのかと悔やまれたならなかった。小佐野賢治は政商として名をあげ黒幕の児玉誉士夫らとも密接な関係にあったし、今太閤としてのし上がった田中角栄と刎頸の仲であった。角栄はローッキード事件に関与して起訴され有罪判決を受けたが、冷や飯を食わされて晩年は良いことがなかった。
  そんな因縁が後を引いてたわけでもあるまいが、政商の小佐野賢治もその後余生を静かに送って、知られぬままに逝去した。とは言え小佐野がホテル事業として期待していた富士屋ホテルは、さくらの花が散っていく朝、職員らが別れを告げるなか、無残にも解体されて、広い敷地は雨ざらしの状態になっていた。次第に同区画内にあった建物も買収の対象になって約1200坪は住友の手中に落ちてしまった。獰猛な商人の、関西を代表する住友のことゆえ、東の三菱とか三井といった企業とは血筋が違う。元来、歴史的に見ても東京駅から東側は、三井の牙城、地盤かと思っていたが、住友が富士屋ホテルを買収したと聞いた時、東京のしかも三井の地盤に殴り込みをかけてきたと直感したのである。元来が、手荒い商法、手法の住友である。ソフトなホテルなど、木っ端みじんにぶち壊されてしまった。便利に使用していた小生などは、以来、なかなかの不便を感じている。八重洲富士屋ホテルは、彼の地に創業以来、親密のお得意関係にあったし、昭和経済会の定期講演会の常設会場にもなっていた。長い歴史のうちに、高名な士の記録もとどめてきた数多くの歴史的経過が積み重なってある。会にとっては、博物館的宝庫でもあった。

   息子に誘われて帝国劇場の地下二階にある「うなぎ蒲焼」の老舗の「きく川」に行くことにした。事務所を出て直ぐににタクシーに乗り鍜治橋交差点を左折し、丸の内を抜けて宮城前の内堀通りを左折して帝国劇場までを頼んだ。時に目に飛び込んできた光景は、鍜治橋交差点のくぁりきった様子である。整然と高く建っていたビルは跡形もなく、周囲はぐるりと白ペンキを塗った高い塀に囲まれているではないか。日進月歩とは言わないが、都会のすさまじい変化に驚く始末であるが、この一帯はいったい誰が手掛けているのか調べてみたいと思った。壊されてしまった富士屋ホテルの北側にあった角地のビルは、日東紡が所有していたビルである。その隣のビルは九州銀行とか福岡銀行といった店の東京支店であった。共に更地になっている。この区域もきっとこの先にまで買収が伸びて一角が更地になって大開発の対象区域になるに違いない。既に八重洲ホテルと日東ビルの間にあった公道は廃道申請がなされて個人所有になって通行止めである。してみると仮に商工中金と、後ろの石川島なその他の地基地を断念したとして、この一角で二区画を統合して約一町歩、三千坪、一万平米の大きな敷地が巨大ビル建設用地となって開発されることになる。様変わりの様相である。いっそのこと弊社が所在するこの城辺橋ビルもと思ったが、中に建つ見識の高い商工中金が頭を縦に振らないので、将来は商工中金の一角を合わせて大規模開発を考えたほうがいいかもしれない、何年、何十年先になるかわからないが、そうした構想がきっと浮上してくるに違いない。
   かって昭和経済の会員に高橋建設の高橋社長がいらしたことがある。八重洲ホテルの最北の通りで柳通と称した。そこに借地として50坪ほどの事務所を構えていた。しかし高橋建設の看板は出しているものの、商売も縮小し事務所は稼働していなかったし、可能ならば手放したく思っていた。話好きの高橋さんは、近いので頻繁に訪ねて見えた。高齢に達して健康上もあまり芳しくなかったなので、借地権を売却してくれないか、もしくは買ってくれないかと申し込まれた。地主は同じく近三商事の森侑二社長であった。近三商事は京都出身の名門の企業である。森社長はその時97歳で、矍鑠として現役を務め、我が事務所に度々訪ねてこられていた。物静かな秘書が車に同乗して見えていたが、帰えられる時はいつも一人でタクシーを拾ってご自宅迄帰って行かれた。学生時代、水泳を得意とされた森さんは、琵琶湖を泳ぎ渡たったことなどを小生に話してくださり、今とは違う時代背景や価値観など披歴してくださりいろいろと学習することもできたのである。
   京橋に持つ借地権を高橋社長から買ってくれと頼まれたとは云うものの、地主さんを知っている以上気安く買うわけにもいかない。お二人とも遠慮しがちで、それが災いして相性が合わないのかもしれないと思った。結局、この話は私が中に入って両者を取り持って差し上げた。つまり地主さんが借地人の持っている土地のある所の権利を買い戻すという手段である。お二人とも委任状を差し出してくるので、知人の司法書士に依頼して間違いなくお二人の取引を了したことがあった。報酬はいらないといったのに、お二人からは過分なお礼を頂戴する仕儀に相成った。
  高橋社長は仕事をきれいに済ましたことに満足され悠々自適、何の苦労もなく、この世を去って逝かれた由である。奥さんからその後しばらくして耳にして話されたたことであった。その後に分かったことだが、創業古く信を以て今日の隆盛を誇る近三商事殿は、もとより東京のこの区域の場所にも底地を広く持っており、早晩すべて買い上げを行ってしばらく駐車場に活用していたあと、住友不動産に一括して売却した模様である。達者でお見えになっていた森侑二殿はご自宅で転んでしまい車椅子の世話になっていたが、百三歳で天寿を全うされた。ご健在であれば、尚若々しい身なりと人柄に惚れて、お互いにいつまでも会話を交わせる間柄であった。
  小生もこの地に事務所を構えて既に半世紀以上が経つ。高橋殿や、森侑二殿との付き合いから、古くもそんな話が小生に付きまとっているので、この八重洲の一等地の土地の開発に当たっては、無関心なはずがないが、八重洲ホテル時代に密かに話があったりすれば、本来あるべき姿の三菱地所なり、三井不動産なりに話をつけて本位を成し遂げていたかもしれない。縁とタイミングとは言いながらタイミングが外れていたわけで残念である。

  鍛冶橋の交差点の北門もいつの間にか解体されて大規模開発の予定地区と思われる。交差点の北門は古くから常陽銀行の東京支店が陣取っていた。この一角も一番端の京橋K-1ビルまで買い占めを図り一角全体を開発用地にする計画かもしれない。そして北に向かって東京駅方向に向かってブックセンターまでを開発地域とするだろう。この地区は数社の共同体事業になるか、若しくは三井不動産が面子にかけても手掛けるのではないだろうか。斯くして銀座数寄屋橋から伸びた外堀通りは銀座一丁目から首都高の高架をくぐり、わが社の前を過ぎて鍛冶橋の交差点にかかり、そこから東京駅までの間が東京大改革の地区として大発展するに違いない。住みやすくなるのか、住みにくくなるのか、見当がつかぬが、いずれにしても何れかになったころは関与した大方の奴らはこの世をグッバイしているだろう。いくら高く建てたところで神様の居る天にまで届くことはあり得ない。ピラミッドを高くして魂の生きた姿を天にまで届くように願った古人の気持ちがわからないではないが、関与した人間の素性を考えると、バべルの塔のように崩れ落ちていく方の可能性が高い。大地震が来た頃はどうなるかわからぬが、雲の上の霞の空で、揚げ雲雀のように鳴いて我関せずにいることだろう。
  香港に行った時には、当時でも鉛筆を立てたような細くて長いビルが所狭しと林立していた。地盤が大陸に通じてしっかりした岩板なので、地震が全く怒らない地域である。それにしても誰があんなところに住むのか訝しげに思ったが、キリンのように全体が長くなっているホテントっトのような人類かと思い、顔の細くて長い連中ばかりかと思いきや、丸い顔をした連中ばかりが出てきた。しかも達磨のように肥えていたりした。人間、考えているばかりでは駄目で、想像の域を出ず、実際を極めて観察して結論を出すべきだと思った。     
  帝国劇場の「きく川」では息子と久しぶりに相対して話し合って、出される料理に下包みしながら一献傾けたが、おやじは酒量が減ったなとの論評を聞きつ、仕事のことやラクロスのことなどを尋ねて、体を無理せず、たまには健康診断を受けたりするように促し、最後に醍醐味のうな重を取って終わりにした。お茶の水大学付属高校に行ってた孫の娘が、医科大学を目指して猛勉強をしていることもあって、心配していたが、一浪をして医科大学に入学できたのでほっとしているところである。二浪などされたらたまったものではない。この一年というものは家族にとって憂鬱な日々だったに違いない。男なら一浪だが二浪だが気にもしないが、大事なおなごだからそんな形で青春時代を送っていられたら、家族はさぞ疲労困憊の体だったろう。希望としては女の子だから文学に志してしなやかな人生を送ってもらいたいと期待するところだが、本人の希望が沸騰しているので、こればかりはどうしようもない。それよりも無事に進学の方角が収まって良かったと思うことしきりである。帰りの方向は同じなので車を拾うべく表に出たところ土砂降りの雨だったので、方向転換、地下鉄日比谷線に乗って息子は途中の六本木で下車、小生はそのまま自由が丘まで来たところ、この辺りは幸いに雨が降っていなかった。タクシーを拾って帰宅した。
  ところで昔話になって最早時効にかかっていると思うので気安く物語するが、帝国劇場のきく川の店には古くから山賀さんという名の美人女将がいらした。その時にはウナギを接待する客人には今の場所が準備されていたが、そのほかに和食の料理を仕出ししてくれるカウンター月の大きな部屋が裏手の北側に備えられていた。立派な板前が料理を仕切っていた。若いころは毎日のように行き付けて、山賀さんにも大変お世話になったことを思い出す。数年前まで勤めていらしたが、そのころになってからは時たま訪ねていくと大喜びで抱き合ったりして懐かしんでくれたりした。体調を崩し銀座のきく川の店を退いて、神田に戻ったという話は聞いているが、その後の消息が分かっていないので気になっている。
  きく川で酔った勢いで近くの高級クラブキャバレー銀座白いバラの店に立ち寄って飲んだり踊ったりして午前様になることが多かった。その店の店長山崎征一郎さんにも大変厚待遇を受け、店では皆から先生と言われたりして、むしろまじめな時間を過ごしたりしていたものである。その白いバラも 数年前に火を消して87年の歴史に幕を閉じてしまい、寂しい限りである。山崎店長が送ってくださった鉢植えのバラは、自宅に持ち帰って庭の土に戻し、何本かは綺麗に花をつけて往時を偲ばせるよすがともなっている。開いた花を眺めるたびに、遠く去っていった往時の人たちの面影が映しだされて、今頃どうなさっているかなと思うことしきりである。                    8月23日


    気の遠くなるような、しかも危険な作業である。
     デブリ採取の失敗

   宿命というか、偶発というか、それにしても気の遠くなるような、しかも危険の付きまとう、尚も難解な作業である。難解だからと云って投げ出すわけにもいかないし、さりとてやらないわけにはいかないとしたら、時間をかけても辛抱強く対応しなければならない。思いようでは四面楚歌であるが、突破口を開いて突き進むしかない。放置すれば、人命にかかわるし、国家存亡の危機に立たされているとしか言いようがない。ことに当たっては、ぜいたくを言えないから何事にも先駆けて、本件の処理を万遍に行わなければならない。今回試みた福島第一原発のデブリの採取について装置の取り付け順を誤り作業の中止に追い込まれた。しかも再開は未定である。
  福島原発で起きた爆破事故はまだ耳目に新しい。新しいと云っても2011年3月14日、北関東、東北地方を襲った東北大地震は巨大な津波を以て本邦を襲撃、福島県の東京電力の東海原子炉のタービンを操業不能に追い込みよく、原子炉が超加熱して大爆発を起こし、周辺の地域の広範囲にわたって、莫大な量の放射能が飛び散って汚染され、何万という地域住民にとっては大量の避難民を出すに及んだ。あれから既に13年余が経っている。直接、間接に及ぶ甚大な被害は天文学的数字に上り、将来にわたって国家と、わが国民に悲劇的負担を生ぜしめたのである。原発敷地では原子炉を冷却する水にトリチウムを含む汚染水が溜まり、一千基を超えるに至り敷地内は満杯である。地元住民、とりわけ漁業民たちの説得に努め海洋放出を行い始めたが、ようやくこの後デブルの取り出しに取り掛かる計画であったが、出ばなをくじかれたも同様の結果と相成った。長い管の先にペンチのような先端を取り付け、それでデブリをつかみ取るといった作業である。装置の取り付けの順番を誤ったとのことである。初歩的で単純な失敗であり、誠に持ってだらしない結果である。
   廃炉の格納容器内の放射線は極めて高いので、取り出しに長時間の作業はできない。最初の計画ではデブリ3グラムを取り出す予定であったが、デブリの取り出し作業は、原子炉の廃炉に関して最初にして最後ともいうべきもので、最重要課題である。このデブリは原子炉の廃炉内に堆積してるのは880トンにも上る量である。少しずつ取り出しにかかるが、この先何十年かかるか見当がつかないが、営々黙々として取り出していくことになる。今度はこの取り出したデブリ、高放射能を放出しているデブリをどこにどう保管するのだろうか。頭の痛いところである。国としても、国民にとっても突き付けられた課題であり、謎である。
                             8月27日


   原子力規制委員会は28日、福井県の敦賀原発2号機について、原子炉建屋直下に活断層が通る可能性があるとして、原発の新規制基準に適合していないとした審とした。これによって敦賀2号機は再稼働できないことになった。パブリック、即ち意見公募を実施することを決め、1カ月ほどで正式決定するとみられる。東京電力福島第1原発事故の後に策定された新基準で、不適合とされた原発はこれがである。
  規制委員会の事務局の原子力規制庁が示した審査書案に対し、委員五人が賛成したという。審査した書案によると、2号機の原子炉建屋から北へ約300メートルのところにあるK断層について、活断層(活動性)の可能性があると指摘した。その上で、K断層が、原子炉建屋の直下までつながっていること、即ち連続性を否定できないとしたのである。
  新基準では、大地震を引き起こす恐れがある活断層の直上に、原子炉建屋など重要施設の設置を禁じている。活断層が通ることを否定できない場合、新基準に適合せず、したがってとした。


原子炉の真下に活断層のある敦賀原発基地の危険極めり

原子力規制委員会は再稼働不可とす敦賀原発に就き

原発の基地の真下に活断層歴然として万が一にも

活断層激しく崩れ波を打つ上に敦賀の原発基地が

原子炉を建ててはならじと法律に活断層の上にと明記す

2号機の原子炉建屋の地下にある活断層の歴然として

局地的地震があれば活断層ずれて原子炉の崩壊あらはに

日本の原子力発電の有無を問ふ危機克服に英知を尽くさん

火山国、地震国の日本ゆへ原発基地を建てる危ふし

この国の首相が原発音痴にてなお推進の狼煙上げしは

その昔昭和経済に掲載す緒方貞子の反原発の記事

火山国地震国ゆへ原発の建設不適と緒方氏のの給ふ

放射能帯びたる人の一生の苦しみあえぐ身にもなってみい

人類を地獄の底に撃ち堕とす害は放射能の半減期に及ぶ

恐るべし大地が波のごとく揺れすべてを破壊し曰く付きなり

昔より地震かみなり火事おやじ云ふても矢張り地震が怖し

マグニチュード8の東北大地震忘れまじきや何時どこにでも    7月28日

大量の雨を含んだ台風10号
 
  異常気象の様相を毎日体験してきたこの夏であるが、連日の猛暑には辟易して、小生の身体も疲労困憊気味であった。心優しい職員が、この夏は出勤しないで済むようにしてくださいとの忠告を受けたものの、性分で八重洲の事務所には毎日通勤する始末であった。出れば何かしかの用事が控えているし、控えてなけらば、新たに仕事を作り出して向き合っているという、なんとも致しかねる仕儀ではある。線状降水帯とやら奇異な名前の雨雲の一群にも遭ったりしたが、今になってみると無事にこの夏を過ごしていけそうである。
  ところで最初、フィリッピン沖に発生した台風10号は勢力を増しながら進路を北に変えて北上、次第に九州に接近、近年最大の台風となって日本の地を直撃する状況になった。半径400キロ、中心気圧は935へイトパスカル、最大風速70メートルという史上最大の規模と報道されて、進路を心配しながら見守っていた。8月29日には九州に上陸、30日には九州を通過して四国に上陸、のろのろ、ふらふらのゆっくりとした速度が特徴であった。九州地方を通過した台風は、四国を横断し、今日の31日午後7時現在は紀伊の三重付近を通過中と思われる。各地に大量の雨を降らせたがゆえに、河川の氾濫や、冠水地域が発生し、地盤の軟弱な場所によってはがけ崩れなども起きて多大な損害を与えている。又交通事情にも多大な混乱をもたらし、飛行機の欠航や、新幹線、在来線といった列車の運転停止が相次ぎ、移動する乗客は足を奪われたも同様の被害を被っている。
  台風は今のところ次第に勢力を弱め、このまま紀伊半島辺りから近畿地方を通過し日本海に抜けて行く可能性がでてきている。南アルプスの山岳地帯は、木曾の御岳山をはじめ、穂高や槍ヶ岳あたりの名峰の連ねる山々を巻き込んだ始末に、大荒れに見舞われることだろう。御岳山の名前が出てきたのは、その昔、近所の友人、狩谷さんたち仲間らと家族ぐるみで登山を含め、楽しい旅の経験をしたことを不図思い出したからである。素晴らしい仲間たちはどうしているだろうか。
  一方、台風の目は聳え立つ中央アルプスの山々にぶつかり勢力を損ない、崩れてこのままいけば熱帯低気圧に変わっていくと思われる。九州に上陸した最初の頃は瞬間最大風速30メートルと言われ、大量の雨を各地にもたらして洪水が発生し、広範囲にわたって浸水地域が発生している。台風の中心が九州、四国にありながら前線の影響で関東、東北までに局地的な豪雨の影響をもたらしているのが特徴である。そして広範囲に暴風圏を形成して、各地に謂うところの線状降水帯が発生しやすくなっている。その分、災害発生の危険度は高まってくるので、心配である。三年前の2021年の7月、伊豆山で起きた大規模の土石流の災害があった。その時は短歌同人誌の淵の会員の高橋きよさんの居宅が危うく難を逃れたが、周辺地域の復旧には長い年月を要し、その間は安定した生活基盤を失う経緯があったりした。電話か通じないので、元気づけに手紙を出したりしていたが、健康を害して、その後の消息が気がかりである。
  台風の移動で、九州、四国地方は今のこの時間は既に快晴の天気となっているが、海上からの高温の湿った空気の流れが吹き込んで、フェーン現象が起きたりして、今度は猛暑の到来が心配である。この種のフェーン現象は今も既に新潟などでも起きており、引き続き猛暑対策には注意を払っていく必要がある。
  午後になって明るくなった空を眺めて出かけることにした。雨で家にこもりきりの状態は体に良くないし、精神的にも、気分が晴れないし憂鬱である。晴れ間をついて家内と車に乗って近辺のドライブをして気分転換を図った。自由が丘に出て、九品仏の蕎麦処、楽庵に入り昼食を取り、そのあと環八を渡り田園調布を抜けて多摩川沿いに出た。九品仏寺の境内の大木は、強風で倒れたりすることもなく幸いであった。天候の回復を見込んで出始めた休日の観光客であるが、心境はだれしも同じだと思い、結構安心して外出する様子であった。脱雨籠りの心境は共通している。多摩川堤を走りながら、増水して川幅の広くなった多摩川のゆったりとした流れを見ながら二子に出た。二子の高島屋のショッピング・センター界隈をめぐり、落ち着いた街なかの様子を確認して安心して帰宅したのである。豪雨に見舞われた地域の人たちの被害状況が大いに心配するところだが、天候の回復を見て救援の手を迅速に進めてもらいたいと念願している。被害者の生活を一刻も早く正常に戻してもらうべく政府、自治体の素早い対応を願っている。八月の最終日を迎えるいるが、台風の勢いが衰えて幸いなことに、今は風も収まって、しばし安堵しきった夜のしじまに浸っているところである。
  前号、245号の淵のページをめくって各位の名歌を読んで味わっていたが、ふと角田章子さんの一首に目が留まった。  ( 風薫る立夏の候に夫逝く長患いのくびきを断ちて )角田さんは、愛する夫に旅立たれて、哀切の心境を吐露しておられている。心にしみる歌の数々を読ませていただいていると痛切の念を禁じ得ない。角田さんを心から慰め、お悔やみ申し上げるとともに、長年にわたり、お互いに尊敬して愛し合い、連れ添ってこられたご主人さまのご冥福を、心からお祈り申し上げる次第である。合掌     8月31日
  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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